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美術館シリーズ①<br /><br />アルテ・マイスター絵画館<br />Gemäldegalerie Alte Meister<br /><br />ヨーロッパを旅行していると身近に有名な絵画や彫刻を見ることができます。<br />有名どころはほぼ回ったので、ここで整理の意味も含めて、旅行記として掲載したいと思います。写真撮影が可能なところだけ。さらに、私が撮った写真では詳細がよく分からないので、WEB上のリンクを貼っておきます。<br /><br />この2019年8月に2017年に引き続き、2回目の訪問をしたこの美術館。ちょうど、今、改装中であり、選ばれた傑作のみが、3つの部屋にぎゅっと詰められて展示されていました。チョコレートガールやレンブラントの作品がいくつかなかったのが残念。<br /><br />1.ラファエロ・サンツィオ「システィーナの聖母」<br />2.ハンス・ホルバイン<br />3.ヤン・ファン・エイク<br />4.フランチェスコ・デル・コッサ 「受胎告知」<br />5.ルーカス・クラナッハ(父)<br />6.ジョルジョーネ/ティツィアーノ「眠れるヴィーナス」<br />7.アルブレヒト・デューラー<br />8.アルブレヒト・デューラー<br />9.ティツィアーノ<br />10.ティツィアーノ 「トリビュートマネー」<br />11.ティツィアーノ<br />12.パルミジャニーノ「薔薇の聖母」<br />13.ガロファロ 「バッカスの勝利」<br />14.フェルメール「取り持ち女」<br />15.ヘラルト・ファン・ホントホルスト 「歯医者」<br />16.ニコラ・プッサン「フローラの王国」<br />17.クロード・ロラン<br />18.Marten van Valckenborch d.A.「バベルの塔」<br />19.レンブラント「放蕩息子の酒宴」<br />20.レンブラント「赤い花をもつサスキア」<br />21.レンブラント<br />22.レンブラント「ガニュメデスの誘拐」<br />23.レンブラント「婚礼の席で謎をかけるサムソン」<br />24.アンニーバレ・カラッチ 「聖セバスティアヌス(聖セバスチャン)」<br />25.アンソニー・ヴァン・ダイク<br />26.Carlo Cignani 「ヨゼフとポティファルの妻」<br />27.カナレット<br />28.ベルナルド・ベッロット「アウグスト橋下流のエルベ川右岸から見たドレスデン」<br />29.ティントレット<br />30.ティントレット<br />31.ピーテル・パウル・ルーベンス 「バテシバの入浴」<br />32.ピーテル・パウル・ルーベンス<br />33.ピーテル・パウル・ルーベンス<br />34.ホセ・デ・リベーラ(模倣) 「聖アグネス」<br />35.ムリーリョ 「聖クララの死」<br />36.ウィレム・クラース・ヘダ「キイチゴパイのある食卓」<br />37.ロザルバ・カッリエーラ<br />38.アンゲリカ・カウフマン<br />39.リオタール「チョコレートガール」

美術館シリーズ① アルテ・マイスター絵画館 Gemäldegalerie Alte Meister

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2019/08/18 - 2019/08/18

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美術館シリーズ①

アルテ・マイスター絵画館
Gemäldegalerie Alte Meister

ヨーロッパを旅行していると身近に有名な絵画や彫刻を見ることができます。
有名どころはほぼ回ったので、ここで整理の意味も含めて、旅行記として掲載したいと思います。写真撮影が可能なところだけ。さらに、私が撮った写真では詳細がよく分からないので、WEB上のリンクを貼っておきます。

この2019年8月に2017年に引き続き、2回目の訪問をしたこの美術館。ちょうど、今、改装中であり、選ばれた傑作のみが、3つの部屋にぎゅっと詰められて展示されていました。チョコレートガールやレンブラントの作品がいくつかなかったのが残念。

1.ラファエロ・サンツィオ「システィーナの聖母」
2.ハンス・ホルバイン
3.ヤン・ファン・エイク
4.フランチェスコ・デル・コッサ 「受胎告知」
5.ルーカス・クラナッハ(父)
6.ジョルジョーネ/ティツィアーノ「眠れるヴィーナス」
7.アルブレヒト・デューラー
8.アルブレヒト・デューラー
9.ティツィアーノ
10.ティツィアーノ 「トリビュートマネー」
11.ティツィアーノ
12.パルミジャニーノ「薔薇の聖母」
13.ガロファロ 「バッカスの勝利」
14.フェルメール「取り持ち女」
15.ヘラルト・ファン・ホントホルスト 「歯医者」
16.ニコラ・プッサン「フローラの王国」
17.クロード・ロラン
18.Marten van Valckenborch d.A.「バベルの塔」
19.レンブラント「放蕩息子の酒宴」
20.レンブラント「赤い花をもつサスキア」
21.レンブラント
22.レンブラント「ガニュメデスの誘拐」
23.レンブラント「婚礼の席で謎をかけるサムソン」
24.アンニーバレ・カラッチ 「聖セバスティアヌス(聖セバスチャン)」
25.アンソニー・ヴァン・ダイク
26.Carlo Cignani 「ヨゼフとポティファルの妻」
27.カナレット
28.ベルナルド・ベッロット「アウグスト橋下流のエルベ川右岸から見たドレスデン」
29.ティントレット
30.ティントレット
31.ピーテル・パウル・ルーベンス 「バテシバの入浴」
32.ピーテル・パウル・ルーベンス
33.ピーテル・パウル・ルーベンス
34.ホセ・デ・リベーラ(模倣) 「聖アグネス」
35.ムリーリョ 「聖クララの死」
36.ウィレム・クラース・ヘダ「キイチゴパイのある食卓」
37.ロザルバ・カッリエーラ
38.アンゲリカ・カウフマン
39.リオタール「チョコレートガール」

旅行の満足度
4.0
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 2019年。入り口を入ると正面にさっそく、ラファエロのマドンナが展示されていました。ここだけは、やはりすごい人混み。この部屋を含めて、たった3部屋で展示されていました。

    2019年。入り口を入ると正面にさっそく、ラファエロのマドンナが展示されていました。ここだけは、やはりすごい人混み。この部屋を含めて、たった3部屋で展示されていました。

  • 2019年秋からはこのように、3階に分かれて、世紀ごとに展示される予定。<br />この旅行記では、現在、展示されているものに、2017年に撮ったものも含めて、紹介します。

    2019年秋からはこのように、3階に分かれて、世紀ごとに展示される予定。
    この旅行記では、現在、展示されているものに、2017年に撮ったものも含めて、紹介します。

  • 1.The Sistine Madonna 1512/13<br />ラファエロ・サンティ(サンツィオ)(Raffaello Sanzio/1483-1520)<br />---------------------------<br />サン・シストの聖母/システィーナの聖母<br />ラファエロ・サンツィオ<br /><br />この絵の為だけにこの美術館に来る人も多いかも。ラファエロの聖母シリーズのひとつ。「サン・シストの聖母」とも題される。サン・シスト聖堂の祭壇画として教皇ユリウス2世により依頼され製作された。聖母マリアの左右には聖シクストゥスと聖バルバラ、画面下には二人の天使が描かれ、十字架(またはひし形)的な構図となっている。この絵を有名にしたのは、その下にいるつまんなさそうな天使たち。このデザインは近世になってもよく使われます。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/raphael/the-sistine-madonna-1513

    1.The Sistine Madonna 1512/13
    ラファエロ・サンティ(サンツィオ)(Raffaello Sanzio/1483-1520)
    ---------------------------
    サン・シストの聖母/システィーナの聖母
    ラファエロ・サンツィオ

    この絵の為だけにこの美術館に来る人も多いかも。ラファエロの聖母シリーズのひとつ。「サン・シストの聖母」とも題される。サン・シスト聖堂の祭壇画として教皇ユリウス2世により依頼され製作された。聖母マリアの左右には聖シクストゥスと聖バルバラ、画面下には二人の天使が描かれ、十字架(またはひし形)的な構図となっている。この絵を有名にしたのは、その下にいるつまんなさそうな天使たち。このデザインは近世になってもよく使われます。

    https://www.wikiart.org/en/raphael/the-sistine-madonna-1513

  • その天使たち。至る所でモチーフにされています。

    その天使たち。至る所でモチーフにされています。

  • 2.Charles de Solier, Sieur de Morette c1535<br />Hans Holbein d.J. (der Jüngere)  1497/98 - 1543<br />ハンス・ホルバイン<br />------------------------<br />ハンス・ホルバインは、ルネサンス期のドイツの画家。南ドイツのアウクスブルクに生まれ、後にイングランドで活動した。国際的に活躍した肖像画家として著名であるとともに、木版画シリーズ『死の舞踏』の作者として、版画史上も重要な作家である。また、アナモルフォーシスを使う画家としても知られている。同名の父ハンス(1465年頃 - 1524年)と兄アンブロジウスも美術史上に名を残す画家である。父ハンスは、末期ゴシックとルネサンスの過渡期に位置する画家としてアウクスブルクやバーゼルで活動し、祭壇画などに多くの傑作を残しているが、今日では同名の息子の名声に隠れた存在となっている。(※親子が同じ名前の場合、息子は「若い方」の意味のドイツ語、der Jüngereがd.Jがつけて区別されている。反対に親は、d.A(alter)がつく。)<br />1526年、ホルバインはエラスムスの紹介で、トマス・モアを頼ってロンドンへ渡った。1528年いったん帰国するが、1532年には再びロンドンへ渡っている。1536年には年30ポンドの契約でイングランド王ヘンリー8世の宮廷画家となった。宮廷画家の務めとして、外国にいる王の妃候補者の肖像画も製作した。そのうち、『アンナ・フォン・クレーフェの肖像』と『デンマーク王女クリスティーナの肖像』が現存している。王は結局アンナ・フォン・クレーフェ(イギリス名アン・オブ・クレーヴズ)と結婚した。ヘンリー8世は生涯に6度結婚しており、アンナとの結婚は4度目のものだったが、その結婚生活はわずか6か月しか続かなかった。ホルバインの描いたアンナのイメージが実際の本人と違っていたため、王の不興を買ったとも言われている。このためホルバインは宮廷画家の身分を剥奪されて追放処分を受けることになり、その後の彼は目立った作品を残していない。1543年、ホルバインは失意の中でペストによりロンドンで没した。(Wikiより)<br /><br />------------------------<br />https://www.wikiart.org/en/hans-holbein-the-younger/portrait-of-charles-de-solier

