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休日に空いている大江戸線に乗って森下駅から清澄白河駅まで散策しました。松尾芭蕉の石碑がある長慶寺や芭蕉稲荷神社に寄ったり、森下文化センターで田河水泡・のらくろ館を見学して改めて田河水泡の生涯に触れたりしました。静かな通りを歩いていると珍しい店に出会いました。小麦の奴隷という変わった名前のパン屋で食パンやカレーパンなどを購入しました。天気の良い暖かな半日を足の向くままうろうろとして久しぶりの散策を楽しみました。

森下・常盤を歩く

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2021/01/31 - 2021/01/31

273位(同エリア358件中)

ぷーちゃんさん

この旅行記のスケジュール

この旅行記スケジュールを元に

休日に空いている大江戸線に乗って森下駅から清澄白河駅まで散策しました。松尾芭蕉の石碑がある長慶寺や芭蕉稲荷神社に寄ったり、森下文化センターで田河水泡・のらくろ館を見学して改めて田河水泡の生涯に触れたりしました。静かな通りを歩いていると珍しい店に出会いました。小麦の奴隷という変わった名前のパン屋で食パンやカレーパンなどを購入しました。天気の良い暖かな半日を足の向くままうろうろとして久しぶりの散策を楽しみました。

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 森下駅A5出口から歩き始めました。3分ほど住宅街を歩いたところに建つ長慶寺の塀沿いに深川小学校誕生之地の石碑が建っています。江戸時代、長慶寺に寺子屋があったことから明治3年に小学校が設置されたのだと思います。明治政府ができたばかりの不安定な時期に小学校を設置したことに、明治政府の教育に傾ける情熱が感じられました。

    森下駅A5出口から歩き始めました。3分ほど住宅街を歩いたところに建つ長慶寺の塀沿いに深川小学校誕生之地の石碑が建っています。江戸時代、長慶寺に寺子屋があったことから明治3年に小学校が設置されたのだと思います。明治政府ができたばかりの不安定な時期に小学校を設置したことに、明治政府の教育に傾ける情熱が感じられました。

    深川小学校誕生の地 名所・史跡

  • 曹洞宗の長慶寺を山門から見ました。明治時代の初め、東京府小学校の一つを寺に設置された歴史や、芭蕉時雨塚などが残っているなど歴史ある寺であることがわかります。

    曹洞宗の長慶寺を山門から見ました。明治時代の初め、東京府小学校の一つを寺に設置された歴史や、芭蕉時雨塚などが残っているなど歴史ある寺であることがわかります。

    長慶寺 寺・神社・教会

  • 旅の途中、松尾芭蕉が病で亡くなったことを聞いた門人たちが、芭蕉を弔うために歯や発句を埋めて芭蕉翁句塚を作ったとのことです。句塚は戦災で失われて跡のみが残っています。現在は緑石に白い筋が入った石の正面に芭蕉翁桃青居士と彫られているものを時雨塚と呼んでいるようです。両脇に其角と嵐雪の碑が建っています。芭蕉ゆかりの地・深川を感じます。

    旅の途中、松尾芭蕉が病で亡くなったことを聞いた門人たちが、芭蕉を弔うために歯や発句を埋めて芭蕉翁句塚を作ったとのことです。句塚は戦災で失われて跡のみが残っています。現在は緑石に白い筋が入った石の正面に芭蕉翁桃青居士と彫られているものを時雨塚と呼んでいるようです。両脇に其角と嵐雪の碑が建っています。芭蕉ゆかりの地・深川を感じます。

    芭蕉時雨塚 名所・史跡

  • インディアンの姿をした柱に支えられたブランコがある児童公園にやってきました。江戸時代に重要な水路だった五間堀という名が残る公園です。五間堀は明治に入ると掘削の結果、小名木川まで貫通したそうですが、昭和に入り堀は埋め立てられてしまったとのことです。清洲通りを挟んで森下駅A5出口向かいの小さな緑地には、江戸時代に五間堀に架かっていた弥勒寺橋の説明板が立っていて、より五間堀の様子がわかります。

