2017/09/30 - 2017/09/30
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美術館シリーズ⑤
ブレラ絵画館(Pinacoteca di Brera)
ブレラ美術館は、イタリアのミラノにある美術館である。「ブレラ絵画館」と訳すこともある。イタリア絵画の名作が数多く集まっており、特に15~18世紀のヴェネツィア派、ロンバルディア派が充実。
ブレラ美術館の建物は、17世紀に建てられたイエズス会の施設であった。これを1772年、当時ロンバルディア王も兼ねていたマリア・テレジアが入手した。ここに1776年、美術アカデミーが設置され、絵画の収集が始まった。その後、ナポレオンによって美術館として整備され、1809年、彼の誕生日を記念して開館、一般にも公開されるようになった。1882年には国立美術館として開館した。(Wikiより)
それぞれの絵のデータは美術館のWEBページから引用しています(2020年)。製作年が、2年前に保存したデータからかなり違っているので、調査が進んだのでしょう。
1.ジョヴァンニ・ダ・ミラノ
2.ピエロ・デラ・フランチェスカ「モンテフェルトロ祭壇画」
3.作者不明 スフォルツァ家の祭壇画。
4.Liberale da Verona「聖セバスティアヌス 」
5.ドナト・ブラマンテ
6.アンドレア・マンテーニャ「死せるキリスト」
7.ジョヴァンニ・ベッリーニ「ピエタ」
8.ジョヴァンニ・ベリーニ「ギリシャのマドンナ」
9.ジェンティーレ・ベッリーニ/ジョヴァンニ・ベッリーニ
10.ジョヴァンニ・ベリーニ
11.ラファエロ・サンツィオ「聖母の結婚」
12.ヴィットーレ・カルパッチョ
13.ベルナルディーノ・ルイーニ
14.ベルナルディーノ・ルイーニ
15.アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ「東方三博士の礼拝」
16.ロレンツォ・ロット「聖母被昇天」
17.ロレンツォ・ロット
18.ロレンツォ・ロット
19.ティントレット
20.ティントレット
21.ティントレット「ピエタ」
22.ティントレット「聖マルコの遺体発見」
23.ヴェロネーゼ「シモン家の饗宴」
24.ヴェロネーゼ
25.アーニョロ・ブロンズィーノ
26.Vincenzo Campi
27.シモーネ・ペテルツァーノ
28.アンニーバレ・カラッチ「サマリアの女」
29.「エマオの食事」(カラバッジョ)
30.グイド・カニャッチ「クレオパトラの自殺」
31.Daniele Crespi「最後の晩餐」
32.ピーテル・パウル・ルーベンス「最後の晩餐」
33.アンソニー・ヴァン・ダイク
34.ヤーコブ・ヨルダーンス「イサクの犠牲」
35.ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ
36.カナレット
37.ベルナルド・ベッロット
38.フランチェスコ・アイエツ「キス」
39.Gierolamo Induno「哀しい予感」
40.シルベストロ・レガ
41.Pellizza da Volpedo
42.ウンベルト・ボッチョーニ
43.カルロ・カッラ
44.パブロ・ピカソ 「Head of a Bull」
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
古い礼拝堂内にびっしりと描かれたフレスコ画がお迎え。どこかの教会の礼拝堂を保存を目的に、1949年に剥がしキャンバスに移し、ここに持ってきたのでしょう。14世紀のもの。
Frescoes of Oratory of Mocchirolo
Master of Mocchirolo
1360 - 70 -
1.Christ Enthroned with Angels in Adoration 1360-5
Giovanni da Milano
ジョヴァンニ・ダ・ミラノ
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ジョヴァンニ・ダ・ミラノはロンバルディア出身で、イタリアの画家(活動時期:1346年 - 1369年)。フィレンツェおよびローマで活動した。ジョヴァンニの作風は、当時のフィレンツェの画家たち同様、ジョットの亜流と見なされている。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/cristo-in-trono-adorato-da-angeli/ -
2.Madonna and Child with Saints, Angels and Federico da Montefeltro
(San Bernardino Altarpiece) 1472-4
Piero della Francesca(1412-1492)
ピエロ・デラ・フランチェスカ
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「モンテフェルトロ祭壇画」
ピエロ・デラ・フランチェスカはイタリア初期ルネサンス期の画家。モンテフェルトロ家はウルビーノの領主。
さて、この絵は何を暗示しているのか。中央にいるのはマリアだが、膝の上のキリストは眠っているだけなのか、それとも、死んでいるのか?首には赤い珊瑚の首かざり。血の象徴?マリアの上に天井からぶら下がっているダチョウの卵は何を意味する?モンテフェルトロ家の紋章?それとも貝殻が見えるので真珠?
