1983/12/24 - 1983/12/26
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jijidarumaさん
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クリスマスやSilvesterジルヴェスタ―(12月31日、大晦日=年越し)にデュッセルドルフを離れて、フランスやドイツなどの古城ホテルで過ごした事がある。
我が家は娘二人がいて、ことのほか、この旅を楽しんでいた。
写真はSchloss Auel アウエル城とSchloss Homburgホンブルク城
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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1983年の時もアラル・オート観光案内書1974・75年版の地図から、城の印を
見つけて選んだのが、最初に訪ねたホンブルク城だ。
写真はAral Auto Buchアラル・オート観光案内書1974・75年版デュッセルドルフ空港 (DUS) 空港
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ドイツのライン川流域には古城ホテルも多い。
かつてSchloss Rheinfels古城ホテル ラインフェルス城に3泊の滞在を楽しんだ体験があった。
写真はAral Auto Buchアラル・アウト観光案内書1974・75年版:当時の西ドイツ側だけの古城・宮殿などリストはたいへん詳しい。 -
1977年の年、クリスマス時期の12月23日~26日に古城ホテル ラインフェルス城を訪れ、3泊したのだった。(この時、私の翌年の帰国の話が出ていた)ラインフェルス城も後述したアウエル城と同様に、殆ど滞在客がいないという状況で、ホテルのプールも我が物顔に利用した覚えがある。
写真は1977.12.23.~26.Burg Rheinfelsラインフェルス城 -
靜かなSt. Goarザンクト・ゴアーの町とライン川を見下ろす、小さな個室があり、そこで家族4人で夕食を頂いたが、今もこの個室は残っているのだろうか。
<Schloss Rheinfelsラインフェルス城>
D-56329 St. Goar am Rhein 、Schlossberg 47
http://www.schloss-rheinfels.de/
4S星・全64室。ユネスコ世界遺産の中部ライン渓谷のローレライの向かいに立つ。
ラインフェルス城はSt.Goarザンクト・ゴアーの町とライン川を見下ろす、川面から115mの山上にある古城ホテルで、正式にはRomantik Hotel Schloss Rheinfelsロマンチックホテル加盟の古城ホテル ラインフェルス城と呼ばれる。
この城はGraf Diether V. von Katzenelnbogenディーター・カッツェンエルンボーゲン5世伯により1245年、ライン川のZollburg通行税徴収の目的で築城された。
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写真は1977.12.23.~26.Burg Rheinfelsラインフェルス城 -
≪1983年のクリスマスは古城ホテル アウエル城で私共家族4人だけの貸し切り状態で過ごした。≫
第一日:12月24日(土)曇り
12時30分にデュッセルドルフの自宅を出て、Oberbergischer Kreisオーバーベルギッシャー・クライス(Rheinラインと Sauerlandザウワーラントの中間)のニュムブレヒトに位置しているSchloss Homburgホンブルク城に向かう。
1)デュッセルドルフ=>ホンブルク城の行程は69分、100km 。
D-Unterrath=>D’dorf‐Nord A52・A44・A3=>Koeln-Ost A4=>Wiehl ヴィールL336=>Schloss Homburg
13時30分、ホンブルク城に到着してみると、残念ながら閉館していた。
クリスマス時期ゆえ、当然と言えば当然で、郷土博物館となっていた古城は人っ子一人見かけなかった。
折角、事前に調べていたホンブルク城もそんなわけで、庭園を散策し、冬場の近影を撮っただけになった。
又、春に来ようかと思ったが、結局、この時以外に訪れていない。
写真はSchloss Homburgホンブルク城:1750年当時(19世紀のリトグラフ) -
【Schloss Homburgホンブルク城】
