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7月4日から 28日まで3週間ちょっとで、<br />アメリカからヨーロッパ、そして再びアメリカに戻る<br />地球半周x2の周遊。<br />ニースからパリに戻り何泊かした後<br />アムステルダムに向かった。<br /><br />小学校から大学まで一緒だった幼なじみが<br />某大手旅行社のヨーロッパ支局長で駐在していたので<br />パリから電話して会うことに。<br />ところが公衆電話の一覧表でオランダの国番号を<br />調べたが載ってない!! !<br />そんなはずない と、よく探したら…<br />Netherlands でも Nederland でも  Holland でもなく<br />思いも寄らない Pays-Bas (低い国) というフランス語だった。<br /><br />そういえば 1974年初めての海外旅行で<br />ヴェネツィアからパリ行きの列車の時刻表を<br />駅で調べたら、Paris 行きがない!?<br />やはりイタリア語表記で Parigi になっていた…<br />と言うわけで (?)、代表写真は今回の旅行記には直接関係ない。<br />あとから知ったがパリのヴィレットで7月 16日から<br />1ヶ月間 毎晩野外上映があった。 催しのタイトルは<br />&quot;『道』から『イージー・ライダー』まで&quot; <br />つまりロード・ムーヴィーばかりを集めたプログラムだが<br />前夜祭 (?) として写真のフェリーニの『道』を上映、<br />Fellini  Rimini  Parigi と書いてあるでしょ。<br /> [Parigi つながりで無理に連結]。<br />もちろんリミニはフェリーニの出身地<br /> (すでに行ってます)

1994年 久し振りの周遊 6/8 :アムステルダムとブリュッセル (今度は警察のやっかいに?)

8いいね!

1994/07/18 - 1994/07/23

1405位(同エリア2810件中)

milouchat

milouchatさん

7月4日から 28日まで3週間ちょっとで、
アメリカからヨーロッパ、そして再びアメリカに戻る
地球半周x2の周遊。
ニースからパリに戻り何泊かした後
アムステルダムに向かった。

小学校から大学まで一緒だった幼なじみが
某大手旅行社のヨーロッパ支局長で駐在していたので
パリから電話して会うことに。
ところが公衆電話の一覧表でオランダの国番号を
調べたが載ってない!! !
そんなはずない と、よく探したら…
Netherlands でも Nederland でも Holland でもなく
思いも寄らない Pays-Bas (低い国) というフランス語だった。

そういえば 1974年初めての海外旅行で
ヴェネツィアからパリ行きの列車の時刻表を
駅で調べたら、Paris 行きがない!?
やはりイタリア語表記で Parigi になっていた…
と言うわけで (?)、代表写真は今回の旅行記には直接関係ない。
あとから知ったがパリのヴィレットで7月 16日から
1ヶ月間 毎晩野外上映があった。 催しのタイトルは
"『道』から『イージー・ライダー』まで"
つまりロード・ムーヴィーばかりを集めたプログラムだが
前夜祭 (?) として写真のフェリーニの『道』を上映、
Fellini Rimini Parigi と書いてあるでしょ。
[Parigi つながりで無理に連結]。
もちろんリミニはフェリーニの出身地
(すでに行ってます)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 自転車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • パリからアムステルダムも、夜行列車で。<br />23:22分発、列車番号 1289 の座席 110-97、翌日<br />08:02 中央駅に着いた。 運賃は座席指定料込みで<br />232フラン (4,385円) だった。<br /><br />地図も前情報もないが、駅近くを適当に歩き見つけた<br />Warmoesstraat 15 の Centrum Hotel 。<br />現在ホテルはないようだが Charlie&#39;s という<br />バー (?) は健在。 24号室に 2泊で 105ギルダー (5,962円)。<br />着いたと友人に電話したら &quot;ホテルは決めた? 紹介するよ&quot; <br />もう決めたと値段を言ったら、そんな安宿は紹介出来ないな… と。<br />当然の話だ (頼めば高級ホテルに安く泊まれたかも?)<br />たまに彼も添乗したが医者とか代議士とか<br />ファーストクラスの金持ちばかりだから…<br /><br />ヨーロッパの安宿では珍しくないがホテルと言っても<br />フロントはなく1階の店 (カフェやバー) で鍵を貰う。<br />SVで店の横にドアが見えるが、その階段から入る。<br />偶然 (?) いわゆる飾り窓地区のすぐ側で、朝だから<br />分からなかったがホテルの通りはゲイの集まる地域だった。<br />写真は非常階段からの眺め。 塔が見えるのは De Oude Kerk。<br />旧教会と言われるように 1306年に完成した<br />アムステルダム最古の教会

