2023/03/12 - 2023/03/12
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emi_uさん
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ご覧いただきまして、ありがとうございます。
大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」の熱冷めやらぬ3月、運動がてら朝夷奈切通を歩いてみました。
そう遠くないところで育ったので切通というワードはよく耳にしていたものの、実際歩いたのはおそらく初めてかと。迫力があります。
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9時半頃、京浜急行、六浦駅到着
ホームのベンチ、というか新しそうな椅子の並びが独特
コロナを受けてか、縦に1列に
投げ出した足が邪魔になる事もないか六浦駅 駅
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まず朝ごはんを、とお考えの場合、駅前にはモーニングのあるカフェなどはない
西口に出ると、まず右手にオリジン
左手に行くとすぐセブンイレブン
今回は右手に進み、ヨークマートのパン屋さんへ
朝イチなので、焼きたてもある
その角を曲がると、ココスも見える
週末は朝7時からやっているが、今日はこれから歩こうというのにのんびりのシチュエーションでもないので、ヨークマートのパンをいただく
卵でピカピカ光るパンを頬張って、出発! -
県道23号を歩く事10分ほど
コンクリートで固められた壁の手前だけむき出しになっている
看板も建てられているここは「鼻欠地蔵」
県道の反対から眺めないとわからないだろう
(反対から見てもわからないほど風化しているが) -
鼻欠地蔵からさらに進む事5分
上総介塔
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で佐藤浩市さんが演じた上総広常の墓
正確な位置はわからないが、鎌倉での館は朝夷奈切通沿いにあったとされる -
いよいよ朝夷奈切通の入口が近付いてきた
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昔よくあった"裏山"のような入口
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鎌倉殿とのコラボのぼりも立っている
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こちら平成2年の看板
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こちら平成25年の看板
<抜粋>
朝夷奈切通は、鎌倉幕府が、仁治2年(1241)に鎌倉と六浦を結ぶ重要交通路として、山稜部を開削して建設。幕府の歴史を記録した『吾妻鏡」には、執権北条泰時が自ら現場に出向いて工事を指揮したとある。当時の六浦には天然の良港があり、切通の開通によって幕府はこれを鎌倉の外港とし、東国や中国大陸との物流の拠点とした。
朝夷奈切通は崩落するたび改修され、横浜市側に小切通、市境の峠に大切通という山を深く切り下げた特徴的な遺構や、道沿いに中世の納骨施設である”やぐら”が多く残る。また、大切通の南側山腹には、鎌倉の守護神と伝えられる熊野神社があり、江戸時代に再建された。 -
10時半 いざ、朝夷奈切通!
朝比奈切通し 名所・史跡
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庚申塚や道祖神が並ぶ
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確かに土のうでもないと、道が削られそうだ
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「落石注意」
そうでしょうとも -
これぞ!
い~い"切通感" -
切通に入って10分ほどの分岐点
左手に熊野神社があるようなので行ってみる熊野神社 寺・神社・教会
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熊野神社の歴史をざっと
源頼朝が鎌倉に幕府を開き、朝比奈山上に熊野三社大明神を勧請
仁治年間(1240-1243)に北条泰時が社殿を建立
元禄8(1695)年 地頭加藤太郎左衛門尉が再建
安永(1772-1781)、嘉永(1848-1855)年間に修築
明治6(1873)年 村社に列格 -
緩やかに山を登っていく
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さっきの分岐点からものの数分ほどで、
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木々の間に社殿の姿が見えてくる
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10:50 朝比奈熊野神社到着
鳥居の向こうに拝殿
拝殿は平成元年完成 -
手水舎
どうもこの水盤(桶)、木の切り株をくりぬいているようだ
「スギ」という看板は脇の木のことじゃなくて、この桶のことだったのか? -
奥の石板にはこのような記載がある
「昭和初期、此の権現山大地の崖にきれいな水脈を見つけ、氏子で石工を業とする森為吉により井戸が掘られ、以来この水は熊野神社例大祭の湯立神楽に使われたり日々参拝時、手水としても便利に多用されております
掘削施工者 森為吉 一八六五-一九四〇
氏子 森宏憲
為吉の孫 森利郎」
おそらく掘った方の子孫の方が建立したのだろう -
「奉祝天皇陛下御即位 御大典記念樹」
・・・どれだ? まぁお手植えということでもないからいいか -
拝殿を後ろから見下ろすところまで上がってくると、
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本殿
