2020/09/13 - 2020/09/14
27位(同エリア354件中)
キートンさん
この旅行記のスケジュール
2020/09/13
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神戸空港
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飛行機での移動
神戸空港(17:55発)→新千歳空港(19:45着)SKY175便
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新千歳空港
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電車での移動
JR→地下鉄東西線・南北線→徒歩
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この旅行記スケジュールを元に
4月の海外旅行がキャンセルになって、今年は旅行が全くできないまま9月を迎えた。
世の中を一変させたウイルスの感染者が8月上旬にピークを迎え、減少傾向となってから約1カ月。
残暑を逃れて北への旅ができる条件がそろってきた。
約2週間の天気予報をチェックして、出発まで1週間を切っていた北海道行きの手頃なツアーを急きょ予約。
9月13日発、札幌3泊がGOTOトラベルで実質2万円を切るお値打ちツアー。
25年前にニセコに滑りに行ったことを除けば、1985年に卒業旅行で行って以来、実に35年ぶりの北海道旅行となる。
学生の頃、夏と冬に行った北海道は、我が旅の原点ともいえる想い出深いものだ。
今回はその時訪問できなかった小樽と積丹半島を、札幌を基点にして観光しようという目論見。
晴天が続けば、札幌から日帰りで美瑛もしくは紅葉の季節の旭岳にも行ければ最高だ。
予約時に見た週間天気予報では14日から16日の3日間は連日晴れで、台風10号も去り、11号はまだ発生していなかった。
長期予報はあてにならないと頭ではわかっていても、出発が近づくにつれ天気予報は悪化するばかり・・・
最後に天は我に微笑むのか、それとも我を見放すのか・・・
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス スカイマーク JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- エイチ・アイ・エス
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往路は、9月13日神戸空港17:55発新千歳空港行きSKY175便。
スカイマークの神戸発新千歳空港行きは午前中にも便があるが、出発日が近かったので取れなかった。
夕方発の便になったので、13日は移動のみで観光はできないが、その分ツアー費用は若干安くなった。
復路は16日新千歳空港20:25発の便なので、14日~16日の3日間観光可能だ。
ただ神戸空港22:20着なので、ほぼ終電で帰宅することになるので遅延があれば困るが、定時運航率NO.1のスカイマークを信じる。 -
定刻通り飛び立ったSKY175便は、夕日を浴びる雲の上を飛行していく。
新千歳空港からはJRで新札幌まで行き、地下鉄東西線と南北線を乗り継いで、中島公園駅で下車。
ローソンで買い物して宿へ向かう。 -
3連泊するのは、中島公園駅から徒歩7~8分のホテルマイステイズ札幌中島公園別館。
比較的新しいビジネスホテルという感じ。
1人の宿泊だが、ベッドはダブルで広かった。
チェックインして一息ついた頃、テレビでは9時からのドラマが終盤を迎えていた。 -
冷蔵庫、セーフティボックス、ポットなどひと通りそろっている。
ちなみにホテルの2階に自販機、レンジ、製氷機などがある。 -
極一般的なユニットバスだが、浴槽は狭めといわざるをえない。
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翌14日は、観光1日目となる。
昨夜は雨だったが、14日はなんとか雨はあがっていた。
14日~16日の3日間の天気は連日曇り時々雨みたいな予報。
そのうち14日が最も降水確率が高く、ぐずついた天気となりそうだ。
積丹半島と小樽は2日目と3日目にして、今日は札幌近郊の観光にするのが無難か・・・
などと思いながら、朝7:30頃ホテルを出発。バスルームが狭いが清潔感のあるビジネスホテル by キートンさんホテルマイステイズ札幌中島公園別館 宿・ホテル
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まずは、ホテルの近くの中島公園を散策。
菖蒲池という池に沿った遊歩道を行く。 -
中島公園内には1880年(明治13年)に高級西洋ホテルとして開拓使が建てた豊平館がある。
当時は大通りに面した位置にあったが、1958年(昭和33年)ここに移設された。豊平館 名所・史跡
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白とマリンブルーの美しい木造建築で、正面玄関の上に半円形のバルコニーがある。
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水辺と緑の散策路を歩き、地下鉄中嶋公園駅へと向かう。
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中嶋公園駅で地下鉄1日乗車券830円を購入し、南北線で終点の真駒内へと移動。
バスの始発まで時間があったので駅前をぶらぶら。
真駒内では、1972年札幌オリンピックにおいてスケート競技や開会式と閉会式などが行われた地である。 -
真駒内のバス乗り場から、8:45発の中央バス「真106」滝野すずらん公園行きに乗って滝野峠で下車(380円)。
そこは真駒内滝野霊園のエントランスに位置する。
なぜ、観光なのに霊園なのか・・・ -
それは、霊園には不似合いなモアイ像を見るため。
・・・というわけではない。
それもないわけではないが・・・ -
感染予防をしたモアイ像を見るため。
・・・でもない。
どうでもいいことだが、モアイ像のマスク着用率は低い。 -
ここまで来た目的は「頭大仏」である。
頭だけの大仏なんてあるのか?
