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初めての海外は 1974年のパリ、<br />つまり過去に向かった最後の旅行記になる。<br /> (もちろん今後の旅行分は別)<br />JATA (日本旅行業協会) の資料によると、海外旅行の自由化は<br />1964年で出国者は 127,749人、<br />1974年の出国者は 2,335,530人と 10年で 20倍近くに。 <br />まだ今のように誰でも気軽に海外に行く時代ではなかったが<br />そもそも、なぜ海外に1ヶ月も行ったのか、<br />理由 (きっかけ) は2つあった。<br />1つは、あるとき新聞で見た生命保険会社の広告。<br />[新聞は何十年もマトモに見てないが恐らく今もあるだろうが]<br />一生のライフプランとして何歳で結婚に始まり…<br />子供が独立し &quot;豊かな老後&quot; として &quot;夫婦で海外旅行&quot; とあった。<br />それを見て思った &quot;これはおかしい、逆だろ!&quot; 。<br />年を取れば体力も衰えるし言葉も通じない海外で<br /> (たとえ大手ツアーでも) 病気や怪我をしたら一大事、<br />海外に行くなら若いうち、老後の旅行は国内にすべきだろうと…<br />[すでに今は完全に老後だが、まだ海外にしか行っていない]<br />2つ目は、当時 (具体的には何もしていなかったが)、できれば<br />家族でフランスに移住したいと思っていた。<br />そして昔は多くの人が船でマルセイユから上陸したし、<br />多分 南はパリより物価も安いだろうから、マルセイユを第1候補にして<br />&quot;どんな街か見てくる&quot; と家族に言って出発。 だから最初は、<br />ついでにヨーロッパの周遊も、とユーレイル・パスも買っていた。<br /><br />ところが、パリに着いて写真の Pariscop (週刊エンタメ情報誌) を<br />買うと、本などで名前は知っているが日本では見ることのできない<br />古い映画が限りなくあり、パリから離れなくなってしまい、<br />結局 マルセイユに行くこともなかった…<br />せっかくユーレイル・パスを買ったからと、<br />週末などに近郊やブリュッセルに日帰りで行ったのと、<br />ホテルには泊まらず連日夜行列車だけで北イタリアを<br />少し回っただけ、恐らくパスでは大損しただろう。<br />ともかく完全にパリの毒にやられ1ヶ月パリだけにいて、<br />以後は毎年のように映画を見に行くことになる…<br /><br />社員数名の無名 (?) の極小旅行会社が募集した、<br />アリアンス・フランセーズに1ヶ月間 (1日2時間) 通う<br />研修旅行を見つけた。<br />外国に行くのは初めてで不安も色々あったが、<br />これなら差し当たり宿と食事の心配はない。<br /><br />[ちなみに、当時は普通の会社員 (普通じゃない?) だったので<br />会社を1ヶ月も休むことに大きな抵抗を受けたが無理矢理強行!<br />おかげで (?) 以後も毎年 行けるようになった]<br />写真は誘惑されて (棄てられてない?) パリ中毒の<br />キッカケとなる、初めて買った Pariscop<br />1974年 2月27日から 3月5日までの No.305、<br />わずか 1.20フランと 100円もしない。<br />ちなみに表紙は (当然 当時は名前も知らないが) 長塚京三が<br />ソルボンヌ留学中に映画デビューした 「Les Chinois à Paris」 で<br />残念ながら見なかった…

1974年 初海外はパリの1つ星ホテルに1ヶ月 1/4 :パリの毒に当たった

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1974/02/26 - 1974/03/26

3405位(同エリア16384件中)

旅行記グループ 1974年パリ

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milouchat

milouchatさん

初めての海外は 1974年のパリ、
つまり過去に向かった最後の旅行記になる。
(もちろん今後の旅行分は別)
JATA (日本旅行業協会) の資料によると、海外旅行の自由化は
1964年で出国者は 127,749人、
1974年の出国者は 2,335,530人と 10年で 20倍近くに。
まだ今のように誰でも気軽に海外に行く時代ではなかったが
そもそも、なぜ海外に1ヶ月も行ったのか、
理由 (きっかけ) は2つあった。
1つは、あるとき新聞で見た生命保険会社の広告。
[新聞は何十年もマトモに見てないが恐らく今もあるだろうが]
一生のライフプランとして何歳で結婚に始まり…
子供が独立し "豊かな老後" として "夫婦で海外旅行" とあった。
それを見て思った "これはおかしい、逆だろ!" 。
年を取れば体力も衰えるし言葉も通じない海外で
(たとえ大手ツアーでも) 病気や怪我をしたら一大事、
海外に行くなら若いうち、老後の旅行は国内にすべきだろうと…
[すでに今は完全に老後だが、まだ海外にしか行っていない]
2つ目は、当時 (具体的には何もしていなかったが)、できれば
家族でフランスに移住したいと思っていた。
そして昔は多くの人が船でマルセイユから上陸したし、
多分 南はパリより物価も安いだろうから、マルセイユを第1候補にして
"どんな街か見てくる" と家族に言って出発。 だから最初は、
ついでにヨーロッパの周遊も、とユーレイル・パスも買っていた。

ところが、パリに着いて写真の Pariscop (週刊エンタメ情報誌) を
買うと、本などで名前は知っているが日本では見ることのできない
古い映画が限りなくあり、パリから離れなくなってしまい、
結局 マルセイユに行くこともなかった…
せっかくユーレイル・パスを買ったからと、
週末などに近郊やブリュッセルに日帰りで行ったのと、
ホテルには泊まらず連日夜行列車だけで北イタリアを
少し回っただけ、恐らくパスでは大損しただろう。
ともかく完全にパリの毒にやられ1ヶ月パリだけにいて、
以後は毎年のように映画を見に行くことになる…

社員数名の無名 (?) の極小旅行会社が募集した、
アリアンス・フランセーズに1ヶ月間 (1日2時間) 通う
研修旅行を見つけた。
外国に行くのは初めてで不安も色々あったが、
これなら差し当たり宿と食事の心配はない。

