美濃加茂旅行記(ブログ) 一覧に戻る
中山道太田宿..美濃の国にあり、五十一番目の宿場町になります。<br /><br />太田宿は伏見宿から二里(約8km)、<br />鵜沼宿まで二里ちょっと(約9km)で、江戸から五十一番目の宿。<br /><br />大田宿中山道会館周辺とか静かな街並み<br />(宿場町)に浴衣がとても似合う、<br />歴史とロマンに満ちた太田宿で浴衣でぶらりと・・・。<br />中山道太田宿界隈を散策中に、<br /><br />太田宿本陣福田家の第24目当主にお会いして、<br />色々案内やら説明していただいて、<br />非公開の品々をカメラに収めましたが、<br />更に詳細を知りたいので一ヶ月後にお伺いすることを約束して、<br /><br />何時もは、大田村の庄屋や尾張藩勘定所の御用達を務めた<br />旧家林家の脇本陣を注目しましたが、<br />今回は、太田宿本陣福田家を色々と。<br /><br />美濃国は、開幕当時大久保長安が奉行として治めていましたが、<br />長安没後は尾張藩や幕府・旗本などが支配するようになりました。<br />このうち落合宿から鵜沼宿までは十七世紀の初め頃に<br />尾張藩の支配となりました。<br />太田宿は中山道の宿駅と木曽川を越える中山道三大難所の一つである<br />「太田の渡し」があり、<br />飛騨街道や郡上街道の分岐点で交通の要衝しての機能だけでなく、<br />後に太田代官所が設置されるなど<br />木曽川筋の軍事・政治・経済の重要な拠点として位置づけられた。<br /><br />本陣(庄屋も兼務)は、福田家が代々勤めたが、<br />明治時代に壊され、その跡に旧太田町役場が置かれた。  <br />今は住宅に変わり、全容を見ることができない。 <br />ただ一つ残るのが、本陣門とか表門(市指定有形文化財)。<br />この門は文久元年(1861)10月皇女和宮降嫁の際に新築され.<br />.本陣は諸大名、公家、旗本、幕府の役人などが休泊する<br />最も重要な施設です。この本陣は福田家が代々勤めたそうです。<br /><br />尾張藩主徳川慶勝。慶応四年(1868)閏四月、<br />甲信越地方の一部の藩が新政府に服従しなかったため、<br />慶勝は総督に任じられ、本部を太田宿本陣福田家に定め、<br />ここに七十五日滞在した。<br />この時、本陣福田太郎八は御用金千両を寄進したほか、<br />親戚を説いて同じく千両を寄進させた。<br /><br />安政年間には井伊直弼もこの本陣に宿泊しているし、<br />時代が下って元治元年(1864)には武田耕雲斎がここに泊まり、<br />もてなしの返礼として贈られた兜が伝えられている。<br />当主が持ってこられて拝見しました、<br /><br />など、説明は、長くなりますので後日<br />その後は、中山道の宿場町・鵜鵜沼宿秋まつりへ <br />そして、夕方には、メディアコスモスで開催された月の砂漠<br /><br />

中山道の宿場町・太田宿.浴衣と鵜鵜沼宿秋まつりへ 作成中

314いいね!

2019/09/15 - 2019/09/15

1位(同エリア144件中)

旅行記グループ 古い町並みと祭り

0

55

風に吹かれて旅人

風に吹かれて旅人さん

中山道太田宿..美濃の国にあり、五十一番目の宿場町になります。

太田宿は伏見宿から二里(約8km)、
鵜沼宿まで二里ちょっと(約9km)で、江戸から五十一番目の宿。

大田宿中山道会館周辺とか静かな街並み
(宿場町)に浴衣がとても似合う、
歴史とロマンに満ちた太田宿で浴衣でぶらりと・・・。
中山道太田宿界隈を散策中に、

太田宿本陣福田家の第24目当主にお会いして、
色々案内やら説明していただいて、
非公開の品々をカメラに収めましたが、
更に詳細を知りたいので一ヶ月後にお伺いすることを約束して、

何時もは、大田村の庄屋や尾張藩勘定所の御用達を務めた
旧家林家の脇本陣を注目しましたが、
今回は、太田宿本陣福田家を色々と。

美濃国は、開幕当時大久保長安が奉行として治めていましたが、
長安没後は尾張藩や幕府・旗本などが支配するようになりました。
このうち落合宿から鵜沼宿までは十七世紀の初め頃に
尾張藩の支配となりました。
太田宿は中山道の宿駅と木曽川を越える中山道三大難所の一つである
「太田の渡し」があり、
飛騨街道や郡上街道の分岐点で交通の要衝しての機能だけでなく、
後に太田代官所が設置されるなど
木曽川筋の軍事・政治・経済の重要な拠点として位置づけられた。

本陣(庄屋も兼務)は、福田家が代々勤めたが、
明治時代に壊され、その跡に旧太田町役場が置かれた。 
今は住宅に変わり、全容を見ることができない。 
ただ一つ残るのが、本陣門とか表門(市指定有形文化財)。
この門は文久元年(1861)10月皇女和宮降嫁の際に新築され.
.本陣は諸大名、公家、旗本、幕府の役人などが休泊する
最も重要な施設です。この本陣は福田家が代々勤めたそうです。

尾張藩主徳川慶勝。慶応四年(1868)閏四月、
甲信越地方の一部の藩が新政府に服従しなかったため、
慶勝は総督に任じられ、本部を太田宿本陣福田家に定め、
ここに七十五日滞在した。
この時、本陣福田太郎八は御用金千両を寄進したほか、
親戚を説いて同じく千両を寄進させた。

安政年間には井伊直弼もこの本陣に宿泊しているし、
時代が下って元治元年(1864)には武田耕雲斎がここに泊まり、
もてなしの返礼として贈られた兜が伝えられている。
当主が持ってこられて拝見しました、

など、説明は、長くなりますので後日
その後は、中山道の宿場町・鵜鵜沼宿秋まつりへ 
そして、夕方には、メディアコスモスで開催された月の砂漠

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通
4.5
同行者
その他
交通手段
自家用車 徒歩

この旅行記のタグ

関連タグ

314いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

古い町並みと祭り

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP