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ノートルダムの大火災があったので<br />いずれ書くつもりだったノートルダムに<br />特化した旅行記 (とは言えない?) を先に作ることに…<br />従って、一応旅行時期を 1974-2006年と<br />したが、住んでいたわけではない。<br />(ああ、もう 13年もパリから遠ざかっている…)<br /><br />写真は初めて行った 1974年に買った絵はがきで<br />焼失した尖塔あたりから、毎日渡った<br />Pont de la Tournelle、Pont de Sully を望む東方面<br />(鐘楼に登ったのは 77年のみ)

ノートルダム・ド・パリ (1974-2006)

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1974/02/26 - 2006/01/16

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milouchat

milouchatさん

ノートルダムの大火災があったので
いずれ書くつもりだったノートルダムに
特化した旅行記 (とは言えない?) を先に作ることに…
従って、一応旅行時期を 1974-2006年と
したが、住んでいたわけではない。
(ああ、もう 13年もパリから遠ざかっている…)

写真は初めて行った 1974年に買った絵はがきで
焼失した尖塔あたりから、毎日渡った
Pont de la Tournelle、Pont de Sully を望む東方面
(鐘楼に登ったのは 77年のみ)

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
3.5
交通
4.5
交通手段
徒歩

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  • 74年2月末から1ヶ月滞在した 11区の1つ星ホテル<br />Hôtel de l&#39;Europe 。<br />経営者は何度か替わったようだが今も営業している。<br />なぜ1ヶ月も場末のホテルにいたかなどは<br />いずれ書くはずの 74年の旅行記に回すとして…<br />ホテルの場所は 74 Rue Sedaine <br />最初は行くつもりのなかったアリアンス・フランセーズに<br />午前中2時間だけの授業に通い<br />学食で昼を食べてから映画に行くのが日課だった。<br />(ちなみに定食には赤ワインのミニボトルが付いていた)<br />学校はリュクサンブール公園を抜けた<br />101 Boulevard Raspail にある。<br />ホテルからは結構な距離があり<br />歩いて1時間はかかるが、まだ若かったし (?)<br />基本的に毎日 歩いて行った。<br />地図を見れば分かるが通学路は<br />バスティーユ広場を抜けサン・ルイ島の<br /> Pont de Sully を渡ってカルティエ・ラタンに入り<br />リュクサンブール庭園を横切るのが毎朝の通学コース。<br />つまり、ほぼ毎日ノートルダムを眺めていた。<br />帰りは映画を見るので経路はバラバラ

    74年2月末から1ヶ月滞在した 11区の1つ星ホテル
    Hôtel de l'Europe 。
    経営者は何度か替わったようだが今も営業している。
    なぜ1ヶ月も場末のホテルにいたかなどは
    いずれ書くはずの 74年の旅行記に回すとして…
    ホテルの場所は 74 Rue Sedaine
    最初は行くつもりのなかったアリアンス・フランセーズに
    午前中2時間だけの授業に通い
    学食で昼を食べてから映画に行くのが日課だった。
    (ちなみに定食には赤ワインのミニボトルが付いていた)
    学校はリュクサンブール公園を抜けた
    101 Boulevard Raspail にある。
    ホテルからは結構な距離があり
    歩いて1時間はかかるが、まだ若かったし (?)
    基本的に毎日 歩いて行った。
    地図を見れば分かるが通学路は
    バスティーユ広場を抜けサン・ルイ島の
    Pont de Sully を渡ってカルティエ・ラタンに入り
    リュクサンブール庭園を横切るのが毎朝の通学コース。
    つまり、ほぼ毎日ノートルダムを眺めていた。
    帰りは映画を見るので経路はバラバラ

  • 別に定点観測をしようと思ったわけではないが<br />基本的にカルティエ・ラタンにしかいないので<br />意識しなくても何度も同じ場所を歩いている。<br />これは 77年 7月の写真だが<br />74年頃、森有正の本をよく読んでいたので<br />ノートルダムには思い入れがあり、何度もかよった。<br />以後もパリに行くたびに眺めたが、記録しようと<br />思ったわけではないので写真は多くない (これでも?)

