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美術館シリーズ⑦<br /><br />絵画館(Gemäldegalerie)<br /><br />これが売りで有名という作品はなく、巨匠から中堅どころまでの画家の絵を、一通り揃えている印象。絵がない画家というと、もともと寡作のダヴィンチぐらい?日本人に馴染みのある、ラファエロ、ルーベンス、カラバッジョ、レンブラント、フェルメールがあるので、一度は足を運びたくなる美術館だと思う。<br /><br />※題名や画家名はドイツ語のまま記載。絵の横の説明プレートはドイツ語で描かれていますので、多分、ドイツ語の単語で絵の内容を理解する上で、役に立つと思います。和訳がない題名は、勝手に訳してつけています。<br /><br />1. ジョット・ディ・ボンドーネ/「マリアの埋葬」<br />2. マサッチオ/「キリスト降誕」<br />3. ヤン・ファン・エイク/「教会の中のマドンナ」<br />4. フラ・アンジェリコ/「最後の審判」<br />5. ロヒール・ファン・デル・ウェイデン/「マリアの祭壇画」<br />6. ピエロ・デル・ポッライオーロ/「受胎告知」<br />7. カルロ・クリヴェッリ/「聖母子の戴冠」<br />8. ジョヴァンニ・ベリーニ/「キリストの復活」<br />9. セバスティアーノ・デル・ピオンボ/「ローマの若い女性の肖像画」<br />10. ラファエロ・サンツィオ/「聖母子」(ソリーの聖母)<br />11. ラファエロ・サンツィオ/「祝福をするイエスとマリアと聖ヒエロニムスと聖フランシス」<br />12. ラファエロ・サンツィオ/「聖母子、洗礼者ヨハネと聖なる少年」(テラヌオーヴァのマドンナ)<br />13. ラファエロ・サンツィオ/「聖母子」(コロンナの聖母)<br />14. ヨアヒム・パティニール/「エジプトへの逃避途上の休息」<br />15. ハンス・ホルバイン (父)/「眠っているキリストとマリア」<br />16. ルーカス・クラーナハ(父)/「エジプトへの逃避途上の休息」<br />17. ルーカス・クラーナハ(父)/「最後の審判と翼のある祭壇」<br />  ※ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)<br />18. ルーカス・クラーナハ(父)/「若返りの泉」<br />19. アルブレヒト・デューラー/「ひわと聖母」<br />20. アルブレヒト・アルトドルファー/「エジプトへの逃避途上の休息」<br />21. ハンス・バルドゥング・グリーン/「ピューラモスとティスベー」<br />22. コレッジョ/「レダと白鳥」<br />23. ティツィアーノ・ヴェチェッリオ/「2歳のときのクラリッサ・ストロッツィ(1540-1581)の肖像画」<br />24. ティツィアーノ・ヴェチェッリオ/「ヴィーナスとオルガン奏者」<br />25. ピーテル・ブリューゲル(父)/「ネーデルラントの諺(ことわざ)」<br />26. ピーテル・パウル・ルーベンス/「アンドロメダを解放するペルセウス」<br />27. ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ「愛の勝利」<br />28. オシアス・ベールト<br />29. ピーテル・ラストマン/「スザンナと長老たち」(スザンナの水浴)<br />30. フランス・ハルス/「マレ・バベ」<br />31. アンソニー・ヴァン・ダイク<br />32. ルーラント・サーフェリー/「天国」<br />33. レンブラント・ファン・レイン/「ベルベットのベレー帽と毛皮の襟付きのコートを着た自画像」<br />34. レンブラント・ファン・レイン/<br />35. レンブラント・ファン・レイン/「スザンナと長老たち」<br /> (スザンナの水浴)※ジョシュア・レイノルズ<br />36. レンブラント派/「黄金の兜の男」<br />37. ヨハネス・フェルメール/「紳士とワインを飲む女」<br />38. ヨハネス・フェルメール/「真珠の首飾りの女」<br />39. ピーテル・デ・ホーホ/「母」もしくは「ゆりかごの母」<br />40. ヘラルト・テルボルフ/「父の諫言」<br />41. ヘラルト・ドウ/「若い母親」<br />42. ヤン・ステーン/「大人が歌えば子どもが笛吹く」<br />43. ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス/「女性の肖像」<br />44. フランシスコ・デ・ズルバラン<br />45. フアン・カレーニョ・デ・ミランダ/「スペイン王チャールズ2世」<br />46. ジャン・シメオン・シャルダン/「製図工」<br />47. アントワーヌ・ペーヌ/「娘たちといる自画像」<br />48. ジョシュア・レノルズ/「ジョージ・クライヴと彼の家族とインド人の女中」<br />49. トマス・ゲインズバラ/「ジョン・ウィルキンソン 」

美術館シリーズ⑦ 絵画館(Gemäldegalerie) 

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2018/05/19 - 2018/05/19

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美術館シリーズ⑦

絵画館(Gemäldegalerie)

これが売りで有名という作品はなく、巨匠から中堅どころまでの画家の絵を、一通り揃えている印象。絵がない画家というと、もともと寡作のダヴィンチぐらい?日本人に馴染みのある、ラファエロ、ルーベンス、カラバッジョ、レンブラント、フェルメールがあるので、一度は足を運びたくなる美術館だと思う。

※題名や画家名はドイツ語のまま記載。絵の横の説明プレートはドイツ語で描かれていますので、多分、ドイツ語の単語で絵の内容を理解する上で、役に立つと思います。和訳がない題名は、勝手に訳してつけています。

1. ジョット・ディ・ボンドーネ/「マリアの埋葬」
2. マサッチオ/「キリスト降誕」
3. ヤン・ファン・エイク/「教会の中のマドンナ」
4. フラ・アンジェリコ/「最後の審判」
5. ロヒール・ファン・デル・ウェイデン/「マリアの祭壇画」
6. ピエロ・デル・ポッライオーロ/「受胎告知」
7. カルロ・クリヴェッリ/「聖母子の戴冠」
8. ジョヴァンニ・ベリーニ/「キリストの復活」
9. セバスティアーノ・デル・ピオンボ/「ローマの若い女性の肖像画」
10. ラファエロ・サンツィオ/「聖母子」(ソリーの聖母)
11. ラファエロ・サンツィオ/「祝福をするイエスとマリアと聖ヒエロニムスと聖フランシス」
12. ラファエロ・サンツィオ/「聖母子、洗礼者ヨハネと聖なる少年」(テラヌオーヴァのマドンナ)
13. ラファエロ・サンツィオ/「聖母子」(コロンナの聖母)
14. ヨアヒム・パティニール/「エジプトへの逃避途上の休息」
15. ハンス・ホルバイン (父)/「眠っているキリストとマリア」
16. ルーカス・クラーナハ(父)/「エジプトへの逃避途上の休息」
17. ルーカス・クラーナハ(父)/「最後の審判と翼のある祭壇」
  ※ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)
18. ルーカス・クラーナハ(父)/「若返りの泉」
19. アルブレヒト・デューラー/「ひわと聖母」
20. アルブレヒト・アルトドルファー/「エジプトへの逃避途上の休息」
21. ハンス・バルドゥング・グリーン/「ピューラモスとティスベー」
22. コレッジョ/「レダと白鳥」
23. ティツィアーノ・ヴェチェッリオ/「2歳のときのクラリッサ・ストロッツィ(1540-1581)の肖像画」
24. ティツィアーノ・ヴェチェッリオ/「ヴィーナスとオルガン奏者」
25. ピーテル・ブリューゲル(父)/「ネーデルラントの諺(ことわざ)」
26. ピーテル・パウル・ルーベンス/「アンドロメダを解放するペルセウス」
27. ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ「愛の勝利」
28. オシアス・ベールト
29. ピーテル・ラストマン/「スザンナと長老たち」(スザンナの水浴)
30. フランス・ハルス/「マレ・バベ」
31. アンソニー・ヴァン・ダイク
32. ルーラント・サーフェリー/「天国」
33. レンブラント・ファン・レイン/「ベルベットのベレー帽と毛皮の襟付きのコートを着た自画像」
34. レンブラント・ファン・レイン/
35. レンブラント・ファン・レイン/「スザンナと長老たち」
 (スザンナの水浴)※ジョシュア・レイノルズ
36. レンブラント派/「黄金の兜の男」
37. ヨハネス・フェルメール/「紳士とワインを飲む女」
38. ヨハネス・フェルメール/「真珠の首飾りの女」
39. ピーテル・デ・ホーホ/「母」もしくは「ゆりかごの母」
40. ヘラルト・テルボルフ/「父の諫言」
41. ヘラルト・ドウ/「若い母親」
42. ヤン・ステーン/「大人が歌えば子どもが笛吹く」
43. ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス/「女性の肖像」
44. フランシスコ・デ・ズルバラン
45. フアン・カレーニョ・デ・ミランダ/「スペイン王チャールズ2世」
46. ジャン・シメオン・シャルダン/「製図工」
47. アントワーヌ・ペーヌ/「娘たちといる自画像」
48. ジョシュア・レノルズ/「ジョージ・クライヴと彼の家族とインド人の女中」
49. トマス・ゲインズバラ/「ジョン・ウィルキンソン 」

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 1. Die Grablegung Mariae ca1310<br />祭壇画(教会内陣の上部)<br />Giotto di Bondone(1266-1337)<br />--------------------------<br />「マリアの埋葬」<br /><br />ジョット・ディ・ボンドーネは中世後期のイタリア人画家、建築家。日本でも諸外国でも単にジョットと呼ばれることが多い。フィレンツェ共和国(現在のイタリア・トスカーナ州近辺)の首都フィレンツェ近郊の出身といわれており、イタリア・ルネサンスへの先鞭を付けた偉大な芸術家と見なされている。それまで、ビザンティン様式が支配的だった西洋絵画に現実的、三次元的な空間表現や人物の自然な感情表現をもたらした。その絵画描写は、人物は背後の建物や風景との比例を考慮した自然な大きさで表現されている。こうした描写方法は、当時の描写法では革新的なもので、こうした点からジョットは「西洋絵画の父」ともいわれている。(Wikiより)<br /><br />場面は聖母マリアを使徒や天使が取り囲んで悲しんでいるシーン。奥行が表現されている。マリアの背後で復活したイエスが、赤子を抱いており、これは、マリアの生まれ変わりであることが示唆されている。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=865492&amp;viewType=detailView

    1. Die Grablegung Mariae ca1310
    祭壇画(教会内陣の上部)
    Giotto di Bondone(1266-1337)
    --------------------------
    「マリアの埋葬」

    ジョット・ディ・ボンドーネは中世後期のイタリア人画家、建築家。日本でも諸外国でも単にジョットと呼ばれることが多い。フィレンツェ共和国(現在のイタリア・トスカーナ州近辺)の首都フィレンツェ近郊の出身といわれており、イタリア・ルネサンスへの先鞭を付けた偉大な芸術家と見なされている。それまで、ビザンティン様式が支配的だった西洋絵画に現実的、三次元的な空間表現や人物の自然な感情表現をもたらした。その絵画描写は、人物は背後の建物や風景との比例を考慮した自然な大きさで表現されている。こうした描写方法は、当時の描写法では革新的なもので、こうした点からジョットは「西洋絵画の父」ともいわれている。(Wikiより)

    場面は聖母マリアを使徒や天使が取り囲んで悲しんでいるシーン。奥行が表現されている。マリアの背後で復活したイエスが、赤子を抱いており、これは、マリアの生まれ変わりであることが示唆されている。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=865492&viewType=detailView

  • 2. Desco da parto ca1423<br />Masaccio(1401-1428)<br />--------------------<br />マサッチオ<br />「キリスト降誕」<br /><br />この美術館でみるべき絵のひとつ。<br /><br />マサッチオまたはマザッチオは、ルネサンス初期のイタリア人画家。フィレンツェ共和国のサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ生まれで、本名はトンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニ・ディ・モーネ・カッサーイ (Tommaso di ser Giovanni di Mone Cassai)。「マサッチオ」という愛称は本名の「トンマーゾ(Tommaso)」の短縮形「マーゾ(Maso)」からきており、「不恰好」あるいは「だらしない」男を意味する。<br />ジョルジョ・ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』によれば、まるで生きているかのように人物とその身体の動きを再現する能力と自然な三次元描写能力から、マサッチオが当時最高の画家であったとされている。マサッチオはそれまでの理想化されたゴシック絵画からイタリア絵画を決別させ、絵画に深みを与え現実的な表現と人文主義を作品に持ち込んだ最初の画家となった。マサッチオは1428年にローマ教皇領で26歳の若さで急死した。絵画史上に残る巨匠の中では最も短命の一人であったが、後のルネサンス絵画のあり方を決定づける方法的モデルとなる作品を残し、他の芸術家たちに多大な影響をあたえた。その意味で建築家フィリッポ・ブルネレスキ、彫刻家ドナテッロと共に、ルネサンス美術そのものの創設者の一人であるとも見なされている。<br />マサッチオの画風は現実的な人物表現や空間把握、人物の自然な感情の表現など、初期ルネサンスの画風を革新した。作品に最初に透視図法を使用した最初の画家の一人であり、絵画に消失点などの概念を導入した最初の画家だった。それまでの芸術で主流だった国際ゴシック様式のイタリア人画家ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノたちが描いていた複雑で装飾的な表現ではなく、遠近法やキアロスクーロなどを用いることによってより自然で写実的な絵画を描いた。<br /><br />という訳で、この作品は、現存する(共同作業ではなく)マサッチオ本人が手掛けた希少な作品のひとつで、西洋絵画の歴史の中で、画期的な作品のひとつ。偉大な建築家フィリッポ・ブルネレスキがフィレンツェで発明したばかりの透視図法を採用した、現存する最も古い絵画とのこと。揃った回廊の列が奥に行くにつれ小さくなり、消失点に集中します。<br />この絵のような円形の絵やトンドは、赤ちゃんの誕生時に贈呈されました。裏にも裸の子供イエスと羊が描かれていますが、こちらは弟子に委託したものと考えられています。<br />(Wiki、公式HPより)<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=863076&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/masaccio/birth-tray-1428

