2018/02/11 - 2018/02/11
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美術館シリーズ③
ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)
ミュンヘンにある、18世紀半ばから20世紀の作品約5千点を収集しており、特にドイツ・ロマン派やナザレ派などのドイツ近代絵画、さらにモネ、セザンヌ、ルノワール、ゴーギャンなど印象派の作品が充実している。広場を挟んで反対側にアルテ・ピナコテーク(古絵画館)があり、このノイエ・ピナコテークは文字どおり「新絵画館」である。アルテ・ピナコテーク開館から十数年後の1853年、その当時の現代絵画を収蔵するため、バイエルン国王ルートヴィヒ1世によって設立された。
表紙は説明するまでもなく、ファン・ゴッホのひまわり。
1.フランシスコ・デ・ゴヤ
2.ジャック=ルイ・ダビッド
3.トマス・ゲインズバラ「トマス・ヘバート夫人」
4.ヨハン・フリードリヒ・オーファーベック「イタリアとゲルマニア」
5.フランツ・カール・レオポルト・フォン・クレンツェ
6.ヨーゼフ・カール・シュティーラー 「ルートヴィヒ1世 (バイエルン王)」
7.カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ「夏、カップルがいる風景」
8.カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ「霧のリーゼンゲビルゲ山地」
9.ウジェーヌ・ドラクロワ
10,ウジェーヌ・ドラクロワ『オリンドとソフロニアを救出するクロリンダ』
11.ウジェーヌ・ドラクロワ『オフィーリアの死』
12.ジャン=フランソワ・ミレー『接ぎ木をする農夫』
13.カール・シュピッツヴェーク 「貧しき詩人」
14.フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー 「期待」
15.フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー 「窓辺の若い農婦とその子供」
16.ガブリエル・フォン・マックス「法悦のカタリーナ・エメリッヒ」
17.ガブリエル・フォン・マックス「解剖学者」
18.ガブリエル・フォン・マックス『美術鑑定家としての猿たち』
19.ハンス・フォン・マレー (もしくはハンス・フォン・マレース) 「マレースとレンバッハの肖像画」
20.アルノルト・ベックリン『波間のたわむれ』
21.アドルフ・フォン・メンツェル
22.フリッツ・フォン・ウーデ「ベツレヘムへの道行き」
23.マックス・リーバーマン「砂丘で山羊を引く女」
24.マックス・リーバーマン「少年たちの海水浴」
25.マックス・リーバーマン「ミュンヘンのビアガーデン」
26.クロード・モネ「アルジャントゥイユの橋」
27.クロード・モネ「睡蓮」
28.ピエール=オーギュスト・ルノワール
29.ピエール=オーギュスト・ルノワール
30.エドゥアール・マネ「アトリエ舟の中のモネ 」
31.エドゥアール・マネ「昼食会」
32.ポール・セザンヌ
33.フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」(12輪のひまわり)
34.フィンセント・ファン・ゴッホ「オーヴェル近くの平野」
35.フィンセント・ファン・ゴッホ「アルルの見える花咲く果樹園」
36.フィンセント・ファン・ゴッホ「開いた窓の近くの機織る人」
37.ポール・ゴーギャン「神の子の誕生」(テ・タマリ・ノ・アトゥア)
38.ウォルター・クレイン「ネプチューンの馬」
39.ジョヴァンニ・セガンティーニ
40.グスタフ・クリムト「マルガレーテ・ストンボロー=ヴィトゲンシュタインの肖像」
41.フランツ・フォン・シュトゥック「罪」
42.フェルナン・クノップフ「私は私自身に対してドアを閉ざす」
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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これが美術館の見取り図。順路は中央下(Kasseチケット売り場)から上に反時計まわりに左側の部分を回ったあと、クロスし、今度は、右側の時計回りに回り、再び、中央に戻る。印象派だけに興味がある人は、後半部分だけでも構わない。
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1.Plucked Turkey | c.1808/12
Francisco Jose Goya Lucientes 1746-1828
フランシスコ・デ・ゴヤ
(フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス)
-----------------------
ディエゴ・ベラスケスとともにスペイン最大の画家、ロマン主義。ベラスケス同様、宮廷画家として重きをなした。1786年、40歳で国王カルロス3世付き画家となり、1789年には新王カルロス4世の宮廷画家となる。40歳代にさしかかって、ようやくスペイン最高の画家としての地位を得たゴヤは、1792年、不治の病に侵され聴力を失う。今日ゴヤの代表作として知られる『カルロス4世の家族』、『着衣のマハ』、『裸のマハ』、『マドリード、1808年5月3日』、『巨人』などはいずれも、ゴヤが聴力を失って以後の後半生に描かれたものである。1807年、ナポレオン率いるフランス軍がスペインへ侵攻し、翌1808年にはナポレオンの兄ジョゼフをホセ1世としてスペイン王位につけた。事実上、ナポレオン軍の支配下に置かれたスペインは、1808年から1814年にかけてスペイン独立戦争のさなかにあった。(wikiより) この作品はその当時のもの。
https://www.wikiart.org/en/francisco-goya/still-life-plucked-turkey-and-pan-with-fish-1812 -
2.Anne-Marie-Louise Thelusson, Comtesse de Sorcy | 1790
Jacques-Louis David (1748-1825)
ジャック=ルイ・ダビッド
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新古典主義。フランス革命初期のもので亡命前。
