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2020年11月30日(月)3時前、醍醐寺下醍醐伽藍に参拝して仁王門を出て、三宝院と灌頂院跡の間の参道を少し北に進むと東側に長尾天満宮の一の鳥居があり、道の先に参道の石段がまっすぐに延びる。<br /><br />この天満宮は平安中期の903年に醍醐寺を開山した理源大師聖宝の弟子の観賢が菅原道真の墓(衣裳塚)を築いたのが起源で、949年に勧請された。ただし、940年に醍醐天皇の御願により、菅原道真を祀ったのが起源と云う説もある。<br /><br />応仁の乱で下醍醐一帯が五重塔を除き悉く消失し荒廃し、江戸時代後期の1801年になってようやく再建される。しかし、1805年にわずか4年で焼失し、その後、1821年に再度再建された。<br /><br />ご祭神は菅原道真と大巳貴命(おおなむちのみこと)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)。素戔嗚尊は日本書紀の表記で、古事記では須佐之男命などと表記されているヤマタノオロチを退治した神様。大巳貴命は素戔嗚尊の六世(もしくは七世)の孫で、因幡の白兎の話で有名な大国主神の一名。受験合格・厄除けのご利益があると云う。<br /><br />二の鳥居を過ぎると110段あると云う石段が続くが、途中に頼政道跡がある。頼政とは源頼政のことで、平安末期の武将。保元の乱と平治の乱で勝者の側に属し、戦後は平氏政権下で源氏の長老として中央政界にり、平清盛から信頼され、武士としては破格の従三位に昇り公卿に列していた。<br /><br />しかし、平家の専横に不満が高まる中で、後白河天皇の皇子である以仁王(もちひとおう)と結んで挙兵を計画。しかし、計画が事前に露見して1180年に準備不足のまま挙兵することとなり、そのまま平家の追討を受けて宇治平等院の戦いに敗れ自刃した。以仁王の挙兵と呼ばれるこの挙兵は失敗に終わるが、その影響は大きく、以後源氏が各地で蜂起し、平氏が滅亡する治承・寿永の乱に繋がる。<br /><br />頼政道は、頼政が以仁王と共に大津市の園城寺(三井寺)から奈良を目指して逃げた間道で、源平盛衰記に「醍醐路に懸かりて木幡の里を伝いつつ宇治へ」と記されている。具体的に道の跡が残っている訳ではない。この辺りを横切っていただろうと云うことかな。<br /><br />石段を登り切るところには銘が彫られており、天保年間に造られたものと分かる。登り切ると右手に衣裳塚がある。菅(菅原道真)公のお墓。公がこの地に遊覧の折、死後はここに墓地を築くことを、醍醐寺開祖の聖宝と約束したそうで、管公の死後、醍醐寺一世勧賢座主が、大宰府から衣裳や遺物を持ち帰り、埋めたと伝えられている。現在は墓の上には宝篋印塔が祀られ、衣装を埋めたことからであろう衣裳塚と呼ばれる。塚の左手にはあの有名な「東風ふかばにほひをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」歌が刻まれた碑が建つ。<br /><br />その左手には鳥居が建ち、抜けて石段を上がると皇大神宮。 豊受大神と天照大神を祀る。由緒・詳細は不明だが、この鳥居や本殿は近年の作。<br /><br />ここから左手に境内が広がる。杉や檜、イロハモミジを主とした木々に囲まれ、手前に舞殿、奥に本殿が南面し、その周りには摂社(下の写真1、2)、神饌所、神庫が配される。舞殿は近年建てられたもの。<br /><br />透かし彫りの透塀に囲まれた本殿は1821年に再建されたもの。三間社流造・檜皮葺で、柱や長押、虹梁には胡粉下地の上に岩絵の具で彩色を施し、極彩色の文様が描かれ、脇障子には、鯉の滝登りや獅子の子育てを題材とした透かし彫りの幕板がはめ込まれるなど、江戸後期京都における装飾的な社殿建築の特徴をよく示し、醍醐周辺地域の文化を伝える重要な建物となっている。前の狛犬が金網に入れられているが、盗難が多いのを防ぐためらしい。<br /><br />舞殿手前の臥牛像の後ろの廊下には鮮やかな壁画が描かれているが、大阪の画家、橘ナオキさんが2020年に奉納されたもの。「悠久之歌」と云うタイトルで四霊の麒麟、霊亀、鳳凰、応龍が描かれている。「神社を盛り上げたい」という住民らの思いを受け、神社に約2週間住み込んで制作された。橘さんは他にも京都北野天満宮、広島の大成龍神社にも絵画を奉納されておられる。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5984812768255364&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />最後、醍醐寺霊宝館に寄るが、続く

京都 醍醐 長尾天満宮(Nagao-Tenmangusha Shrine, Daigo, Kyoto, JP)