オンリーワンの大仏を創りたかっただけなのか?
いろいろ疑問は浮かぶだろうが、当然私はどういうことなのか知っている。
知っているから、わざわざここまで来ているのである。 -
頭大仏殿の正面まで来ると、その正体が部分的に明らかになっていく。
ここから先の拝観は、協力金300円とさりげなく促される。
300円は目安であって、人が監視しているわけでもない。 -
ここまで来ると何となく謎が解けてくる。
設計者は「見えないことによって創造力を喚起する」と記している。
ちなみに緑の植栽は、7月にはラベンダーの花で紫色に彩られるという。
もう9月なのでそれは見れないが、トラコーンはなんとかならないのか思ってしまう。 -
大仏に近づくには、長方形の水庭を回り込まないといけない。
参道をまっすぐに進まずに水庭を迂回することで、水で心を清め、日常から非日常へと心を切りかえるのだという。
ここでは一面の曇天ではなく、青空と浮かぶ雲を映した水面を見たいところだった。 -
香炉の向こうは、天井に曲線を描くコンクリートがひだのように連なったトンネルとなっている。
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薄暗に包まれた体内的空間を模したトンネルを進むと、いよいよ大仏が全貌へと近づく。
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そこを抜けて、初めて大仏の全貌を仰ぎ見ることができる。
鎌倉大仏とほぼ同じ高さ13.5mのこの大仏は、もともと完全に屋外に造られたものだった。
その後、周りを覆う大仏殿を建設し、2016年7月に一般公開された。
この斬新でユニークな大仏殿を設計したのは、名建築家として知られる安藤忠雄。 -
イチオシ
大仏の頭上に円形の白い天井があるわけではない。
白く見えるのはまぎれもなく空だ。
快晴なら当然青空が見える。
こんな曇天より、青空の方が映えるのは言うまでもない。 -
あまりにもモノクロームな今日の頭大仏。
こんな冴えない日にここに来て、ひとつだけ良かったことがある。 -
それは、誰にもじゃまされずに、心おきなくここに身を置けたことだ。
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滝野峠のバス停に戻って改めて時刻表を見ると、10分読み違えていて次のバスまで50分程度待たなければならない事態におちいった。
また戻って霊園見学する気にもなれず、真駒内に向かって徒歩でいくつかの区間のバス停を戻ることにした。
幸いほとんど緩い下りとなる。
約30分ほど歩いて常盤小学校のバス停まで来た時、タイミングよく別路線の真駒内行きのバスが来たので乗車した(300円)。 -
真駒内から地下鉄南北線と東西線を乗り継いで、新さっぽろで下車。
JRバスに乗り換えて11:50頃、北海道開拓の村に到着。
入場料は800円。 -
見学を始めようと思った頃、雨が降りだした。
お昼時でもあったので、開拓の村食堂で昼食することにした。
札幌の観光施設としてはそれほどメジャーではないせいか、平日ということもあって混雑してはいないように見えたが、注文してから意外に待たされた。
注文したのは、ヘルシーそうな開拓そば680円。
食レポは苦手なので差し控えるが、まあ可もなく不可もなくってとこかな。 -
12:30頃食堂を出ると、幸い雨はほぼやんでいた。
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北海道開拓の村の見取り図。
約50の北海道の歴史的建築物を見学することができる。
主に、市街地群、山村群、農村群、漁村群と4つのエリアがあるが、大規模な建築物は少なく、昔の生活が感じられる庶民的な建築物が大半のようである。 -
ビジターセンターともなっている「旧開拓使札幌本庁舎」。
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北海道開拓の村の空撮写真。
農村群が写っていない。
明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建築物を54.2haの敷地に移設復元・再現した屋外博物館となっている。 -
北海道開拓の村のジオラマ。
市街地群の中央の通りのアップ。 -
開拓使札幌本庁上棟式(明治6年)の写真。
北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)の北側に建てられた。
というより、北海道庁旧本庁舎がこの開拓使札幌本庁舎の南側に明治21年に建てられたと言うべきか。 -
