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《2021.August》あみんちゅ仕事帰りに歩く旅その七~調子に乗って醒井編~<br /><br />コロナコロナと言うけれど…と目に見えないウィルスの脅威に震える者もいれば、自分はかからないと粋がっている者、かかったらかかったで仕方がないと割り切る者と三者三様の考えで動く者とが駆け引きを行っているようにも感じられる昨今、遂に腰の重い滋賀県知事が〝緊急事態宣言〟の発令を国に願い出た。期間は8月31日となっているが、多分今の患者数の推移から見ると収まるとも思えない。他力本願の考えでは患者とならない方が不思議だと思える中、我が街滋賀県でも高齢者・基礎疾患のある者〝以外〟への接種が8月から始まった。しかしワクチン接種そのものの見通しが立たなかった7月、職域や集団接種に〝一途の望み〟を託して接種申し込みをした者も少なくなかった。私もその一人であり7月20日に一回目の接種を済ませることができた。しかし我が社の職域接種は彦根で行われる。守山通勤時であればともかくバス通勤のみとなった現在では、JRに乗って小一時間を要する移動は大手を振って行きたいものでもない。おまけに1回目の接種前に大津市での一般接種予約も始まったため、接種時間を遅らせて大津で受けるか悩んだ時もあった。<br /><br />こういう時にヘタレは周りに流される。休みを利用して彦根へ行った同僚から〝大したことない〟と聞き、予約の変更が面倒臭くなったこともあり〝早めの接種〟を選び彦根へと向かった。2回目の接種は8月20日の午後と指定され、重症化しない確率が高くなる(?)との口コミを信じその日を待つ。その間に緊急事態宣言が発令され、取り敢えず最低限の〝防備〟位はしておきたいと思うのは私の性分。職場でも〝有給取得〟で出勤者を間引くシフトが続くが、休みと言う休みは天気に恵まれず外出もできない。<br /><br />そんな日々を過ごしつつ迎えた二回目の接種日である8月20日だが、この日も天気はどんよりとした曇り空。まあ雨が降ってきたらさっさと帰ろうと心に決め、彦根を目指すことにする。いつも通り田舎駅までは送って貰う。新快速の停車駅でもある駅だが肝心の目的地である南彦根は普通しか停まらない駅。1本遅い新快速が途中で連絡することもあるが、大して変わらない。時間的には余裕があったので普通に乗ることを決めるが、ここで列車の遅れが生じていることを知る。先発の新快速が遅れて到着するため、本来なかった野洲駅で新快速からの乗り換え客を待つことになるらしい。定刻に出発した米原行き普通列車は各駅に停車した後野洲で時間調整をする。ぼーっとしていたらそんなに苦痛にもならずに少し遅れて出発。わずかに遅れたまま南彦根に到着する。<br /><br />幸いなことに雨は降っていなかった。とはいえ余裕を持ち過ぎて到着したので、前回同様駅前のセブンイレブンで時間潰しをする。そこで守山時代の同僚に久しぶりに会う。懐かしいと思う気持ちもあるのだが、その前に私自身人に忘れられない位存在感ってあったっけ?と自問自答したりした。本社社屋の中にある会場へと向かう。基本一回目の接種日と時間によって二回目の接種日と時間が決められるために、ここでもまた現店の同僚と会う。勿論目的が目的だけに会話は禁止されているので前後に静かに座り、接種時間を待つだけだ。順番が回ってきて医師問診から始まる。1回目の福反応に〝微熱〟を挙げたところ、解熱鎮痛剤としてカロナール300mgを8錠受け取る。このあたりは医師の匙加減の要素があり、福反応の〝出やすさ〟が加味されている。ただその後〝一回目より多くの人に福反応がでますよ~〟と軽く言われたことでビビってしまったが…。<br /><br />その後は前回同様接種後に安静15分を済ませれば、書類上のやり取りを経て終わりとなる。長居する場所でもないし、ポツポツと雨も降って来たので、取り敢えずは駅に向かうことにする。セブンイレブンの一服は毎度のこと、その後電車に乗る。雨も降り始めたので家へと向かえば良いものを、ふとニュースで知った醒井宿地蔵川の〝梅花藻〟を思い出し、懲りずに米原方面へと向かう。<br /><br />南彦根から米原まで不通にJR西日本の普通に乗車し、米原駅でJR東海に乗り換える。JR西日本とJR東海の〝在来線〟境の駅に当たる。先発は金沢始発名古屋行きの681系特急しらさぎが先発する。目的地を通過する列車故に乗ることはない。そして16:00発の311系大垣行き普通列車に乗り込み、一路醒ヶ井を目指す。5分程で到着するが駅のカラーリングを含め〝遠くへ来た感〟が半端ない。おまけにICカードが使えるようになったはずだとの確信は、プリペイド決済できるものに限られており、PiTaPaのポストペイド機能は使えないことを知る。以前は回数券購入等がプリペイド扱いだったためにたまに使うこともあったが、バス利用しかしない最近は全くない。このことを知っていれば現金払いで乗っていたのだが…。<br /><br />醒ヶ井の駅前には国道21号線が走っており、ハルのお供で郵便局巡りをした後の帰路でよく走った道でもある。それを渡って旧中山道方向へと進んで行く。敢えて方向としたのは、この道は〝新中山道(国道21号線)〟と〝旧中山道〟を結ぶ通路となるからである。ウィリアム・メレル・ヴォーリズ建築の〝旧醒井郵便局〟は、大正4(1915)年に建てられたもので平成10(1998)年に国の登録有形文化財に指定されている。現在の建物は昭和9(1934)年に改装されたものであるが、昭和48(1973)年まで実際に郵便局舎として利用されていたものであることにはビックリだ。