    2. Desco da parto ca1423
    Masaccio(1401-1428)
    --------------------
    マサッチオ
    「キリスト降誕」

    この美術館でみるべき絵のひとつ。

    マサッチオまたはマザッチオは、ルネサンス初期のイタリア人画家。フィレンツェ共和国のサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ生まれで、本名はトンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニ・ディ・モーネ・カッサーイ (Tommaso di ser Giovanni di Mone Cassai)。「マサッチオ」という愛称は本名の「トンマーゾ(Tommaso)」の短縮形「マーゾ(Maso)」からきており、「不恰好」あるいは「だらしない」男を意味する。
    ジョルジョ・ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』によれば、まるで生きているかのように人物とその身体の動きを再現する能力と自然な三次元描写能力から、マサッチオが当時最高の画家であったとされている。マサッチオはそれまでの理想化されたゴシック絵画からイタリア絵画を決別させ、絵画に深みを与え現実的な表現と人文主義を作品に持ち込んだ最初の画家となった。マサッチオは1428年にローマ教皇領で26歳の若さで急死した。絵画史上に残る巨匠の中では最も短命の一人であったが、後のルネサンス絵画のあり方を決定づける方法的モデルとなる作品を残し、他の芸術家たちに多大な影響をあたえた。その意味で建築家フィリッポ・ブルネレスキ、彫刻家ドナテッロと共に、ルネサンス美術そのものの創設者の一人であるとも見なされている。
    マサッチオの画風は現実的な人物表現や空間把握、人物の自然な感情の表現など、初期ルネサンスの画風を革新した。作品に最初に透視図法を使用した最初の画家の一人であり、絵画に消失点などの概念を導入した最初の画家だった。それまでの芸術で主流だった国際ゴシック様式のイタリア人画家ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノたちが描いていた複雑で装飾的な表現ではなく、遠近法やキアロスクーロなどを用いることによってより自然で写実的な絵画を描いた。

    という訳で、この作品は、現存する(共同作業ではなく)マサッチオ本人が手掛けた希少な作品のひとつで、西洋絵画の歴史の中で、画期的な作品のひとつ。偉大な建築家フィリッポ・ブルネレスキがフィレンツェで発明したばかりの透視図法を採用した、現存する最も古い絵画とのこと。揃った回廊の列が奥に行くにつれ小さくなり、消失点に集中します。
    この絵のような円形の絵やトンドは、赤ちゃんの誕生時に贈呈されました。裏にも裸の子供イエスと羊が描かれていますが、こちらは弟子に委託したものと考えられています。
    (Wiki、公式HPより)

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=863076&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/masaccio/birth-tray-1428

  • 3. Die Madonna in der Kirche ca1440<br />祭壇画<br />Jan van Eyck (1390-1441)<br />---------------------------<br />ヤン・ファン・エイク<br /><br />初期フランドル派のフランドル人画家。主にブルッヘで活動し、15世紀の北ヨーロッパでもっとも重要な画家の一人。わずかに残る記録から、ファン・エイクは1390年ごろの生まれで、おそらくマースエイク出身だと考えられている。ファン・エイクの幼少期についてはほとんど伝承不明であるが、ブルゴーニュ公フィリップ3世の宮廷に迎えられた1425年ごろからの記録は比較的整理され残存する。フィリップ3世の宮廷に出仕する以前は、エノー、ホラント、ゼーラントを支配していたバイエルン公ヨハン3世に仕えていた。当時のファン・エイクはすでに自身の工房を経営しており、ハーグのビネンホフ城の再装飾の仕事に従事。1425年ごろにブルッヘへと移住したファン・エイクはフィリップ3世に認められ、宮廷画家、外交官としてその宮廷に仕えるようになった。その後、トゥルネーの画家ギルドの上級メンバーに迎えられ、ロベルト・カンピンやロヒール・ファン・デル・ウェイデンといった、初期フランドル派を代表する画家たちと親交を持った。(Wikiより)<br /><br />当時、マリア信仰が流行っており、マリアは教会の建物と比較すると、巨人のように描かれ、崇高さを反映したものとなっている。王冠の装飾の緻密な表現などにフランドル独特のものを感じる。<br /><br />※参考※<br />ルーブル美術館② 17.ヤン・ヴァン・エイク「宰相ロランの聖母」 <br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=868435&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/jan-van-eyck/the-madonna-in-the-church-1439

    3. Die Madonna in der Kirche ca1440
    祭壇画
    Jan van Eyck (1390-1441)
    ---------------------------
    ヤン・ファン・エイク

    初期フランドル派のフランドル人画家。主にブルッヘで活動し、15世紀の北ヨーロッパでもっとも重要な画家の一人。わずかに残る記録から、ファン・エイクは1390年ごろの生まれで、おそらくマースエイク出身だと考えられている。ファン・エイクの幼少期についてはほとんど伝承不明であるが、ブルゴーニュ公フィリップ3世の宮廷に迎えられた1425年ごろからの記録は比較的整理され残存する。フィリップ3世の宮廷に出仕する以前は、エノー、ホラント、ゼーラントを支配していたバイエルン公ヨハン3世に仕えていた。当時のファン・エイクはすでに自身の工房を経営しており、ハーグのビネンホフ城の再装飾の仕事に従事。1425年ごろにブルッヘへと移住したファン・エイクはフィリップ3世に認められ、宮廷画家、外交官としてその宮廷に仕えるようになった。その後、トゥルネーの画家ギルドの上級メンバーに迎えられ、ロベルト・カンピンやロヒール・ファン・デル・ウェイデンといった、初期フランドル派を代表する画家たちと親交を持った。(Wikiより)

    当時、マリア信仰が流行っており、マリアは教会の建物と比較すると、巨人のように描かれ、崇高さを反映したものとなっている。王冠の装飾の緻密な表現などにフランドル独特のものを感じる。

    ※参考※
    ルーブル美術館② 17.ヤン・ヴァン・エイク「宰相ロランの聖母」

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=868435&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/jan-van-eyck/the-madonna-in-the-church-1439

  • 4. Das jüngste Gericht 1435-1440<br />Fra Angelico (1387-1455)<br />フラ・アンジェリコ<br />------------------------<br />「最後の審判」<br /><br />マサッチョの技法を受けつぐドミニコ会修道院の修道士、フラ・アンジェリコ。アンジェリコは「キリストに関する絵画を描くのであれば、常にキリストとともに過ごさなければならない」と何度も語ったという。貧者を救済するという修道会の教えを守り、信心深く禁欲的な生活を送り、神に仕える身分から逸脱することは決してなかった。20世紀になり、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が1982年11月3日にフラ・アンジェリコを列福し、1984年にキリスト教芸術家の守護者として認定した。(Wikiより)<br /><br />この「最後の審判」はアンジェリコが好んで描いた主題。フィレンツェではマサッチョの画法はまだ、受け入れられておらず、この祭壇画においては、国際ゴシック様式のように豪華な金装飾が使用されている。「最後の審判」の典型的な構図、右に地獄に落ちる人、左に天国で昇天する人、渦を巻くような構図は、有名なヴァチカンのシスティーナ礼拝堂にあるミケランジェロの「最後の審判」と同じ。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=869139&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/fra-angelico/last-judgment-1

    4. Das jüngste Gericht 1435-1440
    Fra Angelico (1387-1455)
    フラ・アンジェリコ
    ------------------------
    「最後の審判」

    マサッチョの技法を受けつぐドミニコ会修道院の修道士、フラ・アンジェリコ。アンジェリコは「キリストに関する絵画を描くのであれば、常にキリストとともに過ごさなければならない」と何度も語ったという。貧者を救済するという修道会の教えを守り、信心深く禁欲的な生活を送り、神に仕える身分から逸脱することは決してなかった。20世紀になり、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が1982年11月3日にフラ・アンジェリコを列福し、1984年にキリスト教芸術家の守護者として認定した。(Wikiより)

    この「最後の審判」はアンジェリコが好んで描いた主題。フィレンツェではマサッチョの画法はまだ、受け入れられておらず、この祭壇画においては、国際ゴシック様式のように豪華な金装飾が使用されている。「最後の審判」の典型的な構図、右に地獄に落ちる人、左に天国で昇天する人、渦を巻くような構図は、有名なヴァチカンのシスティーナ礼拝堂にあるミケランジェロの「最後の審判」と同じ。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=869139&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/fra-angelico/last-judgment-1

  • 5. Der Marienaltar (Miraflores-Altar) ~1445<br />Rogier van der Weyden(1399-1464)<br />ロヒール・ファン・デル・ウェイデン<br />--------------------<br />「マリアの祭壇画」<br /><br />ロベルト・カンピン、ヤン・ファン・エイクとともに初期フランドル派を代表する三大巨匠であり、15世紀の北方絵画においてもっとも影響力があった画家とみなされている。祭壇画はイエスとともにマリアの生涯が描かれており、左から、イエスの生誕、死(ピエタ)、復活が描かれている。この美術館では(数えた限り)全部で5つ彼の作品を見ることができる。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=871481&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/rogier-van-der-weyden/mary-altarpiece-1445

    5. Der Marienaltar (Miraflores-Altar) ~1445
    Rogier van der Weyden(1399-1464)
    ロヒール・ファン・デル・ウェイデン
    --------------------
    「マリアの祭壇画」

    ロベルト・カンピン、ヤン・ファン・エイクとともに初期フランドル派を代表する三大巨匠であり、15世紀の北方絵画においてもっとも影響力があった画家とみなされている。祭壇画はイエスとともにマリアの生涯が描かれており、左から、イエスの生誕、死(ピエタ)、復活が描かれている。この美術館では(数えた限り)全部で5つ彼の作品を見ることができる。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=871481&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/rogier-van-der-weyden/mary-altarpiece-1445

  • 6. Die Verkündigung an Maria ca1470<br />Piero del Pollaiuolo(1443-1496)<br />ピエロ・デル・ポッライオーロ<br />---------------------<br />「受胎告知」<br /><br />これもいつもの構図、右にマリア、左に天使ガブリエル。ちなみに彼の代表作は↓<br />※参考※<br />ポルディ・ペッツォーリ美術館<br />3.ピエロ・デル・ポッライオーロ「若い貴婦人の肖像」<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=871029&amp;viewType=detailView

    6. Die Verkündigung an Maria ca1470
    Piero del Pollaiuolo(1443-1496)
    ピエロ・デル・ポッライオーロ
    ---------------------
    「受胎告知」

    これもいつもの構図、右にマリア、左に天使ガブリエル。ちなみに彼の代表作は↓
    ※参考※
    ポルディ・ペッツォーリ美術館
    3.ピエロ・デル・ポッライオーロ「若い貴婦人の肖像」

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=871029&viewType=detailView

  • 6. Die Verkündigung an Maria ca1470<br />Piero del Pollaiuolo(1443-1496)<br />Pollaioloピエロ・デル・ポッライオーロ<br />---------------------<br />「受胎告知」<br /><br />装飾が細かいですね。。羽も本物みたい。<br />後ろには、フィレンツェの町がちゃんと描かれています。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=871029&amp;viewType=detailView

    6. Die Verkündigung an Maria ca1470
    Piero del Pollaiuolo(1443-1496)
    Pollaioloピエロ・デル・ポッライオーロ
    ---------------------
    「受胎告知」

    装飾が細かいですね。。羽も本物みたい。
    後ろには、フィレンツェの町がちゃんと描かれています。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=871029&viewType=detailView

  • 7. Thronende Maria mit dem Kind, die Schlüsselübergabe an den Apostel Petrus und mit den Heiligen Johannes Capistranus, Emidius, Franziskus, Ludwig von Toulouse, dem seligen Giacomo della Marca und einem Bischof ca1488<br />Carlo Crivelli(1430-1495)<br />カルロ・クリヴェッリ<br />-------------------------<br />うーん、長いタイトル。短くすると「聖母子の戴冠」かな。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=870136&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/carlo-crivelli/virgin-and-child-enthroned-with-saints<br /><br />※参考※<br />⑥ポルディ・ペッツォーリ美術館<br />9.カルロ・クリヴェッリ「聖セバチアヌス」

    7. Thronende Maria mit dem Kind, die Schlüsselübergabe an den Apostel Petrus und mit den Heiligen Johannes Capistranus, Emidius, Franziskus, Ludwig von Toulouse, dem seligen Giacomo della Marca und einem Bischof ca1488
    Carlo Crivelli(1430-1495)
    カルロ・クリヴェッリ
    -------------------------
    うーん、長いタイトル。短くすると「聖母子の戴冠」かな。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=870136&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/carlo-crivelli/virgin-and-child-enthroned-with-saints

    ※参考※
    ⑥ポルディ・ペッツォーリ美術館
    9.カルロ・クリヴェッリ「聖セバチアヌス」

  • 8. Die Auferstehung Christi, 1475-1479<br />Giovanni Bellini (ca.1430-1516)<br />ジョヴァンニ・ベリーニ<br />-----------------------------------<br />「キリストの復活」<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=867398&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/giovanni-bellini/resurrection-of-christ-1479<br /><br />※参考※<br />⑤ブレア美術館<br />7.ジョヴァンニ・ベッリーニ「ピエタ」<br />8.ジョヴァンニ・ベリーニ「ギリシャのマドンナ」<br />9.ジェンティーレ・ベッリーニ/ジョヴァンニ・ベッリーニ<br />10.ジョヴァンニ・ベリーニ <br /><br />⑥ポルディ・ペッツォーリ美術館<br />7.ジョヴァンニ・ベッリーニ

    8. Die Auferstehung Christi, 1475-1479
    Giovanni Bellini (ca.1430-1516)
    ジョヴァンニ・ベリーニ
    -----------------------------------
    「キリストの復活」

