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 飛鳥は山に囲まれた小狭な土地で、大和盆地の南端に位置している。<br /> いわば辺境の地だ。<br /> そんな土地が、なぜ政治の中心となり得たのか?<br /> <br /> 古代の日本は気候も温暖で、豊かな森や川や海に恵まれ、海を越えてやって来た部族が、何百年という長い間、狩猟採集生活を続けてきた。<br /> 縄文人だ。<br /> 縄文人は単一民族ではなく、多種多様な文化や言葉をもつ部族で、稲作が入ってきても農耕生活に移行する必要はなく、狩猟生活が続いていたという。<br /> ところが稲作を取り入れた部族が出てくると、彼らは土地の私有権を主張し始める。<br /> そして狩猟民俗を吸収したり駆逐して、勢力を広げていく。<br /> 農耕生活は支配階級と被支配階級を誕生させ、豪族(氏族)となっていく。<br /> 大陸の技術を持った帰化人の役割が大きかったに違いない。<br /><br /> 大和盆地もそうした豪族たちの集まる場所であったが、遅れてやって来た帰化人の東漢氏(やまとのあやうじ)が、まだ未開拓だった大和盆地の南端に住みついたという。<br /> その土地が今の飛鳥の地だ。<br /> 東漢氏は最新の技術や政治力を持っていて、曽我氏と結びつき、陰の実権を持つ存在になっていった。

「隠された十字架・法隆寺論」に導かれて、明日香・斑鳩で車中泊(3/7)暴かれた石舞台古墳と、母を弔う川原寺跡

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2019/03/25 - 2019/03/25

230位(同エリア995件中)

motogen

motogenさん

 飛鳥は山に囲まれた小狭な土地で、大和盆地の南端に位置している。
 いわば辺境の地だ。
 そんな土地が、なぜ政治の中心となり得たのか?
 
 古代の日本は気候も温暖で、豊かな森や川や海に恵まれ、海を越えてやって来た部族が、何百年という長い間、狩猟採集生活を続けてきた。
 縄文人だ。
 縄文人は単一民族ではなく、多種多様な文化や言葉をもつ部族で、稲作が入ってきても農耕生活に移行する必要はなく、狩猟生活が続いていたという。
 ところが稲作を取り入れた部族が出てくると、彼らは土地の私有権を主張し始める。
 そして狩猟民俗を吸収したり駆逐して、勢力を広げていく。
 農耕生活は支配階級と被支配階級を誕生させ、豪族(氏族)となっていく。
 大陸の技術を持った帰化人の役割が大きかったに違いない。

 大和盆地もそうした豪族たちの集まる場所であったが、遅れてやって来た帰化人の東漢氏(やまとのあやうじ)が、まだ未開拓だった大和盆地の南端に住みついたという。
 その土地が今の飛鳥の地だ。
 東漢氏は最新の技術や政治力を持っていて、曽我氏と結びつき、陰の実権を持つ存在になっていった。

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車
  •  寒さで目覚めると6時だった。

     寒さで目覚めると6時だった。

    道の駅 吉野路 大淀iセンター 道の駅

  •  外に出ると、窓ガラスが凍っていた。<br /> 温暖な静岡の地とは大違いで、びっくりする。 

     外に出ると、窓ガラスが凍っていた。
     温暖な静岡の地とは大違いで、びっくりする。 

  •  峠にあるこの道の駅の標高は220mほど。<br /> 平地より少し温度は低いのか・・<br /> ここを南に下っていくと、桜で有名な吉野となるようだ。

     峠にあるこの道の駅の標高は220mほど。
     平地より少し温度は低いのか・・
     ここを南に下っていくと、桜で有名な吉野となるようだ。

  •  カップ麺と野菜サラダを食べて、

     カップ麺と野菜サラダを食べて、

  •  明日香村に向かう。<br /> 飛鳥駅の前を右折して、

     明日香村に向かう。
     飛鳥駅の前を右折して、

    飛鳥駅

  •  川原寺跡や橘寺のある明日香の中心(どこが中心なのかわからない村だが)を走って、

     川原寺跡や橘寺のある明日香の中心(どこが中心なのかわからない村だが)を走って、

  •  南東の、山に挟まれた傾斜地に向かうと、それらしき場所に出た。

     南東の、山に挟まれた傾斜地に向かうと、それらしき場所に出た。

  •  石舞台遺跡のある場所ということは一目瞭然で、<br /> 無料の村営駐車場を探しだし、<br />(いつも満車だと聞いたいたが、この朝は空いていた)