登録有形文化財指定の後本格的な改修を行い、平成12(2000)年に米原市指定文化財・建築物である旧醒井宿問屋場(川口家住宅)とともに〝醒井宿資料館〟としてオープンし、現在に至っている。今回は時間の都合で先を急ぎ、さらに進んで行くと地蔵川を〝居醒橋(いさめばし)〟で渡り旧中山道に合流する。浄土真宗本願寺派の了徳寺、境内に植わっている〝オハツキイチョウ〟で有名な寺院であるが、勿論夏の時期なので〝青葉〟である。そして右側には醒井宿問屋場(旧川口家住宅)がある。醒井宿を通過する大名や役人の馬や人足の手配をしていた場所である。改めて醒井宿資料館の構成を考えるが、結構距離があるように思える。旧醒井宿全体の〝資料館〟として考えられているのだろうと勝手に考えて歩いて行く。<br /><br />醒井宿は中仙道沿いにある宿場町であるが、街道筋の北側を道に沿って清流が流れている。名前は先述しているが〝地蔵川〟と呼ばれるものであるが、宿場町の歴史情緒を掻き立てるものである以上に〝とある物〟で有名な川でもある。水草に梅のような白い小さな花が〝水中〟に咲き誇る〝梅花藻(バイカモ)〟の群生地であるということだ。キンポウゲ科キンポウゲ属の多年草の水草で、イチョウバイカモの変種のひとつであり〝ウメバチモ〟という別名もある。冷涼で流れのある清流中に生育し、初夏から初秋にかけてウメの花のような白い花を水中につける。葉は濃緑色で分裂し流れに沿って1mほどに伸びる。静水では育たず水槽での生育も困難である。一定の条件を備えた〝清流〟でのみ生育するもので、絶滅危惧ⅠA類指定の〝ハリヨ〟が生息していると謂れ書きには書いてあった。ただ地蔵川のハリヨは〝北海道イトヨ〟との交雑種であることが研究で分かっており、純血のハリヨではないとも言われている。ただ支流では野生種のハリヨも見つかっていることから、種の保存と言う観念から醒井養鱒場など然るべき生育環境を整えられる場所で飼育されているらしい。純血の野生種だからという〝プレミア〟はあるにしても、生物は本能的に〝種の保存〟をする事実を考えれば仕方がないのかも知れない。<br /><br />ハリヨのことはさておき、せっかく彦根まで来たことを利用して醒ヶ井まで足を延ばしたのはこの〝梅花藻〟を見てみようという意図以外なにものでもない。雨が降っていることもあり足場の悪いところを歩く気はないことも理由のひとつである。しかし少し考えが甘かったのは、川というもの雨が降れば必然的に流れが速くなる〝鉄則〟を考えていなかったことだ。もし晴天続きで流水量が少なければ、ゆっくりとした流れの中に咲く〝梅花藻〟を見ることはできる筈であった。しかしそれなりの流水量があるために水面に〝水流〟が現れてしまい、それによって水中花〝梅花藻〟が見辛くなってしまっていた。少し考えればわかった話だがそんな余裕も彦根を発つときにはなかったのであろう。<br /><br />まあそんな現実を目の当たりにしながら地蔵川を見ながら旧街道を歩いて行く。雨のせいで光量も少ないためにうまく写真に収めることができないが、下手な鉄砲数打てば当たる的にシャッターを切って行く。そんな中またしてもトラブルが発生する。持って来たカメラのバッテリーがストロボを焚いた途端切れてしまった。リチウム電池の悪いところ、一旦電池切れになると入れ直しても状況は変わらない。仕方がないのでその後は〝スマホカメラ〟で対応する。ただ性能が良くなり過ぎたカメラは、逆にAiの判断が私の考えにそぐわず思っているような写真が撮れない。せっかく来たものの〝記録写真〟が撮れないという正にトホホの状態に陥ってしまった…。<br /><br />何かすべてが逆境に思えて来たこともあり、そろそろ折り返そうと考える。地蔵川の源流付近は加茂神社手前の池である。一般的に〝居醒の清水〟と呼ばれる場所は、あの日本武尊が伊吹山で体調を崩し命辛々辿り着いたここ醒井の地で〝居醒の清水〟を飲み、気付けをしたという伝説の場所でもある。尾張の美夜受比売を娶った日本武尊は、伊吹山の神を倒すべく出立するが、伊吹の神を素手で倒せると信じ、草薙剣を美夜受比売に預けたまま〝丸腰〟で向かったとされる。山中で出くわした白い大蛇を神の〝化身〟と侮った日本武尊は伊吹山の神の怒りに触れ、天罰とも言われる大氷雨を降らされた結果意識が朦朧とした状態となってしまう。伊吹山を下りここ醒井の居醒の清水でやや正気を取り戻したとされているが、すでにその体は病魔に蝕まれていた。美夜受比売に会うために尾張の国を経由して大和へと向かう道中の三重亀山の能煩野(のぼの)に於いて逝去。享年30歳と言われている。油断大敵そのものの出来事ではあるが、伝承では日本武尊の第二子である後の第14代仲哀天皇は父日本武尊が平定した熊襲が再叛し親征開始するが、神懸りした皇后から託宣を無視し熊襲を強引に攻めた結果敗退し、九州で亡くなったとされている。父の生まれ変わりとされる〝白鳥〟を陵墓の池で飼うために諸国から白鳥を献上させた。白鳥を大和に届けようと道中を進み、宇治川べりで休んでいた使者に対し〝焼き鳥にすれば白も黒もない〟と言いがかりをつけてその白鳥を奪った異母兄の蘆髪浦見別王を〝父を馬鹿にした〟という理由で誅殺している。勿論伝承の域の話ではあるが何かこの両者には共通点を感じてしまう。自らの手腕を過信した結果命を落としたという結果論から遡って考えてみても…。<br /><br />まあそのことは置いておき、居醒の清水付近には日本武尊に関わる物が数多く存在する。腰掛石・鞍掛警視・蟹石等がそれにあたる。また日本武尊の銅像も建立されていたがこれは比較的新しいもののように見える。石灰岩質の霊仙山から湧き出た清水は加茂神社の石垣を通り、この場所他数カ所で地表に湧き出して地蔵川の流れを作っている。