    2.Charles de Solier, Sieur de Morette c1535
    Hans Holbein d.J. (der Jüngere)  1497/98 - 1543
    ハンス・ホルバイン
    ------------------------
    ハンス・ホルバインは、ルネサンス期のドイツの画家。南ドイツのアウクスブルクに生まれ、後にイングランドで活動した。国際的に活躍した肖像画家として著名であるとともに、木版画シリーズ『死の舞踏』の作者として、版画史上も重要な作家である。また、アナモルフォーシスを使う画家としても知られている。同名の父ハンス(1465年頃 - 1524年)と兄アンブロジウスも美術史上に名を残す画家である。父ハンスは、末期ゴシックとルネサンスの過渡期に位置する画家としてアウクスブルクやバーゼルで活動し、祭壇画などに多くの傑作を残しているが、今日では同名の息子の名声に隠れた存在となっている。(※親子が同じ名前の場合、息子は「若い方」の意味のドイツ語、der Jüngereがd.Jがつけて区別されている。反対に親は、d.A(alter)がつく。)
    1526年、ホルバインはエラスムスの紹介で、トマス・モアを頼ってロンドンへ渡った。1528年いったん帰国するが、1532年には再びロンドンへ渡っている。1536年には年30ポンドの契約でイングランド王ヘンリー8世の宮廷画家となった。宮廷画家の務めとして、外国にいる王の妃候補者の肖像画も製作した。そのうち、『アンナ・フォン・クレーフェの肖像』と『デンマーク王女クリスティーナの肖像』が現存している。王は結局アンナ・フォン・クレーフェ(イギリス名アン・オブ・クレーヴズ)と結婚した。ヘンリー8世は生涯に6度結婚しており、アンナとの結婚は4度目のものだったが、その結婚生活はわずか6か月しか続かなかった。ホルバインの描いたアンナのイメージが実際の本人と違っていたため、王の不興を買ったとも言われている。このためホルバインは宮廷画家の身分を剥奪されて追放処分を受けることになり、その後の彼は目立った作品を残していない。1543年、ホルバインは失意の中でペストによりロンドンで没した。(Wikiより)

    ------------------------
    https://www.wikiart.org/en/hans-holbein-the-younger/portrait-of-charles-de-solier

  • 3.Winged Altar, 1437<br />Jan van Eyck(c1395-1441)<br />ヤン・ファン・エイク<br />------------------------<br />ヤン・ファン・エイク(蘭: Jan van Eyck、1395年頃 - 1441年7月9日)は、初期フランドル派のフランドル人画家。絵は祭壇画の中央パネル部。<br /><br />----------------------<br />https://www.wikiart.org/en/jan-van-eyck/small-triptych-central-panel

    3.Winged Altar, 1437
    Jan van Eyck(c1395-1441)
    ヤン・ファン・エイク
    ------------------------
    ヤン・ファン・エイク(蘭: Jan van Eyck、1395年頃 - 1441年7月9日)は、初期フランドル派のフランドル人画家。絵は祭壇画の中央パネル部。

    ----------------------
    https://www.wikiart.org/en/jan-van-eyck/small-triptych-central-panel

  • 4.The Annunciation 1470/72<br />Francesco del Cossa 1436-1478<br />フランチェスコ・デル・コッサ<br />------------------------<br />「受胎告知」<br />フランチェスコ・デル・コッサ(Francesco del Cossa, 1430年頃 - 1477年頃)は、イタリア初期ルネサンス(またはクアトロチェント)の画家。フェラーラ派に属し、フレスコ画で有名である。<br />-----------------------<br />受胎告知(Annunciation) (Wikiより)<br />キリスト教の聖典である新約聖書に書かれているエピソードの1つ。聖告(せいこく)、処女聖マリアのお告げ、生神女福音(しょうしんじょふくいん)とも言う。一般に、処女マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってキリストを妊娠したことを告げ、またマリアがそれを受け入れることを告げる出来事である。<br />マリア崇敬の思想を背景として、キリスト教文化圏の芸術作品の中で繰り返し用いられるモチーフでもある。<br /><br />大体、マリアは読書中で、左にガブリエル、右にマリアの構図で描かれる。下の絵はキリストが生まれたところ。 <br />--------------<br />https://www.wikiart.org/en/francesco-del-cossa/the-annunciation-1472

    4.The Annunciation 1470/72
    Francesco del Cossa 1436-1478
    フランチェスコ・デル・コッサ
    ------------------------
    「受胎告知」
    フランチェスコ・デル・コッサ(Francesco del Cossa, 1430年頃 - 1477年頃)は、イタリア初期ルネサンス(またはクアトロチェント)の画家。フェラーラ派に属し、フレスコ画で有名である。
    -----------------------
    受胎告知(Annunciation) (Wikiより)
    キリスト教の聖典である新約聖書に書かれているエピソードの1つ。聖告(せいこく)、処女聖マリアのお告げ、生神女福音(しょうしんじょふくいん)とも言う。一般に、処女マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってキリストを妊娠したことを告げ、またマリアがそれを受け入れることを告げる出来事である。
    マリア崇敬の思想を背景として、キリスト教文化圏の芸術作品の中で繰り返し用いられるモチーフでもある。

    大体、マリアは読書中で、左にガブリエル、右にマリアの構図で描かれる。下の絵はキリストが生まれたところ。
    --------------
    https://www.wikiart.org/en/francesco-del-cossa/the-annunciation-1472

  • フレームを上の這うように描かれている雌雄同体のカタツムリ。カタツムリは雌雄同体であり他の個体と性交なしに卵(子供)を産むことができる。<br />この受胎告知の場面では、マリアは性交せずにキリストを宿したことから、このカタツムリが描かれている。

    フレームを上の這うように描かれている雌雄同体のカタツムリ。カタツムリは雌雄同体であり他の個体と性交なしに卵(子供)を産むことができる。
    この受胎告知の場面では、マリアは性交せずにキリストを宿したことから、このカタツムリが描かれている。

  • 5.Altar of Saint Catherine (Central Panel), 1506<br />Lucas Cranach d.A.<br />ルーカス・クラナッハ(父)<br />--------------------<br />ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach der Ältere、1472年10月4日 クローナハ、オーバーフランケン - 1553年10月16日、ヴァイマル)は、ルネサンス期のドイツの画家。同名の息子も画家であるため、ルーカス・クラナッハ (父) と表記されることが多い。クラナハ、クラーナハとも表記される。彼が芸術家として最初に製作した絵画は1504年のものである。1508年以前に、彼はアルブレヒト・デューラーやハンス・ブルクマイアーらと競いながら、ヴィッテンベルクにあるCastle Churchの数多くの祭壇画を描いていた。<br />ヴィッテンベルクに工房を構え、当地の領主ザクセン選帝侯フリードリヒ3世に御用絵師として仕えた。主に宗教画で多数の作品を残したほか、同時代人の宗教改革者マルティン・ルターの友人であったため、彼とその家族の肖像画を多く残している。クラナッハの描く、腰の細くくびれた(当時としては)独特なプロポーションのヴィーナス像は、ティツィアーノやジョルジョーネのヴィーナスとはまた異なった、独特の官能美をかもし出している。(Wikiより)<br /><br />Wikiには上記のように描かれているが、彼の描く女性のヌードは大体、胸が小さい。彼の周囲の女性モデルがそうだったという、嘘か真か話がある。別に機会にその絵を紹介できたらと思います。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/lucas-cranach-the-elder/the-martyrdom-of-st-catherine-1506

    5.Altar of Saint Catherine (Central Panel), 1506
    Lucas Cranach d.A.
    ルーカス・クラナッハ(父)
    --------------------
    ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach der Ältere、1472年10月4日 クローナハ、オーバーフランケン - 1553年10月16日、ヴァイマル)は、ルネサンス期のドイツの画家。同名の息子も画家であるため、ルーカス・クラナッハ (父) と表記されることが多い。クラナハ、クラーナハとも表記される。彼が芸術家として最初に製作した絵画は1504年のものである。1508年以前に、彼はアルブレヒト・デューラーやハンス・ブルクマイアーらと競いながら、ヴィッテンベルクにあるCastle Churchの数多くの祭壇画を描いていた。
    ヴィッテンベルクに工房を構え、当地の領主ザクセン選帝侯フリードリヒ3世に御用絵師として仕えた。主に宗教画で多数の作品を残したほか、同時代人の宗教改革者マルティン・ルターの友人であったため、彼とその家族の肖像画を多く残している。クラナッハの描く、腰の細くくびれた(当時としては)独特なプロポーションのヴィーナス像は、ティツィアーノやジョルジョーネのヴィーナスとはまた異なった、独特の官能美をかもし出している。(Wikiより)

    Wikiには上記のように描かれているが、彼の描く女性のヌードは大体、胸が小さい。彼の周囲の女性モデルがそうだったという、嘘か真か話がある。別に機会にその絵を紹介できたらと思います。

    https://www.wikiart.org/en/lucas-cranach-the-elder/the-martyrdom-of-st-catherine-1506

  • 聖カタリナ。またはアレクサンドリアのカタリナ (287年 - 305年)は、キリスト教の聖人で殉教者。(実在したかは疑問とする説もある。)壊れた車輪、剣、足下の王冠、霰、花嫁のヴェールと指輪、鳩、鞭、本、異教の哲学者と論争する女性、などが用いられる。キリスト教の弁証者、車輪作りの職人(陶工と紡績業者を含む)、記録保管係、教育者、研ぎ職人、弁護士、少女、機械工、製粉業者、看護師、図書司書、学者など多くの分野の守護聖人。オックスフォード大学ベリオール・カレッジ、パリ大学の守護聖人。<br /><br />この絵では、右上にある壊れた車輪とともに描かれており、彼女のことを指していると分かる。彼女を車輪に縛り付ける拷問をしようとしたときに彼女がふれた瞬間に車輪がひとりでに壊れ、結果、斬首されることになった場面が描かれている。彼女の周りにいる死体は、おそらく、彼女を説得しようとして失敗した、ローマ皇帝マクセンティウス皇帝が送り込んだ賢者たちで、カタリナに論破されてしまい、皇帝が怒り、殺されてしまった。<br /><br />彼女にまつわる、絵の題材として、もうひとつは、「神秘の結婚」というもので、彼女は幻想の中で天国へ運ばれ、そこで聖母マリアによってキリストと婚約させられたという。<br />

    聖カタリナ。またはアレクサンドリアのカタリナ (287年 - 305年)は、キリスト教の聖人で殉教者。(実在したかは疑問とする説もある。)壊れた車輪、剣、足下の王冠、霰、花嫁のヴェールと指輪、鳩、鞭、本、異教の哲学者と論争する女性、などが用いられる。キリスト教の弁証者、車輪作りの職人(陶工と紡績業者を含む)、記録保管係、教育者、研ぎ職人、弁護士、少女、機械工、製粉業者、看護師、図書司書、学者など多くの分野の守護聖人。オックスフォード大学ベリオール・カレッジ、パリ大学の守護聖人。