    パリからアムステルダムも、夜行列車で。
    23:22分発、列車番号 1289 の座席 110-97、翌日
    08:02 中央駅に着いた。 運賃は座席指定料込みで
    232フラン (4,385円) だった。

    地図も前情報もないが、駅近くを適当に歩き見つけた
    Warmoesstraat 15 の Centrum Hotel 。
    現在ホテルはないようだが Charlie's という
    バー (?) は健在。 24号室に 2泊で 105ギルダー (5,962円)。
    着いたと友人に電話したら "ホテルは決めた? 紹介するよ"
    もう決めたと値段を言ったら、そんな安宿は紹介出来ないな… と。
    当然の話だ (頼めば高級ホテルに安く泊まれたかも?)
    たまに彼も添乗したが医者とか代議士とか
    ファーストクラスの金持ちばかりだから…

    ヨーロッパの安宿では珍しくないがホテルと言っても
    フロントはなく1階の店 (カフェやバー) で鍵を貰う。
    SVで店の横にドアが見えるが、その階段から入る。
    偶然 (?) いわゆる飾り窓地区のすぐ側で、朝だから
    分からなかったがホテルの通りはゲイの集まる地域だった。
    写真は非常階段からの眺め。 塔が見えるのは De Oude Kerk。
    旧教会と言われるように 1306年に完成した
    アムステルダム最古の教会

  • 反対側には聖ニコラス教会が、<br />つまりホテルは2つの教会の中間にある。<br />何階か忘れたが部屋を出れば (?) 見晴らしはいい。<br />時間は早かったが部屋は使えたので荷物を置いて<br />街歩きに (ほとんど泊まり客はいないからね)。<br />思い出したが、写真を撮っている廊下の突き当たり。<br />1つは非常階段だが反対側は、古いプレスリーの映画に<br />あったがドアを開けると何もない空間!<br />気をつけないと転落するが当然 安全対策など何もない。<br />偶然 近くに貸し自転車屋があり、あれば便利だろうと借りた。<br />いわゆるペダルブレーキ (コースターブレーキ) で<br />ハンドブレーキがなくペダルを反対に回して止める。<br />初めてなので最初は戸惑ったが、まあ何とか乗れて<br />効率的に街を回れた。 ところが…<br />あとで大変なトラブルに遭遇することになる

    反対側には聖ニコラス教会が、
    つまりホテルは2つの教会の中間にある。
    何階か忘れたが部屋を出れば (?) 見晴らしはいい。
    時間は早かったが部屋は使えたので荷物を置いて
    街歩きに (ほとんど泊まり客はいないからね)。
    思い出したが、写真を撮っている廊下の突き当たり。
    1つは非常階段だが反対側は、古いプレスリーの映画に
    あったがドアを開けると何もない空間!
    気をつけないと転落するが当然 安全対策など何もない。
    偶然 近くに貸し自転車屋があり、あれば便利だろうと借りた。
    いわゆるペダルブレーキ (コースターブレーキ) で
    ハンドブレーキがなくペダルを反対に回して止める。
    初めてなので最初は戸惑ったが、まあ何とか乗れて
    効率的に街を回れた。 ところが…
    あとで大変なトラブルに遭遇することになる

