2022/07/03 - 2022/07/03
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gianiさん
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この旅行記のスケジュール
2022/06/07
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釧路の三大産業 漁業 製紙業 石炭業
三井グループとして21世紀まで採炭した太平洋炭礦の博物館へ。
石炭採掘事業は、コールマインに引き継がれ、現在も釧路沖で操業中です。
坑に潜る採掘方法(⇔露天掘り)で操業しているのは、日本で唯一ここだけになりました。
※露天掘りは、道内数か所で行われています。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
開館中なのに無人かつ施錠。
向かいの市立青雲台体育館の受付で入場料を支払い、開錠してもらいます。退館時も体育館に声掛けします。
太平洋炭礦の社名は、初代社長が太平洋のように大きく発展すること、採掘が広大な太平洋(釧路沖)まで伸びることを願って付いたと言われます。太平洋炭礦炭鉱展示館 美術館・博物館
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入口には、巨大な石炭の塊が。
重さは何と6t! 黒ダイヤの異名通り、ピカピカしています。
石炭を採掘する会社だけあって、石炭の種類や品質などの説明が詳しいです。 -
石炭の生成過程(炭化)
石炭はドイツ語の翻訳ですが、石ではなく太古の植物が変わり果てた姿です。
1.シダ類や針葉樹が枯れたものが数十メートルの厚さに堆積します。これは、植物に含まれる有機物の堆積速度が微生物による分解速度を上回る状況です。要因としては、低温・酸欠(水中)が挙げられます。泥炭と呼ばれます。 -
草炭
泥炭(ピート)。狭義だと、樹木が炭化したもののみを泥炭、草本が炭化したものを草炭と分類する。水分を多く含むので、乾燥させてから燃料にする。ほかにも培養土、アルカリ性土壌へ土壌改良材として散布する用途も。地表か地表近くに分布。 -
2.土や砂が流れ込んで、上記の層にかぶさり、空気(有機物を分解するのに必要な酸素のこと)を遮断します。生物による分解は完全にストップします。
3.地殻変動や熱の作用を受けて、時間をかけて石炭になります。こうしてできた石炭層の厚さは1-4mで、地中深くに分布。 -
褐炭
名前の通り、黄褐色。上記2,3の段階を経た最初のもの。不純物が多く、比重の半分以上は水分。そのままだと、自然発火するリスクがある。上記の要素から、輸送に不向き。採掘(露天掘り)時、燃焼時の環境負荷が大きい。 -
亜歴青炭
褐炭よりも炭化が進んだもので、日本で採掘される「石炭」に該当する。広義では褐炭に属する。歴青を含んで粘結性が低く、揮発分を多く含み、ボイラー等の燃料に適する。サンプルは、ズバリ太平洋炭。
※歴青:アスファルト、ピッチ、コールタール、 -
歴青炭
亜歴青炭よりも炭化・粘結が進んだもの。世界標準の石炭は、歴青炭(日本では、国産の亜歴青炭も石炭と呼ぶ。)。炭素含有量は83-90%未満。 -
無煙炭
最も炭化の進んだもので、炭素含有量は90%以上。揮発物が少ないので、着火性に劣る一方で名前通り煙が少ない。発熱力も強い高級品です。 -
コークス
石炭を熱分解(乾留)して、不純物を取り除いたもの。燃焼防止のために空気を遮断した環境で加熱するため、有用な副産物(硫黄・コールタール・ピッチ・アンモニア等)を抽出、再利用できるメリットも。高火力を必要とする工業燃料として利用される。
例えば製鉄所では、鉄に硫黄が混入すると品質低下につながる、高炉に歴青が混入すると温度上昇が阻害される等の理由から、純粋さが高く評価される。艶の無い外観が特徴。 -
石炭の埋蔵量を見ると、現在の亜寒帯・ツンドラ気候(=寒冷な地域)に偏っていることがわかります。
※埋蔵量と採掘量(採掘し易さ)は、一致しません。 -
釧路炭田の歴史
記録に残る最古のものは、1781年の「松前誌」。
1856年にオソツナイ(現釧路市石見浜)で露頭が発見されて採炭開始。箱館開港で、外国船に石炭を供給するために開発された。陸上部は僅かで海底へ続くために、長続きしなかった。
