2021/10/04 - 2021/10/09
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薔薇の咲く庭さん
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この旅行記のスケジュール
2021/10/08
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志摩観光ホテルクラッシク
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電車での移動
賢島→彦根
この旅行記スケジュールを元に
G7サミットを訪ねて志摩まで行く計画を立てましたが、遠い志摩へ行くので行きと帰りに寄ってこられるとことろはないかと地図上で探しました。行きは犬山城で帰りは彦根城という計画が無理なく行くことができると判断しました。
帰りの彦根城はちょうどライトアップされた夜間特別公開の日に彦根にいることが分かり、見学することにしました。夜のお城に登城する経験は高知城で一回ありました。とても新鮮で楽しく、安全だったので、彦根城も楽しめるだろうと思いました。
問題は犬山市にいる日が申し込みの日なので、申し込み開始時刻に合わせてネットを使って予約を入れることができるかどうかが問題でした。しかし、犬山城の参観終了後にホテルに戻り、そこでネットが繋がって彦根城の予約が取れ、ラッキー!でした。
旅の最終日。最後まで興味深々の見学ができて旅の醍醐味を味わいました。
G7サミットを訪ねる旅のスケジュール
10月4日(月)犬山城
10月5日(火)「しまかぜ」乗車賢島へ。 サミエール 志摩観光ホテル クラシックベイスイート屋上庭園 G7記念スペシャルディナー
10月6日(水)志摩観光ホテルザ・クラシック 英虞湾クルーズ 宝生苑日帰り温泉
10月7日(木)志摩観光ホテルザクラシック館内ツアー 横山展望台
志摩観光ホテル庭園散策
10月8日(金)彦根城ライトアップ夜間特別公開
10月9日(土)彦根城 彦根城お濠遊覧船乗船
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 交通手段
- 船 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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楽しかった志摩観光ホテルザクラシックの滞在。記念写真をバッチリ撮って出発します。向かう先は彦根です。
志摩観光ホテル ザ クラシック 宿・ホテル
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近鉄志摩線賢島駅を出発して、やっと名古屋に着きました。耳の病を罹ってからなぜか電車の揺れに弱くなり、乗り物酔いをするようになりました。かかりつけ医に聞きましたが、三半規管とは関係がないとのことで、体調の理由かもしれません。
名古屋駅 駅
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木曽川を渡ります。彦根へ向かいます。
木曽川 自然・景勝地
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国宝の彦根城までやってきました。
井伊家の居城であった彦根城が廃藩置県で危うく壊されそうになったのを大隈重信の進言によって奇跡的に残ったそうです。 -
城下を通って城に向かう途中に石屋さんがあり、仁王像が通りを向いて立っていて驚きました。近くでまじまじと見ることができます。値段はついていませんが、これを購入する人がいるのでしょうか?
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日が傾き始めた頃に彦根城のお濠まで来ました。登城するまでの間に行きたいところがありました。もっとも夜間公開に申し込んでいるので日の出ている時に登城する必要はありません。
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井伊直弼が17歳から32歳まで15年間を過ごした埋木舎です。ここを所有している方は結婚式の主賓をしてくれた縁の方なのです。
埋木舎 名所・史跡
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ご夫妻の写真です。現在は東京都在住で彦根には住んでいらっしゃいません。留守を守っている係の方がいました。コロナで彦根には去年の秋からいらしていないとのことでした。
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井伊直弼の肖像画です。ガラスケースの中に入っていました。開国へと日本の歴史を変えた重要な人物です。
彼は井伊直中の14男として1815年に生まれました。5歳で母を、17歳で父を失い藩の掟に従って300俵の捨扶持で公館で暮らすことになりました。
「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」と和歌を詠み、
井伊直弼はこの館を「埋木舎」と名付けて一日4時間の睡眠で文武両道の修練を積みました。 -
屋敷の中に入ることはできません。屋敷の裏側から居間へ向かうような順路になっています。
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庭が見えるお部屋に出てきました。
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お茶室がありました。直弼は自らの茶道を埋木舎で確立させたそうです。茶号は「宗観」。