    別に定点観測をしようと思ったわけではないが
    基本的にカルティエ・ラタンにしかいないので
    意識しなくても何度も同じ場所を歩いている。
    これは 77年 7月の写真だが
    74年頃、森有正の本をよく読んでいたので
    ノートルダムには思い入れがあり、何度もかよった。
    以後もパリに行くたびに眺めたが、記録しようと
    思ったわけではないので写真は多くない (これでも?)

  • 80年 12月。<br />冬なので樹木が少なくなっている。<br />これらの写真はだいたい<br />南の対岸にある公園<br />Square René Viviani から

    80年 12月。
    冬なので樹木が少なくなっている。
    これらの写真はだいたい
    南の対岸にある公園
    Square René Viviani から

  • 90年 8月。<br />夏なので樹木が増えている

    90年 8月。
    夏なので樹木が増えている

  • 2006年 1月。<br />また真冬で樹木が少ない

    2006年 1月。
    また真冬で樹木が少ない

  • 少しアングルが違う<br />86年 7月

    少しアングルが違う
    86年 7月

  • 2006年 1月。<br />少し右側から<br /><br />

    2006年 1月。
    少し右側から

  • 77年 7月の正面

    77年 7月の正面

  • 94年 7月。<br />改修工事中の正面

    94年 7月。
    改修工事中の正面

  • 86年 7月。<br />Pont des coeurs 越しの正面<br />

    86年 7月。
    Pont des coeurs 越しの正面

  • 79年 1月。<br />さらに離れたところから、<br />Pont des coeurs が見える

    79年 1月。
    さらに離れたところから、
    Pont des coeurs が見える

  • 77年 7月。 まだ中には入らず周囲を…<br />まずは Portail du Jugement 前。<br />見ての通り当時は観光客の行列なんてなく、<br />いつでも自由に入れた

    77年 7月。 まだ中には入らず周囲を…
    まずは Portail du Jugement 前。
    見ての通り当時は観光客の行列なんてなく、
    いつでも自由に入れた

  • 78年 7月。<br />正面右端 Portail Sainte-Anne

    78年 7月。
    正面右端 Portail Sainte-Anne

  • 78年 7月。<br />これは正面左端 Portail de la Vierge の彫刻で<br />エデンの園での悪魔の誘惑を示しているが<br />なだいなだ氏の著書に書いてあったことの<br />確認に来たが本は間違っていた

    78年 7月。
    これは正面左端 Portail de la Vierge の彫刻で
    エデンの園での悪魔の誘惑を示しているが
    なだいなだ氏の著書に書いてあったことの
    確認に来たが本は間違っていた