本格的な炭鉱は、明治20年(1887)の春鳥炭山(安田炭鉱 春採湖の東岸)。弟子屈で産出する硫黄を製錬・輸送するために安田財閥が開発しました。硫黄鉱山の閉山後も釧路港へ入港する船の燃料や京浜工業地帯へ供給しました。 -
1914年に安田炭鉱が閉山し、3年後に木村組が事業継承。
写真は、閉山時の安田炭鉱春採炭鉱状況図。 -
明治26年(1893)に採掘を始めた別保の山縣鉱山の経営も思わしくなく、1916年に三井鉱山が買収。それでも経営は改善されず、木村組に合併を提案。
1920年に木村組と三井鉱山釧路炭坑が合併し、太平洋炭礦株式会社を設立。太平洋、明治、雄別の大手と、多くの中小炭坑という図式が出来上がります。 -
上記の経緯から、太平洋炭礦は三井鉱山の系列です。
太平洋炭礦設立の背景には、2年前に第一次世界大戦が終わり、石炭需要を含め、世界の景気が悪化したことが関係しています。 -
大幅な設備投資で機械化が図られ、
北坑(北海炭礦鉄道)、釜石鉱山に続く三井鉱山の稼ぎ頭になります。
※北坑は1922年に三菱鉱業に買収され、雄別炭礦鉄道(現阿寒町)に改称。 -
石炭は、釧路港を通して全国へ移出する構造が確立。
1925年には、太平洋炭礦の石炭輸送部門として釧路臨港鉄道も開業。
道内移出向けは、国鉄(現JR根室本線)の東釧路駅で接続しました。
写真は、開通時のレール。1887年のイギリス製の刻印が入っており、旧安田炭鉱の鉄道レールを転用したものと思われます。 -
産業の発達で地域消費量や国内移出も増え、
軍部の台頭で軍需も高まり、増産が国策になります。
労働力がひっ迫し、徴用も行われました。
閑季の農漁民、40歳以上の市内の店主、中学生や女性、朝鮮人にまで及びました。
太平洋炭礦は機械化のみならず、新坑開発と周囲の中小炭坑の買収で対応しました。 -
採掘量は1940年(S15)をピークに、戦争最中の1944年(S19)2月に保坑・休坑。
軍需はその後も18か月続くのに何故?と思いますが、
太平洋上の制空権を奪われたことに拠り、海上輸送が不可能になったことが要因。
政府の決戦非常時措置により、関門海底トンネルの開通で陸上輸送が可能になった三池・田川(共に福岡)に、人員の配置転換が国策で敢行されました。一部の人員は道内の芦別坑へ配置されました。 -
終戦と同時に春採坑、翌年には別保坑が再開。
石炭は戦後復興の主役として増産を重ねますが、機械・設備の不足が大きく足を引っ張り、戦中の採掘量に遠く及びません。問題が解決し始めたのは、朝鮮戦争特需の1951年(S26)以降。コールカッターとフェイスローダーを導入。 -
石炭増産の掛け声の中、炭鉱では市街地とは異なり、終戦後の食糧難でも政府が食糧を保障し、映画館もありました。人口の増加に伴い、下町の春採から上町の桜が岡が宅地開発されました。小中学校は、マンモス校になりました。写真は少し後の昭和30年頃。
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興津坑
1946(S21)年に開削、翌年に採掘を開始し現在に至る。社名の通り、海底に伸びる坑道。現在は、山手線の円が丸々収まる面積です。 -
石炭から石油へのエネルギー転換が世界のトレンドとなり、1962年に政府は炭鉱整理を始めます。釧路炭田では中小炭鉱が相次いで閉山、大手も1964年に庶路・69年に本岐(共に明治鉱業)、70年に雄別・尺別・上茶路(共に雄別炭鉱)が閉山、太平洋炭礦の興津坑のみが残ります。
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道東で唯一残った太平洋炭礦は、機械化等の効率化や、持ち家制度で移り気な労働者を定着させる等の工夫をしました。
グラフを見ると採炭量を維持しつつも、社員数を大幅に整理して、生産能率が向上しています。 -
オイルショック後、低価格かつリスクヘッジの観点で石炭も見直されましたが、大規模な露天掘りで低価格を実現した輸入炭にパイを奪われます。合理化も万能ではありません。
国内の炭田が生き残る道は、付加価値の高い製品であること。「太平洋の海底炭」は、そんなブランドです。 -
硫黄分が少ない(環境負荷が少ない)石炭ということで、太平洋炭は主に国内の火力発電所で燃料使用されています。
1970年には、太平洋石炭販売輸送株式会社を設立して、採炭部門から独立させます。
※2019年の釧路臨港鉄道廃止に伴い、2020年に新太平洋商事株式会社に改称。 -