一期一会という言葉がありますがここで生まれた言葉です。
「茶の湯とてなにか求めんいさぎよさ心の水をともにこそ汲め」 -
茶室で読んだ短歌は人や自然とのかかわりを大事に暮らしていたことがわかります。
直弼は「茶、歌、ポン(鼓、能)」とあだ名があったそうで茶道、和歌、能の達人だったそうです。
この他にも謡曲、禅、武術などを修行して文化人として人間形成が埋木舎でなされました。 -
茶室の裏側です。
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茶室の正面に通じる道。
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茶室の隣は後居間でした。17歳から32歳までここで過ごしたことが記されていました。とても勉学に励んだ方だったのですね。
後に兄直亮の養子になり、第13代藩主になります。江戸へでてからは大老となり、日本を開国します。
ここでの修業が原点になっているのだそうです。 -
大久保小膳は藩主側近で直弼の学問や茶道の御相手役で「宗保」という号を直弼からもらっています。
1871年(明治4年)に大久保小膳にそれまでの功績から藩庁より埋木舎が贈られれています。 -
直弼を支えた女性は2人いたそうです。里和という女性は江戸まで行き、お世継ぎを生んでいます。
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この方が里和だそうです。実物はどんな方だったでしょうか? 里和については全く解説はありませんでした。
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直弼は13歳から坐禅をやっているそうです。曹洞宗のお寺に参禅しています。埋木舎での坐禅は里和の絵がある部屋で行われています。「禅」の心を「茶道」や後の政治姿勢に生かしているそうです。
茶道が禅に繋がっているとは思いませんでした。自分を静かに振り返ってみるということは茶道に繋がっているかと思います。 -
NHKの「花の生涯」という名前の大河ドラマは残念ながら見たことはありません。大河ドラマ昭和38年が第一回ですか・・・。
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直弼が青春時代を送った埋木舎が主舞台だったのですね。
時代を動かした大人物の人間形成がどのように行われていたかを知るのは興味深いことです。 -
館の全景を撮るのは難しかったのです。一部分の茶室と御居間の部分しか撮れませんでした。この日は蚊がたくさんいたため庭の中に入るのを諦めました。かなり刺されました。
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埋木舎を後にします。主によろしくお伝えください。
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だいぶ日が傾いてきました。埋木舎の前は静かなお中堀の水面です。直弼もきっとこの景色を眺めていたに違いありません。この中堀の天守閣よりに内堀がありました。
彦根城 名所・史跡
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埋木舎の解説が外に表示されていました。彦根城へ行った折には訪ねてほしいですね。
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風がないので中堀はとても静かです。夜間特別公開の開始時刻は午後6時からです。まだ日が高い。
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大きなお城ですね。中堀が続きます。日暮れのお堀も素敵です。お城の受付までまで行ってみましたが、登城はしませんでした。
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ここにも井伊直弼の歌碑がありました。
この歌を詠んだ2か月後に桜田門外の変で直弼は命を落としています。一生懸命に幕府のために尽くしてきたことを記録したかったのでしょう。彦根では井伊直弼は英雄です。お蕎麦屋さんへ行く途中にも歌碑がありました。
お蕎麦屋さんでほどほどにお腹を満たして日が暮れるのを待ちました。満腹にすると後が辛いからです。
午後6時になりました。 -
夜間公開の予約開始時刻です。
「何で夜間特別公開を知りましたか?」と受付で聞かれました。
ネットで彦根城の事を調べようとホームページを開けたら、特別に夜間公開の日がある事が記事になっていました。
何と予定では特別公開日に彦根にいるのです。ラッキーです。ただ問題なのは申し込みの受付開始日(一週間前)は犬山市にいて旅行中です。忘れないようにしっかり記憶していて、申し込み開始時刻に申し込みました。
長い階段を登城します。 -
天守閣は見えません。どのくらい登るのか分かりませんが、とにかく上がるしかありません。思ったより足元が明るくて安心しました。
天秤が見えてきました。 -
天秤櫓です。夜の景色でカメラの限界でした。左右対称の櫓があるので天秤櫓という名前が付いたそうです。石積みの左右の違いは暗くてよくわかりませんでした。
廊下橋を渡ります。 -
やっと天守閣が見えてきました。暗闇の中に浮かび上がって見えます。
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これが重要文化財の太鼓門です。本丸表口を固める櫓で、城内の合図の太鼓を置いたところから名付けられたそうです。解体修理をした時にどこかの城門を移築したことがわかりました。
