
2021/03/04 - 2021/03/07
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kummingさん
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2日目
平城宮跡歴史公園
ジョットさまの生絵が見たい!
アドリア海をフェリーで渡ってイタリアへ
イスラム文明、建築、美術に触れたい
ロジャ~♪
など、
いつもは一点見たい、行きたいが動機になって、あとは肉付けで始まる1人旅
今回の↑ソレはココ
第一次緊急事態宣言当時、毎日のようにお散歩三昧だったわたくしは、
一体何処へやら…~の昨今
まさかこんなに脚力落ちているとは(TT)
予定とは反対の入り口に到着?
って事は、
「朱雀大路をチャリで風切り走り抜け~♪」(←この旅のメインテーマ)
出来ない!?!
きっかけとなった、しにあの旅人さまのブログはこちら↓
https://4travel.jp/travelogue/11666023
レンタルチャリは朱雀門側のいざない館
私たちがバスを降りたのは…。
前夜google ったバス、間違えてた
で始まる今日一日(ーー;)
そしてその日の内に、もう一度、入り口間違えちゃった事件…。
しかも不法侵入(無賃入場、知らぬ間に犯した罪でございますm(_ _)m
その上更に、ブログ作り中に見つけた、大いなる誤ち…。
巣ごもり中に落ちたのは脚力だけに非ず、の巻
めちゃ写真多いので、早送りで、どうぞ~m(_ _)m
2021年末、事実と異なる記述、更新しました(間違い探ししてみましょ?)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
朝からもりもりなのはだあれ?
入口でアルコール消毒、お盆など受け取って、席につき、お料理を選ぶ、方式。
小鉢に取り分けられ、ラッピングされています。
汁物、お粥など一部は係の方によそってもらう。
朝食一番のおススメは海鮮丼らし
しかも、ネギトロ多め、サーモン少なめ、スタバ並み個別オーダーもO.K.
息子くんは、ほぼいくら丼、の特注♪ -
↑コレはなあに?
↓このような用途でお使い下さい -
エネルギーチャージして、早々にお出かけ♪
乗ったのはこのバス停からじゃない、
この辺からって事で
しゅっぱあ~つ -
着いた~♪
な~んも ない?
案内役としては、ちょい不安よぎるも
平穏を装いつつ -
そもそもなぜ奈良へ来たのか?
コロナ禍前後して、大好きなトラベラーさんたちがこぞってお出かけになる、奈良♪
3時、平城宮跡朱雀大路をチャリで走れる?という事で、やって参りました^o^
https://4travel.jp/travelogue/11666023(←参考にされたし♪) -
予定と反対側→って事は、逆の順番で廻ればいいだけじゃん♪
とは、つかの間の安心
平城宮は1300年前の首都、平城京の中枢で、現在でいえば皇居や国会議事堂、霞ヶ関の官庁街を集めたような所です。
今日まで約60年に渡り、奈良文化財研究所による継続調査が行われていますが、未だベールに包まれた部分が多いそうです。
特別史跡 平城宮跡
710年に飛鳥に近い藤原京から、奈良盆地北部のこの地に都が移された。大路小路が碁盤目状に通る平城京の人口は、10万とも20万ともいわれ、平城京の中央北端に位置する平城宮はあ、南北約1km、東西約1.3kmの大きさで、天皇の住まいである内裏、政治や儀式を執り行う宮殿、さまざまな役所、宴会の場となる庭園などが設けられていた。
しかし、都は784年に長岡京へ、さらにその10年後には平安京へと移り、平安京も宮もしだいに土の中に埋れていった。
現在、平城宮跡は国の特別史跡として大切に保存され、奈良文化研究所が発掘調査を続けている。
これまでの調査の結果、平城宮は四角形ではなく、東側に張り出し部をともなっていた事、政治の中心施設である大極殿と朝堂院の区画が東西2ヶ所あって事などが明らかになっている。
こうした成果にもとづき、遺跡の復元・表示を行っている。 -
はて、この果てしなく広大な土地、どうせめたものか?