太平洋炭は、分類上は亜歴青炭に属しますが、使い勝手が良いのが特徴です。
大気汚染の主犯である硫黄分が少ないのが、最大の売り。火付きが良くて燃えカス(灰)が少ないので、家庭での使用に適しています。熱量も6,200kcal/kgと、高出力です。参考までに、歴青炭は8,100kcal/kg以上、煙と悪臭を伴います。 -
2012年(H14)1月に、太平洋炭礦は閉山。太平洋炭礦から分離していた太平洋興発に引き継がれます。東証一部上場を継承し、不動産開発事業を行う会社になっています。
炭礦部門は縮小したうえで、地元資本で新設された釧路コールマイン株式会社が引き継ぎ、4月には採鉱再開、現在に至ります。現在、日本で唯一の採炭炭鉱です。 -
炭礦博物館は、ズリ山(採炭物のうち石炭でない部分を廃棄した山)の上に建っています。
かつては、複合福利施設「青雲台」が営業していました。本館の太平洋スカイランドは昭和44年5月に開業し、ホテル・温水プール・ボウリング場などがありました。因みに、チケットを購入した青雲台体育館も、福利施設の一部でした。
福利厚生の筆頭は銭湯。他にも、よろず相談所、集会所、図書館、和洋裁学校、野球場、テニスコート、病院、助産所、遊園地、郊外の保養施設が含まれます。 -
太平洋炭礦で最も先進的な採炭システム
SDは自走枠(Shield flrame)とドラムカッターの頭文字を取った、太平洋炭礦の自社プラントの名称。1967年に導入。既製品を各炭鉱でカスタム仕様に組み上げて稼働させます。
ロング(長壁式)採掘はヨーロッパで発展したので、西ドイツ製の機械が多いです。一般的なトンネル断面ではなく、幅200m前後のワイドな断面を切削できる効率的な採掘法です。多大な設備投資が必要。 -
1、切削
石炭を掘り出します(図では左の方向へ掘削)。
図右側の機械(自走枠という)を、地面と天井にしっかりと充てて固定します。図左側の機械(ドラムカッター)を炭面に押し当てて掘削します。自走枠のシリンダーがドラムカッターの載る舟状盆(トラフ)を押し付けるので、カッターは常に炭面に接しています。
堀された石炭は、ベルトコンベアで後部(図の右側)へ流されます。 -
2、押し出し
これ以上シリンダーが伸びない時点で自走枠の天井プレスを解除し、ドラムカッターの方向へ移動します(これが自走枠と呼ばれる所以)。 -
3、トラフ移設
シリンダーが収縮したら自走枠を天面(天井)に固定します。シリンダー(シフター)を押し出して、ドラムカッターの載るトラフを移設します。
上記1,2,3の作業のエンドレスで繰り返します。 -
模型(組立前の採炭プラント)
手前の橙がドラムカッター、奥の白が自走枠、真ん中が切羽コンベア。
この3点がセットになって採炭プラントを形成します。
手前が炭面になります。 -
採炭プラントの模型
地盤の安定したところでは「長壁式掘削」が行われ、切羽面の幅は150-230m高さは2.5-3mまで対応できます。
切羽面に沿って、自走枠を横に何十台も並べます。自走枠1台の幅は125cmで、支持力は600t(NT-1型)。
天面を覆う自走枠の下には両端に刃の付いたドラムカッターを配置し、切羽面の端からもう一方の端まで平行移動します。高さ2.8m幅200mの石炭の壁を30~40分で削り取り、1日に10m掘り進むことができます(7770型)。
採掘物はドラムカッター横の切羽コンベアで端へ流し、そこから坑道に延びるステージローダーで運ばれます。 -
地下には実物のプラントが展示。
右奥が自走枠、手前へ延びる溝が切羽ベルトコンベア、奥にドラムカッターが配置され、切羽面(写真ではコンクリート壁)を手前から奥へ向かって切削します。カッターが切り出したものを切羽コンベアが受け止めて坑道まで流します。 -
自走枠の拡大写真
支柱は油圧シリンダーになっており、天井の高さ(石炭層の厚さ)の変化に対応できます。1本の支持力は150tで4本セットなので、600tの支持力(天井を支える力)です。
初代は昭和43年導入の西ドイツ製。 -
ドラムカッターの刃の部分の拡大写真。
奥の切羽面に押し付け、切削します。切削幅は60-80cm。
初代の導入は昭和42年のアメリカ製。切削能力が5倍以上向上しました。 -
切羽コンベアで坑道まで運ばれた採鉱物は、ステージローダーでポケットまで運ばれます。運搬能力は700-900t/h。
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炭坑全体の模式
