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松代城は、甲州流築城術の特徴を強く持ち、武田氏築城の代表的な城の一つとされます。千曲川を背後にして、本曲輪を三方から二の曲輪が囲み、甲州流築城術の特徴である丸馬出と三日月堀があったお城です。

2018秋、群馬と長野の名城(19/20):10月27日(9):松代城(1):真田邸、庭園、内堀

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2018/10/26 - 2018/10/27

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旅人のくまさん

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松代城は、甲州流築城術の特徴を強く持ち、武田氏築城の代表的な城の一つとされます。千曲川を背後にして、本曲輪を三方から二の曲輪が囲み、甲州流築城術の特徴である丸馬出と三日月堀があったお城です。

交通手段
観光バス JR特急

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  • 上田城の見学を終えた後の昼食です。天候に恵まれ、美味しい生ビールと一緒に戴きました。摘みに合う料理も揃っていました。

    上田城の見学を終えた後の昼食です。天候に恵まれ、美味しい生ビールと一緒に戴きました。摘みに合う料理も揃っていました。

  • お城の前に見学した、真田邸の玄関先光景です。この建物は、文久2年(1862年)、文久の改革の一環として参勤交代制度の緩和にともない、妻子の帰国が許されたことから、松代城外に住まいとした屋敷です。明治期以降は真田家の私邸として利用されました。敷地内には、蔵、長屋、門、番所、庭園などが完存しています。

    お城の前に見学した、真田邸の玄関先光景です。この建物は、文久2年(1862年)、文久の改革の一環として参勤交代制度の緩和にともない、妻子の帰国が許されたことから、松代城外に住まいとした屋敷です。明治期以降は真田家の私邸として利用されました。敷地内には、蔵、長屋、門、番所、庭園などが完存しています。

  • 真田邸の室内見学です。真田邸は、『城外御殿新御殿』とも呼ばれているようでした。城外に残る、松代城関連の遺構の一つです。

    真田邸の室内見学です。真田邸は、『城外御殿新御殿』とも呼ばれているようでした。城外に残る、松代城関連の遺構の一つです。

  • 真田邸の中庭光景です。

    真田邸の中庭光景です。

  • 『庭園』のタイトルがあった説明パネルの光景です。9代藩主の真田幸教(ゆきのり:1836~1869年)が好んだとされる、『水心秋月亭』と名付けられた庭園の紹介文です。借景は、ノロシ山を始めとする山々です。

    『庭園』のタイトルがあった説明パネルの光景です。9代藩主の真田幸教(ゆきのり:1836~1869年)が好んだとされる、『水心秋月亭』と名付けられた庭園の紹介文です。借景は、ノロシ山を始めとする山々です。

  • 床の間に飾られた、すっきりとした姿の生け花の光景です。『エコール・ド・まつしろ・華道専科』の黄色い名札が添えられていました。真田幸教は、父の真田幸良が家督を相続することなく早世したため、庶子でしたが祖父の幸貫の嗣子となり、9代藩主となりました。

    床の間に飾られた、すっきりとした姿の生け花の光景です。『エコール・ド・まつしろ・華道専科』の黄色い名札が添えられていました。真田幸教は、父の真田幸良が家督を相続することなく早世したため、庶子でしたが祖父の幸貫の嗣子となり、9代藩主となりました。

  • 自然石で造られたらしい、亀の姿をした『蹲踞(つくばい)』の光景です。真田幸教は、若年で統率力に乏しく、しかも病気がちで、藩内で佐幕派の恩田派と尊王派の真田派が争うのを制すことができず、結果として祖父の幸貫が登用した佐久間象山などの優秀な人材を使いこなすことが出来ませんでした。

    自然石で造られたらしい、亀の姿をした『蹲踞(つくばい)』の光景です。真田幸教は、若年で統率力に乏しく、しかも病気がちで、藩内で佐幕派の恩田派と尊王派の真田派が争うのを制すことができず、結果として祖父の幸貫が登用した佐久間象山などの優秀な人材を使いこなすことが出来ませんでした。

  • 『水心秋月亭』と名付けられた庭園の光景です。左奥に、外壁が白漆喰の土蔵が見えていました。

    『水心秋月亭』と名付けられた庭園の光景です。左奥に、外壁が白漆喰の土蔵が見えていました。

  • 『水心秋月亭』と名付けられた庭園の光景です。

    『水心秋月亭』と名付けられた庭園の光景です。

  • 『水心秋月亭』と名付けられた庭園の光景です。室内にあった「庭園」の説明パネルには、『心字池』と紹介されていました。

    『水心秋月亭』と名付けられた庭園の光景です。室内にあった「庭園」の説明パネルには、『心字池』と紹介されていました。

  • 『ドウダンツツジ(満天星躑躅)』の紅葉光景です。ツツジ科ドウダンツツジ属の植物です。4月上旬から5月中旬頃に咲く白い花は、白色で、小さな釣り鐘のような姿です。

    『ドウダンツツジ(満天星躑躅)』の紅葉光景です。ツツジ科ドウダンツツジ属の植物です。4月上旬から5月中旬頃に咲く白い花は、白色で、小さな釣り鐘のような姿です。

  • 『ドウダンツツジ(満天星躑躅)』の紅葉のズームアップ光景です。紅葉の時期は、紅葉は寒冷な地で10月中旬から11月上旬頃、温暖な地で11月中旬から12月中旬頃とされます。鮮やかな赤色の紅葉には定評があります。

