2019/01/03 - 2019/01/03
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コタ(Kota)1号さん
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ちょっと、最後の方は、私ごとですいません....
個人の記録として、写真と文章差し込んであります...あんまり、気持ちいい話では無いので、無視してくだれ...
今回の旅の行程.......
■2018/12/24 EK262 1:25-21:40 サンパウロードバイ
14hrs15mのフライト、5hrs45m ドバイステイ
■2018/12/25 EK384 3:05-12:05 ドバイーバンコク
6hrs5m(バンヤントゥリー)
■2018/12/26 FD1040 12:50-14:00 BKK-ヴィエンチャン
二泊三日ヴィエンチャンにステイ(ムォンタンラグジュアリー)
■2018/12/28TGスマイル257 13:25-1430 ヴィエンチャン-BKK
■2018/12/28TG305 BKKーヤンゴン
二泊三日ヤンゴンにステイ(プルマンヤンゴンセンターポイント)
■2018/12/30 FD252 ヤンゴンーBKK(ドンムアン)
一泊バンコクにステイ(クラウンプラザルンピニー)
■2018/12/31 パタヤまでタクる BKK(クラウンプラザ)ーパタヤへ移動 by Taxi(ケープダラリゾート)
■2019/1/1 パタヤ(アマリレジデンシーズ)
■2019/1/2 シラチャ(パシフィックパーク)by Taxi
--------------------------------------------------------------
母親の訃報で、旅を取りやめ、慌てて日本へ帰る...
■2019/1/3 バンコク TG642 23:55 BKK発
■2019/1/4 7:40 成田着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
【バンコクに戻ってきました...】
実は、シラチャには、二泊(1/2-3日)して、バンコクでもう一泊(1/4)、その後、バンコクからドバイ経由でサンパウロに直接、戻る予定でしたが...プラ プロム(エラワン廟) 寺院・教会
-
【バンコクに戻ってきました...】
しかし、1月2日の夜に、日本にいる妹から、私の携帯にメッセージが入っておりました...が、もう寝ていて朝まで全く気がつかず...ロイヤル バンコク スポーツクラブ スタジアム・スポーツ観戦
-
【バンコクに戻ってきました...】
翌朝、妹に連絡しましたところ、母親が危篤とのこと....ヤバっ!!
すっと体から血の気が引く....ル ラパン サンドウィッチ デリバリー その他の料理
-
【バンコクに戻ってきました...】
突然、旅行どころではなくなり、慌てて、シャラチャとバンコクのホテル二泊をキャンセル...ブラジルにも戻るのを止め、日本へ緊急で帰ることになりました....タイ国鉄発祥記念碑 モニュメント・記念碑
-
【バンコクに戻ってきました...】
スカイスキャナーで慌てて予約した TG642 23:55 BKK発ー成田行き...昨日の今日で慌てて手配したので、片道のみで20,565バーツ...高っ!
旅仲間の友人を、このバンコクに一人ポツネンと置き去りにして、私はさっさと帰ります。すまない、●●さん...クアンヘン プラトゥーナム チキン&ライス 地元の料理
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【バンコクに戻ってきました...】
ただ、夜のフライとにつき、それまでの間、バンコクで所在無く徘徊...
...慌ててもしょうがないので........パラディウム ワールド ショッピング ショッピングセンター
-
【バンコクに戻ってきました...】
ラーン・ガイトーン・プラトゥナームまで足を伸ばしました。
写真は、「紅大哥水門雞飯Go-Ang Pratunam Chicken Rice」のすぐ先にあるカオマンガイのお店。ラーン ガイトーン プラトゥーナム 地元の料理
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【バンコクに戻ってきました...】
ちょっと早めに行った先は、あの有名な...ミッドナイト ガイトーン 地元の料理
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【バンコクに戻ってきました...】
~「紅大哥水門雞飯 Go-Ang Pratunam Chicken Rice」 ~鼎泰豊 (バンコク店) (ディンタイフォン) 中華
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【バンコクに戻ってきました...】
「カオマンガイ」が美味しくて、有名なお店です。ラーン ガイトーン プラトゥーナム 地元の料理
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【バンコクに戻ってきました...】
もう既に長い行列になっておりました....