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/the-virgin-with-child-angels-and-saints/ -
3.Virgin and Child Enthroned with the Doctors of the Church and the family of Ludovico il Moro (“Sforza Altarpiece”) 1494-1495
作者不明
スフォルツァ家の祭壇画。
この絵の依頼主でもある、聖人の前で祈る家族は、当時、ミラノを統治していたスフォルツァ家の当主、ルドヴィーコ・マリーア・スフォルツァ(Ludovico Maria Sforza,1452-1508)。通称イル・モーロ(Il Moro)。イル・モーロの異名は「ムーア人(ベルベル人)」のように色黒だったことからついたと言われている。スイス傭兵を統率して、さらに、レオナルド・ダ・ヴィンチの初期パトロンとして最後の晩餐の作成を依頼したことでも有名である。フェッラーラ公エルコレ1世・デステの次女ベアトリーチェと結婚し、後継者のマッシミリアーノ・フランチェスコら3子をもうけた。また、数多くの愛妾をもち、その一人チェチーリア・ガッレラーニ(ポーランドのクラクフの国立美術館にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの『白貂を抱く貴婦人』のモデルとされる)が庶子を生んでいる。
この祭壇画では、彼の敬虔な信仰心とともに、跡継ぎに恵まれ子孫の繁栄を表し、ミラノの守護聖人、聖アンブロジウスSt. Ambroseが彼の肩に手を置いており、彼のミラノでの支配を正当化している。
1499年にルドヴィーコの後楯である神聖ローマ皇帝のハプスブルク家がフランス王国と対決した。ルドヴィーコは神聖ローマ帝国につき、翌1500年にジャン・ジャコモ・トリヴルツィオが率いるフランス軍はスフォルツァ城を包囲し、相互にスイス傭兵を率いていた。しかし、1500年に、配下のスイス傭兵の裏切りのために、ルドヴィーコは窮地に追い込まれてしまい、一部のスイス傭兵の好意で、スイス傭兵に仮装して脱出を試みた。しかし、500クローネンの報酬に釣られたウーリ州の傭兵隊長のルドルフ・トゥールマンが密かにフランス軍に密告したため、ルドヴィーコはルドルフの手勢に捕らわれてフランス軍に引き渡された。これが名高い『ノヴァーラの裏切り』である。ルドヴィーコは、そのまま1508年まで投獄され、獄死した。(Wikiより) -
4.Saint Sebastian 1495-1500 circa
Liberale da Verona
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「聖セバスティアヌス 」
キリスト教(正教会・非カルケドン派・カトリック教会)の聖人・殉教者。聖セバスチャンとも表記される。3世紀のディオクレティアヌス帝のキリスト教迫害で殺害されたといわれてきた。彼は美術や文学で、柱に身を縛り付けられ、矢を射られた姿で描かれることが多い。
背景は殉教の場面ではなく、明らかに絵が描かれた当時のヴェネチア。背景左にゴンドラが描かれている。鷹匠も描かれている。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/saint-sebastian/ -
5.Christ at the Column 1490-1499
Donato Bramante (Donato di Pascuccio) c1444-1514
ドナト・ブラマンテ
イタリアの盛期ルネサンスを代表する建築家。ローマ建築を再構成して記念性を持った古典様式を創出し、以後の古典主義建築に絶大なる影響力を及ぼした。最初は画家を志しマンテーニャに学んでいた。1479年頃にミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァに仕え、1481年頃ミラノに移った。レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐のあるサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会の設計も行った。1499年、フランスのロンバルディア侵攻によってミラノを追われたブラマンテは、55歳のときローマに移住し、1502年にペトロ殉教の地とされていた丘のサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会にテンピエット(Tempietto、小神殿)を着工した。ローマの円形神殿に範を取った小規模な礼拝堂であるが、盛期ルネサンス建築の頂点とされる作品で、当時から高く評価された。現在唯一完全に残っている建築作品である。(wikiより)
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/christ-at-the-column/ -
6.Lamentation over the Dead Christ c. 1483
Andrea Mantegna
アンドレア・マンテーニャ
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「死せるキリスト」
この美術館の中でも有名な絵画のひとつ。
イタリア・ルネサンス、パドヴァ派の代表的な画家マンテーニャ。
磔刑を処せられて亡くなったキリストが十字架から降ろされ横たえられた姿を描いたマンテーニャの代表作で「短縮法」で描かれた非常に珍しい構図。足の裏側からの低い位置から視点を当てて、キリストの体がぎゅっと縮められている。
極めて大胆な構図の一方で、すごく写実的。死体の皮膚の色、キリストの手足に残る釘の跡や衣のしわも、この場面の死と悲しみを強調している。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/the-dead-christ-and-three-mourners/ -
7.Pietà c. 1460
Giovanni Bellini
ジョヴァンニ・ベッリーニ(c1430-1516)
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「ピエタ」
ジョヴァンニ・ベッリーニの初期の頃の最高傑作。
ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini)はイタリアルネサンス期ヴェネツィア派の画家で画家一族で知られるベッリーニ家の中で最も重要な画家。
ヴェロネーゼ、ティツィアーノ、ジョルジョーネ、ティントレットらを生んだヴェネツィア派の第一世代を代表する画家であり、15世紀同派最大の巨匠である。父のヤーコポ・ベリーニ、兄のジェンティーレ・ベリーニもそれぞれ高名な画家である。また、パドヴァ派の大画家マンテーニャは義兄弟にあたる(ジョヴァンニの姉ニコロシアはマンテーニャと結婚)。カクテルのベリーニの名前は彼に由来する。
(Wikiより)
