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今では船とは思えないビルのような大型客船でのクルーズも<br />珍しくも何ともないし4トラベルにも旅行記がたくさんある。<br />しかし 1976年当時のクルーズのイメージは、リタイアーした<br />金持ちの老人が行くもの、という感じだったと思う (今でも同じ?)。<br />僕等はオシメも取れない1歳と6歳の娘を連れた若い家族だったが、<br />意外と若い人も多く幼児連れも結構いた。<br />1974年のパリでも利用した社員数名の極小旅行社の主催で<br />ロンドン・パリを含む添乗員付きツアーの参加者は<br />添乗員を含め 10名 (+ウチの娘2人)。<br />船内でも日本人は僕らだけだった…<br /><br />船は 1968年までは世界最大で、乗った当時は<br />世界で2番目のキャンベラ号で約 46,000トン。<br />パスポートのスタンプによると 10月13日ヒースロー着、<br />ロンドンに2泊して 15日にバスでサザンプトンに向かい乗船。<br />最初にマデイラ島まで行き、帰りにリスボンとヴィゴに寄港した。<br />そして 23日にサザンプトンに戻る9日間のクルーズ。<br />同日パリに向かい2泊、25日にオルリーからシンガポールに、<br />シンガポールは夜着、朝発のトランジットでホテルに<br />泊まってはいるが、観光はなく 26日に伊丹に戻っている。<br />(長女は小学1年のはずなので2週間も休ませたのか? )<br />写真の枚数が少ないので、クルーズ前のロンドンと<br />クルーズ後のパリを同じ旅行記に纏めた)<br /><br />写真はロンドンのホテルに向かう途中のバスから。<br />黄色いポスターの下に ONDEKOーZA とあり、<br />鬼太鼓座のロンドン公演があったようだ。<br />鬼太鼓座の結成は 1969年だが、<br />まだまだ日本での知名度は低かった時代

1976年 キャンベラ号でサザンプトンからマデイラ島 1/2 :前後のロンドン・パリ編

10いいね!

1976/10/12 - 1976/10/26

4422位(同エリア9830件中)

旅行記グループ 1976年 キャンベラ

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milouchat

milouchatさん

今では船とは思えないビルのような大型客船でのクルーズも
珍しくも何ともないし4トラベルにも旅行記がたくさんある。
しかし 1976年当時のクルーズのイメージは、リタイアーした
金持ちの老人が行くもの、という感じだったと思う (今でも同じ?)。
僕等はオシメも取れない1歳と6歳の娘を連れた若い家族だったが、
意外と若い人も多く幼児連れも結構いた。
1974年のパリでも利用した社員数名の極小旅行社の主催で
ロンドン・パリを含む添乗員付きツアーの参加者は
添乗員を含め 10名 (+ウチの娘2人)。
船内でも日本人は僕らだけだった…

船は 1968年までは世界最大で、乗った当時は
世界で2番目のキャンベラ号で約 46,000トン。
パスポートのスタンプによると 10月13日ヒースロー着、
ロンドンに2泊して 15日にバスでサザンプトンに向かい乗船。
最初にマデイラ島まで行き、帰りにリスボンとヴィゴに寄港した。
そして 23日にサザンプトンに戻る9日間のクルーズ。
同日パリに向かい2泊、25日にオルリーからシンガポールに、
シンガポールは夜着、朝発のトランジットでホテルに
泊まってはいるが、観光はなく 26日に伊丹に戻っている。
(長女は小学1年のはずなので2週間も休ませたのか? )
写真の枚数が少ないので、クルーズ前のロンドンと
クルーズ後のパリを同じ旅行記に纏めた)

写真はロンドンのホテルに向かう途中のバスから。
黄色いポスターの下に ONDEKOーZA とあり、
鬼太鼓座のロンドン公演があったようだ。
鬼太鼓座の結成は 1969年だが、
まだまだ日本での知名度は低かった時代

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通
4.5
同行者
家族旅行
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • 1995年からは乳幼児でもパスポートが取れる (必要?)<br />らしいが、それ以前のパスポートには  &quot;併記する子&quot;<br />という欄があり、我が家も子供は母親のパスポートに併記した。<br />写真は1枚なので赤ちゃんを抱いて3人一緒の写真。<br />そして当時のシンガポールはイエローカード (予防接種) が<br />必要だったが日本では赤ちゃんに天然痘の接種は不可で<br />シンガポール入国時に空港で受けた (日本と違い非常に低料金)。<br />次のページの渡航先も現在と違い北朝鮮が除外されている<br />(僕のパスポートでは 1992年発行分から消えている)

