2020/09/16 - 2020/09/16
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キートンさん
この旅行記のスケジュール
2020/09/16
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急きょ決めた35年ぶり、4日間(実質観光3日間)の北海道旅行。
早くも観光3日目は最終日。
今日は積丹半島(神威岬と島武意海岸)に行く最後のチャンスだったのだが、前日夜の天気予報では積丹半島降水確率は低くなく、札幌の方が天気はよさそうだった。
これが遠い海外でのことなら強行していただろうが、北海道ならいつでも来るチャンスはある。
などと言い訳も浮かんで、結局消極的な策をとり、最終日は札幌観光することに決めて昨夜は眠りについた。
1日目に札幌郊外で行こうと思っていたところに行っていたので、今日は札幌の中心地を重点的に観光しようかと考えた。
というわけで、最終日は概ね定番の札幌観光となりそうです。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- スカイマーク JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- エイチ・アイ・エス
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朝起きると雨だった。
しかし、チェックアウトした8:00頃になるとタイミング良く雨はあがった。
ホテルに荷物を預けて、地下鉄1日乗車券を購入し大通公園へ。
天気予報には翻弄されたが、結局青空まで見えだした。 -
札幌といえばここでしょう。
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オープンの8:45まで少し時間があるので周囲を散策。
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札幌市時計台の入場料は200円。
正式名称は、「旧札幌農学校演武場」。
札幌農学校は、北海道大学の前身で北海道開拓の指導者を育成する目的で1876年(明治9年)に開校した。
演武場(時計台)はクラーク博士の提言により、農学校生徒の兵式訓練や入学式・卒業式などを行う中央講堂として1878年(明治11年)に建設された。
当初、周りには北講堂、寄宿舎、復習講堂、化学講堂などが建っていた。 -
開拓使はマサチューセッツ農科大学長のW.S.クラーク、同校教師のW.ホイーラー、D.ペンハローを教師陣として招いた。
校長は日本人だったが、農学校の教育方針や授業科目など教育面での全ては初代教頭であるクラーク博士が定めた。 -
1911年(明治44年)から1943年(昭和18年)までは教育会の事務室及び市民の図書室・集会場として、戦後から1966年(昭和41年)には市立図書館として利用されていた。
札幌市時計台 名所・史跡
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当初時計はなかったが、1881年(明治14年)に鐘楼を撤去し、時計塔を設置した。
塔時計は、アメリカ・ボストン市ハワード社製で、動力に重りを使用した振り子時計である。
原形のまま正確に作動している、日本で最も古い塔時計だといわれる。 -
札幌市時計台イルミネーション募金箱。
お札又はコインを入れるとライトアップされる。
まあ庶民はコインでよかろう。 -
イチオシ
時計台の見学後、隣にある市役所の展望回廊に上がろうとしたが、9:30からで時間があったので、先に北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)を見学することにした。
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1888年(明治21年)に建てられたアメリカ風ネオ・バロック様式の歴史的建築物である。
約250万個のれんがが使われているという。
2022年度までリニューアル工事中で通常の展示は見学できないが、部分的に入場見学できるようだ。北海道庁旧本庁舎 名所・史跡
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赤い絨毯が敷かれた玄関ホールに入った正面にある階段。
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階段の踊り場から。
残念ながらこれより先は、現在立入禁止。
1階廊下に多少展示物はあるものの、特に見ごたえのあるものはなさそうで、玄関ホール付近のクラシックな雰囲気を体感する程度の見学だった。 -
再び市役所に戻って展望回廊へ。
19階建ての庁舎の屋上で、入場無料。
5月上旬~10月下旬の平日、9:30~16:30の間開放されている。
回廊といってもテラスは北側と南側に分かれている。 -