昭和53年の建築のようだ -
本殿隣には鳥居と祠
この規模だから摂社ではないと思うが -
本殿の後ろから見下ろす
この規模なので無人
一応御朱印は鎌倉熊野神社でいただけるようだが、当方は集めていないので、詳細はご確認を -
道すがら花でも見たりしながら
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濃く渋い上品な色の花
秋から冬には真っ赤で小さな実をつけるアオキ
葉は陀羅尼助の原料になるそうで
吉野、天川に行った時に買ったなぁ -
スミレ
花の時期は4-5月が一般的のようだが、気が早いのか? -
つばきの花が落ちる道を歩くと、
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20分ほどで大きな道に出て、ほどなく・・・
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三郎の滝(朝比奈の滝)
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碑文は朝夷奈切通の端緒
読み下せないところもあったが、カナを平仮名に置き換えるなどしてみた
「鎌倉七口の一にして鎌倉より六浦へ通ずる要衝に當り大切通小切通の二つあり土俗に朝夷奈三郎義秀一夜の内に切抜たるを以て其名ありと傳へらるるも東鑑に仁治元年(皇紀一九00)十一月鎌倉六浦間道路開鑿の議定あり 翌二年四月経営の事?ありて執権北條泰時其?に監臨し諸人群集し各土石を運びしこと見ゆるに徴し此切通は即ち其當時に於て開通せしものと思料せらる
昭和十六年三月建 鎌倉市青年團」
「東鑑」は歴史書・吾妻鏡のことだろうな
朝比奈の由来は朝夷奈義秀だったのか
三郎の名が示す通り三男、父は和田義盛 -
この先流れは少しだけ暗渠のようになって、その先、太刀洗川となり、滑川へと合流していく
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このまま町へ出ることもできるが、看板に従って十二所果樹園に立ち寄ってみる
十二所(じゅうにそ)の由来は、「民家が十二軒あったことによる」(新編鎌倉志)とする説や、元々この近くの光触寺境内にあった熊野十二所権現社(天神七柱と地神五柱を祀っていた)とする説があるが、後者の方が有力のようだ
ちなみに新宿中央公園の端の方にも十二社熊野神社というのがあり、十二社(じゅうにそう)という住所こそ今はなくなってしまったものの、十二社通りなどの名称は残っている -
このコンクリートの上の赤い実、ずっとナンテンだと思っていたが、これどうやらアオキの実っぽい
さっきの花がこの実になるのか
さて、三郎の滝から歩くこと10分弱 -
ここから十二所果樹園かな
門はあるけれど、料金がかかるわけではない -
ウメ、ユズ、クリといった木が植えられていて、中でも花を愛でるウメが有名なようだ
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3月中旬に差し掛かったところ
例年2月中旬~3月中旬が見頃との情報もあるが、早かったのか遅かったのか花はちらほら -
白くかわいい花だ
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手前の黄色い花は蝋梅かと思いきや、
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セイヨウサンシュユという植物らしい
西洋山茱萸、漢字難しい -
スイセンもいい香りをさせている
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ここがたぶん展望台(149m)だろう
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看板などには「鎌倉風致保存会」の名がある
日本最初のナショナルトラスト団体と言われ、鎌倉の自然の風光と豊かな文化財を後世に伝えている
2006年には果樹園5haを買い取っている -
戦時中には高射砲陣地だったという
今は鎌倉霊園がお向かいにある
休憩含めて果樹園には50分ほどいたようだ
三郎の滝まで戻ろう -
三郎の滝から川沿いを歩き始めると、早々に「太刀洗水」がある
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梶原景時(鎌倉殿では中村獅童)が上総介広常を討った後の太刀の血をこの水で洗い流したと言われている
1183(寿永2)年、景時が広常の屋に赴き、酒を飲み双六に興じているときに、襲い掛かったとか -
前述の通り、三郎の滝、太刀洗水といった流れが集まり、太刀洗川となる
滑川 自然・景勝地
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そして、太刀洗川は滑川へと注ぐ
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なんだか神妙な感じの石が収まった穴
輪〆?もかけられて・・・何だろう(不明のまま)
この辺りまでくると、切通終点(起点) -
住宅街を抜けて県道204号にぶつかると見えたのが峰本
12時半とちょうどお昼時だったので入店峰本 朝比奈店 グルメ・レストラン
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小さい頃からそばといえば峰本だった
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そしてちょっと豪勢にカキも!
おいしかった
この後は鎌倉散策に続くのだが、思いの外長くなったので、前編はここまで
後編は改めて振り返りますので、まずはここまでお付き合いいただき、ありがとうございました
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