    1995年からは乳幼児でもパスポートが取れる (必要?)
    らしいが、それ以前のパスポートには "併記する子"
    という欄があり、我が家も子供は母親のパスポートに併記した。
    写真は1枚なので赤ちゃんを抱いて3人一緒の写真。
    そして当時のシンガポールはイエローカード (予防接種) が
    必要だったが日本では赤ちゃんに天然痘の接種は不可で
    シンガポール入国時に空港で受けた (日本と違い非常に低料金)。
    次のページの渡航先も現在と違い北朝鮮が除外されている
    (僕のパスポートでは 1992年発行分から消えている)

  • もう1つ、現在は誰でも街の金券ショップですら外貨を買えるが、<br />当時まだ外貨は完全自由化ではなくパスポートなしには<br />個人で購入できず金額は忘れたが上限もあった。<br />だからパスポート持参で銀行に行き、<br />銀行がパスポートに売却金額を記入し承認印を押した。<br />今回の場合 10月 6日と7日に今では死物のトラベラーズ・チェックを<br />三和銀行河原町支店で 690x2 USドルの購入。<br />1976年のレートは1ドル 300円なので 41万以上も買った!<br />なお、今回立ち寄る国は英仏西葡新だが、<br />当時は何と言っても USドルが強かった。<br />[調べると外貨の自由化は、年1回 500ドルまでの制限付きで<br />1964年に始まり 1978年から金額が無制限になったようだ。<br />この頃なら 2,000ドルぐらいかな?]<br />どうでもいいが日付印が 51.10.-6 と OCT.-7.1976、<br />同じ店なのに和暦と西暦が混在している…

    もう1つ、現在は誰でも街の金券ショップですら外貨を買えるが、
    当時まだ外貨は完全自由化ではなくパスポートなしには
    個人で購入できず金額は忘れたが上限もあった。
    だからパスポート持参で銀行に行き、
    銀行がパスポートに売却金額を記入し承認印を押した。
    今回の場合 10月 6日と7日に今では死物のトラベラーズ・チェックを
    三和銀行河原町支店で 690x2 USドルの購入。
    1976年のレートは1ドル 300円なので 41万以上も買った!
    なお、今回立ち寄る国は英仏西葡新だが、
    当時は何と言っても USドルが強かった。
    [調べると外貨の自由化は、年1回 500ドルまでの制限付きで
    1964年に始まり 1978年から金額が無制限になったようだ。
    この頃なら 2,000ドルぐらいかな?]
    どうでもいいが日付印が 51.10.-6 と OCT.-7.1976、
    同じ店なのに和暦と西暦が混在している…

  • 飛行機は伊丹からシンガポール航空だが香港経由、<br />そしてシンガポールでロンドン行きに乗り換えたようだ。<br />(日本からシンガポール直行便は 1979年から)<br />1歳の赤ちゃん連れなので長時間の飛行に不安もあったが、<br />機内ではCA (もちろん当時はスチュワーデス) 始め<br />皆さんが (?) 面倒を見てくれ予想外に楽だった。<br />ロンドンまで 24時間以上は掛かったが<br />給油のため数時間ごとに飛行機を降りられたし…<br />写真は全然知らない乗客だが子供の相手をしてくれた。<br />(ウチの子は可愛いかったからね??)

    飛行機は伊丹からシンガポール航空だが香港経由、
    そしてシンガポールでロンドン行きに乗り換えたようだ。
    (日本からシンガポール直行便は 1979年から)
    1歳の赤ちゃん連れなので長時間の飛行に不安もあったが、
    機内ではCA (もちろん当時はスチュワーデス) 始め
    皆さんが (?) 面倒を見てくれ予想外に楽だった。
    ロンドンまで 24時間以上は掛かったが
    給油のため数時間ごとに飛行機を降りられたし…
    写真は全然知らない乗客だが子供の相手をしてくれた。
    (ウチの子は可愛いかったからね??)

  • 南回りなのでロンドンに着くまでに、<br />給油のため複数の空港に着陸し、窓からの景色も、<br />どのあたりか不明だが少しだけ。<br />どこかアジア、恐らくチャンギの離陸後でしょう…

    南回りなのでロンドンに着くまでに、
    給油のため複数の空港に着陸し、窓からの景色も、
    どのあたりか不明だが少しだけ。
    どこかアジア、恐らくチャンギの離陸後でしょう…

  • ヨーロッパのどこか?