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太鼓門をくぐって本丸に入りました。
まずはとにかく時間制限があるので天守閣へ登らなくては???。
午後6時30分から、天守閣にいられる時間は30分間です。 -
中は暗い。どのあたりのいるのかがよくわかりません。とにかく階段を上がって
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天守閣から見える城下の灯り。カメラがもっと良ければ良いのですが。良いカメラは重い。今は、持つ体力に自信がありません。
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天守閣最上階の中にいます。
しばらくいました。夜に天守閣にいることが出来るという経験は初めてで興味津々です。 -
最上階から降りる時に見えた夜景。綺麗です。
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ライトアップされたお城をまじかで見るのは初めてです。浮かび上がって見えます。
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お城の脇を通って西の丸方向にあるトイレに行くと、お城の横顔が見えました。
また違うお城の景色を見ることが出来ました。すぐ上にお城が見えてそびえ立っている感じです。 -
全然違うお城に見えます。
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彦根城西の丸側から見た外観です。
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正面に戻りました。
ヒコニャンの等身大が撮影用に用意されていました。兜を被っていると猫には見えません。
調べてみると2024年のユネスコ登録を逃した場合は資金や労力をかけないためにユネスコ登録の運動を打ち切るということでした。ヒコニャンの役目は重要です。 -
勿論、記念撮影します。あまり撮ることができない写真です。
私たちを守ってね。井伊の殿様を守ったように。 -
ライトアップされたお城をまじかに見ることができてラッキーでした。
後は無事にお城を下りることができるかどうかでしたが、道は明るく無事に坂道を下りることができました。 -
ひと夜開けて朝のお堀です。ホテルで自転車を借りて再び来ました。中堀です。昼間のお城を見てみたいと思ったからです。
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中堀に沿って表門とは反対の方向に進んでいます。目的地は玄宮園。
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途中に井伊直弼がNHKの大河ドラマで取り上げてられた「花の生涯」の記念碑がありました。NHKの大河ドラマになったことで記念碑が建てられるのですから、やはり英雄です。
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玄宮園です。江戸時代前期に作られた池泉回遊式庭園です。4つの中島が池の中にあり、様々な橋が掛けられていてめぐ廻り歩くことができます。茶会は開かれ大名の社交の場になっていたそうです。
玄宮園 公園・植物園
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池を眺めながらお茶会を楽しんだそうです。優雅な生活でした。
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橋の上から撮りました。日本の庭園文化を感じます。
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天守閣が見えます。お城のお庭という感じですね。
築城50年後、第4代藩主の時に作られています。お城と一緒に出来たわけではありません。 -
お城を見ながら庭園を楽しむのがこの時代の風流だったようです。
すごく広い敷地にお城はあったのです。
江戸時代は平和な時代でしたから大名庭園を競い合ったそうです。日本庭園築造技術が頂点になったということでした。 -
少し高い丘の上から撮りました。秋の雲と玄宮園がマッチしています。
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この玄宮園の奥には槻御殿と呼ばれる建物がありました。
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元は下屋敷で「隠居所」だったそうです。ここで井伊直弼が産れています。周りは楽々園と呼ばれていました。あまり有名な所ではないようで人はほとんどいませんでした。
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再び中堀に戻ると、ちょうどお堀を巡る屋形船が出発するところでした。
勿論乗船します。お客さんは2組だけ。全然採算が取れないかと思いますが、船頭さんとガイドさんはご年配の方でしたがとても元気で、活気に満ちている感じでした。
コロナ禍で出港できない日が続いて、やっと運航できたのでしょう。 -
お堀から彦根城を見るのも素敵です。陸上では見ることができない景色を水上から見られそうです。45分間の船旅です。
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この通りガラガラ。屋形船は彦根藩主が領内の視察、大名や公家の接待、湖上での鷹狩などに使ったそうです。藩主御好屋形船を当時の絵図等からほぼ原寸大に復元したものだそうです。藩主の気分で乗れる?