すぐ脇を名神高速道路が通っていなければ、鬱蒼とした茂みの中から湧き出る〝神秘的〟なものになりそうだが、現在ではそうはいかない。中硬水の水質は〝平成の名水百選〟にも選ばれており、現在は上水道が各家庭に引かれてはいるものの夏場には野菜洗いや自然の冷蔵庫として、お茶やスイカ等を冷やすのに利用されているという〝生活用水〟の役目を今尚担っている。<br /><br />そんな居醒の清水一帯を歩き、隣の加茂神社にはもう石段を歩く気力がなかったので石鳥居から参拝し戻ることにした。今来た道を戻る訳だが、行きと同様左右を見ながら歩くため距離は稼げない。鮫島中将の歌碑とは誰のものか?などと思い立ってはスマホチェック、日清戦争に近衛師団参謀長として従軍していた鮫島重雄陸軍工兵大佐であろうと推測する。台湾征討近衛師団長であった北白川宮能久親王に対する唄とされていることから時系列ではほぼ間違いないと考える。<br /><br />浄土真宗大谷派緑苔寺(りょくたいじ)という寺院があった。住居兼用寺院らしく旧宿場町の雰囲気を壊していない建物のひとつである。そして醒井延命地蔵尊地蔵堂へと到着するが、これは弘仁8(817)年の大干ばつの折、伝教大師最澄が醒井で御丈1丈2尺の花崗岩による丸彫りの座像の地蔵菩薩を彫刻して降雨を祈願したところ、三日間大雨が降り続いたという伝承に因んでいる。当初は水中に安置されていたので〝尻冷やし地蔵〟と呼ばれていた。一説に水中に安置されたのは魚を供養するために祀られたとも言われている。現在は地蔵堂に安置されているが、その地蔵堂は江戸時代に大垣城主石川日向守が病気全快を感謝して建立したものが最初とされている。その後老朽化や火災に遭い二度の再建を経て平成2(1990)年には大改修が行なわれて今日に至っている。堂宇の中に収められている地蔵尊の他にも、複数の地蔵が祀られている。固められて置かれている地蔵菩薩はともかく、地蔵堂とその隣の祠に収められている地蔵様は、ちょっとリアリティな感じを受けるものとなっていた。<br /><br />醒井木彫美術館は経営母体がわからない個人の美術館のようだ。11~3月は冬期休暇で、その他は土日祝祭日のみオープンしている訪問難易度の高い美術館である。訪れたのは金曜日なので勿論開いてはいないが、入口に夏季休暇らしい文言が書かれていたように思う。醒井村上丹生出身の彫刻家森大造の作品を展示する〝個人の美術館〟として紹介されているものもある。美術関係には疎いので良くはわからないのだが、醒ヶ井駅前に建立されている霊仙三蔵立像のオリジナル作者であることを後で知ることとなる。<br /><br />上手く水中の梅花藻を撮ることができないまま歩いて行く。丁子屋は醒井エリアの和菓子店兼パン屋であり、名水まんじゅうの他梅花藻ソフトクリームなるものもある。ただしとしとと雨が降る生憎の天気、ちょっとソフトクリームをペロリを言う気にはなれなかった。<br /><br />更に歩いて行くと醒井公会堂がある。所謂公民館ではあるが、木造平屋建・寄棟造桟瓦葺で正面と側面前よりは吹きつけ壁,他は下見板張とする。正面隅はコーナーストーン風の仕上となっている。昭和11(1936)年の建築で和洋のデザイン・構法を混在させた昭和初期公民館建築の好例である建物は、平成15(2003)年に国の登録有形文化財(建築物)の登録を受けている。ウィリアム・メレル・ヴォーリズの建築ではないが、周辺のヴォーリズ建築の洋風で良きところを取り入れられているような感じを受ける建物である。その並びには日本料理本陣樋口山がある。滋賀県ならではの湖魚をメインとした懐石料理等が有名なところだが、滋賀県に住んでうん十年の私は実は湖魚料理が得意ではない。夕食の懐石になるとそれなりの値段がするが、ランチはお手頃な価格で味わえるようだ。生憎のコロナ禍の下予約制になっているのかも知れないが、通りかかった際にはクローズしていたように思う。確かに〝ネタ〟にはなりそうなので、マスクなしで来ることができるようになれば〝ランチ〟利用をしてみたいなと思いつつ歩き始める。<br /><br />そして醤油屋喜代春商店が見えてくる。ヤマキ醤油と書かれているのであの〝ヤマキ醤油〟の本店かと思いきや、ヤマキ醤油という〝商品名〟らしく日本全国に〝ヤマキ醤油〟という商品名の醤油は売られているようだ。醤油といえば〝醤油ソフト〟を思い出すが、前述の丁子屋同様ソフトクリームを食べたい状況ではない。次回の訪問時の課題にするにもソフトクリームふたつはちょっとキツそうだと思いながら今日のところは素通りする。<br /><br />ずっと地蔵川に沿って旧中山道を歩いているが、足を止めて梅花藻をカメラに収めようとするも上手くいかない。しかし上水道が完備されたとはいえ夏にはスイカを冷やすなど生活には欠かせないものとなっていることは、川辺に降りる階段が設けられている景色からもよくわかる。水中に据えられた石灯籠が目印の十王水、こちらも水が湧いて出る場所ではあるのだが、その場所は個人宅となる場所のようで見ることはできない。浄蔵法師が水源を開いたとされる十王水、普通ならば〝浄蔵水〟と名付けられる筈が近くに〝十王堂〟があったことから勘違いが起こり〝十王水〟と名付けられた経緯には笑いが込み上げてきた。<br /><br />駅に向かうには居醒橋を渡るが、中山道を歩き続けるには居醒大橋を渡る。規模が違うと思いきや、ただ〝区別〟をしているだけのようだ。通常ならば〝ゴミ置場〟となるような場所に〝子供狂言上演場所〟という掲示がある。旅人の邪魔にならないように作られたスペースであるらしく、地蔵盆の際に引き回される曳山を据えていた場所であるらしい。当時と今では時代背景も違うだろうが、なんの脈絡もなしに〝立て看板〟だけがあると興醒め以外なにものでもない。