最近4足歩行ロボットを導入したとか?
当面は草むらとか、人の踏み込めない区画で限定活用してるらしい。
途中から、たくさんの順路表示が出てきます。
なるほど、順路ってのはその様に廻りましょ~、という最適解なわけよ! -
それらしき建物、発見♪
-
宮内省遺構
-
内裏東側のこの一画で見つかった建物群は、天皇家のための仕事をする宮内省関係の役所と見られている。築地塀で囲まれた東西約50m、南北約90mの区画の中には、瓦葺きの正殿を中心に檜皮葺き(ひわだぶき)の脇殿や倉庫など6棟の建物があった。
ここでは、発掘調査の成果をもとに、現在残っている奈良時代の建物の姿かたちを参考に、門、築地塀、建物を復元している。復元にあたっては、出来るだけ当時の工法を用いた。 -
宮内省遺構
-
内裏東方のこの一画で発掘された建物群は天皇家の財政と生活を支える仕事を担当した宮内省の遺構と推定されています。宮内省に限らず平城宮の役所では、土間に机と椅子を置いて仕事をしていたようです。復元建物の中に置かれた机は、正倉院宝物の「多足几」(たそくき)を参考に製作しました。
-
役人の道具
紙が貴重であったために奈良時代には、日常の業務には木簡(文字を書く薄い板)を大量に使用しました。木簡は表面を削り直せば何度でも使えます。そこで木簡を削るための小刀が、筆と合わせて役人の必需品になりました。
このために役人は「刀筆の吏」とも呼ばれます。 -
では、次へ参ろうか~
-
唐突ですが
きゃ~
「発掘調査で大きな石組みの排水施設などが見つかり、当時の国政の最高機関である太政官の可能性がある中枢施設」
ですって
と、知ったのはもちろん、後で… -
遺構展示館内
いつのまにか入っていた?
後ほど分かりますが、順路は逆です(←毎度お馴染みの)
わ~い
遺跡好き、ってほどじゃないのに、海外封じの効果は絶大!? -
なんとな~く、遺構展示館に入っちゃってる?
頭の片隅で芽生えた??も
展示に目が釘付け -
以下、デイスプレイ上の映像を写したもの
お見苦しい点をお詫びm(_ _)m
ささっと、早送り→流して下さ~い -
屋内ではこの遺構の跡を露出した状態で展示しています。
-
この場所に建っていた建物は、地面に残る遺構からこのような姿だったと考えられます。
-
この場所に建っていた建物は地面に残る遺構からこのような姿だったと考えられます。
-
発掘調査で見つかった奈良時代の地面は、再び土で埋め戻されます。
-
-
左)
発掘された遺構跡を建屋の中でそのまま展示しています。
右)
発掘調査で見つかった遺構を間取りして製作した実物大模型を現地に展示しています。 -
写真左)
発掘調査の結果から推定できる建物の大きさや柱の位置などを
様々な材料を用いて模式的に表示しています。
右)
発掘調査で見つかった建物の下部の基壇を復元しています。 -
写真右)
発掘調査の結果などから推定できる建物などの全体の形を、可能な限り忠実に復元しています。 -
平城宮跡から出土した木簡
奈良時代は紙が貴重だったので、木札に文字を書いた木簡が多く使用されました。ここでは遺構から出土した木簡を展示しています。平城宮では多くの役人が働いており、全国から運ばれた食材や、役所での行事役人の日常がこれらの木簡からわかります
しにあさんはコレを読み、解釈される強者でございます(°_°)
現在約4割程度の発掘調査が行われた中、少なくとも80%は掘らないと全貌は分からないとも。そこで発掘の進捗とともに期待されるのが、木簡による解明らしい。
これまでに、役人の勤務状況や食べ物について知る木簡が多く出土しており、排水路跡で千数百点を超える木簡が見つかり、解読が進められています。 -
塼(せん)
磚(せん)
完成した建物基壇の上面は、土が露出したままのものもあるが、石製の磚や土製の塼を敷き詰めて、基壇上面を風雨から防ぐ事もあった。
風雨に晒される場所、つまり建物の外側に塼や磚が使われた。
塼
箱状の型枠に粘土を詰めて成形したもよう。
磚
建物基壇の上面、もしくは建物内部の床面に敷かれていたと考えられる。
↑
写真読めない(ーー;)
のでよそからの引用、
してたら、おまけで見つけた情報↓
平城京の中心、大極殿の前面には、高さ約2m幅100mに及ぶ煉瓦の積まれた巨大な壁が築かれていた。この煉瓦を「磚」と呼び、積まれた壁は「磚積擁壁(せんずみようへき)」、使用された磚の数約12000個という膨大な量。
発掘調査で見つかったのは、元々使用された12000個の内、約2400個だった事から、残りの9600個の行方や何処に?