  • これが借りた自転車だが注目して欲しいのは<br />バックの建物。 真ん中左右に ANNO 1741、<br />つまり 1741年にできた建物だが、<br />玄関の飾りにしては変でしょ?<br />実は Pays-Bas という国名の通り、建物全体が<br />沈下したもので本来は 3階以上にあった飾り。<br />滑車を付けて荷物を引き上げる棒が突き出しているが<br />古い建物の上部には必ず付いている<br />

    これが借りた自転車だが注目して欲しいのは
    バックの建物。 真ん中左右に ANNO 1741、
    つまり 1741年にできた建物だが、
    玄関の飾りにしては変でしょ?
    実は Pays-Bas という国名の通り、建物全体が
    沈下したもので本来は 3階以上にあった飾り。
    滑車を付けて荷物を引き上げる棒が突き出しているが
    古い建物の上部には必ず付いている

  • アムステルダムで一番有名なダム広場。<br />白い塔は 1956年に第二次大戦の戦没者を<br />追悼するために立てられた記念碑。<br />左に見えるのは王宮 (旧市庁舎)

    アムステルダムで一番有名なダム広場。
    白い塔は 1956年に第二次大戦の戦没者を
    追悼するために立てられた記念碑。
    左に見えるのは王宮 (旧市庁舎)

  • これはマヘレの跳ね橋ほど有名ではないが<br />Kloveniersburgwal 運河にある Aluminiumbrug の跳ね橋。<br />元は 1896年に造られたが 1956年の付け替えた時に<br />名前のとおり初めてアルミニウムを使ったらしい

    これはマヘレの跳ね橋ほど有名ではないが
    Kloveniersburgwal 運河にある Aluminiumbrug の跳ね橋。
    元は 1896年に造られたが 1956年の付け替えた時に
    名前のとおり初めてアルミニウムを使ったらしい

  • Prinsen Gracht という道路標識が見える。<br />アンネ・フランクの家も運河沿いの同じ名前の<br />通りにあるが、運河に面する両方の通りが同じ名前は珍しく、<br />SVで反対側の建物ばかり探していた。<br />写真は Passeerdersgracht との交差点から南西方面。<br />SVを見ると右端から3つ目ぐらいまでの建物は今も同じだが、<br />その向こうの高い建物は建て替えられたようだ

    Prinsen Gracht という道路標識が見える。
    アンネ・フランクの家も運河沿いの同じ名前の
    通りにあるが、運河に面する両方の通りが同じ名前は珍しく、
    SVで反対側の建物ばかり探していた。
    写真は Passeerdersgracht との交差点から南西方面。
    SVを見ると右端から3つ目ぐらいまでの建物は今も同じだが、
    その向こうの高い建物は建て替えられたようだ

  • 王宮の裏側に入る Raadhuisstraat と<br />Nieuwezijds Voorburgwal の角から北方向、<br />王宮と新教会が見える

    王宮の裏側に入る Raadhuisstraat と
    Nieuwezijds Voorburgwal の角から北方向、
    王宮と新教会が見える

  • アムステルダムには無数の運河があり建物も似ているので<br />有名な場所以外は後から写真を見ても場所を探すのが非常に難しい…<br />アンネ・フランクの家は行かなかったがゴッホ美術館には行った。<br />あとハイネケンのミュージアムにも行っている

    アムステルダムには無数の運河があり建物も似ているので
    有名な場所以外は後から写真を見ても場所を探すのが非常に難しい…
    アンネ・フランクの家は行かなかったがゴッホ美術館には行った。
    あとハイネケンのミュージアムにも行っている

  • これも場所は不明だが湾 (?) の中にある<br />銅像と噴水。 ちょっと珍しい…<br />奥には帆船も見えている

    これも場所は不明だが湾 (?) の中にある
    銅像と噴水。 ちょっと珍しい…
    奥には帆船も見えている

  • その近くの倉庫街だろうか運搬用の線路が見える。<br />もう使われていないようだが、なぜ通行止めなのか…

    その近くの倉庫街だろうか運搬用の線路が見える。
    もう使われていないようだが、なぜ通行止めなのか…

  • これは広大なフォンデル公園内に 2011年まで<br />あったシネマテーク (現在はレストラン Vondelpark 3 )。<br />公園なので大勢の市民が集まっているが<br />別に映画を見に来たわけではない (多分)。<br />現シネマテークは、いわゆるアムステルダムの対岸<br />Amsterdam-Noord に移転し &quot;eye&quot; という映画博物館に