服装がどこか昔のローマやギリシャの服装を思い起すように簡素。
https://www.wikiart.org/en/jacques-louis-david/portrait-of-anne-marie-louise-th%C3%A9lusson-countess-of-sorcy-1790 -
3.Mrs. Thomas Hibbert | 1786
Thomas Gainsborough (1727-1788)
トマス・ゲインズバラ
-----------------------
「トマス・ヘバート夫人」(1786)
トマス・ゲインズバラは18世紀のイギリスの画家。ロココ美術。
ゲインズバラは今日でこそ優れた肖像画家として知られ、生涯に700点以上の肖像画を残しているが、故郷サフォークの風景や自然をこよなく愛した彼が真に描きたかったのは風景であり、「肖像画は金のために、風景画は楽しみのために描く」と言っていたと伝えられる。事実、彼の代表作である『アンドルーズ夫妻像』では、モデルの夫妻の姿は画面の向かって左端に追いやられ、キャンバスの右半分は、アンドルーズ夫妻の領地である田園風景の描写に費やされている。
風景画家としてのゲインズバラは後のコンスタブルなどに多大な影響を与えている。しかし、ゲインズバラ自身が「金のために」いやいやながら描いていたと言う肖像画のなかにも多くの傑作があるのは事実である。特に、代表作の『グレアム夫人像』にみられる流麗なタッチ、若き貴婦人の侵しがたい気品と威厳を描きつくした表現力は、他の追随を許さないものである。
晩年にはフィリップ・ジェイムズ・ド・ラウザーバーグが作成したミニチュア機械劇場エイドフュージコンに刺激され多くのガラス絵を描いた。(wikiより)
こちらはロココ。フランス革命直前。服装が華やか。
https://www.wikiart.org/en/thomas-gainsborough/mrs-thomas-hibbert -
4.Italia and Germania |1828
Friedrich Overbeck 1789-1869
ヨハン・フリードリヒ・オーファーベック
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「イタリアとゲルマニア」(1828)
ヨハン・フリードリヒ・オーヴァーベック は、ドイツのナザレ派の画家。
ラファエロを思い起される。
https://www.wikiwand.com/en/Italia_und_Germania -
5.Idealized View of the Acropolis and the Areopagus in Athens |1846
Franz Karl Leopold von Klenze 1784-1864
フランツ・カール・レオポルト・フォン・クレンツェ
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フォン・クレンツェは、ドイツの新古典主義の建築家、画家、著作家。バイエルン王ルートヴィヒ1世の宮廷建築家であり、グリーク・リバイバル様式の代表的建築家である。
ベルリンとパリで建築を学んだ。1808年から1813年まで、ヴェストファーレン王国のジェローム・ボナパルトの宮廷建築家を務めた。その後バイエルンに移り、1816年からルートヴィヒ1世の宮廷建築家を務めた。ルートヴィヒ1世はヘレニズムに傾倒していたため、フォン・クレンツェの建築スタイルもそれに影響されている。ミュンヘンに新古典主義の建築物を多数建てており、例えばルーメスハレ(栄誉の殿堂)やイギリス庭園のモノプテロスがある。ケーニヒス広場に多数の新古典主義の建築物を設計したことでも知られている。レーゲンスブルク近郊には、北欧神話のヴァルハラの名を冠したヴァルハラ神殿を建設した。
ギリシャが独立を勝ち取ったとき、ルートヴィヒ1世の息子オソン1世が初代国王となった。彼はアテネに招かれ、アテネを古代ギリシア風に再建する都市計画案を作成した。ロシア皇帝ニコライ1世はエルミタージュ美術館(新エルミタージュ)の設計を彼に委任した。ミュンヘンでも美術館を設計しており、グリュプトテークやアルテ・ピナコテークがある。
彼は建築家としてだけでなく、画家や起草者としても有名だった。その絵には古代の建物が描かれていることが多く、自身の建築プロジェクトのモデルとして利用していた。イタリアとギリシャに旅行した際に古代の建築を研究し、アテネでは発掘作業にも参加し、アクロポリスの復元も提案している。
彼は同時代のドイツ人画家の作品を収集していた。1841年、58枚の風景画や風俗画を含むコレクションをルートヴィヒ1世に売却している。これらの絵画がノイエ・ピナコテークのコレクションの中核をなしている。
(wikiより)
このアルテ・ピナコテークを設計、建築した人である。
https://www.wikiwand.com/de/Areopag -
Idealized View of the Acropolis and the Areopagus in Athens |1846
Franz Karl Leopold von Klenze 1784-1864
フランツ・カール・レオポルト・フォン・クレンツェ
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一応、想像で描かれたアテネのアクロポリスの神殿。巨大なアテナ像は近世まで残ってて欲しかった。手前には、アレオパゴスで、アテネの使徒パウロの説教を聞いている群衆が描かれている。
「アレイオス・パゴス」(希: Άρειος Πάγος)、あるいはその訛りである「アレオパゴス」(羅: Areopagus)とは、アテナイのアクロポリス西北面の中腹にある小高い丘である「アレス神の丘(大岩)」のこと。ここに貴族たちの会議所(評議所)が置かれたため、(ちょうど「アカデメイア」や「リュケイオン」などと同じく)「アレイオス・パゴス」(アレオパゴス)はこの場所を指すと同時に、その機構を意味する語ともなった。(wikiより) -
ちなみに現代の様子。アレオパゴスの丘からみたアクロポリス。(2018年11月)
ここからの眺めは周りを遮るものがなく、気持ちがいい。岩はつるつるすべるので、気を付けて。 -
6.King Ludwig I in Coronation Robes 1826
Joseph Stieler 1781-1858
ヨーゼフ・カール・シュティーラー
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ルートヴィヒ1世 (バイエルン王)