姉がパドヴァ派のマンテーニャの妻であったことから、マンテーニャとは兄弟であり、この絵には、パドヴァ派の影響がみられる。「ピエタ」とはイタリア語で「憐れみ」を意味する言葉で十字架から降ろされたキリストを聖母マリアが抱いている姿を形にした絵や彫刻のことで、従って、数多くの「ピエタ」の名前の付いた作品が存在する。十字架から降ろされたばかりのキリストはまだ茨の冠を被り、両手には十字架に打ち付けられた時の釘の跡、右の脇腹にはキリストの死を確認する為に兵士が刺した槍の跡が描かれている。キリストがだらりと下げた手の下に空間を形成する為に枠が描かれている。従来の宗教画とは違った(だからルネッサンスなんでしょうけど)、より人間的、死の悲しみ、そしてキリストを抱きかかえるマリアの愛情が感じられる。右の聖ヨハネはキリストを直視できず、その目は哀しみのあまり、どうしていいか分からないといった感じで焦点が合っていないように見える。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/pieta-giovanni-bellini/ -
8.Madonna and Child(The Greek Madonna) c1460-5
Giovanni Bellini 1435-1516
ジョヴァンニ・ベリーニ
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「ギリシャのマドンナ」
絵の上部にギリシャ語(μήτηρ Θεού(神の母)が描かれている為、そう呼ばれている。二人とも悲しげ。キリストの手にもつ禁断の果実が運命を暗示しており、すでにそれを知っているのかのよう。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/madonna-and-child-the-greek-madonna/ -
9.St. Mark Preaching in Alexandria
Gentile Bellini and Giovanni Bellini
ジェンティーレ・ベッリーニ(1429-1507)
ジョヴァンニ・ベッリーニ(c1430-1516)
1504-7
兄弟での共作。ヴェネツィアの聖マルコ同信会館(Scuola Grande di San Marco)の応接室に飾っていたもので、兄のジェンティーレが最初は手掛けたが、途中で死去したため、弟ジョヴァンニが意志を継いで完成させた。兄弟でどの部分を描いたかは議論の的だが、オスマン帝国の首都イスタンブール(コンスタンティノポリス)に出向き、当時の王スルタン・メフメト2世の肖像画を描いたことで知られる兄が地中海一帯の風景に馴染みがあることから、建築物、風景を描いたとされる。よくみると、キリンやラクダなんて動物が描かれている。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/saint-mark-preaching-in-a-square-of-alexandria-in-egypt/ -
10.Madonna and Child Blessing c. 1510
Giovanni Bellini 1435-1516
ジョヴァンニ・ベリーニ
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彼の晩年の作品。1987年修復時の赤外線を用いた調査から、下書きなしでいきなり絵の具で描いたことが分かっています。初期のころの絵にはない、風景の自然な感じや、表情の柔らかさがみて取れます。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/madonna-and-child/
https://www.wikiart.org/en/giovanni-bellini/madonna-and-child-1510 -
11.The Marriage of the Virgin 1504
Raffaello Sanzio (Raphael)
ラファエロ・サンツィオ
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「聖母の結婚」
ここでラファエロ登場。
後にキリストの母となる聖母マリアとキリストの養父となる聖ヨセフの結婚を描いた、ラファエロの初期のころの絵。集中線がみて取れる、これでもかと言わんばかりの完璧な左右対称の遠近法の構図。右に男性が描かれており、ヨセフのもつ杖の先だけ花がさいていおり、マリアの結婚相手として選ばれたことを意味している。手前の男は悔しさからかその杖を折っている。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/the-marriage-of-the-virgin/ -
The Marriage of the Virgin 1504
Raffaello Sanzio (Raphael)
ラファエロ・サンツィオ
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「聖母の結婚」
大司祭の前で婚姻の印となる指輪をヨセフがマリアの指に嵌めようとしている。2人にあまり、喜びの感情がみて取れないが。むしろ、気のせいか、司祭が強制的に、「早く嵌めろ」と嫌がる2人の手首を掴み、促しているように見えるのは私だけ?ヨセフは少し困惑し泣き出しそうな顔に見えるのは私だけ?この絵を見たときの第一印象です。 -
12.Presentation of the Virgin in the Temple 1502-1505
Vittore Carpaccio
ヴィットーレ・カルパッチョ
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絵の説明を見ると彼は絵の報酬金額でクオリティが異なるとのこと。この絵を発注した同信会はどうやらお金を持ってなかったと書いている。。。。
手前に描かれているガゼルやうさぎは愛嬌があるのですが。ちなみに前菜で知られるカルパッチョという料理は彼の名前に由来し、赤身の生牛肉の色味が彼の独特の赤色を基調とした作風と似ているので名づけられたとされる。彼自身が好んだという説もある。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/presentation-of-the-virgin-in-the-temple/ -
Presentation of the Virgin in the Temple
Vittore Carpaccio
ヴィットーレ・カルパッチョ
1502-1505
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そのうさぎ。 -
ミラノにあるSanta Maria della Pace教会にあった、聖ヨセフ礼拝堂を装飾していた聖ヨセフの生涯に関するフレスコ画が19世紀に剥がされ、1924-25年にキャンバスに貼り付け集められた。残念ながら、オリジナルのレイアウトは分かっていない。フレスコ画家は、Bernardino Luini。この小さい部屋は立ち入り禁止で外から眺めるだけ。
※見学順路的にはこの部屋は後になりますが、できるだけ時代順に並べる為に前に持ってきています。 -
13.St. Joseph is Chosen as the Virgin’s Groom 1520-1
Bernardino Luini(1480-1532)
ベルナルディーノ・ルイーニ
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正面にあるフレスコ画は、聖ヨセフがマリアの主人に選ばれるシーン。先に紹介したラファエロの絵「聖母の結婚」と同じシーン。
どれがヨゼフか分かります?紫の服にオレンジのガウンをかけている青年で、司祭から祝福を受けています。彼の手には、マリアに選ばれた印の葉っぱのついた枝が。この場面でも枝を折る青年発見(2人も)。リンク先の大きな絵でみるとよくわかります。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/san-giuseppe-eletto-sposo-della-vergine/ -