  • 2002年 10月。<br />Portail du Jugement

    2002年 10月。
    Portail du Jugement

  • 2002年 10月。<br />Portail du Jugement から見上げる

    2002年 10月。
    Portail du Jugement から見上げる

  • 77年 7月。<br />東のファサード

    77年 7月。
    東のファサード

  • 2002年 10月。<br />北側 Rue du Cloître の<br />Portail du Cloitre

    2002年 10月。
    北側 Rue du Cloître の
    Portail du Cloitre

  • 77年 7月。<br />南側から鐘楼を見上げる

    77年 7月。
    南側から鐘楼を見上げる

  • 77年 7月。<br />同じく南側のファサード

    77年 7月。
    同じく南側のファサード

  • 77年 7月。<br />南の薔薇窓<br />Portail Saint-Étienne

    77年 7月。
    南の薔薇窓
    Portail Saint-Étienne

  • 77年 7月。<br />南側の東

    77年 7月。
    南側の東

  • 77年 7月。<br />Pont au Double から見た南の薔薇窓

    77年 7月。
    Pont au Double から見た南の薔薇窓

  • 77年 7月。<br />同じく南の薔薇窓

    77年 7月。
    同じく南の薔薇窓

  • 77年 7月。<br />下半分が真っ白なのは<br />フィルムが露光したのではなく<br />遊覧船の強すぎるライトのせいです

    77年 7月。
    下半分が真っ白なのは
    フィルムが露光したのではなく
    遊覧船の強すぎるライトのせいです

  • 78年 7月。<br />これぐらいのライトならいいんだが…<br />

    78年 7月。
    これぐらいのライトならいいんだが…

  • 77年 7月。<br />南の薔薇窓

    77年 7月。
    南の薔薇窓

  • 2000年 2月。<br />Quai de Montebello から南側の全景。<br />お疲れのようです。<br />失恋しても死んじゃだめだよ

    2000年 2月。
    Quai de Montebello から南側の全景。
    お疲れのようです。
    失恋しても死んじゃだめだよ

  • 77年 7月。<br />これはどこだろう?<br />ライトアップ用の照明器具が並んでいる。<br />多分南側の離れ (??) だろう

    77年 7月。
    これはどこだろう?
    ライトアップ用の照明器具が並んでいる。
    多分南側の離れ (??) だろう

  • 77年 7月。<br />今度は、少し東に行って後陣を拝みます。<br />多分 Pont de l&#39;Archeveche から

    77年 7月。
    今度は、少し東に行って後陣を拝みます。
    多分 Pont de l'Archeveche から

  • 2002年 10月。<br />ほぼ同じ場所からの後陣だが<br />橋桁が金属ではないので<br />南の河岸の石の部分から

    2002年 10月。
    ほぼ同じ場所からの後陣だが
    橋桁が金属ではないので
    南の河岸の石の部分から

  • これは『シャレード』など<br />よく映画に出てくる<br />Quai de Montebello を下に降りた河岸だが<br />面白いことに先に見える<br />Pont au Double が 写真では<br />映画と同じ緑色だが現在は赤色に<br />塗り替えられている

    これは『シャレード』など
    よく映画に出てくる
    Quai de Montebello を下に降りた河岸だが
    面白いことに先に見える
    Pont au Double が 写真では
    映画と同じ緑色だが現在は赤色に
    塗り替えられている

  • かなり離れて<br />Quai d&#39;Orleans の下の水際から<br />後陣の真正面<br />

    かなり離れて
    Quai d'Orleans の下の水際から
    後陣の真正面

  • 90年 9月。さらに離れて<br />Pont de la Tournelle から

    90年 9月。さらに離れて
    Pont de la Tournelle から

  • 78年 7月。 Pont de Sully の下から。<br />いかにも雰囲気がありそうだが<br />実際はホームレスが寝ていたりして<br />悪臭がした

    78年 7月。 Pont de Sully の下から。
    いかにも雰囲気がありそうだが
    実際はホームレスが寝ていたりして
    悪臭がした

  • 77年 7月。<br />やっと中に入りますか…

    77年 7月。
    やっと中に入りますか…

  • 2002年 10月。<br />なぜか、わざわざ日本語の注意書きが…<br />(ストロベリーフィールズの赤門にもあった)

    2002年 10月。
    なぜか、わざわざ日本語の注意書きが…
    (ストロベリーフィールズの赤門にもあった)

  • 77年 7月。<br />ミサを行っています。<br />多分この時、クリスチャンでもないのに<br />ミサに参加しただけでなく、<br />神父さんから聖パンを口に入れて貰った。<br />当時は観光客も少なかったし…<br />

    77年 7月。
    ミサを行っています。
    多分この時、クリスチャンでもないのに
    ミサに参加しただけでなく、
    神父さんから聖パンを口に入れて貰った。
    当時は観光客も少なかったし…

  • 2006年 1月。<br />やはりミサを行っています。<br />70年代は何度も行ったので<br />もちろんパイプオルガンも<br />何度も聴いている<br />