[ちなみに、当時は普通の会社員 (普通じゃない?) だったので
会社を1ヶ月も休むことに大きな抵抗を受けたが無理矢理強行!
おかげで (?) 以後も毎年 行けるようになった]
写真は誘惑されて (棄てられてない?) パリ中毒の
キッカケとなる、初めて買った Pariscop
1974年 2月27日から 3月5日までの No.305、
わずか 1.20フランと 100円もしない。
ちなみに表紙は (当然 当時は名前も知らないが) 長塚京三が
ソルボンヌ留学中に映画デビューした 「Les Chinois à Paris」 で
残念ながら見なかった…

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
交通
4.5
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩

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  • 初めて取ったパスポート。<br />申請案内文には (強制力があったか不明だが) <br />ネクタイをして写真を撮るように記載してあった。<br />僕は会社員だが入社式しかスーツ (ブレザー) を着たことがなく、<br />当時は通勤にも着て行くほど着物に執着していたので<br />当然パスポートも着物姿で旅行も着物。<br />ちなみに当時のパスポートは糊で写真を貼り両隅に<br />圧着 (?) スタンプを押したもので偽造 (差し替え) が簡単だった。<br />[昔 盗まれた日本人が偽造パスポートを買いに行ったら<br />自分の物があったが、それでも代金は請求された話がある]<br />その後もパウチのように写真の上からフィルムを貼っただけ、<br />小型になった 93年頃からは印刷した写真で偽造は困難、<br />2006年以降はICチップが組み込まれ、ほぼ偽造は不可能、<br />今では指紋や顔認識の無人ゲートが増え入出国スタンプも省略傾向…

    初めて取ったパスポート。
    申請案内文には (強制力があったか不明だが)
    ネクタイをして写真を撮るように記載してあった。
    僕は会社員だが入社式しかスーツ (ブレザー) を着たことがなく、
    当時は通勤にも着て行くほど着物に執着していたので
    当然パスポートも着物姿で旅行も着物。
    ちなみに当時のパスポートは糊で写真を貼り両隅に
    圧着 (?) スタンプを押したもので偽造 (差し替え) が簡単だった。
    [昔 盗まれた日本人が偽造パスポートを買いに行ったら
    自分の物があったが、それでも代金は請求された話がある]
    その後もパウチのように写真の上からフィルムを貼っただけ、
    小型になった 93年頃からは印刷した写真で偽造は困難、
    2006年以降はICチップが組み込まれ、ほぼ偽造は不可能、
    今では指紋や顔認識の無人ゲートが増え入出国スタンプも省略傾向…

  • そして日本の入出国のスタンプは長方形!<br />翌 75年からは、すでに現在と同じ丸と四角だが<br />面白いことに気づいた。<br />94年から入出国スタンプが逆で出国が四角、帰国が丸に…<br />[★ついでに 87年から右のようにサイズが<br />小さくなっていることを発見! 証拠写真 (?) を追加する]

    そして日本の入出国のスタンプは長方形!
    翌 75年からは、すでに現在と同じ丸と四角だが
    面白いことに気づいた。
    94年から入出国スタンプが逆で出国が四角、帰国が丸に…
    [★ついでに 87年から右のようにサイズが
    小さくなっていることを発見! 証拠写真 (?) を追加する]

  • 乗った飛行機はエール・フランス。<br />タラップが一番後ろに!<br />どの空港か分からないが地上職員は半袖だから<br />少なくとも寒い寒いパリではない。<br />次で分かったが南回りだったので香港かインドだろう…

    乗った飛行機はエール・フランス。
    タラップが一番後ろに!
    どの空港か分からないが地上職員は半袖だから
    少なくとも寒い寒いパリではない。
    次で分かったが南回りだったので香港かインドだろう…

  • 上は香港啓徳空港免税店のレシート、つまり南回りで<br />飛行機は AF182 、日付は74.??.26、たまたま出国・帰国どちらも<br />26日だが下の AF182のタグは大阪行きだし<br />免税店で買うと言うことは帰国時の3月のもの。<br />ネットで見つけた 1967年の日本航空の時刻表の場合。<br />羽田 12:30出発で、香港・バンコク・ニューデリー・テヘラン、<br />カイロ・ローマ経由でパリ着は翌日 9:35 になっている。<br />僕等も似たようなルートだったはず。<br />しかし右の東京の搭乗券は 2月26日の日本航空 JL124、<br />つまりパスポートのスタンプでも分かるが、行きは<br />伊丹 → 羽田 → パリだが、帰りは直接伊丹に着いたようだ。<br />それはともかく、Parker を3つ買っている。<br />何を買ったか不明だが パーカーと言えば<br />万年筆ぐらいしか思いつかないが<br />誰かへの土産だろうか…

    上は香港啓徳空港免税店のレシート、つまり南回りで
    飛行機は AF182 、日付は74.??.26、たまたま出国・帰国どちらも
    26日だが下の AF182のタグは大阪行きだし
    免税店で買うと言うことは帰国時の3月のもの。
    ネットで見つけた 1967年の日本航空の時刻表の場合。
    羽田 12:30出発で、香港・バンコク・ニューデリー・テヘラン、
    カイロ・ローマ経由でパリ着は翌日 9:35 になっている。
    僕等も似たようなルートだったはず。
    しかし右の東京の搭乗券は 2月26日の日本航空 JL124、
    つまりパスポートのスタンプでも分かるが、行きは
    伊丹 → 羽田 → パリだが、帰りは直接伊丹に着いたようだ。
    それはともかく、Parker を3つ買っている。
    何を買ったか不明だが パーカーと言えば
    万年筆ぐらいしか思いつかないが
    誰かへの土産だろうか…

  • 機内の映画はスクリーンに映写され、<br />当然 自分で番組を選んだりはできない。<br />ちなみに昔のイヤフォンは空気式 (?)で<br />肘掛け内にスピーカーがありイヤフォンなしでも<br />耳を近づけると音がした<br />[★全然 関係ないが今週 (2022.07.04) 公開の<br />『リコリス・ピザ』を見ると、 70年代の話なので<br />機内で同じタイプのイヤフォンが登場していた。サスガ…]

