2021/01/24 - 2021/01/25
423位(同エリア1612件中)
xiaomaiさん
- xiaomaiさんTOP
- 旅行記406冊
- クチコミ459件
- Q&A回答3件
- 619,658アクセス
- フォロワー59人
世界に広がる新型コロナウィルス。当初台湾はその押さえ込みに成功をしていたけれど、今年1月に入り、本土感染が確認され始めた。台湾と世界の安全を神明に祈るべく、コロナ退散祈願巡礼の旅に行ってきた。
主要な拝礼廟
白沙屯拱天宮、大甲鎮瀾宮、彰化南瑤宮、西螺福興宮、麥寮拱範宮、四湖参天宮、北港朝天宮、新港奉天宮
四湖参天宮のみが關聖帝君(関羽将軍)を主祭神とする廟で、それ以外はすべて天上聖母(媽祖)を主祭神とする廟。
旅行記
(1)苗栗県(白沙屯、通霄)
(2)台中市(大甲、沙鹿)
(3)彰化市
(4)雲林県(西螺、麥寮、四湖)
(5)雲林県(北港)
(6)嘉義県(新港)、嘉義市
PR
-
同シリーズの旅行記(1)に記したように、大甲に到着したのは予定の2時間後。すっかり夜になっていた。
大甲駅 駅
-
すぐに宿泊する茂華商旅へ向かった。
Mao Hua Motel ホテル
-
窓はないけれど、部屋がとても広く、閉塞感がなかった。
-
トイレも広い。
-
小さめだけれど、バスタブもあった。
-
早速、夜の街へ繰り出す。大甲は美食の街として知られる。まずは「嘉家樂肉丸」。
嘉家樂肉丸 地元の料理
-
この店には、蒸したタイプと揚げたタイプがある。元々有名なのは前者なんだけど、彰化で揚げたものを食べて以降、こちらの方が好きになり、迷わず揚げた肉圓を注文。中には大きめの肉が入っていておいしかった。
-
こちらは魚肉つみれのスープ。
-
翌朝参拝しようかと思っていたんだけど、やはりこの日に鎮瀾宮へ。
大甲鎮瀾宮 寺院・教会
-
1732年の創建で、台湾の媽祖信仰における重要な寺院の一つ。
-
この寺院が有名なのは、長い歴史を有することだけでなく、「遶境進香」と呼ばれる宗教行事があるため。毎年旧暦3月に大甲から新港奉天宮へ向け、媽祖の神輿を担いで徒歩で進む。元々は媽祖(俗名林黙)の出身地である中国の湄洲を目的地としていたが、日本時代に北港に改められ(総督府が中国との往来を禁止)、その後、大甲鎮瀾宮と北港朝天宮の間でどちらの媽祖に正統性があるかという問題が発生し、1998年に目的地が朝天宮から新港の奉天宮に変更された。
-
遶境一行は、9日間で大甲から新港へ徒歩で進み、徒歩で戻ってくる。台灣中部沿海四県市(台中市、彰化県、雲林県、嘉義県)を渡り歩く大規模な宗教行事で、彰化南瑤宮、西螺福興宮、新港奉天宮、西螺福興宮、北斗奠安宮、彰化天后宮、清水朝興宮に立ち寄り、大甲鎮瀾宮へ戻る。
-
こちらが大甲媽祖。台湾全域以外にも、中国、アメリカ、マレーシア、日本に分霊されている。
世界に蔓延するコロナウィルスの早期終息を願った。 -
子供の生育を司る註生娘娘にも同じ願いを。
-
寺院の守護神である伽藍尊者にも同じ願いを。
-
観音様はそもそも衆生の救済をしてくださるから、コロナ退散の祈りは躊躇うことなくできる。
-
死を司る北斗星君にもコロナウィルスの退散を願い......
-
生を司る南斗星君にも同様に.......
