2018/05/20 - 2018/05/20
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美術館シリーズ⑧
国立美術館(Alte Nationalgalerie)
19世紀以降の絵画を集めた美術館。これより古いものは、ポツダム広場(Potsdamer Platz)近くの絵画館(Gemäldegalerie)(※美術館シリーズ⑦)で展示されている。ここも目玉となる絵はあまりなく、旅行記の表紙にどの絵をもってこようかと悩みどころ(そういう時は結局自分の好きな絵になる)。絵の紹介は写真を撮った順番です。ロマン主義(カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ)を見ていないので、どこかの部屋を飛ばしたかな。
※題名や画家名はドイツ語のまま記載。絵の横の説明プレートはドイツ語で描かれていますので、多分、ドイツ語の単語で絵の内容を理解する上で、役に立つと思います。和訳がない題名は、勝手に訳してつけています。
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美術館シリーズ⑧旧国立美術館(Alte Nationalgalerie)
1. ジョン・コンスタブル
2. ギュスターヴ・クールベ
3. ギュスターヴ・クールベ/「波」
4. ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
5. シャルル=フランソワ・ドービニー
6. ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ
7. フリードリヒ・フォン・アマーリング
8. アドルフ・メンツェル/「バルコニーの部屋」
9. アドルフ・メンツェル
10. アドルフ・メンツェル/「ベルリン-ポツダム鉄道」
11. アドルフ・メンツェル/「サンスーシ宮殿でのフリードリヒ大王のフルートコンサート」
12. アドルフ・メンツェル
13. アドルフ・メンツェル
「1769年、ナイセにて、フリードリヒ2世(第3代プロイセン王)とヨーゼフ2世(神聖ローマ帝国ローマ皇帝(在位:1765-1790年)の面会」
14. アドルフ・メンツェル
15. アドルフ・メンツェル/「鉄圧延機工場」
16. アドルフ・メンツェル/「舞踏会の晩餐」
17. アントン・フォン・ヴェルナー
18. アントン・フォン・ヴェルナー/「パリ包囲戦のドイツ軍本部」
19. フランツ・フォン・シュトゥック/「自画像」
20. フランツ・フォン・シュトゥック/「罪」
21. フランツ・フォン・シュトゥック/「Tilla Durieux Depicting Circe」
22. Sabine Lepsius/「自画像」
23. ルートヴィヒ・フォン・ホフマン/「トロイメライ」
24. ロヴィス・コリント
25. ロヴィス・コリント
26. ハンス・フォン・マレース/「漕ぎ手」
27. ハンス・フォン・マレース/「黄色の帽子をかぶった自画像」
28. ジョヴァンニ・セガンティーニ/「家路」
29. アンゼルム・フォイエルバッハ/「ナンナ」
30. アンゼルム・フォイエルバッハ
31. アンゼルム・フォイエルバッハ
32. アンゼルム・フォイエルバッハ
33. アルノルト・ベックリン
34. アルノルト・ベックリン/「死の島」
35. エドゥワール・マネ/「温室にて」
36. エドゥワール・マネ
37. エドゥワール・マネ
38. エドゥワール・マネ
39. クロード・モネ
40. クロード・モネ/「夏」
41. クロード・モネ
42. ピエール=オーギュスト・ルノワール/『夏・習作』
43. ピエール=オーギュスト・ルノワール
44. ピエール=オーギュスト・ルノワール
45. ポール・セザンヌ
46. ポール・セザンヌ/「ポントワーズのクルーヴの粉ひき小屋」
47. ポール・セザンヌ
48. カミーユ・ピサロ
49. フィンセント・ファン・ゴッホ/「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
50. ヴィルヘルム・トリュブナー/「ソファーの上」
51. ヴィルヘルム・ライブル
52. ヴィルヘルム・ライブル
53. カール・シューフ
54. ハンス・トーマ/「夏」
55. カール・シュピッツヴェーク
56. カール・シュピッツヴェーク/「凧あげ」
57. クリスティアン・ロールフス
58. レ??ッサー・ウリー
59. レ??ッサー・ウリー
60. マックス・リーバーマン
61. マックス・リーバーマン
62. マックス・リーバーマン/「ラーレンの亜麻糸工場」
63. フランツ・フォン・レンバッハ/「オットー・フォン・ビスマルク」
64. フランツ・フォン・レンバッハ
65. ガブリエル・マックス
66. フリッツ・フォン・ウーデ
67. フリッツ・フォン・ウーデ
68. フリッツ・フォン・ウーデ/「ヒースの原野のプリンセス」
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
1. Das Haus des Admirals in Hampstead, genannt "The Grove" 1821-1822
(The Grove, or the Admiral's House, Hampstead)
John Constable 1776-1837
ジョン・コンスタブル
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イギリスの画家から紹介することになるとは思っていなかった。
ジョン・コンスタブルは同時代のウィリアム・ターナーとともに、イギリスを代表する19世紀のイギリスの風景画家である。西洋絵画の歴史においては神話、聖書のエピソード、歴史上の大事件や偉人などをテーマとした「歴史画」が常に上位におかれ、「風景」は歴史画や物語の背景としての意味しか持っていなかった。17世紀オランダでは風景画が発達したが、ヨーロッパ全土で風景画が市民権を得るにはフランスのバルビゾン派、イギリスのターナーやコンスタブルが登場する19世紀を待たねばならなかった。コンスタブルは1776年、ロンドンの北東にあるサフォーク州イースト・バーゴルトに裕福な製粉業者の子として生まれた。画家を志したのは比較的遅く20歳の時、商売を覚えるためロンドンへ出たときにジョージ・スミスという風景画家に出会ったのがきっかけという。1799年、23歳の時にロイヤル・アカデミー附属美術学校の見習生となり、翌年には正規の学生となっている。アカデミーの展覧会に初めて出品したのは1802年、26歳の時であった。ターナーが27歳にしてロイヤル・アカデミー正会員となっているのに対し、コンスタブルは1819年、43歳の時にようやくロイヤル・アカデミー準会員となった。正会員になるのはさらに10年後の1829年、53歳の時である。ロマン派色が濃く劇的な画面を創造したターナーに対し、コンスタブルは終生故郷サフォーク周辺の身近な風景を描き続けた。野外での制作を始めたこと、刻々と変化する光の効果を捉えようとしたこと、パレットで色を混ぜ合わせるのでなく画面上に異なる色価の筆触を並べる(たとえば微妙に色調の異なる緑のタッチを併置する)など、その制作態度や技法は印象派に先駆するものといえる。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=961529&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/john-constable/the-admiral-s-house-the-grove-1823 -
2. Das Mühlwehr 1866
(The Weir at the Mill)
Gustave Courbet(1819-1877)
ギュスターヴ・クールベ
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19世紀のフランスの写実主義の画家であり、革新者。
クールベは自分が実際に現実で見たものだけを描き、宗教的な伝統的な主題や前世代のロマン主義的幻想絵画を否定した。伝統的芸術からの自立は、のちの近代美術家、特に印象派やキュビズムへ大きな影響を与えた。また作品を通じて大胆な社会的声明を発する社会芸術家として、美術史において重用な位置を占めている。近代絵画の創始者の一人として見なされることもよくある。