ボォ~っと並んでいる時に、上をさり気なく見上げると、この写真のように、屋根からぶら下がっている(写真のような)無秩序な電線...おおっ...ノボテル バンコク プラチナム プラトゥナム ホテル
-
【バンコクに戻ってきました...】
すごい行列でござんす...ザ マーケット バンコク ショッピングセンター
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【バンコクに戻ってきました...】
だいたい30-40分待ったでしょうか....グランド ハイアット エラワン バンコク ホテル
-
【バンコクに戻ってきました...】
ようやく中に入れてもらえました...ガネーシャ像 トリムルティの祠 モニュメント・記念碑
-
【バンコクに戻ってきました...】
当然、他所様と、相席でございます...店員の人は皆、超愛想良し。インフォメーション (セントラル ワールド前) 散歩・街歩き
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【バンコクに戻ってきました...】
まずは、カフェ・イェーン(アイスコーヒー)...甘くて、おいちぃ....ノボテル バンコク プラチナム プラトゥナム ホテル
-
【バンコクに戻ってきました...】
さて、通常のカオマンガイを頼もうと思いながら...ラーン ガイトーン プラトゥーナム 地元の料理
-
【バンコクに戻ってきました...】
まずは、ス~~プ~~~で、腹慣らし...バンコク シティ イン ホテル ホテル
-
【バンコクに戻ってきました...】
....で、牛皿ならぬ...「皿」カオマンガイ...
チキン2倍 増量です...
でも、見た感じが...ショボく...なってしまいました...なんか、不味そう...伊勢丹 百貨店・デパート
-
【バンコクに戻ってきました...】
カオマンガイ...でも、これって、そこまで大行列してまで並んで食べるほどのもんかなぁぁ.....
まあ、いいけど...
写真:へぇ~、タイって今こんな法律があるんだぁ...これはフジスーパーにて。レッツ リラックス スパ (ザ バークレイホテル プラトゥーナム店) エステ・スパ・マッサージ
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【バンコクに戻ってきました...】
ふぅ~、食べるより、並んだ時間の方が長かった....伊勢丹の方まで歩きます。
....ん?
........誰か、いる...オーチャード (セントラルワールド店) アジア料理
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【バンコクに戻ってきました...】
あんたかぇ....気持ち良さそうやねぇ...ラーン ガイトーン プラトゥーナム 地元の料理
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【バンコクに戻ってきました...】
あれ、ここって、裏が小さな川だったんかい....
伊勢丹やZENを通り過ぎ、そこで一服したり、(元SOGOの建屋内にて)マッサージしながら時間を潰し....
18:00にはモノレールとエアポートリンクを乗り継いで、(予定を切り上げて)スワンナプーム空港に一人で参りました。スワンナプーム国際空港 (BKK) 空港
-
イチオシ
【スワンナプーム空港で最後の一杯+一口...】
ああ、空港でイミグレを越えた後の、最後の一服....スワンナプーム空港駅 (ARL) 駅
-
イチオシ
【スワンナプーム空港で最後の一杯+一口...】
「クィティアオ」...をすすりながら、今回の東南アジアの旅の楽しかった事と、母親の思い出が混在して.....思い出がたくさん頭の中をグルグルと駆け巡る...
...私の母親は、御年89歳...実は、10年以上前から「恍惚の人」となっており...寝たきり状態...(あんな元気で、闊達だった母親が恍惚になるとは..)
