2022/03/18 - 2022/03/20
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かるあみるくさん
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広島旅行2日目の前半旅行記です。前日の雨の中計画もなくさまよったのと違い、2日目と3日目は1日目の夜にそれなりに計画を立てる事が出来たので完全に行き当たりばったりでは無くなります。2年前に広島旅行を計画していたのもあり、その計画を再利用したりして広島県東部を回っていきます。
この日は三原・尾道・福山という県東部の観光地を回っていきます。とは言えあまりに直前の旅行計画と連休が絡んでいた事もあってレンタカーが借りられず電車移動なので駅周辺がメインになりました。でも割と電車でも観光できたかなと思います。
三原駅に隣接している、というより三原駅自体が三原城跡なのですが、三原城天守台を見てから尾道を通過し福山へ。尾道はまた午後に向かいます。福山では福山城が「令和の大普請」という改修中で城の姿は見えず中にも入れませんでしたが、伏見城から移築された櫓などは見る事が出来ました。
その後福山城周辺の神社を見学しながら北に歩いていくところまではこの旅行記2日目前編になっています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2日目の朝を迎えました。前日と違って快晴とまでは言えなくても曇り~晴くらいの感じの朝です。良かった。
いつの物事ですが日没後にチェックインしているので初めてその景色をしっかり見る事が出来ましたがこの部屋から見えるのは病院ですね。透析室も別棟である病院のようです。
このホテル朝食のバイキングがとても良かったのですが、写真は翌日に多く撮っているので3日目で紹介したいと思います。東広島グリーンホテルモーリス 宿・ホテル
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ホテルは西条駅から少し離れているので歩いて駅へと向かいます。途中西条駅前にぎわい広場というスペースがあり、こんな感じでお酒が積み上げられていました。飲める場所なのかもしれないですね。まあ私は基本的にお酒飲まないのであまり関係ないですが(´・ω・`)。
今回の旅は直前にスケジュールを組んだこともありレンタカーを借りられなかったので徒歩ばかりですが、徒歩の旅だとゆっくり動くのでこうやって発見があったりして楽しいです。 -
西条駅までやってきました。昨夜ホテルに到着した時は夜でしたし、つけ麺屋に寄ったりもしていて少し違う道を歩いていたのでまた違う雰囲気を味わいながらやってきました。ホテルから駅までそこそこ距離はありますが、一本道で駅自体は見えているので残りの距離感もわかりやすかったですし良かったです。
今日は西条駅から東に向かいますが、三原まで通じる列車は一時間に一本程度なので駅までの残りの距離がわかるのは歩くペースを考えるうえでとても助かりました。西条駅 駅
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西条駅は最近建て替えられた駅舎で、入り口には結構大きなレリーフが飾られていました。西国街道四日市宿という事で江戸時代の西条の様子を表したものでした。西条の街は四日市宿と呼ばれていたのですね。
宿場町が整備されたころから酒造りも始まっていったそうです。西条駅 駅
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先ほども書いたように今日は西条駅から東へと向かいます。
山陰本線の車窓から撮影。広島からずいぶんと離れている山中なので長閑な景色が続きます。西日本独特の赤茶色の瓦が個人的に大好きです。前に何かの旅行記でも書いたと思いますけど、これを見ると西日本に来たなあと実感します。 -
山陽本線で車窓を眺めていると途中とんでもなく大きな橋の下を通過しました。結構離れて撮影していますが存在感が半端ないです。調べてみると広島空港大橋という橋でした。広島空港とその北側を結んでいる県道です。南側、写真でいうと左側に広島空港があるようですね。
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乗っていた列車は一つ先の糸崎駅止まりの列車でしたが三原駅で下車しました。三原駅は新幹線も停まり山陽本線と呉線の分岐駅で駅舎は大きいものもあまり人が居ない駅でした。
これは駅舎内にあったらっきー神社。ポケモンのラッキーではない様です。三原駅 駅
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三原駅で改札を出た後駅出口ではなく別のスペースへと向かっていきます。
三原駅は全国でも珍しい(てかここだけ?)駅舎から直接天守台へ出る事が出来る駅です。そして天守台へはこの駅舎を通るルートでしか行けないのです。
