1976/10/12 - 1976/10/26
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今では船とは思えないビルのような大型客船でのクルーズも
珍しくも何ともないし4トラベルにも旅行記がたくさんある。
しかし 1976年当時のクルーズのイメージは、リタイアーした
金持ちの老人が行くもの、という感じだったと思う (今でも同じ?)。
僕等はオシメも取れない1歳と6歳の娘を連れた若い家族だったが、
意外と若い人も多く幼児連れも結構いた。
1974年のパリでも利用した社員数名の極小旅行社の主催で
ロンドン・パリを含む添乗員付きツアーの参加者は
添乗員を含め 10名 (+ウチの娘2人)。
船内でも日本人は僕らだけだった…
船は 1968年までは世界最大で、乗った当時は
世界で2番目のキャンベラ号で約 46,000トン。
パスポートのスタンプによると 10月13日ヒースロー着、
ロンドンに2泊して 15日にバスでサザンプトンに向かい乗船。
最初にマデイラ島まで行き、帰りにリスボンとヴィゴに寄港した。
そして 23日にサザンプトンに戻る9日間のクルーズ。
同日パリに向かい2泊、25日にオルリーからシンガポールに、
シンガポールは夜着、朝発のトランジットでホテルに
泊まってはいるが、観光はなく 26日に伊丹に戻っている。
(長女は小学1年のはずなので2週間も休ませたのか? )
写真の枚数が少ないので、クルーズ前のロンドンと
クルーズ後のパリを同じ旅行記に纏めた)
写真はロンドンのホテルに向かう途中のバスから。
黄色いポスターの下に ONDEKOーZA とあり、
鬼太鼓座のロンドン公演があったようだ。
鬼太鼓座の結成は 1969年だが、
まだまだ日本での知名度は低かった時代
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
-
1995年からは乳幼児でもパスポートが取れる (必要?)
らしいが、それ以前のパスポートには "併記する子"
という欄があり、我が家も子供は母親のパスポートに併記した。
写真は1枚なので赤ちゃんを抱いて3人一緒の写真。
そして当時のシンガポールはイエローカード (予防接種) が
必要だったが日本では赤ちゃんに天然痘の接種は不可で
シンガポール入国時に空港で受けた (日本と違い非常に低料金)。
次のページの渡航先も現在と違い北朝鮮が除外されている
(僕のパスポートでは 1992年発行分から消えている) -
もう1つ、現在は誰でも街の金券ショップですら外貨を買えるが、
当時まだ外貨は完全自由化ではなくパスポートなしには
個人で購入できず金額は忘れたが上限もあった。
だからパスポート持参で銀行に行き、
銀行がパスポートに売却金額を記入し承認印を押した。
今回の場合 10月 6日と7日に今では死物のトラベラーズ・チェックを
三和銀行河原町支店で 690x2 USドルの購入。
1976年のレートは1ドル 300円なので 41万以上も買った!
なお、今回立ち寄る国は英仏西葡新だが、
当時は何と言っても USドルが強かった。
[調べると外貨の自由化は、年1回 500ドルまでの制限付きで
1964年に始まり 1978年から金額が無制限になったようだ。
この頃なら 2,000ドルぐらいかな?]
どうでもいいが日付印が 51.10.-6 と OCT.-7.1976、
同じ店なのに和暦と西暦が混在している… -
飛行機は伊丹からシンガポール航空だが香港経由、
そしてシンガポールでロンドン行きに乗り換えたようだ。
(日本からシンガポール直行便は 1979年から)
1歳の赤ちゃん連れなので長時間の飛行に不安もあったが、
機内ではCA (もちろん当時はスチュワーデス) 始め
皆さんが (?) 面倒を見てくれ予想外に楽だった。
ロンドンまで 24時間以上は掛かったが
給油のため数時間ごとに飛行機を降りられたし…
写真は全然知らない乗客だが子供の相手をしてくれた。
(ウチの子は可愛いかったからね??) -
南回りなのでロンドンに着くまでに、
給油のため複数の空港に着陸し、窓からの景色も、
どのあたりか不明だが少しだけ。
どこかアジア、恐らくチャンギの離陸後でしょう… -
ヨーロッパのどこか?