<br /><br />更に西進すると西行水に到着する。ここは〝泡子塚西行水〟と称するのが良いかと思われる。平安時代後期の高僧西行法師が東遊の際にこの泉の畔で休憩を取った。その際にお茶屋の娘が西行に好意を持ち、西行が発った後飲み残しの茶の泡を飲むと不思議と懐妊し男の子を産んだ。東遊を終えた西行が再びこの地を訪れて娘にその一部始終を聞いた後、子供を熟視して〝今一滴の泡変じてこれ児をなる。もし我が子ならば元の泡に帰れ〟と祈る。そして〝水上は 清き流れの醒井に 浮世の垢をすすぎてやみん〟と詠むと子供はたちどころに消えて、元の茶の泡となった。そのことから西行は児が我が子であると認め、この場所に石塔を建てたという伝承が残っている。想像妊娠の伝承のように思われるが、自らの子供ならば茶の泡となれと投げかけた言葉には〝愛情〟を感じずむしろ〝疑念〟みたいなものを感じてしまう。伝承故に詳細は書かれてはいないが、母となった娘からすると腹を痛めた〝子〟であり、その子供を西行に否定されたことをどう思ったかは想像できないことである。結局茶の泡になってしまった子供には口がないために何も言うことができなくなる。そのような背景から西行がどう言う意図を以って石塔を建立したのかは私には理解できない。血の繋がりがないことの証明と言えばそれまでだが、何か物悲しさを感じるのは私だけであろうか。<br /><br />そのまま旧中山道を歩いて行くと〝中山道醒井宿〟と刻まれた石碑があった。西の番場宿迄は一里(3.9km)、東の柏原宿迄は一里半(5.9km)と刻まれている。最近めっきり歩くことがなくなったヘタレの私には、4kmを目処に歩いていた古の旅人にはタイムスリップしても真似できないと改めて思う。<br /><br />生活の色濃く残る地蔵川沿いを歩き、醒ヶ井駅近くまで戻ってきた。電車の時間迄少し余裕があるので、直接駅には向かわずに近隣を散策することにした。この界隈まで来ると地蔵川の流れも緩やかになり、梅花藻の水中に咲く白い花がよくわかる。しかし雨天ということもあり写真撮影に不可欠な〝光量〟不足が顕著になる。梅花藻の成長した姿は写せても、花まで写し込むのは困難になっている。長時間露光をすると水の流れだけになり、モバイルライトを使用すると水面で乱反射し水中まで写らない。数枚撮影するも上手くいかないことから活動することを終了することにした。<br /><br />醒ヶ井駅へと向かうが途中駅前にある醒井水の宿駅に立ち寄ることにする。コロナ禍で臨時閉店となっているようで人の気配も感じられない。トイレなどの施設は利用できるようだが、それ以上を求めることは期待しない方が良いだろう。ネット情報によるとこの醒井水の宿駅は令和3(2021)年7月3日土曜日にリニューアルオープンしたと書かれている。しかし8月27日金曜日から9月30日木曜日まで滋賀県下の緊急事態宣言発令に伴い休業となっている。私が訪れたのは8月20日の金曜日だが開館している様子はなかった。加えて駅内にある喫茶梅花藻は既に閉業したとの張り紙がしてあった。この辺りの情報が錯綜しており、なにが事実なのかわからない状態になっている。旅行者に不親切な口コミ情報ははっきり言って必要のないものでしかない。その辺りはきっちりとして欲しいと思う。<br /><br />電車の到着時刻に合わせて駅へと戻る。行きに南彦根からの乗車でポストペイドのICカード処理が出来ずにプリペイド処理の精算になったことをすっかり忘れてまたタッチして入場してしまった。田舎とは言え東海道本線の駅である醒ヶ井だが自動券売機もない上に跨線橋でホームに行かなければならないことは昭和を彷彿させる。ホームに降りると間もなく米原行きの普通電車が入線してきた。313系は特別快速から新快速、普通まで投入される車両ではあるが、JR東海独特の〝特徴のない〟車両は、一見するとわかる車両ばかりのJR西日本エリアの住人からすると違和感がある。特急車両である373系、近郊型車両311系、紀勢本線の普通キハ25系ははっきり言って〝俄か乗り鉄〟の私には同じ車両にしか見えないのである。だから前照灯を点けた状態での走行ならば三燈点灯のボンネット車両485系と見間違ってしまう。勿論現在は廃止された形式なので走っているわけもないのだが、敢えて私自身は〝特急擬きの313系〟と呼び続けている。<br /><br />醒ヶ井から乗車すると5分程で米原に到着する。先発は高槻から快速の普通列車ではあるが、京都までは先着するので敢えて新快速を利用せず普通に乗車する。途中近江八幡辺りで虹が出ていた。それも二重のものが。雨が降り止んだことを示すかのようだったが、既に本日の予定を終了し、自宅へと向かう途中であるためあまり意味がない。走行している間に無事田舎駅に到着する。仕事であろうと無かろうと駅前でやることは変わりはない。馴染みのファミマで飲み物とタバコを購入して一服する。その後はバス一本でど田舎バス停に到着し、本日のミッション終了となる。いつもならばここで終わりにするのだが、今回に限っては翌朝迄引き摺ることがあった。よりによってワクチン注射の〝副反応〟に襲われる。大袈裟と言われるかも知れないが頭痛・関節痛と発熱、そして全身倦怠感。先に2回の接種を済ませた同僚から〝38.5℃の熱が出た〟等と聞いていたためにビビっていた部分はあるが、私の場合とてもじゃないが検温する余裕は残っていなかった。取り敢えず服薬してもう一眠りし、昼過ぎに起きた時で37.5℃あった。翌日職場でそのことを話すと、副反応の話の前に〝天気も悪いのに出歩くか~?〟と冷たい反応。期待した写真も撮れなかったことから、素直に寄り道せずに家に帰るべきだった・・・と反省した私であった。<br /><br />  《終わり》