そういう意味では、いつでも覚悟は出来ていました。パタヤイプラザ その他の店舗
-
イチオシ
【スワンナプーム空港で最後の一杯+一口...】
もし、私が今住む南米で訃報を聞いたとしたら、時間も長く(片道約30時間掛かり)、飛行機代もえらい高くなるところでした....が、
でも今回は、たまたまアジアにいたので、すぐに日本に帰れる状態...しかも、旅は殆ど後半を終了しており、後ろ髪引かれる事もなく、何とかできるタイミング....
母親がきっと、偶然、アジアで、ほっつき歩いている私に気付き、日本へ呼び寄せたのかもねぇ...と....一人ちょっと感傷的な気分に...
タイのチャーンビールを飲みながら、ポツリ呟く...
....献杯....JALサクララウンジ (スワンナプーム国際空港) 空港ラウンジ
-
【お葬式】
結局、母親の死に際には立ち会えず(長年海外にいる生活をしていると、それは無理と遠の昔に諦めていますが....)
------------------------
母親、89歳(享年91歳)長い人生を全う。
昭和4年生まれ(世界恐慌の年)といえば...有名どころで、草間彌生、村田英雄、フランキー堺、向田邦子...外国人では、オードリーヘップバーン、アーノルドパーマ....イメルダマルコス(苦笑)......と同い年....
(私の知る限りでは...)母は、満州鉄道の社員となった祖父に連れられて、北海道から満州(ジャムス)に移り住み、女学生時代を過ごす。終戦(敗戦)と同時に、ソ連兵に追っかけ回されながら命からがら日本へ戻る(その時に自分の母親を亡くす)。10人近くの大家族の長女として、大変な苦労をしたらしい。北海道庁で勤めた後、美容師になり東京へ上京。その時に父親と知り合う。タバコはスパスパ、酒は大好き、ついでに麻雀も。洋画も大好き。負けん気は強く、離婚経験あり。当時の白黒写真に写る若い頃の母親を見るにつけ、その時代の女性としては、かなりハイカラだったかと思われる...
※中国・黒龍江省佳木斯(ジャムス)市(Jiamusi)ーハルピンから約350km東
------------------------成田空港第2ターミナル 空港
-
【お葬式】
私は、それから日本に戻り、数日留まり、喪主として 家族葬を執り行い...母親にお別れした後、日本から30時間掛けて、ブラジルへの帰途に着いたのでした...
...おふくろ...長い、長い人生、お疲れ様でした。これまでの...いや、最後の最後まで、この親不孝な不肖息子を、何卒、なにとぞ...お許しを...
PS).....実は、母親が離婚経験があり、私に腹は同じだけど父親違いの「姉」がいたという事実を...母親の葬儀の際に初めて知り....腰が抜けるほど驚きました....ああ、そうなのぉ!?...そんなら早く言ってよぉ~!!
.......それぞれの人生悲喜交交.......本当に、俺、びっくりしたなぁ...もう....
最後の最後に、母親から思いっきり強烈な、往復ビンタを喰った気持ちに....なりますた...
...おわり...
PS)すいません、旅行とは全然関係のないものを掲載してしまいまして.....重ねてお詫び申し上げます...牛久大仏 寺・神社・教会
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この旅行記へのコメント (8)
-
- fuzzさん 2019/07/30 15:52:06
- 人生いろいろ
- コタさん、こんにちは。
このたびは、ご愁傷さまでした。
確かに海外赴任だと親の死に目に会えないと既に覚悟はおありでしたでしょう。
私は同じ県内に住んでいますが、死に目に会えないかもしれないと思っています。
それにしても旅行中でしたか・・・・
でも89年も生きて、お母様はきっとお幸せでしたね。
まさかの、腹違いのお姉さま?
人それぞれいろんな人生がありますね。
コタさんも海外赴任で大変な事と思います。
でも、これからはいつもお母様がそばにいる事でしょう。
ご冥福をお祈りしております。
fuzz
- コタ(Kota)1号さん からの返信 2019/08/02 09:37:00
- RE: 人生いろいろ
fuzz様
私の世代(戦中派)の父親、母親は、自分の(悲しい事が多すぎる)人生を振り返らない、語らない....人たちでした。
聞いても、ムニャムニャむにゃ....大切なことももごもごもご.....