    この絵では、右上にある壊れた車輪とともに描かれており、彼女のことを指していると分かる。彼女を車輪に縛り付ける拷問をしようとしたときに彼女がふれた瞬間に車輪がひとりでに壊れ、結果、斬首されることになった場面が描かれている。彼女の周りにいる死体は、おそらく、彼女を説得しようとして失敗した、ローマ皇帝マクセンティウス皇帝が送り込んだ賢者たちで、カタリナに論破されてしまい、皇帝が怒り、殺されてしまった。

    彼女にまつわる、絵の題材として、もうひとつは、「神秘の結婚」というもので、彼女は幻想の中で天国へ運ばれ、そこで聖母マリアによってキリストと婚約させられたという。

  • 異国の様相の斬首人の後方に、この絵の依頼主が描きこまれている。<br />

    異国の様相の斬首人の後方に、この絵の依頼主が描きこまれている。

  • 2019年は3枚(開いた状態)で展示されていました。

    2019年は3枚(開いた状態)で展示されていました。

  • 右側の絵の下に奇妙な生き物。

    右側の絵の下に奇妙な生き物。

  • 6.Sleeping Venus, c.1508/10<br />Giorgione (c1497-1510) / Tizian<br />ジョルジョーネ/ティツィアーノ<br />---------------------<br />眠れるヴィーナス ジョルジョーネ/ティツィアーノ<br /><br />この美術館で見るべき有名な絵画のひとつ。『眠れるヴィーナス』はイタリア、ルネサンス期の巨匠ジョルジョーネが描いた絵画で『ドレスデンのヴィーナス』とも呼ばれる。後世の絵画に多大な影響を与えた絵画で、ヴァザーリが最初に指摘したように、風景や空の表現は1510年の彼の死後にティツィアーノによって加筆され完成を見た。<br />この作品はジョルジョーネの最晩年の作品の一つで、背景に描かれている丘に溶け込むような輪郭を持つ裸の女性の肖像画であり、背景の細部と陰影の表現も非常に注意深く描写されている。ただ一人の裸の女性を主題に選んだことは絵画史上の大変革となり、近代美術の出発点であると考えられている(後述)。<br /> 官能性を感じさせる要素は、ヴィーナスがかかげている右腕と下腹部に置かれている左手である。シーツは寒色のシルバーで、それまでの絵画でリンネルを表現するときに使われていた暖色系の彩色とは異なっている。このシーツの表現は、後のティツィアーノやベラスケスの絵画にその影響を見ることができる。背景の風景はヴィーナスの肢体のラインをなぞるように描かれ、それは同時に、人の身体が本来自然と一体のものであるということをも表現している。自然と女性美を静謐に描き出した、ジョルジョーネの典型的とも言える作品である。<br /> この絵画の構成はアングルやルーベンスなどの後世の画家たちにも影響を与えた。このヴィーナスはティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』と直接結びついており、さらにティツィアーノのヴィーナスはマネの『オランピア』(Olympia, 1863年 オルセー美術館蔵)へとつながっている。<br />------------------<br />https://www.wikiart.org/en/giorgione/the-sleeping-venus-1510

    6.Sleeping Venus, c.1508/10
    Giorgione (c1497-1510) / Tizian
    ジョルジョーネ/ティツィアーノ
    ---------------------
    眠れるヴィーナス ジョルジョーネ/ティツィアーノ

    この美術館で見るべき有名な絵画のひとつ。『眠れるヴィーナス』はイタリア、ルネサンス期の巨匠ジョルジョーネが描いた絵画で『ドレスデンのヴィーナス』とも呼ばれる。後世の絵画に多大な影響を与えた絵画で、ヴァザーリが最初に指摘したように、風景や空の表現は1510年の彼の死後にティツィアーノによって加筆され完成を見た。
    この作品はジョルジョーネの最晩年の作品の一つで、背景に描かれている丘に溶け込むような輪郭を持つ裸の女性の肖像画であり、背景の細部と陰影の表現も非常に注意深く描写されている。ただ一人の裸の女性を主題に選んだことは絵画史上の大変革となり、近代美術の出発点であると考えられている(後述)。
     官能性を感じさせる要素は、ヴィーナスがかかげている右腕と下腹部に置かれている左手である。シーツは寒色のシルバーで、それまでの絵画でリンネルを表現するときに使われていた暖色系の彩色とは異なっている。このシーツの表現は、後のティツィアーノやベラスケスの絵画にその影響を見ることができる。背景の風景はヴィーナスの肢体のラインをなぞるように描かれ、それは同時に、人の身体が本来自然と一体のものであるということをも表現している。自然と女性美を静謐に描き出した、ジョルジョーネの典型的とも言える作品である。
     この絵画の構成はアングルやルーベンスなどの後世の画家たちにも影響を与えた。このヴィーナスはティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』と直接結びついており、さらにティツィアーノのヴィーナスはマネの『オランピア』(Olympia, 1863年 オルセー美術館蔵)へとつながっている。
    ------------------
    https://www.wikiart.org/en/giorgione/the-sleeping-venus-1510

  • 7.Bernhard von Reesen, 1521<br />Albrecht Dürer 1471-1528<br />アルブレヒト・デューラー<br />-------------------<br />アルブレヒト・デューラー(ドイツ語: Albrecht Dürer, 1471年5月21日 - 1528年4月6日)は、ドイツのルネサンス期の画家、版画家、数学者。<br /><br />---------<br />https://www.wikiart.org/en/albrecht-durer/portrait-of-bernhard-von-reesen-1521

    7.Bernhard von Reesen, 1521
    Albrecht Dürer 1471-1528
    アルブレヒト・デューラー
    -------------------
    アルブレヒト・デューラー(ドイツ語: Albrecht Dürer, 1471年5月21日 - 1528年4月6日)は、ドイツのルネサンス期の画家、版画家、数学者。

    ---------
    https://www.wikiart.org/en/albrecht-durer/portrait-of-bernhard-von-reesen-1521

  • 8.Dresden Altarpiece c.1496<br />Albrecht Dürer 1471-1528<br />アルブレヒト・デューラー<br />---------------------<br />アルブレヒト・デューラーの作品。Wittenbergの城の教会用に作成されたもので、左右に聖アントニーと聖セバスチャンが、中央にマリアと赤ちゃんのキリストが描かれている。結構、細部まで。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/albrecht-durer/altar-medium-and-image-wing-overall-view

    8.Dresden Altarpiece c.1496
    Albrecht Dürer 1471-1528
    アルブレヒト・デューラー
    ---------------------
    アルブレヒト・デューラーの作品。Wittenbergの城の教会用に作成されたもので、左右に聖アントニーと聖セバスチャンが、中央にマリアと赤ちゃんのキリストが描かれている。結構、細部まで。

    https://www.wikiart.org/en/albrecht-durer/altar-medium-and-image-wing-overall-view

  • 中央部。

    中央部。

  • 死人のような顔のキリスト、それを敬うマリア。キリストの横に小人!?

    死人のような顔のキリスト、それを敬うマリア。キリストの横に小人!?

  • よくよく観察すると不気味な生き物も描きこまれている。

    よくよく観察すると不気味な生き物も描きこまれている。

  • 9.Portrait of a Lady in White, c.1561<br />Tizian (c1488/90-1576),(伊: Tiziano Vecellio)<br />ティツィアーノ・ヴェチェッリオ<br />--------------------<br />ティツィアーノ・ヴェチェッリオは、盛期ルネサンスのイタリア人画家。ヴェネツィア派で最も重要な画家の一人である。ヴェネツィア共和国ベッルーノ近郊のピエーヴェ・ディ・カドーレに生まれ、その生誕地から「ダ・カドーレ (da Cadore)」と呼ばれることもあった。<br />ティツィアーノは同時代の人々からダンテ・アリギエーリの著作『神曲』からの引用である『星々を従える太陽』と呼ばれていた。肖像、風景、古代神話、宗教などあらゆる絵画分野に秀で、ヴェネツィア派でもっとも重要なイタリア人画家の一人となっている。ティツィアーノの絵画技法は筆使いと色彩感覚に特徴があり、イタリアルネサンスの芸術家だけではなく、次世代以降の西洋絵画にも大きな影響を与えた。<br />ティツィアーノは長命な画家で、その作風は年代とともに大きく変化しているが、その生涯を通じて独特の色彩感覚は変わることがなかった。円熟期のティツィアーノの絵画は色鮮やかとはいえないものもあるが、初期の作品の色調は明るく、奔放な筆使いと繊細で多様な色使いは、それまでの西洋絵画に前例のない革新的なものだった。(Wikiより)<br /><br />この婦人の像の構図、ルーベンスも書いているなあ。よく似ている。<br /><br />--------------------------------------------------<br />https://www.wikiart.org/en/titian/portrait-of-a-lady-in-white-1555<br /><br />ルーベンス<br />https://www.wikiart.org/en/peter-paul-rubens/girl-with-fan-1614

    9.Portrait of a Lady in White, c.1561
    Tizian (c1488/90-1576),(伊: Tiziano Vecellio)
    ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
    --------------------
    ティツィアーノ・ヴェチェッリオは、盛期ルネサンスのイタリア人画家。ヴェネツィア派で最も重要な画家の一人である。ヴェネツィア共和国ベッルーノ近郊のピエーヴェ・ディ・カドーレに生まれ、その生誕地から「ダ・カドーレ (da Cadore)」と呼ばれることもあった。
    ティツィアーノは同時代の人々からダンテ・アリギエーリの著作『神曲』からの引用である『星々を従える太陽』と呼ばれていた。肖像、風景、古代神話、宗教などあらゆる絵画分野に秀で、ヴェネツィア派でもっとも重要なイタリア人画家の一人となっている。ティツィアーノの絵画技法は筆使いと色彩感覚に特徴があり、イタリアルネサンスの芸術家だけではなく、次世代以降の西洋絵画にも大きな影響を与えた。
    ティツィアーノは長命な画家で、その作風は年代とともに大きく変化しているが、その生涯を通じて独特の色彩感覚は変わることがなかった。円熟期のティツィアーノの絵画は色鮮やかとはいえないものもあるが、初期の作品の色調は明るく、奔放な筆使いと繊細で多様な色使いは、それまでの西洋絵画に前例のない革新的なものだった。(Wikiより)

    この婦人の像の構図、ルーベンスも書いているなあ。よく似ている。

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    https://www.wikiart.org/en/titian/portrait-of-a-lady-in-white-1555

    ルーベンス
    https://www.wikiart.org/en/peter-paul-rubens/girl-with-fan-1614

  • 10.The Tribute Money, c.1516<br />Tizian (c1488/90-1576),(伊: Tiziano Vecellio)<br />ティツィアーノ・ヴェチェッリオ<br />------------------------<br /><br />トリビュートマネー、 または、文字通り、キリストの硬貨。福音書の1場面。キリストとパリサイ人を表している。「シーザーにシーザーのもの、そして神に神のものを与えなさい」。 <br /> この絵画は、おそらくこのシーンを芸術の中で扱った最も最初のものである。この絵画を依頼したフェラーラ公爵のアルフォンソ1世エステにとって個人的な意味を持っていた。(Wikiより)<br />--------------------<br />https://www.wikiart.org/en/titian/the-tribute-money-1516

