1994/07/22 - 1994/07/27
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milouchatさん
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(1974年),86年 90年に続き個人では多分 4回目の周遊で、
[93年にもパリからコペンハーゲンに飛んでいたので 5回目か?]
7月4日から 28日まで3週間ちょっとの行程で、
アメリカからヨーロッパ、そして再びアメリカ
に戻る地球半周x2 (?) の周遊だった。
全行程は サンフランシスコ→シカゴ→→パリ→リヨン→ニース
→ (パリ) →アムステルダム→ブリュッセル、そして
ブリュッセルからニューオーリンズには確かワシントンで
乗り継ぎだったはず。
ニューオーリンズのみ旅行社に頼みホテルを予約している。
理由は不明だが、多分 旅行社の友人に勧められたからだろう…
写真は何でしょう?
一番上に "二都物語" と書いてある。
言うまでもなくディケンズの小説のタイトルなので
芝居のポスターかな、と近寄ってみると…
[ちなみに宝塚でも大地真央でやってるしミュージカルもあるらしい]
この年 1994年1月1日から6月22日までの約半年で
人口 565,000人のボストンで殺された人は 46人、
人口 475,000人のニューオーリンズでは 258人!
つまりニューオーリンズの治安が
いかに悪いかの注意喚起ポスターだった。
そんな恐ろしい街で僕は…
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
泊まったホテルは 1113 Canal St.の Hotel La Salle 。
6泊で 130.26ドル (13,394円) 、
なぜかフランス国旗のある場所がホテル。
隣と言うか、同じ建物だが 1111番地には
Saenger Theatre という劇場がある。
現在はホテルを含む建物全体が劇場だが
2011年のSVまでは同名のホテルが確認できる。
チェック・インするときカウンターでホテル近辺の地図を出し、
赤で四角に囲った場所があり、絶対入るなと言われた。
それはホテルにも近いルイ・アームストロング公園…
ちなみに外務省の海外安全ホームページでも
ニューオーリンズは "国内有数の犯罪多発都市" とある -
ホテルのフロント。
今回の旅行で泊まったホテルでは
一番立派なフロントがあったホテル。
(僕にはもったいない?) -
部屋の様子。
チェック・インしたのは夜遅くで、 まずは一服と
タバコを吸うと、突然火災警報が鳴り出した!
別に禁煙ではなく灰皿も置いてある部屋だが
吸った場所が悪かったようで煙探知機が反応した。
幸いスプリンクラーはないからよかったが
大男の黒人が飛んできて窓を開け毛布で
風を送り煙を排出する。
別に叱られなかったが、一応 謝った -
最初の写真でも見えるが
ホテルの隣というか、同じ建物に
Saenger 劇場がある。 9月末から
「サウンド・オブ・ミュージック」 上演ですね。
下には 「オペラ座の怪人」 のポスターも… -
劇場の入り口が開いていたので
無断で入ってパチリ -
ホテルの真向かいには
Loews State Palace Theatre という劇場もある。
ビルボードにはハードコア系のロックバンド
Rollins Band & Helmet July 23 7PM とあり、
ちょうど滞在中だったので見に行った。
2階席だったがマリファナの匂いが充満している。
音楽には、あまりノレず最後まで見なかった。
ちなみに劇場は 1926年にサイレントの映画館として
オープンした豪華な劇場だったが、80年代からは
コンサート・ホールとして使われている -
チケットが出てきた。
多分 料金は 18.25+0.75の 19ドル
23日19:00開場。 コカ・コーラ提供ですね。
当然 カメラ、レコーダー持ち込み禁止 -
ニューオーリンズと言えばフレンチ・クォーター。