14.Sibyl 1520-1
Bernardino Luini(1480-1532)
ベルナルディーノ・ルイーニ
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「シビュラ」
ここに描かれているのはシビュラ。主にアポロンの神託を受け取る古代の地中海世界における巫女のこと。シビラ、シビッラ、シビュレーとも。
あっちへいけと指さしています。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/sibilla/ -
15.Adoration of the Magi c.1515-8
Correggio (Antonio Allegri) c1489-1534
アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ
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「東方三博士の礼拝」
コレッジョはルネサンス期のイタリアの画家。本名はアントニオ・アッレグリで、北イタリアのモデナの近くのコレッジョで生まれ、同地で没した。生地の町の名にちなんでコレッジョと呼ばれる。パルマを中心に活躍した画家である。
「東方三博士の礼拝」はキリスト教のイエス誕生時の主題のひとつ。ラテン語のマギとは、「博士」あるいは「賢者」と訳される言葉。ギリシア語で μάγοι(マゴイ、複数形)である。ちなみに、英語のマジックの語源である。
原義はペルシアの宗教の中で祭司の職に就き、天文学ないし占星術に携わっていたメディアの一部族の名前である。そのことから古代では特に東方出身の天文学者、夢を解き明かす者、占い師がマギと呼ばれる。その意味は次第に拡大され、ヘレニズム以来、その他にも東方の神学や哲学や自然科学の代表者たちをも言い表すようになった。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/adoration-of-the-magi/ -
16.Assumption of the Virgin 1512
Lorenzo Lotto(c1480-1556/7)
ロレンツォ・ロット
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「聖母被昇天」
ルネサンス期のイタリアの画家。宗教画を残すほか、肖像画家としても活躍した。ヴェネツィア出身。イエス・キリストについては「昇天」 、聖母マリアについては「被昇天」の語を用いるのは、「神の母」といえどもマリアは人間ですので、キリストのようにみずからの力で天にお昇りになることはできず、キリストによって天にあがった為、受け身で「被昇天」としている。
十二使徒だと思うのですが、宙に昇るマリアの下に皆々、最後にご加護に授かろうと集まっています。えっ?11人しかいない?よく見てください。遠くの山の道にひとり遅れて走っている使徒がいます。右端の使徒は、本当にマリアが昇天しているのか疑うべく、眼鏡をはずして見上げています。よく取り上げられる主題ですが、この絵には、このように画家ロットのユーモアが隠されています。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/assunzione-della-vergine-3/ -
17.Portrait of Febo Da Brescia c1543-4
Lorenzo Lotto(1480-1556)
ロレンツォ・ロット
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ロットの肖像画。肖像画でも有名。次の妻の絵とセット。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/portrait-of-febo-da-brescia/ -
18.Portrait of Laura Da Pola c1543-4
Lorenzo Lotto(1480-1556)
ロレンツォ・ロット
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https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/portrait-of-laura-da-pola/ -
19.Allegory of the Fortune 1544-1545
Tintoretto (Jacopo Robusti) 1518-1594
ティントレット
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イタリアのルネサンス期の画家。ヴェネツィアの染物屋の息子として生まれたため、「ティントレット(染物屋の息子)」と呼ばれる。師匠のティツィアーノ、そしてヴェロネーゼとともにルネサンス期のヴェネツィア派を代表する画家。ティツィアーノの色彩とミケランジェロのマニエリスムの形体を結びつけ、情熱的な宗教画を描いた。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/la-disciplina-che-tiene-a-freno-i-costumi-gia-allegoria-della-fortuna/ -
20.Saint Helen, Barbara, Andrew, Macarius, another Saint and a Devote in Adoration of the Cross 1560 - 1561
Tintoretto (Jacopo Robusti) 1518-1594
ティントレット
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https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/santelena-santa-barbara-santandrea-san-macario-un-altro-santo-e-un-devoto-adorano-la-croce/
https://www.wikiart.org/en/tintoretto/sts-helen-and-barbara-adoring-the-cross -
21.Pietà 1563
Tintoretto (Jacopo Robusti) 1518-1594
ティントレット
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「ピエタ」
https://www.wikiart.org/en/tintoretto/lamentation -
22.The Finding of the Body of Saint Mark 1562 - 1566
Tintoretto (Jacopo Robusti)
ティントレット
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「聖マルコの遺体発見」
