日本で唯一〝三蔵法師〟と認められた法相宗の僧である。
- 5.0
- 旅行時期:2021/08(約3年前)
-
by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
米原 クチコミ:7件
奈良時代末期にここ近江国で生まれたとされる霊仙(りょうせん)は、平安時代前期興福寺で学んだ後遣唐使として入唐した法相宗の僧であり、遣唐使の同期に空海や最澄といった著名な僧がいる。長安で学んでいる際、カシミールから来た般若三蔵が請来した〝大乗本生心地観経〟を翻訳する任に当たり、その功績から〝三蔵法師〟の称号を与えられた。
唐の時の皇帝憲宗の寵愛された霊仙であったが、仏教の秘伝が国外に持ち出されることを危惧した憲宗により、日本への帰国を禁じられる憂き目にあう。その後憲宗が反仏教徒に暗殺されると、自らも迫害を恐れて五台山に移っている。
日本からも彼の活動を応援したとされる伝承もあり、第53代淳和天皇は渤海の僧に託し資金を送っていたとされている。また返礼として仏舎利や経典を渤海の僧に託し日本に届けさせたと言われている。同時に日本に残してきた親族に対し、〝帰国できない事情〟を考慮した上で生活に困らないよう配慮を願い出たとも言われている。
遅咲きの高僧となった霊仙は、20年程唐にて修行をした後、日本の地を再び踏むことなく現地で没している。一説には彼の出世を妬んだ僧によって毒殺されたとも言われているようだ。その後苦労して唐に渡って来た第3代天台座主となる〝円仁〟が、霊仙の最後の様子を聞き、日本へと伝えている。また入唐八家と言われる円行・常暁が入唐の際には、霊仙の門人であった僧から手厚く遇され、霊仙の遺物や大元帥法の秘伝などを授けられて、日本に持ち帰ったと伝わっている。
出生には諸説あるようだが、この醒井の地で霊仙は生まれた説を採る同地の松尾寺住職等により〝霊仙三蔵顕彰の会〟が発足し、霊仙三蔵記念堂が松尾寺内に設けられることとなる。また米原市出身の彫刻家森大造氏に依頼し〝霊仙三蔵立像〟が作られており、そのレプリカが生誕の地とされる〝霊仙山〟の方向を向いて醒ヶ井駅前に建立されて現在に至っている。
確かに伝承の域を超えてはいない逸話ではあるが、雨雲が立ち込めている今日のような景色だと満更史実とも思える厳か感を感じる場所でもある。天候が変わればまた違う印象を受けるのかもと感じ、再訪を願った私であった。
- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- JR醒ヶ井駅前にある。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れたときには誰にも会わなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- 像のまわりは舗装されている。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 雲が立ち込めており、厳か感が半端ではない。
クチコミ投稿日:2021/09/27
いいね!:6票