    2006年 1月。
    やはりミサを行っています。
    70年代は何度も行ったので
    もちろんパイプオルガンも
    何度も聴いている

  • 1986年のものだと思うがミサで歌われる<br />頌歌や詩篇の楽譜で これは晩課のときのもの。<br />ちなみに僕はクリスチャンではないが<br />母はミッション系の学校を出た<br />一応 (?) クリスチャンだったので<br />家には聖書や賛美歌は何冊かあり<br />子供の頃は日曜学校にも通わされた

    1986年のものだと思うがミサで歌われる
    頌歌や詩篇の楽譜で これは晩課のときのもの。
    ちなみに僕はクリスチャンではないが
    母はミッション系の学校を出た
    一応 (?) クリスチャンだったので
    家には聖書や賛美歌は何冊かあり
    子供の頃は日曜学校にも通わされた

  • 2002年 10月。<br />以下説明は省略 (調べてないだけ?)<br />

    2002年 10月。
    以下説明は省略 (調べてないだけ?)

  • 2002年 10月

    2002年 10月

  • 2002年 10月

    2002年 10月

  • 2002年 10月

    2002年 10月

  • 2002年 10月

    2002年 10月

  • 2002年 10月

    2002年 10月

  • ミサが終わって (?)<br />外に出ました

    ミサが終わって (?)
    外に出ました

  • 77年 7月。<br />塔にも登ることにします。<br />さすがに 10人ほどは並んでいたが<br />当時は予約制度もなく、<br />待ち時間も 10分もかからなかった。<br />ちなみに Museum Pass の登場は 1986年。<br />多分 80年代から観光客が増えたんでしょう…<br />昔はルーブルでさえ無料の日以外は<br />ほとんど待たずに入れた<br />

    77年 7月。
    塔にも登ることにします。
    さすがに 10人ほどは並んでいたが
    当時は予約制度もなく、
    待ち時間も 10分もかからなかった。
    ちなみに Museum Pass の登場は 1986年。
    多分 80年代から観光客が増えたんでしょう…
    昔はルーブルでさえ無料の日以外は
    ほとんど待たずに入れた

  • 77年 7月。<br />以下おなじみの<br />怪獣たちのいるところ (?)

    77年 7月。
    以下おなじみの
    怪獣たちのいるところ (?)

  • 77年 7月。 遠くに 1973年にできた<br />Tour Montparnasse が見える

    77年 7月。 遠くに 1973年にできた
    Tour Montparnasse が見える

  • 77年 7月

    77年 7月

  • 77年 7月

    77年 7月

  • 77年 7月

    77年 7月

  • 77年 7月

    77年 7月

  • 77年 7月

    77年 7月

  • 77年 7月。<br />下の赤いのは<br />ライトアップ用の照明器具です

    77年 7月。
    下の赤いのは
    ライトアップ用の照明器具です

  • 77年 7月。<br />ノートルダムの鐘も見ましょう。<br />カジモドではないが<br />案内人が説明しています。<br />英語だったかフランス語だったか忘れたが…

    77年 7月。
    ノートルダムの鐘も見ましょう。
    カジモドではないが
    案内人が説明しています。
    英語だったかフランス語だったか忘れたが…

  • 77年 7月。<br />こんな狭き門より入ります

    77年 7月。
    こんな狭き門より入ります

  • 77年 7月、これがノートルダムの鐘。<br />といっても、1685年にできた、この<br />南の鐘楼にある Emmanuel 以外に<br />2012年以降、9つの鐘が取り付けられている

    77年 7月、これがノートルダムの鐘。
    といっても、1685年にできた、この
    南の鐘楼にある Emmanuel 以外に
    2012年以降、9つの鐘が取り付けられている

  • 77年 7月<br />鐘の上部の支え。<br />やはり木造ですね…

    77年 7月
    鐘の上部の支え。
    やはり木造ですね…

  • 77年 7月。<br />上から下を見ると…<br />かなり高いです。<br />高所恐怖症の人には無理かな?

