2019/04/15 - 2019/04/22
3927位(同エリア17021件中)
めじろさん
2019年パリ旅行記の一部です。ルーヴル美術館の鑑賞は今回の旅行の主目的でした。あちこち見たつもりですが、なにぶん迷宮と言われる巨大美術館ですので、見落としたものも多かったようです。コロナが収束したら真っ先に再訪したいと考えています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- エールフランス オップ
-
リシュリュー翼の2階を見学していきます。ここでは北方絵画を見ていきます。
ヤン・ファン・エイク「宰相ロランの聖母」
1435年ごろの作品です。ブルゴーニュ公国宰相ロラン の依頼で描かれました。画面左側がロラン自身、右側に聖母子が描かれています。ルーヴル美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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ヤン・ファン・エイク「宰相ロランの聖母」
宰相ロランと聖母子は別次元にいるように描かれています。ロランの側の背景には、民家がひしめいて世俗の世界を描いていると言われます。 -
ヤン・ファン・エイク「宰相ロランの聖母」
背景のバルコニーの人物たちは、ファン・エイク兄弟では?という説もあります。 -
ヤン・ファン・エイク「宰相ロランの聖母」
聖母子側の背景は教会の塔があり、聖なる世界を表していると言われます。 -
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン「ブラック家の祭壇画」
1452年ごろの作品です。ファン・デル・ウェイデンは初期フランドル派の画家です。 -
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン「ブラック家の祭壇画」
この作品は三連祭壇画となっています。中央パネルに描かれているのはキリストと、聖母マリア、福音書記者ヨハネです。 -
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン「ブラック家の祭壇画」
右パネルに描かれているのはマグダラのマリア。このマグダラのマリアは、実は注文主のカトリーヌ・ド・ブラバンという未亡人女性を描いているのではと推測されています。 -
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン「ブラック家の祭壇画」
左パネルには描かれているのは洗礼者ヨハネ。 -
この辺りはゲルマン語圏の絵画です。ドイツ・ルネッサンスの名作があります。
ルーカス・クラーナハ(父)「三美神」
1531年の作品です。クラーナハの傑作であるこの作品は、長く個人蔵でしたが、ルーヴルは2009年に100万ユーロの寄付金を集め、購入に成功しました。 -
ルーカス・クラーナハ(父)「風景の中のヴィーナス」
1529年の作品です。細身で顔と胸が小さい女性が、クラーナハの特徴ですね。官能的に理想化された裸婦像を描くアリバイ作りとしてクラーナハは、神話に基づく主題を上手に活用しました。背景の細密描写はさすが北方の伝統的技法が用いられています。 -
ルーカス・クラーナハ(父)「少女の肖像」
1539年~1542年頃の作品です。クラーナハが60歳を越えてからの作品です。クラーナハお得意の細身の美少女像です。 -
ルーカス・クラーナハ(父)「ザクセン選帝侯ジョン・フレデリック一世の肖像」
1531年の作品です。 -
アルブレヒト・デューラー「あざみを持った自画像」
1493年の作品です。これはデューラー22歳の時の(おそらく理想化された)自画像です。画家が自分自身のみを主題とした絵画は、この作品が最初ではないかといわれています。 -
クエンティン・マサイス「金貸しとその妻」
1514年の作品です。マサイスは、15世紀末から商都アントウェルペンを拠点に活躍した画家です。左側の男は金貨を測っているところ。右側で聖書を手にする女性は彼の妻でしょうが、金貨が気になって気が散っています。ここには道徳的教訓も含まれています。北方ヨーロッパは富裕市民階層の登場により、こういった風俗画が普及していきます。 -
ヤン・マサイス「バテシバの水浴」
1562年の作品です。
旧約聖書のダビデ王による人妻バテシバの強奪の話を主題としています。 -
ヤン・マサイス「バテシバの水浴」
ヤン・マサイスはクエンティン・マサイスの息子で、16世紀のアントウェルペンで活躍した画家です。ヤンはフォンテーヌブロー派のような美しい裸体画を得意としました。 -
ヤン・ブリューゲル(父)「花輪の聖母」
1562年の作品です。ルーベンスとの合作です。人物をルーベンス、花輪をブリューゲルと自分の得意分野を担当しています。 -
フランス・プルピュス(子)「マリー・ド・メディシス」