-
聖父母殿。後方に媽祖の両親、前方に媽祖。こちらでもやはりコロナウィルス退散祈願。
-
学問の神である文昌帝君にも、まずはコロナウィルス退散をお願いし、次に自身や台湾の学生諸君の知識増進も祈った。
-
太歳殿におわす60尊の神々。自分の神様が前の方においでになった。こちらでは、無事に新しい一年が過ごせるよう祈った。
-
生まれ年ごとに自身の神様がおいでになる。
-
ホテルに戻る前に、大甲で人気のある屋台の粉腸を買った。
大甲康家阿媽的粉腸 地元の料理
-
60年以上屋台で売り続けている「大甲康家阿媽的粉腸」。肉をでんぷんに入れたもの。辛くして欲しくない場合はそれを伝える。
-
緑豆沙で有名な「一路發」。
一路發 スイーツ
-
これが一路發の緑豆沙。「沙」というのは液体に近いシャーベットのことで、昭和後期を生きてきた人ならきっとわかる「ICEE(アイシー)」みたいなもの。ただ、緑豆沙はICEEより舌触りがしっかりした感じ。さっぱりしていておいしい。ミルクを足すこともできるけれど、入れないほうが緑豆そのものの味を楽しめると思う。
-
こちらは粉腸。適度な辛味がいい。冷めてしまうとおいしくなくなるから要注意。
ホテルで夜食をとったのち、風呂にのんびり浸かって就寝。 -
ホテルの朝食。
-
ラインナップは基本的に台湾式の朝食。
-
おかゆの付け合わせ
-
業務用の食パン
-
朝食会場にはお一人様の姿がけっこうあった。
-
こんな感じでいただいた。
-
食後は大甲の街を散策。まずはホテルからほど近い文昌祠。
大甲文昌祠 寺院・教会
-
台湾は元々福建省の一部であったけれど、国防上の理由で、1885年に台湾を1つの省とした。その結果、科挙合格者を増やすべく、台湾各地に書院が設立された。大甲にも設立され、それが1888年に文昌祠となった。
-
日本時代初期は軍隊駐屯地となり、その後、苗栗講習所大甲分教場(現在の大甲小学校の前身)となった。台湾人が学ぶ公学校が外部へ移転し、日本人が学ぶ小学校分教場となると、激しい対立が起き、最終的に小学校分教場は閉鎖された。
-
正殿
-
文昌帝君。自身の知識増進と受験生をお守りいただくお願いするとともに、コロナウィルスの退散も祈った。
-
至聖先師
-
長生禄位
-
廟の左奥にあるここは志賀哲太郎記念館となっている。
-
志賀哲太郎は熊本出身で、法学を学び、日日新聞の記者となったものの、29歳の時に教育界に転身。しかし、順調にことが運ばず、1896年に台湾へ来て、台北西門で酒屋を営業。ところが、自身の酒好きのためにうまくいかず、三義伯公坑へ移り商店を経営。その時にマラリアに罹患し、治療のために大甲に入院。退院後、書道が上手で教育熱心であったため、推挙されて大甲公学校の教師になった。教師であった26年間一度も休んだことがなく、さらに日本人と台湾人を区別せず、同様に扱ったため、台湾の人々から尊敬された。
-
得た給料を貧困家庭の子供のために使ったり、怪我した生徒をおぶって送り迎えしたりして、地元の人々から信用され、「大甲の聖人」とまで呼ばれていた。しかし、1924年公学校高等科の生徒の退学処分問題で、校長に処分撤回を申し入れるも聞き入れられず、失望し入水自殺をした。遺書にあった3項目は次の通り。
一、死後は台湾人と同じく台湾式の土葬にすべし。
二、書物は大甲の人々に寄付すべし。
三、遺産は下女の島村ソデに給えるべし。
島村ソデというのは、盗賊の襲撃に遭った際、機転で志賀を救った人物。志賀が無事であったのと引き換えに、ソデは足を刺され、歩くのが不自由になった。志賀はソデに大きな恩義を感じていたのだと思われる。なお、志賀自身は一生独身であった。
植民地時代、台湾人を蔑視する日本人もいた一方で、こうした博愛的な日本人も存在した。日本時代を懐かしむ高齢者が多いのにはそれなりの理由がある。