早速 行って見たが、とにかく夜は人が多く
お祭りのように混雑し騒々しい -
黒人の子供 2人がタップ・ダンスをやっている。
昼間にも見かけたが、何時間働いているのか… -
これが昼間の彼ら。
当然だが靴の先には
金属が付いていてタップの音がする -
歓楽街なので怪しげな店も多い
-
一応 プリザベーション・ホールにも行ったが
写真はない。 歩いていると色々な店から
ライブの音楽が聞こえる。
House Of Blues という店にも入ってみる -
こちらは 3,4組のバンドが出て
もちろんブルースを演奏していた -
TVか映画の撮影をやっていた
-
TVと言えば、なぜかブルース・リーの写真が、
実は 7月20日が命日だったのです。
ちなみに『燃えよドラゴン』でブレイクする直前、
「復讐の鬼探偵ロングストリート」 という
TVシリーズの 4つのエピソードに出演している。
主人公に截拳道を教え有名な "Be water (水になれ)"
という哲学 (?) を披露する (もちろん格闘シーンもある)。
そのドラマの舞台がニューオーリンズなのです -
ついでに (?) ミック・ジャガーも。
こちらは 51歳の誕生パーティの案内。
ちなみに、ここでは誕生日は 7月25日だが
ウィキでは 26日になっている
[いやパーティが 25日で誕生日とは限らないかも] -
100均 (99セント・ストア) があったので
覗いてみる -
まるで暴徒に荒らされたかのような店内。
店員らしき男が写真を撮るなと睨んでいるようだ。
僕は気弱なので (?) 夜の喧噪に耐えられず、
"観光" は中止して、朝にすることに… -
朝のフレンチ・クォーターは観光客もいないし
街は静か。 道路も清掃車がきれいにし気持ちがいい -
左の看板に Female Amateur Wrestling
という看板がある。 つまり泥レスではないが
素人 (?) の女子プロレスを見せる、少し いかがわしい店。
実は そこ (写っていない左の建物) は
ラフカディオ・ハーン (小泉八雲)が
10年間住んでいた 516 Burbon St.なのだが…
[●よく調べると右の黄色い家が 516番地 (現 Swanp)だった。
僕が入ったのが写っていない手前の建物だと思われる]
写真を撮っていると若い女性が近寄ってきて
私の部屋はフレンチ・クォーターで
一番見晴らしがいい、 5ドル払えば見せてやると言う。
普通の人なら警戒して断るだろうが、
馬鹿な僕はノコノコ付いていく。
店の奥にある暗い階段を 4階ぐらいまで登る… -
名前は忘れたが彼女の屋根裏部屋には
4、5人の男が寝ていたようだ (彼女は女王蜂?)。
確かに見晴らしは良かったがエアコンはなく
蒸し暑くて 30分もしないで退散… -
窓からの眺めは、こんな感じ
-
彼女が自慢の刺青を見せる
-
1階にはリングがあり
彼女も大サービス -
ちょうど帰ってきた彼氏を
American asshole ! と紹介した -
これ、なんだか分かるかな?
直径 20センチぐらいの大蛇が
透明のケースで飼われている -
少しはまともな観光案内で、
ここは多分一番の観光名所ジャクソン・スクエア、
観光用の馬車もたくさん走っている。
突き当たりに見えるのはセント・ルイス大聖堂。
オリジナルは 1718年にできたが火災などで
建て替えられ、現在は 1794年に完成した3代目とか -
教会前の騎馬像は、その名の由来
第7代アメリカ合衆国大統領の
アンドリュー・ジャクソンです。
ちなみに『愛のメモリー』では、この教会で
結婚式を挙げる予定だったが、
HPを見ると現実にも結婚式ができる -
大聖堂の左にあるスペイン統治下の
1795年にできたカビルド。
1908年以後は歴史博物館になっている -
カビルドの西隣 615 St Peter には 1762年に
スペインの武器庫 として造られた The Arsenal がある。
現在はカビルド付属の博物館として軍事関係の展示をしている -
大聖堂の裏庭 (St.Anthony's Garden)です。
こんな場所を夜歩いては危険?
