2019/03/20 - 2019/03/20
5528位(同エリア7321件中)
ドクターキムルさん
- ドクターキムルさんTOP
- 旅行記7569冊
- クチコミ134件
- Q&A回答247件
- 7,214,369アクセス
- フォロワー40人
葛原岡には随分と来ているのであるが、日野俊基の墓(https://4travel.jp/travelogue/10599171)はご無沙汰していた。
大日本帝国憲法は明治22年(1889年)2月11日に公布され、翌明治23年(1890年)11月29日に施行された。鎌倉では横須賀線が開通して鎌倉駅が開業したのが明治22年(1889年)6月16日であるから 当時が偲ばれようか?
日野俊基の墓の横に建つ「贈従三位日野公墓碑銘」石碑はそれ以前の明治17年(1884年)に建立されている。日野俊基が殺害されたのは元弘2年(1332年)であるから死後552年後に階位が上がった。四階級特進である。
旧日本軍の規定には4階級特進まであった。しかし、四階級特進が実施された例はこの日野俊基だけであろう。律令制下においては三位以上を公卿とすることから、四位の中級貴族が神社に祭られるのであるからそれ相応の階位、従三位が必要と思われたのであろう。
なお、現在、警察官や自衛隊隊員、外交官などが殉職すると慣例で2階級特進するが、それは戦前の法律に従ってのことだ。
墓の端に「俊基朝臣墓所」(大正6年(1917年)3月、鎌倉町青年会)の立派な史跡碑が建っているが、「贈従三位日野公墓碑銘」石碑のように、史跡碑としてはそれほどの意味はないだろう。「贈」、死後に上位の官位が贈られたことに意味があるのだ。
なお、明治維新後、南朝(吉野朝廷)が正統とされると俊基は倒幕の功労者として評価されるようになり、明治20年(1887年)には俊基を主祭神とする葛原岡神社の地鎮祭が行われ、翌明治21年(1888年)に葛原岡神社が創建されている。ただし、「建武中興十五社」が創建されたが、葛原岡神社は含まれていない。鎌倉宮(https://4travel.jp/travelogue/11457813)の支社扱いなのだろう。
「建武中興十五社」とは、戦前までの社格でいうと、後醍醐天皇を祭神とする吉野神宮の官幣大社(1社)と皇子を祭る鎌倉宮などの官幣中社(4社)、忠臣を祭る湊川神社などの別格官幣社(10社)である。
現在は、日野俊基の参道は公衆トイレの車両が物資を運ぶために利用している。
(表紙写真は「贈従三位日野公墓碑銘」石碑(明治17年(1884年)銘))
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ドクターキムルさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
7