西暦828年、ヴェネツィア共和国にヴェネツィア商人2人が、アレキサンドリアから聖人マルコの遺体を運んできました。以後、聖マルコ大聖堂が立てられ、守護聖人になります。この場面は、ヴェネツィア商人が墓所からその聖マルコの遺体を探して、あちこちの棺を開けているときに、左にその聖人が出現し、作業を止める様、左手を伸ばしているところです。聖マルコの遺体はすでにその足元に白く横たわっています。聖マルコ同信会館の長老でこの絵の発注主ランゴーネは中央で膝間ついてこの奇跡を目撃しています(そんなはずはないのですが)。右の方では悪魔にとりかれた半裸の男(女性に抱きついている)から霊が天井まで立ち上っています。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/the-finding-of-the-body-of-saint-mark/ -
23.Supper in the House of Simon 1570
Veronese (Paolo Caliari) 1528-1588
ヴェロネーゼ
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「シモン家の饗宴」
残念ながら、ルーブル美術館にある彼の代表作「カナの婚礼」(1563)と比較すると、やや見劣りがするがそれはそれで仕方がない。
食事をしている人の視線がキリストの足元に集まっている。作品はシモンの家でのキリストの食事の場面を描いており、左側に、罪深い女であるマグダラのマリアがキリストの足元に駆け寄って、敬意を表わすために主の足を洗っているところである。何故キリストが罪深い女の敬意を受け入れるのか理解し得ない会食者たちの憤慨を前にして、キリストは女に慈悲を与え、人々に各々の犯した罪を許すよう求めた。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/supper-in-the-house-of-simon/
https://www.wikiart.org/en/paolo-veronese/feast-at-the-house-of-simon-1570 -
24.Baptism and Temptation of Christ 1582
Veronese (Paolo Caliari) 1528-1588
ヴェロネーゼ
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https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/baptism-and-temptation-of-christ/ -
25.Portrait of Andrea Doria as Neptune C1545-6
Bronzino (Agnolo di Cosimo) 1503-1572
アーニョロ・ブロンズィーノ
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マニエリスム期のイタリア・フィレンツェの画家。本名はアーニョロ・ディ・コジモ・ディ・マリアーノ・トーリ(Agnolo di Cosimo)。ブロンズィーノという愛称は、恐らく彼の髪の色であった「青銅」色を意味するイタリア語“ブロンゾ”に由来する。メディチ家のフィレンツェ公コジモ1世の宮廷画家として活躍する。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/ritratto-di-andrea-doria-come-nettuno/ -
26.Fruit Seller 1578-1581
Vincenzo Campi c1530/35-1591
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後期ルネッサンスのイタリア画家。フランドルの写実主義を取り入れた最初の北イタリアの画家として知られ、この絵は同画家による他の3枚とともに、イタリアにおける静物画の先駆的な絵として重要な位置づけにある。(webから翻訳)
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/fruit-seller/ -
27.Venus and Cupid with Two Satyrs in a Landscape 1570-3
Simone Peterzano 1535-1599
シモーネ・ペテルツァーノ
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さて、この画家ペテルツァーノは誰?という感じであまり有名ではないのですが、実は、あのカラバッジョの師匠にあたる。ベルガモ出身、若いころはヴェネツィアでティッツィアーノらの下で学び、ミラノで活躍した画家シモーネ・ペテルツァーノは、数世紀の間ほとんど忘れられかけていた。1584年から88年に、若きカラヴァッジョがミラノで師事していたことが文献調査により「発見」されたことから、その名が知られるようになった。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/venere-e-cupido-con-due-satiri-in-un-paesaggio/ -
28.Christ and the Samaritan Woman 1594-5
Annibale Carracci 1560-1609
アンニーバレ・カラッチ
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「サマリアの女」(Wikiより)
新約聖書のヨハネによる福音書(4:1-42)に登場するサマリア人の女。彼女は、サマリアにあるヤコブの井戸のほとりでイエスと会話をし、この人が来るべきメシアかもしれないと思った。
イエスと弟子たちは、ユダヤからガリラヤに向かう途中、サマリア地方のシカル(スカル)という町のはずれに来ていた。弟子たちは食料を買いに出ていき、旅に疲れたイエスがひとりで井戸のそばに座っていた。時は昼の12時頃だった。
一人のサマリアの女が水をくみに来たので、くむものを持たないイエスは彼女に「水を飲ませてください」と言った。宗教的理由からユダヤ人とサマリア人は交際していなかったので女は不思議に思い「ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私に、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と尋ねた。イエスは彼女に言った。「あなたが神の賜物のことを知っていて、また、水を飲ませてほしいと言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出ただろうし、また、その人はあなたに生ける水を与えたことであろう。」この会話をきっかけにイエスは女に神の賜物である「生ける水」について語り、自分が与える「生ける水」は永遠の命の泉になること、神は霊であるから、霊と真理において礼拝するべきことを教えた。また、イエスは女には過去に五人の夫がいた事、今は結婚していないが六人目の男がいる事を言い当てた。
そして、女は言った。「私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られる時に、私たちに一切のことを知らせてくださいます。」イエスは言われた。「あなたと話をしているこのわたしが、それである。」
この言葉を聞いた女は、水がめを置いたまま町に行き人々に言った。「見に来てください。私のことをすべて言い当てた人がいます。この人がメシアかもしれません。」女の証言した言葉によって、イエスを信じた人々がやって来て、自分たちのところに滞在するように頼んだ。そしてイエスは二日間そこに滞在した。そして、さらに多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。
