1994/07/09 - 1994/07/18
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milouchatさん
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旅行と言っても、原則 1カ所に滞在し移動しない僕だが
今回は7月4日から 28日まで3週間ちょっとで、
アメリカからヨーロッパ、そして再びアメリカに戻る
地球半周x2(?) の周遊をした。
全行程は サンフランシスコ→シカゴ→→パリ→リヨン→ニース
→(パリ)→アムステルダム→ブリュッセル→→ニューオーリンズ。
サンフランシスコでは独立記念日、シカゴでは Food Fair と
"お祭り" に遭遇したが、今度はパリ祭に遭遇 (パリ祭は2回目)。
でも多分、この時は敢えてパリ祭を日程に入れたはず。
どっちにしても僕の場合、パリがメインというかホームで、
パリから どこかに行ってパリに帰るという感覚。
[なおパリにはシカゴからと、アムステルダムに行く前の
2回の滞在を一緒にしたので旅行期間は実際と違う]
写真のピンク・フロイドのシャンティイ城公演の両側は
『羊たちの沈没 (The Silence Of The Hams)』
もちろん『羊たちの沈黙 (The Silence Of The Lambs)』の
パロディ映画だが出来はともかく、題名だけは邦題も含め見事
(イタリア映画なので原題は「Il silenzio dei prosciutti」
フランス語題は Le silence des jambons)。
やはり傑作なシャロン・ストーンが足を組み替える問題の場面もある。
映画を見たのは 7月21日ブリュッセルの UGC de Brouckere
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
パリでは複数のホテルに全部で 8泊している
はずだが、いつどこのホテルだったかは不明。
1つはモンパルナスの Rue Delambre にある
Hôtel Delambre で2泊した。
現在は3つ星だが当時は2つ星、
玄関横にプラークが見えている。
ここは 1891年にはゴーギャンが
1921年にはブルトンが滞在していたホテル。
パリには そんなプラークが溢れている -
確かではないが、多分 Hôtel Delambre の中庭。
なぜモンパルナスに泊まったかというと… -
読めるか分からないが、なぜかフランスとスイスの
レイルパスには特典が多く、まず空港から市内への
シャトルバスが無料だったのでモンパルナスに出て
移動が嫌いなのでホテルもモンパルナスで探した。
他のホテルは、いつもどおりカルチエ・ラタンのはず -
ホテル並びの 27番地入口に酷似しているが
門扉の模様も上の像も一致しない…
どこか分からないが、近くには違いないはず -
これは多分、別のホテルからの眺め。
[いや、お恥ずかしい? 何のことはない、
昔の定宿で 60泊ぐらいはしている
オデオン近く Rue Monsieur le Prince にある
Hôtel Stella の窓からでした。
とにかく、1748年造の建物なのでノートルダム同様
外は石だが中は木造で床も木なので歩くとミシミシ
音がする。 昔は安さが売りだったが、何度か経営が替わり
補修され今では "古さ" が売りで結構高くなっている。
多分残りの 6泊はここだと思うが分からない。
ちなみに『ミッドナイト・イン・パリ』でタイムスリップする
レストラン POLIDOR の2階以上がホテルです] -
参考までに2000年に泊まったときの
同じホテルの窓から。
上の写真は2階で、これは3階の窓からだろう。
ちなみに、まずパリで行きたかったところは
移民の街 Barbès-Rochechouart の格安衣料スーパー
TATI 。 このあたりはフランス人でも避けると言われる
治安の悪い場所として有名。
