2018/01/28 - 2018/01/28
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美術館シリーズ②
ルーブル美術館
Musée du Louvre
どれも有名な絵画ばかりで、取捨選択に困りましたが、個人的な好みで選んでいます。フェルメール「レースを編む女」を見逃したのが痛い。フェルメールはこちらではそれほど有名ではない?ので、人だかりがなく、おそらく、気がつかなかったのか。
この旅行記では、絵画メインです。彫刻やオリエンタルチックなものは、歴史的にも重要なものが多く、結構、見ごたえがありましたが、この旅行記では掲載しません。
レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザは人だかりがすごすぎて、なかなか近寄れず。しかも厳重に保護されています。落ち着いてみれません。説明は不要だと思うので表紙の絵だけの紹介にしておきます。
ちょくちょく、ルーブル美術館以外の絵も入れています。
紹介の流れはイタリア→ドイツ、フランドル→フランスです。
1.ボッティチェリ「若い婦人に贈り物を届けるヴィーナスと三美神」
2.ウッチェッロ「サン・ロマーノの戦い」
3.フラ・アンジェリコ
4.レオナルド・ダ・ヴィンチ「洗礼者聖ヨハネ」
5.レオナルド・ダ・ヴィンチ「岩窟の聖母」
6.レオナルド・ダ・ヴィンチ「聖母子と聖アンナ」
7.ラファエロ・サンツィオ「美しき女庭師」
8.ラファエロ・サンツィオ 「砂漠の中の洗礼者聖ヨハネ」
9.ラファエロ・サンツィオ(フランシス1世の)「聖家族」
10.ヴェロネーゼ「カナの婚礼
11.ティントレット「天国」
12.ジュゼッペ・アルチンボルド 春夏秋冬
13.カラヴァッジョ「聖母の死」
14.ルーカス・クラーナハ(父)「風景の中のヴィーナス」
15.ルーカス・クラーナハ(父) 「三美神」
16.アルブレヒト・デューラー「1493年の自画像」
17.ヤン・ヴァン・エイク「宰相ロランの聖母」
18.クエンティン・マサイス「両替商とその妻」
19.ピーテル・パウル・ルーベンス「マリー・ド・メディシスの生涯」
20.レンブラント・ファン・レイン
21.レンブラント・ファン・レイン「バテシバの沐浴」
22.ジャン・フーケ「フランス国王シャルル7世の肖像」
23.フォンテーヌブロー派「ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像」
24.ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」
25.ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「大工の聖ヨセフ」
26.アントワーヌ・ヴァトー「シテール島への巡礼」
27.アントワーヌ・ヴァトー「ピエロ(ジル)」
28.アントワーヌ・ヴァトー「水浴のディアーナ」
29.フランソワ・ブーシェ「水浴のディアーナ」
30.ジャン=バプティスト・サンテール「スザンヌの入浴」
31.ジャン=オノレ・フラゴナール「かんぬき」
32.ジャン=バティスト・グルーズ「壊れた甕(かめ)」
33.Hubert Robert
34.ピエール=ナルシス・ゲラン
35.ジャック=ルイ・ダヴィッド「ホラティウス兄弟の誓い」
36.ジャック=ルイ・ダヴィッド「レカミエ夫人」
37.フランソワ・ジェラール 「ナポレオン」
38.ジャック=ルイ・ダヴィッド「皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式」
39.ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル「バルパンソンの浴女」
40.ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル「グランド・オダリスク」
41.ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル「トルコ風呂」
42.カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ「カラスがいる木」
(何故か最後はドイツで締める。)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
-
1.Venus et les Trois Graces offrant des presents a une jeune fille Vers 1483-1485
Alessandro Filipepi dit Botticelli 1445-1510
ボッティチェリ
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「若い婦人に贈り物を届けるヴィーナスと三美神」
この絵画は、1873年にフィレンツエ近郊の名家の大邸宅、ヴィッラ・レッミのロッジア(吹き放しの廊下)の漆喰の下から発見された三点のフレスコ画連作の一つである。三点のうちルーヴルは二点を取得した。損傷していた三つ目の作品はその場に残されている。1873年まで壁の漆喰の下にあったため、損傷が激しい。
名家の娘の結婚を祝して描かれた作品であり、右側の暗赤色のドレスの女性が花嫁で、ヴィーナスから贈り物を受け取ろうと布を差し出している。左に対照的に華やかなドレスをまとった三美神に囲まれたヴィーナスが、贈り物を婦人に渡そうと、婦人の差し出した布の上に置こうとしている。当時流行の新プラトン主義を反映して、花嫁が理想美の世界(イデア)に誘われることを暗示している。
ボッティチェリの最も著名な絵画は、ルネッサンスで教科書にも掲載されている、異教的、官能的なテーマの『プリマヴェーラ』と『ヴィーナス(ウェヌス)の誕生』であり、フィレンツェ・ルネサンスの最盛期を告げるものである。
フレスコ画であり、損傷は激しいが、色彩豊かで価値ある一枚と思う。
https://www.wikiart.org/en/sandro-botticelli/venus-and-the-graces-offering-gifts-to-a-young-girl-1486 -
2.La Bataille de San Romano : La contre-attaque de Micheletto da Cotignola. Vers 1435-1440?
Paolo di Dono, dit Uccello 1397-1475
パオロ・ディ・ドーノ、通称ウッチェッロ
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「サン・ロマーノの戦い」
1432年のサン・ロマーノの塔において対決したフィレンツ工軍とシ工ナ軍の戦いを記念して描かれた歴史的3連作の2番目にあたる作品。この作品で、描かれているのはフィレンツェ軍の味方であるミケレット・ダ・コティニョーラ(中央)が黒馬に乗って反撃する場面。最初のパネル(ロンドン、ナショナルギャラリー)は、ニッコロ・ダ・トレンティーノをフィレンツェ軍の先頭に、戦いの開始の場面を描いている。一方、三番目のパネル(フィレンツェ、ウフィツィ美術館)は、戦闘の終結とシエナ軍の敗北を描いており、その中ではシエナ軍の大将であるベルナディーノ・デッラ・チャルダが落馬している。
反撃の様子を構成する中で、物語のさまざまな瞬間を描写するために、全体の動きが細かく分解されている。右側では停止した戦士たちが襲撃を待ち受けており、そのうちの一人は武器の支度をしている。中央部では後脚で立ち上がった黒馬の上でミケレット・ダ・コティニョーラが襲撃の合図を送っている。軍隊は色めき立ち、左側では、槍を攻撃態勢に下げた騎馬隊が、敵に突撃している。このような手法で、ウッチェッロは槍と馬の脚でリズム感を与えられた全体の動きの錯覚を創り出すことに成功している。こうして画家は、騎兵、歩兵、兜の前立て、軍旗などのもつれ合いに一貫性をもたらすことができているのである。(HPより)
実は今月、ロンドンナショナルギャラリーで戦いの最初の1枚を見てきたばかり。
The Battle of San Romano, consisting of:
Battle of San Romano: Niccolò da Tolentino (c. 1450?1456) - National Gallery, London
Battle of San Romano: Micheletto da Cotignola (c.1450) - Musée du Louvre, Paris
Battle of San Romano: Bernadino della Ciarda unhorsed (c. 1450?1456) - Galleria degli Uffizi, Florence
https://www.wikiart.org/en/paolo-uccello/the-battle-of-san-romano-1440
https://www.wikiart.org/en/paolo-uccello/the-intervention-of-micheletto-cotignola-1438
https://www.wikiart.org/en/paolo-uccello/victory-over-bernardino-della-ciarda-1438 -
3.Le Couronnement de la Vierge. Vers 1430-1432
Guido di Pietro dit Fra Angelico 1417-1455
グイード・ディ・ピエトロ、通称フラ・アンジェリコ
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フラ・アンジェリコは、フィレンツェで活躍したドメニコ派の修道僧画家。これは、フィレンツェ付近のフィエーゾレにあるサン・ドメニコ修道院の中央祭壇のひとつのために制作された祭壇画であり、フラ・アンジェリコは後にこの修道院の院長となっている。
聖書外典に基づく「聖母戴冠」の主題は、13世紀にヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』によって広く普及した。この挿話は、時間的な順序としては「聖母被昇天」に続くものであり、天上で聖母がキリストによって迎えられ、冠を授かる聖母の生涯の最後の輝かしい場面を表す。明るく鮮やかな色彩ときらめく金色が、みごとに天上の喜びを響かせる。
左手に、黒いマントの下に白い服を着ていることで、ドミニコ会の複数の聖人たちを見分けることができる。前景には、そのアトリビュート(持物)によって識別できる聖人たちから成る、天上の宮廷の人々で、左から右へ向かって、白ユリの付いた冠を戴いたフランス聖王ルイ、また、司教冠を被り刺繍が施された重々しい司教服に身を包み、足元に三つの黄金の玉が置かれたバーリの聖ニコラウス、赤い衣服をつけ、髪を解き香壺を手にした聖女マグダラのマリア、殉教の車輪を携えた聖女カタリナ、子羊を胸に抱く聖女アグネスが認められる。(青い服を着た後ろ向きの跪いた女性がアトリビュートがなく不明。一番目立つのだけど。)
遠近法の駆使や人物の巧みな配置など、フラ・アンジェリコがマザッチオの革新の影響を受け、利用した初期ルネサンスの最初のひとりであることがわかる。(HPより)
