2021/03/30 - 2021/03/30
133位(同エリア182件中)
ちふゆさん
2021年3月30日(火)1時前、お昼を食べて、いよいよ養老の滝に向かう。養老の滝は海津市で揖斐川に合流する津屋川の水源の一つの滝谷にある滝。行ってないが、滝谷は県道56号線を過ぎる辺りで涸れ谷となろそうで、水は地下に吸い込まれ養老扇状地の扇端部の湧水帯で流れが現れ、津屋川に合流しているそうだ。この日もそれなりの水量は流れていたのでなんか不思議。
楽市楽座・養老を奥の公園の駐車場の入口の先の松風橋で川沿いに出るが、この橋から滝までに合計7つの橋が架かっている。松風橋は1965年に架けられた橋。この橋の辺りは上流、下流とも河原が広く、左右の堤防の上には桜並木が続き美しい。特に上流は養老山地の山々の中にも桜が見え、素晴らしい光景となっている。
その眺めを楽しみながら川の右岸(南側)を上流に進むと不動橋(下の写真1)。1974年竣工で、橋の名は北詰めにある養老寺の不動堂から付けられたものと思われる。この橋からの上流、下流の桜も息をのむほど美しい。
不動橋の上流、右岸には竹類(見本)園が続く。岐阜県出身の日本一の竹林翁と呼ばれた故坪井伊助氏が愛育されていたもので、多くの種類の竹が植えられている。坪井伊助氏は幕末の1843年に現在の池田町草深(養老鉄道の北池野駅の西)で生まれる。明治に入ると県会議員など多くの公職を歴任するが、農業改良にも力を注ぐ。
その中でも注力したのが竹の栽培で、自宅近くに造った竹類標本園には日本産の竹類がほとんど集められ、分類・整理されていた。1925年(大正14年)に82歳で亡くなった後、竹類標本園は荒廃したが、一部が各地に分譲された。その一つがこの養老公園の竹類園。
竹類園を過ぎると渡月橋が見えて来る。1989年竣工の橋。この辺りまで登って来ると、桜の本数は減るが、それでも橋の上から見る上流の眺めは素晴らしい(下の写真3)。さらに右岸を上流に向かうとどんどん川幅が狭くなり、段差も大きくなり、種々の桜と滝とのコントラストがまた見事。
渡月橋から5分ほどで妙見橋があるが、この橋の南東のたもとにcafe養老亭と云う古民家カフェがある(下の写真4)。入ってないが、以前は鰻屋だったものをカフェに改装したものとの話。築100年らしい。
妙見橋を過ぎると川幅は狭くなり、谷も深くなる。桜の木もこの辺りで終わり。数分で5つ目の橋、紅葉橋。この辺りからは勾配も結構になるので、息が切れる。
少し登ると滝川惟一(これかず)詩碑がある。江戸時代後期の1812年に、笠松村の郡代だった19代滝川小右衛門唯一が自作の詩を当時有名だった漢詩人の大窪詩仏に書を依頼し建てた碑。台風により何度も川底へ転落し破損し、現在の碑は1955年に建て直したもの。滝水落下の激しさ、くだけ散る飛沫の美しさと、古来病をいやしたその神秘さを讃えている。
6つ目の橋、万代橋を過ぎると谷はますます狭く、深くなる。橋を過ぎたところに「一丁」と刻まれた石が建つが、滝までの距離を示すもの(下の写真5)。1丁は約109m。江戸時代に瀧道と云う養老の滝までの道筋に、20丁から1丁までの道標が建てらたものの一つ。20丁にあたる道標は渡月橋の1㎞くらい北に正慶寺があるが、この寺への上がり口に「伊勢街道右入口」として建っていたそうだが、今は所在不明。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6788571704546129&type=1&l=223fe1adec
1時20分過ぎ、松風橋南詰から登り始めて30分足らずで7つ目、最後の橋、みゆき橋に到着。ここまで来るとようやく目的の養老の滝が見える。橋の手前に梁川星巌養老改元詩碑が建つ。江戸時代後期の漢詩人、梁川星厳が詠んだ養老改元を称える漢詩が刻まれいる。
元々は1910年(明治43年)に大垣船町の鳴石守屋孫八氏が星巌晩年の傑作と定評がある書幅を京都の恩賜博物館(現京都国立博物館)へ献納するにあたり、記念として建立したものだが、1981年の豪雨に依る土砂崩れにより埋没してしまった。現在の碑は2015年に養老町と町文化財保護協会が、その2年後の養老改元1300年祭を盛り上げようとして再建したもの。
今日の目的地である養老の滝は、日本の滝百選と環境庁の名水百選に選ばれている名瀑、名水。江戸時代には美濃の3大名所の一つで、古来から文人墨客にも親しまれてきた。高さ30m、幅が約4mあり、岩角を打って流れ落ちる水は清冽で、雄麗な姿を見せている。水量も結構あって立派!。ここは2回目。40年以上前、学生時代に友人と一緒に来た。でも、さっぱり覚えてない。
滝壺の横に瀧不動尊が建つ。不動明王は修験者を守護し、修行の妨げになる魔を祓うとされている。不動明王の功徳を説くお経の中に「河水に入って念誦をなし、若しくは山頂樹下塔廟の処に於て、念誦の法をなさば速に成就を得ん」という一節があることから、不動尊像は日本の多くの修験霊場の御瀧場にお祀りされている。
その横に建つのは飛騨高山の国学者、田中大秀翁由縁の養老美泉弁碑。田中大秀は、江戸中期の1777年、高山生れ。本居宣長に師事し、宣長の学風を会得した。1814年に養老美泉録を著し、これを機に養老の美泉について尾張藩の漢学者、秦鼎(はた かなえ)と論争を交わすこととなる。翌年、養老美泉碑を建立したが、彼の死後、秦鼎の門人たちが養老美泉の版木を焼却し、養老美泉碑を打ち砕いた。その後、1898年になって大秀の流れを汲む高山の山崎弓雄等社中の人々が、ほぼ原形に近い養老美泉弁碑をここに再建した。
その論争がどういうものかと云うと、元正天皇が訪れた養老の美泉とはこの滝なのか、滝から約500m下の養老神社内にある菊水泉かと云うもの。この碑がここにあるように大秀が滝派で、秦鼎が泉派。結局結論は出ていない。元々は滝の瀬として一つの流れだった。流れ出る水は石灰岩層を浸透してきたもので、炭酸分やミネラルを含み爽やかで甘美な水だそうだ。
滝の奥、小さな滝の前が広場となっており、絵馬(300円)やおみくじ(200円)を買うことが出来る(無人販売)。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6788583824544917&type=1&l=223fe1adec
左岸を折り返し、養老神社に向かうが、続く
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