    ヨーロッパのどこか?

  • どこかの空港。 <br />ルフトハンザの機体が2つ見えるからフランクフルトかも、<br />真ん中の SATURN Airways はアメリカの航空会社だが、<br />この年 1976年12月に運行停止している!

    どこかの空港。
    ルフトハンザの機体が2つ見えるからフランクフルトかも、
    真ん中の SATURN Airways はアメリカの航空会社だが、
    この年 1976年12月に運行停止している!

  • 再び離陸。フランクフルト空港の可能性があるな…<br />航空写真で南方向を見ると、真ん中の広い道路の<br />インターチェンジで潜るあたりが現在と似ている。<br />5号線が L3262と交わるところ…

    再び離陸。フランクフルト空港の可能性があるな…
    航空写真で南方向を見ると、真ん中の広い道路の
    インターチェンジで潜るあたりが現在と似ている。
    5号線が L3262と交わるところ…

  • これはフランスだろうか…

    これはフランスだろうか…

  • 恐らくイギリス、ヒースロー近くかもしれない…

    恐らくイギリス、ヒースロー近くかもしれない…

  • 家族は初海外、僕は 74年から3年連続。<br />小さいからか、子供は特に外国という意識もないようだった

    家族は初海外、僕は 74年から3年連続。
    小さいからか、子供は特に外国という意識もないようだった

  • ロンドンのホテルはケンジントンの TARA ホテル<br />(現コプソーン・タラ)<br />

    ロンドンのホテルはケンジントンの TARA ホテル
    (現コプソーン・タラ)

  • ホテル到着直前の<br />Allen St.と Scarsdale Villas 南向き。<br />突き当たりの教会は<br />St Mark&#39;s Coptic Orthodox Church

    ホテル到着直前の
    Allen St.と Scarsdale Villas 南向き。
    突き当たりの教会は
    St Mark's Coptic Orthodox Church

  • ホテルからの眺めだが、map で探しても<br />該当する景色が見つからない…

    ホテルからの眺めだが、map で探しても
    該当する景色が見つからない…

  • ホテルの徒歩圏にある<br />ロイヤル・アルバート・ホール

    ホテルの徒歩圏にある
    ロイヤル・アルバート・ホール

  • その向かいにはアルバート・メモリアルがある。<br />南からのケンジントン・パーク<br />

    その向かいにはアルバート・メモリアルがある。
    南からのケンジントン・パーク

  • ウエストミンスターやビッグ・ベンが見えるが、<br />よく見るアングルとは逆で1つ南、ランベス橋の<br />ランベス宮殿の前あたり、今と同じなら<br />Lambeth Pier からだろう

    ウエストミンスターやビッグ・ベンが見えるが、
    よく見るアングルとは逆で1つ南、ランベス橋の
    ランベス宮殿の前あたり、今と同じなら
    Lambeth Pier からだろう

  • 同じ場所あたりから反対方向<br />高いビルは Millbank Tower、その右の低いビルは<br />MI 5 (情報局保安部)、007 などでお馴染みの<br />MI 6 (国外担当) は1つ南のヴォクソール橋にある。<br />ちなみに、このセーターと組みのマフラーを<br />パリの映画館 Videostone で落とし、数年後に行ったら<br />取っておいてくれた<br />

    同じ場所あたりから反対方向
    高いビルは Millbank Tower、その右の低いビルは
    MI 5 (情報局保安部)、007 などでお馴染みの
    MI 6 (国外担当) は1つ南のヴォクソール橋にある。
    ちなみに、このセーターと組みのマフラーを
    パリの映画館 Videostone で落とし、数年後に行ったら
    取っておいてくれた

  • 同じくランベス橋南東の階段横、左がテムズ、<br />橋の四隅にある塔の右にはランベス宮が少し見える。<br />ダブルデッカー右の建物は大きく様変わりして<br />Parliament View Apartments になっている。<br />バタシー方面に向かう 44番のバスには<br />ピーター・フランプトンの写真が、<br />人気絶頂の頃ですね

    同じくランベス橋南東の階段横、左がテムズ、
    橋の四隅にある塔の右にはランベス宮が少し見える。
    ダブルデッカー右の建物は大きく様変わりして
    Parliament View Apartments になっている。
    バタシー方面に向かう 44番のバスには
    ピーター・フランプトンの写真が、
    人気絶頂の頃ですね