    『ドウダンツツジ(満天星躑躅)』の紅葉のズームアップ光景です。紅葉の時期は、紅葉は寒冷な地で10月中旬から11月上旬頃、温暖な地で11月中旬から12月中旬頃とされます。鮮やかな赤色の紅葉には定評があります。

  • 読み難い文字になっていましたが、『国史跡・松代城跡・附新御殿跡』の文字が刻まれた石碑の光景です。

    読み難い文字になっていましたが、『国史跡・松代城跡・附新御殿跡』の文字が刻まれた石碑の光景です。

  • 紅葉した『ドウダンツツジ(満天星躑躅)』と、大きな柳の木の光景です。

    紅葉した『ドウダンツツジ(満天星躑躅)』と、大きな柳の木の光景です。

  • 松代城本丸石垣と、その手前のドウダンツツジの紅葉光景です。この写真では隠れていますが、その中間に内堀があります。

    松代城本丸石垣と、その手前のドウダンツツジの紅葉光景です。この写真では隠れていますが、その中間に内堀があります。

  • 南側から眺めた、内堀に架かる太鼓橋と、その先の高麗門様式の『橋詰門』の光景です。その右後ろに見えるのが、楼門様式の『太鼓櫓』です。

    南側から眺めた、内堀に架かる太鼓橋と、その先の高麗門様式の『橋詰門』の光景です。その右後ろに見えるのが、楼門様式の『太鼓櫓』です。

  • 南西側から眺めた、内堀に架かる太鼓橋と、その先の高麗門様式の『橋詰門』の光景です。その右後ろに見えるのが、楼門様式の『太鼓櫓』です。

    イチオシ

    南西側から眺めた、内堀に架かる太鼓橋と、その先の高麗門様式の『橋詰門』の光景です。その右後ろに見えるのが、楼門様式の『太鼓櫓』です。

  • 内堀に面した本丸石垣の光景です。『橋詰門』の西側方面の光景になります。

    内堀に面した本丸石垣の光景です。『橋詰門』の西側方面の光景になります。

  • 同じく、内堀に面した本丸石垣の光景です。『橋詰門』の東側方面の光景になります。

    同じく、内堀に面した本丸石垣の光景です。『橋詰門』の東側方面の光景になります。

  • 同じく、内堀に面した本丸石垣の光景です。『橋詰門』の東側方面の光景になります。中央奥に見えるのは、楼門様式の『太鼓櫓』です。

    同じく、内堀に面した本丸石垣の光景です。『橋詰門』の東側方面の光景になります。中央奥に見えるのは、楼門様式の『太鼓櫓』です。

  • 内堀の石垣でお休み中の鴨さんの光景です。『マガモ(真鴨)』さんのようでした。

    内堀の石垣でお休み中の鴨さんの光景です。『マガモ(真鴨)』さんのようでした。

  • 同じく、『マガモ(真鴨)』さんの光景です。右側の鴨さんが、雄の特徴である濃い緑色の首の色でした。左側が雌のようでした。ウィキペディアでは、『繁殖期のオスは黄色のくちばし、緑色の頭、白い首輪、灰白色と黒褐色の胴体とあざやかな体色』と紹介されていました。

    同じく、『マガモ(真鴨)』さんの光景です。右側の鴨さんが、雄の特徴である濃い緑色の首の色でした。左側が雌のようでした。ウィキペディアでは、『繁殖期のオスは黄色のくちばし、緑色の頭、白い首輪、灰白色と黒褐色の胴体とあざやかな体色』と紹介されていました。

  • 外側から眺めた、『橋詰門』の光景です。

    イチオシ

    外側から眺めた、『橋詰門』の光景です。

  • 内側から眺めた、『橋詰紋』の光景です。高麗門の様式でした。

    内側から眺めた、『橋詰紋』の光景です。高麗門の様式でした。

  • 太鼓橋門櫓を中心とする枡形虎口の内部光景です。

    イチオシ

    太鼓橋門櫓を中心とする枡形虎口の内部光景です。

  • 同じく枡形虎口の内部光景です。

    同じく枡形虎口の内部光景です。

  • 外側から眺めた、『太鼓櫓門』の光景です。

    外側から眺めた、『太鼓櫓門』の光景です。

  • 枡形虎口を通り抜けた本丸跡の光景です。春には、染井著篠の名所となります。

    枡形虎口を通り抜けた本丸跡の光景です。春には、染井著篠の名所となります。

  • 同じく、染井著篠の名所の本丸跡の光景です。

    同じく、染井著篠の名所の本丸跡の光景です。

  • 右手前が『本丸御殿跡』、奥が『石垣』野タイトルがあった説明パネルの光景です。総石垣で囲われた本丸は、明和7年(1770年)に花の丸御殿が造られるまで、藩の政庁及び藩主の住宅である本丸御殿が置かれていました。

    右手前が『本丸御殿跡』、奥が『石垣』野タイトルがあった説明パネルの光景です。総石垣で囲われた本丸は、明和7年(1770年)に花の丸御殿が造られるまで、藩の政庁及び藩主の住宅である本丸御殿が置かれていました。

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