     石舞台遺跡のある場所ということは一目瞭然で、
     無料の村営駐車場を探しだし、
    (いつも満車だと聞いたいたが、この朝は空いていた)

    国営飛鳥歴史公園 公園・植物園

  •  すぐに遺跡の入り口に向かうところを、そうはせず、<br /> 野原を歩いて裏側に回り込み、ドローンを取り出した。<br /> 誰もいない野原なら、叱られないだろう。

     すぐに遺跡の入り口に向かうところを、そうはせず、
     野原を歩いて裏側に回り込み、ドローンを取り出した。
     誰もいない野原なら、叱られないだろう。

  •  ここがどんな場所なのかは、空から眺めのが一番。<br /> 遺跡エリアに入るのは、その後にする。<br /> 驚くべきは、30年前に来た時とは、様子がすっかり変わってしまっていることだ。

     ここがどんな場所なのかは、空から眺めのが一番。
     遺跡エリアに入るのは、その後にする。
     驚くべきは、30年前に来た時とは、様子がすっかり変わってしまっていることだ。

  •  ドローン撮影を終えて表に回ると、入口があり、入場料を払うことになった。<br /> 「このあたり、30年前とはずいぶん変わっちゃいましたね。」<br /> 「そうなんですよ。昔は入場料なんて、なかったのにね。」<br /> と受付のおばさんが、すまなそうにチケットを渡してくれた。<br /> 「畑ばかりで、何にもない所だったのに・・」<br /> 「そう、今はきれいな公園に整備されて、村が管理してます。」

     ドローン撮影を終えて表に回ると、入口があり、入場料を払うことになった。
     「このあたり、30年前とはずいぶん変わっちゃいましたね。」
     「そうなんですよ。昔は入場料なんて、なかったのにね。」
     と受付のおばさんが、すまなそうにチケットを渡してくれた。
     「畑ばかりで、何にもない所だったのに・・」
     「そう、今はきれいな公園に整備されて、村が管理してます。」

  •  今年は暖冬だというのに、桜はまだつぼみだ。<br /> 1週間後に来れば、桜の花と遺跡のマッチングを見ることができたであろう。<br /> 残念。

     今年は暖冬だというのに、桜はまだつぼみだ。
     1週間後に来れば、桜の花と遺跡のマッチングを見ることができたであろう。
     残念。

  •   権力者がその集団を統治するには、武力や財力だけでは永く維持できるものではない。<br /> 構成員の誰もが信じる夢や正義、権力者を正統とする自然観や世界観が必要となる。

      権力者がその集団を統治するには、武力や財力だけでは永く維持できるものではない。
     構成員の誰もが信じる夢や正義、権力者を正統とする自然観や世界観が必要となる。

  •  この時代、集団(氏族)にはそれぞれの神があり、権力者は神からの神託や加護を受けて祭り事を行う存在で、構成員から畏敬の念を持たれていたはずで、<br /> そして権力者も、自分が神から託された存在だと心から信じていたはずだ。<br /> 神は氏族それぞれにあり、日本は八百よろずの神の住む国となっていた。

     この時代、集団(氏族)にはそれぞれの神があり、権力者は神からの神託や加護を受けて祭り事を行う存在で、構成員から畏敬の念を持たれていたはずで、
     そして権力者も、自分が神から託された存在だと心から信じていたはずだ。
     神は氏族それぞれにあり、日本は八百よろずの神の住む国となっていた。

  •  そこに海外から仏教が入ってくる。<br /> 海外通だった曽我氏(東漢氏も)は、この仏教を取り入れようとし、各氏族が祀っていた神との宗教戦争が起こったのだ。<br /> 曽我氏に対立した氏族たちの、先頭に立ったのが物部氏だ。<br /> 物部氏は河内を拠り所にし、弓矢や刀剣、盾などを製造する軍需産業で力をつけていた。

     そこに海外から仏教が入ってくる。
     海外通だった曽我氏(東漢氏も)は、この仏教を取り入れようとし、各氏族が祀っていた神との宗教戦争が起こったのだ。
     曽我氏に対立した氏族たちの、先頭に立ったのが物部氏だ。
     物部氏は河内を拠り所にし、弓矢や刀剣、盾などを製造する軍需産業で力をつけていた。

  •  曽我氏が自宅内に造った寺や仏像を焼き討ちする事件もあり、氏族たちをまとめる王(天皇)も困ったであろう。<br /> 曽我氏は王との姻戚関係も作っていたからだ。