    10.The Tribute Money, c.1516
    Tizian (c1488/90-1576),(伊: Tiziano Vecellio)
    ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
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    トリビュートマネー、 または、文字通り、キリストの硬貨。福音書の1場面。キリストとパリサイ人を表している。「シーザーにシーザーのもの、そして神に神のものを与えなさい」。
     この絵画は、おそらくこのシーンを芸術の中で扱った最も最初のものである。この絵画を依頼したフェラーラ公爵のアルフォンソ1世エステにとって個人的な意味を持っていた。(Wikiより)
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    https://www.wikiart.org/en/titian/the-tribute-money-1516

  • 11.The Virgin and Child with Four Saints, c.1516/20<br />Tizian (c1488/90-1576),(伊: Tiziano Vecellio)<br />ティツィアーノ・ヴェチェッリオ<br /><br />https://www.wikiart.org/en/titian/the-virgin-and-child-with-four-saints

    11.The Virgin and Child with Four Saints, c.1516/20
    Tizian (c1488/90-1576),(伊: Tiziano Vecellio)
    ティツィアーノ・ヴェチェッリオ

    https://www.wikiart.org/en/titian/the-virgin-and-child-with-four-saints

  • 12.The Madonna with the Rose, 1529/30<br />Parmigianino<br />パルミジャニーノ<br />---------------------<br />「薔薇の聖母」<br />パルミジャニーノ (Parmigianino、1503年1月11日パルマ - 1540年8月24日カザルマッジョーレ) は、マニエリスム初期、ローマなどで活躍したイタリアの画家。本名は、ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ (Girolamo Francesco Maria Mazzola)。<br />ミケランジェロ・ダ・ヴィンチなどルネッサンスの影響を受けた。最も影響を受けているのはラファエロで、現存するスケッチの中でも、特にラファエロのスケッチを多く残している事からもうかがい知れる。<br /><br />この作品は彼がボローニャに滞在している間に描かれた作品であると考えられている。かつて、フリードバルグは、この聖母に「本質的に非キリスト教的な官能性」を認め、腕の姿勢の手本を古代の彫像に基づいているとも指摘している。<br />この絵画から見て取れる「恥じらいの姿勢」は、楽園追放のエヴァや聖女像にもよく用いられたマニエリスムの画法であり、聖母の身体に密着した薄い衣装も、ロッソやラファエロ派の画家に類例が数多く見られる。(Wikiより)<br /><br />聖母の官能性、人工的な腕、腰の姿勢、伏し目がちのかすかな微笑、密着した衣服から女性の理想的肖像がうかがえ、地球儀に幼児ヨハネが横たわり(キリスト教の成功)、差し出す赤い薔薇(情熱、成功)。でも、受け取ろうとしていないは何故か?そもそもヨハネの右腕はどこにある?<br />この時代に描かれる宗教画の中の女性は、まだ、性的に正確な描写を避けていると思われる。その為、透けて浮かび上がる右の乳房のバランスが悪い。ジョルジョ-ネの眠れるヴィーナスが画期的と言われるのはそこにある。<br />--------------------------<br />https://www.wikiart.org/en/parmigianino/madonna-of-the-rose-1530

    12.The Madonna with the Rose, 1529/30
    Parmigianino
    パルミジャニーノ
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    「薔薇の聖母」
    パルミジャニーノ (Parmigianino、1503年1月11日パルマ - 1540年8月24日カザルマッジョーレ) は、マニエリスム初期、ローマなどで活躍したイタリアの画家。本名は、ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ (Girolamo Francesco Maria Mazzola)。
    ミケランジェロ・ダ・ヴィンチなどルネッサンスの影響を受けた。最も影響を受けているのはラファエロで、現存するスケッチの中でも、特にラファエロのスケッチを多く残している事からもうかがい知れる。

    この作品は彼がボローニャに滞在している間に描かれた作品であると考えられている。かつて、フリードバルグは、この聖母に「本質的に非キリスト教的な官能性」を認め、腕の姿勢の手本を古代の彫像に基づいているとも指摘している。
    この絵画から見て取れる「恥じらいの姿勢」は、楽園追放のエヴァや聖女像にもよく用いられたマニエリスムの画法であり、聖母の身体に密着した薄い衣装も、ロッソやラファエロ派の画家に類例が数多く見られる。(Wikiより)

    聖母の官能性、人工的な腕、腰の姿勢、伏し目がちのかすかな微笑、密着した衣服から女性の理想的肖像がうかがえ、地球儀に幼児ヨハネが横たわり(キリスト教の成功)、差し出す赤い薔薇(情熱、成功)。でも、受け取ろうとしていないは何故か?そもそもヨハネの右腕はどこにある?
    この時代に描かれる宗教画の中の女性は、まだ、性的に正確な描写を避けていると思われる。その為、透けて浮かび上がる右の乳房のバランスが悪い。ジョルジョ-ネの眠れるヴィーナスが画期的と言われるのはそこにある。
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    https://www.wikiart.org/en/parmigianino/madonna-of-the-rose-1530

  • 13.The Triumph of Bacchus, 1540<br />Garofalo<br />ガロファロ<br />--------------------<br />バッカスの勝利。1517年にラファエロが描いた未完成のドラフトをもとに描かれている。メジャーな題材であり、いろんな画家に選ばれている。いろんな神様が書き込まれているが、、、主人公は雲の上にいるゼウスが指さし、天使が頭の上に輪っかを乗せようとしている、一番左に描かれているカップル、バッカスとアドリアネ。おそらくこのカップルを祝ってのパレードだろうが、中央で酔っ払って倒れてかかっているのを周りの人が支えていたり、その下敷きになっているライオンの表情が滑稽。ほかにもラクダやパンサーが描かれているが、この時代にインド象も描かれていることに注目。ポルトガル王Emanuel I世が法皇レオ10世に1514年にプレゼントした象のペットのHANNOがモデルとされ、ラファエロは実際に、ローマでこの象のスケッチする機会があったと考えられる。<br /><br />https://skd-online-collection.skd.museum/Details/Index/3133843

    13.The Triumph of Bacchus, 1540
    Garofalo
    ガロファロ
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    バッカスの勝利。1517年にラファエロが描いた未完成のドラフトをもとに描かれている。メジャーな題材であり、いろんな画家に選ばれている。いろんな神様が書き込まれているが、、、主人公は雲の上にいるゼウスが指さし、天使が頭の上に輪っかを乗せようとしている、一番左に描かれているカップル、バッカスとアドリアネ。おそらくこのカップルを祝ってのパレードだろうが、中央で酔っ払って倒れてかかっているのを周りの人が支えていたり、その下敷きになっているライオンの表情が滑稽。ほかにもラクダやパンサーが描かれているが、この時代にインド象も描かれていることに注目。ポルトガル王Emanuel I世が法皇レオ10世に1514年にプレゼントした象のペットのHANNOがモデルとされ、ラファエロは実際に、ローマでこの象のスケッチする機会があったと考えられる。

    https://skd-online-collection.skd.museum/Details/Index/3133843

  • 14.The Procuress, 1656 <br />Johannes Vermeer<br />------------------<br />フェルメールの‘取り持ち女’<br />Johannes Vermeer (Jan Vermeer)<br />ヨハネス・フェルメール(1632~75年)<br /><br />2019年に日本に初めて来たもの。今回、訪問した時には戻っており、よかった。写真撮り放題です。フェルメールの日付とともにサインがある絵は全部で3枚しかなく、その中の1枚。左側の人物はフェルメール本人ともいわれています。<br /><br />フェルメールが宗教画、物語画から、風俗画家への移行期に描かれたとみられるのがこの「取り持ち女」とされ、娼婦を仲介する場面を描いたいかがわしい絵に見えるが、実は聖書の「ルカによる福音書」のなかにある「放蕩(ほうとう)息子」を題にとったといわれている。同じような題材を、バロックを代表するオランダの画家、レンブラント・ファン・レイン(1606~69年)も「放蕩息子の酒宴」という絵にしており(偶然にも同じこの美術館で展示されている、以下に紹介)、そこに描かれた男と女がレンブラントとその妻サスキアであるとみられることから、「取り持ち女」の左側の人物も画家自身、つまりフェルメールの自画像説が生まれた。(転載)<br /><br />https://www.wikiart.org/en/johannes-vermeer/the-procuress-1656

    14.The Procuress, 1656
    Johannes Vermeer
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    フェルメールの‘取り持ち女’
    Johannes Vermeer (Jan Vermeer)
    ヨハネス・フェルメール(1632~75年)

    2019年に日本に初めて来たもの。今回、訪問した時には戻っており、よかった。写真撮り放題です。フェルメールの日付とともにサインがある絵は全部で3枚しかなく、その中の1枚。左側の人物はフェルメール本人ともいわれています。

    フェルメールが宗教画、物語画から、風俗画家への移行期に描かれたとみられるのがこの「取り持ち女」とされ、娼婦を仲介する場面を描いたいかがわしい絵に見えるが、実は聖書の「ルカによる福音書」のなかにある「放蕩(ほうとう)息子」を題にとったといわれている。同じような題材を、バロックを代表するオランダの画家、レンブラント・ファン・レイン(1606~69年)も「放蕩息子の酒宴」という絵にしており(偶然にも同じこの美術館で展示されている、以下に紹介)、そこに描かれた男と女がレンブラントとその妻サスキアであるとみられることから、「取り持ち女」の左側の人物も画家自身、つまりフェルメールの自画像説が生まれた。(転載)

    https://www.wikiart.org/en/johannes-vermeer/the-procuress-1656

  • 15.The Dentist, 1622<br />Gerard van Honthorst<br />ヘラルト・ファン・ホントホルスト <br />--------------------<br />オランダの画家。歯医者の治療のシーン。なんでそんな暗いところで、助手のもつろうそくのひかりだけで治療しているのか。。。「ホントホルストは、一本のロウソクで照らされる光景を再生する偉大な手腕を見せている。」(Wikiより)<br /><br />https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Honthorst,_Gerard_van_-_The_Dentist_-_1622.jpg<br />

    15.The Dentist, 1622
    Gerard van Honthorst
    ヘラルト・ファン・ホントホルスト
    --------------------
    オランダの画家。歯医者の治療のシーン。なんでそんな暗いところで、助手のもつろうそくのひかりだけで治療しているのか。。。「ホントホルストは、一本のロウソクで照らされる光景を再生する偉大な手腕を見せている。」(Wikiより)

    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Honthorst,_Gerard_van_-_The_Dentist_-_1622.jpg