    これは広大なフォンデル公園内に 2011年まで
    あったシネマテーク (現在はレストラン Vondelpark 3 )。
    公園なので大勢の市民が集まっているが
    別に映画を見に来たわけではない (多分)。
    現シネマテークは、いわゆるアムステルダムの対岸
    Amsterdam-Noord に移転し "eye" という映画博物館に

  • 僕が来たのは、もちろんシネマテークでの上映が目的。<br />右のポスターは代表写真同様『道』だが奥のポスターも<br />すべてフェリーニ、つまりアムステルダムでも<br />フェリーニ特集があり 10本ぐらいの上映があった。<br />僕が見たのは『アモーレ』監督はロッセリーニです??<br />脚本の1人がフェリーニで、原作はコクトーの<br />1人芝居「声」。 ほぼ全編アンナ・マニヤーニが<br />電話しているだけの映画。<br />(映画はオムニバスで第2話はフェリーニが主演)。<br />今でこそ1人芝居も珍しくないが 1930年の発表時は<br />前代未聞で世間を驚かせたという

    僕が来たのは、もちろんシネマテークでの上映が目的。
    右のポスターは代表写真同様『道』だが奥のポスターも
    すべてフェリーニ、つまりアムステルダムでも
    フェリーニ特集があり 10本ぐらいの上映があった。
    僕が見たのは『アモーレ』監督はロッセリーニです??
    脚本の1人がフェリーニで、原作はコクトーの
    1人芝居「声」。 ほぼ全編アンナ・マニヤーニが
    電話しているだけの映画。
    (映画はオムニバスで第2話はフェリーニが主演)。
    今でこそ1人芝居も珍しくないが 1930年の発表時は
    前代未聞で世間を驚かせたという

  • これはアルトマンの『ショート・カッツ』189分のチケット。<br />長い映画は嫌いで避けるがアルトマンは好きなので見たが、<br />大いに気に入り見てよかった。 20日17:00に<br />Lijnbaansgracht 236 の Cinecenter で 13.50ギルダー。<br />劇場の写真はないが、1976年にオープンした<br />4スクリーンのアート系映画館 (当初は3スクリーン)。<br />スクリーンが番号ではなくチケットに印字があるように<br />僕が見た Coraline (113席)、Peppe-Nappa (103席) 、Pierrot (103席)、<br />そして 1979年に 52席のスクリーンが増え Jean Vigo と名付けられた。<br />ほかにアムステルダムで見たのは同じく20日に<br />『恋人はパパ、ひと夏の恋』Bellevue で 10ギルダーの 3本だけ<br /><br />

    これはアルトマンの『ショート・カッツ』189分のチケット。
    長い映画は嫌いで避けるがアルトマンは好きなので見たが、
    大いに気に入り見てよかった。 20日17:00に
    Lijnbaansgracht 236 の Cinecenter で 13.50ギルダー。
    劇場の写真はないが、1976年にオープンした
    4スクリーンのアート系映画館 (当初は3スクリーン)。
    スクリーンが番号ではなくチケットに印字があるように
    僕が見た Coraline (113席)、Peppe-Nappa (103席) 、Pierrot (103席)、
    そして 1979年に 52席のスクリーンが増え Jean Vigo と名付けられた。
    ほかにアムステルダムで見たのは同じく20日に
    『恋人はパパ、ひと夏の恋』Bellevue で 10ギルダーの 3本だけ