  • ロンドン塔にも行っている、<br />記憶はないが雨だったよう。<br />英国人も (とは限らないが) 傘を差しますね…

    ロンドン塔にも行っている、
    記憶はないが雨だったよう。
    英国人も (とは限らないが) 傘を差しますね…

  • 子供を連れてくるのは適当でない SOHO の一画。<br />Brewer St.44番地の CINEMA X CLUB<br />つまりブルー・フィルム (ハードコア・ポルノ) を<br />8ミリフィルム! で見せる店。 看板のように<br />ドイツ (医学映画?) とスエーデンが本場でしたね…<br />(ちなみに日本の家庭用 VHS デッキの1号機発売が、<br />まさに、この月 1976年10月31日で定価 25万6000円。<br />VHSテープは1本 5,000円以上でデッキを買うと<br />ポルノ・ビデオが貰えるとかの噂もあった…)<br />SOHO には中古レコード屋がたくさんあり、その後も何度も来た…<br />ああ、子供が興味を示したのは<br />もちろん左のトッポ・ジージョの方です

    子供を連れてくるのは適当でない SOHO の一画。
    Brewer St.44番地の CINEMA X CLUB
    つまりブルー・フィルム (ハードコア・ポルノ) を
    8ミリフィルム! で見せる店。 看板のように
    ドイツ (医学映画?) とスエーデンが本場でしたね…
    (ちなみに日本の家庭用 VHS デッキの1号機発売が、
    まさに、この月 1976年10月31日で定価 25万6000円。
    VHSテープは1本 5,000円以上でデッキを買うと
    ポルノ・ビデオが貰えるとかの噂もあった…)
    SOHO には中古レコード屋がたくさんあり、その後も何度も来た…
    ああ、子供が興味を示したのは
    もちろん左のトッポ・ジージョの方です

  • すぐ右にも SEX SHOP がある。<br />現在はこれらの建物の1階部分は<br />すべて Bill&#39;s というレストラン。<br />今では SOHOも健全になり<br />いかがわしさは薄れたようだが…<br />

    すぐ右にも SEX SHOP がある。
    現在はこれらの建物の1階部分は
    すべて Bill's というレストラン。
    今では SOHOも健全になり
    いかがわしさは薄れたようだが…

  • パンダに抱きついて離れない娘。上野動物園に<br />パンダがやってきたのは 1972年で大人気の頃か…<br />そこはレストランなので (?) 入ることに。<br />写真を見ると左 LOTUS の右には Regent Jewelry らしき文字も、<br />検索すると Lotus はリージェント St.の 52番地に今もある。<br />ただし、そこにはアーケードのアーチがあり一致しないが<br />隣の 54-62 なら一致しバス停上の石のカーブ具合から見て<br />当時の店が 54番地まであったと考えられる。<br />バス停が今と同じだとすれば、レストランは 61番地あたり

    パンダに抱きついて離れない娘。上野動物園に
    パンダがやってきたのは 1972年で大人気の頃か…
    そこはレストランなので (?) 入ることに。
    写真を見ると左 LOTUS の右には Regent Jewelry らしき文字も、
    検索すると Lotus はリージェント St.の 52番地に今もある。
    ただし、そこにはアーケードのアーチがあり一致しないが
    隣の 54-62 なら一致しバス停上の石のカーブ具合から見て
    当時の店が 54番地まであったと考えられる。
    バス停が今と同じだとすれば、レストランは 61番地あたり

  • レストランの中。 何料理の店だったか不明だが、<br />パンダがいたからチャイニーズの可能性が…<br /><br />

    レストランの中。 何料理の店だったか不明だが、
    パンダがいたからチャイニーズの可能性が…

  • これはロンドンの別のレストランのようです

    これはロンドンの別のレストランのようです

  • これもロンドンのレストランらしいが<br />なぜかウェイターも同席?<br />蝶ネクタイなんてしてるから<br />わりと高級な店だったのか、<br />いや席を見るとダイナーみたいで違うな…

    これもロンドンのレストランらしいが
    なぜかウェイターも同席?
    蝶ネクタイなんてしてるから
    わりと高級な店だったのか、
    いや席を見るとダイナーみたいで違うな…

