2022/03/22 - 2022/03/25
317位(同エリア452件中)
エンジュさん
この旅行記スケジュールを元に
展望台→ホテル鷗風亭→小烏神社→安国寺→沼名前神社→医王寺→淀媛神社
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 3.5
- ショッピング
- 2.5
- 交通
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- その他
- 利用旅行会社
- 近畿日本ツーリスト
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ポニョの駐車場・無料で自動車を駐車してゆっくり風景を楽しめます。
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鞆の浦が見えます。中央の玉津島が印象的です。
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朝陽と夕陽の駐車場
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夕陽の展望台・内海大橋が見えます。このままでは分かりにくいので次にズームアップした画像をあげます。
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曲線が美しい内海大橋
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朝陽の展望台・鞆の浦が見えます。このままでは分かりにくいので次にズームアップした画像をあげます。
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福禅寺 対潮楼の屋根が見えます。
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いったんホテルに車を駐車して、荷物を預けて鞆の浦を観光します。
ホテルでひな祭りが開催中でした。 by エンジュさんホテル鴎風亭 宿・ホテル
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小烏神社(こがらすじんじゃ)・東の鳥居から参拝しました。
「こがらっさん」の愛称で呼ばれています by エンジュさん小烏神社 寺・神社・教会
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正一位五社大明神(せいいちいいなりだいみょうじ)・小烏神社の末社のようです。稲荷様ですね。
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祭神・小烏大神(こがらすのおおかみ) 天目一箇神(あめのまひとつのかみ)
小烏神社は、地元の人たちから「こがらっさん」の愛称で親しまれている神社。福島正則が鞆の浦の城下町を整備した際に、鍛冶工をこの地域に集めて鍛冶屋町を造りました。その中心にあるのが小烏神社です。室町時代の後期に、鍛冶を生業とする人たちが、氏神様として祀ったのが起源ではないかといわれています。 -
南の鳥居から出ました。
小烏神社は南北朝時代の古戦場としても知られています。
1349(正平4)年、足利尊氏の弟・直義の義子であった直冬は、中国(長門)探題として鞆の浦の大可島城に赴任していましたが、ちょうどその頃、高師直(こうのもろなお)と直義が対立。のち、直義が高師直によって追われたことを知った直冬は、高師直・尊氏と兵馬を交えることになります(小烏の合戦)。
その骨肉相食む合戦の結果、鞆の浦の刀剣鍛冶が発達したのです。
古戦場とは思えない場所でした。 -
西に進むと石鳥居がありました。沼名前神社の鳥居です。鳥居をくぐり抜けて、さらに進むと安国寺へいく道にまがります。
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備後安国寺・安国寺恵瓊(えけい)ゆかりの寺
備後安国寺 寺・神社・教会
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ここまでは無料でしたので、ここで引き返しました。
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第一鳥居・戻ってきて沼名前神社にお参りしました。
鞆祇園宮(ともぎおんぐう) by エンジュさん沼名前神社 寺・神社・教会
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鞆の浦の西方の山麓に位置する神社です。
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沼名前神社の参道の階段、上るのがしんどかった。
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沼名前神社(鞆祇園宮)ぬなくまじんじゃ ともぎおんぐう
海上安全に効験のある大綿津見命(おおわたつみのみこと)を祀る「渡守(わたす)神社」と、須佐之男命(すさのおのみこと)を祀り無病息災を祈願する「祇園社」。その2つの神社が明治時代に統合され、沼名前神社となりました。名前は変わりましたが、今でも鞆の浦の人びとは、この神社を「祇園さん」と呼んで親しんでいます。 -
とても広い境内でした。
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国内で唯一現存しているポータブルな能舞台・境内には秀吉遺愛の能舞台があります。かつて京都伏見城にあったものを、福山城主・水野勝成が二代将軍・徳川秀忠より拝領し、それを沼名前神社に寄進したとのこと。 また、家康建造とも伝えられています。簡単に分解して移動できる組み立て様式の能舞台です。
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ささやき橋・探してなければ、見逃してしまうような橋です。
ささやかに盛り上がった小さな橋 by エンジュさんささやき橋 名所・史跡
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ささやき橋・和多利と江の浦の悲しい恋物語で、この橋のたもとでささやき声が聞こえるという伝説からささやき橋と呼ばれています。
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法宣寺・1358年、日蓮宗の高僧、大覚大僧正が鞆の浦に上陸し、法華堂を建立したのが法宣寺のはじまりで、西国法華引導最初の道場として、中国地方布教の拠点となりました。
「天蓋マツ」があった寺 by エンジュさん法宣寺 寺・神社・教会
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かつて寺には国の天然記念物がありました。大覚大僧正お手植えと伝わる黒松の巨木です。その枝ぶりから「天蓋マツ」とも呼ばれ、鞆の浦の人々の誇りでしたが、残念ながら、1991年夏、六百余歳で枯死しました。老松が枯れて以来、今まで影が薄かった隣の紅梅が生気を得て、最近では新しい花の名所になっています。
