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 鎌倉市長谷3にある旧山本条太郎別邸はこのたび湘南邸園文化祭に参加され、特別に4日間(2019年11月28日~12月1日)の特別公開が行なわれている。旧村上邸(https://4travel.jp/travelogue/11543555)を見学した9月半ばから待ちに待っていたのだが、初日は一日中冷たい冬の雨が降り、断念したが、今日は1週間振りの晴天となり早速訪れた。<br /> 湘南邸園文化祭の紹介文には「山本条太郎は三井物産出身の実業家。鎌倉の別荘は大正7年に建築され、桑ケ谷の南面する約5千坪の土地の中の、山裾の一段高くなった場所に150坪の数寄屋建築の住宅を建てました。建物は山本家から昭和31年に九鬼家へ譲渡され、その後、宗教法人神霊教へと渡り、神霊教が現状を維持したまま保存しています。鎌倉の保養地、別荘地時代を記憶する貴重な文化財であり、2016年に国の登録有形文化財に登録されました。今年で築102年になるこの建物を、今回特別に湘南邸園文化祭に際して4日間の特別公開を行います。」 とある。しかし、大正7年は1918年であり、今年で築101年とするのが正しい。現在は、母屋、門、待合、練塀の4棟が国登録有形文化財になっている。茶室も2つあるのだが、そのうちの1つの茶室の付属である待合が文化財に登録されているが、当の茶室が漏れるということは考えられない。離れのようになっており、廊下で繋がっているために、母屋に含まれている可能性がある。<br /> 現在は神霊教の鎌倉錬成場となっている。母屋は「霊源閣」と名付けられている。このため、現在の玄関はお屋敷の玄関には見えないものであるが、神霊教の錬成場となってから増築されたものであろうか?<br />(表紙写真は旧山本条太郎別邸の門周辺の景色)

旧山本条太郎別邸(庭園など)

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2019/11/29 - 2019/11/29

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 鎌倉市長谷3にある旧山本条太郎別邸はこのたび湘南邸園文化祭に参加され、特別に4日間(2019年11月28日~12月1日)の特別公開が行なわれている。旧村上邸(https://4travel.jp/travelogue/11543555)を見学した9月半ばから待ちに待っていたのだが、初日は一日中冷たい冬の雨が降り、断念したが、今日は1週間振りの晴天となり早速訪れた。
 湘南邸園文化祭の紹介文には「山本条太郎は三井物産出身の実業家。鎌倉の別荘は大正7年に建築され、桑ケ谷の南面する約5千坪の土地の中の、山裾の一段高くなった場所に150坪の数寄屋建築の住宅を建てました。建物は山本家から昭和31年に九鬼家へ譲渡され、その後、宗教法人神霊教へと渡り、神霊教が現状を維持したまま保存しています。鎌倉の保養地、別荘地時代を記憶する貴重な文化財であり、2016年に国の登録有形文化財に登録されました。今年で築102年になるこの建物を、今回特別に湘南邸園文化祭に際して4日間の特別公開を行います。」 とある。しかし、大正7年は1918年であり、今年で築101年とするのが正しい。現在は、母屋、門、待合、練塀の4棟が国登録有形文化財になっている。茶室も2つあるのだが、そのうちの1つの茶室の付属である待合が文化財に登録されているが、当の茶室が漏れるということは考えられない。離れのようになっており、廊下で繋がっているために、母屋に含まれている可能性がある。
 現在は神霊教の鎌倉錬成場となっている。母屋は「霊源閣」と名付けられている。このため、現在の玄関はお屋敷の玄関には見えないものであるが、神霊教の錬成場となってから増築されたものであろうか?
(表紙写真は旧山本条太郎別邸の門周辺の景色)