  • これは多分リスボンだったと思うが<br />レストランなので一緒に…<br />もちろん子供たちも猫好きです

    これは多分リスボンだったと思うが
    レストランなので一緒に…
    もちろん子供たちも猫好きです

  • Parliament Square のチャーチルさん。<br />建てられたのは 1973年11月なので新人。<br />一番古い銅像は 1832年の George Canning …<br />ちなみに一眼や二眼レフじゃない普通のカメラは<br />レンズ前に指など障害物があっても<br />(極端な場合レンズ・キャップをしたままでも)<br />ファインダーでは分からないので<br />気づかず撮ることが何度もあった

    Parliament Square のチャーチルさん。
    建てられたのは 1973年11月なので新人。
    一番古い銅像は 1832年の George Canning …
    ちなみに一眼や二眼レフじゃない普通のカメラは
    レンズ前に指など障害物があっても
    (極端な場合レンズ・キャップをしたままでも)
    ファインダーでは分からないので
    気づかず撮ることが何度もあった

  • これはケンジントン宮殿の前あたりに現在もあるベンチ。<br />よく見ると隙間から宮殿の左端が確認できる

    これはケンジントン宮殿の前あたりに現在もあるベンチ。
    よく見ると隙間から宮殿の左端が確認できる

  • 反対方向の Round Pond 、左の方に水鳥や救命用浮き輪が見える。<br />恐らく左に見える尖塔らしきものはランカスター・ゲイトの<br />Spire House で、その右のビルは現 Royal Lancaster だろう。 <br />この日の親は別行動で下の娘は僕が世話をしていた

    反対方向の Round Pond 、左の方に水鳥や救命用浮き輪が見える。
    恐らく左に見える尖塔らしきものはランカスター・ゲイトの
    Spire House で、その右のビルは現 Royal Lancaster だろう。
    この日の親は別行動で下の娘は僕が世話をしていた

  • ダブルデッカー車内、夜ですね。<br />やはり赤ちゃんには1日中歩き回るのは<br />苦行のようで…

    ダブルデッカー車内、夜ですね。
    やはり赤ちゃんには1日中歩き回るのは
    苦行のようで…

  • ロンドンからサザンプトンに行く途中の休憩時、<br />下に真っ赤なキノコがあるのが分かるかな?<br />よくディズニーのアニメなどで見るが<br />架空のものだと思っていた。<br />ベニテングタケらしい<br />

    ロンドンからサザンプトンに行く途中の休憩時、
    下に真っ赤なキノコがあるのが分かるかな?
    よくディズニーのアニメなどで見るが
    架空のものだと思っていた。
    ベニテングタケらしい

  • 大団体ならともかく、チェックイン時にしろ<br />引き取ったときにしろ、なぜトランクが大量に?<br />ヒースローかシャルル・ドゴールだと思ったが<br />乗下船時ならありうるかも…<br />時代を感じさせるトランク群

    大団体ならともかく、チェックイン時にしろ
    引き取ったときにしろ、なぜトランクが大量に?
    ヒースローかシャルル・ドゴールだと思ったが
    乗下船時ならありうるかも…
    時代を感じさせるトランク群

  • さてクルーズが終わってパリに到着。<br />ロワシー (シャルル・ドゴール空港) の開港は<br />1974年3月でまだ新しい。<br />パリは2回目だが前回は開港前で<br />初めて見る近未来的なデザインに驚いた

    さてクルーズが終わってパリに到着。
    ロワシー (シャルル・ドゴール空港) の開港は
    1974年3月でまだ新しい。
    パリは2回目だが前回は開港前で
    初めて見る近未来的なデザインに驚いた

  • この写真では特徴的な立体交差するチューブの<br />ムーヴィング・ウォークも…分からない?

    この写真では特徴的な立体交差するチューブの
    ムーヴィング・ウォークも…分からない?

  • パリのホテルは黒川紀章設計の<br />ニッコー・ド・パリ (現 Novotel Paris Tour Eiffel)。 <br />この年4月に開業したばかりのパリでは珍しかった高層ホテル。<br />写真はホテル内にあった免税店。 パートナーが多分ここで<br />香水を買い、安心堂で腕時計を買った。<br />(安心堂のHPでは、この年 1976年パリに進出)

    パリのホテルは黒川紀章設計の
    ニッコー・ド・パリ (現 Novotel Paris Tour Eiffel)。
    この年4月に開業したばかりのパリでは珍しかった高層ホテル。
    写真はホテル内にあった免税店。 パートナーが多分ここで
    香水を買い、安心堂で腕時計を買った。
    (安心堂のHPでは、この年 1976年パリに進出)

