2019/12/04 - 2019/12/09
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ドクターキムルさん
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鎌倉市二階堂字三堂に残る永福寺跡には苑池の他には二階堂(本堂)と薬師堂、阿弥陀堂の基壇のみが復元されている。では本堂の二階堂の本尊は釈迦如来であったのか?本尊は釈迦如来だったとしたら、他の二堂に習って釈迦堂と呼べば良いのだが、二階堂とある。本来は釈迦堂だったのが、「吾妻鑑」が編纂される鎌倉時代の後期には通常呼ばれていた二階堂になってしまった可能性が高いだろう。
平泉・毛越寺の本尊は釈迦三尊であったが、伊達政宗(永禄10年(1567年)~寛永13年(1636年))の霊廟「瑞鳳殿」に隣接して寛永14年(1637年)に創建された瑞鳳寺(宮城県仙台市)に遷され、現在では薬師三尊に替わっている。また、瑞鳳寺の案内板には「御本尊は釈迦、文殊、普賢の三体で平泉毛越寺より遷したもの」と明記されている。しかし、中尊寺のホームページには「二代基衡公は、父の志を継いで薬師如来を本尊とする毛越寺の造立をすすめ、三代秀衡公は阿弥陀如来を本尊とする無量光院を建立しました。三世仏(過去釈迦、現世薬師、未来世阿弥陀)を本尊とする三寺院の建立は、すべての生あるものを過去世から現世さらに未来世にいたるまで仏国土に導きたいという清衡公の切実な願いの具現でもありました。」とあり、全く事実とは異なることが記載されており驚いてしまう。まあ、よその寺のことであり、詳しくは知らなかっただけなのかも知れないが…。正しくは、奥州藤原氏初代清衡公が建立した中尊寺の本尊は釈迦如来で、二代基衡公が建立した毛越寺の本尊も釈迦如来で、三代秀衡公が建立した無量光院の本尊は阿弥陀如来である。永福寺のように三世仏(過去釈迦、現世薬師、未来世阿弥陀)を本尊(https://www.pref.kanagawa.jp/docs/ar3/cnt/f6656/documents/886978.pdf)としていた寺院群があった訳ではない。
すなわち、源頼朝公は平泉にはなかった三世仏(過去釈迦、現世薬師、未来世阿弥陀)を本尊とする三堂を中心とする永福寺を1箇所に纏めて建立したのである。釈迦堂が本堂であったことから、平泉で滅ぼした藤原氏や、弟・源義経公の怨霊を鎮めるために、遠征し凱旋した街道沿いの鎌倉の外れ、鎌倉の入口に巨大寺院・永福寺を建立したのである。これで、怨霊が鎌倉中に入って来るのを防いだのだ。そして味方の霊も同時に祭った。敵味方を問わず、一切の犠牲者を供養する「怨親平等」の寺となった。後には円覚寺も「怨親平等」の寺として創建されたが、その元となった。
では、何故二階堂と呼ばれたのか?それはその釈迦堂が一番の大伽藍でしかも高さも飛び抜けて高く、裳腰が一層目ではなく、裳腰が付いた本当に二階建ての伽藍だった可能性もある。少なくても、誰が見ても驚くような二層の屋根を持つ二階建ての大伽藍だったはずだ。これは湘南工科大学(コンピュータ応用学科・長澤可也教授研究室)のCG復元図からは伝わってはこないことである。実はこれと良く似た復元を担当した宮大工の棟梁がいた。西岡常一である。奈良・薬師寺の金堂(https://4travel.jp/travelogue/10396385)がそれである。なお、薬師寺金堂の基本設計は大岡實氏が担当した(http://www.ohoka-inst.com/yakushijikondou.html)。この間口を5間に狭めると永福寺の二階堂(釈迦堂)に近づくのではないか?また、同じ面積の基壇を持つ薬師堂、阿弥陀堂もこれとほぼ同じ大きさの宇治・平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)(https://4travel.jp/travelogue/10440558)に近い姿の伽藍を思い起したら良いのではないか?それはむしろCG復元図にある二階堂(釈迦堂)に近い(、裳腰付き)姿ではなかったのか?
(表紙写真は永福寺跡 案内図)
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永福寺跡 案内図。
二階堂(釈迦堂、本堂)は
桁行64尺(19.39m)×梁行58尺(17.57m)(340.68m^2)、
阿弥陀堂、薬師堂は
桁行55尺(16.70m)×梁行4尺(12.72m)(212.42m^2)。
不思議なことに宇治・平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)の桁行と梁行は見付からなかったが、建面積は168.32m^2が見付かった。これから、永福寺の阿弥陀堂、薬師堂は平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)よりも12%程度大きいことになる。
中尊寺、毛越寺は天台宗、無量光院については不明。ただし、宇治・平等院鳳凰堂はかつては天台宗・浄土宗であった。 -
永福寺の三堂のCG復元図の写真がある看板。このCG復元図の中央の釈迦堂を見て二階堂と思う人は現実にはいないだろう。
平泉の毛越寺や無量光院は宇治・平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)を真似て、それよりもやや大きめに建立された。それらの伽藍を見て真似たのが永福寺の阿弥陀堂、薬師堂であり、平泉の中尊寺の大長寿院二階大堂を見て真似たのが永福寺の二階堂である。しかし、CG復元図からはこうした歴史的な伝承は伺い知れない。
なお、北鎌倉の浄智寺では「阿弥陀・釈迦・弥勒」の各如来で、「過去・現在・ 未来」の時を象徴している。
あるいは、「三世仏名経」にもとづく三世三劫三千仏の絵画があるが、過去(釈迦)、現在(弥陀)、未来(薬師)の三世仏を中央に大きく描き,周囲に小千仏を配している(平凡社世界大百科事典 第2版 )。ただし、「弥陀」は「阿弥陀」の略。
「「三世仏」とは過去仏薬師如来・現在仏釈迦如来・未来仏阿弥陀如来の三如来をいいます。」(美術館ニュース105号 - 岡山県立美術館 2014 SUMMER)(https://okayama-kenbi.info/oka_news_no105.pdf)とあり、様々だ。
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