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江戸時代は、アイヌとの交易所があった小樽。<br />石狩空知炭田の石炭積み出し、札幌の外港として機能し、<br />後にはニシン漁で巨額の資金が動き、樺太への玄関口という要素も加わって、貿易港として繁栄しました。<br />戦後すべての要素も喪失し、観光都市として歩んでいます。<br />

倉庫と運河から見える小樽史

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2022/07/30 - 2022/07/30

2015位(同エリア2324件中)

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gianiさん

この旅行記スケジュールを元に

江戸時代は、アイヌとの交易所があった小樽。
石狩空知炭田の石炭積み出し、札幌の外港として機能し、
後にはニシン漁で巨額の資金が動き、樺太への玄関口という要素も加わって、貿易港として繁栄しました。
戦後すべての要素も喪失し、観光都市として歩んでいます。

旅行の満足度
5.0

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  • 小樽駅横の三角広場入口に立つ啄木歌碑<br />さすらい人のイメージが大きいですが、<br />啄木は北海道は小樽を拠点にして、ここに妻子も連れてきました。<br />本人はここに腰を据えるつもりでした。

    小樽駅横の三角広場入口に立つ啄木歌碑
    さすらい人のイメージが大きいですが、
    啄木は北海道は小樽を拠点にして、ここに妻子も連れてきました。
    本人はここに腰を据えるつもりでした。

  • お地蔵さんでないところが、小樽らしさ?<br />かわいいです。

    お地蔵さんでないところが、小樽らしさ?
    かわいいです。

  • 小樽運河沿いには、倉庫が並びます。<br />大同倉庫は、いまも倉庫会社として稼働しています。

    小樽運河沿いには、倉庫が並びます。
    大同倉庫は、いまも倉庫会社として稼働しています。

    小樽運河 名所・史跡

  • 反対側<br />シャッターが現役感を感じさせますね。

    反対側
    シャッターが現役感を感じさせますね。

  • 旧浪華倉庫(1925)<br />現在は食堂街としてリノベーション。<br />木骨石造<br />

    旧浪華倉庫(1925)
    現在は食堂街としてリノベーション。
    木骨石造

  • 倉庫を利用した<br />びっくりドンキー(ファミレス)

    倉庫を利用した
    びっくりドンキー(ファミレス)

  • 入口もこんな感じ<br />小樽の文字が残っています。

    入口もこんな感じ
    小樽の文字が残っています。

  • 道路の向かいの駐車場も倉庫<br />徹底しています!

    道路の向かいの駐車場も倉庫
    徹底しています!

  • 旧篠田倉庫(1925)<br />ファサードは赤レンガで、倉庫街では映える(バエる)存在。<br />木骨煉瓦造

    旧篠田倉庫(1925)
    ファサードは赤レンガで、倉庫街では映える(バエる)存在。
    木骨煉瓦造

    旧篠田倉庫 名所・史跡

  • 北海道的デザイン

    北海道的デザイン

  • 旧小樽倉庫の事務棟

    旧小樽倉庫の事務棟

  • 旧小樽倉庫(1890,94)<br />現存する倉庫で圧倒的な古さ。上記の事務棟を挟んで2棟あり、博物館と観光プラザとして活用されています。

    旧小樽倉庫(1890,94)
    現存する倉庫で圧倒的な古さ。上記の事務棟を挟んで2棟あり、博物館と観光プラザとして活用されています。

    小樽市総合博物館運河館(旧小樽倉庫) 美術館・博物館

  • こういう感じです。

    こういう感じです。

  • 小樽の歴史<br />先住民アイヌは、この地域をオタルナイと呼んでいました。<br />享保年間(1716-35)に松前藩の氏家氏の知行地となり、アイヌとの交易所を設置しました。運営は近江商人の恵比寿屋岡田家が行いました。堺町通りに運上屋(交易所)の跡が残っています。<br />幕藩体制の終了と同時に、交易所は無くなりました。

    小樽の歴史
    先住民アイヌは、この地域をオタルナイと呼んでいました。
    享保年間(1716-35)に松前藩の氏家氏の知行地となり、アイヌとの交易所を設置しました。運営は近江商人の恵比寿屋岡田家が行いました。堺町通りに運上屋(交易所)の跡が残っています。
    幕藩体制の終了と同時に、交易所は無くなりました。

    オタルナイ運上屋跡 名所・史跡

  • 江戸後期から明治にかけて、大坂から北海道まで往復する北前船が運航され、栄華を極めました。

    江戸後期から明治にかけて、大坂から北海道まで往復する北前船が運航され、栄華を極めました。

  • 運搬のみならず、寄港地で積荷を売りさばき、空いたスペースに現地で買ったものを積み込むスタイルでした。<br />写真は、明治16年度の安吉丸が倉敷玉島港で売買した記録。鱈を売りさばいたという取引から始まります。

    運搬のみならず、寄港地で積荷を売りさばき、空いたスペースに現地で買ったものを積み込むスタイルでした。
    写真は、明治16年度の安吉丸が倉敷玉島港で売買した記録。鱈を売りさばいたという取引から始まります。