  • 『恋人はパパ、ひと夏の恋』のチケットも出てきたが<br />MGM の劇場らしくライオンさんが吠えている、<br />裏を見ると、同じようにライオンが吠えていて<br />Nederland とあり、その下にオランダ語で<br />FILM KIJK JE NIET MAAR BELEEF JE とある。<br />Google で翻訳すると<br />DON&#39;T WATCH MOVIE BUT YOU EXPERIENCE<br />映画を見るのではなく、体験してください…

    『恋人はパパ、ひと夏の恋』のチケットも出てきたが
    MGM の劇場らしくライオンさんが吠えている、
    裏を見ると、同じようにライオンが吠えていて
    Nederland とあり、その下にオランダ語で
    FILM KIJK JE NIET MAAR BELEEF JE とある。
    Google で翻訳すると
    DON'T WATCH MOVIE BUT YOU EXPERIENCE
    映画を見るのではなく、体験してください…

  • どの劇場か不明だが<br />相変わらずエンド・クレジットが始まれば客は帰る。<br />まあアメリカのメジャー映画など 10分以上も続くし<br />一般客にとっては無駄な情報だから無理もない。<br />僕などは例えば登場する猫の名前や Thanks の名前など<br />些細な情報も見たいから最後まで見るが…<br /><br />

    どの劇場か不明だが
    相変わらずエンド・クレジットが始まれば客は帰る。
    まあアメリカのメジャー映画など 10分以上も続くし
    一般客にとっては無駄な情報だから無理もない。
    僕などは例えば登場する猫の名前や Thanks の名前など
    些細な情報も見たいから最後まで見るが…

  • これも、どこかの映画館内だと思われる

    これも、どこかの映画館内だと思われる

  • 多分 公園内の、いわゆるレストランではなく屋外の店で<br />夕食を食べた。 前にステージのようなものがあり<br />ミュージシャンが歌っている

    多分 公園内の、いわゆるレストランではなく屋外の店で
    夕食を食べた。 前にステージのようなものがあり
    ミュージシャンが歌っている

  • オランダともお別れ。<br />アムステルダムからブリュッセルには<br />NS (旧オランダ国鉄) の Reisburo で<br />54.60フラン (3,079円) だった、<br />オランダらしく風車が見えている。<br /><br />さて最後に &quot;警察のやっかいに&quot; とは…<br />期待するような (??) ガラス窓の女やマリファナではない。<br />初めての街に朝に着いて土地勘がない時に<br />自転車を借りたので夕方返そうとしたら<br />店の場所が分からなくなった (懲りない人間)。<br />自転車王国と言われるぐらい街に自転車は多く<br />当然大きい道路は車道・自転車専用道路・歩道と<br />完全に分かれている。 もちろん一方通行なので<br />自転車は相当速いスピードで走っている。<br />貸自転車屋を探しながら (違反かもしれないが)<br />逆方向の歩道の端をゆっくり走っていた。<br />人をよけるためブレーキを掛けハンドルを切ったが<br />不慣れなこともあり自転車専用道路に落ちてしまった。<br />向こうから走ってきた 20歳ぐらいの若い女性が<br />急ブレーキを掛け、衝突はしなかったが彼女は<br />1回転して前に墜落 (?)、おでこから大量の出血!<br />西洋人なので大げさなぐらい大声で泣き叫ぶ。<br />周りに野次馬が集まり全員が僕を非難する (当然だ)。<br />誰かが連絡したようで救急車が到着し彼女を搬送。<br />警官が現れ事情聴取を受ける。<br />この時、アメリカ映画などで たまに見るが<br />警官は信じられないことを言った。<br />パスポートを見せ、日本人だと分かると<br />&quot;日本語は話せるか?&quot;  まったく意味が分からないが<br />&quot;もちろん&quot;<br />&quot;残念だが日本語は分からないから、英語で頼むよ&quot;<br />要するに僕も動転しているので落ち着かせようと<br />冗談を言ったらしい。<br />別に連行されることはなく、保険に入っているか聞かれ<br />クレジット・カードに保険が付いていると言うと<br />番号を控え、あとで連絡するようにと<br />彼女の自宅の電話番号を教えてくれた。<br />夜に電話をすると幸い良い人で<br />大きな怪我ではないし事故だから仕方ない、<br />いい旅を続けてくれ…<br />と非難したり治療費の請求もなかった。<br />でまあ、店は返却時間ギリギリに見つかった…