  • エッフェル塔の下<br />Alée Léon Bourgeois とあるから<br />塔の南側ですね

    エッフェル塔の下
    Alée Léon Bourgeois とあるから
    塔の南側ですね

  • 子供連れだし登りました。<br />でも、これじゃエッフェル塔に思えない?<br />第2展望台だが相変わらず低い柵しかない!<br />理由は忘れたが (強風だったとか?) <br />この時は ここまでしか登れなかった。<br />セーヌが見えるから北側、右端に見えるのは<br />アルマ橋ですね

    子供連れだし登りました。
    でも、これじゃエッフェル塔に思えない?
    第2展望台だが相変わらず低い柵しかない!
    理由は忘れたが (強風だったとか?)
    この時は ここまでしか登れなかった。
    セーヌが見えるから北側、右端に見えるのは
    アルマ橋ですね

  • 当然 メトロの車内だろう<br />

    当然 メトロの車内だろう

  • Centre Francais du Commerce Exterieur という<br />表示がある。 調べると 10 Avenue d&#39;Iéna だったが<br />元ロラン・ボナパルト王子の邸宅で<br />2010年12月から ShangriーLa Hotel 、<br />右下の丸い馬留め (?) はなくなっている。<br />ところで赤ちゃんの腰に紐が<br />ぶら下がってるのが分かるかな?<br />日本では見かけないが、西欧では<br />ヨチヨチ歩きを始める頃に犬のリードのような<br />(迷子) 紐を使う人も多い。<br />僕も存在を知らなかったがロンドンで見かけて<br />買ってみたら非常に便利で旅行中大いに役立った。<br />日本で使うと白い目で見られ、やめたが…<br />[母親が赤ちゃんを木に繋いで昼寝する映画があった。<br />矢印の紐が腰に巻いてある」<br />[★今日 (2020.06.05) ベッソンの『アナ』を見たら<br />このホテルが登場し一瞬 ShangriーLa という名前が見えた。<br />背景は 1985~90年なのにね、まあいいけど]

    Centre Francais du Commerce Exterieur という
    表示がある。 調べると 10 Avenue d'Iéna だったが
    元ロラン・ボナパルト王子の邸宅で
    2010年12月から ShangriーLa Hotel 、
    右下の丸い馬留め (?) はなくなっている。
    ところで赤ちゃんの腰に紐が
    ぶら下がってるのが分かるかな?
    日本では見かけないが、西欧では
    ヨチヨチ歩きを始める頃に犬のリードのような
    (迷子) 紐を使う人も多い。
    僕も存在を知らなかったがロンドンで見かけて
    買ってみたら非常に便利で旅行中大いに役立った。
    日本で使うと白い目で見られ、やめたが…
    [母親が赤ちゃんを木に繋いで昼寝する映画があった。
    矢印の紐が腰に巻いてある」
    [★今日 (2020.06.05) ベッソンの『アナ』を見たら
    このホテルが登場し一瞬 ShangriーLa という名前が見えた。
    背景は 1985~90年なのにね、まあいいけど]

  • シャトレーの Benjamin というブラスリー。<br />多分 今も 53 rue de Rivoli にある店と同じだろう。<br />大きなメニュー!

    シャトレーの Benjamin というブラスリー。
    多分 今も 53 rue de Rivoli にある店と同じだろう。
    大きなメニュー!

  • 相変わらずギャルソンに人気の娘。<br />おいおい酒を飲ますなよ!

    相変わらずギャルソンに人気の娘。
    おいおい酒を飲ますなよ!

  • シャトレー、レ・アール一帯は再開発関連の工事中。<br />Pigier というネオンが見えるが<br />リヴォリ街にあったビジネス・スクールらしい。<br />そうなら、左端に何となく見えるのはサン・ジャックの塔

    シャトレー、レ・アール一帯は再開発関連の工事中。
    Pigier というネオンが見えるが
    リヴォリ街にあったビジネス・スクールらしい。
    そうなら、左端に何となく見えるのはサン・ジャックの塔