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  • 目的地の看板。

    目的地の看板。

  • 門柱。「神霊教」の表札。

    門柱。「神霊教」の表札。

  • 今回の公開のポスター。

    今回の公開のポスター。

  • アプロ-チの坂。

    アプロ-チの坂。

  • 下の広場。広い平地が広がる。

    下の広場。広い平地が広がる。

  • 道路脇に羊の石像。

    道路脇に羊の石像。

  • 奥はぶちになっている。石材はぶちではないが、雨梅雨や苔が生えて変色したようだ。

    奥はぶちになっている。石材はぶちではないが、雨梅雨や苔が生えて変色したようだ。

  • さらになだらかな坂道を上る。

    さらになだらかな坂道を上る。

  • なだらかな坂道。

    なだらかな坂道。

  • 上の平場にテント。

    上の平場にテント。

  • 上の広場に受付が。

    上の広場に受付が。

  • 門。昭和31年(1956年)頃に建てられた。築年は浅いが国登録有形文化財だ。

    門。昭和31年(1956年)頃に建てられた。築年は浅いが国登録有形文化財だ。

  • 門。

    門。

  • 平場の門までは車が入る。

    平場の門までは車が入る。

  • 門。

    門。

  • 門を潜り少し上ると玄関だ。

    門を潜り少し上ると玄関だ。

  • 玄関前の木立。

    玄関前の木立。

  • 門の横の木立。

    門の横の木立。

  • 玄関入口。お屋敷の玄関としては小さなものだ。

    玄関入口。お屋敷の玄関としては小さなものだ。

  • 玄関からは廊下と階段が続く。

    玄関からは廊下と階段が続く。

  • 玄関の更に上に母屋が見える。

    玄関の更に上に母屋が見える。

  • 母屋のある面はお城のような石垣が積まれている。この右下が下の広場だ。

    母屋のある面はお城のような石垣が積まれている。この右下が下の広場だ。

  • 玄関。2階建てのように母屋が見える。母屋は平屋だ。

    玄関。2階建てのように母屋が見える。母屋は平屋だ。

  • 母屋の面の石垣。

    母屋の面の石垣。

  • 母屋の座敷。2間続きだ。

    母屋の座敷。2間続きだ。

  • 母屋の座敷。2間続きだ。

    母屋の座敷。2間続きだ。

  • 母屋の座敷。その先に茶室。

    母屋の座敷。その先に茶室。

  • 2間続きの母屋の座敷。

    2間続きの母屋の座敷。

  • 母屋の座敷と庭。

    母屋の座敷と庭。

  • 壺?灰皿か?

    壺?灰皿か?

  • の母屋の座敷の庇。

    の母屋の座敷の庇。

  • の母屋の棟続き。

    の母屋の棟続き。

  • 母屋は離れ状に建て増しされており、廊下で繋がれている。

    母屋は離れ状に建て増しされており、廊下で繋がれている。

  • 母屋の縁側。

    母屋の縁側。

  • 母屋の屋根。

    母屋の屋根。

  • 母屋。

    母屋。

  • 石燈籠と蹲(つくばい)。茶室に付随するものだろう。

    石燈籠と蹲(つくばい)。茶室に付随するものだろう。

  • 茶室の躙口(にじりぐち)。

    茶室の躙口(にじりぐち)。

  • 茶室の屋根。銅葺き屋根は初めて見た。

    茶室の屋根。銅葺き屋根は初めて見た。

  • 茶室。

    茶室。

  • 茶室。

    茶室。

  • 待合。これも昭和31年(1956年)頃に建てられた。築年は浅いが国登録有形文化財だ。茶室は国登録有形文化財ではないが、付属の待合が国登録有形文化財だとは…。

    待合。これも昭和31年(1956年)頃に建てられた。築年は浅いが国登録有形文化財だ。茶室は国登録有形文化財ではないが、付属の待合が国登録有形文化財だとは…。

  • 練塀。これも国登録有形文化財だ。

    練塀。これも国登録有形文化財だ。

  • 相模湾が見える。

    相模湾が見える。

  • 茶室。

    茶室。

  • 待合。

    待合。

  • 待合。

    待合。

  • 茶室からの棟の続き。

    茶室からの棟の続き。

  • 裏の入口。おそらくは、門から石段を上って、さらに石敷を通って着いたここが元々の玄関だったのだろう。

    裏の入口。おそらくは、門から石段を上って、さらに石敷を通って着いたここが元々の玄関だったのだろう。

  • 玄関横の土壁。

    玄関横の土壁。

  • 庭。

    庭。

  • 離れ風に建てられた母屋の建物。

    離れ風に建てられた母屋の建物。

  • 母屋の建物。

    母屋の建物。

  • 母屋の建つ面の端に住居。<br />昭和31年(1956年)に九鬼悠巌氏の譲渡後も、山本家は敷地の一部を所有して居住したとある。これがその住居か?