本名、ヨーゼフ・カール・シュティーラー(Joseph Karl Stieler)は、ドイツの画家。1820年から1855年にかけてバイエルン国王の宮廷画家を務めた。新古典主義的な肖像画、とりわけミュンヘン、ニンフェンブルク宮殿の美人画ギャラリー(Schönheitengalerie)によって知られている。
https://commons.wikimedia.org/wiki/Joseph_Karl_Stieler?uselang=de#/media/File:Ludwig_I_of_Bavaria.jpg -
ミュンヘンにあるニンフェンブルク宮殿(Schloss Nymphenburg)。
2018年8月の訪問した時のもの。 -
この宮殿の中に美人画ギャラリーと呼ばれる1室があり、女性の肖像画で壁一面が飾られている。バイエルン王国国王ルートヴィヒ1世は女ったらしで有名。
この写真の6枚のうちの左下が、ローラ・モンテス。 -
この肖像画は、ローラ・モンテス。この絵が描かれた翌年の1848年には、彼女との不貞の咎によりルートヴィヒ1世は王座を追われている。
エリザベス・ロザンナ・ギルバート(Elizabeth Rossanna Gilbert, 1821年2月17日 - 1861年1月17日)は、芸名のローラ・モンテス(Lola Montez)で知られたダンサー・俳優。彼女はバイエルン王ルートヴィヒ1世を始め、著名で資産家の男たちを渡り歩いた。ピアニスト、作曲家のフランツ・リストの愛人でもあった。アイルランド生まれとされるが、世界中の国を転々とし、最後はアメリカ、ニューヨークで肺炎で死亡。享年39歳。(wikiより) -
7.Summer(Landscape with Couple) 1807
Caspar David Friedrich 1774-1840
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ
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「夏、カップルがいる風景」の題名があるが、どこにカップル?
彼の作品にしては珍しく、まだ、明るめの作風。
https://www.wikiart.org/en/caspar-david-friedrich/the-summer -
Summer(Landscape with Couple) 1807
Caspar David Friedrich 1774-1840
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ
-------------------
すごく小さく描かれています。 -
8.Riesengebirge Landscape with Rising Fog |c.1819/20
Caspar David Friedrich 1774-1840
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ
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「霧のリーゼンゲビルゲ山地」
霧立つ様子を描いたもの、水墨画のよう。
現在のチェコとポーランドの国境にあるクルコノシェ山脈(Karkonosze)のあたり。
https://www.wikiart.org/en/caspar-david-friedrich/giant-mountains-landscape-with-rising-fog-1820 -
9.Two Farm Horses by a Barn |c.1825/27
Eugene Delacroix 1798-1863
ウジェーヌ・ドラクロワ
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※参照画像データなし -
10.Clorinda Rescues Olindo and Sofronia 1856
1798-1863
ウジェーヌ・ドラクロワ
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『オリンドとソフロニアを救出するクロリンダ』
主題は、『エルサレム解放』(原題 La Gerusalemme liberata)は、1581年に公刊された、イタリアの詩人トルクァート・タッソによる叙事詩からである。 第1回十字軍に舞台をおき、ゴドフロワ・ド・ブイヨン率いるキリスト教騎士たちが、エルサレム奪取のためにムスリムと闘う様子を書いている。
この場面は、エルサレムのキリスト教徒の娘ソフロニア(Sofronia)は、ムスリムの王によるキリスト教徒虐殺を防ごうと、無実ながら罪を自首する。恋人オリンド(Olinde)は彼女を助けようと自分こそが罪人であると訴え、2人はお互いを救おうとそれぞれに王に嘆願する。そこへ女戦士クロリンダ(Clorinda)が現れ、2人を救う。
※参照データなし -
11.The Death of Ophelia |1838
Eugene Delacroix 1798-1863
ウジェーヌ・ドラクロワ
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『オフィーリアの死』
オフィーリアはシェイクスピアの戯曲『ハムレット』の登場人物であり、この作品では彼女が父の死で悲しみ狂い、デンマークの川に溺れてしまうところ。
https://www.wikiart.org/en/eugene-delacroix/the-death-of-ophelia-1838 -
『オフィーリア』(Ophelia)
ただ、同じ題材では、ロンドンにあるテート・ブリテン美術館に所蔵されている、ジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais)の、1851年から1852年にかけて制作されたこの絵画の方が有名かもしれない。
https://www.wikiart.org/en/john-everett-millais/ophelia -
『オフィーリア』(Ophelia)
歌を口ずさみながら、沈みかけているオフィーリア。自然の風景や草花が写実的。本来ならばハムレットが展開するデンマークの川であるべきだが、ここではイングランドの情景であり、グレーター・ロンドンのサリー州内、トルワース付近のホグズミル川の川辺で描かれた。 -