さっぽろテレビ塔の近くなので、遠方の風景はテレビ塔の展望台とそれほど変わらない。
南西側には、藻岩山や観覧車ノリアが見える。 -
西の方向には、遠くに手稲山が見え、上空は青空が広がってきた。
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東の空は全面的に曇りだ。
100m先に中央バス札幌ターミナルがある。
そして南東にはさっぽろテレビ塔。
こちらはテレビ塔の展望台よりは少し低い感じである。
大通公園から1ブロック北側に位置するので、大通公園を見通すことはできない。 -
この展望回廊で特筆すべきは、北側にある時計台を上から見下ろすことができるということ。
まさに穴場のビューポイントである。 -
市役所から北に向かい、やって来たのは北海道大学。
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イチオシ
大学のキャンパス内とは思えない、美しい緑地。
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北大といえばこの人ともいうべき、ウイリアム・スミス・クラークの胸像。
北海道大学 名所・史跡
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1909年(明治42年)、古河財閥の寄付により建設された古河記念講堂。
見た感じ、かなり老朽化が進んでいる。北海道大学 名所・史跡
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キャンパス内の南北の通りを北へ歩く。
学生のほかにも、観光客やベビーカーを押しているような一般の市民もよく見かける。 -
昭和初期に建設されたという鉄筋コンクリート建築物は、北海道大学総合博物館。
入場無料、10:00~17:00(月曜日休館)。
約140年前の札幌農学校時代から収集・保存・研究されてきた貴重な学術標本を所蔵し、北大の教育、研究の成果を一般に展示、公開している。北海道大学総合博物館 美術館・博物館
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博物館は1階から3階までの3フロアーが展示室となっていて、1階から順路に従って見学して行く。
まずは、北大の歴史。
1876年(明治9年)に開校した札幌農学校を前身とし、1918年(大正7年)に日本で5番目の帝国大学として認定、1947年(昭和22年)に北海道大学へと名称変更された。 -
北海道大学は札幌キャンパスだけでも約177万㎡、東京ドーム38個分もの広い敷地面積であるという。
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札幌農学校の初代教頭を務めたウイリアム・スミス・クラークが、農学校1期生との別れ際に発したとされる、「Boys,be ambitious(少年よ、大志を抱け)」はあまりにも有名。
クラークが札幌農学校に赴任した期間はわずか9ヶ月と短いものだったが、自ら模範となり、学生を鼓舞・激励するだけでなく、マサチューセッツ農科大学の教え子から生え抜きを後継者に据えて、規律及び諸活動に厳格かつ高度な標準を作りだし、学生の自律的学習を促した。 -
北海道大学理学部卒業後、同大学に約35年間勤務した鈴木章は、「有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリング」が評価され、根岸英一、リチャード・ヘックとともに、2010年ノーベル化学賞を受賞した。
クロスカップリングなど一般人には理解不能だが、医薬品から液晶画面など幅広い分野に活用でき、新薬や新素材の開発を支える役割を担っているという。 -
コールタールを塗って人工的にガンを作ることに成功した、ウサギの耳。
日本人のノーベル賞受賞は1949年(昭和24年)の湯川秀樹まで待たなければならなかったが、戦前にも何人かの候補者は存在した。
生理学・医学部門では、北里柴三郎(血清療法の開発)、野口英世(麻痺性痴呆の原因解明)、山極勝三郎(人工発ガンの研究)、鈴木梅太郎(ビタミンB1の発見)の4人が、あと一歩のところで受賞を逃したといわれる。
ガンの発生原因が解明されていなかった当時、山極勝三郎は煙突掃除夫に皮膚ガンの患者が多いことに着目していた。
後に北海道帝国大学教授になった市川厚一は、山極勝三郎の助手をしていた1915年、ウサギの耳にコールタールを塗り続け、世界で初めて人工的にガンを作ることに成功した。
この研究により山極勝三郎はノーベル生理学・医学賞の有力候補となったが、デンマークのヨハネス・フィビゲルが「寄生虫発ガン説に関する研究」で受賞し、山極は受賞を逃した。
後年、フィビゲルの説は限定的なものであるとして覆されている。 -