彼の絵は常に色彩豊かな印象。サン・マルコ修道院の階段の登ったところにある受胎告知のフレスコの天使ガブリエルの羽は見とれてしまうぐらいに綺麗だった。
https://www.wikiwand.com/en/Coronation_of_the_Virgin_(Fra_Angelico,_Louvre) -
そのフィレンツェのサンマルコ修道院(現在は美術館)にあるフラアンジェリコの受胎告知(1440年)。2階へあがる階段を上る際に、それは突然に、この壁に描かれたフレスコ画が目の前に出現する。
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天使ガブリエルの羽。フレスコ画でこの色使い。
サン マルコ美術館 (修道院) 博物館・美術館・ギャラリー
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4.Saint Jean-Baptiste(仏) 1513-1516
St. John the Baptist(英)
Leonard de Vinci 1452-1519
レオナルド・ダ・ヴィンチ
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「洗礼者聖ヨハネ」
洗礼者聖ヨハネは、『新約聖書』に登場するユダヤの預言者であり、キリストに洗礼を施した人物。ヨハネという聖人は他にも何人かいて、それらの人物と区別する為に、頭に「洗礼者(Baptist)」とつけるのが一般的。洗礼者聖ヨハネは聖母子と一緒に描かれることが多いので、聖人の中でも見る機会が多いが、その顔はまちまちのような気がする。
洗礼者聖ヨハネが人差し指で天を指差すポーズを取っているが、これは救世主であるキリストが天から到来することを予告し、罪を悔い改めるよう説いていると解釈されている。
釣られて天井をみたりしないように。
https://www.wikiart.org/en/leonardo-da-vinci/st-john-the-baptist -
5. a Vierge aux rochers(仏)
The Virgin of the Rocks(英)
Leonard de Vinci 1452-1519
レオナルド・ダ・ヴィンチ
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「岩窟の聖母」1483-1486年頃
1806年、ハッカンによって木から画布へ移転
ロンドンナショナルギャラリーにも同じ主題、構図の絵があり、くどいが今月、見てきたばかり。
ヘロデ王の虐殺から逃れ、暗い洞穴に身を潜める聖母子の一行。ミラノのサン・フランチェスコ・グランデ教会の祭壇画として描かれたものだが、実際には一度も祭壇には飾られなかったことが記録から分かっている。最も信憑性の高い解釈によると、作品は1483-1486年の間に制作されたが、注文主の満足を得ることができず、その結果ルイ12世が1500-1503年頃に作品を取得したと言われている。ロンドンのもう一つの異作は、この作品の代わりとして1495-1508年の間にレオナルドの指揮のもとにアンブロジオ・デ・プレーディスによって制作されたものと思われる(これは、ルーブルHPより引用。しかし、ナショナルギャラリーは、洗浄等による調査結果、ほとんどの個所をダヴィンチ本人が描いたと発表している)。画面中央が聖母、右側の幼子イエスに寄り添うのは大天使ガブリエル、左側の幼子は、具体的なそのアトリビュートがないが、洗礼者ヨハネだといわれている。ピラミッド型に配置された人物たちは構図の安定感をもたらす(ラファエロの聖母子にもみられるこの構図はダヴィンチを参考にしたと思われる)。登場人物の手の指し示す方向や形、交差する視線が絡み合い、背景の奇怪な岩窟の風景や、微妙な陰影のコントラストによって、この場面が強調され、見るものを深い精神性の世界へ引きずりこむ。この絵は、逃避行中の聖家族達を洗礼者ヨハネが会いに来る場面ではあるが、会ったという記述は聖書にはない。ルーブル、ナショナルギャラリーの「岩窟の聖母」の絵の両方に共通して、ヨハネが両手を合わせ礼拝し、イエスが右手を上げて祝福している。マリアはヨハネの背中に手を沿い当て、左手は、イエスの頭の上に掲げている。このマリアのしぐさで何を表現しているのだろう。
https://www.wikiart.org/en/leonardo-da-vinci/virgin-of-the-rocks
Louvre, Paris, France(ルーブル美術館)
https://www.wikiart.org/en/leonardo-da-vinci/the-virgin-of-the-rocks
National Gallery, London, UK(ロンドンナショナルギャラリー) -
6.Sainte Anne, la Vierge et l'Enfant jouant avec un agneau, dite La Sainte Anne. Vers 1503-1519
Leonard de Vinci 1452-1519
レオナルド・ダ・ヴィンチ
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「聖母子と聖アンナ」
受難を意味する小羊から幼子キリストを引き離そうとする聖母マリアとそれを慈愛に満ちた表情で見守るマリアの母親、聖アンナ。マリアはなんとアンナの膝の上に座っている。ダヴィンチの絵に見られる背後の幽遠な風景は、一体、どこの風景だろう。そして足元を見ると崖の際に3人がいる。そんなところで羊と遊ばないで。
キリストは羊の耳を持っているし。「羊をいじめちゃいけないでしょ。」とマリアはキリストを羊から離そうしているようにも見える。
そして、羊のしっぽ。長い!?実は、本来は長いのです。ただ、家畜化して、しっぽをうまく動かせなくなり(他の動物は尻尾を動かせますが)、衛生面から邪魔になったため、生後、間もないときに、切り落とすのです。
https://www.wikiart.org/en/leonardo-da-vinci/the-virgin-and-child-with-st-anne-1510 -
7.La Vierge a l'Enfant avec le petit saint Jean-Baptiste, dit La Belle Jardiniere
Raffaello Santi, dit Raphael 1483-1520
ラファエロ・サンツィオ
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「美しき女庭師」1507-1508年
(聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ)
注文主が誰であるかだけでなく、王立コレクションに「美しき女庭師」が収蔵された経緯についても不明のままである。1505-1506年の「ベルヴェデーレ(牧場)の聖母」(美術史美術館、ウィーン)と「鶸(ひわ)の聖母」(ウフィツィ美術館、フィレンツェ)の後、ラファエッロのフィレンツェ滞在の終わりに当たる1507-1508年に制作されたこの「美しき女庭師」は、風景の前景でピラミッド型の動的な構図の中に描かれた、聖ヨハネと聖母子というモチーフに関する画家の研究を締めくくるものである。
聖母と幼子イエスが幼い洗礼者聖ヨハネに伴われてゆったりした風景の中に描かれており、前景は聖母の人間性の象徴であるスミレやキリストの受難の象徴であるオダマキの花を含む克明に描写された花々が散りばめられている。当初は「農民の聖母」として王室コレクションの記録に記されていたこの絵画は、1720年頃に、芸術愛好家のピエール・ジャン・マリエットの『手引書』の中で「女庭師」という名が付けられ、その直後に複数の版画作品の銘の中で「美しき女庭師」と書かれるようになった。作品における牧歌的な印象は、ほぼ同時代、すなわちラファエロのフィレンツェ滞在の終わり頃に制作された他の二点の聖母像の中にも見受けられる。「牧場の聖母」と「鶸の聖母」の二点とも、風景の前景に描かれて二人の子供に取り囲まれた聖母像を中心にまとまっており、子供たちの姿勢やしぐさは聖母のそれと調和し合い、流れるような、それでいて一貫性のある人物のまとまりを作り出している。更にこれら三点の作品の全ては、背後にイエスの受難の予兆を含んでいる。この「美しき女庭師」においては、自らの責苦を予告している聖書を母の膝の上から取ろうとしているイエスと、彼に従うような動きを示している聖ヨハネの間に交わされる視線によって、その予兆が示されている。
風景の前にしっかりと据えられたピラミッド型の構図は、きわめて彫塑的な襞をもつ衣服に包まれた、瞑想するかのような人物像を頂点としている。その構図の中の人物同士の動的で表現力溢れる複雑な関係を、透明感と簡明さとを同時に表すことに心を砕きつつ描き出そうとする意欲は、16世紀の最初の十年間にフィレンツェ絵画において進められていた研究に特徴的なものである。ミケランジェロは1504-1507年に彼の「トンド・ドーニ(聖家族)」(ウフィツィ美術館)の中で、レオナルド・ダ・ヴィンチは1500-1501年以来「聖アンナと聖母」(ルーブル美術館)の中で、同じ造形上の問題に没頭している。作品における明るい色階、理想的で一様な光、かなり高い位置に配された地平線へと背景が静かに後退してゆく風景の透明感、完全に垂直な幹を持つ木々の軽やかさ、これらはラファエロがその下で学んだペルジーノの影響を明確に伝えている。同時に、右側で小さな都市の風景を形作っている北方絵画風の建造物は、15世紀末にイタリアに持ち込まれたフランドル絵画、とりわけメムリンクに対して若きラファエッロが抱いた関心を示している。
(HPより)
つまり三部作の中の最終作でこのシリーズの集大成の位置づけ。この三角形の構図はダヴィンチが始めたもので、ラファエロもフィレンツェ時代に取り入れている。
https://www.wikiart.org/en/raphael/the-virgin-and-child-with-saint-john-the-baptist-1507 -
8.Saint Jean Baptiste au desert(仏)
St John the Baptist in the Desert(英)
Raffaello Santi, dit Raphael et son atelier 1483-1520
ラファエロ・サンツィオとその工房
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砂漠の中の洗礼者聖ヨハネ。
ラファエロ版洗礼者ヨハネ。ダヴィンチのところでしたので、特に説明は要らないのですが、ダヴィンチのものと比較で。指の指し示す方向がやや斜め上、空が見えている方向。その右側の木の枝がさり気なく十字架になっています。
https://www.wikiwand.com/en/St_John_the_Baptist_in_the_Desert_(Raphael) -
9.Sainte Famille avec sainte Elisabeth, le petit saint Jean et deux anges, dite La Grande Sainte Famille
Holy Family (known as the Grande Famille of Francois I)