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=867398&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/giovanni-bellini/resurrection-of-christ-1479

    ※参考※
    ⑤ブレア美術館
    7.ジョヴァンニ・ベッリーニ「ピエタ」
    8.ジョヴァンニ・ベリーニ「ギリシャのマドンナ」
    9.ジェンティーレ・ベッリーニ/ジョヴァンニ・ベッリーニ
    10.ジョヴァンニ・ベリーニ

    ⑥ポルディ・ペッツォーリ美術館
    7.ジョヴァンニ・ベッリーニ

  • 9. Bildnis einer jungen Römerin ca1512/1513<br />Sebastiano del Piombo(1485-1547)<br />セバスティアーノ・デル・ピオンボ<br />-------------------------<br />「ローマの若い女性の肖像画」<br /><br />セバスティアーノ・デル・ピオンボ(Sebastiano del Piombo, 1485年頃 ヴェネツィア - 1547年6月21日 ローマ)は、ルネサンス期からマニエリスム期にかけて活動したイタリアの画家。ヴェネツィア派の配色、ローマ派の堂々とした構図で有名である。ピオンボはヴェネツィア派に属するが、活動のほとんどはローマであった。最初は音楽家、主にリュートのソリストとして、ヴェネツィア貴族の中で人気を得た。しかし、ほどなく画家に転じ、ジョヴァンニ・ベリーニ、続いてジョルジョーネの弟子となった。ピオンボの作品にはこの2人の影響がよく出ている。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=869634&amp;viewType=detailView

    9. Bildnis einer jungen Römerin ca1512/1513
    Sebastiano del Piombo(1485-1547)
    セバスティアーノ・デル・ピオンボ
    -------------------------
    「ローマの若い女性の肖像画」

    セバスティアーノ・デル・ピオンボ(Sebastiano del Piombo, 1485年頃 ヴェネツィア - 1547年6月21日 ローマ)は、ルネサンス期からマニエリスム期にかけて活動したイタリアの画家。ヴェネツィア派の配色、ローマ派の堂々とした構図で有名である。ピオンボはヴェネツィア派に属するが、活動のほとんどはローマであった。最初は音楽家、主にリュートのソリストとして、ヴェネツィア貴族の中で人気を得た。しかし、ほどなく画家に転じ、ジョヴァンニ・ベリーニ、続いてジョルジョーネの弟子となった。ピオンボの作品にはこの2人の影響がよく出ている。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=869634&viewType=detailView

  • 10. Maria mit dem Kind (Madonna Solly) ca1501-1502<br />Raffael(1483-1520)<br />ラファエロ・サンツィオ<br />------------------------<br />「聖母子」(ソリーの聖母)<br /><br />ラファエロ初期の作品。イギリスの銀行家であり絵画収集家でもあったEdward Solly (1776-1848)が所有していたため、「Solly Madonna」と呼ばれる。本をチラ見しているイエス、膝の上には受難の象徴、ひわが描かれています。マリアの表情や姿勢が(師匠のペルジーノの影響を受けおり)初期の作品であることをものがっています。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=868970&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/raphael/solly-madonna

    10. Maria mit dem Kind (Madonna Solly) ca1501-1502
    Raffael(1483-1520)
    ラファエロ・サンツィオ
    ------------------------
    「聖母子」(ソリーの聖母)

    ラファエロ初期の作品。イギリスの銀行家であり絵画収集家でもあったEdward Solly (1776-1848)が所有していたため、「Solly Madonna」と呼ばれる。本をチラ見しているイエス、膝の上には受難の象徴、ひわが描かれています。マリアの表情や姿勢が(師匠のペルジーノの影響を受けおり)初期の作品であることをものがっています。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=868970&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/raphael/solly-madonna

  • 11. Maria mit dem segnenden Kind und den Heiligen Hieronymus und Franziskus c1502<br />Raffael(1483-1520)<br />ラファエロ・サンツィオ<br />------------------------<br />「祝福をするイエスとマリアと聖ヒエロニムスと聖フランシス」<br /><br />この美術館にはそれほど有名ではないですが、初期のラファエロの作品が複数、あり、しかも、聖母子ばかり。ラファエロファンにはたまらない。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=869304&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/raphael/madonna-with-child-and-saints

    11. Maria mit dem segnenden Kind und den Heiligen Hieronymus und Franziskus c1502
    Raffael(1483-1520)
    ラファエロ・サンツィオ
    ------------------------
    「祝福をするイエスとマリアと聖ヒエロニムスと聖フランシス」

    この美術館にはそれほど有名ではないですが、初期のラファエロの作品が複数、あり、しかも、聖母子ばかり。ラファエロファンにはたまらない。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=869304&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/raphael/madonna-with-child-and-saints

  • 12. Maria mit dem Kind, Johannes dem Täufer und einem Heiligen Knaben (Madonna Terranuova) ca1505<br />Raffael(1483-1520)<br />ラファエロ・サンツィオ<br />------------------------<br />「聖母子、洗礼者ヨハネと聖なる少年」<br />(テラヌオーヴァのマドンナ)<br /><br />ピラミッドの構図が見て取れる。ラファエロのキャリアは3期に大別されることが多く、それは、ウルビーノで活動していたキャリア初期、フィレンツェの伝統的絵画の影響が見られる1504年から1508年にかけての4年間、そして死去するまでの二人のローマ教皇とその側近に緊密な後援を受けていたローマでの輝ける12年間である。フィレンツェ時代に、その当時、フィレンツェにいたレオナルド・ダ・ヴィンチが始めた聖母子、聖家族を三角形の構図を取り入れて、多く聖母子を残した。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=867590&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/raphael/terranuova-madonna

    12. Maria mit dem Kind, Johannes dem Täufer und einem Heiligen Knaben (Madonna Terranuova) ca1505
    Raffael(1483-1520)
    ラファエロ・サンツィオ
    ------------------------
    「聖母子、洗礼者ヨハネと聖なる少年」
    (テラヌオーヴァのマドンナ)

    ピラミッドの構図が見て取れる。ラファエロのキャリアは3期に大別されることが多く、それは、ウルビーノで活動していたキャリア初期、フィレンツェの伝統的絵画の影響が見られる1504年から1508年にかけての4年間、そして死去するまでの二人のローマ教皇とその側近に緊密な後援を受けていたローマでの輝ける12年間である。フィレンツェ時代に、その当時、フィレンツェにいたレオナルド・ダ・ヴィンチが始めた聖母子、聖家族を三角形の構図を取り入れて、多く聖母子を残した。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=867590&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/raphael/terranuova-madonna

  • 13. Maria mit dem Kind (Madonna Colonna) ca1508<br />Raffael(1483-1520)<br />ラファエロ・サンツィオ<br />------------------------<br />「聖母子」(コロンナの聖母)<br /><br />母親の胸元の服を掴むイエス。登場人物が聖母子の二人だけですごくシンプル。他の絵と比べると色使いが柔らかい。マリアの表情も。<br /><br />パリ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリンにあるラファエロの聖母をすでに、紹介してきたので、残りは、フィレンツェ(2019)、ブタペスト(2019)、ウィーン(2017&amp;2019)を紹介予定です。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=871327&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/raphael/colonna-madonna

    13. Maria mit dem Kind (Madonna Colonna) ca1508
    Raffael(1483-1520)
    ラファエロ・サンツィオ
    ------------------------
    「聖母子」(コロンナの聖母)

    母親の胸元の服を掴むイエス。登場人物が聖母子の二人だけですごくシンプル。他の絵と比べると色使いが柔らかい。マリアの表情も。

    パリ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリンにあるラファエロの聖母をすでに、紹介してきたので、残りは、フィレンツェ(2019)、ブタペスト(2019)、ウィーン(2017&2019)を紹介予定です。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=871327&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/raphael/colonna-madonna

  • 14. Die Ruhe auf der Flucht nach Ägypten ca1520<br />Joachim Patenier(1475-1524)<br />ヨアヒム・パティニール<br />----------------------<br />「エジプトへの逃避途上の休息」<br /><br />ヨアヒム・パティニーは初期フランドル派の画家。現在のベルギー南部(ワロニア地方)の出身で、歴史絵画、風景絵画を多く描いた。北方ルネサンス風景絵画の先駆者とみなされている。(Wikiより)<br />という訳でどちらかというと風景がメインなのだろうか。ヨゼフがいないし。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=866984&amp;viewType=detailView

    14. Die Ruhe auf der Flucht nach Ägypten ca1520
    Joachim Patenier(1475-1524)
    ヨアヒム・パティニール
    ----------------------
    「エジプトへの逃避途上の休息」

    ヨアヒム・パティニーは初期フランドル派の画家。現在のベルギー南部(ワロニア地方)の出身で、歴史絵画、風景絵画を多く描いた。北方ルネサンス風景絵画の先駆者とみなされている。(Wikiより)
    という訳でどちらかというと風景がメインなのだろうか。ヨゼフがいないし。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=866984&viewType=detailView

  • 15. Maria mit dem schlafenden Christuskind ca1520<br />Hans Holbein (der Ältere) (ca. 1460 - ca. 1524)<br />ハンス・ホルバイン (父)<br />---------------------<br />「眠っているキリストとマリア」<br /><br />ハンス・ホルバイン (父)(Hans Holbein der Ältere)はドイツ、バイエルン州のアウクスブルク出身の画家である。彼と彼の兄弟ジギスムントはゴシック・スタイルの宗教画を得意とした。彼はドイツ絵画をルネサンス・スタイルに変換したリーダー的存在であった。ホルバインはまた、木版画家、挿絵画家でもあった。彼の作品としてデジデリウス・エラスムスの「痴愚神礼讃」の挿絵がよく知られている。同名の息子ハンス・ホルバイン (子)も、もう一人の息子アンブロシウスも著名な画家である。(Wikiより)<br /><br />しかし、不自然な乳房。。どこから出しているのだろう。もう、寝ているので出す必要はないのですが。。。この時代、写実的すぎる乳房はまだ描けない時代でした。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=865152&amp;viewType=detailView

    15. Maria mit dem schlafenden Christuskind ca1520
    Hans Holbein (der Ältere) (ca. 1460 - ca. 1524)
    ハンス・ホルバイン (父)
    ---------------------
    「眠っているキリストとマリア」

    ハンス・ホルバイン (父)(Hans Holbein der Ältere)はドイツ、バイエルン州のアウクスブルク出身の画家である。彼と彼の兄弟ジギスムントはゴシック・スタイルの宗教画を得意とした。彼はドイツ絵画をルネサンス・スタイルに変換したリーダー的存在であった。ホルバインはまた、木版画家、挿絵画家でもあった。彼の作品としてデジデリウス・エラスムスの「痴愚神礼讃」の挿絵がよく知られている。同名の息子ハンス・ホルバイン (子)も、もう一人の息子アンブロシウスも著名な画家である。(Wikiより)

    しかし、不自然な乳房。。どこから出しているのだろう。もう、寝ているので出す必要はないのですが。。。この時代、写実的すぎる乳房はまだ描けない時代でした。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=865152&viewType=detailView

  • 15. Maria mit dem schlafenden Christuskind ca1520<br />Hans Holbein (der Ältere) (ca. 1460 - ca. 1524)<br />ハンス・ホルバイン (父)<br />---------------------<br />「眠っているキリストとマリア」<br /><br />左上の天使がカーテンを落としている。。。

    15. Maria mit dem schlafenden Christuskind ca1520
    Hans Holbein (der Ältere) (ca. 1460 - ca. 1524)
    ハンス・ホルバイン (父)
    ---------------------
    「眠っているキリストとマリア」

    左上の天使がカーテンを落としている。。。

  • 16. Ruhe auf der Flucht nach Ägypten 1504<br />Lucas Cranach (der Ältere)(1472-1553)<br />ルーカス・クラーナハ(父)<br />----------------------------<br />「エジプトへの逃避途上の休息」<br /><br />さすがにドイツにある美術館だけにクラーナハの作品が沢山あり、どれも見たことあるようなものが多いなかで、これもクラーナハ。やや趣きが違う。彼の初期の作品。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=869059&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/lucas-cranach-the-elder/rest-on-the-flight-into-egypt-1504

    16. Ruhe auf der Flucht nach Ägypten 1504
    Lucas Cranach (der Ältere)(1472-1553)
    ルーカス・クラーナハ(父)
    ----------------------------
    「エジプトへの逃避途上の休息」

    さすがにドイツにある美術館だけにクラーナハの作品が沢山あり、どれも見たことあるようなものが多いなかで、これもクラーナハ。やや趣きが違う。彼の初期の作品。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=869059&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/lucas-cranach-the-elder/rest-on-the-flight-into-egypt-1504

  • 17. Flügelaltar mit dem Jüngsten Gericht ca1525,1526/1527<br />Lucas Cranach (der Ältere) (1472-1553)<br />ルーカス・クラーナハ(父)<br />---------------------------<br />「最後の審判と翼のある祭壇」<br /><br />実はこれウィーン美術アカデミー(Academy of Fine Arts Vienna)所蔵のヒエロニムス・ボスのもののクラーナハによるコピー。左翼はイヴとアダムの楽園追放までの一連のストーリーが明るいタッチで描かれているが、メインパネルは、おどろおどろしい地獄絵図が描かれており、罪を犯した人間に罰を与えている。よくよく見ると、摩訶不思議な生物たちが描かれている。ボスの作り出す想像の世界が見て取れる。是非、詳細を見てください。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=864806&amp;viewType=detailView<br /><br />ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)<br />https://www.wikiart.org/en/hieronymus-bosch/the-last-judgement-1482

    17. Flügelaltar mit dem Jüngsten Gericht ca1525,1526/1527
    Lucas Cranach (der Ältere) (1472-1553)
    ルーカス・クラーナハ(父)
    ---------------------------
    「最後の審判と翼のある祭壇」