《2021.August》あみんちゅ仕事帰りに歩く旅その七~調子に乗って醒井編~

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2021/08/20 - 2021/08/20

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《2021.August》あみんちゅ仕事帰りに歩く旅その七~調子に乗って醒井編~

コロナコロナと言うけれど…と目に見えないウィルスの脅威に震える者もいれば、自分はかからないと粋がっている者、かかったらかかったで仕方がないと割り切る者と三者三様の考えで動く者とが駆け引きを行っているようにも感じられる昨今、遂に腰の重い滋賀県知事が〝緊急事態宣言〟の発令を国に願い出た。期間は8月31日となっているが、多分今の患者数の推移から見ると収まるとも思えない。他力本願の考えでは患者とならない方が不思議だと思える中、我が街滋賀県でも高齢者・基礎疾患のある者〝以外〟への接種が8月から始まった。しかしワクチン接種そのものの見通しが立たなかった7月、職域や集団接種に〝一途の望み〟を託して接種申し込みをした者も少なくなかった。私もその一人であり7月20日に一回目の接種を済ませることができた。しかし我が社の職域接種は彦根で行われる。守山通勤時であればともかくバス通勤のみとなった現在では、JRに乗って小一時間を要する移動は大手を振って行きたいものでもない。おまけに1回目の接種前に大津市での一般接種予約も始まったため、接種時間を遅らせて大津で受けるか悩んだ時もあった。

こういう時にヘタレは周りに流される。休みを利用して彦根へ行った同僚から〝大したことない〟と聞き、予約の変更が面倒臭くなったこともあり〝早めの接種〟を選び彦根へと向かった。2回目の接種は8月20日の午後と指定され、重症化しない確率が高くなる(?)との口コミを信じその日を待つ。その間に緊急事態宣言が発令され、取り敢えず最低限の〝防備〟位はしておきたいと思うのは私の性分。職場でも〝有給取得〟で出勤者を間引くシフトが続くが、休みと言う休みは天気に恵まれず外出もできない。

そんな日々を過ごしつつ迎えた二回目の接種日である8月20日だが、この日も天気はどんよりとした曇り空。まあ雨が降ってきたらさっさと帰ろうと心に決め、彦根を目指すことにする。いつも通り田舎駅までは送って貰う。新快速の停車駅でもある駅だが肝心の目的地である南彦根は普通しか停まらない駅。1本遅い新快速が途中で連絡することもあるが、大して変わらない。時間的には余裕があったので普通に乗ることを決めるが、ここで列車の遅れが生じていることを知る。先発の新快速が遅れて到着するため、本来なかった野洲駅で新快速からの乗り換え客を待つことになるらしい。定刻に出発した米原行き普通列車は各駅に停車した後野洲で時間調整をする。ぼーっとしていたらそんなに苦痛にもならずに少し遅れて出発。わずかに遅れたまま南彦根に到着する。

幸いなことに雨は降っていなかった。とはいえ余裕を持ち過ぎて到着したので、前回同様駅前のセブンイレブンで時間潰しをする。そこで守山時代の同僚に久しぶりに会う。懐かしいと思う気持ちもあるのだが、その前に私自身人に忘れられない位存在感ってあったっけ?と自問自答したりした。本社社屋の中にある会場へと向かう。基本一回目の接種日と時間によって二回目の接種日と時間が決められるために、ここでもまた現店の同僚と会う。勿論目的が目的だけに会話は禁止されているので前後に静かに座り、接種時間を待つだけだ。順番が回ってきて医師問診から始まる。1回目の福反応に〝微熱〟を挙げたところ、解熱鎮痛剤としてカロナール300mgを8錠受け取る。このあたりは医師の匙加減の要素があり、福反応の〝出やすさ〟が加味されている。ただその後〝一回目より多くの人に福反応がでますよ~〟と軽く言われたことでビビってしまったが…。

その後は前回同様接種後に安静15分を済ませれば、書類上のやり取りを経て終わりとなる。長居する場所でもないし、ポツポツと雨も降って来たので、取り敢えずは駅に向かうことにする。セブンイレブンの一服は毎度のこと、その後電車に乗る。雨も降り始めたので家へと向かえば良いものを、ふとニュースで知った醒井宿地蔵川の〝梅花藻〟を思い出し、懲りずに米原方面へと向かう。

南彦根から米原まで不通にJR西日本の普通に乗車し、米原駅でJR東海に乗り換える。JR西日本とJR東海の〝在来線〟境の駅に当たる。先発は金沢始発名古屋行きの681系特急しらさぎが先発する。目的地を通過する列車故に乗ることはない。そして16:00発の311系大垣行き普通列車に乗り込み、一路醒ヶ井を目指す。5分程で到着するが駅のカラーリングを含め〝遠くへ来た感〟が半端ない。おまけにICカードが使えるようになったはずだとの確信は、プリペイド決済できるものに限られており、PiTaPaのポストペイド機能は使えないことを知る。以前は回数券購入等がプリペイド扱いだったためにたまに使うこともあったが、バス利用しかしない最近は全くない。このことを知っていれば現金払いで乗っていたのだが…。

醒ヶ井の駅前には国道21号線が走っており、ハルのお供で郵便局巡りをした後の帰路でよく走った道でもある。それを渡って旧中山道方向へと進んで行く。敢えて方向としたのは、この道は〝新中山道(国道21号線)〟と〝旧中山道〟を結ぶ通路となるからである。ウィリアム・メレル・ヴォーリズ建築の〝旧醒井郵便局〟は、大正4(1915)年に建てられたもので平成10(1998)年に国の登録有形文化財に指定されている。現在の建物は昭和9(1934)年に改装されたものであるが、昭和48(1973)年まで実際に郵便局舎として利用されていたものであることにはビックリだ。登録有形文化財指定の後本格的な改修を行い、平成12(2000)年に米原市指定文化財・建築物である旧醒井宿問屋場(川口家住宅)とともに〝醒井宿資料館〟としてオープンし、現在に至っている。今回は時間の都合で先を急ぎ、さらに進んで行くと地蔵川を〝居醒橋(いさめばし)〟で渡り旧中山道に合流する。浄土真宗本願寺派の了徳寺、境内に植わっている〝オハツキイチョウ〟で有名な寺院であるが、勿論夏の時期なので〝青葉〟である。そして右側には醒井宿問屋場(旧川口家住宅)がある。醒井宿を通過する大名や役人の馬や人足の手配をしていた場所である。改めて醒井宿資料館の構成を考えるが、結構距離があるように思える。旧醒井宿全体の〝資料館〟として考えられているのだろうと勝手に考えて歩いて行く。