Museum Schloss Homburg
D-51588 Nuembrecht、 Oberbergische Kreis in Nordrhein-Westfalen
Schloss Homburg 1
http://www.schloss-homburg.de/cms200mfsh/home/
Schloss Homburgホンブルク城はノルトライン・ヴェストファーレン州Oberbergischer Kreisオーバーベルギッシャー・クライス(Rheinラインと Sauerlandザウワーラントの中間)のニュムブレヒトに位置している。
ライン・ルール地区のすべての都市からホンブルク城まで車で約1時間、ケルンから約45分の距離にある。
1276年、「ホンブルク」が史書に初めて言及された。
Hause Sponheimシュポンハイム家(1247年から1284年)のGottfried I. Graf von Saynザイン伯家(Westerwaldヴェスターヴァルト地方を支配した)のゴットフリート1世は、Koenig Rudolf von Habsburgハプスブルク家のルドルフ王の保護下に身を置くために、ホンブルク城に居城を移した。
後にゴットフリート1世は王の遺産としてホンブルク城を得た。
1635年、城郭はGraf Ernst von Sayn-Wittgenstein-Homburg伯爵エルンスト・フォン・ザイン・ヴィトゲンシュタイン・ホンブルクが、現在でも見る事が出来るバロック様式の城に改築した。100年後、Sayn-Wittgenstein-Berleburgザイン・ヴィトゲンシュタイン・ベルレブルクの家系が引き継いだ。
この城郭は、1806年にフランス皇帝ナポレオンによってGrossherzogtum Bergベルク大公国(首都はデュッセルドルフ:仏帝国の衛星国家)に統合されるまで、ホンブルク伯の居城であった。
1816年から1819年にかけて、ホンブルク城はプロイセンが支配したホンブルク地区の主城になったが、その後没落していった。
ホンブルク城の衰退が止まったのは1904年になってからで、1926年にはHermann Conradヘルマン・コンラッドによりホンブルク城に博物館が設立されたからだ。
現在はOberbergischen Heimatmuseumオーバーベルギッシャー地区郷土博物館となっている。第二次世界大戦後、ホンブルク城は同地区の支援を受け、歴史的な3翼でなるバロック様式の城郭が復元された。
尚、1999年、発掘調査で直径約12.5mの石造りのWohnturm居住塔が発見された。専門家による推定値は11世紀にさかのぼると云う。
・・・・・
写真はSchloss Homburgホンブルク城の俯瞰 -
さて、ライン中流上部まで足を延ばさずとも、ケルンからほど近い所に、古城ホテルSchloss Auelアウエル城があり、時々、昼食やお茶に訪れたものだった。
中でも1983年12月24日~26日(2泊3日)のクリスマス時期に宿泊した時は驚いたことに、ホテルの宿泊客は私共家族4人だけだった。
写真は古城ホテルSchloss Auel アウエル城の俯瞰 -
イチオシ
2)ホンブルク城=>アウエル城の行程41分、37km
Schloss Homburg=>Wiehlヴィール L336=>A4 Koeln =>B484 Overathオーヴェラート=>Schloss Auel
ホンブルク城を出てアウエル城に向かう。
1969年の合併で人口3万人の小都市となっているが、面積は広く、市内には6つの古城がある。その一つがアウエル城だ。
写真はSchloss Auel アウエル城とSchloss Homburgホンブルク城 -
アウエル城は正面から見ると、白い壁が目立つ建物で、従業員の車だろう、赤い車が停まっていた。彼らも予約を受けていたものの、チェックインされるまで不安だったことだろう。
寝室は2部屋並んで、丁度ホテル正面の2階(三角の下あたり)にあり、前庭に面していた。1階への階段を降りると、小さな玄関ホールがあって、洒落た長椅子が置かれていた。
結婚式にもよく利用される城内礼拝堂ものぞいてみた。
写真は白い壁が目立つ古城ホテルSchloss Auel アウエル城 -
写真はGast im Schloss古城ホテルのお客様のシール・・・Celleツエレの5星古城ホテルFuerstenhofフュルステンホフのもの
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【Maerchenhafte Weihnachten in einem historischen Schlosshotel.