-
どこかの空港。
ルフトハンザの機体が2つ見えるからフランクフルトかも、
真ん中の SATURN Airways はアメリカの航空会社だが、
この年 1976年12月に運行停止している! -
再び離陸。フランクフルト空港の可能性があるな…
航空写真で南方向を見ると、真ん中の広い道路の
インターチェンジで潜るあたりが現在と似ている。
5号線が L3262と交わるところ… -
これはフランスだろうか…
-
恐らくイギリス、ヒースロー近くかもしれない…
-
家族は初海外、僕は 74年から3年連続。
小さいからか、子供は特に外国という意識もないようだった -
ロンドンのホテルはケンジントンの TARA ホテル
(現コプソーン・タラ) -
ホテル到着直前の
Allen St.と Scarsdale Villas 南向き。
突き当たりの教会は
St Mark's Coptic Orthodox Church -
ホテルからの眺めだが、map で探しても
該当する景色が見つからない… -
ホテルの徒歩圏にある
ロイヤル・アルバート・ホール -
その向かいにはアルバート・メモリアルがある。
南からのケンジントン・パーク -
ウエストミンスターやビッグ・ベンが見えるが、
よく見るアングルとは逆で1つ南、ランベス橋の
ランベス宮殿の前あたり、今と同じなら
Lambeth Pier からだろう -
同じ場所あたりから反対方向
高いビルは Millbank Tower、その右の低いビルは
MI 5 (情報局保安部)、007 などでお馴染みの
MI 6 (国外担当) は1つ南のヴォクソール橋にある。
ちなみに、このセーターと組みのマフラーを
パリの映画館 Videostone で落とし、数年後に行ったら
取っておいてくれた -
同じくランベス橋南東の階段横、左がテムズ、
橋の四隅にある塔の右にはランベス宮が少し見える。
ダブルデッカー右の建物は大きく様変わりして
Parliament View Apartments になっている。
バタシー方面に向かう 44番のバスには
ピーター・フランプトンの写真が、
人気絶頂の頃ですね -
ロンドン塔にも行っている、
記憶はないが雨だったよう。
英国人も (とは限らないが) 傘を差しますね… -
子供を連れてくるのは適当でない SOHO の一画。
Brewer St.44番地の CINEMA X CLUB
つまりブルー・フィルム (ハードコア・ポルノ) を
8ミリフィルム! で見せる店。 看板のように
ドイツ (医学映画?) とスエーデンが本場でしたね…
(ちなみに日本の家庭用 VHS デッキの1号機発売が、
まさに、この月 1976年10月31日で定価 25万6000円。
VHSテープは1本 5,000円以上でデッキを買うと
ポルノ・ビデオが貰えるとかの噂もあった…)
SOHO には中古レコード屋がたくさんあり、その後も何度も来た…
ああ、子供が興味を示したのは
もちろん左のトッポ・ジージョの方です -
すぐ右にも SEX SHOP がある。
現在はこれらの建物の1階部分は
すべて Bill's というレストラン。
今では SOHOも健全になり
いかがわしさは薄れたようだが… -
パンダに抱きついて離れない娘。上野動物園に
パンダがやってきたのは 1972年で大人気の頃か…
そこはレストランなので (?) 入ることに。
写真を見ると左 LOTUS の右には Regent Jewelry らしき文字も、
検索すると Lotus はリージェント St.の 52番地に今もある。
ただし、そこにはアーケードのアーチがあり一致しないが
隣の 54-62 なら一致しバス停上の石のカーブ具合から見て
当時の店が 54番地まであったと考えられる。
バス停が今と同じだとすれば、レストランは 61番地あたり -
レストランの中。 何料理の店だったか不明だが、
パンダがいたからチャイニーズの可能性が… -
これはロンドンの別のレストランのようです
-
これもロンドンのレストランらしいが
なぜかウェイターも同席?
蝶ネクタイなんてしてるから
わりと高級な店だったのか、
いや席を見るとダイナーみたいで違うな… -
これは多分リスボンだったと思うが
レストランなので一緒に…
もちろん子供たちも猫好きです -
Parliament Square のチャーチルさん。
建てられたのは 1973年11月なので新人。
一番古い銅像は 1832年の George Canning …
ちなみに一眼や二眼レフじゃない普通のカメラは
レンズ前に指など障害物があっても
(極端な場合レンズ・キャップをしたままでも)
ファインダーでは分からないので
気づかず撮ることが何度もあった -
これはケンジントン宮殿の前あたりに現在もあるベンチ。
よく見ると隙間から宮殿の左端が確認できる -
反対方向の Round Pond 、左の方に水鳥や救命用浮き輪が見える。
恐らく左に見える尖塔らしきものはランカスター・ゲイトの
Spire House で、その右のビルは現 Royal Lancaster だろう。
この日の親は別行動で下の娘は僕が世話をしていた -
ダブルデッカー車内、夜ですね。
やはり赤ちゃんには1日中歩き回るのは
苦行のようで… -
ロンドンからサザンプトンに行く途中の休憩時、
下に真っ赤なキノコがあるのが分かるかな?
よくディズニーのアニメなどで見るが
架空のものだと思っていた。
ベニテングタケらしい -
大団体ならともかく、チェックイン時にしろ
引き取ったときにしろ、なぜトランクが大量に?
