1987/11/14 - 1987/12/15
2位(同エリア97件中)
ほいみさん
11月24日にマナン往復2週間の「挫折トレッキング」を終えてポカラに戻った。
私はポカラが好きなので、そのまま5泊して29日の飛行機でカトマンズに飛んだ。
写真は中学生ガイドの「ラマの家」に訪問中
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩 飛行機
-
※注 この写真は以前に撮ったものです。
この時でポカラは訪問は4回目となったが、既に発展著しく「のんびり滞在が楽しい」ポカラは終わっていた。
ポカラでは「マナンで飲んだ?」北海道人と新婚日本人カップルで、サランコットに登ったり、自転車で周辺を走ったり、ラマに日本食や西洋料理をご馳走したり、楽しい時間を過ごしたのだが、なぜかこの間の写真をそっくり紛失。10年位前にネガをスキャンして、ネガはそのまま捨ててしまった。その時に確認しないで、この辺りのネガ1本分を捨ててしまった様だ。
というわけで、この4-5日間の写真が全くない。
この母娘の写真は1982年にポカラの近郊で撮った、トレッキングに行くときに、いきなり迷って道を聞いたついでにお邪魔した。。
で、この時の旅でこの写真を届けようと、思い出を辿りながら山に入っていったさ。
でね、やっと発見して一緒に記念写真を撮ったんだけど、それらの写真も行方不明になってしまったのは残念。 -
※注 この写真は以前に撮ったものです。
葉っぱのお皿でお菓子を貰ったことも覚えてる。
で、この写真を届けようと思い出を辿りながら山に入っていったさ。
ちなみにこの時1987年に再会したときには、上の写真の真ん中の女の子、子育てしてました。 -
※注 この写真はこの旅の後で撮ったものです・・・ややこしい。
この写真は1995年当時のポカラ空港。まだ舗装されてなかった。
当然この時1987年も1日に数便の小型飛行機が離着陸するだけだった。
ラマを飛行機に乗せてやりたかったが、どうしても遠慮するのでラマはバスでカトマンズに戻った。飛行機代がいくらだったか忘れてしまったが1万円はしなかったはず。しかもネパール人は3分の1くらいの料金で乗れる(外人がボラれてる?)ので、私としては大した負担でもなかったのだが。
この辺りややこしいけど重要。
さて、今になって「あれ?」って思い出したのだが、イラク航空のバンコック往復のチケットを持っていたじゃんね。多分今だったら、バンコック→カトマンズ→バンコックのチケットも買ってあるはずなんだけど、古びた日記で確認すると、この後、インドに飛んでるんだよね・・・・なぜ?
何処でインドのビザ取った?
むか~しカブールとカトマンズでインドのビザを取ったことがあるが、大使館で渡される申請用紙が、細かい質問と記入欄が4枚の用紙に閉じられている・・・という「英語のテスト」みたいなのだ。しかも3-4日待たされるし。
で、旅行会社に行って「インドのベナレスへのチケット買うから、ビザも取って・・」って聞いてみたら、あっさりOK。カトマンズでは、ちょっと用が出来てしまったので、12月5日のチケットを取った。
そのカトマンズで発生してしまった用件について、面倒臭いけど重要。
ポカラ飛行機でカトマンズに戻った。ラマも朝イチのバスに乗ったので夕方には帰っていた。そこで夕飯を食べるついでに、ラマのアパートに行ってみた。想像はしてたけど凄まじい現実がそこにあった。
日も当たらない8畳間くらいの空間にラマの兄弟を含め6人で生活していた。片隅に「キッチンみたいなモノ」があった。
でね、お土産に持って行った「高級ケーキ」を食べながら「トレッキング、面白かったね~」なんて話をしてたら
「おいらの田舎の家に来ないか?」という。
そう誘われてて断ったことが無い・・・が私の旅。
インドビザを待ってる間に行ってくるか!? -
ラマの話では、カトマンズからバスで3時間。
そこから歩いて3時間さ!