元々はそうではなかったのですが、1975年の山陽新幹線開通に伴う工事で現在の形になったそうです。三原駅 駅
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先ほどのところを右に曲がり階段を登ってくると天守台跡に出ます。新幹線駅に隣接する城跡というより駅自体が城跡になっています。三原城は天守こそありませんでしたが二重櫓が3つありそれを多聞櫓で連立させていたそうです。天守台はとても広いものだったそうですが現在残っているのは一部ですよね。
三原城跡 名所・史跡
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駅舎から入ってくるという珍しい構造の天守台ですが、天守台と言われなければ駅に隣接する公園の様にも見えてしまいます。三原城の数少ない遺構の一つですが、三原城自体あまり有名でない事や駅舎からの入口も知っていなければわざわざ探そうとしないような場所という事もあり私がいた10分程度の間に誰も人は来ませんでした。
三原城跡 名所・史跡
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小さい天守台なのですぐに端に行くことが出来ます。駅舎内からはこの天守にしかむかえず行き止まりなのですが、見晴らしの良い展望台みたいで雰囲気は良いです。新幹線駅ではありますがこの天守台から見える景色は都会というわけではなく、マンションはあるもののなんとなく昭和の雰囲気を遺している街にも見えます。
堀の対岸は公園の様なスペースになっているようです。三原城跡 名所・史跡
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三原城跡から新幹線駅を見ると本当にすぐそばです。新幹線のホームからでも天守台が見えそうな位置になっていますね。元々山陽鉄道を誘致した際に本丸跡を駅用地として提供したという事もあるのですが、山陽新幹線建設時にさらに隣接する天守台が切り取られた様です。
こちらからでは天守台の外に出る事は出来ないので、一度駅を出て濠の外側から三原城跡を見てみる事にします。 -
駅舎を出てタクシーロータリーの近くには毛利元就の三男で豊臣政権五大老の一人、小早川隆景像がひっそりとありました。1567年に三原城を築城した人物でもある事からここに像が建立されているのだと思いますが、なんかひっそりという言葉が本当にしっくりくるような感じで置かれていました。ちなみに関ヶ原の戦いで有名な小早川秀秋は養子に当たります。
もっとしっかりとした像が立像されてもおかしくない人物だと思いますが、やはり知名度の低さ故ですかねえ。小早川隆景像 名所・史跡
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3枚上の写真で見えていた堀の向こう側にやってきています。この場所にあった案内をみると、堀瑞まで宅地化されていたと書かれていてどういうこと?と思いましたが、新幹線開通以前の衛星写真を見ると確かに堀の近くまで、もっと言えば現在の新幹線付近まで家が立ち並んでいました。ストリートビューを見ても2010年の時点で公園整備の工事を行っていたようなので、開通後も割と近年までここは住宅地だった様です。
三原城跡 名所・史跡
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そんなわけでたった10数年前にはこちらからの光景は見られなかった事になります。山陽本線が本丸に通り、その後も三原市の発達に伴い天守台以外はほぼ残らず天守台も山陽新幹線の開通で入れるところは少なくなりましたが、小早川隆景築城の三原城を今でもこうやって見る事が出来る様に歴史公園を造ってもらえたのはとても良い事です。
もっと注目されても良い城だとは思いますが、現状や近くに有名な城が多い事を考えると難しいのかもしれないです。三原城跡 名所・史跡
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三原城跡のある新幹線口から南口へと歩いてきました。どうやら三原駅周辺は南側の方が開けているみたいでこちらの方が活気がありますね。バスターミナルや繁華街も南側にありました。この像はやっさ踊りの像。やっさ踊りは三原城築城以来続いている三原の踊りだそうです。
三原駅 駅
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三原駅のバスターミナルにて。
2021年7月の豪雨で被災した呉線の区間は暫定的な工事で運転を再開していたみたいですが、ちょうど2022年3月18日から31日にかけて三原~竹原を運休にしてバス代行を行っていたみたいです。三原駅前から芸陽バスの代行バスが出発していました。
今回乗る区間じゃないのですが、閑散区間とは言えそこそこの人数がバスに乗っていました。 -