彦根城お堀めぐり 乗り物
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内堀が続きます。後でわかったことですがもらった地図上では彦根城の堀は琵琶湖に続いていて、万が一のことがあった時には船で帝を京都から彦根に御移するという密命を帯びていたそうです。
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表門に通じる橋の下を通ります。柱にぶつからないようにガイドさんが柱を竹のような棒で押して船を通過させました。その様子を橋の近くで見ている人がいました。
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この石垣は3段になっています。名前が付いていて一番下が腰巻、緑の所は犬走り、一番上は鉢巻石積みと言うそうです。
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大手門を越えたあたりの石垣はすべて石が積まれていました。
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船頭さんが餌をやると全く疑う様子がなく白鳥が近づいてきました。
お内堀に白鳥が住んでいるなんて素敵ですね。 -
面白い形の石垣です。ここから荷を下ろしたのでしょうか?地図では御用米口という名前が付いています。
船は山崎郭前舟留りという終点まで行き引き返しました。 -
お城の反対側には洋館がありました。
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舟の中の様子です。一番前がガイドさん。
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再び表門の橋を通ります。橋の下を通るのはスリルがあって面白いです。陸上では見ることができない景色だからです。
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橋げたにぶつかると大変です。船頭さんの緊張が伝わってきます。
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無事に通過。なんとも言えない不思議な景色です。
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玄宮園の方向に戻っています。春には桜が綺麗でしょうね。二期咲桜ということでしたが春と秋に咲くのでしょうか?
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直角に曲がる角を通ります。
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ここにも桜の木が。春は綺麗でしょう。
船は船着き場へ戻り45分間のお堀巡りは終了しました。 -
さて、昨夜に登城していますが、やはり昼間の彦根城も見たいです。
表門に架かる橋を渡って登城します。先ほどこの下を船で通りました。木造の橋です。 -
表門の入り口にあった地図です。お堀の中はかなり広い。
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昨夜登った階段を朝に登ると違う景色に見えます。天秤櫓が見えてきました。
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廊下橋がかかっているのがはっきり見えます。昨夜は暗い中で橋を確認したのでなぜか嬉しくなりました。
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廊下橋をくぐって、
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階段を上がり、天秤櫓の正面に出ました。廊下橋の上にいます。
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左右対称なので「天秤」という字が使われれいますが、実は左右の造りは違います。左側は屋根の破風が正面に見えます。
石垣は江戸後期改修による落とし積みです。 -
しかし、右側の櫓の破風は横を向いています。天秤ということですで左右対称に思いますが違うのです。
石垣は築城当時のうち込みハギ積みです。石の積み方が違います。 -
昼間は天秤櫓の中に入ることができました。興味津々。中はどうなっているのでしょう。壁が二重になっているところがありました。堅牢に作ってあります。いざという時にはここが最後の砦になるように作ったのでしょう。
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この廊下橋を切り落とせば、城に入るのは難しくなります。
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天秤櫓の解説
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櫓の見どころ
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廊下橋を渡って来る人が櫓の中からはっきりわかります。
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解説によると天秤のようにバランスがとれている構図を持つ櫓で1603年から1606年にかけて建立されたものだそうです。長浜城の大手門を移建されたと考えられています。
廊下橋は建設当時は両側に壁と屋根があったそうで、中の人の動きが外から見えない構造になっていたそうです。 -
太鼓門です。夜とは違う門に見えます。