醒井宿は中仙道沿いにある宿場町であるが、街道筋の北側を道に沿って清流が流れている。名前は先述しているが〝地蔵川〟と呼ばれるものであるが、宿場町の歴史情緒を掻き立てるものである以上に〝とある物〟で有名な川でもある。水草に梅のような白い小さな花が〝水中〟に咲き誇る〝梅花藻(バイカモ)〟の群生地であるということだ。キンポウゲ科キンポウゲ属の多年草の水草で、イチョウバイカモの変種のひとつであり〝ウメバチモ〟という別名もある。冷涼で流れのある清流中に生育し、初夏から初秋にかけてウメの花のような白い花を水中につける。葉は濃緑色で分裂し流れに沿って1mほどに伸びる。静水では育たず水槽での生育も困難である。一定の条件を備えた〝清流〟でのみ生育するもので、絶滅危惧ⅠA類指定の〝ハリヨ〟が生息していると謂れ書きには書いてあった。ただ地蔵川のハリヨは〝北海道イトヨ〟との交雑種であることが研究で分かっており、純血のハリヨではないとも言われている。ただ支流では野生種のハリヨも見つかっていることから、種の保存と言う観念から醒井養鱒場など然るべき生育環境を整えられる場所で飼育されているらしい。純血の野生種だからという〝プレミア〟はあるにしても、生物は本能的に〝種の保存〟をする事実を考えれば仕方がないのかも知れない。

ハリヨのことはさておき、せっかく彦根まで来たことを利用して醒ヶ井まで足を延ばしたのはこの〝梅花藻〟を見てみようという意図以外なにものでもない。雨が降っていることもあり足場の悪いところを歩く気はないことも理由のひとつである。しかし少し考えが甘かったのは、川というもの雨が降れば必然的に流れが速くなる〝鉄則〟を考えていなかったことだ。もし晴天続きで流水量が少なければ、ゆっくりとした流れの中に咲く〝梅花藻〟を見ることはできる筈であった。しかしそれなりの流水量があるために水面に〝水流〟が現れてしまい、それによって水中花〝梅花藻〟が見辛くなってしまっていた。少し考えればわかった話だがそんな余裕も彦根を発つときにはなかったのであろう。

まあそんな現実を目の当たりにしながら地蔵川を見ながら旧街道を歩いて行く。雨のせいで光量も少ないためにうまく写真に収めることができないが、下手な鉄砲数打てば当たる的にシャッターを切って行く。そんな中またしてもトラブルが発生する。持って来たカメラのバッテリーがストロボを焚いた途端切れてしまった。リチウム電池の悪いところ、一旦電池切れになると入れ直しても状況は変わらない。仕方がないのでその後は〝スマホカメラ〟で対応する。ただ性能が良くなり過ぎたカメラは、逆にAiの判断が私の考えにそぐわず思っているような写真が撮れない。せっかく来たものの〝記録写真〟が撮れないという正にトホホの状態に陥ってしまった…。

何かすべてが逆境に思えて来たこともあり、そろそろ折り返そうと考える。地蔵川の源流付近は加茂神社手前の池である。一般的に〝居醒の清水〟と呼ばれる場所は、あの日本武尊が伊吹山で体調を崩し命辛々辿り着いたここ醒井の地で〝居醒の清水〟を飲み、気付けをしたという伝説の場所でもある。尾張の美夜受比売を娶った日本武尊は、伊吹山の神を倒すべく出立するが、伊吹の神を素手で倒せると信じ、草薙剣を美夜受比売に預けたまま〝丸腰〟で向かったとされる。山中で出くわした白い大蛇を神の〝化身〟と侮った日本武尊は伊吹山の神の怒りに触れ、天罰とも言われる大氷雨を降らされた結果意識が朦朧とした状態となってしまう。伊吹山を下りここ醒井の居醒の清水でやや正気を取り戻したとされているが、すでにその体は病魔に蝕まれていた。美夜受比売に会うために尾張の国を経由して大和へと向かう道中の三重亀山の能煩野(のぼの)に於いて逝去。享年30歳と言われている。油断大敵そのものの出来事ではあるが、伝承では日本武尊の第二子である後の第14代仲哀天皇は父日本武尊が平定した熊襲が再叛し親征開始するが、神懸りした皇后から託宣を無視し熊襲を強引に攻めた結果敗退し、九州で亡くなったとされている。父の生まれ変わりとされる〝白鳥〟を陵墓の池で飼うために諸国から白鳥を献上させた。白鳥を大和に届けようと道中を進み、宇治川べりで休んでいた使者に対し〝焼き鳥にすれば白も黒もない〟と言いがかりをつけてその白鳥を奪った異母兄の蘆髪浦見別王を〝父を馬鹿にした〟という理由で誅殺している。勿論伝承の域の話ではあるが何かこの両者には共通点を感じてしまう。自らの手腕を過信した結果命を落としたという結果論から遡って考えてみても…。