三原も見どころはいろいろとあるようですがレンタカーがない今回の旅では移動も難しいので、電車に乗って広島県西部の都市である福山へと向かっていきます。地方にしては比較的本数のある山陽本線ですがそれでも1時間に2本程度なのである程度予定をしっかり立てないと時間が無駄になってしまいます。
なので今回の旅は割と時間を計算しながらのものになっています・・・(´・ω・`)。三原駅 駅
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三原駅から糸崎駅までの一駅は227系でしたが、糸崎駅からは115系で福山駅までやってきました。広島駅近郊の電車は全て227系に統一されていますが、岡山口はまだ115系や117系などが走っています。というかそればかりです。
ネット上では末期色と呼ばれているこの色も10年以上たって岡山の顔の様に感じる様になってきました。福山駅 駅
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福山駅を出てみるとこんなレトロ調のバスが停車していました。観光地巡りのバスですかね。右手に少し写っていますがチャーターの様な観光バスがこの周りにいっぱい並んでいて何かと思いましたが、コロナワクチンの接種会場へのバスの様でした。
この写真をとってすぐの所にあるホテルは療養ホテルになっていましたし、まだまだコロナが続いているんだなという事は感じます。福山駅 駅
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福山市のシンボルと言えば福山城!なのですが残念ながら今年2022年に築城400年を迎えるために「令和の大普請」と称して2020年から大規模な改修工事を行っていました。この旅行記を書いている時点では工事は終わっていて、どうやら築城400周年となる2022年8月28日に完成したようです。
ちょうどそろそろ桜の見ごろの時期だったので桜祭りの準備もしていた様です。福山城公園 公園・植物園
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福山藩祖であり福山城を築城した水野勝成像が天守に向かう途中になりました。徳川家康の従兄弟にあたる人物で広島藩の分割に伴い入封し街と城を築きました。現在の福山市域では古くから鞆の浦は発展していましたが、福山市中心部にあたる部分はこの時から発展していきました。父は徳川二十将の一人でもある水野忠重で勝成も優れた将軍として晩年には島原の乱にも出兵しています。
福山城公園 公園・植物園
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城の近くまではいく事が出来ましたが、近づいても正直何が何だかわからない状態です。ちなみに福山城は戦中まで現存天守として残っていましたが、1945年8月8日の福山大空襲により焼失し戦後1966年再建されたものです。当然入場は出来ない状態でしたが、本来は博物館として利用されています。
福山城 名所・史跡
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フェンスには様々な武将の絵が描かれていました。これは豊臣秀吉。信長の野望での絵の様ですが、うん、皆さんイケメン(笑。
まあでも信長の野望から戦国時代好きになる人も多いっていうので良い事だと思います、うん。福山城 名所・史跡
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福山城は現在博物館として営業していて中では福山の歴史や福山藩の資料、武具などが展示されている様ですが閉館中なので見学は出来ません。その代わりにこのプレハブ小屋で現在の工事の様子や今回の工事で復元する部分などの解説を見る事が出来ました。入場料はかかりません。
福山城博物館 美術館・博物館
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福山城は武家諸法度発布後に築城された最後の城郭。戦災で焼失したとは言えその姿を現在にも復元で残している城だけに見たかったのは事実ですが、広島県なのでまたいつか見る事が出来ると思い、現在見える範囲を見学しました。本丸以外は割と見る事が出来たので良かったです。この櫓は鏡櫓と呼ばれる櫓で築城当初からありましたが明治になり解体されてしまっています。その後天守を復元した後の1973年に外観復元されています。
福山城公園 公園・植物園
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こちらは月見櫓と呼ばれる櫓で上の写真の鏡櫓と塀で繋がっています。上の写真の位置から振り返るとこの櫓が見えます。この写真で言えば左奥に鏡櫓があります。
高欄のある二階部分からは城下を望め、藩主が参勤交代から帰還時に確認するために「着き見」櫓からこの名前になったそうです。
