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2021年3月30日(火)12時15分過ぎ、養老鉄道の養老駅に到着。岐阜県養老町の名前の由来となったと云われる養老の滝の入口に当たる駅。<br /><br />養老町は1954年(昭和29年)に1町9村が合併して発足した町。岐阜県の最西南部に位置し、西側を養老山地、東側を揖斐川に挟まれ、南北に細長く広がっている。養老山地を挟んで三重県とも接する。<br /><br />面積は約72平方㎞で、岐阜県の42市町村の中で真ん中よりちょっと下の26番目の広さ。人口は2万6千人余りで、こちらは真ん中より少し上の19位。町の中では一番多く、いくつかの市より多い。<br /><br />養老鉄道が北東から南端まで縦断している。名神高速道路が北部を横切っており、上下線のサービスエリアはあるが、インターチェンジはない。ただし、北から中心部まで南北に走る東海環状自動車道とのジャンクションがあり、養老インターチェンジが起終点となっている。<br /><br />養老町の名前は1954年に合併した養老村の名前を引き継いでおり、養老村は1889年(明治22年)に9村が合併して誕生した。その後、1897年(明治30年)に合併村の一部の旧・押越村域が分離し高田町に編入されたが新たに2村が合併した。<br /><br />江戸時代にはこの辺りは天領、大垣藩領の美濃国多芸(たぎ)郡鷲巣村で養老と云う村はなかった。1889年の合併の際に養老の滝に伝えられている養老孝子伝説の「老いを養う」美泉と云う事から命名されたと云われる。ただし、「ようろう」とは緩やかな坂を意味する言葉で、滝の周りにあったことから奈良期に養老と云う字が当てられたとも云う。<br /><br />養老町のある岐阜県は日本の人口重心中央に位置する内陸県。北部の飛騨地方の大部分は山岳地帯で、南部の美濃地方には平野が広がる。面積は1万平方㎞以上あり都道府県で7位だが、人口は約200万人で17位。県庁所在地は岐阜市。<br /><br />岐阜の名の由来には諸説あるが、織田信長が殷が周の王朝へと移り変わる時に鳳凰が舞い降りた岐山と、孔子が生まれた集落があった魯国の首府の曲阜を組み合わせて、太平と学問の地であれとの意味を込めた岐阜と命名したと云う説がある。元々は大部分は美濃国と飛騨国だった。<br /><br />養老町の東南部を流れる揖斐川の他、長良川、木曽川、庄内川(土岐川)、矢作川などが伊勢湾に注ぎ、神通川(宮川)、庄川、九頭竜川(石徹白川)などが日本海に注いでいる。<br /><br />作家の島崎藤村は中津川市、坪内逍遥は美濃加茂市、池井戸潤は八百津町、中山七里は白川町、朝井リョウは垂井町のそれぞれ出身。映画監督の篠田正浩は岐阜市の出身。俳優の伊藤英明、綾野剛は岐阜市、田中邦衛は土岐市、平山浩行は瑞穂市、寺脇康文は羽島市のそれぞれ出身。モノマネの神奈月は土岐市、清水ミチコは高山市の出身。Mr.マリックは岐阜市の出身。歌手の野口五郎は美濃市出身。マラソンの高橋尚子も岐阜市出身。野球の森祗晶、高木守道、和田一浩も岐阜市、根尾昂は飛騨市の出身。これらの方はほんの一部なので、あの人がないとか云わんといてね。<br /><br />養老駅を出て、少し左手の三差路を山に向かって進む(下の写真1)。それこそ緩い上り坂がしばらく続く。途中地下道で県道56号南濃関ケ原線を潜る(下の写真2)が、この県道には薩摩カイコウズ街道の愛称が付けられている。<br /><br />江戸時代、輪中の治水対策として木曽三川を分流させる宝暦治水を薩摩藩が実施したことが縁で、1971年に岐阜県と鹿児島県が姉妹県盟約として締結したが、1991年にその20周年を記念して鹿児島県の木である海紅豆(アメリカデイゴ)を沿道に植栽したことによる。