まあそのことは置いておき、居醒の清水付近には日本武尊に関わる物が数多く存在する。腰掛石・鞍掛警視・蟹石等がそれにあたる。また日本武尊の銅像も建立されていたがこれは比較的新しいもののように見える。石灰岩質の霊仙山から湧き出た清水は加茂神社の石垣を通り、この場所他数カ所で地表に湧き出して地蔵川の流れを作っている。すぐ脇を名神高速道路が通っていなければ、鬱蒼とした茂みの中から湧き出る〝神秘的〟なものになりそうだが、現在ではそうはいかない。中硬水の水質は〝平成の名水百選〟にも選ばれており、現在は上水道が各家庭に引かれてはいるものの夏場には野菜洗いや自然の冷蔵庫として、お茶やスイカ等を冷やすのに利用されているという〝生活用水〟の役目を今尚担っている。

そんな居醒の清水一帯を歩き、隣の加茂神社にはもう石段を歩く気力がなかったので石鳥居から参拝し戻ることにした。今来た道を戻る訳だが、行きと同様左右を見ながら歩くため距離は稼げない。鮫島中将の歌碑とは誰のものか?などと思い立ってはスマホチェック、日清戦争に近衛師団参謀長として従軍していた鮫島重雄陸軍工兵大佐であろうと推測する。台湾征討近衛師団長であった北白川宮能久親王に対する唄とされていることから時系列ではほぼ間違いないと考える。

浄土真宗大谷派緑苔寺(りょくたいじ)という寺院があった。住居兼用寺院らしく旧宿場町の雰囲気を壊していない建物のひとつである。そして醒井延命地蔵尊地蔵堂へと到着するが、これは弘仁8(817)年の大干ばつの折、伝教大師最澄が醒井で御丈1丈2尺の花崗岩による丸彫りの座像の地蔵菩薩を彫刻して降雨を祈願したところ、三日間大雨が降り続いたという伝承に因んでいる。当初は水中に安置されていたので〝尻冷やし地蔵〟と呼ばれていた。一説に水中に安置されたのは魚を供養するために祀られたとも言われている。現在は地蔵堂に安置されているが、その地蔵堂は江戸時代に大垣城主石川日向守が病気全快を感謝して建立したものが最初とされている。その後老朽化や火災に遭い二度の再建を経て平成2(1990)年には大改修が行なわれて今日に至っている。堂宇の中に収められている地蔵尊の他にも、複数の地蔵が祀られている。固められて置かれている地蔵菩薩はともかく、地蔵堂とその隣の祠に収められている地蔵様は、ちょっとリアリティな感じを受けるものとなっていた。

醒井木彫美術館は経営母体がわからない個人の美術館のようだ。11~3月は冬期休暇で、その他は土日祝祭日のみオープンしている訪問難易度の高い美術館である。訪れたのは金曜日なので勿論開いてはいないが、入口に夏季休暇らしい文言が書かれていたように思う。醒井村上丹生出身の彫刻家森大造の作品を展示する〝個人の美術館〟として紹介されているものもある。美術関係には疎いので良くはわからないのだが、醒ヶ井駅前に建立されている霊仙三蔵立像のオリジナル作者であることを後で知ることとなる。

上手く水中の梅花藻を撮ることができないまま歩いて行く。丁子屋は醒井エリアの和菓子店兼パン屋であり、名水まんじゅうの他梅花藻ソフトクリームなるものもある。ただしとしとと雨が降る生憎の天気、ちょっとソフトクリームをペロリを言う気にはなれなかった。

更に歩いて行くと醒井公会堂がある。所謂公民館ではあるが、木造平屋建・寄棟造桟瓦葺で正面と側面前よりは吹きつけ壁,他は下見板張とする。正面隅はコーナーストーン風の仕上となっている。昭和11(1936)年の建築で和洋のデザイン・構法を混在させた昭和初期公民館建築の好例である建物は、平成15(2003)年に国の登録有形文化財(建築物)の登録を受けている。ウィリアム・メレル・ヴォーリズの建築ではないが、周辺のヴォーリズ建築の洋風で良きところを取り入れられているような感じを受ける建物である。その並びには日本料理本陣樋口山がある。滋賀県ならではの湖魚をメインとした懐石料理等が有名なところだが、滋賀県に住んでうん十年の私は実は湖魚料理が得意ではない。夕食の懐石になるとそれなりの値段がするが、ランチはお手頃な価格で味わえるようだ。生憎のコロナ禍の下予約制になっているのかも知れないが、通りかかった際にはクローズしていたように思う。確かに〝ネタ〟にはなりそうなので、マスクなしで来ることができるようになれば〝ランチ〟利用をしてみたいなと思いつつ歩き始める。

そして醤油屋喜代春商店が見えてくる。ヤマキ醤油と書かれているのであの〝ヤマキ醤油〟の本店かと思いきや、ヤマキ醤油という〝商品名〟らしく日本全国に〝ヤマキ醤油〟という商品名の醤油は売られているようだ。醤油といえば〝醤油ソフト〟を思い出すが、前述の丁子屋同様ソフトクリームを食べたい状況ではない。次回の訪問時の課題にするにもソフトクリームふたつはちょっとキツそうだと思いながら今日のところは素通りする。

ずっと地蔵川に沿って旧中山道を歩いているが、足を止めて梅花藻をカメラに収めようとするも上手くいかない。しかし上水道が完備されたとはいえ夏にはスイカを冷やすなど生活には欠かせないものとなっていることは、川辺に降りる階段が設けられている景色からもよくわかる。水中に据えられた石灯籠が目印の十王水、こちらも水が湧いて出る場所ではあるのだが、その場所は個人宅となる場所のようで見ることはできない。浄蔵法師が水源を開いたとされる十王水、普通ならば〝浄蔵水〟と名付けられる筈が近くに〝十王堂〟があったことから勘違いが起こり〝十王水〟と名付けられた経緯には笑いが込み上げてきた。

駅に向かうには居醒橋を渡るが、中山道を歩き続けるには居醒大橋を渡る。規模が違うと思いきや、ただ〝区別〟をしているだけのようだ。通常ならば〝ゴミ置場〟となるような場所に〝子供狂言上演場所〟という掲示がある。旅人の邪魔にならないように作られたスペースであるらしく、地蔵盆の際に引き回される曳山を据えていた場所であるらしい。当時と今では時代背景も違うだろうが、なんの脈絡もなしに〝立て看板〟だけがあると興醒め以外なにものでもない。