12.Farmer Inserting a Graft on a Tree |1855
Jean-Francois Millet 1814-1875
ジャン=フランソワ・ミレー
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『接ぎ木をする農夫』
19世紀のフランスの画家。バルビゾン派の代表的画家の1人とされ、特に農民画で知られる。この絵は、1855年のサロン入選作。評価は悪くなかったが、買手がつかなかった。すると、友人テオドール・ルソーが、4000フランで購入を希望するアメリカ人を見つけたと言って、取引を仲介してくれた。実際には、博覧会で成功を収めたルソーが、友人の尊厳を慮って、アメリカ人の買手を装いながら、自らの資金でこの作品を購入したのであった。(wikiより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Jean-Fran%C3%A7ois_Millet_(II)_-_Farmer_Inserting_a_Graft_on_a_Tree_-_WGA15692.jpg -
パリ郊外のバルビゾンにあるミレーのアトリエ。(2018年10月訪問)
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ミレーのアトリエの一室。
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ミレーのアトリエ。
ミレーとゴッホの比較をまとめた冊子が置かれている。ゴッホはミレーの絵に感銘を受け、模写を行っている。比較してみると面白い。 -
13.The Poor Poet |1839
Carl Spitzweg 1808-1885
カール・シュピッツヴェーク
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「貧しき詩人」
カール・シュピッツヴェークは、ビーダーマイヤー時代を代表するドイツの画家。
部屋の中の傘がもの悲しい。ローテンブルグの屋根裏に住んだという本人を描いたものか。
https://www.wikiart.org/en/carl-spitzweg/the-poor-poet-1837 -
14.The Expected One |1860
Ferdinand Georg Waldmüller 1793-1865
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー
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「期待」
隠れて待ち伏せする少年と向こうから歩いてくる少女。ん、歩きスマホ?
少年が飛び出した瞬間に、少女は驚き、左側の崖に転がり落ちていく、なんて、次の場面を思い浮かべたりして。
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラーは、オーストリア帝国のビーダーマイヤー時代の画家(身の回りの小世界を描くロココ趣味的なウィーンの画家)。
https://www.wikiart.org/en/ferdinand-georg-waldm-ller/the-expected-woman -
14.The Expected One |1860
Ferdinand Georg Waldmüller 1793-1865
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー
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「期待」
あるきスマホの少女。危ないよ。 -
15.Young Peasant Woman with Three Children at the Window |1840
Ferdinand Georg Waldmüller 1793-1865
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー
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「窓辺の若い農婦とその子供」
同じ画家によるもうひとつの印象的な絵。窓の木の枠のだまし絵的な描写とこっちを指す指がすごく立体的に見える。赤ちゃんが可愛い。
https://www.wikiart.org/en/ferdinand-georg-waldm-ller/young-peasant-woman-with-three-children-at-the-window-1840 -
16.The Ecstatic Virgin Anna Katharina Emmerich |1885
Gabriel von Max 1840-1915
ガブリエル・フォン・マックス
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「法悦のカタリーナ・エメリッヒ」1885年
カタリーナ・エメリッヒ(1774~1824)は、北ドイツのヴェストファーレン地方生まれの聖アウグスチノ修道会の修道女で、神秘家。28歳のとき修道院に入り、法悦・恍悦状態になる、胸に十字架の印が現れる、両手足・頭部に聖痕が現れる、などの「奇跡」が評判になる。2004年、教皇ヨハネ・パウロ2世により列福。(Wikiより)
ガブリエル・フォン・マックス(Gabriel Cornelius Ritter von Max、1840年8月23日 - 1915年11月24日)はプラハ生まれの画家である。主にミュンヘンで活動した。
https://www.wikiart.org/en/gabriel-von-max/the-ecstatic-virgin-anna-katharina-emmerich-1885 -
17.The Anatomist |1869
Gabriel von Max 1840-1915
ガブリエル・フォン・マックス
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「解剖学者」1869年
少女の遺体を感慨深げに眺め、布を少しめくる。。。次に何が起こるのか?危ない想像をせざるおえない。
https://www.wikiart.org/en/gabriel-von-max/the-anatomist-1869 -
18.Monkeys as Judges of Art |1889