その答えとして、天平12年に聖武天皇が遷都した恭仁京でリサイクル利用された?説があるらしいです。
おまけ♪
引っ越し魔だった聖武天皇に興味ある方へお勧めのブログ↓
https://4travel.jp/travelogue/11726824
https://4travel.jp/travelogue/11727656
https://4travel.jp/travelogue/11729327 -
お酒を造る役所(造酒司、ミキノツカサ)
奈良時代、この建物の東側には造酒司と呼ばれる酒造りの役所があり、宮中で使われる酒や酢、甘酒などを造っていました。現地では、発見された大きな井戸の遺構の発掘状況を実物大規模で展示しています。
左下写真 井筒
平成27年には『地下の正倉院展』造酒司木簡の世界 開催されたらしい
現地って、何処?
隠れスポット、宮跡庭園の近く、遺構展示館の南側、駐車場位置にひっそりと設けられています。 その辺トイレ求めて彷徨ったのに、行けてない(ーー;) -
排水用の木樋(もくひ)
造酒司(ミキノツカサ)
造酒司では水を用いた作業が多く行われていました。その水を得るために井戸が掘られ、使った水を流す排水溝も整備されていました。木樋は建物の下を通す排水溝などとして用いられました。 -
井戸の枠
-
発掘調査で「塼積官衙(せんづみかんが)」から出土した2つの井戸枠です。円形と方形という異なる形式の井戸枠が用いられていました。円形の井戸枠を持つ井戸では井戸屋形の柱穴がはっきりと確認されました。
-
この場所は平城宮の中枢施設である大極殿や天皇の住まいである内裏のそばに当たります。ここでは建物などに「塼」と呼ばれる奈良時代のレンガが多数用いられていました。他の役所にはあまり用いられない事から、特別な役所であったと推定されます。
ここに太政官という国家の最高機関が存在したのではないかという説もあります。
この区間は建物の特徴から「塼積官衙(せんづみかんが)」と呼んでいます。 -
この黄色で囲ってある部分が↓
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ミニチュア展示
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遺構露出展示
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-
-
ここに露出展示しているのは、昭和39年(1964)に発掘調査された掘立柱の柱穴です。柱穴が重なり合っており、建物が何回も建て替えられた事がわかります。柱穴の重なり方から、柱穴の掘られた順番がわかります。また、柱穴から出土した土器や瓦から建物の年代を推測することができます。これらの成果を総合して役所建物の配置や変遷を明らかにします。
730年(天平の初め)頃から770年(宝亀の初め)頃にかけて4~5時期の変遷があることがわかります。 -
-
黄色、白枠で囲ってある部分が↓
-
図の穴の重なりから、黄→オレンジの順番に掘られたものと考えられます。
-
第二次大極殿
大極殿は、天皇の即位式や元日朝貢などの国家儀式を行う重要な施設でした。和銅3年(710)平城宮跡の最初の大極殿は、平城宮の中央部に建てられました。それが復元された第一次大極殿です。恭仁、難波、紫香楽を経て天平17年(745)平城宮に戻ると、大極殿は場所を移して内裏の南側に建てられました。これが第二次大極殿で、この遺構展示館の西方に位置し現在は基壇が復元されています。
平城京→恭仁京→難波宮→紫香楽宮→平城京という短期間での夥しい遷都。
引っ越し魔だった聖武天皇に興味ある方へお勧めのブログ↓