1855年、パリにおいて世界で2番目の万国博覧会が開催されたときに、クールベは、大作「画家のアトリエ」と「オルナンの埋葬」(いずれもオルセー美術館所蔵)を出品しようとする。しかし他の作品は審査を通過したにも関わらず、これらの大作は落選してしまった。そこでクールベは後援者ブリュイアスに資金を仰ぎ、博覧会場のすぐ近くに小屋を建て、「ギュスターヴ・クールベ作品展。入場料1フラン」という看板を立て、1855年6月28日から公開した。当時、画家が自分の作品だけを並べた「個展」を開催する習慣はなく、このクールベの作品展は、世界初の「個展」だと言われている。また、この個展の目録に記されたクールベの文章は、後に「レアリスム宣言」と呼ばれることになる(写実主義)。「レアリスム宣言」において、クールベは「自分は生きた芸術をつくりたいのだ」と言っている。(Wikiより)
オルセー美術館の旅行記をつくるときに彼の「世界の起源」を掲載していいかどうかが今の悩み。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=960685&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/gustave-courbet/locks-on-the-loue-1865 -
3. Die Welle 1870
(The Wave)
Gustave Courbet(1819-1877)
ギュスターヴ・クールベ
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いくつか異なるバージョンが存在する「波」。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=965168&viewType=detailView -
4. Flußlandschaft (Die Seine bei Chatou) ca1855
(Seine Landscape near Chatou)
Jean-Baptiste-Camille Corot(1796-1875)
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
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次世代の印象派との橋渡しをしたフランス画家。写実主義。バルビゾン派とも交流があったので、バルビゾン派ともされる。詩情あふれる森や湖の風景画で知られるが、『真珠の女』のような人物画にも傑作がある。1825年から計3度イタリアへ旅行し、イタリア絵画の明るい光と色彩にも影響を受けている。理想化された風景でなく、イタリアやフランス各地のありふれた風景を詩情ゆたかに描き出す手法はのちの印象派の画家たちにも影響を与えた。コローの作品は、モダニズムを先取りしたものとして、後世の美術家に多大な影響を与えた。(Wikiより)
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=966949&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/camille-corot/seine-landscape-near-chatou-1855 -
5. Frühlingslandschaft 1862
(Spring Landscape)
Charles-Francois Daubigny(1817-1878)
シャルル=フランソワ・ドービニー
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写実主義、ミレー、ルソーとともにバルビゾン派のリーダー的存在。彼も、印象派につながる重要な先駆けを果たしたといわれる。
1824年、サロン・ド・パリにイギリスの画家ジョン・コンスタブルの作品が展示された。彼の田舎の風景画は当時の若い芸術家の一部に影響を与え、形式主義を放棄して自然から直接インスピレーションを得て制作する動機付けとなった。自然の風景は、これまでのような単なる劇的な歴史画における背景ではなく、自然そのものが絵画の主題となった。1848年革命が発生していたころ、芸術家たちはパリの郊外のバルビゾンへ集まり、コンスタブルの技法を取り入れ、自然を主題として絵画制作を始めた。フランスの風景バルビゾン派の主要な主題となった。
コロー自身は、1843年にバルビゾン村近くのフォンテーヌブローの森などで作品を制作して以降、多くの土地を旅行してまわり、戸外での観察を重視して風景画を多く描いた。1857年からは、自身の所有する小舟「ボタン号」をアトリエとして使用し、セーヌ川やオワーズ川に浮かべて舟の上から制作することもあった(このアトリエ舟での制作手法は後にモネに受け継がれた)。1860年以降はパリ郊外のオーヴェル=シュル=オワーズに住んだ。1868年にはサロン(官展)の審査委員を務め、モネなどの後に印象派を形成する事になる若い画家たちを積極的に評価した。(Wikiより編集)
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=964028&viewType=detailView -
6. Orientalin mit ihrer Tochter 1865
(Oriental Mother and Daughter)
Narcisse Virgilio Díaz de la Peña(1808-1876)
ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ
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スペイン人の両親を持つフランスの画家、バルビゾン派を代表する画家の一人。1834年にサロンで入選し、人物画家として出発したが、バルビゾン派の画家、特にテオドール・ルソーを知ると、風景画を主に描くようになった。ルソーから樹木の描き方などの技術の指導を受け、4歳年下のルソーを唯一の師匠として生涯尊敬してゆくことになる。1837年にはフォンテーヌブローの森の風景画をサロンに出品し、バルビゾンに住むようになった。(Wikiより)
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=963160&viewType=detailView -
7. Kaiser Franz I. von Österreich 1832
(Emperor Franzl. Of Austria)
Friedrich von Amerling(1803-1887)
フリードリヒ・フォン・アマーリング
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1835年から宮廷画家として働いた、オーストリアの肖像画家。フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラーと並んで、19世紀のオーストリアの代表的な肖像画家である。
肖像の主は、フランツ2世(1768-1835)は、神聖ローマ帝国最後のローマ皇帝(在位:1792-1806)であり、最初のオーストリア皇帝フランツ1世(在位:1804-1835)。ハプスブルク=ロートリンゲン家の君主で、全名はフランツ・ヨーゼフ・カール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン。即位したあと、ナポレオン戦争に巻き込まれ、アウステルリッツの戦い(三帝会戦)でナポレオンに惨敗し、ナポレオンに神聖ローマ皇帝を簒奪される前にフランツ2世は「ローマ皇帝」の称号を自ら放棄して退位し、このときに、神聖ローマ帝国は名実ともに消滅した。しかし、自らの支配領域であるオーストリアとハンガリー王国を中心としてオーストリア帝国を再編し、形骸化した神聖ローマ皇帝に代わる称号が「オーストリア皇帝」であった。結果フランツ2世の君主権が及ぶ領域はドイツからドイツの外にある領域も含むハプスブルク家領に移り、「神聖ローマ皇帝」フランツ2世は「オーストリア皇帝」フランツ1世となった(wikiより)。この後、4代続くが、第1次世界大戦敗戦とともに、ハプスブルク家領は消滅する。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=963805&viewType=detailView -
8. Das Balkonzimmer 1845
Adolph Menzel(1815-1905)
アドルフ・メンツェル
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「バルコニーの部屋」