Gabriel von Max 1840-1915
ガブリエル・フォン・マックス
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『美術鑑定家としての猿たち』
さらに、もう一枚。マックスは、猿を飼っており、猿を多く描いた画家としても有名。猿があまりにもリアルで少し怖い。見ていて、ここに描かれている猿の知能は人間並みのような気がしてきて、、、喋りだしそう。「この絵、いまいちだね。」
https://www.wikiart.org/en/gabriel-von-max/monkeys-as-judges-of-art-1889 -
19.Double Portrait of Marees and Lenbach |1863
Hans von Marees 1837-1887
ハンス・フォン・マレー (もしくはハンス・フォン・マレース)
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「マレースとレンバッハの肖像画」
後ろのひと、ちょっと怖いんですけど。描いた本人マレースと思われる。
※参照データなし。 -
20.Playing in the Waves |1883
Arnold Böcklin 1827-1901
アルノルト・ベックリン
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『波間のたわむれ』(1883年)
アルノルト・ベックリンは、19世紀のスイス出身の象徴主義の画家。
19世紀末のヨーロッパの美術界はフランス印象派の全盛期であったが、戸外にキャンバスを持ち出し、外光の下で身近な風景を描き出した印象派の画家たちとは対照的に、文学、神話、聖書などを題材に、想像の世界を画面に表そうとする象徴主義の画家たちも同時代に活動していた。ベックリンはこうした象徴主義・世紀末芸術の代表的画家の1人である。(wikiより)
https://www.wikiart.org/en/arnold-bocklin/playing-in-the-waves-1883 -
21.Living-Room with the Artist's Sister 1847
Adolph Menzel 1815-1905
アドルフ・フォン・メンツェル
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https://www.wikiart.org/en/adolph-menzel/living-room-with-the-artist-s-sister-1847 -
22.The Hard Path (The Road to Bethlehem)|1890
Fritz von Uhde 1848-1911
フリッツ・フォン・ウーデ
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「ベツレヘムへの道行き」
一見、現代の田舎の農村で家路に向かう夫婦を捉えた朝霧の中の様子。
しかし、タイトルがあるおかげで、彼らが住民登録の為にベツレヘムに向かう聖母マリアとその夫である聖ヨセフであることが分かりえる。すでに、イエスを身ごもっている身重のマリアはヨーゼフに寄りかかりながら、ヨーゼフはそれを支えながら歩いている。現代の風景で宗教画を描いており、描かれた二人も聖人というよりは、親しみを感じる人間として描かれている。写実主義と印象派の中間に位置する。
https://www.wikiwand.com/en/Fritz_von_Uhde -
23.Woman with Goats in the Dunes 1890
Max Liebermann 1847-1935
マックス・リーバーマン
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「砂丘で山羊を引く女」
リーバーマンは、ベルリンで活躍したドイツ印象派の代表的画家。ベルリン分離派創立者の一人である。リーバーマンは当初、田園の人物や、彼の生活風景などを描いていた。後に、彼はロヴィス・コリント(Lovis Corinth)、マックス・スレーフォークト(Max Slevogt)らとともにドイツ印象派の代表的作家となる。この作品は、オランダでのスケッチをもとにベルリンのアトリエで描かれたもので、印象派的傾向が明確になる以前の自然主義的作例のひとつである。(wikiより)
https://www.wikiart.org/en/max-liebermann/woman-with-goats -
24.Boys Bathing |1898
Max Liebermann 1847-1935
マックス・リーバーマン
---------------------
「少年たちの海水浴」
https://www.wikiart.org/en/max-liebermann/swimming-boys -
25.Munich Beer Garden |1884
Max Liebermann 1847-1935
マックス・リーバーマン
---------------------
「ミュンヘンのビアガーデン」
木漏れ日の表現で明るい印象。ビアガーデンではあるが、絵の中では子供たちが主役のように見える。
https://www.wikiart.org/en/max-liebermann/beer-garden-in-munchen -
26.The Bridge at Argenteuil 1874
Caude Monet 1840-1926
クロード・モネ
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「アルジャントゥイユの橋」(1874)
ようやく、本家、フランスの印象派に来ました。最初はやはり、モネ。パリにいけばいくらでも見られるが、ここにもありました。
https://www.wikiart.org/en/claude-monet/the-bridge-over-the-seine -
27.Water-Lilies |c.1915
Claude Monet 1840-1926
クロード・モネ
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「睡蓮」
ここにもあった超有名のモネの連作「睡蓮」。筆使いまでわかるぐらい近くでみると、一体、何を描いているのか、まったく分からないが、離れてみると、それが、花であったり、草であったりと分かる。パリのマルモッタン・モネ美術館とオランジュリー美術館の紹介のときに嫌というぐらい彼の作品を紹介したいと思う。 -