自分の身の回りの終活、死を考える事が苦手な人が多かったのではないかと思います(もちろんそーでない人も多くいるでしょうが).....
なので、全くというわけではありませんが、ほとんど自分の人生を語る事なく、両親は逝ってしまいました...
人生、人それぞれ...ご本人たちが満足しているなら、まあそれでいいのではないか...と...
大往生だったと思います。
死に目に会えない、自分に姉がいた等...こだわり深い昔のしきたりやら風習・伝統にこだわっていたら、年寄りや一族に叱られることはばかりですが...
まあ、今の時代、No problem/ティダ・アパアパ/没問題/マイミーパンハー/Nao tem problemas です!
去る者も、残される者も、一度しかない人生、私もそれほど長い人生だと思えませんので、肩肘張らずに、気楽にの〜んびり過ごして行こう〜とか.....母の死に直面し、改めて思ったのでありました〜
コタ@
-
- Emi さん 2019/07/29 15:16:22
- 大変でしたね。
- 旅行中に訃報とは大変な思いをしたのではないでしょうか?
お悔やみ申し上げます。
コタ1号さんが書かれているように、
ブラジルにいる時でなくアジアにいる時にお母様が日本に呼び寄せたって、きっとそうですよぉ~!!
私も母の時は間に合わなかったという悲しい思い出があります。
父の時は、できれば、なるべくと思いますが、こればっかりはわかりませんね~。
自分だってどうなるかわからないですもんね。
お体ご自愛ください。
- コタ(Kota)1号さん からの返信 2019/08/02 08:32:48
- RE: 大変でしたね。
emi様
なんだか、年取って来ますと、偶然とか、胸騒ぎとか、虫の知らせ、胸騒ぎとかを感じることが多くなって来ました。
その時は感じなくても、後で振り返ると...あ、そういうことだったのか...みたいな...
でも私の両親は90近くまで生きられたので今更ながら 大往生だと思います。
今は「人生100年時代」とか政府やマスコミが喧伝していますが、そんなの絶対に絵空事だと私は思います。
我々の親の世代ほど、我々の世代の方が体力も気力も凌駕しているとは思えませんし..私の周りの少し上の世代も、だいたい70歳前、あるいは その前後に亡くなっています(ほとんどが病気で)。悲しいことですが...それが事実です。
ガンの死亡率も今だにままなりませんし、現代病による病気も増えていますし、私も今のままのリーマン生活を続けていたら、絶対早死にすると思います。不規則な生活と偏った栄養、運動不足に、毎日死ぬほどのストレス...
なので、さっさと、自分の体力と生活と幸せだけを追求できる道を探したいと、毎日ぼぉ〜っと窓の外を眺めながら、頭の中でグルグルぐるぐるいろんなことを考えています 笑)...そんな道はなかなか無いでしょうが....
いつまでも、元気でいましょうね〜皆様、なんとかして〜
コタ@
-
- kayoさん 2019/07/29 01:19:33
- お悔やみ申し上げます(泣)
- コタさん、このたび(旅?)はお悔やみ申し上げます。
私は昔バンコクのプラトゥナム界隈に住んでいて、
あのカオマンガイ屋へもよく通っていました。高齢の親を持つ境遇も同じです。
今やカオマンガイを食べるだけでそんなに待ち時間があるとはビックリ~。
当時は回転が速く待つことなどなかったのですが。
運河の光景や歩道橋からの車の渋滞の様子、懐かしいです。
亡くなってから知った腹違いのお姉さまがいらしたとはさぞかし驚かれたかと。
こんなことあるんですね~。もし自分だったらと思うと私も腰抜かすだろうな~。
高齢の両親を持つ者としては、こんなお気軽に旅行していて良いのか分かりませんが、
いつ招集がかかって喪主になることも覚悟しておかなければっと
コタさんの旅行記で改めて気づいた次第です。
お母様のご冥福をお祈りします。
kayo
- コタ(Kota)1号さん からの返信 2019/08/02 08:49:43
- RE: お悔やみ申し上げます(泣)
「....このたび(旅?)はお悔やみ申し上げます....」って....