こちらも廃城令後の明治に一度解体された後1966年に外観復元されています。福山城公園 公園・植物園
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この本丸御殿から張り出して造られている建物は御湯殿。一言で言えば蒸し風呂です。福山城築城の際に伏見城から移築されたものでしたが福山空襲により焼失。その後天守再建の際に外観復元されたそうです。この一角には伏見城から移築されたものが多いです。
ちなみに伏見城と言っても安土桃山時代の物は伏見城の戦いで焼失していますので、江戸時代になって再建されたものになります。福山城公園 公園・植物園
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左手の櫓は伏見櫓と呼ばれる櫓です。名前の通り1602年伏見城再建の時に建てられ1619年廃城後福山に移築されたものです。伏見城廃城の際には西国の守りの要である福山に多くの建築物が移築されたそうです。福山空襲の被災を免れ現在では重要文化財に指定されています。
右手の工事中の建物は筋鉄御門と呼ばれる門でやはり伏見城から移築されたものだそうです。福山城公園 公園・植物園
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改修工事中でまったくわかりませんが筋鉄御門をくぐり本丸へと向かっていきます。調べてみたらこの門は3年ほど前に軒先の漆喰が脱落するという事故もあった様で、けが人はいなかったものの古い建築という事もあり保守の必要性も高い状態なんだと思います。
福山城公園 公園・植物園
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城内から見た伏見櫓。櫓を支える石垣がほとんど見えなくなるので、外から見た時と随分と印象が異なります。現在工事中なのでもちろん入れませんが、普段から原則として公開はされていません。それ以前から名称の事もあり伏見城由来の建築という伝承はあったそうですが、1954年に解体修理を行った際に梁に記された文字から伏見城の遺構である事が確定したそうです。
福山城公園 公園・植物園
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こちらは鐘櫓と呼ばれる櫓で、名前の通り鐘が設置されていて城下の街の人々に時間を伝えていた他、緊急時に武士の招集を図る役割も兼ねていたそうです。こちらも現存建築物だそうですが明治以降著しく荒廃してしていたので1979年に復元をしています。
福山城公園 公園・植物園
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本来だとここが本丸広場で広いスペースなんでしょうけど・・・。
福山城築城400周年だそうですが、さすが広島県ここでもカープでした。カラーだけでカープってわかるというね・・・(笑。
広島県には良く来ますが、森保監督の下連覇をしていた頃もサンフレッチェの紫はほとんど見ませんでしたね。カープの赤ばかりです(笑。福山城公園 公園・植物園
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先ほど訪れた三原城と三原駅と同様福山城も駅のすぐ近くにあります。逆に広島城は駅から結構離れているのもあり街づくりという観点から見ても面白いです。まあ実態は三原と福山は鉄道開通時まだ都市化が進んでおらず城跡の土地を利用できた、広島は幕末の時点で大都市で明治になりさらに大きくなったため城の付近は都市化が進んでいて、鉄道忌避もあり離れた場所に駅を造ったのかなと思いますが・・・。
福山城公園 公園・植物園
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本丸の外から見た伏見櫓と鐘櫓。こうやってみると工事中のお城などという事は全然感じないですね。
江戸時代もこんな雰囲気で福山城を構成していたのだと思います。福山城公園 公園・植物園
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こちらの像は備後福山藩阿部家第七代藩主阿部正弘像。備後福山藩として数えると13人目の藩主ですが、ペリー来航時の老中首座としての方が有名だと思います。ペリー来航から開国まで大混乱の江戸幕府の中枢として激務をこなしました。ここから幕末の動乱へと突入していく事になりますが、これは阿部正弘の力が無かったわけではなく誰が行っても無理難題だったのだと思います。安政の改革を行い講武所、蕃書調所、長崎海軍伝習所の設置を行いますが39歳の若さで急死。その後の日本を知ることなく没してしまいますが、彼の行った改革は現代まで残る機関の設置など近代化に大きな貢献をしています。
福山城公園 公園・植物園
