1994/07/04 - 1994/07/07
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milouchatさん
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僕は怠け者なので旅行中に動くのは好きではない。
日本の日常でも映画に行く日以外は家から一歩も出ず
ポストすら見に行かない "引き籠もり" 状態。
だから国内旅行は皆無に近いが、外国に行っても
旅行記を見れば分かるが、普通は1つの場所に滞在し
最近は乗り物もほとんど使わず徒歩圏だけ。
とはいえ、たまには "周遊" することもある。
今回は (74年),86年 90年に続き個人では多分 4回目の周遊で、
[93年にもパリからコペンハーゲンに飛んでいたので 5回目?]
7月4日から 28日まで3週間ちょっとの行程で、
アメリカからヨーロッパ、そして再びアメリカ
に戻る地球半周x2(?) の周遊だった。
[ちなみに、まだ普通の会社員でした。
3週間も休むなんて普通じゃない?
まあ色々ありまして…]
全行程は サンフランシスコ→シカゴ→→パリ→リヨン→ニース
→ (パリ) →アムステルダム→ブリュッセル→→ニューオーリンズ
と移動した。
エアーはどこか不明だが珍しく出発は伊丹から。
[調べたら関空オープンは 94年9月だったから当然でした…]
近畿日本ツーリストの系列会社で留学斡旋などを
メインにする小さな旅行社に知り合いがいて、
エアーとニューオーリンズのホテルのみ依頼、
料金は 172,000円だったが、この旅行社は非常に融通が利く。
普通では考えられないが、この時に料金を払ったのは、
(知り合いで信用できるとはいえ?) 出発当日の朝。
空港に行く前に店に寄り全額現金で支払った…
写真の表示は San Francisco Municipal Railway 。
レイルウェイとあるが、いわゆる鉄道ではない。
サンフランシスコ名物の ケーブルカー内にあったもの。
と言っても Municipal Railway はケーブルカーだけでなく
路面電車やバス、トロリーバスなども含むらしい
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ホテルは珍しく観光案内所に寄って紹介してもらった
安ホテルで、 2つ星の Albergo Hotel Verona。
514号室に3泊で 95.20ドル (9,579円) だった。
場所は 317 Leavenworth St. でホテルは現在も同じ場所にある。
突き当たりにシヴィック・センターのタワーが見えるが
決して治安のいい地域ではない。
●"サンフランシスコの危険な場所まとめ" というサイトを
見ると、見事にテンダーロインという危険地域の中にあり、
"旅行者は昼間でも立ち入ってはいけません。
麻薬で完全におかしくなっている人たちが道で
倒れていたりするので車でも走らないほうが安全です"
と書かれている。
僕は相変わらず毎日深夜近くに帰ったが、
ほとんど暗闇の道端の そこここに数人の男が立っている。
(ドラッグの取引だったの?)
確かに少し異様な雰囲気は感じたが、
そんな体験は初めてではないし
幸い危険な目には遭わなかった
(逆に向こうが逃げたりして??)
朝食付きだが、朝食と言ってもロビーに
コーヒー・マシーンがありプレーン・ドーナッツが
籠に山盛りで好きなだけ (?) 食べられる。
と言っても1種類だけなので、せいぜい3つが限度…
(それでも予備に毎日2個ほど持って出かけたが)
安ホテルが集中する地域なので貧乏旅行者にはお勧め (??)
[★2021年10月29日公開の『場所はいつも旅先だった』という
松浦弥太郎監督のドキュメンタリー映画のチラシ (の1枚) に
このホテル外観の写真が使われている!!そして
"旅のはじまりはサンフランシスコと決めていた" という文章も…
(関係ないが この時の僕と同じだ…
だから旅行記タイトルもマネして似た文章に。
ちなみに映画は面白くなく、ホテルも登場せず)] -
ホテル部屋からの眺め
-
関係ないがキャロル・キングの
コンサートを放送していた -
さて、サンフランシスコに着いた日は
ちょうど独立記念日 (狙ってきたわけではない)。
夜にはノース・ビーチの
海事国立史跡公園で花火大会があるので、
昼頃から夜まで近辺でのんびり。
皆さんも寝ています… -
ステージではベリー・ダンスではないが
アラブ風音楽に合わせ5人のダンサーが
踊っている -
小さい女の子たちも音楽に合わせ踊る
-
Fourth Of July Waterfront Festival という催し。
もちろんダンスだけでなく複数のバンドが
登場したり色々なものを見せる -
これはサックスがメインの
フュージョン系バンドで
キーボードは女性です -
さすが外国、真夏だというのに
分厚いセーターやダウンの人までいる -
もっとも 気温は摂氏で 10~16度なので
冬の格好も不思議ではない。
花火大会が終わり、同時に多くの人が帰るのでバスが満員で
乗れず 夜の 11時頃に途中まで歩いてからバスに乗った。
半袖 Tシャツ1枚だったので震えるほど寒く
屋台で買ったクラム・チャウダーで体を温めたが
最高のごちそうだった -
天気はよく、海も穏やか。
昼寝にはもってこいだが泳ぐ人はいない。
真夏でも水温が低いからね…
(僕も水着は持っているが、この日は持参せず) -
向こうに見えるのはアルカトラズ島。
こんなに近いのに脱獄は不可能に近い
1つの理由は水温が低すぎることらしい -
しかし寒い中、泳ぐ人がいた!