プロイセン王国ブレスラウ(現在のポーランド、ヴロツワフ)で1815年に生まれる。父親は石版画家。1830年に一家はベルリンに移る。1833年、プロイセン芸術アカデミーに通うが、すぐに失望し、独学した。1839年から1842年の間に掛けてフリードリヒ大王についての生涯を描いた400点にのぼる壮大な挿絵版画を歴史家フランツ・クーグラーの著書『フリードリヒ大王伝』のために創出した。この創作物は彼にとって決定的な転機となり、以降、プロイセン宮廷を中心に仕事の依頼が増える。『舞踏会の晩餐』、『サンスーシ宮殿でのフリードリヒ大王のフルートコンサート』、『ケーニヒスベルクでのヴィルヘルム1世の戴冠式』等の作品でさらなる名声を得た。歴史画や挿絵の他にも労働者の姿を描いた『鉄圧延機工場』、日常的風景を描いた『パリの平日』や『ビアガーデン』等でも知られている。
フランスの芸術アカデミーやイギリスのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの会員。画家として初めて黒鷲勲章を贈られ、貴族に叙せられた。またプール・ル・メリット科学芸術勲章を受賞した。ベルリン大学名誉博士号を授与され、ブレスラウ名誉市民およびベルリン名誉市民に選ばれた。1905年にベルリンで死去した。(wikiより)
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=963470&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/adolph-menzel/balcony-room-1845 -
9. Porträt Friederike Arnold 1845
(Friederike Arnold)
Adolph Menzel(1815-1905)
アドルフ・メンツェル
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http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=961658&viewType=detailView
<参照>
美術館シリーズ③ ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)#21 -
10. Die Berlin-Potsmamer Eisenbahn 1847
Adolph Menzel(1815-1905)
アドルフ・メンツェル
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「ベルリン-ポツダム鉄道」
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=959447&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/adolph-menzel/the-berlin-potsdam-railway-1847 -
11. Flötenkonzert Friedrichs des Großen in Sanssouci 1850-1852
(The Flute Concert of Frederick the Great at Sanssouci)
Adolph Menzel(1815-1905)
アドルフ・メンツェル
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「サンスーシ宮殿でのフリードリヒ大王のフルートコンサート」
フリードリヒ2世(1712-1786)は、第3代プロイセン王。フランス文化を知り尽くすなど学問と芸術に明るく、哲学者のヴォルテールと親密に交際し、全30巻にも及ぶ膨大な著作を著し哲人王とも呼ばれ、功績を称えてフリードリヒ大王と呼ばれる。優れた軍事的才能と合理的な国家経営でプロイセンの強大化に努め、啓蒙専制君主の典型とされる。また、フルート演奏をはじめとする芸術的才能の持ち主でもあり、ロココ的な宮廷人らしい万能ぶりを発揮した(Wikiより)。ドイツ料理には必ずついてくるじゃがいもを普及させた人物としても有名。ちなみに、画家にとってはリードリヒ大王は前世紀の人なので、この場面を見て描いているわけではない。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=966477&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/adolph-menzel/flute-concert-with-frederick-the-great-in-sanssouci-1852 -
12. Das Théâtre du Gymnase 1856
(Theatre du Gymnase in Paris)
Adolph Menzel(1815-1905)
アドルフ・メンツェル
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http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=961076&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/adolph-menzel/th-tre-du-gymnase-in-paris-1856 -
13. Begegnung Friedrichs II. mit Kaiser Joseph II. in Neiße im Jahre 1769 1855-1857
(Frederick the Great and emperor Joseph II meet in Neisse in the Year 1769)
Adolph Menzel(1815-1905)
アドルフ・メンツェル
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「1769年、ナイセにて、フリードリヒ2世(第3代プロイセン王)とヨーゼフ2世(神聖ローマ帝国ローマ皇帝(在位:1765-1790年)の面会。」
「フリードリヒ大王伝」の為の挿絵版画を大量に創出したが、これはそれ以降の作品。左がローマ皇帝ヨーゼフ2世で、右がフリードリヒ2世(フリードリヒ大王)だろう。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=967792&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/adolph-menzel/begegngung-mit-kaiser-joseph-ii-in-nei-e-1857 -
14. Abreise König Wilhelms I. zur Armee am 31. Juli 1870 1871
Adolph Menzel(1815-1905)
アドルフ・メンツェル
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タイトルから、当時プロセイン国王ヴィルヘルム1世が普仏戦争(1870-1871年、プロセイン-フランス間の戦争)に出兵する際のパレードの様子と思われる。ビスマルク宰相の「鉄血政策」の時代。この戦争により、プロセインは、エルザス=ロートリンゲン(フランス語ではアルザス=ロレーヌ)をフランスから獲得、またヴィルヘルム1世は1871年にヴェルサイユ宮殿で統一ドイツの皇帝となった。(統一されたドイツ帝国の誕生)
小学校の国語の教科書に載っていた「最後の授業」の時代。フランス領だったこの地は、普仏戦争によりドイツ帝国領となった際に、先生はフランス語の最後の授業を行う。母国語の大切さを教えた話。歴史的には、ここは、神聖ローマ帝国領であり、ドイツ語(アレマン語)が話されていたが、30年戦争後のヴェストファーレン条約(1648年)により、このアルザス=ロレーヌ地方は、フランスのものとなった。公用語としてフランス語が用いられたため、アルザス地方の言葉はフランス語の語彙が入ったアルザス語として形成されていった。その後、普仏戦争で再びドイツ領となる。この際に、反ドイツ感情からこの物語が作られ、新聞で連載された。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=967691&viewType=detailView -
15. Eisenwalzwerk (Moderne Cyklopen) 1872-1875