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上の阿部正弘像の写真にも少し写りこんでいるのですが、福山城から景色を眺めていると二本尖塔を持つ立派な教会があるなあと思いましたが恐らく結婚式場だなとすぐに思いなおしました。そして旅行記核にあたり調べてみるとやはり結婚式場。ドイツ文化圏だとこんな感じの立派な教会多いですよね。また海外行ってみたいなあ・・・。
福山城公園 公園・植物園
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本丸から駅前まで降りてきました。福山城では本丸の外側にある三の丸跡に広島県立博物館やふくやま美術館が整備されています。その周囲も都市公園の様になっていて、美術館のある公園らしく美術品が展示されていました。
まあこの三の丸跡を開発して博物館を建てているので遺構がどうなってしまったのかは気になるところですが・・・。 -
本丸から降りてきて三の丸跡にある公園へ。
博物館は広島県立博物館と名乗っています。県庁所在地の広島市ではなく第二の都市福山市にあります。これはこの博物館の愛称がふくやま草戸千軒ミュージアムとなっている通り福山に主眼を置いた博物館だからなのかなと入ってから感じました。広島県立歴史博物館(ふくやま草戸千軒ミュージアム) 美術館・博物館
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入り口近くにあったこの模型は明王院本堂と五重塔の1/26模型だそうです。1960年代に行われた解体修理の際の図面をもとに正確に復元されたものだとか。福山市内にありどちらも国宝に指定されているお寺です。本堂は鎌倉時代に、五重塔は南北朝時代に建築されたものだそうです。
広島県立歴史博物館(ふくやま草戸千軒ミュージアム) 美術館・博物館
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博物館内は撮影禁止の場所が多いですが、最大の目玉である二階の草戸千軒を復元した空間は撮影ができます。草戸千軒は福山市内の芦田川にあった鎌倉時代から室町時代の港町で、当時は現在よりもはるかに内陸に海岸線があり海外との交易も行っていた港町でした。
洪水説もありますが明確な理由もわからないまま室町時代に消滅した幻の街と言われています。 -
その後昭和になるまで忘れ去られた幻の街になっていましたが、1930年代から発掘されるものが出てきて幻の街が実在することがわかり戦後になり遺跡発掘が進められました。昭和末期では芦田川の中州に遺跡が残っていましたが、現在は川底に沈み再び幻の街になっています。
この広島県立博物館では沈む前に行われた学術調査を元に、15世紀の街を復元しています。ここまで広い空間に街を復元しているってなかなか聞いたことがなく迫力がある街並みでした。 -
各地を結ぶ港町だった事から市場でも多くの品物が扱われにぎわったようですね。復元された街ではこのように当時の市場の商品なども展示されていました。
こういう感じで展示してくれるとすごくリアルな感じがします。彩があるからかその場にタイムスリップしたような気持ちになれました。 -
博物館でこれだけ広い空間を再現しているのは見たことがなかったです。建物の中なので限界はあるのでしょうが、中世の街の一区画を本当に往来している様で感慨深い空間です。こんな感じで下向きに撮ると、奥のライトはともかく本当にその場にいる様に感じますね。
商業街で交流も盛んだったのでおそらく当時の地方と比べれば豊かで綺麗な街だったんだと思いますが、この時期にこんな街並みがあったのは少し驚きました。 -
博物館に隣接して建っているこちらはふくやま美術館。日本画や洋画が多く収録されていましたが個人的には刀剣が多く展示されている事に驚きました。これだけあるの珍しいのでは?と思っていましたが旅行記を書く際に調べたら東京国立博物館に次2位の収蔵数だそうです。
ふくやま美術館 美術館・博物館
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美術館前にはこんなオブジェが。「愛のアーチ」という名称があるようです。
この手のオブジェはよく美術館前の公園などにあるやつですよね。よくわからないですけど。
子供たちが走って鬼ごっこの様にして遊んでいました。ふくやま美術館 美術館・博物館
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噴水やその後ろの庭園などはとてもよく整備されているので登る必要がある本丸よりも地元の人にとってはこちらの方が親しみやすい公園かもしれません。
実際のところ本丸が工事中という事もあるかもしれないですが、美術館前の方が子供たちが多く遊んでいました。ふくやま美術館 美術館・博物館
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美術館から少し登ったところにいきなり現れた長屋門。城内にこんな感じでいきなり長屋門が現れる事はありえないので移築ですね。
