2020/12/05 - 2020/12/06
130位(同エリア4009件中)
ローマ人さん
龍安寺の後に訪れたのは二条城です。
京都には何度も訪れているのですが、機会に恵まれず二条城を訪れるのは今回が初めてです。
本丸御殿は保存修理工事中のために観覧することはできませんでしたが、国宝「二の丸御殿」や庭園などじっくり見て回ることが出来ました。
折角の機会なので、GoToトラベルキャンペーンを利用して2017年以来3年振りに京都を訪れました。
本当は、紅葉の時期に合わせて11月最終の週末に訪れたかったのですが、3人目の孫の1歳の誕生会と重なってしまい、時期遅れの12月になってしまいました。
今回の旅では、これまで訪れたことがない二条城と京料理を味わうことをメインに、ネットで調べたら紅葉がまだ「見頃」だという龍安寺、前回に夜景がきれいだった東寺、毎回お決まりの東福寺、南禅寺などを巡ることにしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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龍安寺へお参りした後は、二条城へ向かいます。
京都市営バスで、「龍安寺前」バス停から「わら天神前」バス停まで乗車、ここで乗り換えて「二条城前」バス停で下車。
約30分かかりました。
バス停は二条城の前にありますが、道路を挟んでいるので二条城までいくには横断歩道まで大きく迂回することになります。 -
「入城券」売場です。
入城料は、二の丸御殿観覧券込で以下の通りです。
大人…1,030円
中学・高校性…350円
小学生…200円 -
入城口に向かう通路には消毒液が設置されていて、新型コロナ感染症予防対策は万全です。
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世界遺産「二条城」です。
慶長8(1603)年に江戸幕府初代将軍徳川家康が築いた城で、寛永3(1626)年、3代将軍徳川家光の時代に後水尾(ごみずのお)天皇天皇を迎えるために大規模な拡張をしました。
慶応3(1867)年には15代将軍徳川慶喜が「二の丸御殿」のお広間で政権を天皇に返上する「大政奉還」の意思を表明した場所として有名です。
明治17(1884)年からは離宮(皇室の別邸)として利用され、昭和14(1939)年からは京都市の管理下にあります。
平成6(1994)年にユネスコにより「古都京都の文化財」の1つとして、世界文化遺産として登録されています。元離宮二条城 名所・史跡
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二条城の正門「東大手門」です。
重要文化財に指定されています。
築城時からこの場所にある門ですが、寛永3(1626)年、天皇をお迎えするに際して「天皇を上から見下ろさない」目的で単層の高麗門に建替えられ、その後、寛文2(1662)年の改修で石垣の上の櫓部分が増築されて現在の姿になったのだそうです。
この門は1階が門で2階が櫓になっている櫓門(やぐらもん)で、正面の出格子窓には、門に近づいた敵を真上から攻撃するための「石落し」を備え、攻撃と攻撃の要の役割を持っています。元離宮二条城 名所・史跡
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城門にしては煌びやかな金箔をはった飾金物は、天皇を迎えるための装飾らしいです。
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出格子窓です。
ここに「石落し」を備えているとは、思いもよりません。 -
門の向かって右側の濠です。
一直線に伸びる石垣と濠が美しいです。 -
門の天井部分。
扉は筋金の鉄扉です。 -
柱下部の「飾金物」です。
繊細な細工が美しいです。 -
城内側から見る「東大手門」です。
石垣が大きく出っ張っているので、外から見るよりも大きく見えます。 -
「東大手門」の屋根です。
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立派な鬼瓦です。
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鯱まであります。
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「東大手門」を潜って直ぐ右側にある建物が「番所」です。
寛文3(1663)年に建てられたものだそうです。
平時の二条城、幕府から派遣された「二条在番」と呼ばれる武士たちが宿直・警備しており、その詰所として使われていました。
番所が現存するのは、江戸城、丸亀城等わずかしかなく、貴重な建物だとか。 -
城内マップです。
右側が「北」で、「東大手門」は左下です。
「本丸御殿」は保存修理工事中のため観覧できません。 -
「東南隅櫓」です。
二条城の外堀の四隅には、見張り台としての隅櫓(すみやぐら)が築かれ、普段は武器庫として使われていました。
現在も残っているのは、この隅櫓と「西南隅櫓」の2つだけだそうです。 -
「二の丸御殿」を囲む築地塀(ついじべい)です。
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これが、重要文化財の「唐門」です。