しかもバタフライで!
(脱獄じゃないのは確かだが物好き?) -
ピンボケで見えないが、堀江青年が
"太平洋ひとりぼっち" で
サンフランシスコに着いたときの写真です。
浜辺の端に博物館があり実物のヨットが
展示されていた。
写真でもヨットの小ささは分かるが… -
実物を見ると、さらに感動するマーメイド号。
ちなみに昔 西宮に4年住んでいた。 そのとき
市主催の1週間ほどのヨットの講習を受けたことがあり
もちろん堀江青年が出発したヨット・ハーバーで操縦もした。
講習終了後、クラブに入らないかと誘いがあったが、
金が掛かりそうだから参加せず。
そういえばフィールド・アーチェリーの講習も受けた… -
夜の花火は結構長く続き、まあまあ良かった。
でも、相変わらず美しくは撮れていないので… -
これだけで終わり…
ただ、ほかの花火大会と違うのは、
花火の間も途切れることなく
大音量で音楽が流される。
音楽以外にもキング牧師の有名な演説
"I Have A Dream" が流されたりもしていた。
"独立" 記念日だからね… -
さて、ホテルはパウエル・ストリートにも近いので
もちろん名物のケーブルカーには何回か乗った。
以下、ケーブルカーをまとめて
( 「オペラ座の怪人」 のポスターが見える…) -
対向するケーブルカー
(こっちにも 「オペラ座の怪人」 がいる…) -
全然分からないかもしれないが、
ちょっとだけ右に見えているのは
グレース大聖堂です -
これは運転席で、レバーのようなものを
足で動かしたり前にあるものを引っ張ったり、
電車のように座ってではなく立ったまま
運転するし結構激しい動きなので大変そう… -
面白いのは運転席が
車両の先頭ではなく途中にある -
立っているのが運転手で
その前にも座席があり、なぜか前後ではなく
外に向かって座るようになっている観光仕様? -
全車両かどうか知らないが座席は木製
-
ケーブルカーの駆動 (??) 部分
-
Polk St. と California St.の交差点にあった
右手の Chelsea Square 内に Discount Travel と言う
小さな旅行社があり、ふと思いつき
1ヶ月のうち3日間乗れるフランス・レイルパスを買った。 -
これが買ったフランス・レイルパス。
料金は 180ドル (18,112円) 。 思いつきで買ったので
日本で買うのとの料金の違いは分からない。
その場で受け取りではなく後日貰いに…
ヴァリデイトは 7月15日にモンパルナス駅でしている -
ケーブルカーは終点で丸い ターンテーブル (?) に乗り
2人の人間が手動で 180度回転させ、始発の駅になる -
これ、特に珍しくはないが
気に入ったバス停の椅子 (ベンチ)
座るときは手で下ろし、人が立てば自動的に上がり
スペースを取らない -
どこに行った時か不明だが
バスの車内のようです -
乗り物の切符が出てきたので追加だが
空港からは BARTを利用。
全く覚えていないが、磁気カード式の
紙のチケットでチャージもできるらしい。
裏面の説明を見ると残額が 8ドル以下 (現在は 11ドル)
になったら最低5セントから増額できる (現在は不明)。
今 思い出したが、帰りの空港には路線バスで行ったので
1回しか使ってないと思うが、最初のチャージ (?) は
いくらだったのか…
もし残額がたくさんあったら大損かも。
チャージできる有価証券だから (?)
