2021/03/30 - 2021/03/30
47位(同エリア182件中)
ちふゆさん
2021年3月30日(火)1時40分頃、養老の滝観光を終え、滝谷の左岸(北側)を下る。滝に登ってくる途中、万代橋を過ぎたところに滝までの距離を示す道標があったが、この左岸の道にも「二丁」と「四丁」を示すものが置かれている(下の写真1と2)。前にも書いたが、1丁は約109m。
四丁の道標の手前(少し上流)に観光リフトのりばがある(下の写真3)が、現在は運行していない。1969年に開通したもので、この乗り場、掬水泉駅と83m高い養老の滝駅までの222mを約3分17秒で結ぶ1人乗りのリフトだが、2015年に施設老巧化のため運転を休止して以来、再開してない。養老の滝駅からは滝まで徒歩数分で行け、また濃尾平野を一望できるそうだ。
5分足らずで養老神社に到着。上流の山側には金刀比羅神社もある。元々は滝谷が津屋川に流れ込む(実際にはその辺りは伏流水となっているが)源氏橋の辺りにあり、ほぼ放置されていたのを養老公園で土産物屋をされてた方が見かねてここに遷座したそうだ。
養老神社は創建時期は不明だが、養老孝子伝説の源丞内ゆかりの神社と云われ、奈良時代養老年間以降と推測される。平安時代の美濃国神明帳には、養老明神と記載されていた。室町時代の1504年に菅原道真公を合祀し養老天神に改称。菊水泉のほとりにあるので菊水天神とも呼ばれた。明治の初期に養老神社と改称し、北の行宮跡(神社)から元正・聖武天皇祭場を奉移した。
現在のご祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、菊理媛命(ひめくくりのみこと)、元正天皇、聖武天皇、菅原道真公の5柱。ご利益は健康・長寿、家内安全、五穀豊穣、縁結び、学業成就など。
金刀比羅神社の鳥居の前にある手水舎は瓢箪から水が流れ出しており、養老らしい。2013年の養老改元1300年プロジェクトで整備したとの案内がある。その先の裏参道の鳥居の右手前には立派な養老神社の石標が建つが、反対側には御嶽(おんたけ)神社の石標も。
御嶽神社は御嶽講中の人々が建てた神社で、明治期にもう少し下流にあったのが地滑りにあい、この神社に合祀されたらしい。1962年の境内拡張工事までは、北側に鳥居と本殿があったそうで、古い絵葉書などに残っているとのこと。なお、他にも境内社として山之神社、稲荷社、御鍬社などがある。
養老神社の拝殿は木造平屋建て、切妻、銅板葺き、平入、神明造り、桁行3間、張間1間半、外壁は真壁造板張り。奥の本殿は一間社神明造、銅板葺き。1962年に改築されたもの。
拝殿の左奥にあるのが笠満誓(かさのまんせい)萬葉歌碑。満誓は、元正天皇養老行幸と養老改元に重要な役割を成した当時の美濃国守、笠朝臣麻呂(かさのあそみまろ)の出家後の名前。この歌碑は、1980年に建立されたもので、萬誓が後年、造筑紫観世音寺の別当となり、大宰府に西下した折の作歌二首(万葉集に収録)が建碑されている。満誓は筑紫の歌壇で大伴旅人や山上憶良らと共に活躍した。
反対側、右奥は近藤篤養老泉碑。江戸中期の1785年に、岡山藩の儒者である近藤篤が撰文し、当時来日中の中国の書家、呉超程赤城が書いたもの。元正天皇の養老美泉行幸を記している。養老六古碑の1つ。近藤篤は河口静斎に師事し、文章に優れ韻学に精通していた。
そして、拝殿の右手にあるのが菊水泉。養老孝子伝説の泉。と云っても田中大秀派は認めてないけどね。菊水という名だが、元正女帝の時代、不老長寿に効めがあるとして宮中の儀式などに菊花を浮かべた菊酒を飲むのが流行しており、この泉の水から菊の香りがすると評判になったことからと云われる。ただし、「効き目ある水」、または世の中を治める「くくり結ぶ水」という意味で「菊水泉」と名付けられたという説もある。
カルシウム・マグネシウム・カリウムなどのミネラル成分を豊富に含んでいる。特に、カルシウムイオンは平均の2倍もの量を含有しており、カルシウム自体は体内で吸収されにくいという性質を持っているのが、天然水に含まれるカルシウムイオンは小腸で速やかに吸収され、吸収率も高いのでメリットは大きい。無色無臭だが、味はまろやかで美味しいと評判で、環境庁の名水百選に選ばれている。
泉の奥の上に石碑が2つ建っているが、どっちかが秦鼎が江戸後期の1816年に建てた菊水銘碑。秦鼎(はた かなえ)は高山の国学者・田中大秀と孝子伝説の泉の場所で論争した尾張藩の儒者。秦が撰文したものを長崎に来舶した清人画家、江大来が書き、刻んだもので、名古屋の石材商に制作させ、ここに運び、設置した。「養老の山、冷泉出づ。名づけて菊水という。其の香り名の如し。その味醴(甘酒のこと)の如く。又、爆水を雲間の望む。其の布百丈。其の沫珠の如し。」
泉の右手には謡曲「養老」と菊水泉の説明板がある。この謡曲は、孝子伝説を基に作られたもので、孝養と長寿と平和をたたえた初能物。最後に裏山の山神が現れ、尽きない泉と平和の御代を願っている。その隣に細川十州美泉詩碑。細川十州は土佐藩の知名な漢学者。1913年(大正2年)にこの地を訪れた時に作った七言絶句。
表参道の石段を降りる。結構な階段で、下りで良かった。登り口の左手に建つのが紀州公観瀑記念碑。養老六古碑の1つで、川合春川の詩が刻まれている。川合は紀州藩の儒臣で、紀州藩第10代藩主・徳川治宝公が、江戸中期の1796年に観瀑された折りにお供をしており、この詩を作った。その後、この詩稿を親交があった佐藤与三郎宣衡に贈り、宣衡が1798年にこの碑を建てた。隣の古い石の道標には「右菊水天神道 左たきみち」とある。
階段から少し下がったところにある真新しい句碑は2013年に養老改元1300年記念として、小畑蛍川句会が建立したもので、山口一易(岩道)氏の句。
下流に進むと5分足らずで渋谷代衛翁紀功碑。渋谷代衛は養老町大野出身で、明治初期に多額の私財を投じて、教育など養老町の公共事業に力を注いだ。その中で偕楽社を作り、養老公園に道路を新設したり、桜や楓を植えて景観整備を行った。この碑は、1903年(明治36年)に渋谷の徳を慕う有志が建立したもの。
表参道の階段から5分ほど歩いて表参道の鳥居に到着。桜との眺めが美しい。
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さらに滝谷左岸を下るが、続く
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