  • 16.The Realm of Flora 1631<br />Nicolas Poussin 1594-1665<br />ニコラ・プッサン<br />-----------------------<br />「フローラの王国」<br /><br />ニコラ・プッサン。17世紀のフランス古典主義の代表的な画家。しかしながら、生涯をほとんどバロックの中心、ローマで過ごした。<br />テーマはフローラの王国。ギリシャ神話の神々がその逸話とともに描かれているが、誰が誰かは忘れた(日本語ガイドでは説明あり)<br /><br />https://www.wikiart.org/en/nicolas-poussin/the-realm-of-flora-1631

    16.The Realm of Flora 1631
    Nicolas Poussin 1594-1665
    ニコラ・プッサン
    -----------------------
    「フローラの王国」

    ニコラ・プッサン。17世紀のフランス古典主義の代表的な画家。しかしながら、生涯をほとんどバロックの中心、ローマで過ごした。
    テーマはフローラの王国。ギリシャ神話の神々がその逸話とともに描かれているが、誰が誰かは忘れた(日本語ガイドでは説明あり)

    https://www.wikiart.org/en/nicolas-poussin/the-realm-of-flora-1631

  • 17.Landscape with the Flight into Egypt, 1647<br />Claude Lorrain<br />クロード・ロラン。プッサン同様、フランスのバロック・フランス古典主義絵画の画家。こちらは風景画メイン。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/claude-lorrain/landscape-with-the-flight-into-egypt-1647

    17.Landscape with the Flight into Egypt, 1647
    Claude Lorrain
    クロード・ロラン。プッサン同様、フランスのバロック・フランス古典主義絵画の画家。こちらは風景画メイン。

    https://www.wikiart.org/en/claude-lorrain/landscape-with-the-flight-into-egypt-1647

  • 18.The Tower of Babel, 1595<br />Marten van Valckenborch d.A.<br /><br />バベルの塔。こちらも有名な聖書にある題材。ブリューゲルのものが有名でジグゾーパズルにもなっている。実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまったといわれることにちなんで、空想的で実現不可能な計画を比喩的に「バベルの塔」という。創世記の記述には、崩れてしまったというよりからは、神に異なる言語を与えられて混乱し、建設をあきらめたとある。<br /><br />聖書の記述(Wikiより)<br />バベルの塔の物語は旧約聖書の「創世記」11章にあらわれる。そこで語られるのは下記のような記述である。位置的にはノアの物語のあとでアブラハムの物語の前に置かれている。<br /><br />全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアルの地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。<br /><br />https://www.biblestudytools.com/bible-stories/the-tower-of-babel.html<br />

    18.The Tower of Babel, 1595
    Marten van Valckenborch d.A.

    バベルの塔。こちらも有名な聖書にある題材。ブリューゲルのものが有名でジグゾーパズルにもなっている。実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまったといわれることにちなんで、空想的で実現不可能な計画を比喩的に「バベルの塔」という。創世記の記述には、崩れてしまったというよりからは、神に異なる言語を与えられて混乱し、建設をあきらめたとある。

    聖書の記述(Wikiより)
    バベルの塔の物語は旧約聖書の「創世記」11章にあらわれる。そこで語られるのは下記のような記述である。位置的にはノアの物語のあとでアブラハムの物語の前に置かれている。

    全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアルの地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。

    https://www.biblestudytools.com/bible-stories/the-tower-of-babel.html

  • 19.Rembrandt and Saskia in the Parable of the Prodigal Son, c. 1635<br />Rembrandt Harmensz. van Rijn | 1606-1669<br />レンブラント・ファン・レイン<br />---------------<br />放蕩息子の酒宴(レンブラントとサスキア)<br /><br />光の魔術師といわれるレンブラント。レンブラントは、同じオランダのフェルメール、イタリアのカラヴァッジョ、フランドルのルーベンス、スペインのベラスケスなどと共に、バロック絵画を代表する画家の一人。また、ヨーロッパ美術史における重要人物の一人。(誰が定義したのかは知らないが)最も、有名な絵画は世界三大絵画のひとつ「夜警」。<br />ここに描かれているサスキアなしには彼の人生は語れません。彼は自画像を多く描いた画家としても有名。自画像ではあるが、その時に描かれた彼の状態をよく表している。例えば、この絵では、裕福な資産家の娘、サスキアと結婚して、いけいけ状態。まだ、生活に困ってなく、おそらく浪費癖が始まったころで、顔をみれば、にんまりと笑み。幸せの絶頂期といったところでしょうか。サスキアの横には「傲慢」の象徴である孔雀が描かれ、その上には「浪費」の象徴である黒い勘定板が描かれてる。この絵を制作した当時、彼には妻の財産を浪費して邸宅や収集品を買い集めているという非難の声が上がっていた。そのような意見を無視することを決め込み、この絵で自分を放蕩息子に譬えて表したとされている。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/rembrandt/self-portrait-with-saskia-in-the-parable-of-the-prodigal-son<br /><br />

    19.Rembrandt and Saskia in the Parable of the Prodigal Son, c. 1635
    Rembrandt Harmensz. van Rijn | 1606-1669
    レンブラント・ファン・レイン
    ---------------
    放蕩息子の酒宴(レンブラントとサスキア)

    光の魔術師といわれるレンブラント。レンブラントは、同じオランダのフェルメール、イタリアのカラヴァッジョ、フランドルのルーベンス、スペインのベラスケスなどと共に、バロック絵画を代表する画家の一人。また、ヨーロッパ美術史における重要人物の一人。(誰が定義したのかは知らないが)最も、有名な絵画は世界三大絵画のひとつ「夜警」。
    ここに描かれているサスキアなしには彼の人生は語れません。彼は自画像を多く描いた画家としても有名。自画像ではあるが、その時に描かれた彼の状態をよく表している。例えば、この絵では、裕福な資産家の娘、サスキアと結婚して、いけいけ状態。まだ、生活に困ってなく、おそらく浪費癖が始まったころで、顔をみれば、にんまりと笑み。幸せの絶頂期といったところでしょうか。サスキアの横には「傲慢」の象徴である孔雀が描かれ、その上には「浪費」の象徴である黒い勘定板が描かれてる。この絵を制作した当時、彼には妻の財産を浪費して邸宅や収集品を買い集めているという非難の声が上がっていた。そのような意見を無視することを決め込み、この絵で自分を放蕩息子に譬えて表したとされている。

    https://www.wikiart.org/en/rembrandt/self-portrait-with-saskia-in-the-parable-of-the-prodigal-son

  • 20.Saskia with a Red Flower, 1641<br />Rembrandt (Rembrandt Harmensz. van Rijn) | 1606-1669<br />レンブラント・ファン・レイン<br /><br />同じくレンブラント、「赤い花をもつサスキア」。この絵は、1641年に描かれているが、その翌年の1642年、彼女は29歳の若さで死去しており、死因は結核といわれている。また、1642年には「夜警」が完成したのも1642年であり、これ以降、レンブラントの人生は反転する。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/rembrandt/saskia-with-a-red-flower-1641<br /><br /><br />

    20.Saskia with a Red Flower, 1641
    Rembrandt (Rembrandt Harmensz. van Rijn) | 1606-1669
    レンブラント・ファン・レイン

    同じくレンブラント、「赤い花をもつサスキア」。この絵は、1641年に描かれているが、その翌年の1642年、彼女は29歳の若さで死去しており、死因は結核といわれている。また、1642年には「夜警」が完成したのも1642年であり、これ以降、レンブラントの人生は反転する。

    https://www.wikiart.org/en/rembrandt/saskia-with-a-red-flower-1641


  • 21.The Bittern Hunter, 1639<br />Rembrandt (Rembrandt Harmensz. van Rijn) | 1606-1669<br />レンブラント・ファン・レイン<br /><br />https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rembrandt,_De_roerdompjager,_1639,_Gem%C3%A4ldegalerie_Alte_Meister,_Dresden.jpg<br />

    21.The Bittern Hunter, 1639
    Rembrandt (Rembrandt Harmensz. van Rijn) | 1606-1669
    レンブラント・ファン・レイン

    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rembrandt,_De_roerdompjager,_1639,_Gem%C3%A4ldegalerie_Alte_Meister,_Dresden.jpg

  • 22.The Abduction of Ganymede<br />Rembrandt (Rembrandt Harmensz. van Rijn) | 1606-1669<br />レンブラント・ファン・レイン<br />------------------------------------------------<br />ガニュメデスの誘拐 (The Abduction of Ganymede) 1635年<br /><br />レンブラントがアムステルダムに移住した頃に描かれた神話画作品の代表的作例『ガニュメデスの誘拐』。本作にはオウィディウス『転生神話』を典拠とし、鷲に姿を変えたユピテルが、トロイア王国(現在のトルコ)の建国者トロスの息子で、絶世の美少年とされたガニュメデスを酒注ぎとして天へ誘い、天上へ飛び立つ場面≪ガニュメデスの誘拐≫が描かれている。細部にマニエリスムの巨匠コレッジョの同主題による代表作『ガニュメデス(ユピテルの愛の物語)』の引用や影響が指摘されている本作では桜桃や房飾りなど伝統的な図像的アプローチが示されるも、泣き喚くガニュメデスの表情や恐れの余りに放尿してしまう姿など滑稽な場面描写も用いられていることは注目に値する。またドレスデン美術館には本作の素描も残されている。なお近年の修復によって画面左下に、ユピテルに連れ去られるガニュメデスを必死に追いかける母親の姿が描かれていることが判明した。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/rembrandt/the-abduction-of-ganymede-1635

    22.The Abduction of Ganymede
    Rembrandt (Rembrandt Harmensz. van Rijn) | 1606-1669
    レンブラント・ファン・レイン
    ------------------------------------------------
    ガニュメデスの誘拐 (The Abduction of Ganymede) 1635年