    機内の映画はスクリーンに映写され、
    当然 自分で番組を選んだりはできない。
    ちなみに昔のイヤフォンは空気式 (?)で
    肘掛け内にスピーカーがありイヤフォンなしでも
    耳を近づけると音がした
    [★全然 関係ないが今週 (2022.07.04) 公開の
    『リコリス・ピザ』を見ると、 70年代の話なので
    機内で同じタイプのイヤフォンが登場していた。サスガ…]

  • その時のプログラム (B5サイズ1枚)。<br />『おかしなおかしな大泥棒 (73)』ですね。<br />24時間以上掛かるのに映画は1本だけだったらしい。<br />(当時は 16ミリのフィルム上映だからね…)

    その時のプログラム (B5サイズ1枚)。
    『おかしなおかしな大泥棒 (73)』ですね。
    24時間以上掛かるのに映画は1本だけだったらしい。
    (当時は 16ミリのフィルム上映だからね…)

  • 飛行機に乗るのは初めてではなかったが数えるほどで、<br />もちろん長時間は初めてだし機内での食事も初めて。<br />着物じゃ何かと大変だったろうな…

    飛行機に乗るのは初めてではなかったが数えるほどで、
    もちろん長時間は初めてだし機内での食事も初めて。
    着物じゃ何かと大変だったろうな…

  • いわゆる市内観光はなかったが<br />途中に寄った全員の記念写真が見つかった。<br />総数 40名近く、やはり圧倒的に若い女性が多い…<br />ほとんどの人は学校の寮に入るが全員は無理で<br />運良く (?) 僕等 5,6名はホテル住まいになった。<br />クラスは別なので、ほかのメンバーとは<br />たまに学食で顔を合わせる程度で、写真を見ても<br />かすかに記憶のある人ですら数えるほどしかいない。<br />右下の男性が添乗員というか現地連絡係で<br />彼も学校に通っていたはず…<br />[ちなみに 40数年ぶりに偶然1人の女性と再会した。<br />僕は分からなかったが彼女は僕を覚えていた。<br />やはり着物 (左端) だったので強烈な印象を残していたようだ。<br />ちなみにパリで一度だけ彼女とデート (?) しシャンゼリゼに行った]

    いわゆる市内観光はなかったが
    途中に寄った全員の記念写真が見つかった。
    総数 40名近く、やはり圧倒的に若い女性が多い…
    ほとんどの人は学校の寮に入るが全員は無理で
    運良く (?) 僕等 5,6名はホテル住まいになった。
    クラスは別なので、ほかのメンバーとは
    たまに学食で顔を合わせる程度で、写真を見ても
    かすかに記憶のある人ですら数えるほどしかいない。
    右下の男性が添乗員というか現地連絡係で
    彼も学校に通っていたはず…
    [ちなみに 40数年ぶりに偶然1人の女性と再会した。
    僕は分からなかったが彼女は僕を覚えていた。
    やはり着物 (左端) だったので強烈な印象を残していたようだ。
    ちなみにパリで一度だけ彼女とデート (?) しシャンゼリゼに行った]

  • これはアリアンスの学生証で<br />写真はホッチキスで止めてある。<br />そう言えば最後に試験があり修了証書も貰ったが行方不明。<br />書いたように最初はヨーロッパを周遊するつもりだったので<br />登録だけで学校に通う気は全然なかった。 <br />しかし行けば結構 楽しく (クラスの日本人は僕だけ)<br />話の合いそうな友人もでき、何より映画を見るため<br />パリに居続けることになったので結局<br />毎日 午前中に授業を受け学食で食事後に映画に。<br />もちろん学生料金で見られた…

    これはアリアンスの学生証で
    写真はホッチキスで止めてある。
    そう言えば最後に試験があり修了証書も貰ったが行方不明。
    書いたように最初はヨーロッパを周遊するつもりだったので
    登録だけで学校に通う気は全然なかった。
    しかし行けば結構 楽しく (クラスの日本人は僕だけ)
    話の合いそうな友人もでき、何より映画を見るため
    パリに居続けることになったので結局
    毎日 午前中に授業を受け学食で食事後に映画に。
    もちろん学生料金で見られた…

  • 1ヶ月滞在したバスチーユ近く 74 Rue Sedaine の1つ星<br />Hôtel de l&#39;Europe。 現在も同名で営業しているようだが<br />予約サイトなどに記載はない (同名のホテルは複数ある)。<br />[実は、事情は省略するがトラブルがあり当初の予定は<br /> このホテルではなく、当日に急遽探して、このホテルに決まり<br />入ったのは夜遅く。最初からトラブルだが個人じゃないので心配はしない]<br />寮では朝夕2食付きなので、僕等も同条件で2食付き。<br />ただし1つ星ホテルだし料理を出す設備はなく<br />向かいの一般レストランと契約して夕食はそこで食べることに。<br />当然 飲み物や追加料理は別だが定食なら旅行代金に含まれる。<br />だから原則 全員一緒に食べる。 <br />部屋にトイレ・シャワーはないがビデはあった。<br />しかし…<br />同室の男は関東の某有名大学助教授だったが<br />ウマが合わず一緒に居るのが苦痛 (?)、 ところが…<br />1人の変わった女性がトランクなどホテルに置いたまま<br />イタリアに行き、彼氏でも出来たのか最後まで帰ってこないと知った。<br />(しかも彼女は1人部屋でトイレ・シャワー付き)<br />そこで部屋を使わせてくれないか、と添乗連絡員に連絡して貰うと、<br />僕同様 (?) 変わった人だったので快くOK、快適な1ヶ月を過ごせた。<br />(もちろん夕食時に話し彼女も僕が変わり者だと知ってはいた)<br />ただホテルのマダムに彼女の部屋に移る了解を得なければならない。<br />朝食はホテル内で、それまで挨拶程度しか話さなかったが、<br />不十分ながら僕がフランス語を話すと分かり、<br />以後は毎日向こうから話しかけてくるようになった。<br />パリ中毒になってしまい言葉の重要性を痛感したので、<br />帰国後にフランス語を習いだした…<br />[ちなみに大学は仏語専攻どころか文学部ですらなく、<br />フランス語は第2外国語。 しかも大学2年からは<br />出席点のある授業以外は積極的に拒否しすべて欠席、<br />学内の劇団に入り映画や芝居ばかり見ていた。<br />カッコ付けて言えばフランス語は映画館で覚えた]