ヒースローかシャルル・ドゴールだと思ったが
乗下船時ならありうるかも…
時代を感じさせるトランク群 -
さてクルーズが終わってパリに到着。
ロワシー (シャルル・ドゴール空港) の開港は
1974年3月でまだ新しい。
パリは2回目だが前回は開港前で
初めて見る近未来的なデザインに驚いた -
この写真では特徴的な立体交差するチューブの
ムーヴィング・ウォークも…分からない? -
パリのホテルは黒川紀章設計の
ニッコー・ド・パリ (現 Novotel Paris Tour Eiffel)。
この年4月に開業したばかりのパリでは珍しかった高層ホテル。
写真はホテル内にあった免税店。 パートナーが多分ここで
香水を買い、安心堂で腕時計を買った。
(安心堂のHPでは、この年 1976年パリに進出) -
エッフェル塔の下
Alée Léon Bourgeois とあるから
塔の南側ですね -
子供連れだし登りました。
でも、これじゃエッフェル塔に思えない?
第2展望台だが相変わらず低い柵しかない!
理由は忘れたが (強風だったとか?)
この時は ここまでしか登れなかった。
セーヌが見えるから北側、右端に見えるのは
アルマ橋ですね -
当然 メトロの車内だろう
-
Centre Francais du Commerce Exterieur という
表示がある。 調べると 10 Avenue d'Iéna だったが
元ロラン・ボナパルト王子の邸宅で
2010年12月から ShangriーLa Hotel 、
右下の丸い馬留め (?) はなくなっている。
ところで赤ちゃんの腰に紐が
ぶら下がってるのが分かるかな?
日本では見かけないが、西欧では
ヨチヨチ歩きを始める頃に犬のリードのような
(迷子) 紐を使う人も多い。
僕も存在を知らなかったがロンドンで見かけて
買ってみたら非常に便利で旅行中大いに役立った。
日本で使うと白い目で見られ、やめたが…
[母親が赤ちゃんを木に繋いで昼寝する映画があった。
矢印の紐が腰に巻いてある」
[★今日 (2020.06.05) ベッソンの『アナ』を見たら
このホテルが登場し一瞬 ShangriーLa という名前が見えた。
背景は 1985~90年なのにね、まあいいけど] -
シャトレーの Benjamin というブラスリー。
多分 今も 53 rue de Rivoli にある店と同じだろう。
大きなメニュー! -
相変わらずギャルソンに人気の娘。
おいおい酒を飲ますなよ! -
シャトレー、レ・アール一帯は再開発関連の工事中。
Pigier というネオンが見えるが
リヴォリ街にあったビジネス・スクールらしい。
そうなら、左端に何となく見えるのはサン・ジャックの塔 -
これはポンヌフの真ん中です。
多分 10時頃だと思うが
まだ子供たちも起きている。
そして長女のマフラーも健在だが… -
その後に行ったビデオ映画館 Videostone。
12時近いので上の娘まで寝てしまっている。
ということは誰に撮って貰ったのか?
劇場内は暑いのでニットのセーターを脱ぎ
マフラーを落とした…
右上の大きな顔はビル・ワイマン
その下はミック・ジャガー -
1974年 アリアンス・フランセーズでの
クラスメート、カナダの俳優ブライアンと再会。
彼は半年カナダ、半年パリの生活を続けていた -
パリ発はオルリーから。残っていたメモによると
18:35分発の SQ772 で空港まで彼女の車で送って貰った。
ということは団体から離脱していたようだ…
1974年のパリ1ヶ月でも世話になったから、
添乗員 (社長) は僕がパリに慣れていることは知っていた… -
シンガポールまでの機内でも
うちの子は人気者?
子供連れだと他人との会話が増えるからね…
(もちろん通路の2人はツアー仲間ではない) -
これはシンガポールのホテル前で出発時。
隣の背の高い男性は あまり記憶にない…
日本人ではないが肩を組んでいるから
多分ホテルで親しくなったのだろう。
上の写真にもある隣の女性は機内で親しくなった
1人旅の日本人でシンガポールの宿を決めてなかったので
面倒だから (?) 僕等に付いてきて同じホテルに泊まっていた -
ツアーの人数は少ないし、空港までは
どうやらタクシーに分乗して行ったようだ -
日本への飛行機は 10:00発の SQ 638。
(今回の最初の旅行記だが、旅を終えての感想)
もちろん旅行は満足できるものではあったが
小さい子供にとってプラスだったかは疑わしい。
当時6歳の子供ですら今聞いても
"行った" ということ以外は何も覚えていないという…
赤ちゃん連れでも予想よりは楽だったが
一番大変だったのが紙オムツの調達、家では
今では使わない木綿のオシメだったが旅行なので高い紙オムツ。
しかし2週間分も持って行けないので現地調達しかなく、
都市ごとに最優先で確保が必要。
もちろん粉ミルクは常用のものを持参していた
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