    77年 7月。
    上から下を見ると…
    かなり高いです。
    高所恐怖症の人には無理かな?

  • 77年 7月。<br />同じく

    77年 7月。
    同じく

  • 2002年 10月。<br />ノートルダムと直接の関係はないがサン・ルイ島の北側<br />Quai de Bourbon と Rue le regrattier の角にある標識の下部。<br />昔はサン・ルイ島はノートルダム島と呼ばれていたと書いてある。<br />そしてこの通りの旧名は<br />Rue de la femme sans teste (首のない女?)。<br />左上の削れた部分には聖ニコラの像があったが 1793年の<br />革命で破壊され、今は首どころか足しか残っていない

    2002年 10月。
    ノートルダムと直接の関係はないがサン・ルイ島の北側
    Quai de Bourbon と Rue le regrattier の角にある標識の下部。
    昔はサン・ルイ島はノートルダム島と呼ばれていたと書いてある。
    そしてこの通りの旧名は
    Rue de la femme sans teste (首のない女?)。
    左上の削れた部分には聖ニコラの像があったが 1793年の
    革命で破壊され、今は首どころか足しか残っていない

  • 最後にネットから借用したロイターの<br />火災前と後のノートルダムの写真。<br />どんな形で修復されるのか、<br />生きているうちに見られるか微妙…

    最後にネットから借用したロイターの
    火災前と後のノートルダムの写真。
    どんな形で修復されるのか、
    生きているうちに見られるか微妙…

  • パリに住んだ有名人の<br />絵はがきシリーズがあり<br />住所が書いてある。<br />カジモドも有名人の1人で、15世紀末に<br />ノートルダムに住んだ鐘つき、と裏に説明が…<br />いつ買ったか不明だが、ほかに買ったのは<br />サティ、ゲンズブール、ジム・モリソン<br />そしてランボー。<br />それらに関連する旅行記に載せます<br /><br />

    パリに住んだ有名人の
    絵はがきシリーズがあり
    住所が書いてある。
    カジモドも有名人の1人で、15世紀末に
    ノートルダムに住んだ鐘つき、と裏に説明が…
    いつ買ったか不明だが、ほかに買ったのは
    サティ、ゲンズブール、ジム・モリソン
    そしてランボー。
    それらに関連する旅行記に載せます

  • 今回の火災で消防士の活躍が評価され<br />エリゼー宮に招かれたとのことで、<br />消防署に敬意を示して…<br />撮影は 78年 7月、場所は不明だが<br />4区か 11区だと思う<br /><br />

    今回の火災で消防士の活躍が評価され
    エリゼー宮に招かれたとのことで、
    消防署に敬意を示して…
    撮影は 78年 7月、場所は不明だが
    4区か 11区だと思う

  • 86年7月。<br />同じく場所は不明だが レ・アールか東駅付近?<br />[★場所が分かった!!<br />当たらずとも遠からず、サン・マルタン凱旋門のある<br />RUE SAINT MARTIN だった。<br />真ん中の店に Tricots Georges と見え<br />検索すると出てきた。ただし現在のSVでは違う店) 、<br />一番奥に見える少し飛び出た丸っぽい壁は変わってない<br />

    86年7月。
    同じく場所は不明だが レ・アールか東駅付近?
    [★場所が分かった!!
    当たらずとも遠からず、サン・マルタン凱旋門のある
    RUE SAINT MARTIN だった。
    真ん中の店に Tricots Georges と見え
    検索すると出てきた。ただし現在のSVでは違う店) 、
    一番奥に見える少し飛び出た丸っぽい壁は変わってない

  • ★同じく。 写真では右隣の店は Jeans の店らしいが<br />この通りや少し西のサン・ドニ門近くには<br />衣料関係の店が集中していた (赤線地帯としても有名)

    ★同じく。 写真では右隣の店は Jeans の店らしいが
    この通りや少し西のサン・ドニ門近くには
    衣料関係の店が集中していた (赤線地帯としても有名)

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