この写真では分かりにくいがキリスト像に
下からライトが当てられ巨大な影が
建物に映っている。 ホラー映画でよく使う手? -
フレンチ・クォーターという言葉は英語だが
フランス語では Vieux Carré (古いスクエア、一画)、
フレンチ・クォーター中心に通りの名前はフランス語が多い。
バーボンは、もちろんブルボン。
ここはツールーズとシャルトル、まるでフランスにいるみたい。
当然 発音は英語式になるが、そもそも New Orleans も
新オルレアンでフランス語では Nouvelle-Orléans -
Burbon と Toulouse の北西角にあった
フレンチ・オペラ・ハウス跡を示すプラーク。
1859年にできたが 1919年の火事で焼失。
フレンチ・クォーターは古い地区なので
こういうプラークがたくさんある -
同じく 640 Royal St. にあった
Pédesclaux Lemonnier House 跡。
1795年に Pierre Pédesclaux が建てたが
1811年に Dr.Yves Réné Lemonnier が
買ったことから 2人の名前が付けられている。
どちらも建物の写真はないが、何の面影もないので省略 -
ホテルから 3ブロック東、
N.Rampart と Conti の角。
ルイ・アームストロング公園の側です。
"歩き方" にも N.Rampart の北側は歩くなとある -
その北側の角にあるのが聖母グアダルーペ教会。
アメリカで唯一メキシコの聖母エクスペダイトの
像があり、なぜかオタクの守護聖人とされている -
ここは St.Ann Street
おとぎの国のような (?) カラフルな
建物が並んでいる、今も同じ色だ!
(ホームレスが寝ているようだが…)
突き当たりには白いアーチが見える。
天国の門? -
アーチには Armstrong という文字が、
そう、危険地帯のルイ・アームストロング公園の入り口です。
入ろうかなとも思ったが、別に用はないし (?) やめておいた -
こちらは危険ではない (?) Elk Place という公園入り口、
像は Molly Marine Statue 。 モリーが何者か分からないが
女性海兵隊員を増やそうと 1943年に建てられたもので
現在はニューオーリンズ以外にもある。
Women Marines Association という組織もあり、
1969年には Molly Marine Awards という賞もできた -
フレンチ・クォーターに戻ってきた。
ジャクソン・スクエアの側にあるのが
やはり名所と言える Café du Monde 。
店の前あたりで大道芸をする人も多い -
これが名物のベニエ、
ってメニューで食べるものはこれだけ -
3つで1ドルしない 90セント、
コーヒーと同じ値段ですね。
ここは いつも混んでいるが
リバーサイドにあった支店は空いていて
外輪線を眺めながら休憩出来る。
(現在の写真を見ると結構大きいが当時の店は
もっと小さかったし今と同じ場所かは分からない) -
多分 そのときの写真。
実は、夕食はリバーサイドのどこかの店で
食べたがメニューにブードゥー・ビアーがあり
珍しいから注文した。
小瓶を 2本飲んだだけだが、気のせいか、
よく回り帰りに気分が悪くなった。
ホテルまではバスで数駅だが、車内で吐いても困るので、
しばらくバス停のベンチで横になったが…
そのまま寝てしまった。 2時間ぐらい寝ていたようで
気分は直ったが後から考えると、ゾッとする非常に怖い話。
もっともホームレスとして収容されても困るけど… -
ジャクソン・スクエアの少し先には
1791年からあるというアメリカで一番古い
フレンチ・マーケットがある -
一応 覗いてはみたが別に買いたい物はない
-
Life Is Short と書いてあるように、危険はどこにでもある。
サメに襲われたときに防御する土産物があり買った。
長さ 10センチほどの丸い木の棒でサメの歯形が付いている。
説明書によると襲われたとき…
サメの口に入れて突っ支い棒にするらしい。
襲われたことがないので効果は不明 -
変な物も売っているドラッグストア。
寺山修司じゃないがデブ子フェチも
多いんでしょうかね…
僕も入って、その手のマッチを買いましたが -
こちらは変な人間 (?)
カメラを向けると手を振ったりする人は多いが
彼は、わざわざサングラスを外し動物のように (??)