Raffaello Santi, dit Raphael 1483-1520
ラファエロ・サンツィオ
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(フランシス1世の)「聖家族」 1518年
彼の晩年の作品に相当(晩年のといっても37歳という若さで亡くなっているのだが)。彼のサインがあるが、主には彼の弟子たち(工房)が手掛けた。教皇レオ10世から、フランスのフランシス1世の妻であるクロードへの贈り物として依頼されたもの。
https://www.wikiart.org/en/raphael/holy-family-known-as-the-grande-famille-of-francois-i-1518 -
10.Les Noces de Cana
Paolo Caliari, dit Veronese 1528-1588
パオロ・カリアーリ、通称ヴェロネーゼ
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「カナの婚礼」1562-1563年
この美術館の目玉であるダヴィンチの「モナリザ」と向かいあうように、壁に掛けられた大きなヴェロネーゼの「カナの婚礼」。モナリザの小さめの絵とはまた対照的。同じルネッサンス期の絵でも、ヴェネチア派と呼ばれ、やや、趣きが異なる。地中海貿易で財を成していた金持ちの町で生まれたからか、豪華な印象。インパクト重視。ヴェネチアにいけば、彼の絵が嫌というほど、至るところにある。この絵はナポレオンによって接収され、パリに運ばれて今に至る。
この場面は、カナという町で行われた婚礼の最中にキリストが起こした最初の奇跡の物語でよく絵に描かれる。婚礼にキリストが招かれた際、祝いの席で出されていた葡萄酒が足りなくなった。そこで、キリストは召し使い達に石の水瓶に水を満たすようにいい、召し使いが言う通りに水を溜めると、その水が葡萄酒に変わっていたというのです。この水を葡萄酒に変えたというのが、キリストが起こした最初の奇跡とされている。
縦6m、横9mの巨大な画面の下半分に130名もの人物が描かれているらしい。
テーブルの中央で赤い衣服に青いマントを肩から掛けている人物がキリストで、人が多すぎて目立たない。。。ただ、隣のマリアとともに、光輪があるので、聖人だとわかる。遠近法が使われていて、上半分が青い空に向かって抜けているので、窮屈な感じがしない。
https://www.wikiart.org/en/paolo-veronese/the-marriage-at-cana-1563 -
11.Le Couronnement de la Vierge, dit Le Paradis. Vers 1580
Jacopo Robusti, dit Tintoret 1518-1594
ティントレット
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「天国」
ルネッサンス期ヴェネチア派。通称、ティントレット(染物屋の息子)と呼ばれている。天国と名のついたこの作品、ルーブル美術館も特にHPに説明を入れていません。なぜなら、同じ作者による同じ構図、題名の、より有名な絵がヴェネチア、ドゥカーレ宮殿にあるからだと思います。次に紹介。
https://www.wikiart.org/en/tintoretto/paradies -
それがこちら。2019年8月にドゥカーレ宮殿「大評議の間」に行った時の写真です。人の大きさから絵の大きさがわかると思います。
詩人ダンテの「神曲」に着想を得て描かれた作品で、天国で戴冠するマリアを描いている。同心円上の雲の上に沢山の聖人・聖女がその様子を見守っている。凄い迫力と神聖な雰囲気が伝わってくる本作品だが、マリアを描いているのは、受胎告知の日に建国したヴェネツィアの正当性を誇示するためとか。
この絵が飾られている「大評議の間」は、2000名近くの評議員が集まっていたと言われており、縦横54メートルと25メートルという広さ。ヴェネツィアを讃える大きな絵画が、いくつも並んでおり、多くはヴェネツィアの戦いの勝利を描いたもの。
その中でも正面の絵画、ティントレット作の『天国』は、世界で一番大きな油絵といわれており、ティントレットはこのフレスコ画に8年の月日をかけ、さらにティントレットの息子ドメニコや工房の手が入り、完成に至ったとされている。
https://www.wikiart.org/en/tintoretto/paradise -
12.Giuseppe Arcimboldo 1527-1593
ジュゼッペ・アルチンボルド
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春夏秋冬
ジュゼッペ・アルチンボルド(1526もしくは1527~1593)は、十六世紀のイタリア・ミラノで生まれた後期ルネッサンス期、マニエリスムの奇想画家。同じく画家であった父のもとで修業を積み、1562年に神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント一世の宮廷に召抱えられて以来、続くマクシミリアン二世、ルドルフ二世とハプスブルク家三代の皇帝に仕えた。その多才さは、宮廷の装飾や衣装デザイン、宴の演出など、ウィーンとプラハを舞台に華々しく発揮された。
しかし、何といってもアルチンボルドの代名詞は、ここに飾られている果物や動物、本などを巧みに組み合わせて人間の顔を描いた風変りな肖像画群。
じっくり見ると、1個1個のパーツが写実的であり、素材の選択やその配置は決して思いつきで行ったものではないことがわかる。グランドギャラリーには比較的大きな絵が飾られていて、全体を見るために絵から離れる必要があるが、この肖像画は近づいてじっくり見てほしい。
そして、少し遊びごころもあるところもいい。例えば、春の頭のてっぺんに後ろ向きにつけられた白い花なんて。ハプスブルグ家のお膝元のウィーン(美術史美術館)やスペイン(王立サン・フェルナンド美術アカデミー、マドリード)でも見られるが、さすが、ルーブル美術館。春夏秋冬の1セットを所有し、これらの絵には特別に絵の周りに花で縁取りがされている。
WEB検索して、個人の所蔵となっている「Air」なんかは、いつか見てみたいと思う。
https://www.wikiart.org/en/giuseppe-arcimboldo/spring-1573
https://www.wikiart.org/en/giuseppe-arcimboldo/summer-1573-1
https://www.wikiart.org/en/giuseppe-arcimboldo/autumn-1573
https://www.wikiart.org/en/giuseppe-arcimboldo/winter-1573 -
13.La Mort de la Vierge. 1601-1605/1606
Caravaggio 1571-1610
メリージ・ダ・カラヴァッジョ
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「聖母の死」
1601-1606年頃に《聖母の死》を制作した時、カラヴァッジォはローマですでに15年ほど活動していた(1606年にある事件を起こす。後述)。この作品は、サンタ・マリア・デッラ・スカーラ・イン・トラステヴェレ教会の中にあるヴァティカンの法学者の家族礼拝堂を飾るために1601年に注文されたものであったが、1605-1606年になってようやく完成した。しかし、その場所にふさわしくないと判断した聖職者によって受け取りを拒否された。崇高であるべき聖母マリアの死が、あまりにも生々しく描かれていたからだ。従来の慣例を無視し、マリアは簡素な服を身に付け、左手を無造作に投げ出し、その身体は水死体のように膨れている。宗教的題材に、非常に写実的で露骨な光景で、神性を排除することで人間的な悲しみを表現するというカラヴァッジョの挑戦は、当時の教会組織に衝撃を与え、「過激すぎる」「反教会的だ」との批判を浴びた。モデルに娼婦の水死体を使用したとも伝えられている。
この絵画は16世紀から17世紀の転換期にカラヴァッジォが提示した図像表現および形状における革命を明確に表わしている。極度に洗練され気取りのあるマニエリスムの流れから離れ、画家はより率直な、ゆとりある力強い作風を打ち立てたのである。カラヴァッジォは、聖なるものの表現に結び付いた慣習に気を配ることなく、人々の真の姿とその感情を表現することに専心している。彼がもたらした衝撃は17世紀の絵画観の変遷においてきわめて重要なものであった。それは光と影の劇的な使い方であり、現実的で、精神的な写実性である。「発展ではなく革命によって進んだ最初の画家」と言われる。
画家として名声を得ていたカラヴァッジョは1606年、35歳の時に喧嘩で一人の男と決闘、相手を刺し殺しローマから逃亡。殺人犯として追われる身となったが、逃亡先のマルタ共和国で『洗礼者聖ヨハネの斬首』を描き、これが認められ教皇より免罪される。しかし一年も経たずして再度些細なことで決闘し投獄される。一度は脱走を試みるも、数日後に逮捕、同作品の目前で斬首刑を宣告される。享年38歳。(HP、WEBより抜粋)
https://www.wikiart.org/en/caravaggio/the-death-of-the-virgin-1603 -
ルーブル美術館とは関係ないですが、マルタ共和国の聖ヨハネ大聖堂の中の別室みたいなところで飾られている、その『洗礼者聖ヨハネの斬首』。つい先日、訪問したときの写真です(2020年1月訪問)。
少し背筋の寒くなる絵です。構図、光の当たり方。ドラマチックな場面にも関わらず、無表情の登場人物。さらに、後ろで別の囚人たちがそれを窓越しに眺めている。間違いなく、カラヴァッジョの傑作のひとつです。また、彼の署名が入っている唯一の作品でもあります(首から流れる血で書かれている。絵に近づけないので、よく見えませんが。) -
『洗礼者聖ヨハネの斬首』
https://www.wikiart.org/en/caravaggio/beheading-of-saint-john-the-baptist-1608
https://www.stjohnscocathedral.com/caravaggio-paintings/ -
14.Venus, Goddess of Love, Standing in a Landscape 1529
Lucas Cranach 1472-1553
ルーカス・クラーナハ(父)
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「風景の中のヴィーナス」
ここからは別の地域、所謂、北方ルネッサンスの画家になります。(アルプス山脈より北の地域を指します。)
ドイツ・ルネサンス期の偉大な画家クラーナハは、初め宗教画や肖像画を得意としていたが、イタリア・ルネサンス美術の影響を受け、徐々に裸婦を描き始めるようになった。生きたモデルを写実的に描くというよりも、彼独特のの美的感性に基づいてヴィーナスが表現、描かれている。当時、宮廷婦人たちに流行していた帽子や薄いヴェールなどを着用させ、より官能美が表現されている。
この女性の顔とプロポーションをみたときに、クラナッハだと分かる。胸が小さいのはモデルの所為?