1609年~1616年頃の作品です。フランドル人画家プルピュスは、17世紀初頭のフランスの宮廷画家でした。この作品は、アンリ4世の妻であり、ルイ13世の母に当たるマリー・ド・メディシス王妃を描いています。高さ3メートル以上のルーヴル最大の肖像画だそうです。
王家の紋章の百合の花の衣装、35カラットのダイヤの王冠を着けての肖像画です。
この部屋は今のアポロンのギャラリーにありましたが、1661年焼失してしまい、宮殿の室内装飾の歴史を示す貴重な遺品だそうです。 -
アンソニー・ヴァン・ダイク「英国王チャールズ一世」
1635年頃の作品です。ヴァン・ダイクはバロック期のフランドル出身の画家で、ルーベンスの弟子として腕を磨きます。後にイングランドの宮廷画家として名を上げます。歴史的に著名なチャールズ1世の肖像画は、上品でくつろいだ雰囲気の中にも君主としての威厳を備えて描かれていると評価されています。
チャールズ1世は美術への高い審美眼を持ち、膨大なコレクションを収集しましたが、この14年後に議会と対立し、「ピューリタン革命」で処刑されることになります。この作品を約100年後に買い取ったのが、フランスのルイ16世です。彼はチャールズ1世の生涯を研究し、同じ目に合わないよう民衆に寛容に振舞いましたが、結局はフランス革命で同じ運命になってしまいます。 -
アンソニー・ヴァン・ダイク「ジェイムズ・ステュワート (初代リッチモンド公爵)」
1633年~1634年頃の作品です。 -
アンソニー・ヴァン・ダイク「The Goddess Venus Asking the God Vulcan to Make Arms for her Son Aeneas」
1630年~1632年頃の作品です。 -
アンソニー・ヴァン・ダイク「The Loves of Rinaldo and the Enchantress Armida」
1629年~1632年頃の作品です。 -
ヤン・ダヴィス・デ・ヘーム「卓上の果物と豪華な食卓」
1640年頃の作品です。この作品は、17世紀初頭にアントウェルペンで描かれた、ヘームの初期の静物画です。
卓上には、料理や果物、豪華なガラスの器や食器が積み重なっていて乱雑な印象を与えますが、計算された構図と、世の儚さを表す道徳的教訓を含んでいると言われます。 -
フランス・ハルス「リュートを持つ道化師」
1624年~1626年頃の作品です。フランス・ハルスは、カラヴァッジョやルーベンスに影響を受け、17世紀オランダ絵画黄金期に活躍した画家です。
この作品は一人の若い男がリュートを陽気に奏でている風俗画です。新興国オランダ庶民の生命力が感じられます。 -
フランス・ハルス「ジプシー女」
1628年~1630年頃の作品です。筆跡を残す大胆なタッチのハルスは、19世紀のマネやクールベの先駆者としても評価されています。 -
ウィレム・クラースゾーン・ヘーダ「軽食」
1637年の作品です。17世紀オランダで流行したモノクローム・バンケッチェ(モノクローム風の晩餐図)の画家です。非常に細密で写実的な描写を得意としました。倒れたグラスが、この世の儚さを表すという、道徳的教訓を含んでいると言われます。 -
レンブラント・ファン・レイン「イーゼルの前の自画像」
1660年の作品です。バロック期のオランダの大家・レンブラントは多数の自画像を残しています。これは晩年の自画像です。栄光と転落を知った男の、なんとも言えない味わいが出ています。多数描かれているということは、自画像に需要があったんでしょうね。落ちぶれたオッさんとはいえ、偉大な画家だからでしょうか。 -
レンブラント・ファン・レイン「黒い帽子と黄金の鎖の自画像」
1633年の作品です。 -
レンブラント・ファン・レイン「ダヴィデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴」
1654年の作品です。レンブラントの円熟期に描かれ、最高傑作の一つとされます。『旧約聖書』における、イスラエル王ダビデと人妻バテシバとのエピソードを描いた作品です。 -
レンブラント・ファン・レイン「ダヴィデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴」
ダヴィデからの手紙を持つバテシバのモデルは、レンブラントの内縁の妻・ヘンドリッキエと言われています。女にだらしなかったと言われ、私生活は駄目男と化したレンブラントが、もっとも愛した女性と思われます。 -
レンブラント・ファン・レイン「ヴィーナスとキューピッド」
1640年~1650年頃の作品です。 -
レンブラント・ファン・レイン「聖マタイと天使」
1661年の作品です。 -
ヘラルト・ファン・ホントホルスト「コンサート」
1624年の作品です。17世紀のオランダの人気作家です。 -
ルーヴルにフェルメールは2点あります。が、「レースを編む女」は貸し出し中のためか、ありませんでした。
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ヨハネス・フェルメール「天文学者」