    オランダともお別れ。
    アムステルダムからブリュッセルには
    NS (旧オランダ国鉄) の Reisburo で
    54.60フラン (3,079円) だった、
    オランダらしく風車が見えている。

    さて最後に "警察のやっかいに" とは…
    期待するような (??) ガラス窓の女やマリファナではない。
    初めての街に朝に着いて土地勘がない時に
    自転車を借りたので夕方返そうとしたら
    店の場所が分からなくなった (懲りない人間)。
    自転車王国と言われるぐらい街に自転車は多く
    当然大きい道路は車道・自転車専用道路・歩道と
    完全に分かれている。 もちろん一方通行なので
    自転車は相当速いスピードで走っている。
    貸自転車屋を探しながら (違反かもしれないが)
    逆方向の歩道の端をゆっくり走っていた。
    人をよけるためブレーキを掛けハンドルを切ったが
    不慣れなこともあり自転車専用道路に落ちてしまった。
    向こうから走ってきた 20歳ぐらいの若い女性が
    急ブレーキを掛け、衝突はしなかったが彼女は
    1回転して前に墜落 (?)、おでこから大量の出血!
    西洋人なので大げさなぐらい大声で泣き叫ぶ。
    周りに野次馬が集まり全員が僕を非難する (当然だ)。
    誰かが連絡したようで救急車が到着し彼女を搬送。
    警官が現れ事情聴取を受ける。
    この時、アメリカ映画などで たまに見るが
    警官は信じられないことを言った。
    パスポートを見せ、日本人だと分かると
    "日本語は話せるか?" まったく意味が分からないが
    "もちろん"
    "残念だが日本語は分からないから、英語で頼むよ"
    要するに僕も動転しているので落ち着かせようと
    冗談を言ったらしい。
    別に連行されることはなく、保険に入っているか聞かれ
    クレジット・カードに保険が付いていると言うと
    番号を控え、あとで連絡するようにと
    彼女の自宅の電話番号を教えてくれた。
    夜に電話をすると幸い良い人で
    大きな怪我ではないし事故だから仕方ない、
    いい旅を続けてくれ…
    と非難したり治療費の請求もなかった。
    でまあ、店は返却時間ギリギリに見つかった…

  • さて。ブリュッセルで泊まったホテルは<br />Rue du Congres 42-44 の Hotel du Congres<br />2泊で 1,800フラン (5,601円)<br />今も営業しているようで1泊 7,000円ほどの3つ星

    さて。ブリュッセルで泊まったホテルは
    Rue du Congres 42-44 の Hotel du Congres
    2泊で 1,800フラン (5,601円)
    今も営業しているようで1泊 7,000円ほどの3つ星

  • 部屋から見て、当時は2つ星ぐらいのはず

    部屋から見て、当時は2つ星ぐらいのはず

  • パリのノートルダムではない。 ホテルからも近いサン・ミッシェル大聖堂。<br />Cathédrale collégiale des Saints-Michel et Gudule<br />ここも 1226年から 1519年の完成まで 300年近く掛かっている。<br />(相変わらず正面からは撮ってない)

    パリのノートルダムではない。 ホテルからも近いサン・ミッシェル大聖堂。
    Cathédrale collégiale des Saints-Michel et Gudule
    ここも 1226年から 1519年の完成まで 300年近く掛かっている。
    (相変わらず正面からは撮ってない)

  • またしてもブリュッセルで何かの祭り (パレード) に遭遇。<br />あとで調べると 7月21日は 独立・建国記念日だった。<br />だから今回の旅ではアメリカ、ベルギーの独立記念日<br />フランスの革命記念日に遭遇した。<br />[余談だが某有名字幕翻訳家が、ある作品で<br />Bastille Day (革命記念日、パリ祭) を<br />建国記念日と訳していた]