    1ヶ月滞在したバスチーユ近く 74 Rue Sedaine の1つ星
    Hôtel de l'Europe。 現在も同名で営業しているようだが
    予約サイトなどに記載はない (同名のホテルは複数ある)。
    [実は、事情は省略するがトラブルがあり当初の予定は
    このホテルではなく、当日に急遽探して、このホテルに決まり
    入ったのは夜遅く。最初からトラブルだが個人じゃないので心配はしない]
    寮では朝夕2食付きなので、僕等も同条件で2食付き。
    ただし1つ星ホテルだし料理を出す設備はなく
    向かいの一般レストランと契約して夕食はそこで食べることに。
    当然 飲み物や追加料理は別だが定食なら旅行代金に含まれる。
    だから原則 全員一緒に食べる。
    部屋にトイレ・シャワーはないがビデはあった。
    しかし…
    同室の男は関東の某有名大学助教授だったが
    ウマが合わず一緒に居るのが苦痛 (?)、 ところが…
    1人の変わった女性がトランクなどホテルに置いたまま
    イタリアに行き、彼氏でも出来たのか最後まで帰ってこないと知った。
    (しかも彼女は1人部屋でトイレ・シャワー付き)
    そこで部屋を使わせてくれないか、と添乗連絡員に連絡して貰うと、
    僕同様 (?) 変わった人だったので快くOK、快適な1ヶ月を過ごせた。
    (もちろん夕食時に話し彼女も僕が変わり者だと知ってはいた)
    ただホテルのマダムに彼女の部屋に移る了解を得なければならない。
    朝食はホテル内で、それまで挨拶程度しか話さなかったが、
    不十分ながら僕がフランス語を話すと分かり、
    以後は毎日向こうから話しかけてくるようになった。
    パリ中毒になってしまい言葉の重要性を痛感したので、
    帰国後にフランス語を習いだした…
    [ちなみに大学は仏語専攻どころか文学部ですらなく、
    フランス語は第2外国語。 しかも大学2年からは
    出席点のある授業以外は積極的に拒否しすべて欠席、
    学内の劇団に入り映画や芝居ばかり見ていた。
    カッコ付けて言えばフランス語は映画館で覚えた]

  • 部屋から見た南方向。<br />景色は今もあまり変化していないようだ。<br />角度から見ると5階ぐらいだっだと思われる<br />(当然エレベーターはない)

    部屋から見た南方向。
    景色は今もあまり変化していないようだ。
    角度から見ると5階ぐらいだっだと思われる
    (当然エレベーターはない)

  • 窓からの眺め、3枚を繋いでみた。<br />[ちなみに、当時は引伸機を持っていて、白黒は<br />自分で焼いていた。 今回はモノクロも含むが<br />カラーの退色も激しい。 半世紀も前だからね…]

    窓からの眺め、3枚を繋いでみた。
    [ちなみに、当時は引伸機を持っていて、白黒は
    自分で焼いていた。 今回はモノクロも含むが
    カラーの退色も激しい。 半世紀も前だからね…]

  • ホテル向かいのレストラン前から南方向。<br />ほとんど今も建物に変化はない…<br />レストランの名前などは分からないが<br />今はレストラン自体が存在しない…<br />

    ホテル向かいのレストラン前から南方向。
    ほとんど今も建物に変化はない…
    レストランの名前などは分からないが
    今はレストラン自体が存在しない…

  • Rue Sedaine と Boulevard Voltaire の交差点北向き。<br />SVを見ると左角の建物は NG Bio という医学関係のラボに <br /><br />

    Rue Sedaine と Boulevard Voltaire の交差点北向き。
    SVを見ると左角の建物は NG Bio という医学関係のラボに

  • 書いてある文字で検索すると、ホテルの1つ南の<br />71 rue de la Roquette に戦前あった会社だと判明。<br />SV を見ると今も立派な門は健在で、まるで邸宅のように (?)<br />回りの建物と不釣り合いに複数の会社が入っているようだ。<br />[実は 74年のプリント写真は、ほとんど紛失、ネガも揃っていない。<br />しかしベタ焼き (フィルムを そのままプリントとしたもので、<br />サイズはフィルムと同じ大きさ、しかも当時は珍しくない<br />ハーフサイズなので切手ぐらいの 2.4x1.8 センチ) は一部残っていたが、<br />それをスキャンしても小さすぎて使い物ならない]

    書いてある文字で検索すると、ホテルの1つ南の
    71 rue de la Roquette に戦前あった会社だと判明。
    SV を見ると今も立派な門は健在で、まるで邸宅のように (?)
    回りの建物と不釣り合いに複数の会社が入っているようだ。
    [実は 74年のプリント写真は、ほとんど紛失、ネガも揃っていない。
    しかしベタ焼き (フィルムを そのままプリントとしたもので、
    サイズはフィルムと同じ大きさ、しかも当時は珍しくない
    ハーフサイズなので切手ぐらいの 2.4x1.8 センチ) は一部残っていたが、
    それをスキャンしても小さすぎて使い物ならない]

  • 近所の八百屋さん。<br />Les vergers de Voltaire とあるが<br />Voltaire はホテルの最寄り駅。<br />ちなみに当時の下町では、このような個人の店は<br />2時から4時頃まではシエスタで店を閉めていた

    近所の八百屋さん。
    Les vergers de Voltaire とあるが
    Voltaire はホテルの最寄り駅。
    ちなみに当時の下町では、このような個人の店は
    2時から4時頃まではシエスタで店を閉めていた

  • その最寄り駅 Voltaire

    その最寄り駅 Voltaire

  • 車内の様子

    車内の様子

  • この路線図では終点が Gallieni なので 3号線ですね…<br />ちなみに1か月も滞在するから退屈するかも、と<br />今の DVDレコーダーの数倍はある大きなラジカセを持参、<br />海賊放送の Radio Luxembourg などを聞いていた。<br />1日だけ外に持って出てメトロの音とか街の音も収集…<br />(もう残っていない)