(The iron-Rolling Mill (Modern Cyclops))
Adolph Menzel(1815-1905)
アドルフ・メンツェル
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「鉄圧延機工場」
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=958605&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/adolph-menzel/the-iron-rolling-mill-modern-cyclopes-1875 -
16. Das Ballsouper 1878
Adolph Menzel(1815-1905)
アドルフ・メンツェル
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「舞踏会の晩餐」
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=962848&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/adolph-menzel/the-dinner-at-the-ball-1878 -
17. Kaiser Friedrich als Kronprinz auf dem Hofball 1878 1895
(Crown Prince Frederick at the Court Ball 1878)
Anton von Werner(1843-1915)
アントン・フォン・ヴェルナー
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アントン・フォン・ヴェルナーは、プロイセン王国の政治的、軍事的出来事をテーマに歴史画を描き、当時のプロイセンで最も有力な画家になった。普仏戦争が始まると、1870年にプロイセン皇太子、フリードリヒ3世が指揮する部隊に同行し、セダンの戦いなどのに関する絵画を描いた。プロイセンの王族や、高官とも知り合い多くの肖像画も描いた。
1873年にベルリンの美術アカデミーの教授に任じられ、1875年にアカデミーの校長に任じられた。ベルリンの美術界を代表する画家となるが、新しい絵画のスタイルには否定的で、「ベルリン分離派」などの芸術家グループが形成されることになった。(wikiより)
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=960510&viewType=detailView -
18. Im Etappenquartier vor Paris 1894
(A Billet outside Paris)
Anton von Werner(1843-1915)
アントン・フォン・ヴェルナー
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「パリ包囲戦のドイツ軍本部」
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=965219&viewType=detailView -
18. Im Etappenquartier vor Paris
A Billet outside Paris 1894
Anton von Werner(1843-1915)
アントン・フォン・ヴェルナー
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額縁の下には楽譜の一部が張られていた。 -
19. Self-Portrait in the Studio 1905
Franz von Stuck(1863-1928)
フランツ・フォン・シュトゥック
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「自画像」
ドイツの画家・版画家・彫刻家・建築家。
1882年にミュンヘンの工芸学校及び美術アカデミーにて学び、レンバッハとアルノルト・ベックリンの影響を受ける。1889年にパリ万国博覧会で金賞を受賞し、ミュンヘンに定住して画家として活動した。神話に取材した寓意的な絵や、宗教画、肖像画を描いた、分離派(ミュンヘン分離派、1892年)の創始者の一人である。
https://www.wikiart.org/en/franz-stuck/self-portrait-in-studio -
20. Sin 1912
Franz von Stuck(1863-1928)
フランツ・フォン・シュトゥック
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「罪」
この絵、どこかで見たことあるなあと思ったら、ミュンヘンのノイエ・ピナコテークで見たものと同じだった。
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美術館シリーズ③ ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)
41.フランツ・フォン・シュトゥック「罪」 -
21. Tilla Durieux Depicting Circe 1913
Franz von Stuck(1863-1928)
フランツ・フォン・シュトゥック
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同じくシュトゥック。こちらも不気味。タイトルにあるTilla Durieuxはドイツの女優。生涯にわたり、3回結婚しているが、2人目の夫、画商パウル・カッシーラー(彼はゴッホやセザンヌの絵を売っていた)との離婚が成立した瞬間に、彼は隣の部屋で自殺した。その後、すぐに別の男性と結婚。しかし、彼も、ゲシュタポに捕まり、強制収容所で死亡した。
https://www.wikiart.org/en/franz-stuck/tilla-durieux-as-circe-1 -
22. Selbstbildnis 1885
(Self-Portrait)
Sabine Lepsius 1864-1942
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「自画像」
ベルリン分離派、設立時のひとり。肖像画家。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=961917&viewType=detailView -
23. Träumerei 1898
(Dreaming)
Ludwig von Hofmann(1861-1945)
ルートヴィヒ・フォン・ホフマン
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「象徴主義」のドイツ人画家。1890年からベルリンで活動し「ベルリン分離派」のもとになる、マックス・クリンガーやマックス・リーバーマンを中心とした美術家グループ、「11人協会(Vereinigung der XI)」のメンバーであった。1895年からアールヌーボーに影響を与えた雑誌「Pan」に多数のイラストを寄稿し、1896年のベルリンの国際美術展で入選した。 1898年に設立された「ベルリン分離派」のメンバーになった。1930年代になって、ナチスによってその作品のいくつかは「退廃芸術」として非難された。(Wikiより)
トロイメライってドイツ語だったんだ。。。夢、夢心地、夢想という意味らしい。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=961278&viewType=detailView -
24. Familie Rumpf 1901
(The Family of the Painter Fritz Rumpf 1901)
Lovis Corinth(1858-1925)
ロヴィス・コリント
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ドイツ印象主義を代表する画家の一人で、晩年は表現主義的な表現も行った。
1876年からケーニヒスベルクの美術学校に学び、1880年にミュンヘンに移り、フランツ・デフレガーに学んだ後、ミュンヘン美術院に入学し、ルートヴィヒ・フォン・レフツに学んだ。1884年にパリに出て、アカデミー・ジュリアンのウィリアム・アドルフ・ブグローの工房で学んだ。この間1882年から軍務についている。