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太鼓門櫓の中に入ることができました。天秤櫓に比べると小さく、壁は一重でした。
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見えた外の景色。たくさんの兵士が門の前に集まることができないように石垣を積んで狭くしてあります。
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解体工事をした時にこの太鼓門もどこかの城の城門であったことが判明したとのことです。
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天守閣。青空に映えて美しい。お堀巡りの船頭さんの話では天守閣の正面の向きは大坂城を向いているそうです。大坂城を監視するための城だそうで、標高が大坂城と
同じということでした。1615年の大坂の陣で豊臣氏が滅ぶまで監視が続いたそうです。 -
彦根城は1604年に工事が始まり20年くらいで完成しました。天守は三層複合式というそうで江戸城が5重だったので、江戸城より低くするためにあえて3重だそうです。天守の高さは20.5m。平山城です。築城には尾張藩や越前藩など7ヵ国12大名が手伝いを命じられた天下普請の城です。
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平山城ということですが本丸からの眺めは城下を見下ろすことができて、かなり高い所にあるように思いました。標高差は50mということでしたが。
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昨夜、ここからお城を見上げました。また違う表情です。
明治時代になって廃藩地県でお城が壊されましたが、彦根城は陸軍省管轄下の施設だったので維持されていたそうです。
明治天皇の彦根行幸があり、その時に大隈重信が進言して廃城にならずに済んだということです。 -
最終的に井伊家に下賜。
存続して見ることができて幸いでした。 -
西の丸方向から見た彦根城です。壮麗な破風です。18の破風がありお城を修飾しています。写真で見るとスケールがわかりませんが、この角度から見た彦根城は正面の間裏になるので知られざる(本丸にあるトイレに行った人だけが知る)彦根城で壮大な感じがしました。
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新幹線で帰路に着きました。浜名湖です。ここのウナギはおいしいと思います。
余談ですが・・・。綺麗な湖で思わずシャッターを押しました。
台風で予定を一週間繰り下げて出かけたG7サミット志摩を訪ねる旅は毎日が新鮮でコロナで思うように移動できなかった日々を忘れさせてくれました。
やはり旅は自分をリフレッシュさせてくれる、自分を見つめ直すことができる最高の時間です。最後までご覧いただきありがとうございました。浜名湖 自然・景勝地
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この旅行記へのコメント (2)
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- yamayuri2001さん 2022/02/21 15:49:42
- 彦根城。
- 薔薇の咲く庭さん、こんにちは。
素敵な旅行の行程に、こちらの彦根城も
加え在られたのですね。
埋木舎は、井伊直弼の歴史を知るうえでとても重要な場所ですね。
「花の生涯」大河ドラマ、第一作は
幼くて記憶にありませんが、両親が熱心に
観ていた記憶があります(笑)
お城のライトアップ、夜間に入れる日は
限られていますので、本当にラッキーでしたね。
また、夜の城は、その時代に城に住む人々が
どの様な思いで暮らしていたのかが、より
身近に判るような気がしますが・・・
また、お濠を船で廻られたのは
貴重な経験でしたね!
ひこにゃんが大好きな私は、
一緒に撮られたお写真がとても羨ましいと思いました。
昼と夜では同じアングルでも、
全く違って見えるお城の表情も
素敵ですね!
こちらの旅行記で、様々なことを学ばせていただきました。
ありがとうございます。
yamayuri2001
- 薔薇の咲く庭さん からの返信 2022/02/22 13:12:40
- Re: 彦根城。
- yamayuri2001さま
お便りありがとうございます。
私の旅行記を丁寧に読んでくださり心からお礼申し上げます。
耳管開放症を患い、落ち込んでいました時にyamayuri2001さんからの温かい励ましのお便りをいただき、勇気づけられたことを今朝、思い出しておりました。
おかげさまでだいぶよくなってまいりまして、完治はできませんが症状が和らいで旅行に耐えられる体力が戻りました。感謝の気持ちをお伝えしなければと思っていましたところにちょうどyamayuri2001さんからのお便りが届いて驚いております。ありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。
yamayuri2001さんは知られざる日本の名所を旅行してご紹介してくださいます。アドベンチャーワールドの絶景や勝浦のホテル浦島の洞窟風呂など私には初めて見聞きする場所でした。そのほかの旅行記もyamayuri2001さんが旅を心から楽しんでいっらしゃる様子が文や写真から伝わってきて、読むのを楽しみにしている読者がたくさんいらっしゃるのが分かります。読後は幸せな気持ちになります。旅って楽しいですね!
まだまだ寒い日が続きます。くれぐれもお体をご自愛くださるようお祈り申し上げます。
薔薇の咲く庭
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