    またしてもブリュッセルで何かの祭り (パレード) に遭遇。
    あとで調べると 7月21日は 独立・建国記念日だった。
    だから今回の旅ではアメリカ、ベルギーの独立記念日
    フランスの革命記念日に遭遇した。
    [余談だが某有名字幕翻訳家が、ある作品で
    Bastille Day (革命記念日、パリ祭) を
    建国記念日と訳していた]

  • どれぐらい見ていたか記憶がなく<br />どんなパレードが続いたかも分からない。<br />[アムステルダムもブリュッセルも<br />ビデオを撮った記憶がない (また行方不明?)<br />写真も多くないので追体験が難しい…

    どれぐらい見ていたか記憶がなく
    どんなパレードが続いたかも分からない。
    [アムステルダムもブリュッセルも
    ビデオを撮った記憶がない (また行方不明?)
    写真も多くないので追体験が難しい…

  • ブリュッセルの街自体も<br />あまり覚えていないが夜には花火大会もあった。<br />[ブリュッセルは 1974年にも来ていて<br />小便小僧やグランプラスなどは見ている]

    ブリュッセルの街自体も
    あまり覚えていないが夜には花火大会もあった。
    [ブリュッセルは 1974年にも来ていて
    小便小僧やグランプラスなどは見ている]

  • 定番の写真とは違うが定番のグランプラスです。<br />正面は Maison des Ducs de Brabant 。<br />1698年にできた建物で 1880年代と1980年代に<br />修復しているそうです。 詳細は Wiki で、<br />と書こうとしたらフランス語とオランダ語しかなかった。<br />誰か日本語を追加して…

    定番の写真とは違うが定番のグランプラスです。
    正面は Maison des Ducs de Brabant 。
    1698年にできた建物で 1880年代と1980年代に
    修復しているそうです。 詳細は Wiki で、
    と書こうとしたらフランス語とオランダ語しかなかった。
    誰か日本語を追加して…

  • これも記憶はないが、有名な 1847年完成の<br />Galeries Royales St-Hubert にも行っている…

    これも記憶はないが、有名な 1847年完成の
    Galeries Royales St-Hubert にも行っている…

  • 普通は安食堂専門だが<br />たまには、ちゃんとした店でも食べます。<br />この狭い通り Petite rue des Bouchers  の<br />テラス席でムール貝を 705フラン (2,194円) で食べた。<br />やっぱり全然普通の安食堂ですか?

    普通は安食堂専門だが
    たまには、ちゃんとした店でも食べます。
    この狭い通り Petite rue des Bouchers の
    テラス席でムール貝を 705フラン (2,194円) で食べた。
    やっぱり全然普通の安食堂ですか?

  • レシートが出てきた。<br />Restoche という店で 21日に行っている。<br />( 2013年現在のSVでは工事中)<br />でも値段だけで何を食べたとかの記載は無い。<br />なおSVを見ると上の写真右の La Vieille Porte は健在、<br />右の Chez KARIM は  39 Rue des Bouchers に移転<br />その先 Shanghai、 La moule Provencal も健在、<br />その少し先には有名な Friture Leon もあるが<br />この通りはムール貝の店ばかり並んでいる。<br />ちなみに Leon は 1893年に Friture Leon として<br />開店しているが、ここが本店らしい。 表には<br />Chez Leon 1893 Friture Bruxeloise とあり、<br />ムール貝ではなく、フリッツが売り物らしい。<br />なお現在 Leon を検索してもパリ (フランス) しか出てこない…<br />相変わらず 07 (ハングルのア?) や 94 (仏?) なんて、ちょっと読めない