1887年からベルリンやケーニヒスベルクで活動した後、1891年からミュンヘンで活動した。1901年に再びベルリンに移り、個人で美術学校を開いた。マックス・リーバーマンとともに1899年に創立された「ベルリン分離派」の最も活動的なメンバーとなり、1915年から1925年の間は会長も務めた。
1903年にはドイツ画家協会の創立メンバーとなった。1911年に脳卒中で半身に障害が残るが製作を続けた。(wikiより)
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=965919&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/lovis-corinth/the-family-of-the-painter-fritz-rumpf-1901 -
25. Der geblendete Simson 1912
The Blinded Samson 1912
Lovis Corinth(1858-1925)
ロヴィス・コリント
-------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=962789&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/lovis-corinth/the-blinded-samson-1912 -
26. The Rowers 1873
Hans von Marées(1837-1887)
ハンス・フォン・マレース
------------------------
「漕ぎ手」
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=960431&viewType=detailView
<参照>
美術館シリーズ③ ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)
#19. 「マレースとレンバッハの肖像画」 -
27. Selbstbildnis mit gelbem Hut 1874
(Self-Portrait with Yellow Hat)
Hans von Marées(1837-1887)
ハンス・フォン・マレース
------------------------
「黄色の帽子をかぶった自画像」
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=967820&viewType=detailView -
28. Rückkehr zur Heimat 1895
(Returning Home)
Giovanni Segantini(1858-1899)
ジョヴァンニ・セガンティーニ
------------------------
「家路」
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=960693&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/giovanni-segantini/ritorno-al-paese-natio-1895
<参照>
美術館シリーズ③ ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)
#39 -
29. Nanna 1861
Anselm Feuerbach(1829-1880)
アンゼルム・フォイエルバッハ
----------------------------
「ナンナ」
アンゼルム・フォイエルバッハはドイツの画家。19世紀ドイツの絵画界で新古典主義の画家たちを牽引した。1861年、アンナ・リージ(伊:Anna Risi)(通称ナンナ)と知り合い、以後4年間絵のモデルとした(この絵のモデル)。1862年、アドルフ・フリードリヒ・フォン・シャック(ドイツ語版)伯爵と出会い、イタリアのオールド・マスターの模写を依頼された。シャック伯爵はフォイエルバッハをアルノルト・ベックリンとハンス・フォン・マレースに引き合わせた。彼ら3人は、ドイツ芸術よりもイタリア芸術を好んだため、「ドイツのローマ人」(独: Deutschrömer)として知られるようになった。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=964996&viewType=detailView -
30. Ricordo di Tivoli 1866-67
Anselm Feuerbach(1829-1880)
アンゼルム・フォイエルバッハ
----------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=961089&viewType=detailView -
31. Frühlingsbild 1868
(Spring Scene)
Anselm Feuerbach 1829-1880
アンゼルム・フォイエルバッハ
--------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=964033&viewType=detailView -
32. Porträt der Stiefmutter des Künstlers, Henriette Feuerbach 1878
(The Artist's Step-mother, Henriette Feuerbach)
Anselm Feuerbach 1829-1880
アンゼルム・フォイエルバッハ
--------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=966762&viewType=detailView -
33. Kentaur und Nymphe 1855
(Centaunus and Nymph)
Arnold Böcklin(1827-1901)
アルノルト・ベックリン
------------------------------
アルノルト・ベックリンは、19世紀のスイス出身の象徴主義の画家。
19世紀末のヨーロッパの美術界はフランス印象派の全盛期であったが、戸外にキャンバスを持ち出し、外光の下で身近な風景を描き出した印象派の画家たちとは対照的に、文学、神話、聖書などを題材に、想像の世界を画面に表そうとする象徴主義の画家たちも同時代に活動していた。ベックリンはこうした象徴主義・世紀末芸術の代表的画家の1人である。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=965991&viewType=detailView -
34. Die Toteninsel 1883
(The Isle of the Dead)
Arnold Böcklin(1827-1901)
アルノルト・ベックリン
------------------------------
「死の島」
アドルフ・ヒトラーも彼のファンであり、この作品を含め、11作品を所有していた。この「死の島」は、全部で5ヴァージョンが存在する。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=967648&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/arnold-bocklin/the-isle-of-the-dead-1883 -
35. Im Wintergarten 1878/1879
(In the Conservatory)
Edouard Manet(1832-1883)
エドゥワール・マネ
---------------------------
「温室にて」
さて、ここからはフランスの印象派。ドイツの画家のものと違って、雰囲気がずっと明るい。印象派展が開かれたのは、1874年から1886年の計8回。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=962626&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/edouard-manet/the-conservatory-1879
<参照>
美術館シリーズ③ ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)
#30.エドゥアール・マネ「アトリエ舟の中のモネ 」