歴史ある古城ホテルでメルヘンのようなクリスマス】
ドイツで迎えるクリスマスも今回で7回目になる。
城内にはクリスマスツリーも飾られ、娘二人(長女は13歳で家内の背を越した、次女は11歳)はさっそくツリーの前で写真を撮る。
写真はSchloss HomburgホンブルクとSchloss Auel アウエル城の地図、クリスマスツリー、最初の夕食 -
<夕食:アウエル城のレストラン>
18時半~19時半、立派な絵画が飾られた暖炉の前で、華やかな花かごが置かれ、お客様を迎える蝋燭も赤々と灯る食卓で、家族4人だけのクリスマスイブの夕食が始まった。
食事内容は記録がないのが残念だが、シェフの心のこもった、まろやかなフランス料理で美味しかったと、家内のメモが残っている。
食後は甘口のワインを飲みながら、クリスマス用に焼いた美味しいクッキーも頂いた。事前にホテルが用意していた遊び用具、中でも夜遅くまで皆で遊べるトランプ遊びに興じた。
お隣の部屋は祝典用の大きな広間「Gobelinsaalゴブラン織りの間」でした。
写真はSchloss Auel アウエル城:甘口のワイン、トランプ遊び -
【古城ホテルSchloss Auelアウエル城】
D-53797 Lohmar-Wahlscheidローマル・ヴァールシャイト 、
Haus Auel 1
https://www.schlossauel.de/
4星S・全21室。アウエル城はデュッセルドルフの南(デュッセルドルフ国際空港から54.9 kmの距離)、ケルンの東、ライン川の右岸に位置している。
この城は周囲を小高い丘陵で囲まれている。1391年に水城として初めて文献に現れるが、その後のバロック時代に現在の3翼をもつ形になった。
現在の城は1763年に建てられ、1818年にPhilipp Freiherr von La Valette-St. Georgeフィリップ・ラ・ヴァレット・聖ゲオルゲ男爵が所有した。ヴァレット家は聖ゲオルゲ(ジョルジュ)のマルタ騎士の末裔だと云う。
写真はSchloss Auel アウエル城:「Gobelinsaalゴブラン織りの間」、ホテル正面、丘陵側にあるロッジ(サウナやプールがある)・・・ロッジ近辺には8つほどの小沼がある。 -
1811年に皇帝Napoleonナポレオンがライン地方の仏軍を視察し、このアウエル城に宿泊した。
また、ロシアの皇帝Alexander I.アレクサンダー I世も、1815年にロシアからパリに向かう途中、この地に滞在し、ドイツの皇帝Wilhelm II.ウィルヘルムII世はしばしばこの城を訪れたと云う。
ヴァレット家ではこの城で生まれたAdolfアドルフ(1831~1910年)がドイツの動物学者と解剖学者として知られている。
現在、真正面の並木道の両側に古い池があり、昔の堀の名残である。
写真はSchloss Auel アウエル城の改築前、1755年当時Schloss Auel Boutique Hotel & Design Golf Lodge ホテル
-
1951年来、アウエル城は古城ホテルとなっている。
周辺には18H&9HのGolfclub Schloss Auelアウエル城ゴルフクラブの名のゴルフ場が併設されている。ゴルフ場はホテルと別の企業が経営している。
現在のホテル名はSchloss Auel Boutique Hotelとなっている。
・・・・・
写真はSchloss Auel アウエル城の改築前、1755年当時 -
第二日:12月25日(日)曇り時々小雨
朝食後、確か地下にあったケーゲルバーン(ドイツのボウリング:後述)で遊ぶ~13時。日本では入社した(1968年)頃からボウリング(英: bowling)は盛んで、部課内で良く行われていた。私自身、そう好んでやった記憶はない。
暗い写真になったが、みなさんへっぴり腰でボールを投げているから、丁度良いかもしれない。
熱いココアやジュースで休憩して、また再開。
ケーゲルバーンに飽きたので、昼食後に庭園を散歩し、丘陵側にある裏手のロッジ(サウナやプールがある)をのぞいてみた。
写真はSchloss Auel アウエル城:ケーゲルバーン(ドイツのボウリング)で遊ぶ。 -
イチオシ
再び16時半からケーゲルバーンで遊んだ。
この時はケーゲルバーンのルールもよく分からないで、ボール(ボウリングの球より小さい)を転がし、ピン(ドイツ流は9本が並ぶ)に当たると、単純に喜んでいた。
私の写真は8本のピンを倒した時、家内が上手く撮ってくれた。少々様になっているかな!