    インディアンの姿をした柱に支えられたブランコがある児童公園にやってきました。江戸時代に重要な水路だった五間堀という名が残る公園です。五間堀は明治に入ると掘削の結果、小名木川まで貫通したそうですが、昭和に入り堀は埋め立てられてしまったとのことです。清洲通りを挟んで森下駅A5出口向かいの小さな緑地には、江戸時代に五間堀に架かっていた弥勒寺橋の説明板が立っていて、より五間堀の様子がわかります。

    五間堀公園 公園・植物園

  • 五間堀公園の向かいに、住宅に挟まれた大久保稲荷神社があります。石の鳥居と赤い幟が立っていて、小さな木造社殿があります。社殿の中に白木の神殿がありました。奉納された幟から、篤く信仰している人々がいることがわかりました。大切に守られている稲荷神社です。

    五間堀公園の向かいに、住宅に挟まれた大久保稲荷神社があります。石の鳥居と赤い幟が立っていて、小さな木造社殿があります。社殿の中に白木の神殿がありました。奉納された幟から、篤く信仰している人々がいることがわかりました。大切に守られている稲荷神社です。

    大久保稲荷神社 寺・神社・教会

  • 森下駅A5出口へ戻り、清洲通りを渡ったところに弥勒寺橋跡の説明板があります。江戸時代から昭和にかけて存在した五間堀に橋が架けられていたそうです。橋の名称は、橋の近くに移転してきた弥勒寺から付けられたとのことです。昭和に入って五間堀が埋め立てられると橋も廃橋になってしまい、現在は説明板が残っているだけで橋の痕跡はありません。説明板が立っていることで、当時の歴史を知ることができるので貴重な説明板だと思います。

    森下駅A5出口へ戻り、清洲通りを渡ったところに弥勒寺橋跡の説明板があります。江戸時代から昭和にかけて存在した五間堀に橋が架けられていたそうです。橋の名称は、橋の近くに移転してきた弥勒寺から付けられたとのことです。昭和に入って五間堀が埋め立てられると橋も廃橋になってしまい、現在は説明板が残っているだけで橋の痕跡はありません。説明板が立っていることで、当時の歴史を知ることができるので貴重な説明板だと思います。

    弥勒寺橋跡 名所・史跡

  • 新大橋通りを西へ進んだ新大橋交差点から万年橋通りを歩きました。広い通りで、休日の午前は車の交通量も人通りも少なかったです。マンションや住宅、倉庫や会社などが両側に建っています。芭蕉記念館が通りに面して建っています。広く静かなので気持ちよく歩きました。<br />

    新大橋通りを西へ進んだ新大橋交差点から万年橋通りを歩きました。広い通りで、休日の午前は車の交通量も人通りも少なかったです。マンションや住宅、倉庫や会社などが両側に建っています。芭蕉記念館が通りに面して建っています。広く静かなので気持ちよく歩きました。

    万年橋通り 名所・史跡

  • 小名木川に架かる万年橋です。ごっつい感じの橋で、北詰めにあるケルンの眺めから見た清洲橋と対照的でした。

    小名木川に架かる万年橋です。ごっつい感じの橋で、北詰めにあるケルンの眺めから見た清洲橋と対照的でした。

    万年橋 名所・史跡

  • 万年橋のたもとに建ってるケルンの眺めの石碑から清洲橋を眺めました。清洲橋がドイツのケルン市に架かるライン川の吊橋をモデルにしていて、眺めが美しいことから碑が建っています。天気が良く波穏やかな日だったこともあり、青い曲線の橋桁が美しかったです。

    万年橋のたもとに建ってるケルンの眺めの石碑から清洲橋を眺めました。清洲橋がドイツのケルン市に架かるライン川の吊橋をモデルにしていて、眺めが美しいことから碑が建っています。天気が良く波穏やかな日だったこともあり、青い曲線の橋桁が美しかったです。

    ケルンの眺め 名所・史跡

  • 万年橋の北の路地に地元の人たちによって祀られた芭蕉稲荷神社があります。芭蕉が亡くなるまで住みかとしていたところで、幕末から明治にかけて武家屋敷の一部になり消失したものの、大正に起こった津波の後で芭蕉が愛好していた蛙の石造が発見されたことから、再建されたという歴史がある神社です。神社周辺には芭蕉記念館や芭蕉庵史跡展望公園もあり、芭蕉ファンでなくても興味深いエリアだと思います。