28.The Gardens of Montmartre with a View of Sacre-Coeur under Construction |1896
Auguste Renoir 1841-1919
ピエール=オーギュスト・ルノワール
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そして、ルノアール。
パリのモンマルトルの丘にある建設中のサクレ・クール寺院が描かれている。今では、パリ観光でエッフェル塔、凱旋門とともに、無くてはならない存在だが、意外と新しい。完成は1914年、礼拝のために開放されたのは第一次世界大戦のおわり、1919年。
https://www.wikiart.org/en/pierre-auguste-renoir/looking-out-at-the-sacre-coeur-1896 -
29.Head of Girl |1876
Auguste Renoir 1841-1919
ピエール=オーギュスト・ルノワール
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※参照画像データなし。 -
30.Monet Painting on His Studio Boat 1874
Edouard Manet 1832-1883
エドゥアール・マネ
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「アトリエ舟の中のモネ 」
マネがモネを描いたややこしい絵。
エドゥアール・マネは、19世紀のフランスの画家。近代化するパリの情景や人物を、伝統的な絵画の約束事にとらわれずに描き出し、ヨーロッパ絵画の変革者の担い手となった。マネは日本の浮世絵に触発され、明るい色彩と陰影を抑えた平板な空間表現を西洋絵画に導入しました。マネは一応、「写実主義」の画家ですが、その手法は印象派の画家に影響を与えたことから印象派の指導者あるいは先駆者として位置付けられます。また、「表現主義」の誕生にも影響を与えています。
変革者と呼ばれる所以、1860年代に発表した代表作『草上の昼食』と『オランピア』(どちらもオルセー美術館)は、絵画界にスキャンダルを巻き起こした。当初、本人は何故、そんなに大騒ぎするのか分からなかったらしいですが。やはり、印象派は、オルセー美術館の紹介のときに。
https://www.wikiart.org/en/edouard-manet/monet-in-his-floating-studio-1874 -
31.Luncheon in the Studio|1868
Edouard Manet 1832-1883
エドゥアール・マネ
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「昼食会」
https://www.wikiart.org/en/edouard-manet/luncheon-in-the-studio-1868 -
32.The Railway Cutting around 1870
Paul Cezanne 1839-1906
ポール・セザンヌ
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ポール・セザンヌは、フランスの画家。当初はクロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールらとともに印象派のグループの一員として活動していたが、1880年代からグループを離れ、伝統的な絵画の約束事にとらわれない独自の絵画様式を探求した。ポスト印象派の画家として紹介されることが多い。エミール・ベルナールに述べた「自然を円筒、球、円錐によって扱う」という言葉は、後のキュビスムにも影響を与えた言葉として知られる。キュビスムをはじめとする20世紀の美術に多大な影響を与えたことから、しばしば「近代絵画の父」として言及される。
この絵は印象派時代のもの。
https://www.wikiart.org/en/paul-cezanne/the-railway-cutting-1870 -
さて、次は、ファン・ゴッホです。
写真のとおり、壁に4枚、ファン・ゴッホが飾られており、中央が、ひまわりです。日本の美術館とは異なり、ゆったりしています。
フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホは、オランダのポスト印象派の画家。
主要作品の多くは1886年以降のフランス居住時代、特にアルル時代とサン=レミでの療養時代に制作された。感情の率直な表現、大胆な色使いで知られ、ポスト印象派を代表する画家である。(Wikiより)
なお、オランダ人名のvanはミドルネームではなく姓の一部であるために省略しない。さらに、英語だと、「ゴッホ」ではなく「ゴー」と発音する。
フィンセント・ファン・ゴッホの作品一覧
https://www.wikiwand.com/ja/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9B%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81%E4%B8%80%E8%A6%A7
ファン・ゴッホ美術館の公認を受けたウェブサイト
http://www.vggallery.com/painting/main_az.htm
実はたった10年程度しか画家としては活動していない。しかし、彼の作品は多くの人をひきつける。彼の絵は似たようなものが多いが、絵のひとつひとつに番号がつけられており、管理されている。(F番号、JH番号)
アムステルダムのゴッホ美術館は写真撮影禁止で紹介はできないので、他の美術館にあるものは全て紹介したいと思います。 -
33.Sunflowers |1888
Vincent van Gogh 1853-1890
フィンセント・ファン・ゴッホ
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「ひまわり」(12輪のひまわり)
Still Life: Vase with Twelve Sunflowers
ファン・ゴッホは、アルルで1888年から翌年にかけ、有名な7点の『ひまわり』を描いたが、これはその1点で描いた順番でいうと、3番目。現存するのは6点のみで、1点は、第二次世界大戦末期の阪神大空襲で焼失。