  • 帆船なので、風待ちも屡々。<br />本州からは生活物資が届き、小樽からは海産物や毛皮を送りました。

    帆船なので、風待ちも屡々。
    本州からは生活物資が届き、小樽からは海産物や毛皮を送りました。

  • 明治4年以降、開拓使(役所)は小樽の埋め立てを進めます。内陸都市札幌の外港として重要な役割を担います。

    明治4年以降、開拓使(役所)は小樽の埋め立てを進めます。内陸都市札幌の外港として重要な役割を担います。

  • 明治13年には、東京大阪に次ぐ、全国3番目の官営幌内鉄道が小樽~札幌まで開通。すぐに炭鉱のある幌内まで延長されました。

    明治13年には、東京大阪に次ぐ、全国3番目の官営幌内鉄道が小樽~札幌まで開通。すぐに炭鉱のある幌内まで延長されました。

    旧手宮線跡 名所・史跡

  • 小樽港を通して道民の生活物資が移入される一方で、小樽からは石炭と海産物が移出されました。特に鰊は巨額のカネが動く花形でした。

    小樽港を通して道民の生活物資が移入される一方で、小樽からは石炭と海産物が移出されました。特に鰊は巨額のカネが動く花形でした。

  • 貿易が盛んになると、担保・品物を保管する倉庫業が興ります。<br />北前船で富を蓄えた商人が次々と倉庫業に参入します。<br />写真は、1891年築の旧大家倉庫、木骨石造。

    貿易が盛んになると、担保・品物を保管する倉庫業が興ります。
    北前船で富を蓄えた商人が次々と倉庫業に参入します。
    写真は、1891年築の旧大家倉庫、木骨石造。

  • 小樽大火(1904)<br />小樽の街が焼ける惨事でした。木造の倉庫は焼け落ち、中の商品も焼失。<br />火災後は、耐火性のある素材で建てました。とはいえ、急いで建てる必要と費用の問題があり、木材で枠組みを作り、壁は不燃性の小樽軟石を積む木骨石造が主流になり、現在の景観が誕生しました。<br />写真は1906年築の旧磯野倉庫、木骨煉瓦造。軟石よりも高級です。

    小樽大火(1904)
    小樽の街が焼ける惨事でした。木造の倉庫は焼け落ち、中の商品も焼失。
    火災後は、耐火性のある素材で建てました。とはいえ、急いで建てる必要と費用の問題があり、木材で枠組みを作り、壁は不燃性の小樽軟石を積む木骨石造が主流になり、現在の景観が誕生しました。
    写真は1906年築の旧磯野倉庫、木骨煉瓦造。軟石よりも高級です。

  • 小樽運河の建設(1914-23)<br />浅瀬の小樽は、大型船が接岸できず、沖に停泊した船から艀(はしけ)で荷物を積み下ろししました。艀が倉庫群に直接接岸できるように、小樽運河が建設されました。

    小樽運河の建設(1914-23)
    浅瀬の小樽は、大型船が接岸できず、沖に停泊した船から艀(はしけ)で荷物を積み下ろししました。艀が倉庫群に直接接岸できるように、小樽運河が建設されました。

  • 現在の小樽運河<br />1937年に大型船が接岸できる埠頭が竣工し、小樽運河の役割はあっさり終了。当時は幅40mだった運河も写真のように幅20mに縮小(埋立)。

    現在の小樽運河
    1937年に大型船が接岸できる埠頭が竣工し、小樽運河の役割はあっさり終了。当時は幅40mだった運河も写真のように幅20mに縮小(埋立)。

  • 話は、少し戻ります。<br />鉄道が開通し、物資の往来が盛んになると、小樽に大きな富が蓄積します。鰊マネーを中心に大きなカネが動く小樽には一大金融街が形成され、日銀通りおよび色内大通りは北のウォール街の異名を取ります。樺太への玄関口としても、大いに栄えました。

    話は、少し戻ります。
    鉄道が開通し、物資の往来が盛んになると、小樽に大きな富が蓄積します。鰊マネーを中心に大きなカネが動く小樽には一大金融街が形成され、日銀通りおよび色内大通りは北のウォール街の異名を取ります。樺太への玄関口としても、大いに栄えました。

  • 中心は日本銀行小樽支店。<br />北海道初の店舗として1893年に進出し、1906年に支店に昇格。<br />現在の建物は1912年築。現在、業務は札幌支店に統合。<br />以下、旧は省略します。

    中心は日本銀行小樽支店。
    北海道初の店舗として1893年に進出し、1906年に支店に昇格。
    現在の建物は1912年築。現在、業務は札幌支店に統合。
    以下、旧は省略します。

  • 日銀の向かいには、三井物産が鎮座。

    日銀の向かいには、三井物産が鎮座。

  • 隣りには北海道銀行

    隣りには北海道銀行

  • 十字路には、第一銀行

    十字路には、第一銀行

  • 三菱銀行

    三菱銀行

  • 拓銀(北海道拓殖銀行)の三行の建物が現存します。

    拓銀(北海道拓殖銀行)の三行の建物が現存します。

  • 色内大通りの西側には三井銀行、

    色内大通りの西側には三井銀行、

  • 第四十七銀行

    第四十七銀行

  • 安田銀行が残ります。

    安田銀行が残ります。

  • 反対側には、第百十三銀行。

    反対側には、第百十三銀行。

  • 小樽名物のガラス細工。<br />実は、ニシン漁の網のウキを作る職人の仕事が無くなったのが起源です。<br />倉庫、運河、ガラス工芸、石造建築の銀行群、全ては産業遺産の賜物です。<br /><br />

    小樽名物のガラス細工。
    実は、ニシン漁の網のウキを作る職人の仕事が無くなったのが起源です。
    倉庫、運河、ガラス工芸、石造建築の銀行群、全ては産業遺産の賜物です。

  • おまけ<br />旧向井呉服支店倉庫(1907)<br />市内では珍しい煉瓦造倉庫。木骨煉瓦造ではありません。<br />次回は、小樽湾のニシン番屋を訪れます↓<br />https://4travel.jp/travelogue/11764448<br />

    おまけ
    旧向井呉服支店倉庫(1907)
    市内では珍しい煉瓦造倉庫。木骨煉瓦造ではありません。
    次回は、小樽湾のニシン番屋を訪れます↓
    https://4travel.jp/travelogue/11764448

    旧向井呉服屋支店倉庫 名所・史跡

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