    万年橋の北の路地に地元の人たちによって祀られた芭蕉稲荷神社があります。芭蕉が亡くなるまで住みかとしていたところで、幕末から明治にかけて武家屋敷の一部になり消失したものの、大正に起こった津波の後で芭蕉が愛好していた蛙の石造が発見されたことから、再建されたという歴史がある神社です。神社周辺には芭蕉記念館や芭蕉庵史跡展望公園もあり、芭蕉ファンでなくても興味深いエリアだと思います。

    芭蕉稲荷神社 寺・神社・教会

  • 芭蕉稲荷神社の境内に深川芭蕉庵跡碑が建っています。石碑の前に一対の蛙のオブジェがありました。<br />

    芭蕉稲荷神社の境内に深川芭蕉庵跡碑が建っています。石碑の前に一対の蛙のオブジェがありました。

    深川芭蕉庵跡 名所・史跡

  • 境内の右側に奥の細道旅立三百年記念句碑が立っています。平成元年に建立されました。この地にあった芭蕉庵から旅立ったことを記念する碑です。緑色の石の上に石の蛙のオブジェがあり雰囲気を出しています。<br />

    境内の右側に奥の細道旅立三百年記念句碑が立っています。平成元年に建立されました。この地にあった芭蕉庵から旅立ったことを記念する碑です。緑色の石の上に石の蛙のオブジェがあり雰囲気を出しています。

    奥の細道旅立三百年記念句碑 名所・史跡

  • 万年橋通りへ戻ったところに小麦の奴隷という変わった名前のパン屋がありました。次々と購入する人が店内に入っていったので寄りました。あっさりした店内の奥でパンを焼いていていい香りがしました。

    万年橋通りへ戻ったところに小麦の奴隷という変わった名前のパン屋がありました。次々と購入する人が店内に入っていったので寄りました。あっさりした店内の奥でパンを焼いていていい香りがしました。

  • 食パンの他にこのようなパンを買いました。持ち帰り食べました。中がしっとりしたメロンパン、あっさりした餡のあんパン、サクサククルトンがついたカレーパン、ドライフルーツがたっぷり入ったベリーパン。どれも美味しかったです。

    食パンの他にこのようなパンを買いました。持ち帰り食べました。中がしっとりしたメロンパン、あっさりした餡のあんパン、サクサククルトンがついたカレーパン、ドライフルーツがたっぷり入ったベリーパン。どれも美味しかったです。

  • 万年橋北交差点から深川芭蕉通りを歩きました。およそ340mの道路です。一般住宅や倉庫、マンションなどが建ち並び、一部に桜並木がある道路です。

    万年橋北交差点から深川芭蕉通りを歩きました。およそ340mの道路です。一般住宅や倉庫、マンションなどが建ち並び、一部に桜並木がある道路です。

    深川芭蕉通り 名所・史跡

  • 歩道にはタイル画が所々にはめ込まれています。

    歩道にはタイル画が所々にはめ込まれています。

  • 深川芭蕉通りの先に高橋のらくろードという商店街があります。小さいころから青年になるまで江東区で過ごし、日本の漫画界に大きな功績を残した田河水泡の代表作・のらくろから名称が付けられました。道路の両側には個人経営の小売店が建ち並び、アーケードも設置され雨にも濡れない造りになっています。商店街のところどころには、のらくろの絵や漫画が描かれていて、のらくろ発祥の街らしい雰囲気が感じられます。

    深川芭蕉通りの先に高橋のらくろードという商店街があります。小さいころから青年になるまで江東区で過ごし、日本の漫画界に大きな功績を残した田河水泡の代表作・のらくろから名称が付けられました。道路の両側には個人経営の小売店が建ち並び、アーケードも設置され雨にも濡れない造りになっています。商店街のところどころには、のらくろの絵や漫画が描かれていて、のらくろ発祥の街らしい雰囲気が感じられます。