更に西進すると西行水に到着する。ここは〝泡子塚西行水〟と称するのが良いかと思われる。平安時代後期の高僧西行法師が東遊の際にこの泉の畔で休憩を取った。その際にお茶屋の娘が西行に好意を持ち、西行が発った後飲み残しの茶の泡を飲むと不思議と懐妊し男の子を産んだ。東遊を終えた西行が再びこの地を訪れて娘にその一部始終を聞いた後、子供を熟視して〝今一滴の泡変じてこれ児をなる。もし我が子ならば元の泡に帰れ〟と祈る。そして〝水上は 清き流れの醒井に 浮世の垢をすすぎてやみん〟と詠むと子供はたちどころに消えて、元の茶の泡となった。そのことから西行は児が我が子であると認め、この場所に石塔を建てたという伝承が残っている。想像妊娠の伝承のように思われるが、自らの子供ならば茶の泡となれと投げかけた言葉には〝愛情〟を感じずむしろ〝疑念〟みたいなものを感じてしまう。伝承故に詳細は書かれてはいないが、母となった娘からすると腹を痛めた〝子〟であり、その子供を西行に否定されたことをどう思ったかは想像できないことである。結局茶の泡になってしまった子供には口がないために何も言うことができなくなる。そのような背景から西行がどう言う意図を以って石塔を建立したのかは私には理解できない。血の繋がりがないことの証明と言えばそれまでだが、何か物悲しさを感じるのは私だけであろうか。

そのまま旧中山道を歩いて行くと〝中山道醒井宿〟と刻まれた石碑があった。西の番場宿迄は一里(3.9km)、東の柏原宿迄は一里半(5.9km)と刻まれている。最近めっきり歩くことがなくなったヘタレの私には、4kmを目処に歩いていた古の旅人にはタイムスリップしても真似できないと改めて思う。

生活の色濃く残る地蔵川沿いを歩き、醒ヶ井駅近くまで戻ってきた。電車の時間迄少し余裕があるので、直接駅には向かわずに近隣を散策することにした。この界隈まで来ると地蔵川の流れも緩やかになり、梅花藻の水中に咲く白い花がよくわかる。しかし雨天ということもあり写真撮影に不可欠な〝光量〟不足が顕著になる。梅花藻の成長した姿は写せても、花まで写し込むのは困難になっている。長時間露光をすると水の流れだけになり、モバイルライトを使用すると水面で乱反射し水中まで写らない。数枚撮影するも上手くいかないことから活動することを終了することにした。

醒ヶ井駅へと向かうが途中駅前にある醒井水の宿駅に立ち寄ることにする。コロナ禍で臨時閉店となっているようで人の気配も感じられない。トイレなどの施設は利用できるようだが、それ以上を求めることは期待しない方が良いだろう。ネット情報によるとこの醒井水の宿駅は令和3(2021)年7月3日土曜日にリニューアルオープンしたと書かれている。しかし8月27日金曜日から9月30日木曜日まで滋賀県下の緊急事態宣言発令に伴い休業となっている。私が訪れたのは8月20日の金曜日だが開館している様子はなかった。加えて駅内にある喫茶梅花藻は既に閉業したとの張り紙がしてあった。この辺りの情報が錯綜しており、なにが事実なのかわからない状態になっている。旅行者に不親切な口コミ情報ははっきり言って必要のないものでしかない。その辺りはきっちりとして欲しいと思う。

電車の到着時刻に合わせて駅へと戻る。行きに南彦根からの乗車でポストペイドのICカード処理が出来ずにプリペイド処理の精算になったことをすっかり忘れてまたタッチして入場してしまった。田舎とは言え東海道本線の駅である醒ヶ井だが自動券売機もない上に跨線橋でホームに行かなければならないことは昭和を彷彿させる。ホームに降りると間もなく米原行きの普通電車が入線してきた。313系は特別快速から新快速、普通まで投入される車両ではあるが、JR東海独特の〝特徴のない〟車両は、一見するとわかる車両ばかりのJR西日本エリアの住人からすると違和感がある。特急車両である373系、近郊型車両311系、紀勢本線の普通キハ25系ははっきり言って〝俄か乗り鉄〟の私には同じ車両にしか見えないのである。だから前照灯を点けた状態での走行ならば三燈点灯のボンネット車両485系と見間違ってしまう。勿論現在は廃止された形式なので走っているわけもないのだが、敢えて私自身は〝特急擬きの313系〟と呼び続けている。

醒ヶ井から乗車すると5分程で米原に到着する。先発は高槻から快速の普通列車ではあるが、京都までは先着するので敢えて新快速を利用せず普通に乗車する。途中近江八幡辺りで虹が出ていた。それも二重のものが。雨が降り止んだことを示すかのようだったが、既に本日の予定を終了し、自宅へと向かう途中であるためあまり意味がない。走行している間に無事田舎駅に到着する。仕事であろうと無かろうと駅前でやることは変わりはない。馴染みのファミマで飲み物とタバコを購入して一服する。その後はバス一本でど田舎バス停に到着し、本日のミッション終了となる。いつもならばここで終わりにするのだが、今回に限っては翌朝迄引き摺ることがあった。よりによってワクチン注射の〝副反応〟に襲われる。大袈裟と言われるかも知れないが頭痛・関節痛と発熱、そして全身倦怠感。先に2回の接種を済ませた同僚から〝38.5℃の熱が出た〟等と聞いていたためにビビっていた部分はあるが、私の場合とてもじゃないが検温する余裕は残っていなかった。取り敢えず服薬してもう一眠りし、昼過ぎに起きた時で37.5℃あった。翌日職場でそのことを話すと、副反応の話の前に〝天気も悪いのに出歩くか~?〟と冷たい反応。期待した写真も撮れなかったことから、素直に寄り道せずに家に帰るべきだった・・・と反省した私であった。

  《終わり》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス JRローカル 自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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