なんだ、近いじゃんか…って感じてしまうのがネパール。 -
で、7時前にカトマンズをバスで出発。
ジリ方面に行くバスに2-3時間乗って、そこから歩く・・・3時間ね。
お土産に砂糖とお茶、石鹸などを買う。 -
この先は道路が無いから、みんな何かしら担いでいる・・・何か運べばお金になるからね。
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大きな川に沿って歩く。
たぶん「スン・コシ」って川だと思う。 -
対岸で火葬してた。
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時々河原がやたら広くなる。
大きな木の下に茶屋・・・好きだ~こういうの! -
山道も辛いけど、河原を延々と歩くのは退屈。
表アンナプルナのカリガンダキだと、アンモナイトの化石が落ちてたりするから退屈しないけどね。
ってもう、4時間も歩いてるんだけど??
あと何時間? って聞いても、毎回「エクガンタ」という答え・・・1時間ね。エクガンタと言いだしてから3時間掛かるのがネパール。
日本人の「3倍の速さで歩くネパール人」なら1時間という意味なのかもしれない。 -
最後に急坂を2時間上って、ラマの村に着いた。
こんな感じのところで、もちろん電気も水道も無い。 -
といって、ヒマラヤが近くに見えるってこともない。
この日は17時を過ぎてから「ラマ家」に着いたので、周囲をちょっとだけ散歩して、ダルバート食べて寝た。 -
これがラマ家、ネパールの典型的な農家で土間のワンルーム。
ここでご飯食べて団らんして、夜はみんなで雑魚寝。
上品なトレッカーを招待したら驚いちゃうぞ。 -
村と言っても100mおきくらいに、農家がぽつぽつあるだけで、お店はない。
村人が集まって来る。 -
おいらのジャパニフレンドだぜ…って、ラマは自慢らしい。
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次々にやって来る
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子供も集まって来るし
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遊んでやるのも疲れる。
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長老まで来たぞ。
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こりゃたまらん・・・ってことで、ラマの案内で近くの山に登った。
もうトレッキングはたくさんなのにね!
で、この辺りじゃ有名な寺院なんだぜ! って言われてもねぇ。 -
2時間くらい掛けて裏山に登ったさ・・・もう歩きたくないのに。
ラマはこれをサービスだと思ってる。 -
村に戻ると、仕事の様子を見せてくれた。
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感心したふりして写真を撮るわけだが・・・
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私もこんな仕事してるのよ~・・写真撮って。
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いや~・・芸能人って大変なんだろうなって思ったさ。
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これがラマの家。
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家畜と隣どうし。
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その周辺
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記念写真
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ラマのお母さんと弟妹・・・かな?
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2泊して「歩いて」カトマンズに戻る。
無事にインドビザも取れていた。
12月4日にはカトマンズに戻り、翌日の飛行機でインドのベナレスに向かった。 -
ラマのお宅拝見は、たぶんこんな感じ
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ベナレスへのフライトは天気が良くてヒマラヤが見えた。
ところで今では信じられないことだが、当時のインドは外国製品排斥運動?みたいなのがあって、欧米や日本のモノが高く売れたんだよ。
でもそれらをインドに持ち込むのは面倒臭く、税関で見つかると関税掛けられるか、パスポートに持ち込んだモノを書かれてしまう…つまり売ったりしないで持ち帰れ。
でもね、自分用ということで酒1本とタバコ1カートンは持ち込める。で、カトマンズの免税店で「ジョニ赤の大」と「マルボロ」を買って、インドで売ると飛行機代が出ちゃうことは、バックパッカーならみんな知ってたさ。
だから金が無くて賢いバックパッカーは陸路は使わないのさ・・・過去の話。 -
免税のバッグを下げてバラナシの空港を出ると、キタ~‥って感じでリキシャが集まって来る。
何処へ行くんだ? じゃなくて、酒とたばこ、いくらで売る?とワラワラ集まって来る。こういう場合、その場で商談しないで、とりあえず「どれでもいいから」リキシャに飛び乗れ! 話はそこからだ・・・囲まれちゃうからね。
で、私が飛び乗ったリキシャマンは「人相が悪かった」
「酒売るのか~‥幾らだ~・・」とうるさい、おい前見てこげよ!