    高橋のらくろード (高橋商店街) 市場・商店街

  • 高橋のらくろロードに面した森下文化センターの1階に田河水泡・のらくろ館があります。のらくろの作者田河水泡の生涯、深川との関わり、仕事場を再現した部屋、作品の紹介など見どころが多いです。妻が小林秀雄の妹だったことや戦後水彩画や銅版画を残していることなどを知ることができました。今は故人となった有名漫画作家たちに影響を与えてきたことなども知りました。

    高橋のらくろロードに面した森下文化センターの1階に田河水泡・のらくろ館があります。のらくろの作者田河水泡の生涯、深川との関わり、仕事場を再現した部屋、作品の紹介など見どころが多いです。妻が小林秀雄の妹だったことや戦後水彩画や銅版画を残していることなどを知ることができました。今は故人となった有名漫画作家たちに影響を与えてきたことなども知りました。

    田河水泡 のらくろ館 美術館・博物館

  • のらくろ館にアートスペースがあり、自由に各種コミックを読める場所があります。小学生や年配者が椅子に座って読んでいました。自宅近くにあったら時間を忘れて読むのにと羨ましかったです。

    のらくろ館にアートスペースがあり、自由に各種コミックを読める場所があります。小学生や年配者が椅子に座って読んでいました。自宅近くにあったら時間を忘れて読むのにと羨ましかったです。

  • 森下文化センター2階にある小さな伝統工芸展示館に行きました。館内には江東区の伝統工芸の歴史や職人さんの技術、使用していた工具類などが展示されています。館内の一画には唐木細工職人の仕事場も再現されています。

    森下文化センター2階にある小さな伝統工芸展示館に行きました。館内には江東区の伝統工芸の歴史や職人さんの技術、使用していた工具類などが展示されています。館内の一画には唐木細工職人の仕事場も再現されています。

    工匠壱番館 弐番館 美術館・博物館

  • 小名木川へ向かいました。前回来てから忘れられない大きな魚のオブジェが小名木川に架かる西深川橋のたもとにあります。橋の両側にシーラカンスのオブジェが二人の作家により造られています。自分は北側のこのオブジェが好きです。

    小名木川へ向かいました。前回来てから忘れられない大きな魚のオブジェが小名木川に架かる西深川橋のたもとにあります。橋の両側にシーラカンスのオブジェが二人の作家により造られています。自分は北側のこのオブジェが好きです。

    幸福の魚 GOMBESSA 名所・史跡

  • 小名木川沿いの遊歩道を歩きました。このあたりの遊歩道わきに松の木が植えられていて近代的な街並みの中に風流を感じました。<br />

    小名木川沿いの遊歩道を歩きました。このあたりの遊歩道わきに松の木が植えられていて近代的な街並みの中に風流を感じました。

    小名木川 自然・景勝地

  • 清澄白河駅近くの高橋のそばに高橋乗船場があります。江東区内の7つの乗船場の一つです。江東区専用のプレートがあったので後で調べると、災害時に利用されるほか一般に使用を許可していることがわかりました。何度か近くを歩いたことがありますが、実際に使われているところを見たことはありません。

    清澄白河駅近くの高橋のそばに高橋乗船場があります。江東区内の7つの乗船場の一つです。江東区専用のプレートがあったので後で調べると、災害時に利用されるほか一般に使用を許可していることがわかりました。何度か近くを歩いたことがありますが、実際に使われているところを見たことはありません。

    高橋乗船場 名所・史跡

  • 清澄白河駅に向かう途中、清洲橋通りに面したインターナショナルスクールの入口に立つ石柱を見ました。干饂場跡の石柱でした。いわしを干した干饂は江戸時代重要な肥料で、銚子沖で取れたいわしを干した干饂が小名木川から荷揚げされたと記してあります。銚子場とも呼ばれたそうです。小名木川が輸送に使用されていたことを伝える石柱です。

    清澄白河駅に向かう途中、清洲橋通りに面したインターナショナルスクールの入口に立つ石柱を見ました。干饂場跡の石柱でした。いわしを干した干饂は江戸時代重要な肥料で、銚子沖で取れたいわしを干した干饂が小名木川から荷揚げされたと記してあります。銚子場とも呼ばれたそうです。小名木川が輸送に使用されていたことを伝える石柱です。

    干鰮場跡 名所・史跡

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