    この路線図では終点が Gallieni なので 3号線ですね…
    ちなみに1か月も滞在するから退屈するかも、と
    今の DVDレコーダーの数倍はある大きなラジカセを持参、
    海賊放送の Radio Luxembourg などを聞いていた。
    1日だけ外に持って出てメトロの音とか街の音も収集…
    (もう残っていない)

  • 駅は不明だが前年の 73年にオイル・ショックがあり<br />メトロ構内の照明も半分に落とされ非常に暗かった。<br />まあシャンゼリゼとか、いわゆる &quot;華のパリ&quot; に<br />ほとんど縁がなかったとは言え、一番寒い時期でもあり<br />パリの印象は 寒々とした &quot;暗い街&quot; だった…

    駅は不明だが前年の 73年にオイル・ショックがあり
    メトロ構内の照明も半分に落とされ非常に暗かった。
    まあシャンゼリゼとか、いわゆる "華のパリ" に
    ほとんど縁がなかったとは言え、一番寒い時期でもあり
    パリの印象は 寒々とした "暗い街" だった…

  • どこかの駅ホーム。 ここでクイズ、<br />この写真で駅がどこか判別できますか?<br />暗くて読みにくいが (照明は1つおき!)、<br />上部には Direction Porte de St.Cloud 、 Pont de Sèvre とあり<br />まずは 9号線の西 (南) 行きだと分かる。<br />そして黄色い乗り換え案内をよく見ると、上から…<br />Gallieni と Pont de Levallois つまり 3号線。 次は<br />(延伸工事で消されている) Eglise de Pantin と Place d&#39;Italie (5号線)<br />そして Balard と Créteil (8号線)<br />さらに Mairie des Lilas と Châtelet (11号線) <br />つまり 5つの路線が交わる République が正解でした。<br />だから何?<br />いや共和国 (広場) という名の通りオスマンのパリ大改造で<br />市民革命を防止する目的で造られたパリで一番広い広場で、<br />フランスの象徴マリアンヌ像がある (現在はデモの出発点として有名)。<br />広場は 3,10,11区の境界で、僕は 11区に滞在していたから、<br />よく近辺をうろついた。<br />ちなみに『天井桟敷の人々』第一部の &quot;犯罪大通り&quot; とは<br />ここから始まるタンプル通りのことで、映画の台詞にもある<br />メニルモンタンやベルヴィルなども 11区と 20区の境界で、<br />少なくとも当時は (今も?) 治安がいいとは言えなかった一画だが<br />僕には違和感もなく溶け込めた (?)<br />なお『天井桟敷の人々』は、かなりの部分が史実に基づき<br />ガランスは別として登場人物の多くは実在の人物!<br /><br />

    どこかの駅ホーム。 ここでクイズ、
    この写真で駅がどこか判別できますか?
    暗くて読みにくいが (照明は1つおき!)、
    上部には Direction Porte de St.Cloud 、 Pont de Sèvre とあり
    まずは 9号線の西 (南) 行きだと分かる。
    そして黄色い乗り換え案内をよく見ると、上から…
    Gallieni と Pont de Levallois つまり 3号線。 次は
    (延伸工事で消されている) Eglise de Pantin と Place d'Italie (5号線)
    そして Balard と Créteil (8号線)
    さらに Mairie des Lilas と Châtelet (11号線)
    つまり 5つの路線が交わる République が正解でした。
    だから何?
    いや共和国 (広場) という名の通りオスマンのパリ大改造で
    市民革命を防止する目的で造られたパリで一番広い広場で、
    フランスの象徴マリアンヌ像がある (現在はデモの出発点として有名)。
    広場は 3,10,11区の境界で、僕は 11区に滞在していたから、
    よく近辺をうろついた。
    ちなみに『天井桟敷の人々』第一部の "犯罪大通り" とは
    ここから始まるタンプル通りのことで、映画の台詞にもある
    メニルモンタンやベルヴィルなども 11区と 20区の境界で、
    少なくとも当時は (今も?) 治安がいいとは言えなかった一画だが
    僕には違和感もなく溶け込めた (?)
    なお『天井桟敷の人々』は、かなりの部分が史実に基づき
    ガランスは別として登場人物の多くは実在の人物!

  • 毎日のように通り抜けたバスティーユ広場の<br />La colonne de Juillet 。<br />(朝の通学の多くの日は観光がてら<br />1時間ほどかけて歩いて行った)

    毎日のように通り抜けたバスティーユ広場の
    La colonne de Juillet 。
    (朝の通学の多くの日は観光がてら
    1時間ほどかけて歩いて行った)

  • 違う角度から

    違う角度から

  • 広場の一角にあったルーレット (?) の店。<br />『ディーバ』に同じような店が登場、<br />(アイスピックで殺される)

    広場の一角にあったルーレット (?) の店。
    『ディーバ』に同じような店が登場、
    (アイスピックで殺される)

  • 今度はリヨン駅。 イタリアに行ったのはここから。<br />バックの建物は今と同じだが<br />ビルに掲示した名前は消えている。<br />ただし右端のビル (現ホテル・シチズンM) だけ<br />逆に M のマークが増えている

    今度はリヨン駅。 イタリアに行ったのはここから。
    バックの建物は今と同じだが
    ビルに掲示した名前は消えている。
    ただし右端のビル (現ホテル・シチズンM) だけ
    逆に M のマークが増えている

  • リヨン駅の一日分の<br />時刻表 (出発) がパネル表示、見にくいね…

    リヨン駅の一日分の
    時刻表 (出発) がパネル表示、見にくいね…

  • 珍しく有名どころで<br />コンコルド広場のオベリスクから<br />シャンゼリゼ方面。 かすかに凱旋門が見える<br />

    珍しく有名どころで
    コンコルド広場のオベリスクから
    シャンゼリゼ方面。 かすかに凱旋門が見える

  • チュイルリー庭園の  Avenue du Général Lemonnier 通りか<br />西北方面だが、恐らく植えて間がないようで右の並木が低く<br />枝もまばらで今と違いリヴォリの回廊がよく見えている。<br />男たちはペタンクをやっている。<br />子供の土産に おもちゃのペタンク (結構重い) を買ったが、<br />もちろん残っていない<br />

