1991/08/17 - 1991/09/05
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Masa さん
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長年保管していた中国旅行と九州旅行で撮りためた大量のスライド。
コロナで自宅待機中、思い切って整理することに。
しかし、このためにわざわざ、フィルムスキャナーを購入するのももったいないし、かといって外注すると費用もかかる。色々検索するとレンタル可能な事が分かり10日間借りることに。
レンタルしたのは、Optic Film 8200i Ai。費用は10日間で10580円。
最後の日は、夜中までかかって何とかスキャンを完了した。
今回スキャンした写真は、初めての海外旅行で香港・中国旅行&調査。内モンゴル自治区における遊牧民の生活様式の変貌を調査するため、1991年、約2ヶ月間中国内モンゴル自治区に行った。年初から夏休み前半まで、教授が企業から請け負った仕事を手伝い、旅費30万を確保した。
(以前にも旅行記をアップしている。)
メンバーは、大学の教授、先輩、私の3名で、前半桂林までは教授の家族が同行し観光がメイン。
当時香港は航空チケットが安かった事と、中国ビザが取りやすかったことから、世界中のバックパッカーが集まる街だった。私たちも、香港でビザを取得し陸路で中国入国をした。
学生でお金がなかったので、普通のフィルムとリバーサルフィルムを混ぜて使っていたため、写真があった分は既にスキャンし旅行記を作成していたが、スライド分の写真がスキャンできていなかったので、その分のみで新たに旅行記を作成。そのため、尻切れトンボで余り内容のないものになってしまっている。
北京から内モンゴル自治区の省都フフホトへ。この旅の前年も調査でフフホトには来ていて、フフホトの建設省の方々に調査協力をしてもらっていた。前回の補足調査のために再訪。フフホトの博物館で、土壁のパオの写真を発見し、そこに行くための許可待ちのため結局一ケ月近く滞在することになった。
以前アップした、旅行記
1991年、初海外の呼和浩特
https://4travel.jp/travelogue/11183201
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 自転車 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
◆僑園飯店
先生家族と別れ、桂林から北京へ移動。北京で一泊してフフホトへ -
◆洗礼
飛行機がなかなか飛ばず、北京空港で10時間近く足止め・・・
なぜ飛ばないか説明もないまま、待合室に移され、映画を見せられ、弁当や水が支給された。
結局、朝の便が、夜9時位に飛ぶことに・・・
プロペラ機で、トイレの匂いが機内に充満していたし、空調が入ると機内が見えなくなるほど霧が発生し、水滴がポタポタ落ち来る状況に・・・
流石の中国人客も飽きれる状況。北京首都国際空港 (PEK) 空港
-
◆いきなり
写真はいきなり飛んで、フフホトのナダム大会の会場。
飛行機が遅れ、フフホト22:30到着。迎えてくれるはずのロさんもおらず、どこのホテルが予約されているかも分からなかったが、とりあえず市内へ移動。
先生と先輩は前の年にもフフホトに調査に来ていたので、予約してくれていると思われるホテルに行ってみるが、予約はないとの冷たい回答・・・・
もう一軒のホテルに行ってみるが同じ回答・・・途方に暮れるなか、先生が二軒目のホテルの人にお願いし、通訳のロさんの電話番号を調べだし、ホテルで合流。予約してくれていたホテルは、結局一軒目のホテルで、またまた戻って0時半なんとかチェックイン完了・・・・ -
◆通訳・・・・
日本に留学経験があり、通訳してくれていたが、正直余り日本語が美味くなかった。
建設省の人で、役所のお金で良く接待してくれた。 -
◆パオの様な形をした大型の仮設物が沢山建ち並んでいた。
-
◆お祭り
ナダム大会はモンゴルの伝統的な色々な競技をスポーツ大会的にアレンジしたお祭り。 -
◆パオ
中国で包、パオ。
モンゴル語でゲル。 -
◆パオ
一般的には外皮はフエルト生地だが、写真は夏用のパオ。
葦簀のようなもので、覆っている。 -
◆実は
大学にパオがあり、自分たちで建てることができる。 -
◆競技場
ナダム大会をするための競技場。観客スタンドもあった。 -
◆美しい大青山山脈
-
◆大会
モンゴル相撲の大会 -
◆長い
土俵がなく、ひじ・ひざ・頭・背中・お尻いずれかが先に地面に着かないと勝負が決まらないので、組み合って動かなくなったり、とにかく長い。 -
◆競馬
騎手は子供が多い -
◆意外と早い
競ラクダもあり、走ると意外と早い。 -
◆ツインルームに男三人。
Zhaojun Hotel ホテル
-
◆新華広場
昭君大酒店の部屋からの夜景。 -
◆うじゃうじゃ
広場に大量の人が集まっている -
◆8月19日
2日間見に行ったが、正直飽きた。 -
◆偉い人
このパオで一番偉い人。 -
◆大うけ
昼飯の時、白酒を沢山飲まされた、先生と先輩はこのパオでダウン。
白目をむいて寝ている先輩をビデオで撮影し、見せると受けたので、女の子を撮影して見せると大うけ。私も私も撮ってと大人気になった。
当時は、まだビデオカメラが珍しい時代だった。 -
◆換気口
一番上のフェルトを外し換気口としていた。
天窓があるパオもあった。 -
◆パターン
することがないので、自転車を借りて、3人で市内観光。 -
◆茶色
ホテルからのフフホトの景色、茶色い街並みZhaojun Hotel ホテル
-
◆スモック?