花期は6月から9月頃で、よく目立つ蝶形の赤い花を下向きに咲かせるそうだ。南米ブラジル原産で、アルゼンチンとウルグアイの国花でもある。<br /><br />5分余りで養老公園の一番東側のエリアであるこどもの国エリアの入口に到着。ここまで約400m。養老公園は飛騨・美濃紅葉33選に選ばれた約78.6haに及ぶ広大な公園。1880年(明治13年)に太政官令により開園した。<br /><br />1965年から第1次整備として約30haを整備。1974年からは第2次整備区域約24haに着手し、1983年までに駐車場、園路、岐阜県こどもの国、テニスコート、樹木見本園を整備。さらに1985年からは第3次整備計画約22haに着手し、1987年にこどもの国の西7.0haに駐車場、芝生広場を整備、1990年にはパークゴルフ場をオープンし、1991年度末で第3次整備計画を完了させた。その後1994年にはパターゴルフ場もオープンしている。<br /><br />そして1995年には21世紀型生活文化にふさわしい新しい魅力を備えた庭園、心のテーマパーク、養老天命反転地をオープン。さらに、1998年にはフードパークの楽市楽座・養老をオープンした。<br /><br />上述したように紅葉の名所だが、春のこの時期には公園内の3000本の桜が一斉に咲き誇る(下の写真3)。この日は曇天模様だったが、天気がよければ濃尾平野を一望できる雄大な景色と桜の共演を満喫できる。<br /><br />最初にたどり着いたこどもの国エリア(岐阜県こどもの国)は自然の地形と環境を十分生かした児童の遊び場。敷地面積は10haあり、こどもの家、こどもプール、ぼうけんひろば、すくすくひろば、のびのびひろばなどがある。入場無料。<br /><br />その奥はスポーツエリアで、テニスコートやパークゴルフ場、パターゴルフ場、グラウンド・ゴルフ場などのスポーツ施設やキャンプセンターがあるが、一番手前は芝生広場になっている。その入口に立つ青少年の銅像はライオンズクラブが2011年に寄贈したもの。<br /><br />そしてその奥には楽市楽座・養老(下の写真4)。かつて織田信長が開いたと伝えられる「楽市楽座」をキャッチフレーズに、県内外から訪れる来園者に対し、西濃地域の産品を提供する場とし、大型テント張りの施設内に販売ブースが配置され、軽食から季節料理、郷土料理、地ビールなどのメニューが並んでいる。<br /><br />12時半になったので郷土料理屋GETでどて丼を戴く。どて丼は中部、東海地方のローカルフード、牛スジや豚モツなどを八丁味噌でじっくり煮込んで口の中でとろけるほど柔らかくしたどて煮を乗せた丼。なかなか美味しかった。650円。食後はカフェテリアの美食飯店のコーヒー、300円でゆっくりする(下の写真5)。<br /><br />楽市楽座・養老の西側には広い駐車場があるが、その北側には道を挟んで養老ランドがある。1973年に開園したちびっこ遊園地。観覧車やメリーゴーラウンドなどがあるが、いずれも子供向け。有料。<br /><br />また、駐車場の西の桜が咲き乱れる下に聖武天皇巡幸記念碑。2018年に養老町文化財保護協会が建立したもの。奈良時代の740年(天平12年)11月に奈良東大寺の大仏を造った第45代の聖武天皇が東国行幸された際に、天狗の小場と称されるこの辺りに行宮を造営され、4日間駐留されたと伝えられていることから建てられた。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6753172608086039&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />養老の滝に向かうが、続く

