2019/03/25 - 2019/03/25
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川原寺(跡)と飛鳥寺を見たので、残りの四天王寺を見に行く。
といっても、飛鳥四天王寺は奈良遷都で移転し、跡しか残っていない。
寺として残っているのは、格下げされることに反抗して、移転をしぶった一部の僧たちが居残っていた飛鳥寺だけだ。
飛鳥寺(興福寺)の主流は、元興寺となって奈良に移転されている。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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飛鳥寺の上空から、大官大寺跡と元薬師寺跡方面を眺める。
当時はこの辺りまでが飛鳥だったのだろう。
遠くには耳成山が見え、耳成山の手前には藤原京の跡がある。
耳成山の東には推古天皇の宮(小墾田の宮)と推測される大福がある。 -
「埋蔵文化財展示室」に寄ってみた。
外観は倉庫に似た建物で入場は無料だ。
期待しないで入ってみると、あすか夢の楽市 お土産屋・直売所・特産品
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高松塚古墳やキトラ古墳から出土した遺品(レプリカだけど)やら、川原寺跡や大官大寺跡などから出土したものが、分かりやすく展示してあり、
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復元図や復元模型も作られていて、当時の様子が手をとるように理解できる資料館だった。
写真撮影も可。
大満足。
(ここの復元図や復元模型は、旅行記のあちこちで利用させてもらっています。) -
高松塚古墳から出た三種の神器の銅鏡も、こんなに奇麗に複製されている。
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埋蔵文化財展示室の隣には、農産物直売所「あすか夢の楽市」があって、ここで牡丹餅とオカラクッキーとプリンを買って、この日の昼食とした。
(変な昼食だけど、女房は胃酸過多で食欲不振となっていて、プリンだけ。) -
大官大寺跡に到着したが・・
見渡しても何もない。
予想はしていたが、これほど何もないとは・・・
田畑が広がり、車がやっと通れるあぜ道があるだけで、
「どこが、そうなの?」
「えっ、ここが跡地・・」大官大寺跡 名所・史跡
-
「大官大寺塔跡地」と記した石柱と解説板が立っているのが、遺跡の目印。
大官大寺の建立に関しては多くの伝承があるが、天武天皇が祖父や叔母や曽祖父たちの遺言を受け継いで、この時代になって遂に建立できた寺・・
というのが正解だろう。
飛鳥寺建立から80年後のことになる。
寺伝には、推古-舒明-斉明-天智-天武-持統-文武と、数々の天皇の名が出てくる堂々たる国立の官寺だ。
仏教の指導権(すなわち政治の指導権)を、天皇家が握るとする意志が、この寺の建立に現れている。 -
発掘当時の写真だ。
九重の塔があって、高さは100m以上はあったと推定された。
すごい塔だ。
発掘作業が終わると、元の畑に戻してしまったようで、今はこんな状態になっている。
天武天皇の時代に流行したお経は『金光明教』で、国家安泰の経典だ。
国家の安泰こそが仏の道と説く教えで、
それがこの時代の仏教の基本的性格だった。
仏教は時の権力者の願いや要求、精神風土や文化によって、さまざまに変化していくことが分かる。 -
ドローンを飛ばしてみるが、なぜかGPS信号を上手く受信できず、低空での短時間の飛行となってしまった。
この場所には何か不思議な力が潜んでいるのだろうか?
四天王寺第一の地位を与えられていた大官大寺であるが、奈良遷都でその地位を興福寺に奪われ、大安寺と名を変えて奈良の都に移っていく。
https://youtu.be/-Ir5u-CipiU -
次は訪ねたのは、本薬師寺跡だった。
近辺に集落ができているが、田畑の広がる地域で、遺跡らしきものが見当たらない。
「あっちに、何かありそう・・」
「ここ、歩いていいのかな?」
などと言いながら、あぜ道を進んでいくと、本薬師寺跡 名所・史跡
-
地面から石礎がこんな状態で並んでいる庭があった。
-
「えっ、ここ、人が住んでいる家の庭だよ。」
「無断侵入になってしまうかな・・」
「足音をたてずに、そっと入ってみよう・・」 -
「あれっ、この家の玄関に看板が出ている・・」
「元薬師寺跡、なんて書いてある・・」
「洗濯物も干してあるし、自転車もあるよ。」
「家の中に、誰かいるみたい・・」
と、目立たないように歩き回り、 -
家を通り過ぎると、一段高い場所があって、
-
心柱の穴と石礎が並んでいた。
素人目にもここに塔があったと理解できる。
さてこの薬師寺であるが、飛鳥四天王寺の中では最後にできた寺だ。
天武天皇とその后(天武天皇が亡くなった後に持統天皇となる)の、強烈な愛の物語が伝えられる寺で、その持統天皇の時に完成した寺だ。 -