#31.エドゥアール・マネ「昼食会」 -
36. Landhaus in Rueil 1882
(The House at Rueil)
Edouard Manet(1832-1883)
エドゥワール・マネ
---------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=965392&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/edouard-manet/the-house-at-rueil-1882 -
37. Der Fliederstrauß ca1882
(White Lilac)
Edouard Manet(1832-1883)
エドゥワール・マネ
---------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=962534&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/edouard-manet/lilac-in-a-glass -
38. Saint Germain l'Auxerrois 1867
(Saint-Germain-l'Auxerrios in Paris)
Edouard Manet(1832-1883)
エドゥワール・マネ
---------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=959918&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/claude-monet/saint-germain-l-auxerrois -
39. Häuser in Argenteui 1873
(Houses at Argenteuil)
Claude Monet(1840-1926)
クロード・モネ
----------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=960668&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/claude-monet/houses-at-argenteuil
<参照>
美術館シリーズ③ ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)
#26.クロード・モネ「アルジャントゥイユの橋」
#27.クロード・モネ「睡蓮」 -
40. Sommer 1874
(Summer)
Claude Monet(1840-1926)
クロード・モネ
----------------------
「夏」
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=965035&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/claude-monet/meadow-at-bezons -
41. Ansicht von Vétheuil 1880
(View of Vetheuil-sur-Seine)
Claude Monet(1840-1926)
クロード・モネ
----------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=965707&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/claude-monet/vetheuil-3 -
42. Im Sommer 1868
Auguste Renoir(1841-1919)
ピエール=オーギュスト・ルノワール
-------------------------
『夏・習作』1868年。
1869年サロン入選。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=960810&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/pierre-auguste-renoir/in-summer-the-gypsy-1868
<参照>
美術館シリーズ③ ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)
#28.ピエール=オーギュスト・ルノワール
#29.ピエール=オーギュスト・ルノワール -
43. Blühender Kastanienbaum 1881
(Chestnut Tree in Blossom)
Auguste Renoir(1841-1919)
ピエール=オーギュスト・ルノワール
-------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=962210&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/pierre-auguste-renoir/chestnut-tree-blooming-1881 -
44. Der Nachmittag der Kinder in Wargemont 1884
(Children's Afternoon at Wargemont)
Auguste Renoir(1841-1919)
ピエール=オーギュスト・ルノワール
-------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=965786&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/pierre-auguste-renoir/children-s-afternoon-at-wargemont-marguerite-1884 -
45. Stilleben (Früchte und Geschirr) ca1869-1871
Still Life(Fruits and Crockery)
Paul Cezanne(1839-1906)
ポール・セザンヌ
-------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=964864&viewType=detailView
<参照>
美術館シリーズ③ ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)
#32.ポール・セザンヌ -
46. Mühle an der Couleuvre bei Pontoise 1881
(Mill on the Couleuvre at Pontoise)
Paul Cezanne(1839-1906)
ポール・セザンヌ
-------------------------
「ポントワーズのクルーヴの粉ひき小屋」
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=966196&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/paul-cezanne/moulin-de-la-couleuvre-at-pontoise-1881 -
47. Stilleben mit Blumen und Früchten ca1890
(Still Life with Flowers and Fruits)
Paul Cezanne(1839-1906)
ポール・セザンヌ
------------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=961532&viewType=detailView
https://www.wikiart.org/en/paul-cezanne/still-life-with-flowers-and-fruit-1890 -
48. Louveciennes mit dem Mont Valérien im Hintergrund 1870
(Louveciennes with Mont Valerien in the Background)
Camille Pissarro(1830-1903)
カミーユ・ピサロ
-------------------------------