    実はこれウィーン美術アカデミー(Academy of Fine Arts Vienna)所蔵のヒエロニムス・ボスのもののクラーナハによるコピー。左翼はイヴとアダムの楽園追放までの一連のストーリーが明るいタッチで描かれているが、メインパネルは、おどろおどろしい地獄絵図が描かれており、罪を犯した人間に罰を与えている。よくよく見ると、摩訶不思議な生物たちが描かれている。ボスの作り出す想像の世界が見て取れる。是非、詳細を見てください。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=864806&viewType=detailView

    ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)
    https://www.wikiart.org/en/hieronymus-bosch/the-last-judgement-1482

  • 17. Flügelaltar mit dem Jüngsten Gericht um 1525-1526/1527<br />Lucas Cranach (der Ältere) (1472-1553)<br />ルーカス・クラーナハ(父)<br />---------------------------<br />「最後の審判と翼のある祭壇」<br /><br />いろんな化け物たちがいます。<br />

    17. Flügelaltar mit dem Jüngsten Gericht um 1525-1526/1527
    Lucas Cranach (der Ältere) (1472-1553)
    ルーカス・クラーナハ(父)
    ---------------------------
    「最後の審判と翼のある祭壇」

    いろんな化け物たちがいます。

  • 17. Flügelaltar mit dem Jüngsten Gericht um 1525-1526/1527<br />Lucas Cranach (der Ältere) (1472-1553)<br />ルーカス・クラーナハ(父)<br />---------------------------<br />「最後の審判と翼のある祭壇」<br /><br />

    17. Flügelaltar mit dem Jüngsten Gericht um 1525-1526/1527
    Lucas Cranach (der Ältere) (1472-1553)
    ルーカス・クラーナハ(父)
    ---------------------------
    「最後の審判と翼のある祭壇」

  • 17. Flügelaltar mit dem Jüngsten Gericht um 1525-1526/1527<br />Lucas Cranach (der Ältere) (1472-1553)<br />ルーカス・クラーナハ(父)<br />---------------------------<br />「最後の審判と翼のある祭壇」<br /><br />さらに拡大。鶏の足を頭にもつ化け物。罪状を確認している羽のある天使らしき、お役人さん。地獄にいるだけあってやはり悪そうな天使です。

    17. Flügelaltar mit dem Jüngsten Gericht um 1525-1526/1527
    Lucas Cranach (der Ältere) (1472-1553)
    ルーカス・クラーナハ(父)
    ---------------------------
    「最後の審判と翼のある祭壇」

    さらに拡大。鶏の足を頭にもつ化け物。罪状を確認している羽のある天使らしき、お役人さん。地獄にいるだけあってやはり悪そうな天使です。

  • 17. Flügelaltar mit dem Jüngsten Gericht um 1525-1526/1527<br />Lucas Cranach (der Ältere) (1472-1553)<br />ルーカス・クラーナハ(父)<br />---------------------------<br />「最後の審判と翼のある祭壇」<br /><br />胴体がありませんが。。。。<br />

    17. Flügelaltar mit dem Jüngsten Gericht um 1525-1526/1527
    Lucas Cranach (der Ältere) (1472-1553)
    ルーカス・クラーナハ(父)
    ---------------------------
    「最後の審判と翼のある祭壇」

    胴体がありませんが。。。。

  • 18. Der Jungbrunnen 1546<br />Lucas Cranach (der Ältere) (1472-1553)<br />ルーカス・クラーナハ(父)<br />---------------------------<br />「若返りの泉」<br /><br />こちらもクラーナハの作品。水を飲むことで誰もが若返ると言われている伝説上の泉が描かれています。この絵では、左から老婆が運ばれてきて、服を脱ぎ、医者の検査を受けて、愛の泉(というかプール)に入る。すると、右に行くにつ入れて若返りをして、泉から上がり、赤いテントの中で衣服を身につけ、右奥で、祝宴が開かれている。どうも、この泉で若返りができるのは女性だけで、男性は女性と接触することで若返る様子。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=863713&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/lucas-cranach-the-elder/the-fountain-of-youth-1546

    18. Der Jungbrunnen 1546
    Lucas Cranach (der Ältere) (1472-1553)
    ルーカス・クラーナハ(父)
    ---------------------------
    「若返りの泉」

    こちらもクラーナハの作品。水を飲むことで誰もが若返ると言われている伝説上の泉が描かれています。この絵では、左から老婆が運ばれてきて、服を脱ぎ、医者の検査を受けて、愛の泉(というかプール)に入る。すると、右に行くにつ入れて若返りをして、泉から上がり、赤いテントの中で衣服を身につけ、右奥で、祝宴が開かれている。どうも、この泉で若返りができるのは女性だけで、男性は女性と接触することで若返る様子。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=863713&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/lucas-cranach-the-elder/the-fountain-of-youth-1546

  • 19. Die Madonna mit dem Zeisig 1506<br />(Madonna with the Siskin)<br />Albrecht Dürer(1471-1528)<br />アルブレヒト・デューラー<br />------------------<br />「ひわと聖母」<br /><br />ひわはその赤い斑点から「血」をイメージさせ、キリストの受難の象徴となっています。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=868686&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/albrecht-durer/madonna-with-the-siskin-1506

    19. Die Madonna mit dem Zeisig 1506
    (Madonna with the Siskin)
    Albrecht Dürer(1471-1528)
    アルブレヒト・デューラー
    ------------------
    「ひわと聖母」

    ひわはその赤い斑点から「血」をイメージさせ、キリストの受難の象徴となっています。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=868686&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/albrecht-durer/madonna-with-the-siskin-1506

  • 20. Ruhe auf der Flucht nach Ägypten 1510<br />Albrecht Altdorfer (ca.1480-1538)<br />アルブレヒト・アルトドルファー<br />----------------------<br />「エジプトへの逃避途上の休息」<br /><br />16世紀前半に活動したドイツの画家。ドナウ派の代表的画家であり、西洋絵画史において、歴史画や物語の背景としての風景ではない、純粋な「風景画」を描いた最初期の画家と言われている。絵画のほか、建築、写本挿絵、版画なども手掛けた。(wikiより)<br /><br />同じ美術館から3つ目の同じ主題。この主題の場合、荒野の中で休んでいる場面がよく描かれるのですが、この絵では、町中の噴水の側で休んでいます。なので、あまり、逃避行の道中が厳しいという印象はうけず、何か、ピクニック気分。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=870405&amp;viewType=detailView

    20. Ruhe auf der Flucht nach Ägypten 1510
    Albrecht Altdorfer (ca.1480-1538)
    アルブレヒト・アルトドルファー
    ----------------------
    「エジプトへの逃避途上の休息」

    16世紀前半に活動したドイツの画家。ドナウ派の代表的画家であり、西洋絵画史において、歴史画や物語の背景としての風景ではない、純粋な「風景画」を描いた最初期の画家と言われている。絵画のほか、建築、写本挿絵、版画なども手掛けた。(wikiより)

    同じ美術館から3つ目の同じ主題。この主題の場合、荒野の中で休んでいる場面がよく描かれるのですが、この絵では、町中の噴水の側で休んでいます。なので、あまり、逃避行の道中が厳しいという印象はうけず、何か、ピクニック気分。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=870405&viewType=detailView

  • 21. Pyramus und Thisbe ca1530<br />Hans Baldung(1484-1545)<br />ハンス・バルドゥング・グリーン(Hans Baldung Grien/Grün)<br />---------------------<br />「ピューラモスとティスベー」<br /><br />ピューラモスとティスベーは、ギリシア神話およびローマ神話の人物である。2人の物語はオウィディウスの『変身物語』に収録されており、シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』のモチーフになったことでも知られている。<br />場面は、駆け落ちをしようと待ち合わせた町はずれの井戸で、血まみれのベールとライオンの足跡を見て、てっきり恋人がかみ殺されたと思い、悲しみのあまり短剣で自殺したピューラモス、そして、ライオンが去ったあと、帰ってきて、恋人の遺体を見つけたティスベー。彼女もこの後、恋人を失った悲しみで自殺する。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=871908&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/hans-baldung/pyramus-and-thisbe

    21. Pyramus und Thisbe ca1530
    Hans Baldung(1484-1545)
    ハンス・バルドゥング・グリーン(Hans Baldung Grien/Grün)
    ---------------------
    「ピューラモスとティスベー」

    ピューラモスとティスベーは、ギリシア神話およびローマ神話の人物である。2人の物語はオウィディウスの『変身物語』に収録されており、シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』のモチーフになったことでも知られている。
    場面は、駆け落ちをしようと待ち合わせた町はずれの井戸で、血まみれのベールとライオンの足跡を見て、てっきり恋人がかみ殺されたと思い、悲しみのあまり短剣で自殺したピューラモス、そして、ライオンが去ったあと、帰ってきて、恋人の遺体を見つけたティスベー。彼女もこの後、恋人を失った悲しみで自殺する。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=871908&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/hans-baldung/pyramus-and-thisbe

  • 22. Leda mit dem Schwan ca1532<br />Correggio, Antonio Allegri, gen. (ca.1489-1534)<br />コレッジョ<br />---------------------<br />「レダと白鳥」<br /><br />ギリシア神話の主神ゼウスが白鳥に変身し、スパルタ王テュンダレオースの妻であるレダ(レーダー)を誘惑したというエピソードをもとにした、とくに、イタリアルネサンス期の彫刻や絵画などに古典的官能表現とともに広く取り上げられる題材(モチーフ)。当時は男女間の性愛描写は教皇から罰せられる危険な行為であったので、女性と白鳥を描くようになった。が、このモチーフも、絵の所有者の道徳的な良心の呵責から、多くが意図的に破棄されている。ルネサンス期の有名なものは、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロのものが挙げられ、現物はどちらもフランス王家が所有しているときに破棄されて、今は残っていない。しかし、他の画家たちにより模倣されており、元を予想することができる。そして、このコレッジョのものが唯一といってもいい、残っている例である。と言ってもこの絵も、道徳心の乱れを悩んでいたるオルレアン公フィリップ2世の息子によりナイフで切り裂かれたとのこと。(wikiより)<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=862455&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/correggio/leda-and-the-swan-1532

    22. Leda mit dem Schwan ca1532
    Correggio, Antonio Allegri, gen. (ca.1489-1534)
    コレッジョ
    ---------------------
    「レダと白鳥」

    ギリシア神話の主神ゼウスが白鳥に変身し、スパルタ王テュンダレオースの妻であるレダ(レーダー)を誘惑したというエピソードをもとにした、とくに、イタリアルネサンス期の彫刻や絵画などに古典的官能表現とともに広く取り上げられる題材(モチーフ)。当時は男女間の性愛描写は教皇から罰せられる危険な行為であったので、女性と白鳥を描くようになった。が、このモチーフも、絵の所有者の道徳的な良心の呵責から、多くが意図的に破棄されている。ルネサンス期の有名なものは、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロのものが挙げられ、現物はどちらもフランス王家が所有しているときに破棄されて、今は残っていない。しかし、他の画家たちにより模倣されており、元を予想することができる。そして、このコレッジョのものが唯一といってもいい、残っている例である。と言ってもこの絵も、道徳心の乱れを悩んでいたるオルレアン公フィリップ2世の息子によりナイフで切り裂かれたとのこと。(wikiより)

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=862455&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/correggio/leda-and-the-swan-1532

  • 23. Clarissa Strozzi (1540-1581) im Alter von zwei Jahren 1542<br />Tizian(1488-1576)<br />(Tiziano Vecellio)<br />ティツィアーノ・ヴェチェッリオ<br />----------------------------<br />「2歳のときのクラリッサ・ストロッツィ(1540-1581)の肖像画」<br /><br />当時、フィレンツェでは、メディチ家とストロッツィ家が熾烈な経済における権力争いを繰り返していた。そのストロッツィ家の娘の2歳のときの肖像画。幼いクラリッサは、やや緊張気味に彼女の小さな犬に寄り添い掴まっている。この絵画は、ティツィアーノの類い稀な能力によって、カーマインレッド(紅色)、ブルー(青色)、ゴールデンイエロー(山吹色)を組み合わせた特徴的な色彩感覚で描かれており、世界で最も美しい子供の肖像画の1つの例とされている。この絵は、後にバロック期にイギリスの上流階級の肖像画を描き活躍するフランドル画家アンソニー・ヴァン・ダイクが、インスピレーションを得たと言われている。(wikiより訳)<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=869327&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/titian/clarice-strozzi-1542

    23. Clarissa Strozzi (1540-1581) im Alter von zwei Jahren 1542
    Tizian(1488-1576)
    (Tiziano Vecellio)
    ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
    ----------------------------
    「2歳のときのクラリッサ・ストロッツィ(1540-1581)の肖像画」

    当時、フィレンツェでは、メディチ家とストロッツィ家が熾烈な経済における権力争いを繰り返していた。そのストロッツィ家の娘の2歳のときの肖像画。幼いクラリッサは、やや緊張気味に彼女の小さな犬に寄り添い掴まっている。この絵画は、ティツィアーノの類い稀な能力によって、カーマインレッド(紅色)、ブルー(青色)、ゴールデンイエロー(山吹色)を組み合わせた特徴的な色彩感覚で描かれており、世界で最も美しい子供の肖像画の1つの例とされている。この絵は、後にバロック期にイギリスの上流階級の肖像画を描き活躍するフランドル画家アンソニー・ヴァン・ダイクが、インスピレーションを得たと言われている。(wikiより訳)

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=869327&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/titian/clarice-strozzi-1542

