2022/07/30 - 2022/07/30
2000位(同エリア2542件中)
gianiさん
- gianiさんTOP
- 旅行記182冊
- クチコミ320件
- Q&A回答0件
- 703,696アクセス
- フォロワー11人
この旅行記スケジュールを元に
江戸時代は、アイヌとの交易所があった小樽。
石狩空知炭田の石炭積み出し、札幌の外港として機能し、
後にはニシン漁で巨額の資金が動き、樺太への玄関口という要素も加わって、貿易港として繁栄しました。
戦後すべての要素も喪失し、観光都市として歩んでいます。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
小樽駅横の三角広場入口に立つ啄木歌碑
さすらい人のイメージが大きいですが、
啄木は北海道は小樽を拠点にして、ここに妻子も連れてきました。
本人はここに腰を据えるつもりでした。 -
お地蔵さんでないところが、小樽らしさ?
かわいいです。 -
小樽運河沿いには、倉庫が並びます。
大同倉庫は、いまも倉庫会社として稼働しています。小樽運河 名所・史跡
-
反対側
シャッターが現役感を感じさせますね。 -
旧浪華倉庫(1925)
現在は食堂街としてリノベーション。
木骨石造 -
倉庫を利用した
びっくりドンキー(ファミレス) -
入口もこんな感じ
小樽の文字が残っています。 -
道路の向かいの駐車場も倉庫
徹底しています! -
旧篠田倉庫(1925)
ファサードは赤レンガで、倉庫街では映える(バエる)存在。
木骨煉瓦造旧篠田倉庫 名所・史跡
-
北海道的デザイン
-
旧小樽倉庫の事務棟
-
旧小樽倉庫(1890,94)
現存する倉庫で圧倒的な古さ。上記の事務棟を挟んで2棟あり、博物館と観光プラザとして活用されています。小樽市総合博物館運河館(旧小樽倉庫) 美術館・博物館
-
こういう感じです。
-
小樽の歴史
先住民アイヌは、この地域をオタルナイと呼んでいました。
享保年間(1716-35)に松前藩の氏家氏の知行地となり、アイヌとの交易所を設置しました。運営は近江商人の恵比寿屋岡田家が行いました。堺町通りに運上屋(交易所)の跡が残っています。
幕藩体制の終了と同時に、交易所は無くなりました。オタルナイ運上屋跡 名所・史跡
-
江戸後期から明治にかけて、大坂から北海道まで往復する北前船が運航され、栄華を極めました。
-
運搬のみならず、寄港地で積荷を売りさばき、空いたスペースに現地で買ったものを積み込むスタイルでした。
写真は、明治16年度の安吉丸が倉敷玉島港で売買した記録。鱈を売りさばいたという取引から始まります。 -
帆船なので、風待ちも屡々。
本州からは生活物資が届き、小樽からは海産物や毛皮を送りました。 -
明治4年以降、開拓使(役所)は小樽の埋め立てを進めます。内陸都市札幌の外港として重要な役割を担います。
-
明治13年には、東京大阪に次ぐ、全国3番目の官営幌内鉄道が小樽~札幌まで開通。すぐに炭鉱のある幌内まで延長されました。
旧手宮線跡 名所・史跡
-
小樽港を通して道民の生活物資が移入される一方で、小樽からは石炭と海産物が移出されました。特に鰊は巨額のカネが動く花形でした。
-
貿易が盛んになると、担保・品物を保管する倉庫業が興ります。
北前船で富を蓄えた商人が次々と倉庫業に参入します。
写真は、1891年築の旧大家倉庫、木骨石造。 -
小樽大火(1904)
小樽の街が焼ける惨事でした。木造の倉庫は焼け落ち、中の商品も焼失。
火災後は、耐火性のある素材で建てました。とはいえ、急いで建てる必要と費用の問題があり、木材で枠組みを作り、壁は不燃性の小樽軟石を積む木骨石造が主流になり、現在の景観が誕生しました。
写真は1906年築の旧磯野倉庫、木骨煉瓦造。軟石よりも高級です。 -
小樽運河の建設(1914-23)
浅瀬の小樽は、大型船が接岸できず、沖に停泊した船から艀(はしけ)で荷物を積み下ろししました。艀が倉庫群に直接接岸できるように、小樽運河が建設されました。 -
現在の小樽運河
1937年に大型船が接岸できる埠頭が竣工し、小樽運河の役割はあっさり終了。当時は幅40mだった運河も写真のように幅20mに縮小(埋立)。 -
話は、少し戻ります。
鉄道が開通し、物資の往来が盛んになると、小樽に大きな富が蓄積します。鰊マネーを中心に大きなカネが動く小樽には一大金融街が形成され、日銀通りおよび色内大通りは北のウォール街の異名を取ります。樺太への玄関口としても、大いに栄えました。 -
中心は日本銀行小樽支店。
北海道初の店舗として1893年に進出し、1906年に支店に昇格。
現在の建物は1912年築。現在、業務は札幌支店に統合。
以下、旧は省略します。 -
日銀の向かいには、三井物産が鎮座。
-
隣りには北海道銀行
-
十字路には、第一銀行
-
三菱銀行
-
拓銀(北海道拓殖銀行)の三行の建物が現存します。
-
色内大通りの西側には三井銀行、
-
第四十七銀行
-
安田銀行が残ります。
-
反対側には、第百十三銀行。
-
小樽名物のガラス細工。
実は、ニシン漁の網のウキを作る職人の仕事が無くなったのが起源です。
倉庫、運河、ガラス工芸、石造建築の銀行群、全ては産業遺産の賜物です。 -
おまけ
旧向井呉服支店倉庫(1907)
市内では珍しい煉瓦造倉庫。木骨煉瓦造ではありません。
次回は、小樽湾のニシン番屋を訪れます↓
https://4travel.jp/travelogue/11764448旧向井呉服屋支店倉庫 名所・史跡
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
小樽(北海道) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
37