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南禅坊山門・軒先の強い反りなど随所に,異国情緒を漂わせ,朝鮮通信使寄港地である鞆の浦の情景を彩る。
南禅坊 寺・神社・教会
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医王寺にいく途中の民家に飾られていた雛飾り。ほっこりしました。
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山門に白い像が展示されてました。あとで調べてみると、4月8日のお釈迦様の誕生日に展示するらしいのですが、3月なのになぜだか展示されてました。でもちょっと得した気分になりました。
白い象がいました。 by エンジュさん明圓寺 寺・神社・教会
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医王寺にいく途中でみつけたジブリアニメ「崖の上のポニョ」の宗介(そうすけ)の家のモデルではと言われる赤い屋根の家が見えます。
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後山(うしろやま)の中腹に、鞆の浦で2番目に古いお寺・医王寺があります。このお寺は826(天長3)年に弘法大師・空海によって開基されたと伝えられています。
鐘楼からの景色が良いです by エンジュさん医王寺 寺・神社・教会
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鐘楼は寛永19年(1642年)、福山藩初代藩主・水野勝成(みずのかつなり)の建立。
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鐘楼のベンチからの景色、鞆の浦の絶景スポットです。
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鳥居のある階段から海岸線へ下りていきました。
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階段の下に山門がありました。
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ちなみに長崎出島のオランダ商館医となったドイツ人・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)もオランダ商館長(カピタン)の江戸参府(下関~兵庫は海路 )随行し、その帰路、文政9年(1826年)5月18日、鞆の浦に立ち寄り、上陸して福禅寺・対潮楼や医王寺で植物観察などを行なっています。
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医王寺山門・中の仁王像を見るのを失念してしまいました。
鐘楼からの景色が良いです by エンジュさん医王寺 寺・神社・教会
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平賀源内生祠・高松藩薬用方出身で蘭学者として知られる平賀源内は,諸国を遍歴し,鞆の溝川家に寄寓したことがある。この時,源内焼の製法を伝え,土の神,かまどの神,平賀源内大明神を三宝荒神として祀るよう言い残して去ったといわれる。この生祠は,溝川家が宝暦14年(1764年)に祀ったものである。
あまり整備されてないので、残念感があります。医王寺参道の途中 by エンジュさん平賀源内生祠 名所・史跡
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鞆の浦のあちらこちらで咲く濃いピンクの花は紅梅だと思います。
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鞆の浦の街でネコちゃんに会いました。
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淀媛神社 石鳥居・駐車場が無いので、ここまで徒歩です。道中は道が狭くかなり注意して通行しなければなりません。
淀媛神社 by エンジュさん淀媛神社 寺・神社・教会
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観光客は一人もいません。
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苦労して歩いてきた甲斐がある神社です。
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注連柱を潜れば淀媛神社の境内です。
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祭神・淀姫命(ヨドヒメノミコト)
鞆にゆかりの深い神功皇后(じんぐうこうごう)の妹である淀媛(よどひめ)を祭神として、古くから鞆の平地区の人たちを守る神として祀られている -
後ろの本殿は淀姫神社の象徴ともいえる緑色の屋根です。遠くからよく見えます。
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明神山と呼ばれる高台に位置するため、鞆の港が一望できる境内からの眺めは最高で、江戸時代の歴史家・頼山陽が褒め讃えたと伝えられています。
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境内から玉津島がみえます。
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玉津島の右側に本瓦造船が見えます。
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本瓦造船は宮崎駿監督作品である「崖の上のポニョ」に出てくる造船所のモデルと言われてます。
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手水鉢
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お詣りが済んだので、鞆の浦の街に引き返します。
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平地区の人々を見守る神様です。
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焚場・鞆の浦の西端には「焚場(たでば)」が海中に現存しています。
焚場とは今でいうドック(船渠/せんきょ)のようなもの。木造船の船底に付着したフジツボなどの貝類や海藻、船虫などを焼き払い、乾燥させて船命を長らえさせます。この行為を「たでる」といい、たでる場所を「焚場」と呼んだのですね。 -
焚場のあった場所-現在は残念ながらその姿は見られません
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渡守神社 御旅所・神功皇后が上陸された地で、海の神様・綿津見大神を最初に祀られた地です。
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旅行記グループ 瀬戸内の潮風旅
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