残念ながらビデオが行方不明だが、確かにメトロの通路にも
たくさんの出店 (商品は地面に) が並び他の駅と雰囲気が全然違う。
高架の駅を降りても異様な雰囲気だが来るのは初めてではない。
別に買いたい物があったわけではなく
"les plus bas prix" (最安値保証??) が売り文句の
TATI を覗いてみたかっただけ。
(7月11日に靴下何足かを 7.90フランで買ったレシートが見つかった)
衣料品だけでなく食器など雑多な商品が、まるで
ドンキのように (?) 並べられ通路が狭くゆっくり見れない。
それはともかく、まずはモンパルナス界隈から…
、 -
と言っても、この場所も分からないが
トゥール・モンパルナスが見えている -
モンパルナスも映画館が多いので
数え切れないほど来ていて
カルチエ・ラタン同様 庭みたいなもの。
これは有名なキャバレー・シアター BOBINO 。
前身はダンスホールとして 1800年にスタートという
モンパルナスの象徴的な歴史的娯楽施設だったが
1980年に閉店、1991年に再開している。
(入ったことはない) -
レンヌ通りの 126番地あたりからのトゥール・モンパルナス。
右奥に見える白っぽい建物は今もあるガラス張りの FNAC。
ここは確か僕が初めてパリに来た 1974年オープンだと思うが
当時パリの真ん中では異質のガラス張りで非常に目立った -
何度目かのモンパルナス墓地…
と思ったら勘違いで
ペール・ラシェーズの方だった -
ペール・ラシェーズの案内地図。
埋葬された有名人は数知れないが
ショパン、ピアフ、O・ワイルド、コレット、S・シニョレ
ビゼー、プルースト、M・カラス、モリエール、ラディゲ、
モジリアーニ…
左に 140番までのリストがあるが
もちろん載っていない有名人も数知れず。
何しろパリ最大の墓地ですから… -
ついでにモンパルナス墓地の地図も…
-
ペール・ラシェーズの、リストには載っていない
ある墓にだけ大勢の人が集まっていて整理員までいた -
その墓は、ドアーズのジム・モリソン
-
ジムはパリに住んだ有名人シリーズにも登場。
1971年の死までの半年 このアパルトマンに滞在 -
モンパルナスの最後は例によって映画館で
Les 7 Parnassiens 。
文字通り7スクリーンあるが、1つの映画館ではなく
ビル内のアーケード両側に分かれ別館がある。
●[2019年の釜山映画祭で見たキアラ・マストロヤンニ主演の
『今宵、212号室で』で彼女が住むアパルトマンが
この映画館の建物3階で、家を出て泊まるホテルが
映画館向かいで、僕が今回泊まった Hôtel Delambre の
並びにある Hôtel Lenox の 212号室で驚いた] -
13日はパリ祭前夜です。
暗くて分からないが道路に定間隔に
置いたマークをローラースケートで
足を交差してバックでスラローム (?) する
4,5人のグループ。
(ウィキを見ると置いたものはバイロン、走法は
トリック・スラロームのBクロス! 何でも載ってて驚く)
隣の斜面はスケボーでよくやるジャンプする台 (フラットバンク)。
大勢の観衆も拍手喝采 -
かなり高くジャンプしているのが
分かるかな? -
斜面のバックの店には
Notre Dame の文字が… -
そう。 場所はノールダム寺院前の広場。
相変わらずやって来た薄暮のノートルダム -
先のレイルパス特典で
Bateau Parisiens も半額なので
ナイトクルーズに参加 (もちろんディナーなしの安いもの)
出発は『シャレード』など多くの映画でおなじみの
Quai De Montebello (現在はエッフェル塔のほうからのようだ) -
セーヌのクルーズ船は複数あるが
これは Bateaux-Mouches 乗り場 -
同じく Vedettes Du Pont Neuf
-
夜なので雰囲気だけで、景色はあまり見えないが
これはオルセー美術館 -
アレクサンドル三世橋
-
これだけでも分かるよね?