1668年頃の作品です。学者の肖像は17世紀のオランダ絵画で好まれたモチーフで、フェルメールの絵画にもこの「天文学者」と「地理学者」の、二点が現存しています。フェルメール一流の静謐な光の中で、日本風の着物(ドテラ?)を着た学者が、天球儀に触る一瞬を捉えています。 -
ヤーコプ・ファン・ロイスダール「陽差し」
1660年代の作品と推定されます。画面の3分の2を占める巨大な雲と空が印象的です。下の3分の1は、画家の琴線に触れた自然風景の描写を上手く組み合わせています。 -
ヤーコプ・ファン・ロイスダール「ハールレム近くの砂丘の風景」
1649年~1650年頃の作品と推定されます。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「ヘラクレスとオムパレー」
1602年の作品です。このあたりからいよいよルーベンスの大型作品の嵐になります。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「東方三博士の礼拝」
1626年~1627年の作品です。別名は「マギの礼拝」。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「Tomyris has the Head of Cyrus the Great Bathed in Blood to Avenge The Death of her son」
1620年~1625年の作品です。首の男はアケメネス朝ペルシャの初代国王キュロス二世です。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「四輪馬車のあるエレーヌ・フールマンの肖像」
1639年の作品です。エレーヌ・フールマンはルーベンスの後妻です。16歳の時に、53歳のルーベンスに嫁ぎました。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「エレーヌ・フールマンと子供たち」
1636年の作品です。ルーベンスはこの後妻を深く愛しました。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「スザンナ・フールマンの肖像」
1620年~1625年の作品です。ルーベンスの後妻エレーヌの姉です。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「ディードーの死」
1635年~1638年の作品です。 -
この部屋がまるまる「ギャラリー・メディシス」です。
この部屋を占めている絵画・全24枚は、フランス王妃マリー・ド・メディシスの生涯をテーマに描かれた連作です。描いたのは全てルーベンスです。
マリー・ド・メディシスは、1573年にフィレンツェの名門メディチ家に生まれました。27歳の時に、フランス国王アンリ4世のもとに嫁ぎます。(当時としては異例の晩婚)アンリ4世が暗殺されると、幼い息子ルイ13世の摂政となりますが、政治的な能力に乏しかったため、やがて貴族や成長したルイ13世から不興を買うようになります。そしてついに息子から追放され、いったんは和解するものの、1631年には再び追放され、ブリュッセルに亡命しました。
これらの連作は、ルイ13世といったん和解した頃に、ルーベンスに依頼されたものと考えらえます。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「公女の誕生」
1573年4月26日にマリーが生まれたときの絵画です。嬰児マリーの頭上には豊穣の象徴であるヤギの角が描かれ、マリーの将来に栄光と幸運が訪れることの予兆となっており、ライオンは権力と精神力の象徴となっています。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「公女の教育」
『公女の教育』にはマリーが勉強する姿が描かれています。マリーの教育を担当しているのはアポロン、ミネルヴァ、メルクリウスの3柱の神々である。アポロンは芸術、ミネルヴァは知恵をつかさどる神で、メルクリウスは神々の伝令であり、巧みに言葉を操る雄弁さで知られる神です。神々からマリーへの贈り物である杖カドゥケウスを差し出すメルクリウスが極めて印象的に描かれています。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「アンリ4世へのマリーの肖像画の贈呈」
絵姿のマリーに一目惚れするアンリ4世が描かれています。愛の神キューピッドがアンリ4世に付き従い、結婚の神ヒュメナイオスが、マリーの絵姿を未来の夫でフランス王たるアンリ4世に紹介しています。画面上部には雲に乗ってアンリ4世を見下ろすユピテルとユノがこの結婚を祝福する様子が描かれています。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「マリー・ド・メディシスとアンリ4世の代理結婚式」