なかなか、ピン9本は倒せないものだった。
一日のほとんどを古城ホテル内で過ごしたことになる。
写真はSchloss Auel アウエル城:上はケーゲルバーン(ドイツのボウリング)で遊ぶ。下は前庭に面していた寝室から1階への階段を降りると、小さなホールがあって、洒落た長椅子が置かれていた。 -
<夕食:レストラン「Schloss Auelアウエル城」で>
18時~20時半、
今夜はイブと違って、メインレストランに招じられた。
昨日とは違ったクルミの実をチェーン状にしたクリスマスツリーが次女の背後に立っている。これも豪華な飾り付けだ。
メインレストランの中央に丸テーブルが置かれ、私達の為に華やかな飾り付けがされている。勿論、歓迎の意味である蝋燭が灯り、気分も良い。
私達家族だけに準備された、静かなレストランでは、4品料理であるクリスマス料理がスタッフにより順次提供され、前菜からデザートまで皆満足したもので、特にメインの子牛のロースト、クリームソースかけが好ましい味だった。
多くの人が休むクリスマスでしたが、大変気配りのあるスタッフの対応に、嬉しい2時間半の食事ができた。
丸テーブルの卓上に用意されたメニューも記念に頂いてきたが、その料理内容は以下の通りです。
写真はSchloss Auel アウエル城:結婚式にもよく利用される城内礼拝堂、階段で、大きな暖炉の前、クリスマスの夕食で。 -
≪FESTLISCHE MENUEEMPFEHLUNGEN クリスマスのお勧めメニュー≫
(前菜)
Scheiben von marinierter Lachsforelle
Dillsenfsauce mit Honig
Reibekuechlein
マリネしたニジマスのスライス
ディルマスタードソース 蜂蜜添え
ライブクーヘン(ポテトパンケーキ)
写真はSchloss Auel アウエル城:クリスマスの夕食で。 -
(スープ)
Kleine Kraftbruehe mit Gemuese und Markkloesschen
少量のコンソメスープに野菜とマルクレッシェン
(肉や白パンなどを入れた小さな固形物)入り
写真は2020年12月カレンダー:クリスマスのテーブル写真 -
イチオシ
(メイン)
Kalbsnierenbraten in Sahnesauce
Eierbandnudeln mit Semmelbutter
Feldsalat in Speckdressing
子牛のローストにクリームソースかけ
パンバター入りヌーデルン(麺)
レタスにベーコンドレッシングかけ
写真はSchloss Auel アウエル城:クリスマスの夕食で。・・・昨日とは違ったクリスマスツリーが背後に立っている。 -
(デザート)
Zimtparfait mit gefuelltem Bratapfel
シナモンパフェに焼きリンゴ載せ
DM49,50
(一人前値段)
・・・・・
写真はSchloss Auel アウエル城:クリスマスの夕食メニュー。 -
写真はSchloss Auel アウエル城:様変わりした現在のレストラン
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夕食後、トランプ遊び。
(コメント)
Es gibt nichts zu bemaengeln. Sogar der Schlossgeist ist freundliche.