    レシートが出てきた。
    Restoche という店で 21日に行っている。
    ( 2013年現在のSVでは工事中)
    でも値段だけで何を食べたとかの記載は無い。
    なおSVを見ると上の写真右の La Vieille Porte は健在、
    右の Chez KARIM は 39 Rue des Bouchers に移転
    その先 Shanghai、 La moule Provencal も健在、
    その少し先には有名な Friture Leon もあるが
    この通りはムール貝の店ばかり並んでいる。
    ちなみに Leon は 1893年に Friture Leon として
    開店しているが、ここが本店らしい。 表には
    Chez Leon 1893 Friture Bruxeloise とあり、
    ムール貝ではなく、フリッツが売り物らしい。
    なお現在 Leon を検索してもパリ (フランス) しか出てこない…
    相変わらず 07 (ハングルのア?) や 94 (仏?) なんて、ちょっと読めない

  • ブリュッセルでは 21日に『羊たちの沈没』を<br />UGC de Brouckere で 240フランの1本しか<br />見なかったようだから、その劇場。<br />毎度の観客がいないエンドクレジット。

    ブリュッセルでは 21日に『羊たちの沈没』を
    UGC de Brouckere で 240フランの1本しか
    見なかったようだから、その劇場。
    毎度の観客がいないエンドクレジット。

  • その時のチケットが出てきた (左)、<br />右は 18日にパリの UGC Odeon で見た<br />『野生の葦』だが、同じ興行チェーン<br /> UGC なのでチケットの様式はまったく同じ

    その時のチケットが出てきた (左)、
    右は 18日にパリの UGC Odeon で見た
    『野生の葦』だが、同じ興行チェーン
    UGC なのでチケットの様式はまったく同じ

  • 以下は映画館の外観だけ…<br />Koninginnegalerij, Galerie de la Reine 26 の<br />Cinema (des) Galeries<br />映画館のオープンは 1939年だが、ギャラリー内で<br />1896年ベルギーで初めて映画が公開された場所でもある。<br />1973年に 180と 212席の 2スクリーンになった。<br />2012年に経営が代わり、なぜか館名から des が消えた。<br />主にヨーロッパのアート系映画を上映するが<br />毎年夏に Ecran Total Festival という映画祭を<br />やるらしいので、そのうち行ってみよう<br />

    以下は映画館の外観だけ…
    Koninginnegalerij, Galerie de la Reine 26 の
    Cinema (des) Galeries
    映画館のオープンは 1939年だが、ギャラリー内で
    1896年ベルギーで初めて映画が公開された場所でもある。
    1973年に 180と 212席の 2スクリーンになった。
    2012年に経営が代わり、なぜか館名から des が消えた。
    主にヨーロッパのアート系映画を上映するが
    毎年夏に Ecran Total Festival という映画祭を
    やるらしいので、そのうち行ってみよう

  • こちらは Petite Rue des Bouchers 16 の<br />Cinema Actor&#39;s Studio 。<br />アクターズ・スタジオと言っても<br />もちろんNYCのストラスバーグとは関係ない。<br />1978年に The Rivoli Cinema としてオープンしたが<br />1984年から今の名前になった。<br />前を通っただけだが、館名の下に<br />Hotel Arlequin という名前が見える。<br />面白いことに映画館は<br />現 The Floris Arlequin GrandーPlace Hotel の<br />ロビーを通り抜けた先にあるらしい。<br />やはり3スクリーンのアート系映画館だが<br />座席数は 79、93、46 というミニシアター。<br /><br />さて、旅も終盤、<br />いよいよヨーロッパから再びアメリカに戻ります…

    こちらは Petite Rue des Bouchers 16 の
    Cinema Actor's Studio 。
    アクターズ・スタジオと言っても
    もちろんNYCのストラスバーグとは関係ない。
    1978年に The Rivoli Cinema としてオープンしたが
    1984年から今の名前になった。
    前を通っただけだが、館名の下に
    Hotel Arlequin という名前が見える。
    面白いことに映画館は
    現 The Floris Arlequin GrandーPlace Hotel の
    ロビーを通り抜けた先にあるらしい。
    やはり3スクリーンのアート系映画館だが
    座席数は 79、93、46 というミニシアター。

    さて、旅も終盤、
    いよいよヨーロッパから再びアメリカに戻ります…

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