     曽我氏が自宅内に造った寺や仏像を焼き討ちする事件もあり、氏族たちをまとめる王(天皇)も困ったであろう。
     曽我氏は王との姻戚関係も作っていたからだ。

  •  馬子の代となり、物部氏との仏教戦争は激しくなるが、馬子は謀略知略を尽くし、周囲の氏族を味方に引き入れて、物部氏を滅ぼしてしまう。<br /> この時、後に聖徳太子と呼ばれる厩戸皇子(うまやどのみこ)も活躍したという。<br /> 厩戸皇子にはカリスマ性があり、精神的な支柱となったらしい。<br /> 戦いに勝った馬子と厩戸皇子は、天皇や各豪族にも仏教を広め、政治の中心となっていく。(宗教を制した者が権力の中心なのだ。)

     馬子の代となり、物部氏との仏教戦争は激しくなるが、馬子は謀略知略を尽くし、周囲の氏族を味方に引き入れて、物部氏を滅ぼしてしまう。
     この時、後に聖徳太子と呼ばれる厩戸皇子(うまやどのみこ)も活躍したという。
     厩戸皇子にはカリスマ性があり、精神的な支柱となったらしい。
     戦いに勝った馬子と厩戸皇子は、天皇や各豪族にも仏教を広め、政治の中心となっていく。(宗教を制した者が権力の中心なのだ。)

  •  ここから聖徳太子の活躍する時代となっていく。<br /> 豪族の寄り集まりの国を、天皇を中心とする官僚国家に改革することを目指し、その中心哲学を仏教に置く。<br /> 聖徳太子が「和をもって尊し・・」と唱えたのは、多種多様な神を祀っていた豪族を、一つにまとめるには和が大切だとしたからで、<br /> 官位を生まれ育ちではなく、個人の徳の高さで決めようとする。

     ここから聖徳太子の活躍する時代となっていく。
     豪族の寄り集まりの国を、天皇を中心とする官僚国家に改革することを目指し、その中心哲学を仏教に置く。
     聖徳太子が「和をもって尊し・・」と唱えたのは、多種多様な神を祀っていた豪族を、一つにまとめるには和が大切だとしたからで、
     官位を生まれ育ちではなく、個人の徳の高さで決めようとする。

  •  現在の石棺は、むき出しになっている。<br /> 人為的に行う以外には、こうはならないはずで、これは誰かが墓を暴いたのだ。<br /> 墓を暴くということは、死者やその子孫に対する最大の侮蔑となる。<br /> 権力者が権力を失ったとき、その名誉や成果を否定する行為だったのではないのか・・<br /> 梅原氏はそう考える。<br /><br /> 石舞台古墳の周辺を動画でご覧ください。<br /> https://youtu.be/K2A5CAic9Ic<br />

     現在の石棺は、むき出しになっている。
     人為的に行う以外には、こうはならないはずで、これは誰かが墓を暴いたのだ。
     墓を暴くということは、死者やその子孫に対する最大の侮蔑となる。
     権力者が権力を失ったとき、その名誉や成果を否定する行為だったのではないのか・・
     梅原氏はそう考える。

     石舞台古墳の周辺を動画でご覧ください。
     https://youtu.be/K2A5CAic9Ic

  •  川原寺跡地までやって来た。<br /> すぐ近くに無料の駐車場があった。<br /> 跡地は広場となっている。<br /> 寺の痕跡が残っているが、何がどうなっていたのか分からない。 <br />

     川原寺跡地までやって来た。
     すぐ近くに無料の駐車場があった。
     跡地は広場となっている。
     寺の痕跡が残っているが、何がどうなっていたのか分からない。 

  •  川原寺は正式には弘福寺という。<br /> 馬子の時代からおよそ70年後に建てられた、明日香四天王寺の一つだ。<br /> 曽我氏が滅ぼされ、それに代わる藤原氏が権力を握りはじめ、官僚制度(律令制)が整えられつつあった時代のことだ。<br /> 時の斉明女帝が、九州遠征中に突然亡くなった。<br /> 母を悼み、冥福を祈って、息子である中大兄王子(天智天皇)が建てた寺だと伝えられている。

     川原寺は正式には弘福寺という。
     馬子の時代からおよそ70年後に建てられた、明日香四天王寺の一つだ。
     曽我氏が滅ぼされ、それに代わる藤原氏が権力を握りはじめ、官僚制度(律令制)が整えられつつあった時代のことだ。
     時の斉明女帝が、九州遠征中に突然亡くなった。
     母を悼み、冥福を祈って、息子である中大兄王子(天智天皇)が建てた寺だと伝えられている。