1600年10月5日にフィレンツェの大聖堂で挙行されたフィレンツェ大公女マリーとフランス王アンリ4世の代理結婚式 の情景が描かれています。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「マルセイユ上陸」
イタリアからやってきた王妃マリーは、神や天使に祝福され、威風堂々とマルセイユに上陸します。 -
画面下部には、海の精ネレイスや、海の神ネプトゥヌスらが身を乗りだしています。
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両手を開げて迎える青いマント(フランス王家の紋章あり)の人物は、国家としてのフランスの擬人像です。
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ピーテル・パウル・ルーベンス「マリーとアンリ4世のリヨンでの対面」
代理結婚式後にマリーとアンリ4世が最初に出会ったときの情景を寓意画として描いています。マリーとアンリ4世がローマ神話のユノとユピテルに仮託して表現されています。実際にはアンリ4世の愛人関係の影響で、マリーはリヨン到着から一週間近く経つ深夜までアンリ4世と会うことが出来ませんでした。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「フォンティーヌブローでの王子の誕生」
マリーが生んだ最初の王子であるルイ(後のフランス王ルイ13世)の誕生が描かれています。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「摂政委譲」
アンリ4世が暗殺される少し前に、マリーがフランス摂政とドーファン(王太子)養育をアンリ4世から一任されたときの情景を描いています。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「サン=ドニの戴冠」
パリのサン=ドニ大聖堂で戴冠するアンリ4世とマリーが描かれています。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「ユーリヒでの勝利」
マリーが摂政時代に経験した唯一の軍事行動を描いた作品で、ユーリヒでのフランス軍の勝利を主題としています。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「スペイン国境での王女の交換」
1615年11月9日にマリーの息子ルイ13世とスペイン王女アナ、娘エリザベートとスペイン王太子フェリペとの間で挙行された二重結婚が描かれています。この二重結婚はフランスとスペインの関係強化を意図した政略結婚であり、フランスとスペインの国境を流れるビダソア川の浮島で行われました。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「摂政マリーの至福」
マリーの摂政時代が優れたものだったことを示唆する作品です。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「アングレームの条約」
マリーは息子ルイ13世と対立するようになり、パリを追放されていました。この作品は母子の関係修復に向かって一歩目を踏み出した情景を描いた作品です。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「アンジェの平和」
1620年にマリーはルイ13世に対して反乱を起こしたが、レ・ポン=ド=セの戦いで敗北し、アンジェで不本意な休戦協定にサインさせられました。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「完全なる和解」
多頭のヒュドラに致命傷を与える擬人化された「神の法」と、それを見つめる「摂理」が画面前景に描かれています。瀕死のヒュドラは、ルイ13世の寵臣で1621年に病死したリュイヌ公シャルル・ダルベールに擬せられています。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「真理の勝利」
ルイ13世とマリーとの和解が天国を背景にした純粋な寓意画として描かれています。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「真理の勝利」
マリーとルイ13世は天界に浮かび、調和、相互理解の女神コンコルディアの象徴を手にして見つめ合っています。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「真理の勝利」
画面下部には時の神サトゥルヌスが真理の女神ウェリタスを天国へと抱え上げ、真実と両者の和解を「白日の下にさらそうと」しています。 -
まさにルーベンスの殿堂です。
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