    母屋の建つ面の端に住居。
    昭和31年(1956年)に九鬼悠巌氏の譲渡後も、山本家は敷地の一部を所有して居住したとある。これがその住居か?

  • 母屋。

    母屋。

  • 母屋。

    母屋。

  • 母屋のある面からの下りる道。

    母屋のある面からの下りる道。

  • 母屋。

    母屋。

  • 下に玄関。お屋敷の玄関には見えなかったのは神霊教会になってからの増築か?

    下に玄関。お屋敷の玄関には見えなかったのは神霊教会になってからの増築か?

  • 母屋のある面からの下り。

    母屋のある面からの下り。

  • 一段小高い母屋のある面。

    一段小高い母屋のある面。

  • 下りの道。

    下りの道。

  • 門に到着。

    門に到着。

  • 法面の木立。

    法面の木立。

  • 下りる道は2つに分かれている。

    下りる道は2つに分かれている。

  • 庭の山茶花。

    庭の山茶花。

  • トイレ。

    トイレ。

  • 倉庫?

    倉庫?

  • 倉庫?

    倉庫?

  • 門のある平地の木々。

    門のある平地の木々。

  • 門のある平地の木々。

    門のある平地の木々。

  • 門の前のテント。今回の公開に訪れた人たちがお茶を飲めるようにとカフェ用に建てられている。

    門の前のテント。今回の公開に訪れた人たちがお茶を飲めるようにとカフェ用に建てられている。

  • 今回の「第14回 湘南邸園文化祭」のポスター。<br /><br />ポスター裏面の「山本条太郎(1867-1936)」の紹介文には「山本条太郎は三井物産出身の実業家。立憲政友党の政治家として幹事長や第十代満州鉄道総裁(満鉄総裁)などを務めた。鎌倉の別荘は大正7年に建築された。桑ケ谷の南面する約5千坪の土地、山裾の一段高くなった土地に150坪の数寄屋建築の住宅であった。関東大震災以前に建てられた建物が鎌倉に現存するのは奇跡的なことであった。建物は2016年に国の登録有形文化財に登録されました。今年で築100年になります。鎌倉の保養地、別荘地時代を記憶する貴重な文化財であると言えます。建物は山本家から昭和31年に九鬼家へ譲渡され、その後、宗教法人神霊教へと渡り、神霊教が現状を維持したまま保存しています。今回特別に、湘南邸園文化祭に際して4日間の特別公開を行います。」 とある。しかし、大正7年は1918年であり、これも今年で築101年とするのが正しい。

    今回の「第14回 湘南邸園文化祭」のポスター。

    ポスター裏面の「山本条太郎(1867-1936)」の紹介文には「山本条太郎は三井物産出身の実業家。立憲政友党の政治家として幹事長や第十代満州鉄道総裁(満鉄総裁)などを務めた。鎌倉の別荘は大正7年に建築された。桑ケ谷の南面する約5千坪の土地、山裾の一段高くなった土地に150坪の数寄屋建築の住宅であった。関東大震災以前に建てられた建物が鎌倉に現存するのは奇跡的なことであった。建物は2016年に国の登録有形文化財に登録されました。今年で築100年になります。鎌倉の保養地、別荘地時代を記憶する貴重な文化財であると言えます。建物は山本家から昭和31年に九鬼家へ譲渡され、その後、宗教法人神霊教へと渡り、神霊教が現状を維持したまま保存しています。今回特別に、湘南邸園文化祭に際して4日間の特別公開を行います。」 とある。しかし、大正7年は1918年であり、これも今年で築101年とするのが正しい。

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