寛永3(1626)年、後水尾天皇の行幸に合わせて造られました。 -
「唐門」は「二の丸御殿」の正門にあたるもので、切妻造、桧皮葺の四脚門でその屋根の前後に唐破風が付けられています。
門には長寿を意味する「松竹梅に鶴」や、聖域を守護する「唐獅子」など、豪華絢爛な極彩色の彫刻と華麗な金工細工が施されています。
平成25(2013)年の修復工事によって、往時の姿によみがえったのだそうです。元離宮二条城 名所・史跡
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鬼瓦は菊御紋です。
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ここにも菊御紋があります。
明治になって離宮として利用された時に、葵御紋から付け替えたのでしょうね。 -
門の正面を飾っている欄間がみごとです。
上段に蝶、下段には鶴の彫刻があります。
下段の鶴と鶴の間にある蟇股(かえるまた)には亀があります。 -
下段左側の松竹梅に鶴。
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下段右側の松と梅に鶴。
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少し角度を変えて・・・。
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ズームアップ。
繊細な細工文様が美しいです。 -
門内部の天井周囲の欄間は、左側が雲龍で右側が竹虎です。
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竹虎のズームアップ。
金工細工は、菊御紋と鳳凰が打ち出されています。 -
右側の欄間は植物(種類不明)。
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唐獅子と牡丹の彫刻。
唐獅子の青が鮮やかです。 -
門内部の天井部分の金工細工です。
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ズームアップ。
ここにも菊御紋です。 -
扉は両開きの唐戸です。
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内側(二の丸御殿側)から見た門です。
こちら側にも外側と同じく極彩色の彫刻と金工細工が施されています。 -
左側の欄間です。
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上段には牡丹に蝶。
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下段には瑞鳥。
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右側の欄間です。
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上段には牡丹に蝶。
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下段には瑞鳥。
両面とも装飾がとてもきれいでした。 -
「唐門」を潜ると目の前にあるのが国宝「二の丸御殿」です。
右前方が御殿の玄関にあたる「車寄」で、その後ろにあるのが「遠侍(とおさぶらい)」という建物です。 -
ここが「車寄」で、間口が広いのは、かつてはこの場所に「牛車」がとまったからで、そのサイズに合わせたからだそうです。
現在は観覧の出入口になっています。
「二の丸御殿」は、二条城築城の際に徳川家康が上洛する際の居館として築造され、その後、後水尾天皇行幸に備えて改造が行われて現在の姿になりました。
御殿は、東南から北西にかけて、「車寄」から続く「遠侍」、「式台」、「大広間」、「蘇鉄の間」、「黒書院」、「白書院」の6棟が雁行形に立ち並ぶ、江戸初期に完成した住宅様式である「書院造り」の代表例として日本建築史上重要な遺構であり、国内の城郭残るに唯一の御殿群として、昭和27(1952)年に国宝に指定されました。
内部には、日本絵画史上最大の画派の狩野派による障壁画を含む約3,600面の障壁画と、多彩な欄間彫刻や飾金具による装飾が残されています。元離宮二条城 名所・史跡
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「車寄」にも菊御紋が入った立派な鬼瓦があります。
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「車寄」の屋根も「唐門」と同じく唐破風で、装飾も素晴らしいです。
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「車寄」の装飾。
蟇股に彫られている獅子です。 -
「車寄」の装飾。
欄間に5羽の鸞鳥(らんちょう)が彫られています。 -
ズームアップ。
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ズームアップ。
色は少し褪せていますが、繊細で見事な彫刻です。 -