旧岩間家農家住宅の模型。
旧開拓使札幌本庁舎には開拓の村にある建築物の模型がいくつか展示されている。 -
「旧浦河支庁庁舎」
日高の浦河に1919年(大正8年)に浦河支庁として建てられ、1932年(昭和7年)に日高支庁と改称された。 -
旧浦河支庁庁舎内の展示。
馬車とか人力車などの展示もある。 -
市街地群の中央の通りには、2列の並木の間に馬車鉄道が走っている。
馬車鉄道は、4~11月の間250円で乗車できる。 -
中央の通り沿いに南に向かって見学していく。
通りの西側には「旧来正旅館」(右)と「旧三ます河本そば屋」(左)が並ぶ。 -
「旧来正旅館」
東永山兵村に屯田兵として入植した来正策馬は、1898年(明治31年)に退役後、開通直後の宗谷本線の永山駅前に待合所を開業した。
水害を受けた後、1919年(大正8年)に旅館兼待合所として再建した。
大正期の駅前旅館の内部のようすが再現されている。 -
2015年放送のNHK連続テレビ小説「マッサン」の撮影で使われたという。
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「旧三ます河本そば屋」
石川県から小樽に移住した河本徳松が、そば屋で修業を積んで三ますそば屋ののれんを継いで新築した店。
1階に調理場とそば粉をこねて麺を作るそば部屋がある。 -
中央の通りの東側にある「旧小樽新聞社」。
明治末期の小樽の代表的な洋式建築物のひとつ。
構造は石壁の内側に木の柱を建てた木骨石造形式。 -
活版印刷に使っていた活字。
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「旧武井商店酒造部」
茅沼の武井家が1886年(明治19年)頃に建てたもので、酒造業は1895年(明治28年)頃から始められた。
酒造工場には酒を製造する道具が展示され、大正期のようすが再現されている。 -
旧武井商店酒造部の間取りと解説。
各建築物には、このように詳しい解説板が設置されている。 -
「旧開拓使工業局庁舎」
明治初期の洋風事務所建築の特徴を持ち、開拓使関係庁舎としては現存する唯一のもの。 -
旧開拓使工業局は、道路・橋梁・官庁・学校などの施設や機械・農具・車両などの製造事業を行い、北海道開拓に大きな業績を残した。
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交差点角にある「旧札幌警察署・南一条巡査派出所」。
札幌創成橋の脇に最初に建てられた派出所は木造だったが、その後個人の篤志寄付でレンガ積に建てかえられた。 -
「旧武岡商店」
淡路島から静内郡に移住した武岡家が1882年(明治15年)から米穀、雑貨、荒物などを扱ってきた商店。
町の発展にともない本格的な店舗兼住宅を新築し、地方の商業の中心的役割を果たした。 -
「旧島歌郵便局」
1886年(明治19年)に島歌に設置された郵便局。
今ではこのポストに投函しても届くことはないようだ。
そもそも投函口がクローズしている。 -
「旧山本理髪店」
北海道神宮参道沿いの床屋さんとして親しまれてきた。
ぴーんと伸びた客の足が、緊張感を物語っている。 -
中央の通りの東側に並ぶ(右から)「旧渡辺商店」、「旧山本理髪店」、「旧島歌郵便局」、「旧南一条巡査派出所」。
「旧渡辺商店」(右端)
中頓別市街に建てられた雑貨店で、耐火・耐寒を目的とした漆喰仕上げは北海道では例が少ない建築物である。 -
「旧大石三省堂支店」
札幌で菓子製造の技術を習得した大石泰三が、1925年(大正14年)に帯広で菓子の製造販売を始めた商店。
建物内の菓子工場では、木型と型でできる菓子の展示もみられる。 -
「旧太田装蹄所」
1924年(大正13年)から札幌の幹線道路沿いで営業していた蹄鉄屋。
馬が物資運搬や農耕の主役であった時代、馬蹄の保護は欠かせない職種であった。 -
「旧藤原車橇製作所」
兵庫出身の宮大工藤原信吉が深川で1903年(明治36年)に開業した車橇製作所。
そりの先端を曲げる台木曲げ(鼻曲げ)は、馬橇の製作工程の中で最も高度な技術を必要とする作業であった。 -
市街地群の南西端にある「旧札幌拓殖倉庫」
札幌駅北側にあった6棟の倉庫のうちのひとつ。
開拓期の農産物の集散に大きな役割を果たした。 -
倉庫内には、農業、林業、水産業などの地場産業の発展を支えた産業機械や器具が展示されている。
昔、田舎の倉庫で見たことあるような農機具もあったりして・・・ -
「旧広瀬写真館」
大正末期から昭和中頃まで岩見沢市街で営業していた写真館。
玄関の扉越しに見た外の景色が、額縁に収まった絵のように見えた。 -