Kayo様もダジャレが自然に湧き出てしまって困る...周りに冷ややかに見られるのにやめられない止まらないのですね.....
でも、プラトゥーナムに住まわれていたとは....。私がタイをウロウロしていた1989年前後、そごうと大丸で日本の本屋で時間を潰していた時代、この先にプラトゥーナムは(あの運河を境に)なんかちょっとゾクゾクして、私にとりましては怖い場所でした...一体、どういう経緯で、あんな場所にお住まいになっていたのか気になるところです...あの時代でしたら、沈没組は皆、まだカオサンでしたしね...
くだんのピンクのカオマンガイ屋は、今や大行列でございました。でも、カオマンガイって簡単にささっと食べるもので(チープフード)、決して行列して食べて食べるほどのものでない事、今回改めてわかりました..
この度は、メッセージどうもありがとうございました。
コタ@
-
- masamimさん 2019/07/29 00:31:22
- お母様、ご愁傷さまでした。
- お母様、ご愁傷さまでした。
急遽の帰国も、お母様の最後には間に合わなかったとは・・
アジアの国と言っても、それなりに遠いですもんね。
しかし、仕方ないけどタイエア便に搭乗するまでにはカオマンガイ食べに行ったり、
マッサージしたりと、なんだかずいぶんと間の抜けた時間でしたね^^;
お母様のお年は、私の昭和5年生まれの私の母親とほぼ一緒ですね。
私の方はしっかりして見えても、認知が入って訳が分かりません。
なんだか、私とコタさんとは境遇が似てますね・・
一緒なのが、お宅が同じ横浜ってだけではないみたいです。
私の母も、一旗揚げようと満州に渡った祖父に連れられて満州で過ごしてます。
命からがら帰国したことも話には聞いてます。
ただ、満州でかなり成功した祖父は一家で修善寺の温泉近くに長逗留。
母親は大仁の女学校に通ってました。
その後、食事情のいい仙台に移り住んで。
どこで浜っ子のオヤジと知り合ったのか・・
私たち兄弟は横浜で生まれ育ってます。
あら!つまんない話になってしまいました。
遠いブラジルの地でお元気に過ごしてくださいませ!
masamim
- コタ(Kota)1号さん からの返信 2019/08/02 07:52:56
- RE: お母様、ご愁傷さまでした。
masamim様
メッセージありがとうございます。
満州やブラジルって、当時、住み辛い、息苦しい日本を抜けて、一旗あげる/人生逆転するための希望の地と思われた時代があったんですね。
私は、大連にも駐在していたので、そこでNHKの「大地の子」を観て、泣けました...こんな寒い土地で、昔の日本人はすごい...でも本当に辛かっただろうなぁぁ...と。
その後、ブラジルにも縁があって赴任していて、この地でもNHKの「はるとなつ」を観て、また泣けてしました...
なんだか、昔、日本人が流れ着いた場所を、現在の時代に、私もまるで辿るように、流れ着いています...
masamim様の同い年近くお母様は、まだ意識がしっかりされているのですね。いつまでもお元気がやっぱりいいですね。
私は寝たきりになった母親の姿を見ながら、自分の健康年齢・健康寿命(頭も体も)をいかに伸ばすか...そればっかり考えるようになりました。動けなくなったら周りも自分も本当に不本意な人生になってしまいます..もちろん自分でコントロールできるぐらいなら誰も苦労しませんが...
少なくとも、(次世代の)我々は、旅でもしながら、外国人と接する事で、自分に刺激を与え続け、いつまでも元気でいたいですね。
コタ@
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