こうして「サマリアの女」とイエスの会話がきっかけとなってシカル(スカル)の町のサマリア人の人々はイエスがメシアであることを信じた。これが神の福音がユダヤ人世界から異邦人の世界に広がる最初のできごととなった。
アンニーバレ・カラッチ
バロック期のイタリアの画家。イタリア美術における初期バロック様式を確立した画家の一人であり、イタリア北部のボローニャを中心に活動したボローニャ派の代表的画家である。アンニーバレを中心とするカラッチ一族の門下からは多くの著名画家が育っており、後世への影響も大きい。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/cristo-e-la-samaritana/ -
29.Supper at Emmaus 1605 - 1606
Caravaggio (Michelangelo Merisi)
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「エマオの食事」(カラバッジョ)
エマオ(英語: Emmaus)は新約聖書のルカの福音書(24章13-35節)に登場する地名であり、「温かい井戸」という意味がある。エルサレムから11km離れたところにあり、クレオパともう一人の弟子が旅をしてエマオにいく道の途中で、復活したイエス・キリストはクレオパに近づいて、彼らと語りながら歩いた。彼らはそれがイエスだとは気づかなかった。そして、エマオに到着し、食事の招待を受けて感謝してパンを裂いた時にそれがイエスだと分かったが、その時イエスは見えなくなった。というもの。現在、カロニエ、エル・クベーベ、アブ・ゴーシュ(en:Abu Gosh、エルサレムからヤッフォ方面へ20km)、アムワスがエマオのあった場所として提唱されている。
カラバッジョは同じ題材を以前にも描いており、その絵はロンドンナショナルギャラリーにある。比較すると、こちらの方がカラバッジョらしく、イエスと気づいたときの驚きに静かながらもドラマチックな印象を与える。
ところで同じ題材で最も有名なのは、オランダの贋作画家ハン・ファン・メーヘレン作のフェルメールの贋作でしょう。最初は逮捕されるが、最終的に敵国ナチスの高官に高額で絵を売りつけたことにより英雄扱いされる。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/supper-at-emmaus/
https://www.wikiart.org/en/caravaggio/supper-at-emmaus-1606 -
30.Death of Cleopatra 1660-62
Guido Cagnacci 1601-1682
グイド・カニャッチ
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「クレオパトラの自殺」
絶世の美女として知られるクレオパトラ7世。
アクティウムの海戦でアントニウス(アントニー)派およびプトレマイオス朝の連合軍がオクタウィアヌス(アウグストゥス)率いるローマ軍にアクティウムの海戦で敗れた後、同軍に屈することを拒んだ古代エジプトのプトレマイオス朝最後の女王クレオパトラが、毒蛇に自身の身体の一部を噛ませ自害したと伝えられる逸話。この絵では女王というよりはひとりの生身の女性を描いている。ちなみに同画家による同じ主題の絵がウイーンの美術史美術館にある。
ところで、蛇の毒ではすぐに死ねないので服毒自殺したという説もある。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/morte-di-cleopatra/ -
31.The Last Supper 1629-30
Daniele Crespi 1598?-1630
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「最後の晩餐」
ダヴィンチがサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に「最後の晩餐」を描いたのは、1495-8年。12人の使徒を横一列に配置する構図を取っていた。それから、1世紀経ち、描かれたのがこの絵。テーブルを前後に配置し、奥にキリストが座り、両側に使徒が座っている。バランスがいいので本来はこうだったんだろうなと思わせる。そして、一番手前に、困りはてたユダがこちらを見ている。テーブルの下の左手には、裏切った代償の銀貨が入った小袋を隠し持っている。食事中にも関わらず、ヨハネはキリストの胸でうたた寝している。右側にペドロは刃物を持ってる。危ないよ。残りは誰かはわかりません。
「最後の晩餐」レオナルドダヴィンチの旅行記↓
https://4travel.jp/travelogue/11612492
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/cenacolo/ -
32.Last Supper 1631-2
Pieter Paul Rubens 1577-1640
ピーテル・パウル・ルーベンス
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「最後の晩餐」
バロック期のフランドルの画家ルーベンスも「最後の晩餐」を描いている。構図は前の絵と同じ。ユダは気まずそうにこっちを見ている。彼の足元には忠誠の象徴の犬が同じように困った顔で描かれている。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/last-supper/
https://www.wikiart.org/en/peter-paul-rubens/the-last-supper-1632-0 -
32.Last Supper 1631-2
Pieter Paul Rubens 1577-1640
ピーテル・パウル・ルーベンス
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「最後の晩餐」
その犬の拡大。 -
33.Portrait of a Lady 1635
Anton van Dyck 1599-1641
アンソニー・ヴァン・ダイク
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アンソニー・ヴァン・ダイク(英: Anthony van Dyck)は、バロック期のフランドル出身の画家。上品でくつろいだ雰囲気で描かれたチャールズ1世をはじめ、イングランドの上流階級を描いた肖像画でよく知られている画家だが、肖像画以外にも歴史画、宗教画、神話画などにも優れた才能を見せており、水彩画やエッチングの分野においても大きな革新をもたらした重要な芸術家とみなされている。
イタリアでも活動したヴァン・ダイクの作風には、師のルーベンスのほか、イタリア人画家ティツィアーノらヴェネツィア派の画家の軽妙な筆致と華麗な色彩の影響が見られる。ヴァン・ダイクは1627年にイタリアからいったん帰国後、1632年にはイングランドに渡り、イングランド国王チャールズ1世の主席宮廷画家として活躍した。(Wikiより)
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/ritratto-di-dama/
https://www.wikiart.org/en/anthony-van-dyck/portrait-of-a-lady-1635 -