裏面には住所氏名を書く欄があり、
無くして BARTに届いたら (??) 送ります、とある…。
思い出したというのは、飛行機の出発まで
たっぷり時間があったので路線バスで行ったが
急行ではなく各停に乗ってしまい、
もちろん飛行機には間に合ったが
1時間以上掛かり不安になったこと… -
これは muni バスのチケットだが
日付が7月7日なので、上に書いた
空港行きの時かもしれない (料金不明)。
裏面には、ケーブルカーには乗れません、
とか注意書きがいっぱい書いてある。
時間内なら乗り換えも出来るので
斜めに切った文字で 11:30 まで有効と分かる -
道路脇にずらっと並んでいるのは
粗大ゴミではありません。
ほとんどは有料や無料の新聞の自販機。
今いくらか知らないが、クォーター (25セント) を
入れて蓋を開け新聞を取り出す。
だから数部取ろうと思えば取れる (窃盗ですよ) -
Caffe mio という看板が見える。
209 Ofarrell St. にあったようだが、角店なので
こことは違うだろうが、SVでは 2008年以後、
その場所に Caffe mio は存在しない。
ただ歩道の模様は同じようにも見える… -
昼食に入った、どこかのスポーツ・バー。
ちなみに僕はサッカーの興味はゼロです -
もちろん有名な金門橋も見に行った
-
歩いて渡ろうかな、とも思ったが
気が乗らず渡らなかった -
金門橋から遠くない場所に
Golden Gate Park がある。
サンフランシスコと日本は縁が深いが
公園の一画には日本庭園もある -
滝が見える。 池はストウ湖、
滝はハンティントンの滝というようだ -
真ん中ではカメが何やらヒソヒソ話をしている。
それとも愛の囁き? -
こちらでは犬の調教をやっている。
座れ (待て) と命令すると
追いかけず、おとなしく待っている -
来いというと、初めて走ってくる。
躾ではなく、芸を教えているのかも… -
日本人街の近くに変わった形の建物があった
-
よく見ると、てっぺんに十字架があり、
聖マリア被昇天大聖堂という教会だった。
真上から見ると完全な十字の形をしている -
正面入り口。
あまり教会らしく見えないが
カトリック教会です。
入ってみましょう -
中に入ると内部も非常に変わっている。
元は 1854年に出来た教会だが
1962年に火災で焼失、1970年に再建された -
でも天井が低いと圧迫感があって
なんだか落ち着かない -
パイプオルガンも変わった構造。
どんな音がするんだろ… -
クーポラじゃないが天井部分から
ステンドグラス越しに光が入る -
下部の窓にもステンド・グラスが
-
すぐ側には別の古そうな教会もある。
(撮影日が 7月8日になっていて
あれっ? と思ったが、例によって
日時の設定をしてなくて日本時間のまま) -
1862年に出来たルーテル派の St.Mark's Church 。
サンフランシスコでは何度も地震があり
崩壊した教会も多いらしい。
ここも東の塔が壊れたという -
これが再建された東の塔。
それ以後の被害はないそうだ -
教会の前は、当然 (?) St.Mark's Square
-
ついでに別の教会も。
ただし、場所や名前は分からない。
(つまり調べていない) -
ここにも教会が、
サンフランシスコらしく坂道にある。
いや、同じ教会のように見える -
色々な街のチャイナタウンを見ているが
世界最大らしいサンフランシスコはさすがに広い。
ここは Washington St.とWaverly Pl.の交差点から東方面。
突き当たりの塔は教会ではなくサンフランシスコで一番高い
トランスアメリカ・ピラミッド。
ちなみに Waverly Pl. の中国語名は天后廟街。
現在、左右の建物は同じだが店はすべて替わったようだ。
しかしSVを 2009年まで遡ると一番奥の赤い看板の店は
皇宮酒楼になっているが、そのほかは写真と同じだった… -
そして天后廟街の角に、この Golden Dragon Dining があったが
現在は少しだけ移動し、上の写真の赤い看板、
つまり皇后酒楼と同じビルに入り、表には
Imperial Palace Restaurant と Golden Dragon Dining
が並列に。 出世したのか支配下に入ったのか、
どうでもいいけど面白い -
突き当たりに見えるのは
ホテルからも遠くない市庁舎。
このあたりも治安が悪いとされていて、
昼間でも人通りは少ない。
よく見ると左手にパトカーが見え、
何となく事件の匂いがする -
その市庁舎の近くに Opera Plaza という
小規模のモールがあり面白い書店やアート系の映画館がある。
書店で、名前は忘れたが作家の講演会があり参加。
もちろん映画も、ここでは 3本見ている -
上映中のポスターは、左から
『グレン・グールドをめぐる32章』(5日に7ドル)
『泉のセイレーン』(6日に7ドル)
『ベルエポック』(5日に7ドル) をここで見た -
なぜかロビーには『ロッキー・ホラー・ショー』の
日本版ポスターが飾ってある。 何で?
とイチャイチャしていた
ヒスパニックと東洋系の男女のスタッフに
聞いたが "そんなん知らん!"とさ。 ちなみに、
(25年も前だが) すでに全館禁煙でタバコは
劇場外のベンチでだった -
グレン・グールドが氷原を遠くから歩いてくる、
映画の冒頭。 いかにも G・Gらしい (?) たたずまい -
実はサンフランシスコは
ロサンジェルスやニューヨークより文化的で
アート系の映画館も多く居心地がよかった。
そういえば、写真はないがヘイト・アシュベリーにも行ったが
サンフランシスコはヒッピー発祥の地 (?) だったな…
これは、いかにもアート系らしい館名の
1572 California St. にあった Lumiere 。
2012年 9月に閉館し現在は Cordon Bleu という
名前だけ (?) 立派なレストランなどになっているが、
なぜか上部にはビルボードだけが残されている。
ここでは6日にアルモドバルの『キカ』を7ドルで見た -
左が『キカ』、右の『レッド・ロック 裏切りの銃弾』は
前年パリで見ている (どちらも面白かった) -
1529 Polk St. にあった右手奥の Royal Theater では
6日に『アイ・ラブ・トラブル』を 7ドルで。
ここは 1916年からある由緒ある劇場だったが
2003年6月にファサードなど一部を残し破壊された -
1268 Sutter St. にあったRegency (1998年閉館)
では 6日に『フォレスト・ガンプ』を 3.45ドルで見た。
(最初、フォレスト・キャンプだと勘違いした)
現在ここは1階の客席をすべて取り払い
The Regency Ballroom という名の
ロックのライブ会場になっている。
舞台やバルコニーの客席に昔の名残がある
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