-
もちろん
誰でも知っているエッフェル塔です -
河岸では色々な人が
それぞれの やり方で夕涼み (?) -
パリ祭前夜なので、街のあちこちで
ダンスパーティなどの催しがある。
そうそう、途中の橋の上から船に向かって
ビールの空き缶を投げる不届き者もいた。
いつもより酔っ払いが多いからね… -
セーヌ河岸の1つの会場に行ったが、たまたま
ゲイの団体主催の会場だった。
この時は1人なので0時過ぎには帰ったが
77年の時は4人で朝まで騒いだ -
さてパリ祭当日のシャンゼリゼ。
このあたりも映画館は多いが、
カルチエ・ラタン専門なので
ほとんど見に来たことはない。
●[余談だが 1974年の Pariscop を見ると
住所がシャンゼリゼ、つまり大通りに面する
映画館だけで 23,27,29,35,38,50,52,66,72,92,
102,116,118,122,148 番地と 15館もあり
文字通り軒並みに並んでいたが 今は数えるほど…] -
人が増えてきた。
向こうに見えるのは凱旋門 -
警官も配置についた、 そろそろ始まる模様…
-
パレードは始まっているようだが
なぜかパレードを撮影していない。
(あるいはビデオが行方不明?) -
ゴダールなどの、いわゆる狭義のヌーヴェル・ヴァーグが
右岸派と呼ばれるのは "カイエ・デユ・シネマ誌" が
シャンゼリゼにあったからで、近辺での撮影が非常に多い。
これは『勝手にしやがれ』でパトリシアが働いていた
New York Herald Tribune 社が 1978年まで
ここにあったという銘板。
残念ながら建替えで消滅し今では見られない貴重な写真。
場所はシャンゼリゼと交わる 21 Rue de Berri 。
この通りにはシャブロルの『柔らかい肌』の店もあった。
そして… -
New York Herald Tribune 少し左
13/15番地の店は…
写真では City Rock という店だが
1年前まではジョニー・アリディの店だった。
SV を見ると 2008年からは Hustler Club
2014年は Penthouse Club、そして
2017年からは Whisper とコロコロ替わっているが
名前だけ見ると僕には縁遠い "大人向け" の店ですね… -
★これが 1993年9月の同じ店。
店名は Johnny Rock -
『勝手にしやがれ』にも出てくる
シャンゼリゼの映画館 現 UGC Normandie 。
キャスリン・ターナーの『シリアル・ママ』の
フランス語題が 「シリアル・マザー」になっている。
原題は 「Serial Mam」 だがマムのままでも分かると思うが… -
大通りから少し潜った (??)
バルザック通りの Cinema Balzac 。
船を意識した内装が面白い。
いつ何を見た時か不明 。
1935年に 876席の劇場としてオープン、
1975年に 385、145、81席の
3スクリーンになった。
1992年に改装されたので、ほぼ直後ですね。
『イージー★ライダー』のポスターが見える -
これは 24 Boulevard Poissonnière にある
Le Max-Linder 。
1912年にオープンした古い劇場で
何回か経営が代わっている。
ここでも何かを見たが記録もれで不明 -
同じく 1 Boulevard Poissonnière にある
Le Grand Rex 大看板は『エンドレス・サマー2』
下に projetée en grand large と書かれているが
大画面が売り文句の 2,800席もある豪華な劇場だった。
(ここは写真だけで入ったことはない。
ちなみに large とは大きいという意味ではなく
横幅が長い、つまりは大画面で同じだけど…) -
これはカルチエ・ラタンだと思うが
どこの映画館だったか… -
この年パリでは 11本見ているが
作品名と日時だけで映画館名が記載漏れ。
どの劇場内部かは不明だが
館内の写真をいくつか… -
文字通りのミニシアター
-
日本ではデジタルになる前は
フィルムのサイズに合わせマスクを掛け
ハード的にスクリーンのサイズを換えていたが
パリではサイズは換えないのが一般的。
たまに写真のように横幅のみ
マスクをかける劇場があった。
相変わらずエンド・クレジットが始まると
観客はいなくなるのでフラッシュをたいて撮影 -
2枚だけチケットが見つかった。