  • 24. Venus mit dem Orgelspieler. ca1550/52 <br />(Venus and Cupid with an Organist)<br />Tizian(1488-1576)<br />(Tiziano Vecellio)<br />ティツィアーノ・ヴェチェッリオ<br />----------------------------<br />「ヴィーナスとオルガン奏者」<br /><br />ティツィアーノは神話のヴィーナスやダナエなど横たわった官能的な裸婦像を描いた。彼の師のジョルジョーネが先駆けであり、神話やキリスト教に関する主題であれば裸婦像は許されるようになった。がここに描かれているのは、オルガン奏者という現代人と神話に出てくるヴィーナスとキューピット。この絵の後に描かれたプラド美術館にある類似のものを含めてバリエーションが6つあるという。<br />当時の知識人は新プラトン主義であり、愛や美を真面目に考えていたが、この絵に込められたメッセージを読み解くのは難しい。<br />強いて思うのは、オルガン奏者、ガン見しすぎ。<br /><br />https://www.wikiart.org/en/titian/venus-and-cupid-with-an-organist-1549

    24. Venus mit dem Orgelspieler. ca1550/52
    (Venus and Cupid with an Organist)
    Tizian(1488-1576)
    (Tiziano Vecellio)
    ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
    ----------------------------
    「ヴィーナスとオルガン奏者」

    ティツィアーノは神話のヴィーナスやダナエなど横たわった官能的な裸婦像を描いた。彼の師のジョルジョーネが先駆けであり、神話やキリスト教に関する主題であれば裸婦像は許されるようになった。がここに描かれているのは、オルガン奏者という現代人と神話に出てくるヴィーナスとキューピット。この絵の後に描かれたプラド美術館にある類似のものを含めてバリエーションが6つあるという。
    当時の知識人は新プラトン主義であり、愛や美を真面目に考えていたが、この絵に込められたメッセージを読み解くのは難しい。
    強いて思うのは、オルガン奏者、ガン見しすぎ。

    https://www.wikiart.org/en/titian/venus-and-cupid-with-an-organist-1549

  • 25. Die niederländischen Sprichwörter 1559<br />Pieter Bruegel (der Ältere) (ca.1525-1569)<br />ピーテル・ブリューゲル(父)<br />----------------------------<br />「ネーデルラントの諺(ことわざ)」<br /><br />この美術館でみるべき絵のひとつ。オランダに伝わる100以上のことわざが海辺の村の人々の日常の行動を通して描かれています。絵画の古いタイトルである「逆さまの世界」は、絵の中で、家の軒先の壁に、世界を表す青い球体のシンボルが逆さまにつけられていることに由来しています。これは、賢いことわざや戒めを忘れて、本来あるべき姿がない狂気の世界にいることを示しています。ブリューゲルが絵を通して、当時の社会に精神的および道徳的な疑問を投げかけており、それは現代でも当てはまるものです。(HPより意訳)<br /><br />とはいいつつ、あまり、内容が分からないものが多い。けど、絵の中での描写は見ていて面白い。屋根の上のパンケーキは、同画家による④アルテ・ピナコテーク所蔵の「怠け者の天国」(6)で見たな。絵の中の描写の意味は以下で説明されていますので確認してみて下さい。<br />https://www.wikiwand.com/ja/%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E8%AB%BA<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=867614&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/pieter-bruegel-the-elder/netherlandish-proverbs-1559

    25. Die niederländischen Sprichwörter 1559
    Pieter Bruegel (der Ältere) (ca.1525-1569)
    ピーテル・ブリューゲル(父)
    ----------------------------
    「ネーデルラントの諺(ことわざ)」

    この美術館でみるべき絵のひとつ。オランダに伝わる100以上のことわざが海辺の村の人々の日常の行動を通して描かれています。絵画の古いタイトルである「逆さまの世界」は、絵の中で、家の軒先の壁に、世界を表す青い球体のシンボルが逆さまにつけられていることに由来しています。これは、賢いことわざや戒めを忘れて、本来あるべき姿がない狂気の世界にいることを示しています。ブリューゲルが絵を通して、当時の社会に精神的および道徳的な疑問を投げかけており、それは現代でも当てはまるものです。(HPより意訳)

    とはいいつつ、あまり、内容が分からないものが多い。けど、絵の中での描写は見ていて面白い。屋根の上のパンケーキは、同画家による④アルテ・ピナコテーク所蔵の「怠け者の天国」(6)で見たな。絵の中の描写の意味は以下で説明されていますので確認してみて下さい。
    https://www.wikiwand.com/ja/%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E8%AB%BA

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=867614&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/pieter-bruegel-the-elder/netherlandish-proverbs-1559

  • 26. Perseus befreit Andromeda 1620-1622<br />Peter Paul Rubens(1577-1640)<br />ピーテル・パウル・ルーベンス<br />---------------------<br />「アンドロメダを解放するペルセウス」<br /><br />ペルセウスは、ゼウスの血を引く半神であり(アルゴス王アクリシオスが神託の内容を恐れて幽閉した娘ダナエと、黄金の雨に身を変えて忍び込んだゼウスとの間に産まれた)ギリシャ神話の英雄。神々から武器を授かり、ゴルゴーンのメデューサ退治をした帰りに、エチオピアの王女アンドロメダが海の怪獣の生贄となっているところから救出したところ。左の方に倒した海の怪獣が倒れている。その後、ペルセウスはアンドロメダと結婚した。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=871562&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/peter-paul-rubens/perseus-freeing-andromeda-1622

    26. Perseus befreit Andromeda 1620-1622
    Peter Paul Rubens(1577-1640)
    ピーテル・パウル・ルーベンス
    ---------------------
    「アンドロメダを解放するペルセウス」

    ペルセウスは、ゼウスの血を引く半神であり(アルゴス王アクリシオスが神託の内容を恐れて幽閉した娘ダナエと、黄金の雨に身を変えて忍び込んだゼウスとの間に産まれた)ギリシャ神話の英雄。神々から武器を授かり、ゴルゴーンのメデューサ退治をした帰りに、エチオピアの王女アンドロメダが海の怪獣の生贄となっているところから救出したところ。左の方に倒した海の怪獣が倒れている。その後、ペルセウスはアンドロメダと結婚した。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=871562&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/peter-paul-rubens/perseus-freeing-andromeda-1622

  • 27. Amor als Sieger 1601-1602<br />Amor Victorious<br />Caravaggio(1571-1610)<br />ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ<br />---------------------------<br />『愛の勝利』<br /><br />ルネサンス期の後に登場し、カラヴァッジョという通称で広く知られ、1593年から1610年にかけて、ローマ、ナポリ、マルタ、シチリアで活動した。それまでのマニエリスムを打ち壊し、あたかも映像のように人間の姿を写実的に描く手法と、光と陰の明暗を明確に分ける表現は、後にバロック絵画として確立する新しい美術様式に与えた影響は非常に大きなものだった。ルーベンス、ホセ・デ・リベーラ、ベルニーニそしてレンブラントらバロック美術の巨匠の作品は、直接的、間接的にカラヴァッジョの影響が見受けられる。(wikiより)<br /><br />作品は彼のローマ時代後期のもの。愛の使いキューピットは神聖なものとはかけ離れた無邪気な矢を持つ裸の子供の姿で写実的に描かれている。<br /> 描かれているキューピッドのモデルとなったのは、17世紀初頭の記録にフランチェスコの愛称である「チェッコ (Cecco)」と記されている人物である。この人物は後にチェッコ・デル・カラヴァッジョ (en:Cecco del Caravaggio)と呼ばれ、1610年から1625年ごろに画家として活動したフランチェスコ・ボネリではないかと考えられている。(Wikiより)<br /><br />※参考※<br />②ルーブル美術館、13.「聖母の死」<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=862322&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/caravaggio/amor-victorious-1602

    27. Amor als Sieger 1601-1602
    Amor Victorious
    Caravaggio(1571-1610)
    ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
    ---------------------------
    『愛の勝利』

    ルネサンス期の後に登場し、カラヴァッジョという通称で広く知られ、1593年から1610年にかけて、ローマ、ナポリ、マルタ、シチリアで活動した。それまでのマニエリスムを打ち壊し、あたかも映像のように人間の姿を写実的に描く手法と、光と陰の明暗を明確に分ける表現は、後にバロック絵画として確立する新しい美術様式に与えた影響は非常に大きなものだった。ルーベンス、ホセ・デ・リベーラ、ベルニーニそしてレンブラントらバロック美術の巨匠の作品は、直接的、間接的にカラヴァッジョの影響が見受けられる。(wikiより)

    作品は彼のローマ時代後期のもの。愛の使いキューピットは神聖なものとはかけ離れた無邪気な矢を持つ裸の子供の姿で写実的に描かれている。
     描かれているキューピッドのモデルとなったのは、17世紀初頭の記録にフランチェスコの愛称である「チェッコ (Cecco)」と記されている人物である。この人物は後にチェッコ・デル・カラヴァッジョ (en:Cecco del Caravaggio)と呼ばれ、1610年から1625年ごろに画家として活動したフランチェスコ・ボネリではないかと考えられている。(Wikiより)

    ※参考※
    ②ルーブル美術館、13.「聖母の死」

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=862322&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/caravaggio/amor-victorious-1602

  • 28. Stillleben mit Kirschen und Erdbeeren in Porzellanschüsseln 1608<br />Still Life with Cherries and Strawberries in China Bowls<br />Osias Beert (der Ältere) (1580 - 1623)<br />オシアス・ベールト<br />--------------------------------<br /><br />オランダ黄金時代(17世紀)の絵画は、ヨーロッパの他の地域で支配的であったカラヴァッジョ派や写実主義といったバロック絵画の多くの特質を引き継いだものであったが、静物画、風景画、風俗画などの分野に革新をもたらした。特に静物画は、「pronkstilleven (オランダ語で「華美な静物」)」と呼ばれていた。これら華美な静物画の様式は、フランドルの芸術家によってアントウェルペンで発展したものであり、オシアス・ベールト(Osias Beert)は初期の黄金時代に最も影響を与えた画家として認識されているが、その生涯についてはあまり知られていない。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=867432&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/osias-beert/still-life-with-cherries-and-strawberries-in-china-bowls-1608

    28. Stillleben mit Kirschen und Erdbeeren in Porzellanschüsseln 1608
    Still Life with Cherries and Strawberries in China Bowls
    Osias Beert (der Ältere) (1580 - 1623)
    オシアス・ベールト
    --------------------------------

    オランダ黄金時代(17世紀)の絵画は、ヨーロッパの他の地域で支配的であったカラヴァッジョ派や写実主義といったバロック絵画の多くの特質を引き継いだものであったが、静物画、風景画、風俗画などの分野に革新をもたらした。特に静物画は、「pronkstilleven (オランダ語で「華美な静物」)」と呼ばれていた。これら華美な静物画の様式は、フランドルの芸術家によってアントウェルペンで発展したものであり、オシアス・ベールト(Osias Beert)は初期の黄金時代に最も影響を与えた画家として認識されているが、その生涯についてはあまり知られていない。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=867432&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/osias-beert/still-life-with-cherries-and-strawberries-in-china-bowls-1608

  • 29. Susanna und die beiden Alten 1614<br />Pieter Pietersz Lastman (1583 - 1633)<br />ピーテル・ラストマン<br />-------------------<br />「スザンナと長老たち」(スザンナの水浴)<br /><br /><主題><br />裕福な夫ヨアキムの貞淑な妻であったスザンナは毎日のように庭の泉で水浴びをしていた。ところが2人の好色な老人が彼女の美しさに目を付けた。彼らは町の著名な長老であると同時に裁判官でもあり、スザンナに言い寄る機会を狙っていた。その日もスザンナは召使に戸口を固く締めさせて、庭の泉で水浴びを始めた。すると召使たちがいなくなったのを見計らって庭に隠れていた長老たちが現れて、スザンナを脅迫しながら関係を迫った。スザンナはこれを拒否したため、長老たちによって姦淫の罪を着せられて処刑されそうになった。しかしダニエルという少年が長老たちに異を唱えた。彼は長老たちがたがいに相談したり会話できないように引き離したうえで別々に尋問した。すると2人の証言は食い違いが生じ、虚偽によってスザンナを陥れようとしていることが分かった。こうして長老たちは石打ちの刑に刑され、スザンナは解放されたという。(Wikiより)<br />長老たちの後ろに孔雀が描かれているが、ここでは伝統的な傲慢の象徴として描かれている。<br /><br />ピーテル・ラストマン(Pieter Lastman, 1583年 - 1633年)は、オランダの画家。あのレンブラントの師匠としても知られている。 宗教画、歴史画、寓意画を残している。(Wikiより)<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=862679&amp;viewType=detailView

    29. Susanna und die beiden Alten 1614
    Pieter Pietersz Lastman (1583 - 1633)
    ピーテル・ラストマン
    -------------------
    「スザンナと長老たち」(スザンナの水浴)

    <主題>
    裕福な夫ヨアキムの貞淑な妻であったスザンナは毎日のように庭の泉で水浴びをしていた。ところが2人の好色な老人が彼女の美しさに目を付けた。彼らは町の著名な長老であると同時に裁判官でもあり、スザンナに言い寄る機会を狙っていた。その日もスザンナは召使に戸口を固く締めさせて、庭の泉で水浴びを始めた。すると召使たちがいなくなったのを見計らって庭に隠れていた長老たちが現れて、スザンナを脅迫しながら関係を迫った。スザンナはこれを拒否したため、長老たちによって姦淫の罪を着せられて処刑されそうになった。しかしダニエルという少年が長老たちに異を唱えた。彼は長老たちがたがいに相談したり会話できないように引き離したうえで別々に尋問した。すると2人の証言は食い違いが生じ、虚偽によってスザンナを陥れようとしていることが分かった。こうして長老たちは石打ちの刑に刑され、スザンナは解放されたという。(Wikiより)
    長老たちの後ろに孔雀が描かれているが、ここでは伝統的な傲慢の象徴として描かれている。

    ピーテル・ラストマン(Pieter Lastman, 1583年 - 1633年)は、オランダの画家。あのレンブラントの師匠としても知られている。 宗教画、歴史画、寓意画を残している。(Wikiより)