    チュイルリー庭園の Avenue du Général Lemonnier 通りか
    西北方面だが、恐らく植えて間がないようで右の並木が低く
    枝もまばらで今と違いリヴォリの回廊がよく見えている。
    男たちはペタンクをやっている。
    子供の土産に おもちゃのペタンク (結構重い) を買ったが、
    もちろん残っていない

  • ホテルの部屋からとしか思えないような写真だが<br />向かいの建物は違うし、いつどこで撮ったか不明。<br />**L ANGLO A** と見えるので<br />HOTEL ANGLO AMERICAN ではないかと思い、調べると<br />113 Rue SAINT-LAZARE にあった。<br />しかし現在の建物とは一致しない…

    ホテルの部屋からとしか思えないような写真だが
    向かいの建物は違うし、いつどこで撮ったか不明。
    **L ANGLO A** と見えるので
    HOTEL ANGLO AMERICAN ではないかと思い、調べると
    113 Rue SAINT-LAZARE にあった。
    しかし現在の建物とは一致しない…

  • 恐らく老舗百貨店 Au Printemps から撮ったと思うが、<br />やはり一致する風景を見つけられない。<br />目の前に Bally があるが、現在は少し離れた<br />35 Boulevard des Capucines にある

    恐らく老舗百貨店 Au Printemps から撮ったと思うが、
    やはり一致する風景を見つけられない。
    目の前に Bally があるが、現在は少し離れた
    35 Boulevard des Capucines にある

  • 同じく、左隅にエッフェル塔が見えている

    同じく、左隅にエッフェル塔が見えている

  • SLが見える、スイスのどこかの駅?<br />いえいえ、場所は不明だが<br />鉄道模型の店のジオラマ (レイアウト)。<br />当たり前だが見事ですね…

    SLが見える、スイスのどこかの駅?
    いえいえ、場所は不明だが
    鉄道模型の店のジオラマ (レイアウト)。
    当たり前だが見事ですね…

  • これも場所は不明だが CFDT のデモに遭遇。<br />CFDT (フランス民主労働総同盟) は<br />CGT (フランス労働総同盟) に次ぐ組織。<br />前年 73年の第一次オイルショックで<br />世界の経済が混乱しデモも多かった。<br />さらに到着した前後に飛行機の墜落事故が続き、<br />どちらかと言えば全体的にマイナスの印象が強かった…<br />[★ 3月3日、トルコ航空 DC10がパリ北東約 37km<br />エルムノンヴィルの森に墜落、日本人 48名を含む<br />346名全員死亡、新聞写真の記憶では森は雪景色だったはず]

    これも場所は不明だが CFDT のデモに遭遇。
    CFDT (フランス民主労働総同盟) は
    CGT (フランス労働総同盟) に次ぐ組織。
    前年 73年の第一次オイルショックで
    世界の経済が混乱しデモも多かった。
    さらに到着した前後に飛行機の墜落事故が続き、
    どちらかと言えば全体的にマイナスの印象が強かった…
    [★ 3月3日、トルコ航空 DC10がパリ北東約 37km
    エルムノンヴィルの森に墜落、日本人 48名を含む
    346名全員死亡、新聞写真の記憶では森は雪景色だったはず]

  • カルティエ・ラタンは 11 Rue Saint-Jacques で見つけた<br />『ポリー・マグーお前は誰だ (66)』主演女優の店、<br />(現在はホテル Henri IV)。<br />この時は映画に関係あるかは分からず写真だけ撮った。<br />『個人教授』でヴェルレーたちが たむろする店でもあり、<br />店には 98年に入った

    カルティエ・ラタンは 11 Rue Saint-Jacques で見つけた
    『ポリー・マグーお前は誰だ (66)』主演女優の店、
    (現在はホテル Henri IV)。
    この時は映画に関係あるかは分からず写真だけ撮った。
    『個人教授』でヴェルレーたちが たむろする店でもあり、
    店には 98年に入った

  • (例によって僕にだけ?) 面白い写真があった。<br />これは 34 Bd.Saint-Michel にあった Le Latin という<br />ポルノ映画館で 「Les Charnelles」 上映中、12フラン。<br />この映画館の写真は 93年の旅行記  &quot;パリの映画館&quot; にも<br />載せているが、面白いというのは…<br />フランスでは 1975年にハードコア・ポルノが解禁されたが<br />裸のポスターは禁止で文字だけの看板だった。<br />しかし、ここには裸の大きな看板が並んでいる、<br />ということは解禁前は逆に裸のポスターも出せたようだ…<br />現在は書店の Gibert Joseph で同じ建物に見えないが<br />右隣の建物のバルコニー境界には同じ模様の柵が確認できる

    (例によって僕にだけ?) 面白い写真があった。
    これは 34 Bd.Saint-Michel にあった Le Latin という
    ポルノ映画館で 「Les Charnelles」 上映中、12フラン。
    この映画館の写真は 93年の旅行記 "パリの映画館" にも
    載せているが、面白いというのは…
    フランスでは 1975年にハードコア・ポルノが解禁されたが
    裸のポスターは禁止で文字だけの看板だった。
    しかし、ここには裸の大きな看板が並んでいる、
    ということは解禁前は逆に裸のポスターも出せたようだ…
    現在は書店の Gibert Joseph で同じ建物に見えないが
    右隣の建物のバルコニー境界には同じ模様の柵が確認できる

  • こちらは一応 (?) 一般映画だがバスティーユで見た『バルスーズ』、<br />Interdit aux moins de 18ans (18禁) の貼り紙がある。<br />さらに左には &quot;この 10年で最も破廉恥で自由な映画&quot; ともある。<br />確かに当時としては過激な内容でポルノ同然のアングルがあったり、<br />ラストも含め衝撃的な映画ではあった… <br />もちろん『禁じられた遊び』のブリジット・フォッセー登場にも驚いた

    こちらは一応 (?) 一般映画だがバスティーユで見た『バルスーズ』、
    Interdit aux moins de 18ans (18禁) の貼り紙がある。
    さらに左には "この 10年で最も破廉恥で自由な映画" ともある。
    確かに当時としては過激な内容でポルノ同然のアングルがあったり、
    ラストも含め衝撃的な映画ではあった…
    もちろん『禁じられた遊び』のブリジット・フォッセー登場にも驚いた

