2020/11/30 - 2020/11/30
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ちふゆさん
2020年11月30日(月)11時前、京都地下鉄東西線の小野駅に降り立つ。地下鉄東西線は宇治市の六地蔵駅から京都市右京区の太秦天神川駅までを結ぶ京都市営地下鉄の路線で、京都市で2番目の市営地下鉄路線として1997年10月に醍醐駅・二条駅間が開業した。その後、2004年に醍醐駅から六地蔵駅が延伸され、さらに2008年に二条駅から太秦天神川駅までが開通した。
太秦天神川駅から先、西京区の洛西方面および長岡京市までの延伸が構想として存在するが、太秦天神川から先の延伸の具体的な進展はないどころか赤字路線で、京都市の財政事情を悪化させている大きな要因の一つになっている。
小野駅は1997年の地下鉄東西線開通時に開業。南が当時の起終点の醍醐駅で、北が椥辻駅。ステーションカラーは紅梅色。1日の平均乗降客数は1万人を切り、東西線17駅の中で2つ南の石田駅に次いで少ない。駅名は地名からで、平安時代の女流歌人小野小町の一族小野氏に由来する。
この辺りは山科区の南端に近い。山科区は京都市を構成する11の行政区の一つで、京都市の東側にある山科盆地の北部と、周辺の山地を区の範囲としている。地下鉄駅で一つ南の醍醐駅からは伏見区となるが、醍醐地区との結びつきは醍醐地区と伏見区中心部の繋がりより深い。
山科区は1976年に東山区から分区された新しい区。同時期に右京区から西京区も分区され、現在の11区となった。総面積は30平方㎞弱で11区中ちょうど真ん中の6番目の広さ。人口は約13万人で半分より上の5番目の多さ。
山科の名は、日本書紀に天智天皇が狩りをした場所として登場している。山からなだらかな斜面となって盆地を形成している地形から付けられたと思われる。ちなみに、日本で山科という地名がつけられているのはここの他では明治のはじめにここの山科郷士が開拓をした千葉市の東山科だけ。
小野駅の1番出口で地上に上がると地下鉄が下を走る外環状線の外環小野の交差点の南、道路の西側に出る。出口から北上し、外環小野の交差点を左折、京都府道35号大津淀線(大津街道)を5分ほど西に歩くと、愛宕常夜燈の石柱などが立つ三差路に突き当たる(下の写真1)。南側が大津街道の続きで、北側は府道118号勧修寺新熊野線(滑石街道)となる。
愛宕常夜燈は石柱は立つが、常夜燈自体はない。かつては、火伏せの神様の愛宕山山頂にある愛宕神社から広まった愛宕信仰によって、夜道を照らすために仁王堂町の燈明講中が街道筋に設置していたようだ。
その隣は文化元年建立の道標で、京道・滑石越(滑石街道)・大仏道を示す。大仏道は當麻寺への道のこと。その隣の低い石柱は大石蔵之助旧跡を示す道標。大石蔵之助旧跡は現在の大石神社で、約2㎞北西にある。天保十四年(1843年)に西陣で糸商売を営んでいた銭屋八郎兵衛が建てたもの。下の部分は埋もれていて文字が途中で切れている。一番左(南側)は京都市建立の道標で、東面に「右 坂上田村麻呂公墓・山科滑石方面」と「左 深草・小栗栖方面」とあり、南面に「右 醍醐 大津方面」とある。
この石柱群の奥の建物は地蔵尊で、南側正面に法華千部会の石標があるが、これも最後の一文字が埋もれている。勧修寺では、かつては宮中の儀式に準じた法華八講が開かれていたそうで、それに関連した石標のようだ。法華八講とは法華経8巻を8座に分け、1日に朝夕2座講じ、4日間で完了する法会。
この地蔵尊の南側が勧修寺の入口(下の写真2)。勧修寺は「かんしゅうじ」「かんじゅじ」などとも読まれるが、寺では「かじゅうじ」を正式の呼称としている。なお、地名の勧修寺の読み方は「かんしゅうじ」。なんでやねん!
真言宗山階派大本山。山号を亀甲山と称し、本尊は千手観音。寺紋は裏八重菊で、皇室と藤原氏にゆかりが深く、山階門跡とも称される。開基は醍醐天皇、開山は承俊律師。平安時代の900年に醍醐天皇が生母藤原胤子(いんし)の菩提を弔うために胤子の祖父の邸宅跡を寺に改め、氷室池も取り込んで創建。胤子の父、藤原高藤の諡号(しごう)を取って勧修寺と号した。
皇室や藤原氏の庇護を受け、代々法親王が入寺する宮門跡寺院として栄えた。中世の勧修寺は現在の京都市山科区勧修寺一帯を領するほか、各地に広大な寺領をもち、真言宗小野流の中心寺院、皇室ゆかりの寺院として最盛期を迎えた。しかし、室町時代の1470年に応仁の乱の兵火で焼失、豊臣秀吉が伏見街道を造るに際して境内地は削減され、氷室池の南側を埋め立てられるなどして次第に衰退した。
江戸時代に入り、徳川氏と皇室の援助で復興。1682年に霊元天皇皇子の済深法親王が入寺し、法親王が東大寺大仏殿再建に功があったとして、寺領が加増された。その後も次の尊孝法親王が伏見宮出身で、叔母が将軍・徳川吉宗の正室であった縁で、紀伊国の約100か寺が勧修寺の末寺となった。
地蔵尊前を西に進み、突き当りから北へ続く築地塀に囲まれた参道(下の写真3)を進むと山門(表紙の写真)に到達する。
山門を抜けて境内に入るが、続く
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