黄色い背景をもったゴッホ美術館(アムステルダム)などのものに対して、ここでは背景が薄青色となっており、ひまわりが映える。アルルの家を飾る為に描かれたとされ、ひまわりは、ゴッホにとって「光」、「希望」、「友情」の象徴であった。
http://www.vggallery.com/painting/p_0456.htm
https://www.sammlung.pinakothek.de/de/artist/vincent-van-gogh/sonnenblumen -
34.Plain near Auvers |1890
Vincent van Gogh 1853-1890
フィンセント・ファン・ゴッホ
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「オーヴェル近くの平野」
Plain Near Auvers
※邦題は、Wikiに合わせています。
オーヴェル=シュル=オワーズ(Auvers-sur-Oise)は、ファン・ゴッホの終焉の地。1890年5月、療養所を退所してパリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズに移り、画作を続けたが、7月27日に銃で自らを撃ち、2日後の29日に死亡した。37年間の短い生涯をここで閉じました。この絵が描かれたのは7月のいつかであり、自殺を図る前に描かれたにしては、気持ちいいぐらいの景色で自殺が信じられない。
http://www.vggallery.com/painting/p_0782.htm
https://www.sammlung.pinakothek.de/en/artist/vincent-van-gogh/ebene-bei-auvers -
35.View of Arles |1889
Vincent van Gogh 1853-1890
フィンセント・ファン・ゴッホ
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「アルルの見える花咲く果樹園」
「Orchard in Blossom with View of Arles」
※邦題は、Wikiに合わせています。
こちらはアルル時代のもの。
1888年2月、南フランスのアルルに移り、『ひまわり』や『夜のカフェテラス』などの名作を次々に生み出した。南フランスに画家の協同組合を築くことを夢見て、同年10月末からポール・ゴーギャンを迎えての共同生活が始まったが、次第に2人の関係は行き詰まり、12月末のファン・ゴッホの「耳切り事件」で共同生活は破綻した。以後、発作に苦しみながらアルルの病院への入退院を繰り返した。
http://www.vggallery.com/painting/p_0516.htm
https://www.sammlung.pinakothek.de/de/artist/vincent-van-gogh/blick-auf-arles -
36.The Weaver |1884
Vincent van Gogh 1853-1890
フィンセント・ファン・ゴッホ
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「開いた窓の近くの機織る人」
Weaver Near an Open Window
パリに行く前のオランダ時代。
オランダのエッテン(1881年4月-12月)、ハーグ(1882年1月-1883年9月)、ニューネン(1883年12月-1885年11月)、ベルギーのアントウェルペン(1885年11月-1886年2月)と移り、弟テオドルス(通称テオ)の援助を受けながら画作を続けた。オランダ時代には、貧しい農民の生活を描いた暗い色調の絵が多く、ニューネンで制作した『ジャガイモを食べる人々』はこの時代の主要作品である。(wikiより)
オランダ(1881年)→パリ(1886年)→アルル(1888年)→サン=レミ、療養所(1889年)→オーヴェル(1890年)の10年の活動期間。この絵はパリに移る前であり、貧しい農民や農村を多く描いた。作風もやや暗め。アムステルダムのファン・ゴッホ美術館では一通り作品を見れる。(写真撮影禁止なので、旅行記で紹介することはないのだけど。。。文句なしに事前チケット購入をお勧めです。)
http://www.vggallery.com/painting/p_0024.htm
https://www.sammlung.pinakothek.de/de/artist/vincent-van-gogh/der-weber -
37.The Birth - Te tamari no atua 1896
Paul Gauguin 1848-1903
ポール・ゴーギャン
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「神の子の誕生」(テ・タマリ・ノ・アトゥア)
後期印象派。
ゴーギャンは晩年、タヒチで生活していたが、これは、2回目の滞在、パリ・タヒチに戻ってきたときの作品(1895 - 1901年 )。
そのときの愛人、バフラという名の女性で、子供を出産したが、その子はすぐに死んでしまった。ゴーギャンは、そのときの様子を女性をマリアに、死んだ子をキリストに見立てて、この絵を描いたと言われる。手前のベッドの上では、マリアが横たわっている。その彼女から子を受け取って抱いているのは死霊のツパパウだ。この絵の中では、無表情に母親から生まれたばかりの子を取り上げて、死の国へ連れ去ろうとしている。(webより)
https://www.wikiart.org/en/paul-gauguin/nativity-1896 -
38.Neptune's Horse |1892
Walter Crane 1845-1915
ウォルター・クレイン
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「ネプチューンの馬」
ウォルター・クレインは、イギリスの芸術家で、絵画、イラストレーション、児童書、陶磁器タイル、その他多くの装飾芸術を制作し、アーツ・アンド・クラフツに深く関わった。こちらはその彼の代表作。
ネプチューンは古代ローマ神話の海の神で、ギリシア神話のポセイドンに当たり、白い馬の後ろに三つ又の矛をもった白髪のたくましい老人がそれです。これは、浜辺に寄せる波が、次々に疾走する白馬の群れに変身して上陸するという光景を描いています。