安ホテルに宿泊。
ホテルのオヤジに「これ、欲しい?」
飛行機代は十分に浮いた。
たぶんこのオヤジも、酒好き金持ちに2倍くらいで売ったはずだwinwinってやつかな。今のインドは何でも売ってるんで、こんなことは無理だからね~ -
インドだ~・・
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銀行で両替したら、珍しく新札の束!
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ベナレスといばガンガ
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夜明けツアーのボートに乗る
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しかし、インドもこの時期は意外と寒くって、朝の内は誰も沐浴しない。
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もっともらしいサドゥー達も・・・
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水には近寄らずにゴマかしてる
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寒いよね~
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ご存知?「久美子の家」
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人力乾燥機。
シーツやサリーをひたすら乾かしてる。
2013年にも確認したから、今でもやってるんだろうな~ -
ここでもロバは重労働
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牛や水牛のウンチは乾かして燃料
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児童労働
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髭剃り屋さん
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これがインド名物「耳かき屋」さん・・・あれ、日本にもあったっけ?
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バラナシって乞食?物貰い?ホームレス?(言葉狩りに注意)が多いんで、施し用の小銭がたくさん必要・・・ってことで両替屋さん。日本風に例えれば、1000円札を10円硬貨98枚と交換してくれる。
手数料が2%っていうのは良心的なの?
小銭を集めた乞食?物貰い?が、10円玉102枚で「かさばらない」1000円札に交換してたりしてね。 -
聖なるガンジス川の水をお持ち帰りするための、小瓶やポリタンはいたるところで売ってる。
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な~む・・・とか?
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ここでも。
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インド名物マサラドサ、これが美味いんだ!
ひき肉を入れてくれれば、もっと美味いのになぁ! -
バラナシに2泊。
鉄道でカルカッタに向かった。
この路線は2回目。
前回は予約なしで2等車に乗って、厳しい10数時間だったので、社会人だった今回は1等車に乗ってみた。駅弁買って快適な鉄道旅。 -
確か暗くなってから、カルカッタに着いた。
ハウラー駅だ。 -
サダルストリートの安宿街に行ったが、今更カルカッタの安宿もどうかと思い、近くの1000円くらいのホテルに泊まった。
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インドと言えば映画
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治安を物語る…って程、悪くはないけどね。
インドってさ、治安はそんなに悪くないんだけど、旅行関係者のインチキは目立つよね。 -
当時はまだ路上生活者は珍しくなかった。
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最後にカルカッタに行ったのは2013年だったと思うが、その頃には路上生活者は絶滅危惧種になっていた。もしかしたら日本の方が生息率は高い・・・?
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人力車に乗って、ハウラー駅に向かう。
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こんな列車に乗ってベンガル湾を見に行った…ガンジス川の河口。
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ハイキングに来ていたインド人家族に、お昼を頂いた。
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海に近いガンジス川・・・カルカッタだったかなぁ
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カブトガニ??
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お土産用に銅のツボに入ったガンジスの水。
もう34年経ったけど、振るとチャポチャポいうで・・・誰か飲んでみる。
写真も34年経ったわけ。
この時は普通のネガフィルムを使ったんだけど、この頃の写真が一番傷んでる。1時間で同時プリントなんていうのが盛んだったから、乾燥がいい加減だったのかなぁ。ネガは見事にカビだらけ。
心当たりの方は、早めにチェックした方がいいかもね。 -
持っていた日記帳。
1987マナンが今回。
2000アンナプルナサーキット・・・って、どうよ!
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この旅行記へのコメント (4)
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- あまいみかんさん 2021/06/12 10:03:53
- 本日は晴天なり。
- ほいみさん、おはようございます!
6月12日、お誕生日おめでとうございます!!
素敵な旅がいっぱい詰まった人生に乾杯!