製作年の1529(年)ととに、画家のサインが書き込まれており、探してみて下さい。
https://www.wikiart.org/en/lucas-cranach-the-elder/venus-standing-in-a-landscape-1529 -
15.The Three Graces, 1531
Lucas Cranach 1472-1553
ルーカス・クラーナハ(父)
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三美神 (1531年)
もう一枚。三美神は画題としてよく取り上げられるが、クラーナハもよく描いている。その中でもこれが、最も、魅惑的でエロチズムが増している。軽いほほ笑み、帽子、アクセサリー、そして、異なるポーズ。さすがルーブル美術館にあるだけある。
https://www.wikiart.org/en/lucas-cranach-the-elder/the-three-graces-1531 -
16.Self-Portrait Holding a Thistle, 1493
Albrecht Dürer 1471-1528
アルブレヒト・デューラー
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『1493年の自画像』
アルブレヒト・デューラー(ドイツ語: Albrecht Dürer, 1471年5月21日 - 1528年4月6日)は、ドイツのルネサンス期を代表する画家、版画家、数学者。彼の地元のニュルンベルク空港は彼の名前を取っている。
修業旅行時代の1493年、デューラーはコルマールからストラスブールに出かけ、その時にこの自画像が描かれ、おそらくニュルンベルクの彼の婚約者アグネス・フライに送られた。この自画像でデューラーが右手に持っている植物は「夫の貞操」を意味するあざみであり、自らの婚約者への夫婦の忠誠の証拠とされる。もしくはキリストの受難(特に荊冠のとげ)の暗示と考えられ、「自分の身に起こることは、天の思し召し」という画面の制作年の横の記載とも関連付けられる。翌年、結婚する。
この作品は、西洋絵画における独立した自画像のごく最初の例とも言われている。中世末以降、画家たちは自らの姿を作品の中に描く習慣があったが、これらの自画像は、主に宗教的な主題を取り上げる大きな作品の中における副次的な存在でしかなかった。そして、この絵は、最終的に彼の代表作、自らを神の栄光の光輪を携えたキリストという救世主の姿で描いた《1500年の自画像》(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク所蔵)に繋がっていく。
https://www.wikiart.org/en/albrecht-durer/self-portrait-1493 -
17.Virgin and Child with Chancellor Rolin 1434
Jan van Eyck 1390/1395-1441
ヤン・ヴァン・エイク
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「宰相ロランの聖母」
手前の人物よりも奥の景色の描画の緻密さが素晴らしい。
ブルゴーニュ公国の宰相だったニコラ・ロランに依頼され、制作されたもので、「奉納肖像画」と呼ばれるもの。教会や修道院等に献納する絵に献納者自身の肖像を描き込んだもので、聖母子と向かい合って座っている人物が、この絵を献納した献納者ニコラ・ロラン自身です。聖母の頭上には天使が描かれていて、今まさに聖母に宝冠を戴冠しようとしている。聖母は膝に幼児キリストを乗せ、ロランに見せている。幼子イエスは右手を上げて指を二本立てて祝福している。
人物に比較して室内は小さく狭いが、正面のアーチから外が見えるように描かれ、遥か遠くの景色まで見えるので、解放感があって窮屈な感じがしない。ヤン・ファン・エイクらしく細部まで徹底して緻密に描かれている。
作品は、オータンにあったノートル・ダム・ドュ・シャテル教会の聖セバスチャン礼拝堂に飾られていた。1793年に建物が倒壊した際、作品はこの地を離れてルーヴルのコレクションに加わった。その際に制作年と画家の署名が記載されていたと思われる額縁が紛失している。(HPより)
https://www.wikiart.org/en/jan-van-eyck/the-virgin-of-the-chancellor-rolin-entier -
18.The Money Changer and his Wife 1514
Quentin Metsys 1465/66-1529/30
クエンティン・マサイス
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『両替商とその妻』
記録的で描写的(当時における職人の写実的描写、もしくは時間性への信心)と言うよりは、寓意と教訓(虚栄心の象徴、審判の天秤といったキリスト教的シンボル、吝嗇に対する告発、誠実への称賛)を籠めた作品と思われ、奇妙な古典的衣装が古い時代を喚起している。
人物に大きな存在感をもたらしている狭まった枠組みの中で、半身像で描かれた二人の人物がテーブルの後ろに座っている。二人の配置は完璧な対称を成している。散らばった真珠や宝石、金貨を目の前に、男はこれらの財産を測っているところで、その様子は、聖母子の挿絵でそれとわかる聖書を読んでいた彼の妻の気をそらしている。前景に描かれた鏡はフランドル絵画の中では流行の、作品の外側の世界との結合を生み出す手法であり、鏡の中には窓の前に描かれた一人の人物の姿が映っている。右側の細く開けられた扉からは、一人の青年と老人が語り合っている姿が見える。
クエンティン・マサイスは1466年にルーヴェンで生まれた。後にその地を離れ、アントウェルペンに落ち着き、1491年から大作家として有名になり、1530年に息を引き取っている。当時アントウェルペンは重要な商業活動の街で、たちまち北と南の間に位置する交流の主要点となり、そこはポルトガルやスペイン商人やイタリアの銀行家が出会う土地であった。熱狂的な商業活動は、アントウェルペンをヨーロッパにおいて最も重要な経済の中心地にした。方々の貨幣を用いる国際的な人種の存在は、ブリュージュやとりわけアントウェルペンといった外国人が頻繁に出入りする土地において、金貸しや質屋といった商店の発達をもたらした。
15世紀後半は、北方ヨーロッパにおける風景・日常生活の場面や肖像画といった風俗画の普及によって特徴づけられている。日常生活の道徳的な描写によって、画家は人間の不徳や生命の儚さなどを告発した。このジャンルにおける先駆者と見なされているマサイスの作品の中では、明らかにこれらの要素に重点が置かれている。ここでは夫の前に散らばる金、真珠(色欲の象徴)や宝石の誘惑が、彼の妻を聖書の読解という精神的活動からそらせている。背景に配されたオブジェは、入念に選び抜かれ、作品の持つ道徳的な要素を強調している。火の消された蝋燭と棚の上の果実は、本質的な罪の暗示で、腐敗を予告し死を喚起している。水差しとぶら下がったロザリオは、聖母の純潔を象徴している。さらに小さな木箱は、女神が隠れた宝石箱を表現している。(HPより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Quentin_Massys_001.jpg -
19.マリー・ド・メディシスの生涯
バロックの巨匠、ピーテル・パウル・ルーベンスが描いた24点の連作絵画の総称。これは、フランス王アンリ4世妃であり、ルイ十三世の母でもあるマリー・ド・メディシスがパリのリュクサンブール宮殿改修時の装飾絵画として、1621年秋にルーベンスに制作を依頼した作品群であり、現在はルーブル美術館のリシュリュー翼の「メディシスの間 (la Galerie Médicis)」または「ルーベンスの間」と呼ばれる、この部屋に展示されている。(人、少な!。前にも書いたがルーベンスの絵は大きく見ていて疲れるので、写真は撮っていない。)
作品は王妃マリーの生涯で重要なシーンが描かれていて、盛り込まれている内容は非常に豊富。王妃は神格化され、神話の神々や天使たちが登場し、壮麗な一大絵巻のようになっており、神話的なモチーフ以外にも、作品中にはこの時代の絵画に特有のアレゴリー(寓意、象徴)が頻繁に登場する。
ところが、対照的に、王妃が実際に辿った生涯(史実)は、幸福そうには見えない結婚生活、愛人だらけの夫、夫(アンリ4世)の暗殺、実の息子(ルイ13世)との争い、最期は国外に追放され、異国で亡くなるという人生で、王妃としての活躍や、国家・国民に対する功績はほとんどありません。
そう、辛うじて、ぱっとしない彼女の名前が後世に残っているのは、この大作のおかげであり、ルーベンスが寓意で盛りに盛って、作り上げた華やかな世界観にあり、そこには彼女の人生ではなく、逆に、教養溢れるルーベンスの才能の偉大さがひかる。