海面下に坑道が網の目のように通ります。
左手前では、本層を採炭プラントで切羽してます。切削が終わると広場状の空洞になるので、石や砂・水などを充填して、落盤しないようにします。 -
CM堀進
SD採炭法が導入される前までの採炭法。地盤が弱い等の理由で、道路や鉄道のトンネルのような狭い幅でしか採掘できない条件では、現在も行われます。CM(コンテニアスマイナーの略)という機械で切削し、シャトルカーで運搬するリレーシステム。 -
現物のCM
写真だと手前へ向かって掘り進みます。米国で発展した採掘技術なので、採掘機械は、米JOY社から一貫して購入。 -
太平洋炭礦で1952年に導入されたコンテニアスマイナー(CM)は、炭層と岩盤の境目に切れ目をを入れる、火薬を詰める穴を開ける、発破をかける、石炭を積み込む作業を1台で行える優れものです。前世代のフェースローダーの3倍の効率を実現しました。
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発破をかけた後、カッターで切削します。
採掘物は下のショベルで掬い上げられ、コンベアで背後へ送り込まれます。
写真はCM10型で、全長10m幅2.5m切削断面20平方メートルです。 -
先端部から後方を望む。石炭の流れが分かります。
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シャトルカー
CMと坑道のベルトコンベアの間を中継する運搬車。最大積載量9t、米JOY社製。 -
CMとシャトルカーが協働している様子。
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CM導入前の採炭
1951年に機械化が実施されたときの様子です。
まずコールカッターで、炭層と岩盤に境目に切り込みを入れます。
次いで炭層に穴を開けて火薬を詰めます。
発破後に、フェースローダーで切削します。
一般的に炭坑の姿として連想するのは、この時代のシーンです。中小炭鉱は、最後までこの方法でした。 -
採炭物を運搬するシャトルカーは、1952年に導入されました。
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坑道は時がたつと堆積物等で断面が小さくなります。底部を削って坑道を維持する必要があります。下盤打機(ザルツギッター)やCUM(クリーンアップマシン)が使用されました。
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管理システム
坑内の様子は光ケーブルで坑外の指令室に逐一伝わり、コンピュータを使用して管理しています。こうして災害が大幅に減少しています。 -
選炭
坑内で採掘された石炭は、坑外の選炭工場へ運ばれ、25mmを境に粉炭と塊炭に選別されます。 -
重液選炭機(ドルボーイ)
微粉状の砂鉄と水から成る混合比重液に塊炭を投入し、水溶液に浮いたものは高カロリー炭、沈んだものは再選ドルボーイへ移されます。
再選ドルボーイは更に密度の高い溶液で、浮いたものは中カロリー炭、沈んだものはズリ(ゴミ)になります。 -
バウム水選機
水槽の下にある網目から圧縮空気を一定間隔送ると、浮いたものを2槽目へ、沈んだものはズリとして処分されます。
2槽目で浮いた(流れ出た)ものは高カロリー炭、沈んだものは低カロリー炭になります。
※ドルボーイ、バウム水選機は、水に溶かす微粉状砂鉄の比重を調整すれば、簡単に製品の品質調整ができます。 -
沈殿浄化装置(写真手前)
洗炭や重液で用いられた水を再利用する施設です。きれいな水は工業用水として、石炭成分を多く含んだ水は採掘跡の坑内に充填します。 -
選炭を経て製品化された石炭は、臨港鉄道を経て、釧路港から出荷されました。写真は、5000t級の運搬船。
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おまけ
太平洋炭礦博物館へは、「スカイロード」バス停で下車。木が生えない丘(ズリ山)の上に位置します。ズリ山には、黄と橙のタンポポがきれいに咲いていました。両方とも外来種です。
次の旅行記↓
https://4travel.jp/travelogue/11764628
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