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=862679&viewType=detailView

  • 30. &quot;Malle Babbe&quot; 1633-1635<br />Frans Hals (1582/83-1666)<br />フランス・ハルス<br />-------------------------<br />「マレ・バベ」<br /><br />フランス・ハルスはレンブラント以前の最も影響力のあるオランダの肖像画家の一人。このマレバベ(「マレ」は怒りを意味する。)は、間違いなくハルスの傑作の1つで、 絵の具の力強いタッチは、感情や性格を洗練された方法で伝えます。肩に乗ったふくろうは、賢い、知恵の象徴というよりは、夜の鳥として夜の酔っ払った人間の行動を暗示しており、手に持った大きなピュータータンカード(錫製のビアジョッキ)がそれをものがっています。(HPより意訳)<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=863623&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/frans-hals/malle-babbe-1635<br />

    30. "Malle Babbe" 1633-1635
    Frans Hals (1582/83-1666)
    フランス・ハルス
    -------------------------
    「マレ・バベ」

    フランス・ハルスはレンブラント以前の最も影響力のあるオランダの肖像画家の一人。このマレバベ(「マレ」は怒りを意味する。)は、間違いなくハルスの傑作の1つで、 絵の具の力強いタッチは、感情や性格を洗練された方法で伝えます。肩に乗ったふくろうは、賢い、知恵の象徴というよりは、夜の鳥として夜の酔っ払った人間の行動を暗示しており、手に持った大きなピュータータンカード(錫製のビアジョッキ)がそれをものがっています。(HPより意訳)

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=863623&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/frans-hals/malle-babbe-1635

  • 31. Bildnis des Alessandro Giustiniani-Longo (1544-1631) 1622-1623<br />Bildnis einer vornehmen genuesischen Dame<br />Anton van Dyck (1599 - 1641)<br />Anthony van Dyck(英)<br />アンソニー・ヴァン・ダイク<br />-----------------------<br />バロック期のフランドル出身の画家。上品でくつろいだ雰囲気で描かれたチャールズ1世をはじめ、イングランドの上流階級を描いた肖像画でよく知られている画家だが、肖像画以外にも歴史画、宗教画、神話画などにも優れた才能を見せており、水彩画やエッチングの分野においても大きな革新をもたらした重要な芸術家とみなされている。<br />イタリアでも活動したヴァン・ダイクの作風には、師のルーベンスのほか、イタリア人画家ティツィアーノらヴェネツィア派の画家の軽妙な筆致と華麗な色彩の影響が見られる。ヴァン・ダイクは1627年にイタリアからいったん帰国後、1632年にはイングランドに渡り、イングランド国王チャールズ1世の主席宮廷画家として活躍した。これはイタリア時代のもので、彼が主に滞在したジェノヴァの貴族の肖像画。ちなみに、美術館では、対のように配置され、まるで夫婦のような扱いだが、実は、違う。男の方は人物が特定されているが、婦人の方は分かっていない。<br />背景の差や、女性の方が位置が高いこと、婦人の髪型が未亡人を表していることなど、カップル(対)として扱うには相応しくない。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=869002&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/anthony-van-dyck/an-aristocratic-genoese-1626<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=869003&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/anthony-van-dyck/wife-of-an-aristocratic-genoese-1626

    31. Bildnis des Alessandro Giustiniani-Longo (1544-1631) 1622-1623
    Bildnis einer vornehmen genuesischen Dame
    Anton van Dyck (1599 - 1641)
    Anthony van Dyck(英)
    アンソニー・ヴァン・ダイク
    -----------------------
    バロック期のフランドル出身の画家。上品でくつろいだ雰囲気で描かれたチャールズ1世をはじめ、イングランドの上流階級を描いた肖像画でよく知られている画家だが、肖像画以外にも歴史画、宗教画、神話画などにも優れた才能を見せており、水彩画やエッチングの分野においても大きな革新をもたらした重要な芸術家とみなされている。
    イタリアでも活動したヴァン・ダイクの作風には、師のルーベンスのほか、イタリア人画家ティツィアーノらヴェネツィア派の画家の軽妙な筆致と華麗な色彩の影響が見られる。ヴァン・ダイクは1627年にイタリアからいったん帰国後、1632年にはイングランドに渡り、イングランド国王チャールズ1世の主席宮廷画家として活躍した。これはイタリア時代のもので、彼が主に滞在したジェノヴァの貴族の肖像画。ちなみに、美術館では、対のように配置され、まるで夫婦のような扱いだが、実は、違う。男の方は人物が特定されているが、婦人の方は分かっていない。
    背景の差や、女性の方が位置が高いこと、婦人の髪型が未亡人を表していることなど、カップル(対)として扱うには相応しくない。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=869002&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/anthony-van-dyck/an-aristocratic-genoese-1626

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=869003&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/anthony-van-dyck/wife-of-an-aristocratic-genoese-1626

  • 32. Das Paradies 1626<br />Roelant Savery(1576-1639)<br />ルーラント・サーフェリー<br />---------------------<br />「天国」<br /><br />八十年戦争(スペインに対するオランダ独立戦争)の戦火を逃れて1585年にハールレムに移住し、やはり画家として活動していた兄・ヤーコプ(1565~1603)の弟子となる。兄の死後、神聖ローマ帝国ローマ皇帝ルドルフ2世に招かれて1604年にプラハに移り宮廷画家として仕える。皇帝の死後はミュンヘン、ザルツブルク、ウィーンを転々としたのちユトレヒトに落ち着いた。1621年には大きな庭のある家を購入、1620年代にはユトレヒトでも最も成功した画家となっていたが、次第に生活上でトラブルを抱えるようになってしまう。1630年代後半まで弟子達を教えていたが、1638年に破産し、その半年後に亡くなった。<br />鳥獣画を得意とし、現在では絶滅したドードーを描いたことでも知られている。(Wikiより)<br />この絵は、1626年12月21日の結婚式のプレゼントとしてアマリー・フォン・ソルムス王女(Amalie von Solms)に贈られました。この絵の中でも右下に飛べない鳥ドードーが見られる(ひと際大きい鳥)。中央には小さく最初の人間のカップルが描かれている。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=870983&amp;viewType=detailView

    32. Das Paradies 1626
    Roelant Savery(1576-1639)
    ルーラント・サーフェリー
    ---------------------
    「天国」

    八十年戦争(スペインに対するオランダ独立戦争)の戦火を逃れて1585年にハールレムに移住し、やはり画家として活動していた兄・ヤーコプ(1565~1603)の弟子となる。兄の死後、神聖ローマ帝国ローマ皇帝ルドルフ2世に招かれて1604年にプラハに移り宮廷画家として仕える。皇帝の死後はミュンヘン、ザルツブルク、ウィーンを転々としたのちユトレヒトに落ち着いた。1621年には大きな庭のある家を購入、1620年代にはユトレヒトでも最も成功した画家となっていたが、次第に生活上でトラブルを抱えるようになってしまう。1630年代後半まで弟子達を教えていたが、1638年に破産し、その半年後に亡くなった。
    鳥獣画を得意とし、現在では絶滅したドードーを描いたことでも知られている。(Wikiより)
    この絵は、1626年12月21日の結婚式のプレゼントとしてアマリー・フォン・ソルムス王女(Amalie von Solms)に贈られました。この絵の中でも右下に飛べない鳥ドードーが見られる(ひと際大きい鳥)。中央には小さく最初の人間のカップルが描かれている。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=870983&viewType=detailView

  • 33. Selbstbildnis mit einem Samtbarett und einem Mantel mit Pelzkragen 1634<br />Rembrandt Harmensz van Rijn (1606 - 1669)<br />レンブラント・ファン・レイン<br />------------------------<br />「ベルベットのベレー帽と毛皮の襟付きのコートを着た自画像」<br /><br />ようやくレンブラントに辿りついた。この美術館はレンブラントの作品は多く所蔵している。この自画像は、サスキアと結婚した1634年のもの。

    33. Selbstbildnis mit einem Samtbarett und einem Mantel mit Pelzkragen 1634
    Rembrandt Harmensz van Rijn (1606 - 1669)
    レンブラント・ファン・レイン
    ------------------------
    「ベルベットのベレー帽と毛皮の襟付きのコートを着た自画像」

    ようやくレンブラントに辿りついた。この美術館はレンブラントの作品は多く所蔵している。この自画像は、サスキアと結婚した1634年のもの。

  • 34. Junge Frau an geöffneter Obertür 1654-1657<br />Rembrandt Harmensz van Rijn (1606 - 1669)<br />レンブラント・ファン・レイン<br />------------------------<br /><br />この女性は家政婦として雇い、愛人となったヘンドリッケ・ストッフェルスとされている。1654年に娘コルネリアを産む。1656年にはレンブラントは破産(財産譲渡)。そのころに描かれた肖像画。1663年に38歳の若さで亡くなる。(最初の妻サスキアは1642年に29歳で亡くなる) レンブラントは画家としては成功したものの、私生活では不幸に見舞われた人生を送った。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=867954&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/rembrandt/hendrickje-at-an-open-doo-1656

    34. Junge Frau an geöffneter Obertür 1654-1657
    Rembrandt Harmensz van Rijn (1606 - 1669)
    レンブラント・ファン・レイン
    ------------------------

    この女性は家政婦として雇い、愛人となったヘンドリッケ・ストッフェルスとされている。1654年に娘コルネリアを産む。1656年にはレンブラントは破産(財産譲渡)。そのころに描かれた肖像画。1663年に38歳の若さで亡くなる。(最初の妻サスキアは1642年に29歳で亡くなる) レンブラントは画家としては成功したものの、私生活では不幸に見舞われた人生を送った。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=867954&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/rembrandt/hendrickje-at-an-open-doo-1656

  • 35. Susanna und die beiden Alten 1647<br />Rembrandt Harmensz van Rijn(1606-1669)<br />Sir Joshua Reynolds(1723-1792)<br />--------------------<br />「スザンナと長老たち」(スザンナの水浴)<br /><br />レンブラントは師のピーテル・ラストマンのもの(#29)を参考にこの主題を探求し続け、1647年に完成した。ところが、2015年のX線による調査の結果、18世紀後半、画家で絵画収集家であったジョシュアレイノルズがこの絵を所有していた時に大部分の背景を修正し、元の絵は溶剤で消されてしまったことが判明した。(何てことをするんだ!) 人物像とサインはレンブラントのもの。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=870320&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/rembrandt/susanna-and-the-elders-1647<br /><br />https://www.wikiwand.com/en/Susanna_and_the_Elders_(Rembrandt)

    35. Susanna und die beiden Alten 1647
    Rembrandt Harmensz van Rijn(1606-1669)
    Sir Joshua Reynolds(1723-1792)
    --------------------
    「スザンナと長老たち」(スザンナの水浴)

    レンブラントは師のピーテル・ラストマンのもの(#29)を参考にこの主題を探求し続け、1647年に完成した。ところが、2015年のX線による調査の結果、18世紀後半、画家で絵画収集家であったジョシュアレイノルズがこの絵を所有していた時に大部分の背景を修正し、元の絵は溶剤で消されてしまったことが判明した。(何てことをするんだ!) 人物像とサインはレンブラントのもの。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=870320&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/rembrandt/susanna-and-the-elders-1647

    https://www.wikiwand.com/en/Susanna_and_the_Elders_(Rembrandt)

  • 36. Der Mann mit dem Goldhelm 1650 - 1660<br />Rembrandt Harmensz van Rijn(1606 - 1669), Umkreis<br />---------------------------<br />レンブラント派 「黄金の兜の男」<br /><br />当初はレンブラントの作品と思われていましたが、1986年のレンブラント・リサーチ・プロジェクト(RRP)での調査の結果、工房で弟子たちによって模写されたものと結論付けられています。2007年、大阪で本物が見つかったとの報道がなされるが、その後、報道に誤りがあり、どうもきな臭い。<br /><br />贋作騒動<br />2007年、黒江光彦(美術修復家、研究家。山形県出身。1957年東京大学美学美術史学科卒)は日本国内で発見された絵について、レンブラントの「黄金の兜の男」の真作の可能性があると鑑定、毎日新聞が3月16日朝刊で報道する。これを受けて黒江は絵の所蔵者を同席させたうえで会見を開き、「ペンティメントを確認できて、限りなくレンブラント真作に近づいた」とした。しかし、絵の所蔵者とされていた会社社長が実際には他人の所有品を一時的に預かっていただけであり、また、この社長が黒江の住宅の世話をしていたほか、黒江が実際の所有者と社長の間を取り持っていたことが発覚。その他黒江が正規の調査委員会の鑑定を拒否するなど不自然な点が続出したため、週刊朝日が7月20日号で「毎日新聞 幻のレンブラントのでたらめ報道」の記事を掲載。その結果、毎日新聞は7月31日付け朝刊28面で訂正記事、8月8日付け朝刊13面で誤報の検証記事を掲載した。(Wikiより)<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=865524&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/rembrandt/man-in-a-golden-helmet-1669

    36. Der Mann mit dem Goldhelm 1650 - 1660
    Rembrandt Harmensz van Rijn(1606 - 1669), Umkreis
    ---------------------------
    レンブラント派 「黄金の兜の男」

    当初はレンブラントの作品と思われていましたが、1986年のレンブラント・リサーチ・プロジェクト(RRP)での調査の結果、工房で弟子たちによって模写されたものと結論付けられています。2007年、大阪で本物が見つかったとの報道がなされるが、その後、報道に誤りがあり、どうもきな臭い。