「挑戦する北大」として、北極域の持続可能な活用と保全を目指す「北極域研究センター」と、食・運動・健康・医療の連携によるイノベーション創出を目指す「フード&メディカルイノベーション推進本部」の挑戦を紹介している。
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北海道大学には、文学部、教育学部、法学部、経済学部、理学部、医学部、歯学部、薬学部、工学部、農学部、獣医学部、水産学部の12の学部がある。
「北大のいま」として、1階から2階にかけて各学部が目指している教育や最新の一押し研究が紹介されている。
工学部の一押しは、小型ロケットの研究。 -
水産学部附属練習船「おしょろ丸Ⅲ世」の模型。
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獣医学部の展示スペースは、動物の骨格標本が所狭しと並んでいる。
牛や馬はもちろん、珍しいものではキモンオオトカゲが目を引いた。 -
北海道大学では、開拓や農林水産業の基礎となる生物分類学が伝統的に盛んで、陸上植物、菌類、海藻、昆虫、魚類などは国内屈指の充実した標本コレクションを擁している。
展示室では特に昆虫の標本が多く展示されている。
農学部の研究の中でユニークなものは、吉澤和徳准教授による「性が逆転した昆虫トリカヘチャタテを発見!」で、この功績で2017年イグ・ノーベル生物学賞を受賞した。 -
北海道大学文学部附属・北方文化研究施設が1969年から1972年に調査した、礼文島・香深井1遺跡・オホーツク文化中期の集落復元模型。
おそらく7世紀から8世紀頃の暮らしぶりと思われる。
この時代の犬が、やけにキュートだ。 -
マンモスの原寸模型
1971年にシベリア東部のサハ共和国で発掘された約3万年前のケナガマンモスの骨格をもとに、原寸大で復元されたもの。
北海道は日本で唯一、かつてマンモスが生息していた地域だという。 -
三葉虫の化石。
三葉虫はカンブリア紀に現れて古生代の終期であるベルム紀に絶滅した節足動物で、古生代を代表する海生生物である。 -
古生物の標本として、恐竜類のレプリカ標本は最も見応えがある。
巨大な頭部の骨格は、モンゴルで見つかったティラノサウルスの仲間のタルボサウルス。
10mを超える肉食恐竜である。 -
ニッポノサウルスは、1934年にサハリンの白亜紀後期の海成層で発見され、北海道帝国大学の長尾巧教授によって発掘・研究された。
当時サハリンは日本領だったこと、日本人によって命名される最初の恐竜だったことから、「サハリンの日本竜」という意味の学名がつけられた。
後に、北海道大学院の学生による研究で、この恐竜は子供だったことが判明した。 -
1976年に北海道足寄町で発見されたアショロア。
束柱類という半海棲の哺乳類デスモスチルスの祖先と考えられている。
北海道大学理学院卒の林昭次博士らによって、浅瀬で生活していたと推測されている。 -
鉱物や岩石標本を紹介する展示室には、美しい模様や色の鉱物も見られる。
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「アインシュタインドーム」と呼ばれる、中央階段の吹き抜けの天井。
12もの学部を擁する総合大学とあって、様々な分野の展示物が見学できるというのが北海道大学総合博物館の特徴のひとつだろう。
印象に残った展示物の一部を取り上げたが、やはりインパクトがあったものは生物の標本だった。 -
北海道大学総合博物館から西へ少し歩くと、ポプラ並木がある。
1912年に林学科学生の実習として植苗が行われたものだという。
2004年9月の台風18号により、半数近くのポプラが倒壊した。
全国からの寄付金で、倒木の立て直し、若木の植樹が行われてきた。
2020年の時点で、約80mが散策可能だが、その先は立入禁止となっている。北大ポプラ並木 名所・史跡
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見上げると、背の高いポプラの上に青空が広がっている。
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ポプラ並木に隣接して花木園があり、園路の一部は湿地の中を通っている。
北海道大学 名所・史跡
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12:00過ぎ、北大内の中央食堂で昼食とした。
さすが学食、これで300円台。
ダイエット中なので、白米は抜き。
じゃあ、なぜフライを選んでるんだ?ってところはスルーしてほしい。観光でも利用しやすい立地 by キートンさん北大生協の食堂 中央食堂 グルメ・レストラン
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昼食後、緑のイチョウ並木を東へ歩き、地下鉄南北線の北12条駅へと向かう。
思っていたより好天が続いているので、それを考慮して次の目的地を決めた。 -
地下鉄南北線、東西線を乗り継ぎ、円山公園駅からバスで大倉山競技場入口へと移動。