彼女は、イタリア・フィレンツェの名門「メディチ家」の出はあるのですが、1600年27歳でアンリ4世と結婚、10年後にアンリ4世が暗殺され、息子ルイ13世が王になったとき、彼女は摂政として政治を担うが支持されず。貴族や王から不信を買う。1617年に実の息子のルイ13世にブロワ城に幽閉されるも(息子に幽閉されるって悲しすぎる。それも16歳前後の息子に。)、2年後にブロワ城から脱出、その後ルイ13世と和解するものの、1631年にはフランスを追放され、ブリュッセルに亡命。1642年、ケルンで亡くなる。この絵画の発注は1621年。このとき、本人は国外追放の憂き目を見るとは思っていないでしょう。
大体のルーベンスの作品は彼の工房で作られ、ルーベンスは構成や下書きのみで後は弟子が仕上げる。しかしながら、この大作の契約書にはすべての人物像をルーベンス自ら描くこととされており、弟子は背景や細かな部分しか手掛けることができなかったらしい。ルーベンス自身ががどんな心情でこの大作を描いたか、非常に興味がある。 -
Marie de Medicis as Bellona 1622 - 1625
Peter Paul Rubens
同じ部屋に飾られているマリー・ド・メディシスの肖像画(中央)。両側は両親で、父であるトスカーナ大公フランチェスコ1世、母であるトスカーナ大公妃ジョヴァンナの肖像画である。セットであるにも関わらず、全く釣り合っていない。この部屋にある絵は「盛っているんだよ」とヒントを与えているのかな。
https://www.wikiart.org/en/peter-paul-rubens/marie-de-medicis-as-bellona-1625 -
20.Self-Portrait at an Easel 1660
Rembrandt Harmensz. van RIJN, dit REMBRANDT 1606-1669
レンブラント・ファン・レイン
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自画像を多く残したレンブラント。
レンブラントが描いた自画像は、約60点ほどが現存するが、ごく初期から晩年にわたるその自画像の系列の中で、本作品は晩年のものに相当する。
https://www.wikiart.org/en/rembrandt/portrait-of-the-artist-at-his-easel-detail-of-the-face-1660 -
21.Bathsheba at her Bath Holding Kind David's Letter, 1654
Rembrandt Harmensz.van RIJN dit REMBRANDT 1606-1669
レンブラント・ファン・レイン
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「バテシバの沐浴」1654年。
多くの画家に好まれた画題で、17世紀オランダの偉大な画家レンブラントの描いた裸体画の代表作のひとつ。モデルは画家の愛人ヘンドリッキエ・ストッフェルスである。ダヴィデ王の誘いの手紙を手にして、困惑気味のバテシバの表情、緊張感。諦めたような眼差しは、虚空の中へと痛ましげに消えている。
「バテシバの沐浴」
『旧約聖書』『サムエル記』の、イスラエル王ダビデとヒッタイト人ウリヤの妻バテシバとのエピソードを描いた官能的な作品である。『サムエル記』では、水浴中のバテシバを見染めたダビデが強引に関係を持ってバテシバを妊娠させたとなっている。そしてダビデは、人妻を妊娠させたという自身が犯した罪を隠してバテシバと結婚するために、バテシバの夫ウリヤを戦地へと赴かせ、将軍に対してウリヤを敵地に置き去りにして殺させるように命じた。ダビデが水浴中のバテシバを覗き見るというエピソードは、それまでも多くの画家が作品に描いたモチーフだった。
https://www.wikiart.org/en/rembrandt/bathsheba-bathing-1654 -
22.Portrait of Charles VII, king of France from 1422 to 1461, 1445-1450
Jean Fouquet 1420-1478/81
ジャン・フーケ
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フランス国王シャルル7世の肖像(1403-1461年)
1445-1450
ここからはフランス。
作品の元々の額縁に記された「大勝利を収めたフランス王」という銘が、トゥールの休戦(1444年)もしくはフォルミニーの勝利(1450年)を暗に示している。フーケは、ヨーロッパにおいて初めて、等身大でほぼ正面向きの半身像の肖像画を描いた画家と見なされている。この絵は18世紀にはブールジュのサント=シャペルにあった。
百年戦争の際にイギリス軍の占領から祖国を解放したフランス国王シャルル7世(1403-1461年)が、君主の象徴である純白の幕の間に、ほぼ正面を向き、窓を通して現われたかのように描かれている。刺繍が施された豪華なクッションに組み合わせた手を据えているものの、この君主の公式の肖像は、抽象的な空間の中に配されているかのような感を受ける。(HPより)
https://www.wikiart.org/en/jean-fouquet/portrait-of-charles-vii-king-of-france -
23.Presumed Portrait of Gabrielle d'Estrees(1573-1599) and her Sister, the Duchesse de Villars 1594
フォンテーヌブロー派
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「ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像」
この絵を前にしたとき、この二人は何をしているのだろう。と首を傾げたくなる。
これ見よがしな身振りは、ガブリエルの懐妊と、1594年にアンリ4世の私生児セザール・ド・ヴァンドームが誕生したことを暗示しているとのこと。この作品は、第二次フォンテーヌブロー派の特徴を顕著に示しているものの、その作者は未だ不詳のまま。2人の若い婦人の体の官能的な肉付きには、イタリア・ルネサンスの影響が認められるが、一方で背景に描かれた場面の親密さには、フランドル絵画への依拠も見てとれる。
画家はトロンプ=ルイユ(だまし絵)の技法を巧みに用いながら、浴槽の中に敷かれた布と画面を縁取っている2つの幕を写実的に模倣して描いている。背景の別の部屋で展開している場面によって作り出された奥行きが、トロンプ=ルイユの効果をさらに高めている。浴槽の2人の貴婦人という場面設定による風変わりで色彩豊かなこの作品は、同時に謎めいた象徴(ガブリエル・デストレが手にする指輪)も備えており、その官能的な描写で華々しい成功を収めた。官能的できわめて繊細な2人の貴婦人の裸体のモデリングは、画面の左側から2人を照らし出している光によって際立てられ、逆に絵の背景は薄暗がりに沈んでいる。
描かれているモデルは、アンリ4世(1553-1610)の寵妃ガブリエル・デストレ(1571-1599)と、おそらく彼女の姉妹の一人であるヴィヤール公爵夫人、もしくはバラニー元帥夫人と考えられている。ガブリエル・デストレの右の乳房をつまむ、若い女性の愛情のこもった一風変わったしぐさは、ガブリエルがアンリ4世の私生児セザール・ド・ヴァンドームを懐妊したことを象徴しているという解釈が度々なされている。その背景では、一人の若い女性がおそらく生まれてくる子供の産着を縫っているようで、王の寵妃が身ごもっていることの象徴という説を裏付けている。で、誰がこの絵を依頼したのか疑問が湧いてくる。(HP参考)
そして、指輪は結婚を暗示しているのか。
ちなみにこのときのアンリ4世の正妻は、マルグリット・ド・ヴァロワ(通称、マルゴ王妃)。2人の関係は冷め切り、さらに、子供がなかった為、1599年に離婚する。ところが、同年に、この寵妃ガブリエル・デストレも突然、4人目を身ごもったまま、26歳の若さで他界する。暗殺?? そして、前述したように、アンリ4世は、翌年の1600年に、これまた愛のない、マリー・ド・メディシスと政略結婚し、さらに、10年後に暗殺される。(うーん、さすが、フランス。) -
24.The cheat with the Ace of Diamonds About 1635-1638
Georges de Latour 1593-1652
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
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ダイヤのエースを持ついかさま師