左は7月13日10:30 UGC Horizon
(現 UGC CinéCité Les Halles)で
『モアイの謎』31.50フラン、
右は 18日17:50 UGC Odeon で
『野生の葦』 35.00フラン -
ここは Poissonnière 近くの
Rue Pierre Semard で
『巴里ホテルの人々』の舞台が
右の階段下にあるホテル
(もちろんホテル名は映画と違う)。
奥の階段は普通の陸橋に見える、
かもしれないが、左右は普通の一般道路、
つまり2つの道路が立体交差 (?) している。
映画を見たとき Rue de Bellefond という
上の道の道路標識がチラっと見えたので
メモしておいて見に来た -
階段の上から見たホテル。
Poissonnière 界隈は東駅・北駅に近い
10区だが一部治安の悪い場所もある -
同じく Poissonnière 近く。
ファサードを残すつもりなのか
奥だけを破壊した工事現場。
右に Pierrot le Loup という看板が見える。
調べると 51 rue d'hauteville に現存する。
SV を見ると、確かに新しい建物に
ファサードの一部が残されている。
ちなみに Pierrot le Loup とは 「ピーターと狼」 だが
『気狂いピエロ』の原題は 「Pierrot le fou」
別に関係ない? -
サン・ドニ門近く Rue Bergère にある
昔は国立だった銀行 BNP (Banque National de Paris)、
2000年からはテニスでおなじみの BNP Paribas に。
しかし筆頭株主はベルギー政府だって、
何か変だけど、まあ資本主義では珍しくもないかも… -
さてセーヌを越えて左岸に移ろう。
ロンドンのテムズと違いパリでは
写真のように河岸でひなたぼっこが出来る。
数は少ないが、もちろんトップレスの人もいる -
パリに来れば必ずと言えるほどよく来る
ノートルダム対岸の公園 Square René Viviani 。
その側にある Église Saint-Julien-le-Pauvre も
『ロッキー・ホラー…』で有名な
Studio Galande に行くとき必ず前を通るが
中に入ったのは過去数回だけ -
この時は入ってみた。
珍しいことではないが、
ちょうど室内楽の練習中だったので
10分ほど座って聞いていた。
もちろん咎められはしないし観衆もいない。
ヨーロッパの教会は基本的に
どこでも自由に入れるので
休憩するためだけに よく入った -
鉄道か路面電車のようだがメトロ車内です。
多くの大都市でも同じだが
地下鉄と言っても地下だけではなく
地上を走る区間もあります。
(そもそもメトロに地下という意味はなく、
あくまで首都交通 Metropolitan の略)
ナシオンとエトワールを結ぶ 6号線は
ほとんどが高架でズボラ観光に最適 -
その 6号線はエッフェル塔の側も通る。
これは高架下が有名な (?) Bir-Hakeim 駅 -
エッフェル塔が見えた
-
メトロ車内での面白い大道芸。 これだけでは
何をしているか分からないだろうが
表に回ると… -
車両の2本の柱に黒幕を張って
人形だけを見せる手の込んだ芸。
(つまり人が通路を通れないぞ!) -
ここはパリ・リヨン駅、文字通り リヨンに向かいます。
面白い (?) のは時刻表の駅名。
不鮮明で読めないだろうが一番上は
10:00 LYON PART DIEU LYON PERRACHE
つまりリヨンの2つの駅に止まる(終点)
ところが上から5つ目は
10:41 LYON PD TOULOUSE ST.RAPHAEL ANTIBES NICE
つまりニースが終点だが枠が足りないので (?)
LYON PART DIEU が LYON PD と省略されている。
まあ簡単に想像は付くだろうが勘違いしないように…
僕が乗ったのは 10:00 の列車で終点まで行く -
多分 乗った列車だと思うが
TGV 613 の座席 13-45
レイルパスはあるが座席指定券が
必要なので窓口で 18フランで買っている -
おまけは、場所不明だが
どこかで見た猫。
もちろんパリにも猫を飼ってる人は
大勢いるが、外で猫を見ることは少ない
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