34.The Sacrifice of Isaac 1625 - 6
Jacob Jordaens 1593-1678
ヤーコブ・ヨルダーンス
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「イサクの犠牲」
フランドルのバロック期の画家。ピーテル・パウル・ルーベンス、アンソニー・ヴァン・ダイク同様、アントウェルペン派を代表する画家。同時代の他の画家たちとは違ってイタリア絵画を学ぶため外国へ行くことはなく、画家としてのキャリアを通じてイタリア人画家たちの人間性や優雅さへの追求には無関心だった。ヨルダーンスは低地諸国への短期旅行をした以外は、人生の大半をアントウェルペンで過ごした。
この絵はルーベンスの作品と思われており、フランス軍が接収してルーブル美術館にあったが、その後、ブレラ美術館に来てからヨルダーンスの作品と同定された。
また、絵の具の使用された時期から、1625-6年頃の作品としている。
「イサクの犠牲」
アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek)のレンブラントの作品参照。↓
https://4travel.jp/travelogue/11605759
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/sacrificio-di-isacco/https://www.wikiart.org/en/jacob-jordaens/the-sacrifice-of-isaac-1630 -
34.The Sacrifice of Isaac 1625 - 6
Jacob Jordaens 1593-1678
ヤーコブ・ヨルダーンス
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「イサクの犠牲」
すっかり、諦めた様子の息子のイサク。抵抗する様子がない。 -
35.Our Lady of Mount Carmel with St. Simon Stock, St.Teresa of Avila, St. Albert of Vercelli, the Prophet Elijah and the Souls in Purgatory 1745
Giovanni Battista Tiepolo 1696-1770
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ
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ヴェネツィアに生まれのバロック最後期のイタリアの画家。本名はジャンバッティスタ・ティエポロ(Giambattista Tiepolo)。彼は18世紀のイタリアを代表する偉大な画家であり、ヴェネツィア共和国の美術絵画の伝統を締めくくる最後の巨匠である。徒弟時代は歴史画の大家の一人であるグレゴリオ・ラッザリーニに師事するが、セバスティアーノ・リッチやジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッツェッタの影響を強く受けた。1719年にヴェネツィアの画家フランチェスコ・グアルディの姉と結婚している。1770年3月27日、マドリードで死去。バロック的な躍動感とロロコ的な優美な装飾性を兼ね備えていた画風は、生前はヨーロッパ全土で名声の極みを迎えたが、没後、台頭してきた新古典主義は、甘美な装飾性を否定するものであったため、彼の評価も急速に下降した。
ティエポロは稀代のフレスコ画の名手であり、瑞々しく壮麗な作風は底抜けに明るくきらびやかである。宮殿や貴族の館を彩る天井画は下方から見上げる仰視法を取り入れ、イリュージョンの効果を完璧なものとしている。(wikiより)
最も有名なもののひとつは、ドイツのヴュルツブルクにあるレジデンツ(Würzburger Residenz)の「階段の間」の上部に描かれたティエポロの描いた、世界で一番大きいフレスコ天井一枚画。ヴュルツブルクにあるレジデンツにも2015年の秋に行き、実際にその広大な絵を見ましたが、今、そのときの旅行記をみると天井のフレスコの絵が一枚もない。写真撮影禁止だった。↓
https://4travel.jp/travelogue/11162917
ちなみにこの絵、昔、誰かが2枚に切り分けたらしい。それを美術館が2つを縫い合わせたとのこと。繫ぎ目を探してみて下さい。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/la-madonna-del-carmelo-fra-i-santi-simone-stock-teresa-davila-alberto-di-vercelli-il-profeta-elia-e-le-anime-del-purgatorio/ -
36.View of the Basin of San Marco from the Punta della Dogana 1740-5
Canaletto (Giovanni Antonio Canal) 1697-1768
カナレット
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ベネチアの都市景観画家。写真のような絵で有名。大体、どこの美術館にも彼の絵がある。海上から望むサンマルコ広場。右にドゥカーレ宮殿、奥にサンマルコ寺院。左に鐘楼。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/view-of-st-marks-from-the-punta-della-dogana/ -
36.View of the Basin of San Marco from the Punta della Dogana 1740-5
Canaletto (Giovanni Antonio Canal) 1697-1768
カナレット
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2019年8月にヴェネチアに行った時の撮った、同じような角度から、ヴァポレット(水上バス)の上からの写真。 -
37.View of Gazzada 1744
Bernardo Bellotto 1720-1780
ベルナルド・ベッロット
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イタリアの風景画家、エッチングの原版作者。先に紹介したヴェネツィアの風景画家カナレットの甥にあたり、彼の下で学んだ。ワルシャワで亡くなった。彼もカナレットと呼ばれることがある。
例えば、ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館 Gemäldegalerie Alte Meisterでも彼の絵の横の説明には「Bernardo Bellotto, gen. Canaletto」と説明があり、通称「カナレット」と説明されている。ややこしいことに、同じ美術館で、叔父の方も「Govanni Antonio Canal, gen. Canaletto」と通称「カナレット」と説明されている。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/veduta-di-gazzada-2/ -
38.The Kiss 1849
Francesco Hayez 1791-1882
フランチェスコ・アイエツ