靴を脱いで上がった1階は、いたって普通の古い民家といった感じ。
北海道開拓の村の建物の多くは、靴を脱いで内部を見学することになる。
めんどくさいが、当時の生活空間の中に身を置けるというメリットは大きい。 -
イチオシ
玄関を上がったところに2階への階段があり、2階に待合室と写場(スタジオ)がある。
この写場の片側は自然光を取り込むため、シングルスラントと呼ばれるガラス張りとなっていて、白や黒のカーテンや反射板などで光量調節をしていたようだ。
ふんだんに陽光を取り込んだ室内は実に明るい。 -
フィルムはガラス乾板で、だるま型三脚台座式アンソニーカメラとやらで撮影していた。
大きな建物を除けば、2階を見学できたのはここだけだった。
個人的にとてもお気に入りの建築物である。 -
市街地群から山村群に入ると、「旧札幌農学校寄宿舎(恵迪寮)」
北海道大学の前身である札幌農学校は、1876年(明治9年)現在の時計台付近に開学した。
1903年(明治36年)に現在の北大構内に移転し、寄宿舎が新築された。 -
当時は玄関棟と2棟36室および厨房棟があったが、ここでは玄関棟と2棟12室が復元されている。
北棟と南棟は長い廊下でつながっている。 -
1室に4つのベッドと中央にテーブルがある。
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年季の入った階段。
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北棟の2階から見た玄関棟と南棟。
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「旧北海道札幌師範学校武道場」
北海道教育大学札幌校の前身である北海道札幌師範学校の武道場として、1929年(昭和4年)に建設された。 -
道場は400㎡と非常に広く、中央で柔道場と剣道場に分かれている。
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ここで素振りの練習でも・・・
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「森林鉄道機関庫」
道内各地に敷設された森林鉄道にともなって建設された。
木材搬出は、昭和初期には従来の流送にかわって鉄道運材が主流となり、機関庫や貯木場も整備された。 -
だんだん日差しが出て、園路にも木漏れ日が。
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「旧平造材部飯場」
大正後期に下川村奥名寄の御料林内にあった造材飯場を再現したもの。
伐木や造材に携わった山子や集・運材作業に従事した薮出し、馬追いなどが寝泊まりした。 -
この飯場には40人ほどの山子と薮出しが生活し、馬追い飯場は別棟になっていた。
あまりにも個人のスペースが狭く、現代人から見ればとても生活できるところではない。 -
「炭焼小屋」
大正末期の副業製炭業者の角窯を再現したもの。
炭窯の種類は多様だが、明治・大正期の北海道では角窯が多く使われていた。
ここから起伏のある園路を歩き、山村群から農村群に移動する。 -
「旧菊田家農家住宅」
新潟県長岡の有力者たちは北越殖民社を組織し、野幌原野の開拓を計画した。その一員の魚沼郡出身者が移住した1893年(明治26年)頃に建築し、後に菊田常吉が買い受けた住宅。 -
移住者の団結心を養っていたお祭り当日のようすを再現した食卓。
当時としては豪華な料理が盛られている。 -
「開拓小屋」
明治期に移住者が最初に建てた住居を再現したもの。
見るからに原始的で粗末な住居である。 -
丸太を埋めて柱とし、桁や梁、垂木をわたし、笹や茅などで屋根や壁をふいている。
笹や枯草を重ねた上にむしろを敷いて居間とし、炉を設けている。
この構造で厳しい北海道の冬を越したとは思えない粗末な造りだ。 -
「旧小川家酪農畜舎」
大正末期に札幌農学校出身の小川三策がアメリカから取り寄せた設計図を参考に建築した。
19世紀のアメリカで発達した構造が特徴。
軟石のサイロは、後に札幌の厚別の農家より譲りうけたもの。 -
北海道で酪農業が盛んになった大正末期の牛舎。
当時、牛の寝床は牛房と呼ばれた。
奥にいるホルスタインは人形。
じゃなくて、牛形? -
「旧樋口家農家住宅」の骨組み。
樋口家は1893年(明治26年)に富山県から移住し、5年後にこの家を建てた。
富山県の建築様式ワクノウチ造りを取り入れている。 -
「旧納内屯田兵屋」
納内(おさむない)に入地した屯田兵の住居。
1875年(明治8年)に始まった屯田兵は、家族とともに兵村で暮らし、警備と農業開拓に従事した。 -