    レンブラントがアムステルダムに移住した頃に描かれた神話画作品の代表的作例『ガニュメデスの誘拐』。本作にはオウィディウス『転生神話』を典拠とし、鷲に姿を変えたユピテルが、トロイア王国(現在のトルコ)の建国者トロスの息子で、絶世の美少年とされたガニュメデスを酒注ぎとして天へ誘い、天上へ飛び立つ場面≪ガニュメデスの誘拐≫が描かれている。細部にマニエリスムの巨匠コレッジョの同主題による代表作『ガニュメデス(ユピテルの愛の物語)』の引用や影響が指摘されている本作では桜桃や房飾りなど伝統的な図像的アプローチが示されるも、泣き喚くガニュメデスの表情や恐れの余りに放尿してしまう姿など滑稽な場面描写も用いられていることは注目に値する。またドレスデン美術館には本作の素描も残されている。なお近年の修復によって画面左下に、ユピテルに連れ去られるガニュメデスを必死に追いかける母親の姿が描かれていることが判明した。

    https://www.wikiart.org/en/rembrandt/the-abduction-of-ganymede-1635

  • 23.Samson telling the Riddle at the Wedding Feast<br />Rembrandt (Rembrandt Harmensz. van Rijn) | 1606-1669<br />レンブラント・ファン・レイン<br /><br />「婚礼の席で謎をかけるサムソン」<br />本作で描かれているのは、旧約聖書の士師記13章から16章に登場する英雄的人物サムソンの物語のひとつである。北方の民族ダンの出身とされているが、歴史上実在した人物というより、人口に膾炙(かいしゃ)した伝説上の人物という面が強い。サムソンは古代イスラエルの士師の一人で怪力の持ち主として有名であり、その生涯は、イスラエルをペリシテ人から救うために捧(ささ)げられたといわれ、20年間イスラエルを治めた。<br /><br />この絵の場面は、ペリシテ人の女デリラとの婚礼と謎(なぞ)解き。サムソンが獅子(しし)を殺すと、それに群がるハチから蜜(みつ)がとれた。そこで客に謎をかける。「食らう者から食い物が出、強い者から甘い物が出た」。妻がせがむので、サムソンは謎を明かす。「蜜より甘いものに何があろう。獅子より強いものに何があろう」。しかし、これは答えではなく、新たな謎であった。答えは愛。妻にも客にもそれがわからなかった。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/rembrandt/samson-at-the-wedding-1638

    23.Samson telling the Riddle at the Wedding Feast
    Rembrandt (Rembrandt Harmensz. van Rijn) | 1606-1669
    レンブラント・ファン・レイン

    「婚礼の席で謎をかけるサムソン」
    本作で描かれているのは、旧約聖書の士師記13章から16章に登場する英雄的人物サムソンの物語のひとつである。北方の民族ダンの出身とされているが、歴史上実在した人物というより、人口に膾炙(かいしゃ)した伝説上の人物という面が強い。サムソンは古代イスラエルの士師の一人で怪力の持ち主として有名であり、その生涯は、イスラエルをペリシテ人から救うために捧(ささ)げられたといわれ、20年間イスラエルを治めた。

    この絵の場面は、ペリシテ人の女デリラとの婚礼と謎(なぞ)解き。サムソンが獅子(しし)を殺すと、それに群がるハチから蜜(みつ)がとれた。そこで客に謎をかける。「食らう者から食い物が出、強い者から甘い物が出た」。妻がせがむので、サムソンは謎を明かす。「蜜より甘いものに何があろう。獅子より強いものに何があろう」。しかし、これは答えではなく、新たな謎であった。答えは愛。妻にも客にもそれがわからなかった。

    https://www.wikiart.org/en/rembrandt/samson-at-the-wedding-1638

  • 光が彼女にあたっています。<br />彼女はサムソンの弱点の秘密を仲間にばらし、夫を裏切ることになる。

    光が彼女にあたっています。
    彼女はサムソンの弱点の秘密を仲間にばらし、夫を裏切ることになる。

  • 24.Saint Sebastian, 1583/84<br />Annibale Carracci 1560-1609<br />アンニーバレ・カラッチ<br />-----------------------<br />「聖セバスティアヌス(聖セバスチャン)」<br /><br />バロック期のイタリアの画家。イタリア美術における初期バロック様式を確立した画家の一人であり、イタリア北部のボローニャを中心に活動したボローニャ派の代表的画家である。兄のアゴスティーノ・カラッチ(1557年‐1602年)、従兄のルドヴィーコ・カラッチ(1555年‐1619年)も画家であり、西洋美術史では彼らを総称して「カラッチ一族」と呼ぶことが多い。アンニーバレは3人の中では技量の点でもっとも優れると評価される。(Wikiより)<br /><br />聖セバスティアヌス(聖セバスチャン)の殉教<br />セバスティアヌスは、283年、ディオクレティアヌス帝の時代に、ローマの軍人であった。密かにキリスト教に改宗していた。しかし、友人がキリスト教徒であることが発覚し、処刑されようとしているときに、助けたので、自身がキリスト教徒であることが発覚してしまった。皇帝の命令により、弓矢で射殺される。しかし、矢は致命傷とはならず、処刑したものたちが立ち去った後、イレネが看護した。傷が治ったセバスティアヌスは、皇帝のもとへ行き、再び、自らキリスト教徒だと名乗り出た。そして、棍棒で打ち殺された。<br /><br />この聖人はキリスト同様、半裸で木に縛られ、そして、矢で射られた状態で描かれる。この状態の絵を見ると、聖セバスチャンと考えてほぼ間違えがない。<br /><br />https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Annibale_Carracci_San_Sebastiano_Dresda.jpg<br />

    24.Saint Sebastian, 1583/84
    Annibale Carracci 1560-1609
    アンニーバレ・カラッチ
    -----------------------
    「聖セバスティアヌス(聖セバスチャン)」

    バロック期のイタリアの画家。イタリア美術における初期バロック様式を確立した画家の一人であり、イタリア北部のボローニャを中心に活動したボローニャ派の代表的画家である。兄のアゴスティーノ・カラッチ(1557年‐1602年)、従兄のルドヴィーコ・カラッチ(1555年‐1619年)も画家であり、西洋美術史では彼らを総称して「カラッチ一族」と呼ぶことが多い。アンニーバレは3人の中では技量の点でもっとも優れると評価される。(Wikiより)

    聖セバスティアヌス(聖セバスチャン)の殉教
    セバスティアヌスは、283年、ディオクレティアヌス帝の時代に、ローマの軍人であった。密かにキリスト教に改宗していた。しかし、友人がキリスト教徒であることが発覚し、処刑されようとしているときに、助けたので、自身がキリスト教徒であることが発覚してしまった。皇帝の命令により、弓矢で射殺される。しかし、矢は致命傷とはならず、処刑したものたちが立ち去った後、イレネが看護した。傷が治ったセバスティアヌスは、皇帝のもとへ行き、再び、自らキリスト教徒だと名乗り出た。そして、棍棒で打ち殺された。

    この聖人はキリスト同様、半裸で木に縛られ、そして、矢で射られた状態で描かれる。この状態の絵を見ると、聖セバスチャンと考えてほぼ間違えがない。

    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Annibale_Carracci_San_Sebastiano_Dresda.jpg

  • 25.Marie Clarisse(?), Wife of Jan Woverius, and their Daughter, c.1618/20<br />Anton van Dyck 1599-1641<br />アンソニー・ヴァン・ダイク<br />-----------------<br />バロック期のフランドル出身の画家。イタリアでも活動したヴァン・ダイクの作風には、師のルーベンスのほか、イタリア人画家ティツィアーノらヴェネツィア派の画家の軽妙な筆致と華麗な色彩の影響が見られる。ヴァン・ダイクは1627年にイタリアからいったん帰国後、1632年にはイングランドに渡り、イングランド国王チャールズ1世の主席宮廷画家として活躍した。(Wikiより)<br /><br />この絵に見られるように貴族を描いた肖像画が多い。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/anthony-van-dyck/marie-clarisse-wife-of-jan-woverius-with-their-child

    25.Marie Clarisse(?), Wife of Jan Woverius, and their Daughter, c.1618/20
    Anton van Dyck 1599-1641
    アンソニー・ヴァン・ダイク
    -----------------
    バロック期のフランドル出身の画家。イタリアでも活動したヴァン・ダイクの作風には、師のルーベンスのほか、イタリア人画家ティツィアーノらヴェネツィア派の画家の軽妙な筆致と華麗な色彩の影響が見られる。ヴァン・ダイクは1627年にイタリアからいったん帰国後、1632年にはイングランドに渡り、イングランド国王チャールズ1世の主席宮廷画家として活躍した。(Wikiより)

    この絵に見られるように貴族を描いた肖像画が多い。

    https://www.wikiart.org/en/anthony-van-dyck/marie-clarisse-wife-of-jan-woverius-with-their-child

  • 26.Joseph and the Wife of Potiphar, c.1670/80<br />Carlo Cignani 1628-1719<br /><br />「ヨゼフとポティファルの妻」<br />ポティファル(Potiphar、Potifar)とは、創世記に登場するエジプト王宮の近衛兵長である。この人物は、ヨセフとの関連でのみ言及される。この妻は、聖書にも、キリスト教の伝統においても名前が挙げられていない。<br /><br />ヨセフは兄弟の企みによってエジプトで奴隷とされ、ポティファルの家の下僕となった。ポティファルはヨセフを下僕の長に任じた。しかし、ポティファルの妻は、ヨセフが彼女の性的誘惑を拒んだために激怒し、彼に犯されたという嘘の申し立てをする。ポティファルはヨセフを投獄し、後にファラオが彼の夢分析の能力を買って解放するまで獄中生活が続いた。<br /><br />ルネサンスやバロックの時代に、この物語は芸術の題材として有名になった。一般的に、この絵のように、裸かそれに近い格好のポティファルの妻とベッド、そこから離れようとするヨセフが描かれていることが多い。(Wikiより)<br /><br />https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Carlo_Cignani_001.jpg

    26.Joseph and the Wife of Potiphar, c.1670/80
    Carlo Cignani 1628-1719

    「ヨゼフとポティファルの妻」
    ポティファル(Potiphar、Potifar)とは、創世記に登場するエジプト王宮の近衛兵長である。この人物は、ヨセフとの関連でのみ言及される。この妻は、聖書にも、キリスト教の伝統においても名前が挙げられていない。

    ヨセフは兄弟の企みによってエジプトで奴隷とされ、ポティファルの家の下僕となった。ポティファルはヨセフを下僕の長に任じた。しかし、ポティファルの妻は、ヨセフが彼女の性的誘惑を拒んだために激怒し、彼に犯されたという嘘の申し立てをする。ポティファルはヨセフを投獄し、後にファラオが彼の夢分析の能力を買って解放するまで獄中生活が続いた。

    ルネサンスやバロックの時代に、この物語は芸術の題材として有名になった。一般的に、この絵のように、裸かそれに近い格好のポティファルの妻とベッド、そこから離れようとするヨセフが描かれていることが多い。(Wikiより)

    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Carlo_Cignani_001.jpg

  • 27.The Canal Grande in Venice with the Rialto Bridge 1724<br />Govanni Antonio Canal, gen. Canaletto(※)<br /><br />カナレット。父親であるベルナルド・カナールも画家であったことから区別するために「小カナル」(カナレット)と呼ばれるようになった。1719年ごろローマで、父親とともに、劇場舞台背景絵画制作をやっていた。1720年までにはヴェネチアに帰ってきている。1726年以前から英国人の顧客をもっていて、特に大商人でヴェネチアにおける英国商人の代表でもあったジョゼフ・スミス(Joseph Smith)をパトロンとした。スミスはカナレットの作品を外の英国人へ売る画商でもあった。1746年~1756年に数度英国滞在して作品を制作したので、英国の風景を描いた作品も多い。カナレットは晩年も健勝で視力が確かであったらしく、『サン・マルコの聖歌隊』という素描絵には、『我ズアネ・アントニオ・ダ・カナル、ヴェネツィアにてサン・マルコ・ドゥカーレ教会の聖歌隊をメガネ無しで描く 68歳 1766』(Io Zuane Antonio da Canal, Ho fatto il presente disegnio, delli Musici che canta nella Chiesa Ducal di S. Marco in Venezia in ettà de anni 68 Senza Ochiali, l’anno 1766.)と書いてある。(Wikiより)<br /><br />次に紹介する甥のベルナルド・ベッロットも風景画家。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/canaletto/grand-canal-looking-northeast-from-near-the-palazzo-corner-spinelli-to-the-rialto-bridge