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが昼の光を描いた唯一の作品である《いかさま師》は、カラヴァッジョ以降頻繁に取り上げられた主題を表わしている。ここでは、若い男性が、17世紀の道徳における主要な3つの誘惑、すなわち賭博、ワイン、邪淫に身を委ねている。(HPより)『いかさま師』は全く同構図の絵がルーヴル美術館とキンベル美術館(アメリカ、フォートワース)にあり、もう片方の絵は、札がダイヤではなくクラブとなっている。ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour, 1593年3月19日 - 1652年1月30日)は、現フランス領のロレーヌ地方で17世紀前半に活動し、キアロスクーロを用いた「夜の画家」と呼ばれる。ラ・トゥールは生前にはフランス王ルイ13世の「国王付画家」の称号を得るなど、寵愛を受け工房を設けるほど著名な画家であったが、次第に忘却され、1915年に再発見されるまで実に300年以上も歴史の闇に隠れていた。今では、ウジェーヌ・ドラクロワ、ニコラス・プッサンと並んでフランス人に最も愛される画家の一人である。残された作品は少なく、生涯についてもあまり詳しいことはわかっていない。作風は明暗の対比を強調する点にカラヴァッジョの影響がうかがえるが、単純化・平面化された構図や画面にただよう静寂で神秘的な雰囲気はラ・トゥール独自のものである。(抜粋)
いかさまに引っかかろうとしている右手の少し世間知らずっぽい、いいとこのぼっちゃん。カードに集中しすぎ。騙そうしている左手の男の、いたずらっぽく、こちらを見ている視線。奥では給仕の女性がそれとなく、娼婦に目配せして、いかさまを教えている(もしくは3人はグルか)。その為、渡そうとしているワインと受け取ろうと差し出した右手があっていない。視線で会話をしている。
https://www.wikiwand.com/en/The_Card_Sharp_with_the_Ace_of_Diamonds -
25.Saint Joseph the Charpenter 1642
Georges de Latour 1593-1652
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
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「大工の聖ヨセフ」
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵をもう一枚。ラトゥールはロレーヌ公国(現在のルクセンブルク付近)のリュネヴィルという町で暮らし活動してたが、そこは、今でいう、大国、フランスとドイツの国境。歴史的に常に戦争があった場所で、彼の絵は戦火でほとんどが燃えてしまったと言われています。
この絵の主題は、この地で、盛んだった聖ヨゼフ信仰に由るもので、大工である養父のヨゼフが夜の暗い静けさの中で黙々と作業している、その手元を蝋燭で照らしている子供のキリスト。キリストはマリアから産まれたが、神の子なので、ヨゼフは父親ではなく養父になる。蝋燭の光でキリストの左手が透けているところなど、光の効果、陰影の表現が素晴らしい。さらに、ヨゼフが作っているのは、後にキリストが磔刑になる十字架という。
https://www.wikiwand.com/en/Joseph_the_Carpenter -
26.Pilgrimage to the Isle of Cythera 1717
Jean-Antoine Watteau 1684-1721
アントワーヌ・ヴァトー
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「シテール島への巡礼」
風俗画の一種で、「雅宴画(がえんが)」(フェート・ギャラント)と呼ばれるもので、この絵を描いたヴァトーが確立、創出したもの。美しく装った男女が理想化された戸外で演奏したり語り合ったりしている情景を描いたもので、フランスのロココ絵画を代表する分野としてとても流行した。中でもこの「シテール島への巡礼」が代表作としてよく知られている。
ギリシアの群島の中に位置するシテール島は、古代において愛の女神アフロディーテが生まれた可能性のある場所の一つと見なされており、アフロディーテと愛に捧げられた聖地となった。伴侶を求める独身者が良い伴侶と巡り会うことを願い、この島に巡礼する様子が描かれている。17世紀のオペラや、ダンクールが1700年に創作した喜劇『三人の従姉妹』に想を得たと考えられているこの絵は、愛の島を目指す一組の恋人たちの愛の道程を(右から左へ)描いている。一組の恋人たちが座って仲睦まじく会話を交わしている傍らで、キューピッドと矢が描かれている。その隣で、別の一組が男性が女性を誘うように引っ張って立ち上がらせているところ。三組目の恋人たちは、向こう岸に渡る小舟に向かって歩いているところではあるが、若い女性が後ろを振り返り、名残惜しそうに幸せの地を眺めている。背景には、見事な小舟に乗り込むカップルが描かれており、その上をアモルが舞っている。(HPから引用)
https://www.wikiart.org/en/antoine-watteau/the-embarkation-for-cythera-1717 -
27.Pierrot, formerly known as Gilles about 1718-1719
Jean-Antoine Watteau 1684-1721
アントワーヌ・ヴァトー
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「ピエロ(ジル)」
ヴァトーの有名な絵をもう一枚。何故、滑稽なだぶだぶの服をきたピエロがそんなに悲しい、寂しい顔をしているの?と疑問が湧く絵。この絵は、かつて《ジル》と呼ばれていたが、今日はより主題に近い《ピエロ》の方が好まれている。さらに、その主題は明確には定義されておらず、
画面の人物は元役者でコメディアンのべローニというギリシャ人。舞台から退いた彼は、パリの下町にカフェを開店したが、この作品はその店の看板絵として描かれたとされているが、一方で、このピエロはヴァトーが自身の姿を投影したともいわれている。というのも、ヴァトーは、この絵を描いた数年後の1721年に結核と思われる病の為に亡くなっている。彼は亡くなる以前から胸を病んでいることを自覚し死を悟っていたと思われる。ちょうどそんな時期に描かれた絵であり、このピエロにまもなく人生の幕を下ろす自身を投影したとも考えられている。(HPより)
https://www.wikiart.org/en/antoine-watteau/gilles -
28.Diana at her Bath About 1715-1716
Jean-Antoine Watteau 1684-1721
アントワーヌ・ヴァトー
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「水浴のディアーナ」
ヴァトーの作品をさらに、もうひとつ。「水浴のディアーナ」 。だが、ルーブルでは、次のフランソワ・ブーシェの絵の方が有名。これらの絵は、神話の題材を口実に女性の裸体を賛美したもの。いつの時代も女性の裸体は好まれる、ということ。
ディアーナ(ラテン語:Diāna)
あるいはディーアーナ(Dīāna)は、ローマ神話に登場する、狩猟、貞節と月の女神。新月の銀の弓を手にする処女の姿が特徴。日本語では長母音記号を省略してディアナとも呼ぶ。英語読みダイアナ(Diana)でも知られる。ギリシア神話ではアルテミス(Artemis)に相当する。ゼウスとレトの子供で、アポロンと双子の兄弟。
ギリシャ神話では、愛していたポセイドンの息子オリオンを、アポロンの策略で誤って矢で殺してしまう。ゼウスは嘆き悲しむ彼女の為に彼を空に上げて星座(オリオン座)にし、今でも、冬になると、月(アルテミス)が会いにオリオン座を通過する。
一方で、オリオンは女神ヘラの放ったサソリの毒で命を落としたという神話もあり、今でもサソリ(座)が東から登ってくるとそそくさとオリオン(座)は西の空に隠れてしまいます。
https://www.wikiart.org/en/antoine-watteau/diana-at-her-bath-1716 -
29.Diana Leaving her Bath 1742
Francois Boucher 1703-1770
フランソワ・ブーシェ
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「水浴のディアーナ」
厳密には水浴び中ではなく、水浴びから上がった後に、狩り中に足の爪先か何かが傷んで気にしており、侍女がそれを見ている様子。ディアーナの裸体に光があたり、白みを帯びており、官能美を増している。周りの森の緑や布の青がさらにそれを際立たせている。比較するとやはり、こちらの絵の方が色っぽくていいかな?