ルーヴシエンヌで描かれた絵。当時は普仏戦争の真っ最中であり、パリの郊外のこの地に居をかまえた。その後、ロンドンに一時的に疎開する。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=962455&viewType=detailView -
49. Le Moulin de la Galette 1886
(Moulin de la Galette auf dem Montmartre in Paris)
Vincent van Gogh 1853-1890
フィンセント・ファン・ゴッホ
----------------------------
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
パリのモンマルトル地区に存在した「ギャレット(ガレット)の風車」の名を持つダンスホールを描いたもの。同じ題材でいくつも絵を描いたゴッホらしく、いくつかのヴァージョンが存在する。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=966856&viewType=detailView
http://www.vggallery.com/painting/p_0228.htm
(F228/JH1171) -
50. Auf dem Kanapee 1872
(On the Sofa)
Wilhelm Trübner(1851-1917)
ヴィルヘルム・トリュブナー
---------------------------
ドイツの画家。1867年にアンゼルム・フォイエルバッハと知り合い、画家の道に進むことを勧められた。1867年からカールスルーエの美術学校で学んだ後、1868年からミュンヘン美術院でアレキサンダー・ヴァーグナーに学んだ。ミュンヘンで開かれた最初の国際美術展で、ギュスターヴ・クールベやヴィルヘルム・ライブル(1844-1900)の作品を見て感銘を受けた。1872年からドイツ国外を旅し、イタリア、オランダ、ベルギーを旅し、1875年の帰国後、ミュンヘンに住んだ。トーマやロヴィス・コリント、マックス・スレーフォークト、マックス・リーバーマンといった「分離派」を創立する画家たちと交流した。第一次世界大戦中にドイツの知識人93人が発表した声明、「93人のマニフェスト」に参加した一人である。(wikiより)
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=961696&viewType=detailView -
51. Porträt des Bürgermeisters Klein 1871
Portrait of Mayor Klein
Wilhelm Leibl(1844-1900)
ヴィルヘルム・ライブル
----------------------------------
主にドイツ農民の生活を描いた写実主義のドイツ人画家。当時、フランスの写実主義の画家ギュスターヴ・クールベがミュンヘンで展覧会を開き、ミュンヘンの画家たちに強い印象を与えた。1869年にクールベの助言で、ライブルはパリに出て、エドゥアール・マネとも知り合ったが、1870年に普仏戦争が始まったためにドイツに戻らなければならなかった。ミュンヘンに戻ると、ライブルを中心に「Leibl-Kreis」と呼ばれる画家の集まりができた。このグループはヴィルヘルム・トリュブナーやカール・シューフといった画家がメンバーだった。
1873年にミュンヘンの街を離れ、オーバーバイエルンのバート・アイブリングなどに移り、 バイエルンの農村地帯で農民の生活を描くようになった。作品には印象派のスタイルに近づいた作品もあったが、ドイツの写実主義を代表する画家である。代表作は「教会の中の三人の女」(1882)などがある。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=967126&viewType=detailView -
52. Dachauerin mit Kind 1873/74
(A Woman of Dachau with a Child )
Wilhelm Leibl(1844-1900)
ヴィルヘルム・ライブル
----------------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=959670&viewType=detailView -
53. Stilleben mit Rebhühnern und Käse 1885/88
(Still Life with Partridges and Cheese)
Carl Schuch(1846-1903)
カール・シューフ
-----------------------------
ウィーン生まれの画家。1869年の末にイタリアを訪れ、ヴェネツィアでドイツの画家アルベルト・ラング(Albert Lang:1847-1933)と知り合い、ナポリやローマ、フィレンツェを旅し、1年ほどイタリに滞在した。イタリアから帰国後、ミュンヘンに戻ったラングを訪ね、ミュンヘンに移り、ヴィルヘルム・トリュブナーを紹介された。トリュブナーらとともにパリでクルーベに学んで帰ったヴィルヘルム・ライブルを中心とする画家のサークル「Leibl-Kreis」のメンバーの一人となった。トリュブナー、ライブルとともに多くの芸術家が集まったオーバーバイエルンのベルンリートにスタジオを持って活動した。充分な財産を持ち、作品を売る努力をする必要は無かったので生涯に絵は1点しか売らなかったとされる。(wikiより)
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=960738&viewType=detailView -
54. Sommer 1872
(Summer)
Hans Thoma(1839-1924)
ハンス・トーマ
-------------------------------
「夏」
ドイツの象徴主義の画家。作風は時代によってさまざまであるが、神話や象徴主義的な作品においては、ルネサンス期のドイツの画家たち、アルブレヒト・アルトドルファーやルーカス・クラナッハの影響や、イギリスのラファエル前派の影響も見ることができる。(wikiより)
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=963158&viewType=detailView -
55. Badende Frauen am Meer bei Dieppe 1857/60
(Women Bathing in the Sea near Dieppe)
Carl Spitzweg(1808-1885)
カール・シュピッツヴェーク
-------------------------------
ビーダーマイヤー時代を代表するドイツの画家。療養中に独学で絵を学んだ。ローテンブルクの屋根裏部屋に住んだ。
絵に描かれたこのフランスのディエップは、後の第2次世界大戦時の1942年に、連合軍によるフランスへの奇襲上陸作戦が行われた場所(ディエップの戦い、正式な作戦名は「ジュビリー作戦(Operation Jubilee)」)。奇襲作戦にもかかわらず、イギリス将校がパーティで口外したことにより、ナチス=ドイツに事前に知られており、多くのカナダ兵が犠牲になった。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=960266&viewType=detailView
<参照>
美術館シリーズ③ ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)
#13.カール・シュピッツヴェーク 「貧しき詩人」 -
56. Drachensteigen 1880-85
(Flying Kites)
Carl Spitzweg(1808-1885)
カール・シュピッツヴェーク
-------------------------------
「凧あげ」
縦長の特徴的な絵。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=963023&viewType=detailView -
57. Chaussee nach Gelmeroda 1893
(The Road to Gelmeroda)
Christian Rohlfs(1849-1938)
クリスティアン・ロールフス
---------------------------------
ドイツの「表現主義」を代表する画家の一人。