文句をいうことは何もありません。城の幽霊でさえ友好的なのだ。
写真はSchloss Auel アウエル城:現在の寝室は流行りの天幕付きが実にゴージャスです。当時はこのような立派な部屋に泊まっていません。 -
イチオシ
第三日:12月26日(月)雨
3)アウエル城=>ボンの行程33分、27km
Schloss Auel=>Honrathホンラート L288=>L84・B484・A3・Lohmarローマル B484=>B56 ・A560=>Bonn-Vilichヴィリッヒ A59・B56 =>Bonn
朝食後、ホテル代DM1,208、チップDM10を支払ってチェックアウト。
クリスマスの翌日はボン見物にした。
あいにくの雨のボンは久しぶりだが、さすがに祭りの後は静かなもので、町全体が休んでいた。
ミュンスター広場の郵便局、ベートーベンの像を子供たちと共に撮り、街中で見つけた可愛い木組みの家もクリスマスバージョンが美しい。
写真はSchloss Auel アウエル城からボン見物に:ミュンスター広場にベートーベンの像などミュンスター広場 広場・公園
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マルクト広場には文化都市らしい、品の良い旧市庁舎が大きな樅ノ木のクリスマスツリーを従えて立ち、ベートーベンの誕生地だけにベートーベンの家、コンサート用のベートーベンホール、ミュンスター教会、ボン大学と狭い地域に主要な建物がある。
4)ボン=>デュッセルドルフの行程53分、73km
Bonn =>B56 ・A59・A560・B484 Lohmarローマル・B507=>Roesrathレスラート A3・A44・A52 D’dorf‐Nord =>D-Unterrath
ボン見物後、途中のSiegburgジークブルク(1000年以上の歴史を持ったベネデイクト僧院で知られた町。何の土産だったか覚えていないがDM82.2を支払った)経由でデュッセルドルフに帰った。
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写真はボン見物:旧市庁舎やベートーベンホール、ボン大学、地図。 -
<ドイツのKegelbahnケーゲルバーン(ボウリング競技)のこと>
「Kegelケーゲル」とはドイツ語で円錐という意味。ピンの形から生まれた言葉らしい。現代のボウリングの前身にあたると云う。
現代ボウリングが10ピンなのに対し、ケーゲルは9ピンで行う。
この9ピンのルールを定めたのは、キリスト教の宗教改革者マルティン・ルターであり、別名「九柱戯」と呼ぶ。
。
クリスマスの時期、エスリンゲンの町で見た「Bauernkegelbahnお百姓さんのケーゲルバーン」に可愛い子供たちが挑戦していた。
写真は2008年クリスマス・Esslingenエスリンゲン:子供たちのケーゲルバーン(ボウリング) ・・・「Bauernkegelbahnお百姓さんのケーゲルバーン」の名があった。 -
写真は2008年クリスマス・Esslingenエスリンゲン:子供たちのケーゲルバーン(ボウリング)・・・子供たちにルールを教えている。
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写真はKegelbahnケーゲルバーン:1774年、子供たちの遊び (Kupferstich von Daniel Chodowiecki)
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写真はKegelbahnケーゲルバーン:1834年、大人も遊ぶ(Friedrich_Eduard_Meyerheim)
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写真はKegelbahnケーゲルバーン:Dietenheimディーテンハイムにある南チロルLandesmuseum民俗博物館に残されたケーゲルバーン(ボウリング場)
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ケーゲルはソフトボールより少し大きく、指を入れる穴が無い。この為、大きく手の平をひろげてその上にのせて持つ。重さはだいたい重量投げの球くらいだと云う。ボウリングのレーンのことを「ケーゲルバーン」という。ボウリングのレーンより大分幅が狭いが、バーンはやや凹型になっているので、狭いわりには横に出る(ボウリングのガーター)事が無い。
写真のようにヒモを張ったゲートの下にケーゲルをくぐらせるのが特徴的である。写真は現代のKegelbahnケーゲルバーンの施設・・・2レーンとボール -
1768年にはケーゲルのルールが設定され、球を投げる時に線から踏み出してはいけない。ゲームのやり方はいろいろあるらしいが詳細はここでは省略した。