志賀の教育理念に「まめに掃除するというより、むしろ汚さないように清潔を保つことが大切。人の精神もこの道理だ」というものがある。まったくその通りだ。心に留めておきたい。 -
文昌祠で平安符とカードをいただいた。志賀先生のように、台湾の人々に慕われたいと思うけれど、容易なことではない。いっそう精進せねば......。
-
続いて、再度鎮瀾宮へ参拝に。
-
6時に開門する鎮瀾宮。朝早くから参拝客が訪れる。
-
若い信徒も熱心にお参りをしていた。
-
台にぎっしり置かれた供物。
-
三川殿の藻井も立派だ。
-
鎮瀾宮の近くで売られていたタロ芋。大甲の名産だ。
-
名の通った「大甲城焼餅」
大甲城焼餅 地元の料理
-
ただ、早朝から昼過ぎまでしか営業していない。
-
ベーコンや卵が入った焼餅。焼餅といっても、いわゆる日本の「焼き餅」ではなく、言うなれば台湾風パン。何も挟まずに食べる人もいるし、甘いものもある。それに米とピーナッツで作られた米漿。どちらもおいしかったけれど、米漿の味の濃さは忘れられない。
-
大甲第一市場の前の通りである中華街(通りの名称)にも露天商が並ぶ。
-
林氏貞孝坊
-
清の時代に林氏が亡き夫の母の世話を献身的にしてきたことを、朝廷が尊い行いだと認めた。それを記念した石碑が建てられている。大甲に干ばつが起こった際に、林氏が祈りを捧げたら、大雨がもたらされたという言い伝えもある。
-
大甲第一市場
-
中華街を進むことにした。
-
お菓子屋さん。見ていた女性がいきなり商品を味見。台湾ではよくあること。量販店で売られているみかんを断りもなく味見している客もいる。とは言え、コロナウィルスが猛威を奮っている今はやはり控えた方がよい。
-
蒋公路は元々は大甲街と呼ばれていた。のちに大甲城前街となり、日本時代は駅前通り、戦後に現在の名称となった。蒋介石を記念してつけられた道路名と誤解されやすいけれど(自分もてっきりそうかと思っていた)、実際は鄭氏王朝の将軍蔣毅庵を記念したもの。この通りは駅前のメイン道路で、古い建築物が多く並ぶ。
-
他の観光客は全然気にしていないようだったけれど、この美しい建築をなんとも思わないのだろうか。
-
歴史を感じないのだろうか。
-
できれば内部も見学したいものだ。
-
Roots が2階をショーウィンドウにしていた。
-
看板や派手な色使いはもう少しおとなしめにしてくれるとうれしい。
-
阿香芋圓。この店も有名だ。
阿香芋圓 その他の料理
-
台湾人のネット上に書いたコメントには、店員の態度が悪いというものが少なからずあるけれど、運がよかったのか自分はそう感じなかった。
-
芋圓はサツマ芋のとタロ芋の。
-
さらにタロ芋をすり潰したものやタピオカ。これらを生姜スープに入れてもらって味わった。
-
阿香芋圓の右には何年営業しているのだろうと思わされる歴史のありそうな商店。
-
鎮瀾宮の右の方に地下へ通じる入り口がある。
-
地下はショップとなっていて、数万元もする高級品が多く並んでいた。
-
押し売り行為はないのでご安心を。画像奥の方には神仏像。
-
数百元で購入できるものも売られている。
-
平安符を入れるものと遶境で使われる旗のミニミニ版を購入。
-
3度目の参拝。
-
柱も立派。
-
コロナウィルスが早く終息し、世界の人々が普通の生活に戻れることを切に願った。
-
お菓子の名店「裕珍馨」蔣公店
-
入ってすぐのところに置かれていた、餅をタロ芋でくるみ、それを生地で焼いたお菓子。試食を食べたら、甘すぎず上品な味わいだった。
-
この店の看板商品であるバタークッキー(というかパイ)。
-
店内の様子。店員さんの態度はとても丁寧。
-
上記で紹介した商品を各2つずつ購入。旅の最終日であれば、お土産用にもっと買っていただろう。
-
ホテルに戻り、チェックアウト。その後、孔雀路で出会った白犬。遊びたそうにしていたんだけど、「車に気をつけるんだよ」と言葉をかけて、先を急いだ。
-