  • やはりバスティーユ近くで<br />5 rue du Fg-St-Antoine にあった La Bastille.<br />オープンは 1930年代でニュース映画専門館としてスタート、<br />1961年に La Bastille に、この当時はポルノ映画館だった。<br />上映中は Le Latin と同じ 「Les Charnelles」 9フラン<br />(同じ映画でも劇場により料金は違う。 バスチーユは場末だから安い?)、<br />しかし 80年代にアート系の Cine Metro Art Bastille に、<br />そして現在は大手の MK2 Bastille になっている

    やはりバスティーユ近くで
    5 rue du Fg-St-Antoine にあった La Bastille.
    オープンは 1930年代でニュース映画専門館としてスタート、
    1961年に La Bastille に、この当時はポルノ映画館だった。
    上映中は Le Latin と同じ 「Les Charnelles」 9フラン
    (同じ映画でも劇場により料金は違う。 バスチーユは場末だから安い?)、
    しかし 80年代にアート系の Cine Metro Art Bastille に、
    そして現在は大手の MK2 Bastille になっている

  • これもホテル近くにあった<br />45 bis rue Richard-Lenoir の<br />Artistic Voltaire

    これもホテル近くにあった
    45 bis rue Richard-Lenoir の
    Artistic Voltaire

  • 同じく

    同じく

  • ここではポランスキー特集があり<br />連日通い、最後には顔パスで入れてくれた

    ここではポランスキー特集があり
    連日通い、最後には顔パスで入れてくれた

  • Tout Polanski (ポランスキーのすべて) とある

    Tout Polanski (ポランスキーのすべて) とある

  • 『反撥』のポスター

    『反撥』のポスター

  • カルティエ・ラタンの 3 rue Dragon には<br />アメリカ文化センターがあり<br />毎週月曜 21:00から上映会をやっている。<br />(ほかにコンサートやダンス、講演なども)<br />センターは覗いたが映画は1週間前の予約が必要で行かず。<br />多分 会場が小さいからだろう…<br />[ちなみに日本では日仏はもちろん、ブリティッシュ・カウンシルや<br />イタリア文化会館、ゲーテ・インスティチュートなど各国の<br />施設で。よく映画を見た。 無料あるいは低料金で劇場未公開作などを<br />見せてくれたから。 ほとんどが英語字幕のみだったが…

    カルティエ・ラタンの 3 rue Dragon には
    アメリカ文化センターがあり
    毎週月曜 21:00から上映会をやっている。
    (ほかにコンサートやダンス、講演なども)
    センターは覗いたが映画は1週間前の予約が必要で行かず。
    多分 会場が小さいからだろう…
    [ちなみに日本では日仏はもちろん、ブリティッシュ・カウンシルや
    イタリア文化会館、ゲーテ・インスティチュートなど各国の
    施設で。よく映画を見た。 無料あるいは低料金で劇場未公開作などを
    見せてくれたから。 ほとんどが英語字幕のみだったが…

  • こちらはモンパルナスの 10 rue Boyer-Berret にあった <br />Olympic の3月13日からの、主に 68年以前のゴダール特集で<br />15本が上映され、何日も通った。 カルティエ・ラタンでは、<br />こういう特集が、あちこちの映画館で年中あるので<br />1年住んでも足りないしシネマテークに行く暇もなかった (?)

    こちらはモンパルナスの 10 rue Boyer-Berret にあった
    Olympic の3月13日からの、主に 68年以前のゴダール特集で
    15本が上映され、何日も通った。 カルティエ・ラタンでは、
    こういう特集が、あちこちの映画館で年中あるので
    1年住んでも足りないしシネマテークに行く暇もなかった (?)

  • その『気狂いピエロ』のスチール

    その『気狂いピエロ』のスチール

  • こっちは『勝手にしやがれ』<br />[ちなみに顔なじみになった Artistic Voltaire で<br />宣材の貸出業者を紹介して貰い 15区の会社に行き<br />ゴダール映画のスチールを何枚か買った]

    こっちは『勝手にしやがれ』
    [ちなみに顔なじみになった Artistic Voltaire で
    宣材の貸出業者を紹介して貰い 15区の会社に行き
    ゴダール映画のスチールを何枚か買った]

  • これは行ったかどうか不明だがモンマルトルは<br />43 rue de Fg.Monmartre にあった NEW-YORKER のチラシ。<br />今でこそ DVDやネットで、相当マイナーな作品でも比較的容易に<br />見られるが、当時このラインナップを見れば、金と時間があれば<br />毎日でも通いたくなるが、映画のハシゴをするので<br />どうしてもカルティエ・ラタン中心になる…<br />一応 最初の1週間だけ題名を列挙すると<br />ブニュエル『ナザリン』、フォード『シャイアン』、<br />ヴィゴ『アタラント号/操行ゼロ』、『フェリーニのローマ』<br />チャプリン『独裁者たち』、レネ『二十四時間の情事』<br />ロージ『シシリーの黒い霧』…<br />この特集は雑誌や新聞の 16人の批評家が選ぶプログラムで<br />1週目は 「ユマニテ」 のサミュエル・ラシズの選出。<br />ほかにもチラシ類はあるが興味のある人は少ないだろうから…

    これは行ったかどうか不明だがモンマルトルは
    43 rue de Fg.Monmartre にあった NEW-YORKER のチラシ。
    今でこそ DVDやネットで、相当マイナーな作品でも比較的容易に
    見られるが、当時このラインナップを見れば、金と時間があれば
    毎日でも通いたくなるが、映画のハシゴをするので
    どうしてもカルティエ・ラタン中心になる…
    一応 最初の1週間だけ題名を列挙すると
    ブニュエル『ナザリン』、フォード『シャイアン』、
    ヴィゴ『アタラント号/操行ゼロ』、『フェリーニのローマ』
    チャプリン『独裁者たち』、レネ『二十四時間の情事』
    ロージ『シシリーの黒い霧』…
    この特集は雑誌や新聞の 16人の批評家が選ぶプログラムで
    1週目は 「ユマニテ」 のサミュエル・ラシズの選出。
    ほかにもチラシ類はあるが興味のある人は少ないだろうから…