「旧岩間家農家住宅」
岩間家は旧仙台藩から士族移民団として1871年(明治4年)に入植した畑農家である。
1882年(明治15年)に建てたこの住宅は、構造・間取りともに仙台地方の特徴を受け継いでいる。
(ビジターセンター「旧開拓使札幌本庁舎」に模型がある) -
明治後期の農家の台所のようす。
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「旧河西家米倉」の裏の畑。
ぐずついた天気のせいか、ひまわりの花もうなだれているが、ここにきて青空ものぞいてきた。 -
イチオシ
「旧田村家北誠館蚕種製造所」と、その向こうのレンガ造りは馬車鉄道車庫。
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「旧田村家北誠館蚕種製造所」
浦臼村の田村忠誠が1901年(明治34年)から5年かけて建築したもので、絹の原料となる蚕の卵「蚕種(さんしゅ)」をとっていた。
蚕種の製造販売を行うかたわら、多くの養蚕技術者を育成した。 -
農村群の最奥にある「旧農商務省滝川種羊場機械庫」
大正中期に建築された種羊場の代表的な施設。
メリノー種やサウスダウン種など約750頭の緬羊を試験飼育していた。
機械庫には大型農機具を中心とした農業機械が展示されている。
赤いトラクターを見ると小林明が頭に浮かぶのは、昭和を生きた人間の名残なのか・・・ -
「旧ソーケシュオマベツ駅逓所」
現在の伊達市大滝付近で1909年(明治42年)から1934年(昭和9年)まで営業していた官設駅逓所。
駅逓は、明治から昭和にかけて、荷物の搬送や郵便・宿泊などの業務を行っていたが、他に現存するものは少ない。 -
池沿いに農村群から漁村群へと歩く。
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「旧秋山家漁家住宅」
秋田県男鹿半島から明治末期に移住した秋山嘉七が、ニシン漁で繁栄していた時期に建築した漁家住宅。
洋風の棟飾りをもつ寄棟造りである。 -
イチオシ
海に見たてた池の向こうに見えるのは、「旧土谷家はねだし」(左)、「旧青山家漁家住宅」(中央)、「廊下」(右)。
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「廊下」
陸揚げしたニシンを一時収蔵するための施設であるが、漁期後は船・櫂・櫓などの大型の漁労具や加工用具を収納する倉としても利用された。 -
「旧青山家漁家住宅」
青山家は1859年(安政6年)に山形県から渡道し、小樽沿岸を中心にニシン建網などを経営した漁家である。
母屋は中央の土間をはさんで親方の住まいと漁夫の生活の場所に分かれている。
漁夫の寝床は2段になっていて、約60名が寝泊まりできた。 -
漁家とあって、囲炉裏で焼かれているのはやはり魚。
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青山家元場(本拠地)には、10数棟の建物が存在したが、そのうち7棟がここに移築されている。
母屋の奥には、文庫倉、石倉、米倉、網倉などが一直線に配置している。 -
漁村群から市街地群に戻って「旧北海中学校」
この校舎は1908年(明治41年)から翌年に建築された本館部分。
外観の意匠は、明治半ばから大正期の官庁や学校の木造建築によく見られる様式である。 -
学生の服装。
はいからさんな女学生が通っていたみたい。 -
「旧有島家住宅」
日本近代文学の作家である有島武郎が、1910年(明治43年)から翌年にかけて住んだ住宅。
一般の住宅にも、上げ下げ窓などの洋風意匠を取り入れ始めた頃の建物である。 -
代表作のひとつ「生まれ出づる悩み」の中に、「豊平川右岸の、1町歩ほどもあるリンゴ園のなかにあった借家」とあるのが、この家なのだとか。
当時有島は、母校の東北帝国大学農科大学(現在の北海道大学)の英語教師であったが、そのころ生まれた長男行光は、後に「雨月物語」、「羅生門」、「浮雲」などの名作に出演し、日本の代表的な俳優として知られる森雅之である。 -
「旧松橋家住宅」
松橋家は、明治初期に秋田県から札幌に移住し、農業および土地会社経営に従事した。
北海道開拓の村にある住宅の中では珍しく、西洋間がある。 -
廊下沿いの窓は一見出窓のようになっていて、実は下部に収納を設けている。
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「旧開拓使爾志通洋造家(白官舎)」
開拓使の官舎として建てられたが、完成後、順次払い下げられた。