最後に4度目の鎮瀾宮。検温のために多くの信徒が列をなしていた。
-
なので、中には入らず、入り口でまたも天上聖母にコロナウィルスの退散を祈願。
-
龍門の彫り物
-
虎門の彫り物
-
蒋公路と鎮瀾街の交差点にあった建物。
-
大甲駅右手にあった木造建築。駅員に確認したところ、中は空でいかなる活用もしていないとのこと。
-
大甲駅は1912年に製糖会社の鉄道駅として開業し、1922年に総督府鉄道海岸線大甲駅となった。
-
駅構内。ベンチが莒光号のデザインになっている。
-
駅のホームには名産であるタロ芋のオブジェと、媽祖廟提灯。
-
各駅停車に乗車。
-
元々の予定では彰化へ直接向かう予定だったのだけれど、友人の乗ったプユマ号彰化到着までだいぶ時間があったから、沙鹿に立ち寄った。
-
沙鹿駅前。地方都市の駅前の景観。
-
駅前の中正街を進む。
-
沙田路まで来て、けっこう開けた街であることに気づいた。
-
美仁里彩繪村
-
街の様子を描いた壁絵。
-
国民党と共産党が協力して抗日するための作戦会議
-
果物屋
-
一般家屋(猫2匹付き)
-
黒猫大酒家
-
小吃店
民国50年代(1960年代)の様子を描き、人々に懐かしさを感じてもらおうと、里長(選挙により選ばれた区域長)が構想した。 -
土地公を祀る福利宮。
-
人形劇である布袋劇を演じる舞台が廟の前にあった(神様にお見せするのが目的)。
-
福利宮のすぐそばにあるのが沙鹿玉皇殿。
-
1805年創建の、比較的小さな玉皇上帝の廟。
-
信徒が幸せを願ってつけた光明燈の奥におられるのが......
-
道教の最高神にして、宇宙を支配される玉皇上帝。コロナウィルス退散をしっかり祈願。
-
南斗星君
-
北斗星君
-
玄天上帝
-
沙鹿玉皇殿のすぐ左には地蔵王菩薩の普濟寺。
-
普濟寺の前の四平街を北へ進むとあるのが保安宮。客家系移民が1745年に建てた三国王の廟。
-
正殿
-
主祭神の三山国王。
-
その下虎爺将軍。
-
三山国王の右に、よく見られる裸体ではなく、官衣をまとった神農大君。
-
左に註生娘娘。
-
五文昌:文昌帝君、魁斗星君、朱衣星君、文衡帝君(關老爺)、浮祐帝君(呂洞賓)
-
2階に聖観音。
-
2階から見た正殿の屋根。
-
道路を挟んで五営将軍。
-
沙鹿で最後に訪れたのは朝興宮。
-
1732年の創建で、300年近い歴史を有有する。1999年9月21日に発生した大地震で大きな被害を受け、2006年に取り壊し、2014年に現在の廟が落成した。元々50坪ほどしかなかった小さな廟が、後方の田約200坪を買い入れ、大きな廟となった。
-
広々とした内部
-
主祭神は天上聖母。
-
こちらが天上聖母。「社口媽」「沙鹿媽」などと呼ばれる。社口媽にもコロナウィルスの早期終息を祈った。
-
順風耳将軍
-
千里眼将軍
-
神農大帝
-
清水祖師
-
註生娘娘
-
太歳殿
-
文昌帝君
-
月下老人
-
観音菩薩
-
祭りの際、街中を歩かれる千里眼将軍。
-
祭りの際、街中を歩かれる順風耳将軍。
-
道を隔てて、五営大将軍。
沙鹿で訪ねた4つの寺院は、四平街とそれに続く和平街にあり、徒歩で周れる。また、駅からも遠くない。 -
13時に沙鹿駅を出発し、美仁里彩繪村を訪れたのち、4つの廟で祈りを捧げ、14時ごろ駅へ戻ってきた。予定していたところすべてに行け、祈りをおろそかにすることもなく、とても満足。
画像は沙鹿駅構内。それなりの規模。 -
莒光号で彰化へ向かう。
-
昨年来たときは改修中だったけれど、彰化の駅舎はほぼ完成していた。
(続)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
Mao Hua Motel
3.15
台中(台湾) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ コロナ退散祈願巡礼の旅
0
145