岐阜 養老 養老公園(Yoro Park, Yoro, Gifu, Japan)

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2021/03/30 - 2021/03/30

85位(同エリア182件中)

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年3月30日(火)12時15分過ぎ、養老鉄道の養老駅に到着。岐阜県養老町の名前の由来となったと云われる養老の滝の入口に当たる駅。

養老町は1954年(昭和29年)に1町9村が合併して発足した町。岐阜県の最西南部に位置し、西側を養老山地、東側を揖斐川に挟まれ、南北に細長く広がっている。養老山地を挟んで三重県とも接する。

面積は約72平方㎞で、岐阜県の42市町村の中で真ん中よりちょっと下の26番目の広さ。人口は2万6千人余りで、こちらは真ん中より少し上の19位。町の中では一番多く、いくつかの市より多い。

養老鉄道が北東から南端まで縦断している。名神高速道路が北部を横切っており、上下線のサービスエリアはあるが、インターチェンジはない。ただし、北から中心部まで南北に走る東海環状自動車道とのジャンクションがあり、養老インターチェンジが起終点となっている。

養老町の名前は1954年に合併した養老村の名前を引き継いでおり、養老村は1889年(明治22年)に9村が合併して誕生した。その後、1897年(明治30年)に合併村の一部の旧・押越村域が分離し高田町に編入されたが新たに2村が合併した。

江戸時代にはこの辺りは天領、大垣藩領の美濃国多芸(たぎ)郡鷲巣村で養老と云う村はなかった。1889年の合併の際に養老の滝に伝えられている養老孝子伝説の「老いを養う」美泉と云う事から命名されたと云われる。ただし、「ようろう」とは緩やかな坂を意味する言葉で、滝の周りにあったことから奈良期に養老と云う字が当てられたとも云う。

養老町のある岐阜県は日本の人口重心中央に位置する内陸県。北部の飛騨地方の大部分は山岳地帯で、南部の美濃地方には平野が広がる。面積は1万平方㎞以上あり都道府県で7位だが、人口は約200万人で17位。県庁所在地は岐阜市。

岐阜の名の由来には諸説あるが、織田信長が殷が周の王朝へと移り変わる時に鳳凰が舞い降りた岐山と、孔子が生まれた集落があった魯国の首府の曲阜を組み合わせて、太平と学問の地であれとの意味を込めた岐阜と命名したと云う説がある。元々は大部分は美濃国と飛騨国だった。

養老町の東南部を流れる揖斐川の他、長良川、木曽川、庄内川(土岐川)、矢作川などが伊勢湾に注ぎ、神通川(宮川)、庄川、九頭竜川(石徹白川)などが日本海に注いでいる。

作家の島崎藤村は中津川市、坪内逍遥は美濃加茂市、池井戸潤は八百津町、中山七里は白川町、朝井リョウは垂井町のそれぞれ出身。映画監督の篠田正浩は岐阜市の出身。俳優の伊藤英明、綾野剛は岐阜市、田中邦衛は土岐市、平山浩行は瑞穂市、寺脇康文は羽島市のそれぞれ出身。モノマネの神奈月は土岐市、清水ミチコは高山市の出身。Mr.マリックは岐阜市の出身。歌手の野口五郎は美濃市出身。マラソンの高橋尚子も岐阜市出身。野球の森祗晶、高木守道、和田一浩も岐阜市、根尾昂は飛騨市の出身。これらの方はほんの一部なので、あの人がないとか云わんといてね。

養老駅を出て、少し左手の三差路を山に向かって進む(下の写真1)。それこそ緩い上り坂がしばらく続く。途中地下道で県道56号南濃関ケ原線を潜る(下の写真2)が、この県道には薩摩カイコウズ街道の愛称が付けられている。

江戸時代、輪中の治水対策として木曽三川を分流させる宝暦治水を薩摩藩が実施したことが縁で、1971年に岐阜県と鹿児島県が姉妹県盟約として締結したが、1991年にその20周年を記念して鹿児島県の木である海紅豆(アメリカデイゴ)を沿道に植栽したことによる。花期は6月から9月頃で、よく目立つ蝶形の赤い花を下向きに咲かせるそうだ。南米ブラジル原産で、アルゼンチンとウルグアイの国花でもある。