解説がありましたがこの門は旧内藤家長屋門と呼ばれるもので、城下にあった長屋門が1976年にこの地に移築されたそうです。福山城を焼失させてしまった福山大空襲にも耐えた貴重な遺産です。 -
長屋門を抜けて歩くと道路を隔てて神社がありました。
福山城のすぐ北にあるこの神社は備後護国神社。城の近くに護国神社があるのは珍しくないと思うので現地ではそんなに気に掛けず参拝しましたが、調べてみると少し変わった歴史がありました。
備後護国神社はここから3キロほど南に離れた芦田川河畔に紀元2600年記念として1940年から整備が始められ1945年には完成間際になっていましたが福山大空襲で焼失。戦後この地にあった阿部神社として合祀されることになり阿部神社の本殿を改修し1956年に改修されたそうです。備後護国神社 寺・神社・教会
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階段を登りきってすぐの所に本殿があります。こちらが阿部神社の本殿で戦後備後護国神社の本殿として改修、合祀された本殿のはずです。阿部神社は明治元年に当時の福山藩主が四境戦争と箱館戦争の戦死者を祀るために建立した招魂社が元となっているそうで、阿部神社もこの本殿に合祀されているそうです。
備後護国神社 寺・神社・教会
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備後護国神社からは登ってきた参道とは別の階段で降りていくと福山城方面に戻る道があり、その途中にも稲荷神社があるようなので再び戻ってきました。後で調べると備後護国神社にあった階段はかつての阿部神社時代の参道だったそうです。
三蔵稲荷神社は小さいお稲荷様かなと思いましたが奥に大きな拝殿がありました。三蔵稲荷神社 寺・神社・教会
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こちらが拝殿です。他にも能舞台などもあり敷地はそんなに広くはないものの立派な神社でした。福山市内ではとても有名な神社だそうです。
水野勝成が福山城を築城した時に祀られた神社でとても歴史のあるものだそうです。三蔵稲荷神社 寺・神社・教会
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三蔵稲荷神社に隣接する敷地に建てられている洋館は福寿会館。福山名産のけずり鰹の考案者で豪商だった安部和助が昭和初期に建てた別荘だそうです。戦後は福山市に寄贈され結婚式場などとして利用されましたが現在は一般公開されています。ただこの時は福山城の工事に合わせてか庭も工事されていて近づくことが出来なかったです。
福寿会館 名所・史跡
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福山城公園を出て周辺も散策していきます。当然ですが福山城を中心に城下町が広がっているのでお寺や神社なども多く残っています。
こちらは福山八幡宮。名前の割に小さな門だなと感じてしまいましたが、福山城北にある大きな八幡宮です。 -
福山八幡宮は元々延広八幡宮と野上八幡宮と呼ばれる福山市内にあった二つの八幡宮が1969年に合祀され現在の形になったそうです。だいたい合祀された神社はメインとなる本殿などの脇に他の摂末社が鎮座していますが、福山八幡宮ではどちらも並立して同じ規模の本殿・拝殿などが並んでいるそうです。
知名度で言えばマイナーなものなのでしょうが立派な社でした。 -
福山八幡宮の裏から山道が続いていてこれならほかの方法に抜けられるかなと思って歩いてみました。どうせ市街地ですし抜けられなかったとしても戻ればよいだけですから・・・。途中まではこんな感じでそこそこの道だったんですが途中からかなり道が狭くなり引き返すか迷いましたが、無事に福山八幡宮の東側にある艮神社に出る事が出来ました。結果的には大した距離ではないですがちょっと焦りました。
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こちらが艮神社。福山八幡宮から山道を抜けてきたので参道からではなく、裏側から入ってくることになってしまいました。良神社ではなく艮神社(うしおじんじゃ)です。福山最古の神社として建立され江戸時代に福山城の鬼門の方角に当たる事から、この方位を鎮める神社として祀られたそうです。
艮神社 寺・神社・教会
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福山城周辺は空襲により大きな被害は受けましたが、城下町の寺町になっていたためか現在でも寺や神社が多く残っています。こちらは地図で見ると観音寺というお寺の様です。この寺の他にもいくつかのお寺がありました。
この寺町を抜けて北へと向かい、今回福山に来た最大の目的である福山自動車時計博物館へと向かいます。
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