  • これはポンヌフの真ん中です。<br />多分 10時頃だと思うが<br />まだ子供たちも起きている。<br />そして長女のマフラーも健在だが…

    これはポンヌフの真ん中です。
    多分 10時頃だと思うが
    まだ子供たちも起きている。
    そして長女のマフラーも健在だが…

  • その後に行ったビデオ映画館 Videostone。<br />12時近いので上の娘まで寝てしまっている。<br />ということは誰に撮って貰ったのか?<br />劇場内は暑いのでニットのセーターを脱ぎ<br />マフラーを落とした…<br />右上の大きな顔はビル・ワイマン<br />その下はミック・ジャガー<br />

    その後に行ったビデオ映画館 Videostone。
    12時近いので上の娘まで寝てしまっている。
    ということは誰に撮って貰ったのか?
    劇場内は暑いのでニットのセーターを脱ぎ
    マフラーを落とした…
    右上の大きな顔はビル・ワイマン
    その下はミック・ジャガー

  • 1974年 アリアンス・フランセーズでの<br />クラスメート、カナダの俳優ブライアンと再会。<br />彼は半年カナダ、半年パリの生活を続けていた

    1974年 アリアンス・フランセーズでの
    クラスメート、カナダの俳優ブライアンと再会。
    彼は半年カナダ、半年パリの生活を続けていた

  • パリ発はオルリーから。残っていたメモによると<br />18:35分発の SQ772 で空港まで彼女の車で送って貰った。<br />ということは団体から離脱していたようだ…<br />1974年のパリ1ヶ月でも世話になったから、<br />添乗員 (社長) は僕がパリに慣れていることは知っていた…

    パリ発はオルリーから。残っていたメモによると
    18:35分発の SQ772 で空港まで彼女の車で送って貰った。
    ということは団体から離脱していたようだ…
    1974年のパリ1ヶ月でも世話になったから、
    添乗員 (社長) は僕がパリに慣れていることは知っていた…

  • シンガポールまでの機内でも<br />うちの子は人気者?<br />子供連れだと他人との会話が増えるからね…<br />(もちろん通路の2人はツアー仲間ではない)

    シンガポールまでの機内でも
    うちの子は人気者?
    子供連れだと他人との会話が増えるからね…
    (もちろん通路の2人はツアー仲間ではない)

  • これはシンガポールのホテル前で出発時。<br />隣の背の高い男性は あまり記憶にない…<br />日本人ではないが肩を組んでいるから<br />多分ホテルで親しくなったのだろう。<br />上の写真にもある隣の女性は機内で親しくなった<br />1人旅の日本人でシンガポールの宿を決めてなかったので<br />面倒だから (?) 僕等に付いてきて同じホテルに泊まっていた

    これはシンガポールのホテル前で出発時。
    隣の背の高い男性は あまり記憶にない…
    日本人ではないが肩を組んでいるから
    多分ホテルで親しくなったのだろう。
    上の写真にもある隣の女性は機内で親しくなった
    1人旅の日本人でシンガポールの宿を決めてなかったので
    面倒だから (?) 僕等に付いてきて同じホテルに泊まっていた

  • ツアーの人数は少ないし、空港までは<br />どうやらタクシーに分乗して行ったようだ

    ツアーの人数は少ないし、空港までは
    どうやらタクシーに分乗して行ったようだ

  • 日本への飛行機は 10:00発の SQ 638。<br /><br />(今回の最初の旅行記だが、旅を終えての感想)<br />もちろん旅行は満足できるものではあったが<br />小さい子供にとってプラスだったかは疑わしい。<br />当時6歳の子供ですら今聞いても<br /> &quot;行った&quot; ということ以外は何も覚えていないという…<br />赤ちゃん連れでも予想よりは楽だったが<br />一番大変だったのが紙オムツの調達、家では<br />今では使わない木綿のオシメだったが旅行なので高い紙オムツ。<br />しかし2週間分も持って行けないので現地調達しかなく、<br />都市ごとに最優先で確保が必要。<br />もちろん粉ミルクは常用のものを持参していた

    日本への飛行機は 10:00発の SQ 638。

    (今回の最初の旅行記だが、旅を終えての感想)
    もちろん旅行は満足できるものではあったが
    小さい子供にとってプラスだったかは疑わしい。
    当時6歳の子供ですら今聞いても
    "行った" ということ以外は何も覚えていないという…
    赤ちゃん連れでも予想よりは楽だったが
    一番大変だったのが紙オムツの調達、家では
    今では使わない木綿のオシメだったが旅行なので高い紙オムツ。
    しかし2週間分も持って行けないので現地調達しかなく、
    都市ごとに最優先で確保が必要。
    もちろん粉ミルクは常用のものを持参していた

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