https://www.wikiart.org/en/francois-boucher/diana-getting-out-of-her-bath-1742 -
30.Susanna Bathing 1704
Jean-Baptiste Santerre 1651-1717
ジャン=バプティスト・サンテール
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入浴の題材でもうひとつ有名なのが、これ、「スザンヌの入浴」。
スザンナと長老の物語は、旧約聖書のダニエル書に入っている短編の一つ。
ある日、ヘブライ人の美しい女性スザンナは人払いをして庭で水浴していました。しかし、二人の好色な長老がそれをのぞき見しており、そればかりではなく、スザンナが帰宅しようとした時に眼前に立ちはだかり、自分たちとの関係を強要、拒否すれば、恋人と密会、ようは不倫していたと、姦通罪で告発すると脅迫する。彼女はそれに屈することなく拒否したので、その偽の罪で逮捕されてしまう。まさに死刑にされようとしていた時に異議を唱えられ、長老らにスザンナと男が密会した詳細を訪ねると、二人の話は一致せず、逢引きした木が、一人は乳香樹、一人はカシの木と主張した。これにより嘘がばれ、逆に、長老らが処刑されることになりました。好色と嘘、偽りが罰せられ、貞淑、美徳が勝利する、この聖書の話は好まれる題材となりました(女性の裸も描けるし。)
この絵の壁の後ろの暗がりによーく見ると、すけべなおっさん(長老)がおり、覗いている。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/15/Suzanne_au_bain_%28Jean-Baptiste_Santerre%29.jpg?1581842896853 -
31.The Bolt. (Pendant to the painting The Adoration of the Shepherds,1769)
Jean=Honore Fragonard 1732-1806
ジャン=オノレ・フラゴナール
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「かんぬき」 1774年頃
見ていて謎が残る作品。そもそも、横にある題名のプレートは、「The Bolt. Pendant to the painting The Adoration of the Shepherds」とあり、「かんぬき、「羊飼いの礼拝」と対になる作品」とある。同作者によるその作品は、同じくルーブルにある。ただ、その題材は、極めてありふれたもので、キリストが誕生して羊飼いが初めて礼拝した場面である。それと、セットになっているのが、この作品だ。
一見、女性が男性に抱きすくめられ、男性の情熱に対して弱々しく抵抗しているも、腕ずくであわやという状況に陥っており、今、まさに、男性がかんぬきを掛けて逃げられないしようとしている。かんぬきは、男性性の象徴であり、かんぬきをかけることは、性の開放を表す。しかし、別の見方もできる。すでに、ベッドは乱れているのだから、情事が終わり、帰ろうとする男性をまだ行かないでと引き留めている場面にも見える。いずれにしても、意味深にテーブルに上に置かれたひとつのリンゴが、アダムとイヴの人の原罪を連想させ、人の贖罪の為に生まれたキリストの「羊飼いの礼拝」の宗教的な作品と「かんぬき」の情熱的、官能的作品を組み合わせている。いい絵ほど、そこに込められたメッセージはいろいろと多義であるいい例。
フラゴナールは、ブーシェの弟子であり、後期ロココの代表画家。1760年代半ばには、ロココは新古典主義に押され、この作品が描かれたときは、すでに時代遅れになりつつあった。さらに、追い打ちをかけるように、1792年、ルイ16世がフランス革命により王権を失い、立憲君主制となり、翌年、妻のマリーアントワネットとともに処刑。革命後、ロココは表層的で享楽的かつ退廃的であるとの理由でゴミ同然の扱いを受ける。1806年、フラゴナールは失意と貧困のうちに74歳で死亡する。
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ちなみに、フラゴナールの別の絵「ぶらんこ」はロココ様式の代表作として紹介されますが、ディズニー映画「アナと雪の女王」の中で、戴冠式の前にいろんな人に会えると、快活なアナが城に掛かったブランコを乗るシーンのオマージュとされています。その前のシーンで一人で寂しく「雪だるまつくろう」を唄いながら、城内を自転車で走り、階下の大広間に行きますが、その大広間の大きい扉の横に、この「ぶらんこ」が壁に掛かっています。「壁の絵とおしゃべりしちゃう~♪」
https://www.wikiart.org/en/jean-honore-fragonard/the-bolt -
32.The Broken Pithcer. 1771
Jean-Baptiste Greuze 1725-1805
ジャン=バティスト・グルーズ
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「壊れた甕(かめ)」
失われた純潔の寓意。無邪気な目を大きく見開き、紫色のリボンと花を頭に挿した、子供っぽい無垢な少女が佇み、ドレスの中で散った花を両手で押さえている。ひび割れた甕が、少女の左腕に掛けられている。フィシュ(三角形の婦人用スカーフ)は乱れて、少女のふくよかな喉下が垣間見え、ドレスの身ごろに付けられた一輪のバラの花弁はむしられ、白サテンの美しいドレスはやや無造作に身に付けられている。少々悔しそうな雰囲気を見せているにもかかわらず、モデルは、穢れのない無邪気さと挑発との間で揺れ動いている。グルーズは、おそらく画家自身の妻とも考えられているこの見事な人物像の、肌の透明感や滑らかさ、それに偽りの純情も見抜いて、巧みに表現している。背景には古代風の噴水が認められる。
この絵画は、最初に新古典主義を普及させるのに重要な役割を果たした、デュ・バリー伯爵夫人が蒐集していた作品の質の高さを示す好例である。おそらく作品は、ルイ15世の寵妃であった夫人からの正式な注文、あるいは少なくとも夫人が直接購入したものと思われる。この絵は、ルイ15世が逝去した年である1774年までヴェルサイユに所蔵され、夫人が所有していた5点の作品のうち、1777年の夫人のコレクションの競売の後、唯一残ったグルーズの作品である。1794年のルーヴシエンヌ城の目録の中に、その前年に斬首刑に処せられた伯爵夫人の財産として、この絵が記録されており、その後作品は国のコレクションに収蔵されることになる。
(HPより)
https://www.wikiart.org/en/jean-baptiste-greuze/the-broken-pitcher-1771 -
33.Project for the Transformation of the Grande Galerie of the Louvre. 1796
Hubert Robert 1733-1808
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ルーブル美術館のグランドギャラリーの昔の様子。今ではここに、ダヴィンチやラファエロなどのイタリアルネッサンスの絵画がところ狭しに飾られています。
ちなみに廃墟と化していた頃のグランドギャラリーの同画家の別の絵画もあります。
https://www.wikiart.org/en/hubert-robert/projet-d-am-nagement-de-la-grande-galerie-du-louvre-1796
https://www.wikiart.org/en/hubert-robert/imaginary-view-of-the-grand-gallery-of-the-louvre-in-ruins-1796 -
ちなみに現代のグランドギャラリー様子。
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34.Half-Length Portrait of a Girl. about 1800
Pierre-Narcisse Guérin 1774-1833
ピエール=ナルシス・ゲラン
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強い印象を残す。女性の内面、性格までも伺える表情。なにせ、ショートカットのモデルが珍しい。
https://www.wikiart.org/en/pierre-narcisse-guerin/portrait-of-a-young-girl-1812 -
35.Le Serment des Horaces.1784 Salons de 1785 et de 1791
Louis DAVID 1748-1825
ジャック=ルイ・ダヴィッド
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「ホラティウス兄弟の誓い」
新古典主義のダヴィッド。この絵は、次のナポレオンの戴冠式とともに新古典主義の象徴的で重要な位置づけの絵。ロココとはうってかわって男性的。
主題は古代ローマの伝承をもとに17世紀の劇詩人コルネイユが劇化した悲劇の一場面から採られており、前7世紀、ローマとアルバの両国は終わらない争いに決着をつけるため、それぞれ国から代表を選んで闘わせることを決めた。ローマから選ばれたホラティウス家の3兄弟は、ローマの命運を託され、勇敢に使命を果たすことを父親の前で誓う。後ろですすり泣く女性たちの姿が、ドラマチックに場面を盛り上げる。
https://www.wikiart.org/en/jacques-louis-david/the-oath-of-horatii-1784 -
36.Madame Recamier nee Julie, dite Juliette, Bernard(1777-1849) 1800
Louis DAVID 1748-1825
ジャック=ルイ・ダヴィッド
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「レカミエ夫人」
「新古典主義のヴィーナス」とも呼ばれる未完の作品。この独特のポーズは、アングルの「グラン・オダリスク」にも影響を与えたとされる。
この絵を描いた4年後、ダヴイッドは皇帝の首席画家となった。これはレカミエ夫人の希望でダヴィッドが描いたものだが、途中二人の意見が合わず、レカミエ夫人が、この作品以外にダヴィッドの弟子ジェラール(次のナポレオンの絵で有名)にもう1点肖像画を依頼したことから、ダヴィッドは制作を中断してしまった。左のランプは弟子のアングルが描き加えたもの。(Webより)
https://www.wikiart.org/en/jacques-louis-david/madame-recamier-1800 -
37.Francois Gerard, known as Baron Gerard, 1770-1837
Emperor Napoleon I (reigned 1804-1814/1815) in Coronation Robes, 1805
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フランスと言えばナポレオン。
どこにでもよく見る有名な絵。
ロココ様式では華やかで軽すぎ、ブルボン王朝のイメージとの結びつきも強かったのが、フランス革命がおこり、立憲民主政治が始まり、華やかさを嫌うように(ポンペイなどの古代遺跡が発見されたこともある)。さらに、ナポレオンは、(ギリシャやローマ時代からの)自分が歴史的に正当な権力者(皇帝)であるかように印象つける為、新古典主義を利用したともいえる。
フランソワ・ジェラール(François Pascal Simon, Baron Gérard,1770年5月4日 ? 1837年1月11日)は、フランスの新古典主義の画家。生涯