    贋作騒動
    2007年、黒江光彦(美術修復家、研究家。山形県出身。1957年東京大学美学美術史学科卒)は日本国内で発見された絵について、レンブラントの「黄金の兜の男」の真作の可能性があると鑑定、毎日新聞が3月16日朝刊で報道する。これを受けて黒江は絵の所蔵者を同席させたうえで会見を開き、「ペンティメントを確認できて、限りなくレンブラント真作に近づいた」とした。しかし、絵の所蔵者とされていた会社社長が実際には他人の所有品を一時的に預かっていただけであり、また、この社長が黒江の住宅の世話をしていたほか、黒江が実際の所有者と社長の間を取り持っていたことが発覚。その他黒江が正規の調査委員会の鑑定を拒否するなど不自然な点が続出したため、週刊朝日が7月20日号で「毎日新聞 幻のレンブラントのでたらめ報道」の記事を掲載。その結果、毎日新聞は7月31日付け朝刊28面で訂正記事、8月8日付け朝刊13面で誤報の検証記事を掲載した。(Wikiより)

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=865524&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/rembrandt/man-in-a-golden-helmet-1669

  • 37. Herr und Dame beim Wein 1658 - 1660<br />The glass of wine<br />Jan Vermeer(1632-1675)<br />ヨハネス・フェルメール<br />----------------------------<br />「紳士とワインを飲む女」<br /><br />別名『ぶどう酒のグラス』とも。『紳士とワインを飲む女』は、様々な観点から1650年代にピーテル・デ・ホーホが発展させた、デルフトの絵画様式(デルフト派 (en:Delft School (painting)))で描かれた典型的な風俗画とされる。室内の男女、ワインを飲む女性というテーマは明らかに男性から女性への誘惑を意味している。椅子に置かれた楽器(シターン)も恋愛と関わり深いモチーフである。男性の手はテーブルの上のデカンタの取っ手をつかみ、女性にもっとワインを飲ませようとするかに見える。窓の色ガラスには片手に直角定規、片手に馬の手綱とくつわ(欲望の統制を寓意する)を持つ「節制」の寓意像が表され、女性の行為に警告を発している。(Wikiより)<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=870774&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/johannes-vermeer/the-glass-of-wine<br />

    37. Herr und Dame beim Wein 1658 - 1660
    The glass of wine
    Jan Vermeer(1632-1675)
    ヨハネス・フェルメール
    ----------------------------
    「紳士とワインを飲む女」

    別名『ぶどう酒のグラス』とも。『紳士とワインを飲む女』は、様々な観点から1650年代にピーテル・デ・ホーホが発展させた、デルフトの絵画様式(デルフト派 (en:Delft School (painting)))で描かれた典型的な風俗画とされる。室内の男女、ワインを飲む女性というテーマは明らかに男性から女性への誘惑を意味している。椅子に置かれた楽器(シターン)も恋愛と関わり深いモチーフである。男性の手はテーブルの上のデカンタの取っ手をつかみ、女性にもっとワインを飲ませようとするかに見える。窓の色ガラスには片手に直角定規、片手に馬の手綱とくつわ(欲望の統制を寓意する)を持つ「節制」の寓意像が表され、女性の行為に警告を発している。(Wikiより)

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=870774&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/johannes-vermeer/the-glass-of-wine

  • 38. Junge Dame mit Perlenhalsband 1663-1665<br />Young Woman with a Pearl Necklace<br />Jan Vermeer(1632-1675)<br />ヨハネス・フェルメール<br />----------------------------<br />「真珠の首飾りの女」<br /><br />左から光が差す室内に立つ女性という、フェルメールが得意としたおなじみのテーマ。髪にリボン、耳に真珠のイヤリングを付けた女性は、真珠のネックレスに付けたリボンを持ち上げ、左の壁に掛かった鏡を見つめている。鏡、宝石などのモチーフは伝統的に虚栄を表すものである。黄色のドレスと毛皮のコートを纏った上層階級出身の若いオランダ人女性は、窓からの陽光を浴びて横顔を向けて立っている。この絵画の女性は、「恋文」(アムステルダム国立美術館)と「手紙を書く女」(ワシントン、ナショナルギャラリー)にも登場している。女性の着ている毛皮の縁のついた黄色の上着も「手紙を書く女」「婦人と召使」など、他のいくつかの作品にも登場するもので、フェルメールの死後に作成された財産目録にはこの上着に該当すると思われる「白の縁取りのついた黄色のサテンのコート」が記されている。背景は白い壁のみだが、エックス線写真により、当初は壁にネーデルラントの地図が掛けられていたのを後に塗りつぶしたことがわかっている。(Wikiより)<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=863178&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/johannes-vermeer/young-woman-with-a-pearl-necklace

    38. Junge Dame mit Perlenhalsband 1663-1665
    Young Woman with a Pearl Necklace
    Jan Vermeer(1632-1675)
    ヨハネス・フェルメール
    ----------------------------
    「真珠の首飾りの女」

    左から光が差す室内に立つ女性という、フェルメールが得意としたおなじみのテーマ。髪にリボン、耳に真珠のイヤリングを付けた女性は、真珠のネックレスに付けたリボンを持ち上げ、左の壁に掛かった鏡を見つめている。鏡、宝石などのモチーフは伝統的に虚栄を表すものである。黄色のドレスと毛皮のコートを纏った上層階級出身の若いオランダ人女性は、窓からの陽光を浴びて横顔を向けて立っている。この絵画の女性は、「恋文」(アムステルダム国立美術館)と「手紙を書く女」(ワシントン、ナショナルギャラリー)にも登場している。女性の着ている毛皮の縁のついた黄色の上着も「手紙を書く女」「婦人と召使」など、他のいくつかの作品にも登場するもので、フェルメールの死後に作成された財産目録にはこの上着に該当すると思われる「白の縁取りのついた黄色のサテンのコート」が記されている。背景は白い壁のみだが、エックス線写真により、当初は壁にネーデルラントの地図が掛けられていたのを後に塗りつぶしたことがわかっている。(Wikiより)

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=863178&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/johannes-vermeer/young-woman-with-a-pearl-necklace

  • 39. Die Mutter 1663<br />(Mother at the cradle)<br />Pieter de Hooch(1629-ca.1694)<br />ピーテル・デ・ホーホ<br />--------------------------<br />「母」もしくは「ゆりかごの母」<br /><br />17世紀のオランダの画家。オランダ全盛時代(「黄金時代」)の風俗画家の一人に数えられ、とくにデルフト時代の風俗画はデルフト派の絵画として高く評価されている。ヨハネス・フェルメールとほぼ同時代を過ごし、フェルメールの作品にも影響を与えていることでも知られる。(Wikiより)<br /><br />というものの、フェルメールよりはあまり馴染みがないが、奥行きのある部屋の中の風景や中庭の構図は、フェルメールに影響を与えており、両者の絵を観察すると、透視画法(遠近法)の消失点に穴が確認されるとのこと。そこにピンを立て糸を貼り、放射線状の線を引いて構図を作っていた。この絵でも、床のタイル、扉と外から差し込む光と影、柱の端など、母の背後に壁に掛かった大きい柄杓の上にある光の反射部の1点に集中する。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=869519&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/pieter-de-hooch/mother-at-the-cradle<br />

    39. Die Mutter 1663
    (Mother at the cradle)
    Pieter de Hooch(1629-ca.1694)
    ピーテル・デ・ホーホ
    --------------------------
    「母」もしくは「ゆりかごの母」

    17世紀のオランダの画家。オランダ全盛時代(「黄金時代」)の風俗画家の一人に数えられ、とくにデルフト時代の風俗画はデルフト派の絵画として高く評価されている。ヨハネス・フェルメールとほぼ同時代を過ごし、フェルメールの作品にも影響を与えていることでも知られる。(Wikiより)

    というものの、フェルメールよりはあまり馴染みがないが、奥行きのある部屋の中の風景や中庭の構図は、フェルメールに影響を与えており、両者の絵を観察すると、透視画法(遠近法)の消失点に穴が確認されるとのこと。そこにピンを立て糸を貼り、放射線状の線を引いて構図を作っていた。この絵でも、床のタイル、扉と外から差し込む光と影、柱の端など、母の背後に壁に掛かった大きい柄杓の上にある光の反射部の1点に集中する。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=869519&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/pieter-de-hooch/mother-at-the-cradle

  • 40. Die vaterliche Ermahnung/Galante Konversation. ca1654/55<br />Gallant Conversation (The Paternal Admonition)<br />Gerard ter Borch (der Jüngere) (1617-1681)<br />ヘラルト・テルボルフ<br />--------------------------<br />『父の諫言』(父親の警告/勇敢な会話)<br /><br />こちらも17世紀黄金時代のオランダの画家。<br />これはテルボルチの最も有名な作品の1つであり、その親しみやすさと誤解を招くタイトルは、ヨハンG.ウィルによる1765年の複製彫刻によるものです。実際は中流家族の会話のシーンではなく、売春宿での客、女主人、売春婦のシーン。この絵でも見られる、女性の着ているサテンの生地のひだの無比の表現に彼の卓越した技術が見られます。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=864632&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/gerard-terborch/gallant-conversation-the-paternal-admonition

    40. Die vaterliche Ermahnung/Galante Konversation. ca1654/55
    Gallant Conversation (The Paternal Admonition)
    Gerard ter Borch (der Jüngere) (1617-1681)
    ヘラルト・テルボルフ
    --------------------------
    『父の諫言』(父親の警告/勇敢な会話)

    こちらも17世紀黄金時代のオランダの画家。
    これはテルボルチの最も有名な作品の1つであり、その親しみやすさと誤解を招くタイトルは、ヨハンG.ウィルによる1765年の複製彫刻によるものです。実際は中流家族の会話のシーンではなく、売春宿での客、女主人、売春婦のシーン。この絵でも見られる、女性の着ているサテンの生地のひだの無比の表現に彼の卓越した技術が見られます。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=864632&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/gerard-terborch/gallant-conversation-the-paternal-admonition

  • 41. Die junge Mutter 1655-1660<br />Gerard(Gerrit) Dou (1613-1675)<br />ヘラルト・ドウ<br />---------------------<br />『若い母親』<br /><br /> 巨匠レンブラントの最も重要な生徒の1人であり、そこでは色彩の技能、明暗法(キアロスクロ)の効果を学んだ。いわゆるライデン絵画学校を設立しました。 彼は人気の母子テーマを含む、小さなサイズの絵画でブルジョワの日常生活の風景を多く取り組みました。 この絵は、ドゥの成熟したスタイルの優れた例です。エナメルのような滑らかな仕上げは、筆跡が見えません。対象の物体の物理的な品質の差を捉える彼の能力は長けており、個々のモチーフで微妙に筆使いが異なり、例えば、この絵では、母親のビロードのコートとカーテンは違った筆使いで表現されています。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=869931&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/gerrit-dou/the-young-mother-1660

    41. Die junge Mutter 1655-1660
    Gerard(Gerrit) Dou (1613-1675)
    ヘラルト・ドウ
    ---------------------
    『若い母親』

     巨匠レンブラントの最も重要な生徒の1人であり、そこでは色彩の技能、明暗法(キアロスクロ)の効果を学んだ。いわゆるライデン絵画学校を設立しました。 彼は人気の母子テーマを含む、小さなサイズの絵画でブルジョワの日常生活の風景を多く取り組みました。 この絵は、ドゥの成熟したスタイルの優れた例です。エナメルのような滑らかな仕上げは、筆跡が見えません。対象の物体の物理的な品質の差を捉える彼の能力は長けており、個々のモチーフで微妙に筆使いが異なり、例えば、この絵では、母親のビロードのコートとカーテンは違った筆使いで表現されています。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=869931&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/gerrit-dou/the-young-mother-1660

  • 42. &quot;So de Oude songen, so pypen de Jongen&quot; (Wie die Alten singen, so pfeifen die Jungen) 1665 - 1670<br />Jan Steen(1625/26-1679)<br />ヤン・ステーン<br />-------------------------<br />「大人が歌えば子どもが笛吹く」<br /><br />このドイツ語のタイトルは、当時のオランダ王国で広く使われたたくさんある諺の中の一つをもじったもの。「悪い見本は悪い行いに繋がる」「子どもは大人を真似する」という意味を持つ。同名の絵がマウリッツハイス美術館にあり(別名「陽気な家族」)、そっちの絵の方の情景がタイトルとしっくりくるような気がする。<br />こちらの絵の英題は、「Baptism(洗礼式)」であり、祝宴が開かれているのだろう。英題の方がしっくりくる。<br /><br />ヤン・ステーンはオランダ、ライデン生まれの画家である。17世紀のバロック期に活躍した。静物画、肖像画、歴史画、宗教画など様々なジャンルの作品を800ほど制作したが、特に有名なのは農民を描いた風俗画である。酔っ払った人々の乱痴気騒ぎ、結婚式、ピクニック、意地悪をされて泣く子供の姿などをユーモラスに描いている。また、教訓的な寓話やことわざを題材にしたことも多い。彼は兼業で居酒屋を経営しており、そこで人々を観察していたと思われる。<br /> 庶民の日々の生活がステーンの作品の主なテーマであった。『聖ニコラスの祭り』のように、多くの風俗画は混乱と好色さと言っていいほどの生き生きとした空気に満ちていて、実際「ステーンの一家」(a Jan Steen household / een huishouden van Jan Steen)というフレーズが散らかった場面を表すオランダの諺になっている程である。ステーンは自身の作品で描いたようなお祭り騒ぎに加わるように勧めているというより、どちらかといえば警告の意味で描いたのではないかと思われる。多くの作品は古いオランダの格言や文学に言及している。また、しばしば自分の家族をモデルとしたり自分を登場させたりもしている。(Wikiより)<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=864346&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/jan-steen/baptism

    42. "So de Oude songen, so pypen de Jongen" (Wie die Alten singen, so pfeifen die Jungen) 1665 - 1670
    Jan Steen(1625/26-1679)
    ヤン・ステーン
    -------------------------
    「大人が歌えば子どもが笛吹く」

    このドイツ語のタイトルは、当時のオランダ王国で広く使われたたくさんある諺の中の一つをもじったもの。「悪い見本は悪い行いに繋がる」「子どもは大人を真似する」という意味を持つ。同名の絵がマウリッツハイス美術館にあり(別名「陽気な家族」)、そっちの絵の方の情景がタイトルとしっくりくるような気がする。
    こちらの絵の英題は、「Baptism(洗礼式)」であり、祝宴が開かれているのだろう。英題の方がしっくりくる。