https://www.wikiart.org/en/walter-crane/neptun-s-horses-1893 -
39. Ploughing 1890
Giovanni Segantini 1858-1899
ジョヴァンニ・セガンティーニ
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馬をつかって農地を耕している様子。アルプスの山々が鮮やかに描かれている。省略して描く印象派とはまた違った独特のもの。
ジョヴァンニ・セガンティーニ(Giovanni Segantini、1858年1月15日 - 1899年9月28日)は、イタリアの画家。アルプスの風景などを題材とした絵画を残し、アルプスの画家として知られている。一方で『悪しき母達』など神秘的、退廃的な作品を残したことから、作風は世紀末芸術とされることもある。(Wikiより)
https://www.wikiart.org/en/giovanni-segantini/ploughing-1890 -
40. Margaret Stonborough-Wittgenstein 1905
Gustav Klimt 1862-1918
グスタフ・クリムト
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「マルガレーテ・ストンボロー=ヴィトゲンシュタインの肖像」
クリムトは、19世紀末から20世紀初めにかけてのウィーン美術を代表する画家。ウィーン分離派。モデルは哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの姉 。
女性の裸体、妊婦、セックスなど、赤裸々で官能的なテーマを描くクリムトの作品は、甘美で妖艶なエロスと同時に、常に死の香りが感じられる。(Wikiより)
https://www.wikiart.org/en/gustav-klimt/portrait-of-margaret-stonborough-wittgenstein -
40.Margaret Stonborough-Wittgenstein 1905
Gustav Klimt 1862-1918
グスタフ・クリムト
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「マルガレーテ・ストンボロー=ヴィトゲンシュタインの肖像」
画家の家には、時には最大15人もの女性モデルが滞在していたといい、愛人関係だったという。。。 -
41.The Sin 1893
Franz von Stuck 1863-1928
フランツ・フォン・シュトゥック
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「罪」、1893年
シュトゥックが活躍した時代のミュンヘンはドイツにおける世紀末芸術の中心地で、シュトゥックも19世紀末らしい暗く、重い雰囲気の絵を描いています。
こちらの絵も暗く不気味な作品で、開かれた服の下は裸で魅惑的だが、怪しげで危険な香りのする女性が、影の中からこちらをじっと見つめています。よく見ると、服ではなくそれは大蛇。蛇が、白い肌を巻き付けており、右肩に頭を乗せて、威嚇するように口を開いています。この絵のタイトルは「罪」なので、アダムとイヴに禁断の果実をそそのかした蛇と、女性はイヴなのでしょうか。
https://www.wikiart.org/en/franz-stuck/the-sin-1893 -
41.The Sin 1893
Franz von Stuck 1863-1928
フランツ・フォン・シュトゥック
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「罪」、1893年
拡大。 -
42.I lock my door upon myself |1891
Fernand Khnopff 1858-1921
フェルナン・クノップフ
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「私は私自身に対してドアを閉ざす」
ベルギー象徴派の代表的な人物。
モデルは画家の妹、マルグリットで、彼の作品のほとんどのモデルはこの妹という。彼女への偏った愛情を感じる。これは、彼女が嫁いだあとに描かれた作品、そこに込められたメッセージとは何か。
「作品解説と解題」(本江邦夫)より:(拝借)
「詩人であり画家でもあったダンテ・ガブリエル・ロセッティの妹クリスチナ・ジョージナ・ロセッティ(1830-1894)の詩「だれが私を解き放つ」(1864年)から霊感をえたもの。1891年、クノップフははじめてイギリスに滞在し、ラファエル前派、とくにバーン=ジョーンズ、ハント、ロセッティと親交を結ぶ。クノップフの題名に関係する二連がある。
他のものはすべて私の外にある
私は扉を閉ざし、閂をかける
騒がしさ、退屈、遊び人に
私は私自身に扉を閉ざす
そして閂をかける、けれどもだれが
私を守ってくれるだろう、いちばん嫌いな私自身から。
ここにあるのは、自分自身からも見捨てられた孤立であり、純粋に精神的な領域への憧憬である。ひょっとしたら、それは死によって可能となるのかもしれない。画面を支配するかのような位置にある、「眠り」の擬人像ヒュプノス――これはクノップフ自身の持物――はタナトス(死)の兄弟である。最愛の妹マルグリットをモデルにした若い女性が頬杖をついているのは、あるいは棺桶かもしれない。彼自身隠者めいた生活を、ブリュッセルの町中で送っていたクノップフの、これは魂の風景そのものともいうべき作品である。」
https://www.wikiart.org/en/fernand-khnopff/i-lock-my-door-upon-myself-1891 -
42.I lock my door upon myself |1891
Fernand Khnopff 1858-1921
フェルナン・クノップフ
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「私は私自身に対してドアを閉ざす」
拡大。
左手の中指に指輪をしており、結婚指輪の薬指ではない。ここに指輪をはめることは「協調性」を意味している。死を象徴する題材で囲まれた絵の中に、頬杖をついて、こちらをじっと見ている妹だけが、彼にとって、唯一の救いだったのだろうか?
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