カメラに ぶつかるほど近づく -
(メルセデス) スーパードームだが、歩いていて
なぜか西側の高速ジャンクションの下から近づいてしまった。
人の姿は全くない荒れ地で、襲われたら終わりだね… -
こっちが正面、と言っても
どこから見ても同じ形だけど…
入り口の階段を上ると、ガイドツアーの
案内があったので入ることに -
天井にはゴンドラがある。
宇宙船が降りてくるよう。
大スクリーンは三菱製だと説明があった -
何かのコンヴェンションがあるらしく
セッティング中。1つのテーブルに
10人は座れるので何千何万 (?) という
人が入れる。 1981年のストーンズに9万人
入ったのがコンサートでは記録と言っていた -
前の茶色い部分は普通の椅子席です。
ところで手前に柵が見えるが
写真を撮っている場所は… -
絵が一杯飾ってあり普通の部屋のようです
-
部屋には台所もある。
そう、いわゆる 貸切のVIP席です。
テーブルやソファーがあり、20人は楽に入れる広さ。
バルコニー (?) に出れば、
先の写真のように特等席で見ることができる -
ニューオーリンズは古い街並ばかりではない。
Canal St. を境に西側は数は多くないものの
高層ビルが並ぶビジネス地区になる -
2 Canal St.にある 124メートルの World Trade Center に
展望台があり高いところは好きなので上る。
(2018年からフォーシーズンズ・ホテルが入っている)
これは西方向だが左の黒いHale Boggs Federal Building や
奥のニューオーリンズで一番高い (212メートル)
Hancock Whitney Center (旧 One Shell Square) は
そのままだが、かなり現在とビルが替わっている。
例えば左端の白いビル LYKES は位置関係から
現在の LOEWS だと思われるがビルの形が少し違う。
調べると、まさに 1994年まで本社がニューオーリンズに
あった船会社のビルだったが建て替えられたようだ -
南方向、向こうに見える橋はトラス橋 (?) としては
世界で 5番目に長いクレセント・シティ・コネクション。
(1989年まではグレーター・ニューオーリンズ橋) -
今度は北西方面で左端の建物は
ショッピング・モールのある Canal Place -
その Canal Place の中に Canal Place Cinema
というアート系の映画館がある -
モールの中
-
天井部分から光が入り明るい
-
モールに Cathouse という猫店があった
-
この映画館はアート系チェーン
Landmark Theatres の 4スクリーンの映画館。
(サンフランシスコで3本見た Opera Plaza も同系列)
2010年に Southern Theatres の経営になり
スクリーンは 5つに、 2014年には 8つに増え、
2017年には Regal Entertainment の経営に代わり劇場名も
Cinebarre Canal Place 9 になったが、2019年の5月に閉館…
この時は4つの すべてのスクリーンで 4本 (すべて4ドル) を見た。
24日『Go Fish』(ハードコアとも言えるレズビアン映画) と
『依頼人』、25日『トリコロール/白の愛』、26日『ウルフ』。
(残った1本『アイ・ラブ・トラブル』はサンフランシスコで見た)
ほかにニューオーリンズで見たのは 23日『シャドー』4ドル、
26日『トゥルー・ライズ』を Joy Theatre で 3.5ドル -
多分 Canal Place Cinema だと思うが。
凄いでしょ、フィルム交換も重労働です。
昔は2台の映写機があり1巻ごとに交互に使った。
高年の人なら覚えていると思うが
スクリーンの右上に白か黒のマークが出る。
それがフィルム・チェンジの目安だった。
その後、写真のように事前にフィルムを繋いで
大きなリールを使うようになった。
現在の新作はデジタルに替わり
DCP (3.5インチ 500Gのハードディスク) になり
フィルム上映が出来る劇場は極めて少ない。
一部の劇場では (と言っても 200近くあるが)
衛星回線を使ったライブ・ビューイング上映まである。
"時代は変わる…" -
これが『トゥルー・ライズ』を見た Joy Theatre で
1947年に 1,200席の劇場としてオープンした古い映画館。
ハリケーン・カトリーナの被害を受け閉館したが
2011年にコンサート・ホールとして再開している。
場所はホテルの対角線にあり、この写真でも
前にいるのは全員黒人だが観客は黒人ばかりで、
映画が映画だし (?) 上映中の騒ぎ方は凄かった -
2枚のチケットが見つかったが
右のチケットには真ん中に Delta Thea* とあるが
上には Downtown Joy とある。
ニューオーリンズには Delta Theatre もあったが
60年代に閉館らしいので、そこではあり得ないのだが…
僕が行った Joy Thatre だとしたら
2回行ったことになり、やはりおかしい。
よく見ると全体の枠も端が四角と丸で違うので
(両方にDelta とあるのが気にかかるが)
別の劇場と考えるべきだろう…
であれば劇場名は不明だが『シャドー』を
見たときのチケットだろう -
一応 猫の写真も1枚だけ…
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