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基壇土層の剥ぎ取り
この土層は第二次大極殿の発掘調査時に、基壇の南北の土層断面を合成樹脂で固めて剥ぎ取ったものです。瓦葺きの重い建物を支えるために、土を何層にもつき固めた版築という工法で基壇が築かれているのがわかります。 -
瓦葺き
-
内裏遺構跡
-
ミニチュア展示
内裏 -
-
内裏
内裏は天皇の居住空間です。中央には天皇が日常の政務を執る内裏正殿があり、その北側に日常生活のための建物がありました。また天皇に仕える女官たちの役所もありました。
内裏の場所はこの遺構展示館の西方にあたり、現在はイヌツゲの木を刈り込んで柱の位置を表示しています。 -
一応一周見て廻り、出口へ
(まだ興奮冷めやらず)まるでポンペイ遺跡かローマ帝国のどこぞの遺跡、行ったかのような浮かれ様^o^
と思ったら、入口?
「お母さんが、不法侵入で捕まったんじゃ?」
と、心配しながら待っていた家族と再会♪
彼彼女らによると、“関係者以外立ち入り禁止”のお札を無視してずんずん中へ入って行ったと…。
じゃあ、今から入ろう!との誘いも虚しく、3人の足は次の場所へ
えっ、見ないんだ(*_*)
私ったら無賃入場してしまったみたいな?
出る前にトイレの場所聞いたのに、無罪放免で良かった^ ^
(注)良い子は後がえって、正規料金払いましょう。
(訂正)入場無料です。平城宮跡内施設は全て無料! -
さて、どっちに向かったものやら
-
絶賛発掘調査中♪
後日、この写真が貴重な一枚だと!
「孝謙天皇 住居発見」でgoogle ると、6月掲載の記事があります。東院地区の孝謙天皇居住地跡ではないか?と最近発掘された処が↑ココではないか? と、しにあさんに教えて頂きました。 -
順路
下 逆からでも廻れますよ、と -
築地回廊跡
-
足元にも順路、地図が♪
私たち一行は地図上の上→下、方向に廻っています。 -
第一次大極殿
彼処から元明~聖武~孝謙天皇が詔を賜ったり、朝見したり?
わお~、でございます♪
もちろん、不比等も?^o^
中々新築過ぎて、違和感否めない
にしても、当時の姿を忠実に再現されているのでしょうね
今更に、発掘、復元に携わる皆さまに感謝m(_ _)m
内部も装飾過程らしいので、完成のあかつきには、入れる!? -
左の建物内部で南門復元作業中
遠目でわかりづらいですけど、かなりでかっ、です -
左手にトイレあります
復元事業情報部
展示を見て廻る前に、ビデオ鑑賞しました。
おかげで展示が更に楽しめました♪
ビデオは一定の時間割か、集まった人数で上映してるみたい。
ぜひ、鑑賞される事をお勧めしたいです。 -
復元事業情報部
参考まで
平城京 大極殿院「南門」工事現場 バーチャル見学サイト
https://my.matterport.com/show/?m=uGefbhyjnab&dh=0&help=1&lang=ja
第一次大極殿院は平城京北方に位置する大極殿を含む区画でてんのうの即位など重要な儀式が行われた区画。この大極殿を取り囲む「築地回廊」「南大門」「東西楼」
「内庭広場」を復元する事業が進められている。
2019年度からは古代の工法などを伝えるべく、第一次大極殿院の入口となる南門の復元工事の現場公開が行われているが、コロナ感染防止の観点から一時中止。
今回、その南門復元工事現場の内部を公開、インターネットを通じて見学出来る。
現場内を歩くように移動、360度見渡しながら見学出来る。 -
地垂木(じだるき)
軒を二軒(ふたのき)にした場合の、下側の垂れ木 -
↑地垂木とは、なんぞや?