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2020/11/30 - 2020/11/30

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旅行記グループ 小野・醍醐

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年11月30日(月)3時前、醍醐寺下醍醐伽藍に参拝して仁王門を出て、三宝院と灌頂院跡の間の参道を少し北に進むと東側に長尾天満宮の一の鳥居があり、道の先に参道の石段がまっすぐに延びる。

この天満宮は平安中期の903年に醍醐寺を開山した理源大師聖宝の弟子の観賢が菅原道真の墓(衣裳塚)を築いたのが起源で、949年に勧請された。ただし、940年に醍醐天皇の御願により、菅原道真を祀ったのが起源と云う説もある。

応仁の乱で下醍醐一帯が五重塔を除き悉く消失し荒廃し、江戸時代後期の1801年になってようやく再建される。しかし、1805年にわずか4年で焼失し、その後、1821年に再度再建された。

ご祭神は菅原道真と大巳貴命(おおなむちのみこと)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)。素戔嗚尊は日本書紀の表記で、古事記では須佐之男命などと表記されているヤマタノオロチを退治した神様。大巳貴命は素戔嗚尊の六世(もしくは七世)の孫で、因幡の白兎の話で有名な大国主神の一名。受験合格・厄除けのご利益があると云う。

二の鳥居を過ぎると110段あると云う石段が続くが、途中に頼政道跡がある。頼政とは源頼政のことで、平安末期の武将。保元の乱と平治の乱で勝者の側に属し、戦後は平氏政権下で源氏の長老として中央政界にり、平清盛から信頼され、武士としては破格の従三位に昇り公卿に列していた。

しかし、平家の専横に不満が高まる中で、後白河天皇の皇子である以仁王(もちひとおう)と結んで挙兵を計画。しかし、計画が事前に露見して1180年に準備不足のまま挙兵することとなり、そのまま平家の追討を受けて宇治平等院の戦いに敗れ自刃した。以仁王の挙兵と呼ばれるこの挙兵は失敗に終わるが、その影響は大きく、以後源氏が各地で蜂起し、平氏が滅亡する治承・寿永の乱に繋がる。

頼政道は、頼政が以仁王と共に大津市の園城寺(三井寺)から奈良を目指して逃げた間道で、源平盛衰記に「醍醐路に懸かりて木幡の里を伝いつつ宇治へ」と記されている。具体的に道の跡が残っている訳ではない。この辺りを横切っていただろうと云うことかな。

石段を登り切るところには銘が彫られており、天保年間に造られたものと分かる。登り切ると右手に衣裳塚がある。菅(菅原道真)公のお墓。公がこの地に遊覧の折、死後はここに墓地を築くことを、醍醐寺開祖の聖宝と約束したそうで、管公の死後、醍醐寺一世勧賢座主が、大宰府から衣裳や遺物を持ち帰り、埋めたと伝えられている。現在は墓の上には宝篋印塔が祀られ、衣装を埋めたことからであろう衣裳塚と呼ばれる。塚の左手にはあの有名な「東風ふかばにほひをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」歌が刻まれた碑が建つ。

その左手には鳥居が建ち、抜けて石段を上がると皇大神宮。 豊受大神と天照大神を祀る。由緒・詳細は不明だが、この鳥居や本殿は近年の作。

ここから左手に境内が広がる。杉や檜、イロハモミジを主とした木々に囲まれ、手前に舞殿、奥に本殿が南面し、その周りには摂社(下の写真1、2)、神饌所、神庫が配される。舞殿は近年建てられたもの。

透かし彫りの透塀に囲まれた本殿は1821年に再建されたもの。三間社流造・檜皮葺で、柱や長押、虹梁には胡粉下地の上に岩絵の具で彩色を施し、極彩色の文様が描かれ、脇障子には、鯉の滝登りや獅子の子育てを題材とした透かし彫りの幕板がはめ込まれるなど、江戸後期京都における装飾的な社殿建築の特徴をよく示し、醍醐周辺地域の文化を伝える重要な建物となっている。前の狛犬が金網に入れられているが、盗難が多いのを防ぐためらしい。

舞殿手前の臥牛像の後ろの廊下には鮮やかな壁画が描かれているが、大阪の画家、橘ナオキさんが2020年に奉納されたもの。「悠久之歌」と云うタイトルで四霊の麒麟、霊亀、鳳凰、応龍が描かれている。「神社を盛り上げたい」という住民らの思いを受け、神社に約2週間住み込んで制作された。橘さんは他にも京都北野天満宮、広島の大成龍神社にも絵画を奉納されておられる。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5984812768255364&type=1&l=223fe1adec


最後、醍醐寺霊宝館に寄るが、続く

  • 写真1 摂社 春日社、蛭子社、住吉社

    写真1 摂社 春日社、蛭子社、住吉社

  • 写真2 摂社 八幡宮、稲荷社

    写真2 摂社 八幡宮、稲荷社

  • 写真3 壁画 悠久之歌

    写真3 壁画 悠久之歌

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