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19世紀イタリア、ミラノの代表的なロマン主義画家。1850年にこのブレラ美術館のディレクターに任命された。こちらの絵はアイエツの代表的な有名な絵。
ところで、この絵をじっくり見ると違和感が出てくる。というのも、男の左足の位置がおかしい。左足の付け根が腰か下腹部にあるように見える。しかし、バランス的にはおかしくない。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/the-kiss/
https://www.wikiart.org/en/francesco-hayez/the-kiss-1859 -
39.Triste presentimento 1862
(Doleful Premonition ※絵の題名が昔と変わっている。)
Gierolamo Induno 1825-1890
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「哀しい予感」
おそらく恋人が戦場にいるのだろう。恋人の写真を見つめて、悲しげ。
ミラノ生まれの画家で兵士。
よくよく見ると、壁にアイエツの「Kiss」が飾られている。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/triste-presentimento/ -
40.An Afternoon (The Pergola) 1868
Silvestro Lega 1826-1895
シルベストロ・レガ
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以前の美術館の公式WEBサイトでは、「An Afternoon (The Pergola)」だったけど、今、見ると、「After Lunch (The Trellis)」に変わっている。おそらく、右側の女性が食後のティーを持ってきているから?でも人物にできた影をみると、昼食後にしては陽が傾き過ぎている。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/an-afternoon-the-pergola/
https://www.wikiart.org/en/silvestro-lega/il-pergolato -
41.Human Flood 1895-6
Pellizza da Volpedo (Giuseppe Pellizza)
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左側が未完であり、この題材に再び着手した画家の、別の絵「第4階級」(1901-02)がドォーモ横に新しくできたノヴェチェント美術館(Museo del Novecento)の入り口に飾ってある。労働階級(プロレタリアート)の要求のマニフェストとなった。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/human-flood/ -
「第4階級」
Pellizza da Volpedo (Giuseppe Pellizza)
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その彼の作品、ノヴェチェント美術館(Museo del Novecento)にあるもの。 -
42.Riot in the Gallery 1910
Umberto Boccioni 1882-1916
ウンベルト・ボッチョーニ
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ウンベルト・ボッチョーニはイタリアの画家、彫刻家、理論家。彼はマルクス主義者のアナキストであり、未来派の主要メンバーでもあった。
1882年10月19日レッジョ・カラブリア生まれ。生後すぐに家族はフォルリへ移住し、この地で幼年期を過ごした。
1901年、ローマの美術アカデミーのヌードコースに通い、独学で美術を学ぶ。
1902年、パリに移住し、印象派、ポスト印象派のスタイルを模倣した。
1907年、ミラノへ移住後、詩人の マリネッティや色彩分離派(ディヴィジョニスモ)の画家たちと交流。
1910年、カルロ・カッラ、ルイージ・ルッソロ、ジャコモ・バッラ、ジーノ・セヴェリーニとともに、未来派画家宣言、未来派運動の技術宣言を発表した。彼らによれば、近代のアーティストの目標は、モデルや過去の具象美術の伝統の束縛から、自由となって、同時代のダイナミックで発展し続ける社会へと、決然と進んで行くことだとされた。第一次大戦の布告に伴って、ボッチョーニはヴェローナ近郊のソルテで砲兵連隊に入隊する。1916年8月16日、騎兵隊訓練中に落馬して馬に踏みつけられ、その翌日に33歳で死亡した。
(Wikiより)
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/riot-in-the-gallery/
https://www.wikiart.org/en/umberto-boccioni/riot-in-the-galleria-1909 -
43.Mother and Son 1917
(Madre e figlio)
Carlo Carrà 1881-1966
カルロ・カッラ
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イタリア未来派および形而上絵画の画家。 イタリアのクアルニェント生まれ。
形而上絵画(けいじじょうかいが)
20世紀初頭にジョルジョ・デ・キリコらによって提唱された、イタリア絵画の芸術動向および絵画様式。形而上派、メタフィジック絵画ともいい、シュルレアリスム絵画の先駆とされる。形而上絵画の兆候はデ・キリコが1909-1910年頃に制作した《神託の謎》《秋の午後の謎》にすでに見られるが、芸術動向としては1917年にフェッラーラにおけるデ・キリコとカルロ・カッラの出会いによって生まれ、翌年ジョルジョ・モランディが加わり、さらにデ・キリコの弟・アルベルト・サヴィニオやフィリッポ・デ・ピシスらが同調するが、1921年には解体した。他にマリオ・シローニがいる。
アルノルト・ベックリンやマックス・クリンガーの影響を受けたとされ、"実際には見ることができないもの(現象・景色)を描く絵画"と描写されている。アンドレ・ブルトンは、デ・キリコの形而上絵画作品を、それが引き起こす感覚ゆえに高く評価し、シュルレアリスムを創始するときの1つの源泉として位置付けた。また、マックス・エルンスト、ルネ・マグリット、イヴ・タンギー、ポール・デルヴォー、ピエール・ロワなどへ、強い影響を、場合によっては決定的な影響を与えている。(wikiより)
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/madre-e-figlio/
https://www.wikiart.org/en/carlo-carra/madre-e-figlio-1917 -
44.Head of a Bull 1942
Pablo Picasso 1881-1973
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ピカソまであるのか。ここには。
https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/head-of-a-bull/
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