-
継手、仕口(つぎて、しくち)
継手とは、部材の長さを確保するため、同じ方向に部材を継ぎ足すときに使われる工法です。
* 蟻継ぎ 継手の基本形としてもっとも一般的に使用、バリエーションも多用で特徴的な形となっています。
* 鎌継ぎ 蟻継ぎ同様、今日の木造建築でも良く用いるられる継手の基本形。 頭部が矩形のものを古代鎌(原始鎌)、台形のものを開き鎌といいます。
* 相欠(あいがき) 接合する2つ以上の部材をそれぞれ欠ぎ取って重ね合わせる仕口の基本形の一つ。材を互いに半分ずつ欠き取り、部材の厚さで納めるのが特徴です。
仕口とは、2つ以上の部材を、ある角度をもって組み合わせる際に用いる木組みの工法です。 -
南門復元整備工事工程
匠の技で、木材加工と初重から二重柱の組み立てを進めます。
南門の素屋根を完成させ、加工原寸場では原寸図を作成してこれをもとに木材の粗取りや自然乾燥を実施しました。部材の加工・仕上げを実施して、初重組み立て(台輪、耐震壁)までを実施予定です。 -
第一次大極殿とは、
奈良時代前半、国家で最も重要な儀式が行われた空間で、その規模は東西約176.6m(600尺)南北約317.7m(1078尺)の広さです。
築地回廊で囲まれ、その内部は広大な広場となっており、中心である第一次大極殿は礎石建ちの大型重層建造物で、広場北側の壇上にそびえ立っていました。
また、南面回廊の中央には門(南門)が、その両脇には楼閣(東楼、西楼)が建ち、壮麗な姿を誇っていました。
黒色の瓦葺き、赤色の柱に白色塗りの壁、緑色の蓮子格子に黄色の基壇、飾り金具が映える建造物が立ち並ぶ姿は、訪れた人々を驚かせた事でしょう。
復元の意義
公園基本計画の基本方針に基づき、第一次大極殿院を復元する事により、以下の効果が期待されています。
* 復元建造物の見学を通じ往時の宮の規模や形状、さらには宮、都の壮大、壮麗、荘 厳さを体感する。
* 再現された往時の儀式、行事(古代 示)の見学を通じ、その歴史、文化を体験的に 学ぶ
* 空間特性を活かしたその場にふさわしい催事を開催し、来訪のきっかけづくりや新たな魅力発見の機会を提供できる。 -
南門とは
第一次大極殿院の正門であるとともに、天皇が出御し叙位や饗宴が行われた場所でもありました。
入母屋造の二重門で高さ約20.2m、幅約22.1m、奥行き約8.8mと、朱雀門よりやや小さい礎石建ちの建造物です。
東西楼とは
王権を威信を示す高層建築であるとともに、特別な儀式の場としても使われました。
南門を挟んで東西対称の位置にあり、奇棟造りで、高さ約16.8m、幅約22.9m、奥行き約11.5mの礎石と掘立柱を併用した重層の建造物です。
遷都当初、第一次大極殿院に楼閣はなく、途中(731年頃)で南門の両脇の築地回廊の一部を解体し、東西楼が増設されました。
発掘調査により、大きな掘立柱の抜き取り穴が確認され、直径約72cmもある巨大な柱根(平城京で最大)が出土しました。 -
ルービックキューブ、を連想するのは私だけ?