    27.The Canal Grande in Venice with the Rialto Bridge 1724
    Govanni Antonio Canal, gen. Canaletto(※)

    カナレット。父親であるベルナルド・カナールも画家であったことから区別するために「小カナル」(カナレット)と呼ばれるようになった。1719年ごろローマで、父親とともに、劇場舞台背景絵画制作をやっていた。1720年までにはヴェネチアに帰ってきている。1726年以前から英国人の顧客をもっていて、特に大商人でヴェネチアにおける英国商人の代表でもあったジョゼフ・スミス(Joseph Smith)をパトロンとした。スミスはカナレットの作品を外の英国人へ売る画商でもあった。1746年~1756年に数度英国滞在して作品を制作したので、英国の風景を描いた作品も多い。カナレットは晩年も健勝で視力が確かであったらしく、『サン・マルコの聖歌隊』という素描絵には、『我ズアネ・アントニオ・ダ・カナル、ヴェネツィアにてサン・マルコ・ドゥカーレ教会の聖歌隊をメガネ無しで描く 68歳 1766』(Io Zuane Antonio da Canal, Ho fatto il presente disegnio, delli Musici che canta nella Chiesa Ducal di S. Marco in Venezia in ettà de anni 68 Senza Ochiali, l’anno 1766.)と書いてある。(Wikiより)

    次に紹介する甥のベルナルド・ベッロットも風景画家。

    https://www.wikiart.org/en/canaletto/grand-canal-looking-northeast-from-near-the-palazzo-corner-spinelli-to-the-rialto-bridge

  • 28.Dresden from the Right Bank of the Elbe, below the Augustus Bridge, 1748<br />Bernardo Bellotto, gen. Canaletto(※)<br />ベルナルド・ベッロット 1720-1780<br />『アウグスト橋下流のエルベ川右岸から見たドレスデン』, 1748年<br /><br />イタリアの風景画家。ヴェネツィア生まれ。父はロレンツォ・ベッロット、母はカナレットの妹フィオレンツァである。伯父であるヴェネツィアの風景画家カナレットに才能を認められ、14歳から伯父の元で修行を積んだ。時には非公式にベルナルド・カナレットと呼ばれたため、特にポーランドでは、カナレットの絵画というと伯父よりも彼のことを指すことがある。<br /><br />彼の画風は、光がどの場所でもはっきりしているのと同様に、精巧な建築物の描写や自然の眺望により特徴づけられる。伯父カナレットや他のヴェドゥテ(イタリア語で「眺め」の意味)の名人のように、彼も自身の都市眺望の秀でた精確さを達成するためカメラ・オブスキュラを使用していた。伯父はきっちりした理想的な光景を描こうとしたが、ベッロットはあるがままの日常生活の光景を描こうとしており、この点に特徴が認められる。(Wikiより)<br /><br />※通称カナレット。ポーランドに近いこのドレスデンは、ベルナルド・ベッロットをカナレットと呼ぶことが多い。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/bernardo-bellotto/view-of-dresden-from-the-right-bank-of-the-elbe-with-the-augustus-bridge-1748

    28.Dresden from the Right Bank of the Elbe, below the Augustus Bridge, 1748
    Bernardo Bellotto, gen. Canaletto(※)
    ベルナルド・ベッロット 1720-1780
    『アウグスト橋下流のエルベ川右岸から見たドレスデン』, 1748年

    イタリアの風景画家。ヴェネツィア生まれ。父はロレンツォ・ベッロット、母はカナレットの妹フィオレンツァである。伯父であるヴェネツィアの風景画家カナレットに才能を認められ、14歳から伯父の元で修行を積んだ。時には非公式にベルナルド・カナレットと呼ばれたため、特にポーランドでは、カナレットの絵画というと伯父よりも彼のことを指すことがある。

    彼の画風は、光がどの場所でもはっきりしているのと同様に、精巧な建築物の描写や自然の眺望により特徴づけられる。伯父カナレットや他のヴェドゥテ(イタリア語で「眺め」の意味)の名人のように、彼も自身の都市眺望の秀でた精確さを達成するためカメラ・オブスキュラを使用していた。伯父はきっちりした理想的な光景を描こうとしたが、ベッロットはあるがままの日常生活の光景を描こうとしており、この点に特徴が認められる。(Wikiより)

    ※通称カナレット。ポーランドに近いこのドレスデンは、ベルナルド・ベッロットをカナレットと呼ぶことが多い。

    https://www.wikiart.org/en/bernardo-bellotto/view-of-dresden-from-the-right-bank-of-the-elbe-with-the-augustus-bridge-1748

  • ドレスデンの街中でよく見る彼の絵。<br /><br />1747年から1758年にかけ、彼はザクセン選帝侯でもあるポーランド王アウグスト王の招きに従い、ドレスデンへ赴いた。彼はドレスデンとピエルナ、またその郊外を描いた作品を多く残した。とくに、アウグスト橋下流のエルベ右岸からドレスデン中心部を描いた構図は「カナレット・ビュー」として有名で、ドレスデンを代表する景観のひとつとなっている。今日、これらの絵画が、第二次世界大戦中の大規模空襲で破壊されたドレスデンの、かつての美しさをうかがわせるものとして保存されている。(Wikiより)

    ドレスデンの街中でよく見る彼の絵。

    1747年から1758年にかけ、彼はザクセン選帝侯でもあるポーランド王アウグスト王の招きに従い、ドレスデンへ赴いた。彼はドレスデンとピエルナ、またその郊外を描いた作品を多く残した。とくに、アウグスト橋下流のエルベ右岸からドレスデン中心部を描いた構図は「カナレット・ビュー」として有名で、ドレスデンを代表する景観のひとつとなっている。今日、これらの絵画が、第二次世界大戦中の大規模空襲で破壊されたドレスデンの、かつての美しさをうかがわせるものとして保存されている。(Wikiより)

  • 「カナレット・ビュー」<br /><br />エルベ川をはさんで旧市街の対岸にある絵のフレーム。工事中でクレーンが写り込み、景観が台無し。アウグスト橋も工事中だし。。。。

    「カナレット・ビュー」

    エルベ川をはさんで旧市街の対岸にある絵のフレーム。工事中でクレーンが写り込み、景観が台無し。アウグスト橋も工事中だし。。。。

  • 29.The Rescue of Arsinoe<br />Jacopo Tintoretto 1518-1594<br />ティントレット<br />----------------------<br />イタリアのルネサンス期の画家。ヴェネツィアの染物屋の息子として生まれた為、ティントレット(染物屋の息子)と呼ばれる。師匠のティツィアーノ、そしてヴェロネーゼとともにルネサンス期のヴェネツィア派を代表する画家。ティツィアーノの色彩とミケランジェロのマニエリスムの形体を結びつけ、情熱的な宗教画を描いた。生涯をヴェネツィアで過ごし、ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿(総督宮殿)や当時ヴェネツィアにいくつかあったスクオーラ(信徒会、同心会)の会館などのために多くの作品を残している。(Wikiより)<br /><br />https://www.wikiart.org/en/tintoretto/rescue-of-arsinoe

    29.The Rescue of Arsinoe
    Jacopo Tintoretto 1518-1594
    ティントレット
    ----------------------
    イタリアのルネサンス期の画家。ヴェネツィアの染物屋の息子として生まれた為、ティントレット(染物屋の息子)と呼ばれる。師匠のティツィアーノ、そしてヴェロネーゼとともにルネサンス期のヴェネツィア派を代表する画家。ティツィアーノの色彩とミケランジェロのマニエリスムの形体を結びつけ、情熱的な宗教画を描いた。生涯をヴェネツィアで過ごし、ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿(総督宮殿)や当時ヴェネツィアにいくつかあったスクオーラ(信徒会、同心会)の会館などのために多くの作品を残している。(Wikiより)

    https://www.wikiart.org/en/tintoretto/rescue-of-arsinoe

  • 30.The Archangel Michael Fighting against Satan c1590<br />Jacopo Tintoretto 1518-1594<br />ティントレット<br />------------------------<br /><br />https://www.wikiart.org/en/tintoretto/battle-of-the-archangel-michael-and-the-satan

    30.The Archangel Michael Fighting against Satan c1590
    Jacopo Tintoretto 1518-1594
    ティントレット
    ------------------------

    https://www.wikiart.org/en/tintoretto/battle-of-the-archangel-michael-and-the-satan

  • 31.Bathsheba at the Fountain c.1635<br />Peter Paul Rubens 1577-1640<br />ピーテル・パウル・ルーベンス<br />-----------------------<br />「バテシバの入浴」<br />ルーベンスはアントウェルペンで大規模な工房を経営し、生み出された作品はヨーロッパ中の貴族階級や収集家間でも高く評価されていた。またルーベンスは画家としてだけではなく、古典的知識を持つ人文主義学者、美術品収集家でもあり、さらに七ヶ国語を話し、外交官としても活躍してスペイン王フェリペ4世とイングランド王チャールズ1世からナイト爵位を受けている。(Wikiより)<br /><br />バテシバの入浴<br />『旧約聖書』『サムエル記』の、イスラエル王ダビデとヒッタイト人ウリヤの妻バテシバとのエピソードを描いた官能的な作品である。『サムエル記』では、水浴中のバテシバを見染めたダビデが強引に関係を持ってバテシバを妊娠させたとなっている。そしてダビデは、人妻を妊娠させたという自身が犯した罪を隠してバテシバと結婚するために、バテシバの夫ウリヤを戦地へと赴かせ、将軍に対してウリヤを敵地に置き去りにして殺させるように命じた。ダビデが水浴中のバテシバを覗き見るというエピソードは、それまでも多くの画家が作品に描いたモチーフだった。<br /><br />この絵では、ダビデの手紙を使いの少年が入浴中のバテシバに渡しているところ。後ろにある宮殿の上からダビデがこちらを見ている。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/peter-paul-rubens/bathsheba-at-the-fountain-1635