霞んで大青山山脈が綺麗に見えない。 -
◆古魚量寺
正直、どこだか記憶がない。
写真を良く見ると古魚量寺とあるが、検索してもどこだか分からなかった。
寺院より印象的な景色の方が、記憶に残っているようだ。 -
◆内蒙古飯店
当時のフフホトは、高い建物は2、3しかなかった。
現在は立て直されていて、もっと豪華なホテルになっているようだ。ホット インナー モンゴリア ホテル ホテル
-
◆ホテルからの景色
ホテルの前にあった満都海公園。
よく公園の前で売っている、ヨーグルトを買って飲んだ。ホット インナー モンゴリア ホテル ホテル
-
◆ホテルからの景色
まだまだ中層の建物しか建っていないフフホトの街並み -
◆先輩
民俗学の先生のゼミ生。私は違うゼミの人間だったが、志願して連れて行ってもらった。ホット インナー モンゴリア ホテル ホテル
-
◆補助ベット
ツインルームのトリプルユース。
一番年下なので、補助ベット。 -
◆民俗学の先生
-
◆老舗
内蒙古飯店は、フフホトで一番老舗のホテルだった。ホット インナー モンゴリア ホテル ホテル
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◆ホテルからの景色
街の灯りがすくなく、真っ暗な夜景。ホット インナー モンゴリア ホテル ホテル
-
◆8月27日
内蒙古博物館で、土づくりのパオを発見し、その場所に調査に行くため、建設省のロさんにお願いし許可を待つが、なかなか下りずフフホトに足止めされることになった。内蒙古博物院 博物館・美術館・ギャラリー
-
◆撮影禁止
写真が一枚もないが、中にはとても大きな恐竜の化石があった。 -
◆集合住宅
通訳の人の住宅。
何度か食事をご馳走になった。 -
◆ロビー
内蒙古飯店のロビー。
一ケ月近く泊まっていたので、エレベータガールやドアマン、掃除のおばさんなどとすっかり顔見知りになった。 -
◆自転車の人民が行き交うどこかの通り
-
◆8月29日
なぜか、通訳のロさんと四人で記念撮影 -
◆渋い
当時は何てカッコ悪い車だと思ったが、今となっては結構渋い北京ジープ。 -
◆晴天
ホテルから大青山山脈が綺麗 -
◆8月30日
朝靄の中、散歩へ -
◆予感
中層の集合住宅、舗装されていない道路の背後に近代的な建物。
中国の発展を予感させる景色だった。 -
◆外国人
自転車で行き交う人民の中、どう見ても外国人の二人。 -
◆市場
無造作に積み上げられている野菜 -
◆豊かな国
30年前の中国の街には、すでに物が溢れていた。
確かに電化製品や高級なものはなかったが、生活する上で必要なものは、豊富に揃っていて、しかも自給できていることを考えると、学生ながらとても豊かな国だなと感じた。 -
◆開放政策
皆楽しそうに商売していて、なんだかとても羨ましかった。 -
◆8月31日
ここもどこだが分からない。 -
◆3人
チケット売り場におっさんが三人暇そうにしている。
当時、自由経済が導入されたとは言え、国有企業の人間には、まだまだ効率やサービスという概念はなかった。 -
◆扉の飾り引手金具
-
◆欠かさず
展示品などの写真は一切ないが、とりあえず記念撮影はしている。 -
◆出口
-
◆写真鑑定
写真を良く見ると、看板に内蒙古自治区文物考古研究所と書いてあった。 -
◆旧市街
今はもうなくなってしまっているのだろうな・・・・ -
◆ベテランの味
今更、そこ測ってどうするのかという感じもするが、手製の下げブリで柱のタチを確認する職人さん。 -
◆清真大寺
イスラム教のモスク。 -
◆現存
グーグルで確認すると、正面に新しい門が出来たようだが、この建物はまだ残っているようだ。 -
◆泣きながら
お世話になったホテルにあったレンタサイクル。ここで自転車を借りていると、
大同からフフホトまで自転車で来た若い女性にあった。
久しぶりに日本人にあったらしく、風邪をひいて熱があって思考能力を失い、なぜか自転車を買ってしまい、仕方がないから自転車でフフホトまで来たと、泣きながら話をしていた。ホット インナー モンゴリア ホテル ホテル
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