言うなれば、天武天皇と持統天皇の私寺という性格を持っている。
この寺を四天王寺とすることで、他の皇族の皇子たちを排除して、持統天皇の直系子孫に皇位の座を独占させたいとの意思がみてとれる寺だという。
平城京への遷都の時には、さらに豪華な寺となって引っ越ししていく。 -
遺跡の発掘作業をしている人たちに出会って、話を聞いていると、
-
偶然にも大学の先生がやって来て、詳しい説明を聞くことができた。
南大門の場所が発見されたということで、それを調べている最中だという。
-
これまでに分かった調査結果の図面を見せてもらえた。
不完全な石礎や柱の穴、割れた瓦や土器のかけらから、建物上部を推定していく考古学は、魔術のようだ。
研究者の背後にはオーラが輝いでいる。 -
この穴には、南大門の中心となる石礎があったのだという。
いつの時代にか、石は掘り出されて他の建設のために運び去れらたと先生は言う。
よくあることらしい。
専門家の話は面白く、思わぬ世界を知ることができる。
ブラタモリが面白いのは、こうした専門家がたくさん出てくるからだ。 -
上空から眺めると、およそ1400年前の地形が不完全ながらも残っている。
塀や塔や金堂があった場所が何となくわかるのだ。 -
続いて出掛けたのは大福の町で、
推古天皇と太子が「小墾田の宮」造ったの場所ではないかと推測される地域だ。 -
その場所については論争中で結論は出ていないが、梅原氏は桜井市大福だと自信をもっている。
ここに三十八柱神社(みそやはしら神社)があり、その神官の郷土研究に信頼性があると言う。 -
三十八柱神社を探すと、駐車場もない小さな神社で、誰もいなかった。
シ~ンと静まり返る無人の神社。 -
境内に「小墾田宮伝承之地・梅原猛 謹書」の石碑が立っていた。
古代の日本は、主人が亡くなった家屋は穢れが取りついたと恐れられ、家屋は取り壊されて家族は別の場所に移るのが習わしだった。
皇室や豪族も、頻繁に移転を繰り返し、立派な宮殿はできなかったという。
しかし海外との交流が盛んになると、海外からの使者や高官を迎える宮殿や都が必要となってくる。
広い場所に永続する都を作ろうと、太子は考えた。 -
この地に移転してきた理由がもう一つある。
太子は曽我氏の本拠地(飛鳥)から離れたかったというのだ。
曽我氏の血をひく太子であるが、太子の理想主義は、しだいに曽我馬子の現実主義と折り合いが悪くなっていく。 -
隋からの客や新羅の客が、あいついで難波から川をさかのぼって、小墾田の宮に来たとの記録がある。
初瀬川や寺川ではなかったのか。
完成した小墾田の宮であるが、古代から続く文化風習を克服できず、その後もたびたび都を移していく。 -
耳成山公園で遊んだ後、桜井市の公営協同浴場「さくら湯」を探した。
商業エリアから離れた、うら寂しい川岸にあった。
駐車場は10台ほどしか停めるスペースがない。 -
「さあ、汗を流してゆっくりしよう!」
玄関に立つと、開店は5時半となっていた。
1時間半も待たなくてはならない。
春なのに、肌寒い風が吹いている。 -
散歩することにした。
不思議なことに、女房からそう言いだした。
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川沿いの道を歩いていると、あちこちに水鳥が泳いでいたり、
-
見慣れぬ形の、ダム(?)があった。
空気で膨張させる袋でできていて、堤防には空気を調整する施設まである。 -
桜に似ているが花が満開だが、桜ではなさそうだ。
見知らぬ土地を歩くことは、それだけでけっこう楽しめるものだ。
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地元のおばさんとも仲良くなって、地域の話も聞け、
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1時間半はなんなく過ぎて、戻ると浴場は開店していて、
地元の家族やおじさんやおばさんたちが、集まって来ていた。
(対岸から見たさくら湯です)
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ここは正真正銘の銭湯で、薬湯とか泡風呂などはなく、ロビーさえない浴場だったけど、入浴料は250円と安かった。
赤字経営かと思われるが、地域住民への公共サービスなのだろう。
びっくりしたのは、腕や背中一面に、入れ墨のあるお爺さんが2人も入っていたことで、
「怖い人じゃないよ・・」
との番台のおばさんの言葉に安心し、背中の観音様や竜を鑑賞したのだった。 -
女房の方は女房の方で、
「あんた、さっき、堤防を歩いていた人じゃない?」
なんて聞かれて、すっかりおばさんやお婆さんたちと仲良くなり、1時間以上も楽しんで、真っ赤な顔をして車に戻ってきた。 -
今夜の宿泊地は斑鳩にある道の駅だ。
桜井市からはかなり時間がかかりそうだが、途中のコンビニで食事をし、真っ暗になった道を走っていく。
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