私共は単純に何本倒したかで競った。
写真はKegelbahn Skizzeケーゲルバーン(ボウリング場)形状のスケッチ・・・長さ20m、木版、9本のピンは菱形に並べてある(ボウリングは10本を逆三角形に並べている)、この形は逆三角形に比べてストライクが出しにくいらしい。 -
ピンはヒモで吊るされている構造で、ケーゲルがピンを倒し、ピンがあちこち飛び散ってバラバラなると。一旦ピンが上に引き上げられてまた降りてくる仕組みだ。
奥に入ったケーゲルは自動的に手元に戻されてくる。
写真はKegelbahnの仕組み:①倒れたピン。 -
写真はKegelbahnの仕組み:②ピンの頭のひもで持ち上げる。
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写真はKegelbahnの仕組み:③ピンは元に戻り、遊びの開始です。
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写真はKegelbahnの仕組み:④スコアー(自動計算)はこのようなものがある。
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もうクリスマスイブになりました。
2021年のドイツのクリスマス市はどのような賑わいなのでしょう。
写真は2019年カレンダー:Donautalドナウ川の町々・12月Ingolstadtインゴールシュタットのクリスマス市 -
写真はかつて頂いたクリスマスカード:ハンブルクとデュッセルドルフからのカード。
ケーニヒスアレー 散歩・街歩き
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写真はクリスマスを迎える:シュトレン、レープクーヘン、シャンパンと柿の木の枝に吊るしたクリスマスの小物の飾りなど。
・・・・・・・・・・・・・・・・
それでは、
『Frohe Weihnachtenフローエ・ヴァイナハテン 』
楽しいクリスマスをお過ごしください。
・・・・・
(2021年12月23日:Wiki・HP訳、編集・追記)
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この旅行記へのコメント (2)
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- M-koku1さん 2021/12/26 00:04:46
- メリー・クリスマス
- jijidarumaさん
ヨーロッパのクリスマス それも前世紀のクリスマス 素敵ですね!
私もクリスマスを古城で楽しんだ思い出があります。ロアール川の方でしたが。
日本の感覚でいたら、ヨーロッパのクリスマスは家族のお祝いで、ホテルに来る人もほとんどなく、jijidarumaさんたちが貸切状態だったこと、さもありなんですね。
ボーリングはアメリカのものかと思っていました。ドイツ人がアメリカに運んだのかもしれませんね。移民が多いから。
今年も残すところあと一週間。
一年お世話になりました。
どうぞ良いお年をお迎えください!
Mより
- jijidarumaさん からの返信 2021/12/26 17:13:32
- Re: メリー・クリスマス
- M-koku1さん、
今晩は。いつもありがとうございます。
ロアール川の古城ホテルのクリスマス、これもまた魅力的ですね。
クリスマス、この時期になるドイツの地に思いが飛んでいきます。
11月末から昨日まで、意外に長いクリスマス、寒い冬を楽しむ
知恵なのでしょう。
この時期に食べるシュトレン、レープクーヘンの味は格別です。
25日は亡母の生誕114年の日でもあり、私には格別の日になります。
明治四十年生まれの母の若い頃の日記が残り、昭和三年十二月
二十五日(満21歳)を読むと、先輩宅での送別会に出席し、誕生日を
自ら祝うこともなく、クリスマスの一言もないのが、印象的です。
尚、昭和二年に当時の休日法「休日ニ関スル件」が改正され、
大正天皇祭(十二月二十五日)が設定された。日本でのクリスマス
の習慣は大正天皇祭として休日だった時代に広く普及したとか。
さて、ボウリングの古い写真を探しました。
「お百姓さんのボウリング」を撮った事を思い出しました。
並んだ木製のピン、ドイツらしい味があります。
ドイツ=>アメリカ=>日本と流行も移り、アメリカは知りませんけど、
日本はいまやブームが過ぎて、地方に行くと廃墟になっているのを
見ます。本家ドイツは根強く気軽に楽しめるようです。
コロナ、コロナで今年も過ぎました。
お互いに元気に次の年を迎えられることは幸せです。
来年も宜しくお願い致します。
jijidaruma
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