もともと、印象派のスタイルで描いていたが、1910年頃から、「表現主義」の画家として認められ、1910年のダルムシュタットのドイツ画家協会(Deutscher Künstlerbund)の展覧会の審査員に選ばれた。1924年に74歳でベルリンの美術アカデミーの会員に選ばれた 。1927年からは、冬を除いてスイスのアスコナで過ごした。1929年にハーゲンにChristian-Rohlfs-Museumが作られた。ナチスが政権を得た後、「退廃芸術」に指定された画家の一人で、1937年のミュンヘンでの「退廃芸術展」に出展されるためにハーゲンの美術館から450展の作品が押収された。1938年に作品の製作が禁じられ、美術アカデミーから追放された。その年ハーゲンで亡くなった。(wikiより)
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=965207&viewType=detailView -
58. Estaminet. Flämische Schenke 1884
(Estaminet-Flemish Tavern)
Lesser Ury(1861-1931)
レ??ッサー・ウリー
-----------------------------
ドイツ系ユダヤ人印象派の画家および版画家。
彼の最初の作品展示は1889年に行われ、敵対的な批評に遭遇しましたが、メンツェルの支持で、受賞をしました。 1893年にミュンヘン分離派に参加。1901年にベルリンに戻り、ベルリン分離派に1915年に初めて出展、特に1922年に大規模な展示会を行いました。(wikiより訳)
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=966933&viewType=detailView -
59. Im Café. Frau in Rot 1911
(In the Cafe. Woman in Red)
Lesser Ury(1861-1931)
レ??ッサー・ウリー
-----------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=965964&viewType=detailView -
60. Toddlers School in Amsterdam 1880
Max Liebermann(1847-1935)
マックス・リーバーマン
-------------------------
彼はロヴィス・コリント(Lovis Corinth)、マックス・スレーフォークト(Max Slevogt)らとともにドイツ印象派の代表的作家となる。ベルリン分離派創立者の一人である。しかし1933年のナチ党の権力掌握後、かれはユダヤ人の出自によって非難されるようになり、芸術院からもナチス体制へどのような態度を取るか問いただされた。1933年5月、彼は芸術家が出自や政治という要素によって非難されるような状態では芸術院にとどまることはできないとプロイセン芸術院名誉総裁の称号を返上した。発表の機会や栄誉をすべて失ったリーバーマンは1935年に失意のうちに世を去った。(wikiより)
小さい子供たちが可愛らしい。
<参照>
美術館シリーズ③ ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)
#23.マックス・リーバーマン「砂丘で山羊を引く女」
#24.マックス・リーバーマン「少年たちの海水浴」
#25.マックス・リーバーマン「ミュンヘンのビアガーデン」 -
61. Schusterwerkstatt 1881/2
Cobbler's workshop
Max Liebermann(1847-1935)
マックス・リーバーマン
-------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=967955&viewType=detailView -
62. Flachsscheuer in Laren 1887
(Flax Barn at Laren)
Max Liebermann(1847-1935)
マックス・リーバーマン
-------------------------
「ラーレンの亜麻糸工場」
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=962308&viewType=detailView -
63. Otto von Bismarck 1884
Franz von Lenbach(1836-1904)
フランツ・フォン・レンバッハ
--------------------------
「オットー・フォン・ビスマルク」
フランツ・フォン・レンバッハはドイツの画家。貴族、芸術家、企業家などの肖像画家として知られる。豊かな家の出身で「貴公子画家」(alerfürst)と 呼ばれた。1882年にバイエルン王国から爵位をえて、貴族となる。分離派ができたときには、参加しなかった。
肖像の主は、ドイツ帝国首相(在職:1871-1890年)。ドイツ統一の中心人物であり、「鉄血宰相(独: Eiserne Kanzler)」の異名を持つ。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=965303&viewType=detailView -
64. Mary Lady Curzon 1901/02
(Lady Curzon (Studie))
Franz von Lenbach(1836-1904)
フランツ・フォン・レンバッハ
---------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=961974&viewType=detailView -
65. Die Schwestern 1899
(The Sisters)
Gabriel Max(1840-1915)
ガブリエル・マックス
------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=965454&viewType=detailView
<参照>
美術館シリーズ③ ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)
#16.ガブリエル・フォン・マックス「法悦のカタリーナ・エメリッヒ」
#17.ガブリエル・フォン・マックス「解剖学者」
#18.ガブリエル・フォン・マックス『美術鑑定家としての猿たち』 -
66. Leierkastenmann in Zandvoort 1883
(Organgrinder in Zandvoort)
Fritz von Uhde(1848-1911)
フリッツ・フォン・ウーデ
----------------------------
1882年にオランダを旅行してフランスの印象派に影響を受け、明るい色使いの作品に変わっていった。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=963159&viewType=detailView
<参照>
美術館シリーズ③ ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)
#22.フリッツ・フォン・ウーデ「ベツレヘムへの道行き」 -
67. Das Tischgebet ("Komm, Herr Jesu, sei unser Gast") 1885
(Grace before the meal)
Fritz von Uhde(1848-1911)
フリッツ・フォン・ウーデ
----------------------------
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=964082&viewType=detailView -
68. Heideprinzeßchen 1889
(Little Princess on the Heath)
Fritz von Uhde(1848-1911)
フリッツ・フォン・ウーデ
----------------------------
「ヒースの原野のプリンセス」
愛嬌のある女の子。
http://www.smb-digital.de/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=961186&viewType=detailView
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