5分余りで養老公園の一番東側のエリアであるこどもの国エリアの入口に到着。ここまで約400m。養老公園は飛騨・美濃紅葉33選に選ばれた約78.6haに及ぶ広大な公園。1880年(明治13年)に太政官令により開園した。

1965年から第1次整備として約30haを整備。1974年からは第2次整備区域約24haに着手し、1983年までに駐車場、園路、岐阜県こどもの国、テニスコート、樹木見本園を整備。さらに1985年からは第3次整備計画約22haに着手し、1987年にこどもの国の西7.0haに駐車場、芝生広場を整備、1990年にはパークゴルフ場をオープンし、1991年度末で第3次整備計画を完了させた。その後1994年にはパターゴルフ場もオープンしている。

そして1995年には21世紀型生活文化にふさわしい新しい魅力を備えた庭園、心のテーマパーク、養老天命反転地をオープン。さらに、1998年にはフードパークの楽市楽座・養老をオープンした。

上述したように紅葉の名所だが、春のこの時期には公園内の3000本の桜が一斉に咲き誇る(下の写真3)。この日は曇天模様だったが、天気がよければ濃尾平野を一望できる雄大な景色と桜の共演を満喫できる。

最初にたどり着いたこどもの国エリア(岐阜県こどもの国)は自然の地形と環境を十分生かした児童の遊び場。敷地面積は10haあり、こどもの家、こどもプール、ぼうけんひろば、すくすくひろば、のびのびひろばなどがある。入場無料。

その奥はスポーツエリアで、テニスコートやパークゴルフ場、パターゴルフ場、グラウンド・ゴルフ場などのスポーツ施設やキャンプセンターがあるが、一番手前は芝生広場になっている。その入口に立つ青少年の銅像はライオンズクラブが2011年に寄贈したもの。

そしてその奥には楽市楽座・養老(下の写真4)。かつて織田信長が開いたと伝えられる「楽市楽座」をキャッチフレーズに、県内外から訪れる来園者に対し、西濃地域の産品を提供する場とし、大型テント張りの施設内に販売ブースが配置され、軽食から季節料理、郷土料理、地ビールなどのメニューが並んでいる。

12時半になったので郷土料理屋GETでどて丼を戴く。どて丼は中部、東海地方のローカルフード、牛スジや豚モツなどを八丁味噌でじっくり煮込んで口の中でとろけるほど柔らかくしたどて煮を乗せた丼。なかなか美味しかった。650円。食後はカフェテリアの美食飯店のコーヒー、300円でゆっくりする(下の写真5)。

楽市楽座・養老の西側には広い駐車場があるが、その北側には道を挟んで養老ランドがある。1973年に開園したちびっこ遊園地。観覧車やメリーゴーラウンドなどがあるが、いずれも子供向け。有料。

また、駐車場の西の桜が咲き乱れる下に聖武天皇巡幸記念碑。2018年に養老町文化財保護協会が建立したもの。奈良時代の740年(天平12年)11月に奈良東大寺の大仏を造った第45代の聖武天皇が東国行幸された際に、天狗の小場と称されるこの辺りに行宮を造営され、4日間駐留されたと伝えられていることから建てられた。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6753172608086039&type=1&l=223fe1adec


養老の滝に向かうが、続く

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  • 写真1 養老駅前から養老公園への道

    写真1 養老駅前から養老公園への道

  • 写真2 薩摩カイコウズ街道

    写真2 薩摩カイコウズ街道

  • 写真3 養老公園芝生広場横の桜

    写真3 養老公園芝生広場横の桜

  • 写真4 楽市楽座・養老マップ

    写真4 楽市楽座・養老マップ

  • 写真5 楽市楽座・養老カフェテリアのコーヒー

    写真5 楽市楽座・養老カフェテリアのコーヒー

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