「二の丸御殿」の内部は、文化財保護のために撮影禁止なので写真はありません。
なので、パンフレットをご覧ください。
いずれの障壁画も素晴らしかったのですが、とりわけ「大広間」四の間の「松鷹図」は、大きな構図の松の木と共に勇壮な鷹が力強く描かれていて感動しました。 -
「二の丸御殿」の一角に「釣鐘」があります。
かつて二条城の北側に隣接して置かれていた、朝廷、公卿、諸大名を監視するために江戸幕府が設置した行政機関「京都所司代(きょうとしょしだい)」の屋敷にあり、火事等の緊急事態の発生を周辺に知らせるために使われていたそうです。 -
ここは「二の丸庭園」の入口です。
「二の丸庭園」は、名勝の中でも特に価値の高いものとされる「特別名勝」に指定されています。
築城時に造られ、寛永3(1626)年に作事奉行「小堀遠州」のもとで改修された庭園です。
当時の城郭には、居住のための御殿と共に豪華な庭園が造られましたが、二条城の他については、いずれも庭園は残っているものの御殿を火災等で失ってしまっており、二条城は御殿と庭園を一体的に鑑賞することが出来る我が国で唯一の事例だそうです。 -
入口を入ると、広々として開放的な庭園が続いています。
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「二条城二之丸庭園」の碑があります。
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「二の丸庭園」から見る「大広間」の建物です。
この「大広間」は、将軍と大名や公家との公式な対面所で、一の間(上段の間)と二の間(下段の間)で構成されています。
慶応3(1867)年10月、15代将軍徳川慶喜がこの「大広間」に在京諸藩の重臣を集めて大政奉還の意思を表明しました。 -
この庭園は、「二の丸御殿」の「大広間」、「黒書院」そしてかつて後水尾天皇のために建てられていた「御幸御殿」の三方向から眺められるように設計されていているので、「三方正面の庭」とも呼ばれているそうです。
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この庭園形式は、池の中央に蓬莱島、左右に鶴亀の島を配した、武家の住居と一体になった「書院造庭園」だそうです。
元離宮二条城 名所・史跡
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ズームアップ。
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「二の丸庭園」です。
右側の建物は「黒書院」です。 -
「二の丸庭園」です。
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この建物は「黒書院」です。
「黒書院」は、「大広間」に次ぐ公式の場で、将軍と徳川家に近しい大名や高位の公家がここで対面していたそうです。 -
ズームアップ。
菊御紋の装飾が目立ちますが、鬼瓦の家紋は徳川家の「三つ葉葵」のようです。 -
こちらは、「二の丸御殿」の一番奥にある「白書院」です。
将軍の居間と寝室であったと考えられているそうです。
これで「本丸庭園」は終了です。
次は、「本丸庭園」に向かいます。 -
内堀に架かる「東橋」を渡ります。
橋の向こうは、寛永期から残る本丸で唯一の遺構で重要文化財の「本丸櫓門」です。 -
橋の上からの北方向の眺め。
内堀は、外堀よりも幅が広く立派です。 -
南方向の眺め。
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「本丸櫓門」の扉は銅板で覆われています。
元離宮二条城 名所・史跡
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「本丸櫓門」を潜ると、高くて堅固な石垣の向こうに保存修理工事中で覆いが掛けられた「本丸御殿」が見えました。
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本丸内からの「本丸櫓門」の眺め。
四角形の空間を囲んで箱形に石垣が組まれていて、内桝形の城郭の防御施設「虎口」になっているのが分かります。 -
こちらが「本丸庭園」で、右側が覆いが掛けられた「本丸御殿」です。
「本丸御殿」は、離宮時代の明治26(1893)年頃に京都御所にあった旧桂宮邸を移築したもので、徳川家の二条城とは縁が無い建物だそうです。 -
「本丸庭園」です。
この庭園は、明治天皇の指示により枯山水庭園から芝生を主体とした平庭へと大改造されたものだそうで、東南隅には築山があります。 -
「本丸庭園」です。
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「本丸庭園」を抜けると、本丸の南西隅に「天守閣跡」があります。
寛永3(1626)年に伏見城から移築された天守閣は、屋根が5重で内部は地上5階、地下1階の規模がありましたが、寛延3(1750)年に落雷により焼失し、その後再建されませんでした。
現存する天守台の大きさは、石垣の高さが約18mで、広さが約427㎡だそうです。 -
天守台から眺める南側の内堀。
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結構な広さがあります。