-
墨付け・刻み・継ぎ手・仕口・木組み
建造物は様々な部材から造られていますが、復元事業においても、一つひとつの部材は奈良時代と同じ行程で現代の技能者により加工・組立を行います。
部材を長手方向につなぐことを「継手」、他の部材との接合を「仕口」といいます。
木材の加工は、設計図から原寸図を作成し、木のクセヲ読み、墨壺と墨さしなどで継手や仕口を描くことを「墨付け」、墨付けの通りに大工道具で加工することを「刻み」、そして加工された部材を君合わせることを「木組み」といいます。 -
笹繰りと茨
-
笹繰りと茨 古代木造建築の特色である美しい曲線
肘木と上面の角を笹の葉のように削る「笹繰り」、斗(ます)との境界線近くを曲線で繋ぐようにつくられる「茨」など、曲線の加工が印象的です。
組み上がった姿を見ると、全体が滑らかで美しく見えるように空されています。 -
組物(くみもの) 伝統木造建築の美の象徴
組物とは、寺院や宮殿の建築に用いられる柱上の木組みで、構造的な役割だけでなく、建物の格式を示す意匠としての役割をもっています。 -
小口斗(こぐちます)
南門復元工事では、木口(木の横断面)を正面に向けた斗(ます)を採用しています。
これは古代の建築に多く見られる「小口斗技法」です。
斗とその上の部材(肘木)を一組とし、構造的な配慮から、部材の繊維方向を直交させる技法です。 -
むふう…
古人の技術力、豊かな知恵に感嘆(°_°)
こんなに興味深く見入ってしまうのも、この場所の持てる磁力、魔力?
面白かった~
敷地内をお散歩する人、ランニングする人、散策する観光客、色んな楽しみ方♪
最近広大なこの地域を、4本足歩行のロボットで管理し始めたとのニュース、
当面は人が立ち入れない、草叢での限定活用とか…。
古代と現代の見事なマッチング^ ^ -
左 この表示だと、
逆からの順路も認知されています
右から ここで
東院庭園に行ってない?ことに気が付く(ーー;) -
復元中の南門、覆われています
先ほど「復元事業情報部」で、復元過程の解説ビデオを見ました。
現代の宮大工さんたちの技術、熱意、労苦には頭が下がる思いm(._.)m
それでも、古代の人々は、クレーンとか現代の機材なし、だったのよね?
ピラミッドとか、他にもいにしえびとの偉大な業績、建造物(°_°)
ローマ帝国のインフラも♪と好きな話題に誘導する悪いクセ(笑笑) -
ちょうどに電車が通った♪
後で近鉄電車の中からも撮らなきゃ~
(更新)
昨日付で、平城宮跡を通る近鉄奈良線を敷地外に移設する事で、近鉄と奈良市が合意したと!工事完了は2060年予定です。
って事は、雲の上、お空の遠い向こうから見れる?(地獄堕ちしてなければ…)
世界遺産で特別史跡の平城宮跡はですが、これまでの調査で、軍事に関わる兵部省、文官の人事などを担当する式部省、祭祀を統括する神祇官、などの場所がわかっています。
令和2年度末時点での平城宮跡発掘調査の進捗率は、約4割、国家的儀式が行われた大極殿などについては判明していますが、周囲には未調査の空白地帯が残っています。 -
朱雀門♪
やっと辿り着いた
が、さっき(ブログ作成中に)気が付いた、驚愕の真実(*_*)
な~んとなく、しにあさんの旅行記で見ていた、マネキンさんとか、
当時の食べ物、日常生活偲ばれるモノたちの展示、池に浮かぶ船、見てないんじゃ?
最後、いざない館の廊下左の第4室…
ちゃんと、メモして行ったのに~シクシク
またね~?? -
一旦出て振り返り朱雀門♪
次回はこっちから入ろう!
”チャリで朱雀大路を風切って走る“
(次回、ある?) -
出口(入口)で家族協議の上、
1番歩かなくていい順路、公共交通機関を選択しました。 -
このパンフ、最初に欲しかった、
と思うけど -
実は、途中から↑を握りしめていたわたくし
なんで広げて見なかった?
ばあば、あるあるmistake
写真も多く、ちょっとしつこい内容、お付き合い頂きありがとうございました。
もし、見逃した場所も見ていたら、ハンパない写真数になっていた恐れ…
2日目 後半に続きます♪
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