  •  亡くなった斉明天皇は舒明天皇の后で、夫の舒明天皇の死後に皇極天皇となり、曽我入鹿と共に政務を執っていた。<br /> 彼女は入鹿と男女関係があったとも言われている。<br /> 入鹿が殺された時、その首が彼女を目指して飛び、御簾にかじりついたと日本書紀は言う。<br /> 皇極天皇に助けを求める入鹿の執念であったのか、恨みであったのか・・<br /> 絵の中の左上の女性が皇極天皇だ。<br /> この後、皇極天皇は退位するが、斉明天皇となって復活し、朝鮮への出兵間際に奇怪な亡くなり方をした。<br /> 葬儀の時には入鹿が鬼と化して、山上から見守っていたとする伝説まである。 

     亡くなった斉明天皇は舒明天皇の后で、夫の舒明天皇の死後に皇極天皇となり、曽我入鹿と共に政務を執っていた。
     彼女は入鹿と男女関係があったとも言われている。
     入鹿が殺された時、その首が彼女を目指して飛び、御簾にかじりついたと日本書紀は言う。
     皇極天皇に助けを求める入鹿の執念であったのか、恨みであったのか・・
     絵の中の左上の女性が皇極天皇だ。
     この後、皇極天皇は退位するが、斉明天皇となって復活し、朝鮮への出兵間際に奇怪な亡くなり方をした。
     葬儀の時には入鹿が鬼と化して、山上から見守っていたとする伝説まである。 

  •  斉明天皇(皇極天皇)の死が怪奇であるなら、その霊は手厚く祭られる必要がある。<br /> かくして息子(天智天皇)は、彼女の宮殿跡に寺を建てた。<br /> 宮跡を寺院とするのは異常なことだ。<br /> この時代、主が亡くなった家や土地は、穢れが残ると信じられ、宮殿も次々と場所を変えていく。<br /> 飛鳥時代に大きな宮殿(都)がなかったのは、そんな文化風習があったからだ。

     斉明天皇(皇極天皇)の死が怪奇であるなら、その霊は手厚く祭られる必要がある。
     かくして息子(天智天皇)は、彼女の宮殿跡に寺を建てた。
     宮跡を寺院とするのは異常なことだ。
     この時代、主が亡くなった家や土地は、穢れが残ると信じられ、宮殿も次々と場所を変えていく。
     飛鳥時代に大きな宮殿(都)がなかったのは、そんな文化風習があったからだ。

  •  広場の中央に、光福寺や弘福寺の表札が掲げられている寺があった。<br /> 復元模型の川原寺(弘福寺)とはかけ離れている。<br /> 元の川原寺とは縁があるのだろうが、観光で入る寺ではなさそうだ。

     広場の中央に、光福寺や弘福寺の表札が掲げられている寺があった。
     復元模型の川原寺(弘福寺)とはかけ離れている。
     元の川原寺とは縁があるのだろうが、観光で入る寺ではなさそうだ。

    川原寺跡 名所・史跡

  •  復元模型を見ると、当時の川原寺は、南大門、中門、中金堂が一直線に並び、その両側に塔と西金堂が向かい合っている。

     復元模型を見ると、当時の川原寺は、南大門、中門、中金堂が一直線に並び、その両側に塔と西金堂が向かい合っている。

  •  元の川原寺(弘福寺)は、都が奈良に遷都する時に、藤原氏に乗っ取られて興福寺とり、藤原氏の氏寺となる。<br /> 官寺から私営の寺となったが、奈良四天王寺の最大の寺だ。<br /> 宗教は政治そのもの。<br /> 政治の中心が藤原氏になったことを内外に示していた。

     元の川原寺(弘福寺)は、都が奈良に遷都する時に、藤原氏に乗っ取られて興福寺とり、藤原氏の氏寺となる。
     官寺から私営の寺となったが、奈良四天王寺の最大の寺だ。
     宗教は政治そのもの。
     政治の中心が藤原氏になったことを内外に示していた。

  •  道路を挟んで、南の山すそに見えるのは橘寺。<br /> 明日香四天王寺でないけれど、川原寺とはペアとなる寺らしい。<br /> それを聞けば行かざるを得ない。

     道路を挟んで、南の山すそに見えるのは橘寺。
     明日香四天王寺でないけれど、川原寺とはペアとなる寺らしい。
     それを聞けば行かざるを得ない。

    橘寺 寺・神社・教会

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