ジェラールは1770年ローマにて、ローマ教皇庁駐在フランス大使ベルニ枢機卿の執事をしていた父、J・S・ジェラルドのもとに生まれ、幼少期をローマで過ごした。1782年12歳の時にフランスへ帰国、程なくして彫刻家のオーガスティン・パジューに、次いで画家のギイ=ニコル・ブルネに師事する。1785年にサロンへ出品されたジャック=ルイ・ダヴィッドの『ホラティウス兄弟の誓い』(2つ前の絵)を見て熱狂し、翌1786年には同氏のアトリエに入門した。1789年にローマ賞に応募し、ダヴィッドの弟子のアンヌ=ルイ・ジロデ=トリオソンに次いで2位となった。
1800年以降ナポレオン・ボナパルトの肖像画注文を決定打にジェラールは画家として確固たる地位を築いた。彼は帝政崩壊後もその地位を脅かされることなく諸外国の君主らからの注文を受け続けた。
1806年にレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した。1811年にパリのエコール・デ・ボザールの教授に任じられた。ジェラールの弟子にはポーラン・ゲランやシャルル・ド・スチューベンらがいた。1837年パリにて死去する。(Wikiより)
https://www.wikiart.org/en/francois-gerard/lempereur-napoleon-ier-en-costume-de-sacre-1805 -
38.Sacre de l'empereur Napoleon Ier et couronnement de l7imperatrice Josephine dans las cathedrale Norte-Dame de paris, le 2 decembre 1804, 1806-1807 salon de 1808
Louis DAVID 1748-1825
ジャック=ルイ・ダヴィッド
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「皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式」
ウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」(写真撮り忘れた!!)とともにフランスを象徴する絵の一つでもあり、ジャック=ルイ・ダヴィッドの傑作のひとつ。629×926cmという巨大な絵です。ちなみに画家本人による複製が、ベルサイユ宮殿にも飾られている。
場面は、1804年12月02日に、パリのノートルダム大聖堂(2019年に火災)で執り行われたフランス皇帝ナポレオン一世とその妃である皇后ジョゼフィーヌの戴冠式。
画面の中央で、皇帝ナポレオンが今まさに皇妃ジョセフィーヌに戴冠させようとしています。本来ならば、右に座っている教皇ピウス7世(1742?1823)がすべきことですが。これにより、跪いて頭を垂れるジョセフィーヌを前に、中央に立って冠を捧げ持つナポレオンの姿が、より権威のある尊大な人物として表現されている。
ちなみに、ジョセフィーヌはこの時41歳。見た目がすごく若く描かれている。ナポレオンが掲げた冠の左手、観覧席にナポレオンの母、マリア・レティツィア・ボナパルト(1750?1836)が描かれているが、実際には、式典を欠席していた。画家本人も奥の方に描かれている。実際の出来事ではあるが、この絵画は場面の真実を伝えていない。政治に利用されている。
https://www.wikiart.org/en/jacques-louis-david/the-consecration-of-the-emperor-napoleon-and-the-coronation-of-the-empress-josephine-by-pope-1807 -
39.The Bather, known as the The Bather of Valpinçon. 1808
Jean-Auguste-Dominique Ingres 1780-1867
ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル
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「バルパンソンの浴女」
新古典主義の画家アングルの『グランド・オダリスク』と並ぶ裸体画の傑作。トルコ風呂が集大成であるなら、これは、最初の裸体画の大作。モスグリーンのカーテン、白いシーツに囲まれたシンプルな構成の中で、清らかな官能性、背中の曲線美が際立っている。
後で紹介する「トルコ風呂」の楽器をもっていた女性の元モチーフでもある。しかし、この絵が描かれたのは1808年、トルコ風呂(1852-1859年, 1862年に再修正)から50年程度前。生涯に渡って彼が探求していた美はこの頃には、すでに完成していた。
ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル
19世紀前半、当時台頭してきたドラクロワらのロマン主義絵画に対抗し、ダヴィッドから新古典主義を継承、特にダヴィッドがナポレオンの没落後の1816年にブリュッセルに亡命した後、注目され、古典主義的な絵画の牙城を守った。
https://www.wikiart.org/en/jean-auguste-dominique-ingres/the-bather-of-valpin%C3%A7on -
40.Une odalisque, dite La Grande Odalisque.1814 salon de 1819
Jean-Auguste-Dominique INGRES 1780-1867
ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル
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「グランド・オダリスク」
オダリスク(Odalisque)は、オスマン帝国においてスルターンなどイスラームの君主のハレムで奉仕する女奴隷。18世紀から19世紀にかけてヨーロッパでオリエンタリズムが流行するにつれ、絵画の題材として好まれた。しかしながら、「オダリスク」といえばこちらの絵が思い浮かぶほど、「オダリスク」の代名詞ともいえる作品。
この絵は、ナポレオン1世の妹でナポリ王妃のカロリーヌ・ボナパルトによって製作依頼されたもの。そのためか、露出は抑えられている。アングルは、ジョルジョーネの『眠れるヴィーナス』(アルテ・マイスター絵画館、ドレスデン)やティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』(ウフィツィ美術館、フィレンツェ)のような作品をもとに横たわる裸の人物像を着想したが、横たわって肩ごしにふり返っている人物の実際のポーズは、1800年のジャック=ルイ・ダヴィッドの『マダム・レカミエの肖像』(Portrait of Madame Récamier、4つ前の絵)をもとに描かれたと言われている。(Wikiより)
発表された当時、広く批判されました。というのも、解剖学的事実を無視し、構図を安定させる為に、脊椎を3つほど多く描き、背中を引き伸ばし、曲がった背中の曲線美を描きました。じっとみれば、さらに少し不自然に見えます。腕の長さも左右で異なり、また、臀部から太ももは、異常に太っています。一方で、周りのカーテンや小物などは、本物と見間違えるぐらい、精密に描かれています。アングルはアカデミスムの正統な継承者であり、新古典主義の指導者であるとみなされていますが、しかし、古典古代の様式をただ模倣した作家ではなく、一見、古典的な理想美を描いているようで、実は自分が理想とする形へとデフォルメしているのです。ルネッサンスの後期にあったマニエリスム様式のように。伝統的な画法にとらわれない独自の美意識を画面に描き出した画家であり、この作品はアングル独自の美意識の真骨頂ともいえます。(ここでトルコ風呂を再度みると、解剖学的事実を無視した不自然な体型をした女性を見つけることができます。右側で、この絵に官能的な要素を増している乳房を揉まれている女性です。へその位置がどうもおかしくあみえませんか?)
https://www.wikiart.org/en/jean-auguste-dominique-ingres/the-grande-odalisque-1814
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41.The Turkish Bath 1852-1859, modified in 1862
Jean-Auguste-Dominique Ingres 1780-1867
ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル
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「トルコ風呂」
アングルの作品を3つ続けますが、これは晩年の作品。裸婦のモティーフとオリエントのテーマを結びつけたハーレムの場面を描くことで、最も官能的な作品を生み出した。彼の絵画の探求の到達点であると同時に、1807年からトルコの浴女というテーマで制作された素描と絵画の集大成であると言える。実際にモデルを使って描かれた裸婦は一人もおらず、以前制作した絵画の中の人物像を再び用いており、とりわけ次に紹介する「ヴァルパンソンの浴女」で描かれた後ろ向きの女性が、ここでは前景で楽器を持っている。
(HPより)
https://www.wikiart.org/en/jean-auguste-dominique-ingres/the-turkish-bath-1863 -
絵画は流れは、フランスを中心に起こり、ロココ、新古典、ロマン主義、そして、写実主義、印象派と流れていく。ロマン主義のドラクロワを紹介しようにも写真がないのでパス。
写真は、撮ったものの。出元不明、おそらく、バルトロメ・エステバン・ムリーリョだと思うけど。この画家の女性(マリア)の表情がかわいい。 -
42.L'Arbre aux corbeaux (cote de la mer Baltique) Vers,1822
Tree of crows (coast of the Baltic Sea)
Caspar David Friedrich 1774-1840
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ
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「カラスがいる木」
ドイツのロマン主義絵画を代表する。宗教的含意をふくむ風景画によって知られ、彼の作風、絵のモチーフ、絵から受ける印象は、荒涼した風景、廃墟、静寂、冷酷、宗教的崇高さ。観るものに自然への畏怖の念を抱かせる。
作品中に人が描かれるときは、その人も作品に描かれた風景を鑑賞者と共に見つめるため、小さく背後からしか描かれない。
こうした絵を描くようになったのは、彼自身の生い立ちによるものなのか、兄弟、身内を多く亡くしている。特に一歳年下の弟は、スケート遊びをしていた時に氷が割れ溺れた彼を助けようとし、逆に溺死した。自責の念からくるものなのか。彼の作品は、主に、ドイツのミュンヘン、ドレスデン、ベルリン、ベルリンなど主要な美術館で見ることができる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Caspar_David_Friedrich_The_Tree_of_Crows.jpg
https://www.wikiart.org/en/caspar-david-friedrich/not-detected-7
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