    ヤン・ステーンはオランダ、ライデン生まれの画家である。17世紀のバロック期に活躍した。静物画、肖像画、歴史画、宗教画など様々なジャンルの作品を800ほど制作したが、特に有名なのは農民を描いた風俗画である。酔っ払った人々の乱痴気騒ぎ、結婚式、ピクニック、意地悪をされて泣く子供の姿などをユーモラスに描いている。また、教訓的な寓話やことわざを題材にしたことも多い。彼は兼業で居酒屋を経営しており、そこで人々を観察していたと思われる。
     庶民の日々の生活がステーンの作品の主なテーマであった。『聖ニコラスの祭り』のように、多くの風俗画は混乱と好色さと言っていいほどの生き生きとした空気に満ちていて、実際「ステーンの一家」(a Jan Steen household / een huishouden van Jan Steen)というフレーズが散らかった場面を表すオランダの諺になっている程である。ステーンは自身の作品で描いたようなお祭り騒ぎに加わるように勧めているというより、どちらかといえば警告の意味で描いたのではないかと思われる。多くの作品は古いオランダの格言や文学に言及している。また、しばしば自分の家族をモデルとしたり自分を登場させたりもしている。(Wikiより)

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=864346&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/jan-steen/baptism

  • 43. Bildnis einer Dame (wahrscheinlich Condesa de Monterey) ca1635<br />Diego Rodriguez de Silva y Velázquez (1599 - 1660)<br />ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス<br />----------------------------------------<br />「女性の肖像」<br /><br />スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表するバロック期の巨匠である。フェリペ4世付きの宮廷画家。世界三大名画のひとつ『ラス・メニーナス』(女官たち)(プラド美術館所蔵)を描いた。ベラスケスが王族以外の女性を描いた例は珍しく、この女性は、おそらく、モンテレー伯爵の妻であるレオノール・マリア・デグズマン(Leonor María de Gúzman、1591~1654)だとされている。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=869165&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/diego-velazquez/portrait-of-a-lady-1633

    43. Bildnis einer Dame (wahrscheinlich Condesa de Monterey) ca1635
    Diego Rodriguez de Silva y Velázquez (1599 - 1660)
    ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス
    ----------------------------------------
    「女性の肖像」

    スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表するバロック期の巨匠である。フェリペ4世付きの宮廷画家。世界三大名画のひとつ『ラス・メニーナス』(女官たち)(プラド美術館所蔵)を描いた。ベラスケスが王族以外の女性を描いた例は珍しく、この女性は、おそらく、モンテレー伯爵の妻であるレオノール・マリア・デグズマン(Leonor María de Gúzman、1591~1654)だとされている。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=869165&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/diego-velazquez/portrait-of-a-lady-1633

  • 44. Don Alonso Verdugo de Albornoz (1623-1695) 1635<br />The Portrait of Alonso Verdugo de Albornoz<br />Francisco de Zurbarán (1598-1664)<br />-------------------------<br />フランシスコ・デ・ズルバラン<br /><br />スペインの画家で、スペインのカラバッジョと呼ばれる。この作品は、彼のサインが見られる唯一のものらしい(左足の影)。肖像画のモデルが、右上の紋章から特定されていて、セビリアの貴族の子供で、当時12歳でした。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=863921&amp;viewType=detailView

    44. Don Alonso Verdugo de Albornoz (1623-1695) 1635
    The Portrait of Alonso Verdugo de Albornoz
    Francisco de Zurbarán (1598-1664)
    -------------------------
    フランシスコ・デ・ズルバラン

    スペインの画家で、スペインのカラバッジョと呼ばれる。この作品は、彼のサインが見られる唯一のものらしい(左足の影)。肖像画のモデルが、右上の紋章から特定されていて、セビリアの貴族の子供で、当時12歳でした。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=863921&viewType=detailView

  • 45. König Karl II. von Spanien (1661-1700) 1673<br />Juan Carreño de Miranda (1614-1685)<br />フアン・カレーニョ・デ・ミランダ<br />----------------------------<br />「スペイン王チャールズ2世」<br /><br />バロック期に活躍したスペインの画家。1671年、宮廷画家に任命される。初期には祭壇画なども手がけたが、主にスペイン王室の人々を描いた肖像画家として知られている。<br />肖像画は、フィリップ4世とオーストリアのマリアナの息子であるチャールズ2世(1661-1700)。ハプスブルク王朝の最後のスペイン王であり、彼は4歳で王位を継承し、彼の母親が1675年まで摂政として行動しました。彼は1679年にオルレアンのマリアルイーザと、1690年にニューバーグのマリアナと結婚しましたが、2人の妻のどちらも子供を産まず、彼の死はスペイン継承戦争を引き起こしました。<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=867342&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/juan-carreno-de-miranda/charles-ii-of-spain

    45. König Karl II. von Spanien (1661-1700) 1673
    Juan Carreño de Miranda (1614-1685)
    フアン・カレーニョ・デ・ミランダ
    ----------------------------
    「スペイン王チャールズ2世」

    バロック期に活躍したスペインの画家。1671年、宮廷画家に任命される。初期には祭壇画なども手がけたが、主にスペイン王室の人々を描いた肖像画家として知られている。
    肖像画は、フィリップ4世とオーストリアのマリアナの息子であるチャールズ2世(1661-1700)。ハプスブルク王朝の最後のスペイン王であり、彼は4歳で王位を継承し、彼の母親が1675年まで摂政として行動しました。彼は1679年にオルレアンのマリアルイーザと、1690年にニューバーグのマリアナと結婚しましたが、2人の妻のどちらも子供を産まず、彼の死はスペイン継承戦争を引き起こしました。

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=867342&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/juan-carreno-de-miranda/charles-ii-of-spain

  • 46. Der Zeichner 1737<br />Jean-Baptiste Siméon Chardin(1699 - 1779)<br />ジャン・シメオン・シャルダン<br />--------------------<br />「製図工」<br /><br />ロココ美術全盛の18世紀フランスを生きた画家であるが、その作風は甘美で享楽的なロココ様式とは一線を画し、穏やかな画風で中産階級のつましい生活や静物画を描き続けた。シャルダンの作品は日常的・現実的な題材や真に迫った写実表現などに17世紀オランダ絵画の影響が顕著に見られ、活躍中からフランドル絵画に喩えられていた。また彼の画面構成や陰翳描写は、しばしば後の印象派の先駆とも形容される。晩年に描かれた幾つかの自画像には、画家の実直な風貌がよく表されている。(Wikiより)<br /><br /><br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=870570&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/jean-baptiste-simeon-chardin/draughtsman-1737

    46. Der Zeichner 1737
    Jean-Baptiste Siméon Chardin(1699 - 1779)
    ジャン・シメオン・シャルダン
    --------------------
    「製図工」

    ロココ美術全盛の18世紀フランスを生きた画家であるが、その作風は甘美で享楽的なロココ様式とは一線を画し、穏やかな画風で中産階級のつましい生活や静物画を描き続けた。シャルダンの作品は日常的・現実的な題材や真に迫った写実表現などに17世紀オランダ絵画の影響が顕著に見られ、活躍中からフランドル絵画に喩えられていた。また彼の画面構成や陰翳描写は、しばしば後の印象派の先駆とも形容される。晩年に描かれた幾つかの自画像には、画家の実直な風貌がよく表されている。(Wikiより)



    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=870570&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/jean-baptiste-simeon-chardin/draughtsman-1737

  • 47. Selbstbildnis mit den Töchtern Henriette Joyard und Marie de Rége vor der Staffelei 1754<br />Self-portrait with Daughters<br />Antoine Pesne (1683-1757)<br />アントワーヌ・ペーヌ<br />-----------------------<br />「娘たちといる自画像」<br /><br />アントワーヌ・ペーヌはフランス生まれの画家である。1711年からプロイセン王国の宮廷画家となり、ベルリンの美術アカデミーの校長も務めた。アントワーヌ・ヴァトー、 ニコラ・ランクレ、フランソワ・ブーシェらと並んで、フランスのロココ美術の代表的な画家の一人とされる。(Wikiより)

    47. Selbstbildnis mit den Töchtern Henriette Joyard und Marie de Rége vor der Staffelei 1754
    Self-portrait with Daughters
    Antoine Pesne (1683-1757)
    アントワーヌ・ペーヌ
    -----------------------
    「娘たちといる自画像」

    アントワーヌ・ペーヌはフランス生まれの画家である。1711年からプロイセン王国の宮廷画家となり、ベルリンの美術アカデミーの校長も務めた。アントワーヌ・ヴァトー、 ニコラ・ランクレ、フランソワ・ブーシェらと並んで、フランスのロココ美術の代表的な画家の一人とされる。(Wikiより)

  • 48. George Clive (1720-1779) und seine Familie mit einer indischen Dienerin.<br />George Clive and his Family with an Indian Maid<br />ca.1765/1766<br />Sir Joshua Reynolds(1723-1792)<br />ジョシュア・レノルズ<br />--------------------------<br />「ジョージ・クライヴ(1720-1779)と彼の家族とインド人の女中」<br /><br />ジョシュア・レノルズは、ロココ期のイギリスの画家。ロイヤル・アカデミーの初代会長を務めた。落ち着いた気品ある画風で知られ、英国の肖像画を多く遺している。保守的でアカデミックな制作態度、および、「ロイヤル・アカデミーの初代会長」という肩書きから、権威におもねった旧弊な画家として、21世紀の今日においては否定的に評価されがち。<br /> それ以前のイングランド絵画史はホルバイン、ヴァン・ダイクなどの外国人画家が席巻しており、なかでもヴァン・ダイクの華麗な肖像画は、その死後も150年以上にわたってイングランド絵画に大きな影響を与え続けた。イングランドは美術の面では長らく不毛の地であり、生粋のイングランド人による絵画の展開は18世紀のホガースの登場を待たねばならなかった。長年独自の美術の伝統を築けずにいたイギリスにおいて、そうした職業人としての画家の地位を確立したジョシュア・レノルズの功績は大きい。特に愛らしい子どもの肖像画には、レノルズの本領が現われているといえる。(wikiより)<br /><br />顔がちょっと白すぎ!?<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=869667&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/joshua-reynolds/george-clive-and-his-family-with-an-indian-maid

    48. George Clive (1720-1779) und seine Familie mit einer indischen Dienerin.
    George Clive and his Family with an Indian Maid
    ca.1765/1766
    Sir Joshua Reynolds(1723-1792)
    ジョシュア・レノルズ
    --------------------------
    「ジョージ・クライヴ(1720-1779)と彼の家族とインド人の女中」

    ジョシュア・レノルズは、ロココ期のイギリスの画家。ロイヤル・アカデミーの初代会長を務めた。落ち着いた気品ある画風で知られ、英国の肖像画を多く遺している。保守的でアカデミックな制作態度、および、「ロイヤル・アカデミーの初代会長」という肩書きから、権威におもねった旧弊な画家として、21世紀の今日においては否定的に評価されがち。
     それ以前のイングランド絵画史はホルバイン、ヴァン・ダイクなどの外国人画家が席巻しており、なかでもヴァン・ダイクの華麗な肖像画は、その死後も150年以上にわたってイングランド絵画に大きな影響を与え続けた。イングランドは美術の面では長らく不毛の地であり、生粋のイングランド人による絵画の展開は18世紀のホガースの登場を待たねばならなかった。長年独自の美術の伝統を築けずにいたイギリスにおいて、そうした職業人としての画家の地位を確立したジョシュア・レノルズの功績は大きい。特に愛らしい子どもの肖像画には、レノルズの本領が現われているといえる。(wikiより)

    顔がちょっと白すぎ!?

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=869667&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/joshua-reynolds/george-clive-and-his-family-with-an-indian-maid

  • 49. John Wilkinson (1728-1808) ca1775<br />Thomas Gainsborough (1727 - 1788)<br />トマス・ゲインズバラ<br />------------------------<br />「ジョン・ウィルキンソン 」<br /><br />ここに描かれている人物、ジョン・ウィルキンソンは (いい意味で)&quot;鉄きちがい&quot;とも称されるイングランドの産業家で、 産業革命時代に鋳鉄の製造と鋳鉄製品の使用を開拓した。 彼は鋳鉄製のシリンダーに穴を開けることができる精密穴あけ機の発明家で、 これはジェームズ・ワットの 蒸気エンジンに使用することができた。 彼は高炉用のふいご装置 (blowing device) で高温でも使用できるものを開発し、効率を上げた。また、世界最初の鉄の橋(アイアンブリッジ)の建設を提案した人としても有名。(Wikiより)<br /><br />http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&amp;module=collection&amp;objectId=866204&amp;viewType=detailView<br /><br />https://www.wikiart.org/en/thomas-gainsborough/squire-john-wilkinson<br />

    49. John Wilkinson (1728-1808) ca1775
    Thomas Gainsborough (1727 - 1788)
    トマス・ゲインズバラ
    ------------------------
    「ジョン・ウィルキンソン 」

    ここに描かれている人物、ジョン・ウィルキンソンは (いい意味で)"鉄きちがい"とも称されるイングランドの産業家で、 産業革命時代に鋳鉄の製造と鋳鉄製品の使用を開拓した。 彼は鋳鉄製のシリンダーに穴を開けることができる精密穴あけ機の発明家で、 これはジェームズ・ワットの 蒸気エンジンに使用することができた。 彼は高炉用のふいご装置 (blowing device) で高温でも使用できるものを開発し、効率を上げた。また、世界最初の鉄の橋(アイアンブリッジ)の建設を提案した人としても有名。(Wikiより)

    http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=866204&viewType=detailView

    https://www.wikiart.org/en/thomas-gainsborough/squire-john-wilkinson

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