    31.Bathsheba at the Fountain c.1635
    Peter Paul Rubens 1577-1640
    ピーテル・パウル・ルーベンス
    -----------------------
    「バテシバの入浴」
    ルーベンスはアントウェルペンで大規模な工房を経営し、生み出された作品はヨーロッパ中の貴族階級や収集家間でも高く評価されていた。またルーベンスは画家としてだけではなく、古典的知識を持つ人文主義学者、美術品収集家でもあり、さらに七ヶ国語を話し、外交官としても活躍してスペイン王フェリペ4世とイングランド王チャールズ1世からナイト爵位を受けている。(Wikiより)

    バテシバの入浴
    『旧約聖書』『サムエル記』の、イスラエル王ダビデとヒッタイト人ウリヤの妻バテシバとのエピソードを描いた官能的な作品である。『サムエル記』では、水浴中のバテシバを見染めたダビデが強引に関係を持ってバテシバを妊娠させたとなっている。そしてダビデは、人妻を妊娠させたという自身が犯した罪を隠してバテシバと結婚するために、バテシバの夫ウリヤを戦地へと赴かせ、将軍に対してウリヤを敵地に置き去りにして殺させるように命じた。ダビデが水浴中のバテシバを覗き見るというエピソードは、それまでも多くの画家が作品に描いたモチーフだった。

    この絵では、ダビデの手紙を使いの少年が入浴中のバテシバに渡しているところ。後ろにある宮殿の上からダビデがこちらを見ている。

    https://www.wikiart.org/en/peter-paul-rubens/bathsheba-at-the-fountain-1635

  • 32.The Drunken Hercules being Led by a Nymph and a Satyr c.1614/15<br />Peter Paul Rubens 1577-1640<br />ピーテル・パウル・ルーベンス<br /><br />正直、ルーベンスは絵が大きすぎてみるのに疲れる。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/peter-paul-rubens/the-drunken-hercules-1611

    32.The Drunken Hercules being Led by a Nymph and a Satyr c.1614/15
    Peter Paul Rubens 1577-1640
    ピーテル・パウル・ルーベンス

    正直、ルーベンスは絵が大きすぎてみるのに疲れる。

    https://www.wikiart.org/en/peter-paul-rubens/the-drunken-hercules-1611

  • 33.Diana Returning from the Hunt c1616<br />Peter Paul Rubens 1577-1640<br />ピーテル・パウル・ルーベンス<br /><br />https://www.wikiart.org/en/peter-paul-rubens/diana-returning-from-hunt-1615

    33.Diana Returning from the Hunt c1616
    Peter Paul Rubens 1577-1640
    ピーテル・パウル・ルーベンス

    https://www.wikiart.org/en/peter-paul-rubens/diana-returning-from-hunt-1615

  • 34.Saint Agnes 1641<br />Jusepe de Ribera (Nachahmer)<br />ホセ・デ・リベーラ(1591-1652)<br /><br />「聖アグネス」<br />リベーラはバロック期のスペインの画家。スペイン出身だが、若くしてイタリアに渡り、生涯の大半をナポリで過ごして、ついに母国に帰ることはなかった。当時のナポリはスペイン副王の支配下にあり、いわばスペインの飛地領土になっていた。<br /><br />説明に(Nachahmer)とあるので、誰かの模倣と思う。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/jusepe-de-ribera/st-agnes-in-prison-1641<br /><br />

    34.Saint Agnes 1641
    Jusepe de Ribera (Nachahmer)
    ホセ・デ・リベーラ(1591-1652)

    「聖アグネス」
    リベーラはバロック期のスペインの画家。スペイン出身だが、若くしてイタリアに渡り、生涯の大半をナポリで過ごして、ついに母国に帰ることはなかった。当時のナポリはスペイン副王の支配下にあり、いわばスペインの飛地領土になっていた。

    説明に(Nachahmer)とあるので、誰かの模倣と思う。

    https://www.wikiart.org/en/jusepe-de-ribera/st-agnes-in-prison-1641

  • 35.The Death of Saint Clare 1645/46<br />Bartolome Esteban Murillo 1617-1682<br />バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ<br />---------------------<br />「聖クララの死」<br />バロック期のスペインの画家。17世紀のスペイン黄金時代美術の歴史を代表する画家である。聖母マリアの純潔性をあらわした『無原罪の御宿り』を題材とした甘美な聖母像や、愛らしい子どもの絵を数多く手がけた。<br /><br />聖女クララの死の間際、病床にキリストとマリアを中心に聖人が表れ、クララと一人の付添人だけがかれらの姿をみることができているという状況。よく見ると付添人の中で彼らの存在に気づき、驚いている人がいる。<br /><br />https://www.akg-images.co.uk/archive/Death-of-St.-Clare-2UMDHUQRL5V7.html<br />

    35.The Death of Saint Clare 1645/46
    Bartolome Esteban Murillo 1617-1682
    バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ
    ---------------------
    「聖クララの死」
    バロック期のスペインの画家。17世紀のスペイン黄金時代美術の歴史を代表する画家である。聖母マリアの純潔性をあらわした『無原罪の御宿り』を題材とした甘美な聖母像や、愛らしい子どもの絵を数多く手がけた。

    聖女クララの死の間際、病床にキリストとマリアを中心に聖人が表れ、クララと一人の付添人だけがかれらの姿をみることができているという状況。よく見ると付添人の中で彼らの存在に気づき、驚いている人がいる。

    https://www.akg-images.co.uk/archive/Death-of-St.-Clare-2UMDHUQRL5V7.html

  • ムリーリョの初期の作品。マリアの甘美な表情。

    ムリーリョの初期の作品。マリアの甘美な表情。

  • 36.Breakfast Table with Blackberry Pie 1631<br />Willem Claesz. Heda(1597-1680)<br />ウィレム・クラース・ヘダ<br />「キイチゴパイのある食卓」<br /><br />1620年代後半から40年代に流行した「モノクローム・バンケッチェ(モノクローム風の晩餐図)」を代表する静物画画家。<br />灰緑色の色調で、精巧に仕上げられており、金銀食器の表面の反映像まで描かれている。モチーフとして、グラス、銀の皿、ぜいたいくな食事の残り、などが描かれる。虚栄や人生のはかなさを伝えている。<br /><br />https://www.wikiwand.com/en/Willem_Claesz._Heda

    36.Breakfast Table with Blackberry Pie 1631
    Willem Claesz. Heda(1597-1680)
    ウィレム・クラース・ヘダ
    「キイチゴパイのある食卓」

    1620年代後半から40年代に流行した「モノクローム・バンケッチェ(モノクローム風の晩餐図)」を代表する静物画画家。
    灰緑色の色調で、精巧に仕上げられており、金銀食器の表面の反映像まで描かれている。モチーフとして、グラス、銀の皿、ぜいたいくな食事の残り、などが描かれる。虚栄や人生のはかなさを伝えている。

    https://www.wikiwand.com/en/Willem_Claesz._Heda

  • 37.The Dancer Barbara Campanini, called Barbarina<br />Rosalba Carriera 1673-1757<br />ロザルバ・カッリエーラ。ヴェネツィアの女性肖像画画家。描かれているのは、イタリア18世紀の重要で有名なバレーダンサー、Barbara Campanini(La Barbarina)。<br /><br />https://www.wikiwand.com/en/Barbara_Campanini

    37.The Dancer Barbara Campanini, called Barbarina
    Rosalba Carriera 1673-1757
    ロザルバ・カッリエーラ。ヴェネツィアの女性肖像画画家。描かれているのは、イタリア18世紀の重要で有名なバレーダンサー、Barbara Campanini(La Barbarina)。

    https://www.wikiwand.com/en/Barbara_Campanini

  • 38.Portrait of a Lady, or Self-Portrait as a Vestal Virgin<br />Angelika Kauffmann(1741-1807) (英)Angelica Kauffman<br />アンゲリカ・カウフマン<br /><br />スイス出身のオーストリア人新古典主義画家。こちらも女性画家。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/angelica-kauffman/portrait-of-a-woman-as-a-vestal-virgin-1<br /><br /><br /><br />

    38.Portrait of a Lady, or Self-Portrait as a Vestal Virgin
    Angelika Kauffmann(1741-1807) (英)Angelica Kauffman
    アンゲリカ・カウフマン

    スイス出身のオーストリア人新古典主義画家。こちらも女性画家。

    https://www.wikiart.org/en/angelica-kauffman/portrait-of-a-woman-as-a-vestal-virgin-1



  • 39.The Chocolate Girl<br />Jean-Etienne Liotard<br />c1744/45<br />-------------------<br />英語でのタイトルはチョコレートガール。日本ではほぼ無名のこの絵、実はこの美術館では人だかりができる大人気な作品。すごく精密に描かれており、高価な食器を運んでいる緊張感が表情から伝わります。<br /><br />リオタール Jean-Étienne Liotard 1702-1789<br />スイスの巨匠。<br />https://www.wikiwand.com/en/Jean-%C3%89tienne_Liotard<br />

    39.The Chocolate Girl
    Jean-Etienne Liotard
    c1744/45
    -------------------
    英語でのタイトルはチョコレートガール。日本ではほぼ無名のこの絵、実はこの美術館では人だかりができる大人気な作品。すごく精密に描かれており、高価な食器を運んでいる緊張感が表情から伝わります。

    リオタール Jean-Étienne Liotard 1702-1789
    スイスの巨匠。
    https://www.wikiwand.com/en/Jean-%C3%89tienne_Liotard

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この旅行記へのコメント (2)

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  • something like thatさん 2023/09/05 01:56:20
    旅行記見ていただきありがとうございます。
    旅行記を見ていただきありがとうございます。
    芸術の秋、食欲の秋のいい季節に、中世芸術の本場のヨーロッパに訪問できて羨ましい限りです。プラハ、ウィーン、ドレスデン、ベルリン、、、何回行ってもいいですね。
    話を聞くだけでもワクワクします、楽しみですね。
     アルテマイスターでフェルメールといえば、最近修復された絵がありますね。私は、2回美術館を訪問したことがありますが、残念ながら修復中で1回も見ることができなかった絵です。また、旅行記でも書いていますが、日本ではあまり知られていない、ここでの隠れたお勧めは、「チョコレートガール」なので、是非ともお見逃しなきように。(こことシスティーナの聖母の前だけは人だかりができます。)

    ところで、美術館シリーズを途中で書くのをやめていますので、思い出しながら、書いていきたいと思います。
  • kawausoimokoさん 2023/08/29 17:22:19
    アルテ・マイスターを訪れるのが、より楽しみになりました。
    初めまして

    10月にベルリン、ドレスデン、プラハ、ウィーンを15日間で巡る予定です。
    ドレスデンは初めてなのですが、ヤン・ファン・エイク、フェルメール、レンブラント等がお気に入りなので、アルテ・マイスター絵画館を中心に見学しようと思っております。
    絵画情報が記載されたアルテ・マイスター絵画館の旅行記を拝見して、訪れるのがより楽しみになりました。
    ありがとうございました。

    kawausoimoko 拝


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