  • これは映画館ではないが<br />オデオン近く 41 rue Mazarine にあった<br />Galerie Valeric Schmidt での<br />Katherine Margautis 個展の案内 (3月7-28日) だが<br />初日 7日の 17時から 21時まで Buffet  とある。<br />(日本でも) 個展初日に立食パーティをやることがあり、<br />普通は知り合いが行くが、無関係な人でも問題なく参加でき<br />何回か行ったことがある

    これは映画館ではないが
    オデオン近く 41 rue Mazarine にあった
    Galerie Valeric Schmidt での
    Katherine Margautis 個展の案内 (3月7-28日) だが
    初日 7日の 17時から 21時まで Buffet とある。
    (日本でも) 個展初日に立食パーティをやることがあり、
    普通は知り合いが行くが、無関係な人でも問題なく参加でき
    何回か行ったことがある

  • どこかの教会だが、パリかどうかも不確か

    どこかの教会だが、パリかどうかも不確か

  • 以下は決め手がなく場所は分からない (探してない)<br />半世紀近く前のパリの下町の記録として…<br />基本的にカルティエ・ラタンか 11区あたり中心。<br />(もし分かったら追記することに)

    以下は決め手がなく場所は分からない (探してない)
    半世紀近く前のパリの下町の記録として…
    基本的にカルティエ・ラタンか 11区あたり中心。
    (もし分かったら追記することに)

  • 右に AUTO-ECOLE という看板がある。<br />(上に LYON とあるからリヨン駅近くだろう)<br />周知のように免許は日本のように大きな<br />自動車学校に行くのではなく個人教授 (?)、<br />なので実地はいきなり路上運転になる。<br />そして原則マニュアルしか取れない。<br />しかも 2013年までは有効期限がなかった!<br />(現在は 15年)<br />

    右に AUTO-ECOLE という看板がある。
    (上に LYON とあるからリヨン駅近くだろう)
    周知のように免許は日本のように大きな
    自動車学校に行くのではなく個人教授 (?)、
    なので実地はいきなり路上運転になる。
    そして原則マニュアルしか取れない。
    しかも 2013年までは有効期限がなかった!
    (現在は 15年)

  • どんな時に人は写真を撮るのだろう…<br />何か引っかかるから撮ったはずだが<br />今となっては撮った理由は分からない

    どんな時に人は写真を撮るのだろう…
    何か引っかかるから撮ったはずだが
    今となっては撮った理由は分からない

  • 似たような風景の同じようなアングルだが<br />いわゆる、パリの中心部でないのは明らか

    似たような風景の同じようなアングルだが
    いわゆる、パリの中心部でないのは明らか

  • 11区あたりには、こんな路地も多かった。<br />『猫が行方不明 (96)』はこの近辺が舞台で懐かしかった…

    11区あたりには、こんな路地も多かった。
    『猫が行方不明 (96)』はこの近辺が舞台で懐かしかった…

  • これは調べれば分かるかもしれない。<br />モンマルトルあたりだろうか…

    これは調べれば分かるかもしれない。
    モンマルトルあたりだろうか…

  • 少しパリらしい大都会の雰囲気?

    少しパリらしい大都会の雰囲気?

  • 同じく いかにもパリの風情

    同じく いかにもパリの風情

  • 何となく記憶はあるが思い出せるほどではない

    何となく記憶はあるが思い出せるほどではない

  • 警察車輌、パリ (フランス) は警察国家なのです

    警察車輌、パリ (フランス) は警察国家なのです

  • これは、いわゆる中庭ではないが<br />ヨーロッパはブロック単位に回りを<br />建物が取り囲むので中庭のような場所が多い

    これは、いわゆる中庭ではないが
    ヨーロッパはブロック単位に回りを
    建物が取り囲むので中庭のような場所が多い

  • これは パリ近郊 Montrouge 1974年3月の求人案内。<br />A3で 4ページのものだが、日本と違い<br />給料の金額は書かれてないようだ。<br />Dactylo (タイピスト) の求人が多いね…

    これは パリ近郊 Montrouge 1974年3月の求人案内。
    A3で 4ページのものだが、日本と違い
    給料の金額は書かれてないようだ。
    Dactylo (タイピスト) の求人が多いね…

  • 最後にフランスの宝くじ。 別に当てようと &quot;夢を買った&quot; のではなく、<br />単にコレクションとして買ってみただけで結果も調べていない。<br />(億万長者になってたかも?)<br />だから記憶では1回しか買ってないはずが2枚出てきた。<br />下が 1974年に買ったもので3フラン、上は 1979年で7フラン…<br />番号の下には略号も書かれている。 例えば下の 05093 の場合<br />ZO (ZerO) CQ (CinQ) NE (NEuf) TR (TRois) ついでに上は、<br />UN (UN) SX (SiX) QU (QUatre) 。<br />フランスなのに (?) 略し方が規則的じゃない…<br />パリに1か月もいたのに、思ったよりパリの写真は少なかった。<br />初めての外国でも感覚的には住んでいる感じだったからか、<br />カメラを持ち歩いてはいなかったようだ…<br />しかも有名観光地の写真はほとんどない (行ってもいないが)

    最後にフランスの宝くじ。 別に当てようと "夢を買った" のではなく、
    単にコレクションとして買ってみただけで結果も調べていない。
    (億万長者になってたかも?)
    だから記憶では1回しか買ってないはずが2枚出てきた。
    下が 1974年に買ったもので3フラン、上は 1979年で7フラン…
    番号の下には略号も書かれている。 例えば下の 05093 の場合
    ZO (ZerO) CQ (CinQ) NE (NEuf) TR (TRois) ついでに上は、
    UN (UN) SX (SiX) QU (QUatre) 。
    フランスなのに (?) 略し方が規則的じゃない…
    パリに1か月もいたのに、思ったよりパリの写真は少なかった。
    初めての外国でも感覚的には住んでいる感じだったからか、
    カメラを持ち歩いてはいなかったようだ…
    しかも有名観光地の写真はほとんどない (行ってもいないが)

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