バス停から坂道を上ること10分ちょっと。
13:30過ぎに大倉山ジャンプ競技場に到着。
平日1時間に1便、円山公園駅からここまでの直通バスがあるが、タイミングが合わなかったので余計に歩くこととなった。 -
大倉山のジャンプ台といえば、言うまでもなく1972年札幌オリンピックの90m級ジャンプ(現在のラージヒル)の舞台である。
個人的には、札幌オリンピックはリアルタイムで見た記憶が残る最古のオリンピックである。
札幌オリンピックの想い出を3つ挙げるとすれば、日の丸飛行隊とジャネット・リンと「虹と雪のバラード」である。
この札幌オリンピックのテーマソングは、トワ・エ・モアのイメージが強いが、当時他の歌手やグループが歌うレコードが多く存在したという。
子供心にも心地良く響くメロディーだと感じていたが、オリンピックを「君」という人称で呼んでいる歌詞も印象的だ。 -
ここまで来れば当然ジャンプ台上部の展望台に行くべきなのだが、方法は2つ。
リフトに乗るか、歩くかである。
リフトは往復1000円、歩けば無料。
失敗したのは、最初に「さっぽろセレクト」というチケットのBコース(1700円)を購入しておけば、北海道開拓の村+さっぽろテレビ塔展望台+大倉山展望台リフトの料金の合計2600円のところ900円お得になっていたということ。
標高差130m以上あるが、先ほど摂取したイワシフライのカロリーを消費すべく、徒歩で上ることを選択した。
この分れ道、右の階段は展望台へ、左の道は上部観客席へとつながっている。 -
途中にあった見晴らし台から望む、ランディングバーン下部の方向。
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この道標からして、2/3は上って来たか・・・
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ちょうど14:00頃、たどり着いた展望台から見る景色は、なかなかの絶景だった。
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イチオシ
正面には円山とその向こうに札幌の市街地が広がっている。
雲が多いが青空も見えるので、変化のある見晴らしとなっている。 -
円山公園の先に大通公園が延びているのがわかる。
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その左(北東)の方向も彼方まで市街地が広がっていて、石狩湾は遠過ぎて見えないようだ。
札幌の中心地は意外と内陸にあるらしい。
やや遠くに見える緑の一画は北大の敷地だろう。 -
右(南東)の方向は、手前に神社山、右端に藻岩山が望める。
この展望台からは180度近くの眺望が見渡せる。 -
ジャンプ台のアプローチ(助走路)と左にペアリフト。
ペアリフトが整備されたのは1998年(平成10年)、それ以前はシングルリフトで、1982年(昭和57年)より前はリフトはなかった。
つまり、札幌オリンピックやそれ以前はもちろん、オリンピック後約10年は、ジャンプ選手は標高差130m以上を階段で上っていたのである。
子供の頃、長いスキー板を肩にかついで階段を上って行く選手の姿をテレビでよく見たものである。 -
ジャンプ競技のスキー板は、現在のルールでは最大で身長の145%(BMIによって制限が異なる)までとなっているが、一般的なアルペンスキーの板に比べると長くて幅広である。
軽い素材を使っているのだろうが、昔は飛ぶたびにこれをかついで上っていた。
通常試合本番で2本、練習も含めると1日に何度飛んでいたのだろうか・・・ -
展望台から下山の途中で中腹の観客席に寄ってみた。
イスはなく、立見席である。
50年近く前のオリンピックで、笠谷、金野、青地の3選手が金銀銅のメダルを独占したシャンツェはここ大倉山ではなく、ここから2km弱南にある宮の森である。
ここで行われた90m級ジャンプでは、笠谷以外の日本選手は振るわず、1本目2位につけた笠谷幸生に期待が集まった。
1本目K点を越える大ジャンプで首位に立った新鋭フォルトナ(ポーランド)は2本目飛距離を伸ばせず、笠谷は普通に実力を発揮すれば金は濃厚という状況となった。
笠谷の2本目、不運にも横風に煽られて7位に転落、70m級とは対照的に日本勢は惨敗に終った。
札幌オリンピック90m級ジャンプ
https://www.youtube.com/watch?v=E0yDJeaL6B0 -
その後の日の丸飛行隊は時期により浮き沈みを繰り返しながらも、八木弘和、秋元正博、原田雅彦、船木和喜、葛西紀明、小林陵侑、高梨沙羅、伊藤有希などの名選手を生み、活躍してきた。
ウインタースポーツの日本のお家芸ともいえるジャンプの競技場を、14:45発のバスに乗りあとにした。大倉山ジャンプ競技場 名所・史跡
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復路のフライトを考えると最後の観光となる訪問地はここにした。