(って外野からwithチーママ散歩さん)
いつも楽しそうな笑顔が詰まったお写真ですが、特にこのネパールの回、
日常の現地の人達の暮らしが詰まった旅行記が大好きです。
ちっとも古さを感じさせない活き活き写真。
ひょっとしたら、今もそう変わってない光景でしょうか。
少年ガイド君、貧しいと言える生活なのに、本当に純な心の持ち主ですね。
折角、一生乗る事はできそうにもない「飛行機」に乗せてあげよう~っと
お優しいほいみさんが提案したのに、堅く固辞。
すれてない人達ですね。
ほいみさん、高山病で登山が続けられなくなったそうですが、
いっぱい稀有な体験をなさって・・・・今日に至っているのですね。
娘さんとのモンゴル乗馬旅も、この体験が父娘の心の結びつきをより
堅いものにしたんだな~っと思いました。いい娘さんだあ。
山より、お孫さんの可愛さに負けてしまったほいみさんも人の子ね。
けど、また再チャレンジをきちんとするところがスゴイ。
これからも、ますます楽しい人生の旅をお続け下さいね。
あまいみかん
- ほいみさん からの返信 2021/06/12 13:36:01
- RE: 本日は晴天なり。
- あれ〜・・なぜ誕生日情報が? どこかに書いたっけかなぁ?
その割に、現物はまだ何も届かないけど。
ネパールに最後に行ったのは2019年3月でしたが、カトマンズもポカラも凄まじい「雑踏大都会」になってしまっています。ヒマラヤも山奥まで道路が通じると共に物資も豊富になりました。ただ要らないもの?まで都会から流入してしまって、素朴さは失われつつあります。でも仏教国なので居心地は良いですよ。
次女は面白いヤツで、難しい年ごろと言われる中高生の頃も、私と二人でよく出掛けていました。北海道の大学に行ってしまい寂しくなったのですが、1歳のシフォンを置いて行ってくれた?ので、私の人生が変わってしまいました。そのシフォンが13歳で死んでしまった年に、その次女が孫を生んだのですから、人生は不思議です。
7月には「ホヤを食べに」また行く予定です。今度こそは山も登るつもりです!
あまいみかんさんも好きな場所が「クシャダシ」って怪し過ぎます。素敵な思い出がるんでしょうね。どこかに書いたかもしれませんが私は「クシャダシ」で痛い思いをしました。
ほいみ
-
- gontaraさん 2021/05/13 19:43:45
- 事の顛末は
- 良く分んないけど、楽しかったことは伝わってきます。
ポカラの未舗装の空港にドルニエが見える、古い機体なんだと改めて実感。(GONTARAがわざわざ調布飛行場まで乗りに行った機体)
外交製品排斥運動のお陰でバックパッカーが旅費稼ぎできたって、面白い話ですね。
ほいみ青年も、これに味を占めた?
流石に久美子ハウスに泊まる勇気は無いけど、立地は最高!
毎日沐浴できるし。
未だ、存命なのかなぁ
GONTARAは新規の感染症などのパンデミックが起こったら、日本人は死に絶え、インドやアフリカの人間だけが生き残るんじゃないかと、思ってましたが、結果は違ってましたね。
- ほいみさん からの返信 2021/05/13 20:34:15
- RE: 事の顛末は
- よく分かんないでしょ。
自分でもなせインドへ向かったのかが疑問です。カトマンズ→バンコックのチケットはどうした?
いつだったかなぁ、ポカラの飛行場に4発のジェット機が降りてくるところに遭遇しました。かなりちっちゃっかった。
しかも当時のインドは「基本禁酒?」で、週に何本か飲める「アルコールパーミッション」なんてものがあったりして。外国人はインド製だけど週に2本買えるから、インド人に売る・・・とか。元祖テンバイヤーだね。
感染症パンデミック、私は「いいもの食って、ストレス溜めない」ヤツが生き残ると信じてます。あ、アルコール消毒も重要!!
ほいみ
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