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天守台から眺める西側の内堀。
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天守台の南西隅からの眺め。
遠くに京都市街が見えます。 -
天守台の北東隅からの眺め。
覆いが掛けられた「本丸御殿」が見えます。 -
天守台から下りて、本丸西側にある「西橋」から本丸を出ます。
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「西橋」の内側にも堅固な石垣が設けられています。
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内堀に架かる「西橋」です。
「西橋」の本丸の袂は内堀に出っ張っている外桝形の「虎口」になっていて、反対側にある「東橋」の内桝形虎口とは対照的です。 -
「西橋」からの内堀の眺め。
石垣の右端の一段高くなっている場所が「天守閣跡」です。 -
内堀に沿って時計回りに順路を進みます。
紅葉の葉が絨毯のようになっていてきれいです。 -
ズームアップ。
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これは「土蔵(米蔵)」です。
寛永3(1626)年頃に造られた建物で、長さが17間(約31m)があります。
これは北側の土蔵で、「西橋」を挟んで南側の土蔵と対になっています。 -
土蔵の中央部にある扉です。
重厚感があり、しっかりした造りであるのが分かります。 -
ここは外堀に向いた「西門」です。
寛永3(1626)年頃に建設され、江戸時代は通用門として使われました。
天明8(1788)年の大火で周辺の櫓門等が焼失し、明治以降には外堀に架かる木橋も失われてしまったそうです。
これより先は立ち入り禁止になっていて、近づくことはできません。 -
「西橋」と本丸外桝形虎口の眺めです。
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左側に目を移すと、本丸の北西隅です。
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北側の松並木です。
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これは、重要文化財の「北中仕切門(きたなかしきりもん)」です。
寛永3(1626)年頃に建設された、内堀の北側にあって本丸への進路を塞ぐ防御上重要な門で、南側にある「南中仕切門」と対になっています。
この門は、門の上に立つ土塀と石垣に囲まれていることからいることから「埋門(うずみもん)」と呼ばれているそうです。 -
「北中仕切門」を潜った先には、「清流園」があります。
「清流園」は、京都の豪商「角倉家」の屋敷跡から建築部材、庭石、樹木を譲り受け、昭和40(1965)年に作庭された和洋折衷庭園だそうです。 -
通路の傍らに「加茂七石庭」があります。
鴨川の上流で採れた銘石「加茂七石」【鞍馬石、八瀬真黒石、畑石、糸掛石、紅加茂石、紫貴船石、畚下(ふぐろいし))】を一度に鑑賞できる石庭だそうです。
後ろに見える建物は、茶室の「和楽庵」です。 -
北側の内堀です。
左側奥に見えるのは「鳴子門」です。 -
「清流園」です。
池泉には中島があり、両側から石橋が架けられています。 -
池泉の奥に見えるのが「香雲亭」です。
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「清流園」と「二の丸御殿」の間にある紅葉です。
きれいです。 -
ここでも紅葉が楽しめて良かったです。
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これは「北大手門」です。
重要文化財に指定されています。
正門の「東大手門」に対する控えの門で、規模は、「東大手門」よりも3間(約6m)短く、門構えも一回り小さいが、奥行きや高さは同じで、正面の出格子窓に「石落とし」を備えるのも同じだそうです。
装飾は少し違っているものの、外観や構えには遜色ありません。
かつて門の外の道を挟んで反対側にあった、「京都所司代」との連絡にも使われたそうです。 -
「二条城障壁画 展示収蔵館」です。
障壁画の原画を展示していて、「二の丸御殿」の障壁画を間近で見ることが出来ます。
入館料は100円です。二条城 展示 収蔵館 名所・史跡
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「二の丸御殿」東側の築地塀に沿って順路を進みます。
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「東大手門」の番所の横が順路の出口でした。
二条城の観覧を終えて「東大手門」から城外に出ます。 -
城外から見る「東南隅櫓」です。
美しい姿をしています。
次は「東寺」に向かいます。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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