地下鉄東西線と東豊線を乗り継ぎ、東区役所前で下車。
そこから徒歩10分少々、15:45頃サッポロビール博物館に到着。
予約不要の自由見学は無料で、開館時間は11:00~20:00。 -
自由見学コースで最初に見るのは、大きなビール煮沸釜。
ビールの仕込時に麦汁を煮沸するためのもので、ここでホップを加えて煮沸することにより、ビール独特の苦みと香りがつけられるという。
釜直径6.1m、釜高さ6.5m、容量85kl、総重量約13.5t、銅製(一部鉄)。 -
サッポロギャラリーでは、主にサッポロビールの歴史についての展示・解説がされている。
サッポロビール博物館 美術館・博物館
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サッポロビール工場の模型。
年代は確認していないが、建物の前を馬車などが走っていることからして明治か大正期を再現していると思われる。 -
世は文明開化の時代、日本のビールの黎明期に製造されたサッポロビール。
1876年(明治9年)、政府の開拓使が札幌に「札幌麦酒醸造所」を設立し、翌年に冷製麦酒の製造を開始した。
今も受け継がれているサッポロビールの赤い星は「五稜星」と呼ばれ、開拓使たちが北海道へ向かう時に目印にした北極星を意味しているという。
時代は変われど、ビール瓶の形が140年以上もほぼ変わっていないというのは驚愕の事実である。 -
1903年に東京工場が完成、1905年にはビール製造量で業界首位に立った。
関東市場で絶大な人気を誇っていたエビスビールは大打撃を受け、時の社長馬越恭平は、サッポロビールとアサヒビールに対して、日露戦争のさなか過当競争を避け、団結すべきだと論じた。
難航の末、1906年(明治39年)にサッポロビール、アサヒビール、エビスビールという業界大手3社が合併し、大日本麦酒株式会社が誕生し、馬越が社長に就任した。 -
大日本麦酒は、東アジア、東南アジアへと市場を拡大していった。
第一次世界大戦の影響で戦地となったヨーロッパからアジア市場へのビールが途絶えたことも追い風となった。
当時、海外向けに様々なラベルが作られ、ユニークなものも見られる。 -
ビールの原料となる大麦とホップ。
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戦前のポスターの数々。
女性をモデルにしたものが圧倒的に多い。
上段リボンシトロンの右側のポスターは、馬とビールを飲む騎手が描かれている。
これは、「うま(馬)いビールをジョッキ(騎手)で飲む」というメッセージなのだ。
さらに、ビールを飲む男と、それを見ている馬。
飲む男と馬(英語でホース)→「飲み干す」。
つまり、「うまいビールをジョッキで飲み干す」と読み取るのが100点満点の正解なのだという。 -
この時代になると我々おじさん世代には見たことありそなポスターが出てくる。
関千恵子(昭和26年)、北原美枝(昭和31年)、司葉子(昭和33年)、江波杏子(昭和36年)、石原裕次郎(昭和38年)、岩下志麻(昭和42年)、三船敏郎(昭和45年)、黒木瞳(昭和58年) -
自由見学コースの最後にはスターホールがある。
スターホールでは工場直送のビールやソフトドリンクを飲むことができる。(有料)
後で気が付いたのだが、シャンデリアがビール瓶。 -
いくつかある中で、北海道限定のサッポロクラシック(おつまみ付き300円)をチョイス。
ビールは300mlくらいの量だが、旅の最後の観光にこういうのもいいだろう。
ちなみに、3種飲み比べセット(800円)というのがなかなか人気があるようだ。 -
この旅の観光を全て終了し、ホテルで荷物を引き取ってすすきのへ。
この近辺でお土産を探すことにした。 -
土産を購入して18:00前、いよいよ空港へ向かおうとした頃、小雨が降り出してきた。
この3日間天気予報に翻弄されっぱなしだったが、ホテル滞在中と2日目の小樽で夕方に本格的に降られたものの、終ってみれば観光には大きな支障にはならなかった。 -
道内の移動も空港~札幌~小樽のエリアに限られたので、GOTOトラベルの適用もあってかなりリーズナブルな旅となった。
ただ、北海道といえば自然が大きな魅力なので、期待していた積丹半島に行かなかったことは悔やまれた。
積丹半島の海岸を満喫するには天候が重要だとはいえ、2日目に行っておくべきだったろう。
これが遠い海外なら迷いなく強行していただろうが、北海道ならまた来ればいいやと思い、消極的な判断をしてしまった。
ここ12年くらいは毎年海外を旅をして、国内旅行など何の問題もないだろうと軽く考えていたが、思わぬところで迷いが出るものだ。
果たして、次はいつ来れることだろう・・・新千歳空港 空港
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旅行記グループ 旅の原点に帰る北海道
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