アメリカ中西部の建築様式を模範とし、外観は洋風だが、内部は畳敷きなどの和風で、和洋折衷である。 -
「旧近藤染舗」
1898年(明治31年)に創業された旭川で最も古い染物店。
この建物は、1913年(大正2年)に新築された店舗兼住宅。 -
北海道開拓の村のエントランスに建っている「旧札幌停車場」
明治から昭和にかけて使われていた生活用品が展示されているほか、コインロッカーもある。
15:00発のバスに乗ろうかと考えていたが、結局16:00発のバスに乗ることになった。
それでも終盤はかなり駆け足の見学だった。
北海道開拓の村は、万人向きの観光施設とは言い難いかもしれないが、屋外博物館としてかなりの充実ぶりで、リーズナブルで穴場的な存在だ。
特に歴史的建築物や近代(明治から昭和前半)の庶民の生活に興味のある人なら、丸1日見学しても飽きないだろう。
ちょっとだけ見学して行こか~などと軽い気持ちで入場してしまうと、抜け出せなくなる中毒性をもっている施設なので注意が必要である。 -
バスと地下鉄東西線を乗り継いで、大通公園に戻ってきたのは17:00前になっていた。
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北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)は18:00まで入場できると思って来てみたが、17:00までで入場できず。
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この夕暮れ時をどこで迎えるか考えたが、藻岩山や大倉山まで行くとベストな時間帯に間に合わないので、手っ取り早くここに上ることにした。
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さっぽろテレビ塔の展望台の料金は800円。
展望台は地上約90m。
360°展望がきくが、スペースはあまり広いとはいえない。
西側にはテレビ父さん神社がある。 -
見下ろすと夕暮れ前の大通公園。
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南東側には「怖窓(こわそ~)」があり、ほぼ真下が見下ろせる。
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イチオシ
日没直後の大通公園。
大通公園の先には大倉山のジャンプ台の灯りも見える。さっぽろテレビ塔 名所・史跡
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南側には、創成川通が伸びている。
空はほぼ一面雲に覆われ、ブルーモーメントは期待できそうにない。 -
南西側、最も高い山が藻岩山か。
その手前には観覧車のイルミネーション。 -
観覧車ノリアは、商業施設ノベルサの屋上にあり、直径45.5m地上78mに達する。
まあ、こっちの展望台の方がちょっと高いってわけだ。
(地面の標高がほぼ同じという前提だが) -
東側でひときわ高いのは、41階建の超高層マンション。
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どっぷり暮れゆく大通公園。
ビルの灯りが少なく感じるのは、残業削減か在宅勤務が多いのか、そもそも以前からこんな感じなのか・・・
というわけで、このへんで地上に下りることにした。 -
イチオシ
大通公園に下りると、噴水のライトアップ。
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今日締めの観光は、時計台のライトアップ。
降水確率が高かったものの、結局昼食時に降っただけで観光に影響はなかった。
よくここまでもってくれたものだ。 -
定番の撮影場所からの時計台。
今日は問題なく観光できたが、問題は明日からの2日間だ。
予定では積丹半島(神威岬と島武意海岸)と小樽に1日ずつと考えていたのだが、小樽はともかく積丹半島では多少なりとも晴れ間が見たい。
長時間バスで往復するからには、そこは結構重要だ。
しかし、その2日間の天気予報は検索したサイトによって雨が降るとか降らないとかまちまち、なんとも悩ましい予報だ。
積丹半島に行くと決めたら、北海道中央バスの「ぐらんぶる・しりべしフリーきっぷ」というバス2日間乗り放題のお得なきっぷを今日中に購入しておくのだが、悩んだ結果見送ることにした。
この判断は、吉と出るか凶と出るか・・・
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