2016/06/29 - 2016/06/29
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MK988さん
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ロ-テンブルク起点で午前ディンケルスビュ-ルのあとの午後ニュルンベルク観光の旅行記です。
ニュルンベルクといえばワ-グナ-の楽劇「ニュルンベルクのマイスタ-ジンガ-」の舞台となった職人が活躍した街です。
今は観光客相手の土産を売っている職人広場でニュルンベルガ-ソ-セ-ジを食べ美味しく頂きました。
聖ローレンツ教会は二つの尖塔を持った大きな教会で内部の装飾美術の水準は高く中でも受胎告知のレリ-フは見ものです。
ニュルンベルク城 からの市街の景色は見晴らしが今一つなので、塔のような高い場所から見られたら良かったと思います。
街が発展し大きくなり過ぎて中世の雰囲気はロ-テンブルクやディンケルスビュ-ルほどコンパクトにまとまった感じはありませんでした。
「デュ-ラ-の家」の外観は中世の巨匠の画家の家に相応しい豪華さがありました。
クリスマスマ-ケットが開かれる中央広場前のフラウエン教会の重厚な建物とファザ-ドを見ると質実剛健なドイツのイメ-ジにぴったりでした。
クリスマスマ-ケットの時期に観光するのが更に良いかもしれません。
第2次世界大戦の空襲と地上戦で90%破壊された街を元のままに復興させられるドイツ人に凄味と民族の誇りを感じました。
□ 6/24(金) 成田空港→オランダ スキポ-ル空港乗継ぎ→ミュンヘン空港 ミュンヘン泊
□ 6/25(土) ノイシュバンシュタイン城,ヴィ-ス教会 ミュンヘン泊
□ 6/26(日) 日中 ケ-ニヒス湖,オ-バ-湖(Obersee )
□ 6/26(日) 夜 ミュンヘン旧市街 ミュンヘン泊
□ 6/27(月) 午前 ミュンヘン旧市街
□ 6/27(月) 午前 ハイデルベルク旧市街 ハイデルベルク泊
□ 6/28(火) 午前 ハイデルベルク
□ 6/28(火) 午後 ヴュルツブルク ロ-テンブルク泊
□ 6/29(水) 午前 ディンケルスビュール
■ 6/29(水) 午後 ニュルンベルク
□ 6/29(水) 夜 ロ-テンブルク旧市街 ロ-テンブルク泊
□ 6/30(木) 午前 ロ-テンブルク
□ 6/30(木) 午後 フランクフルト フランクフルト泊
□ 7/1 (金) ライン川下り(リュ-デスハイム→ボッパルト),
マインツ ケルン泊
□ 7/2 (土) 午後 アムステルダム ザ-ンセ・スカンス アムステルダム泊
□ 7/3 (日) 日中 アムステルダム旧市街観光
□ 7/3 (日) 夕方 オランダ スキポ-ル空港発(成田直行)機内泊
7/4 (月) 成田空港着
画像は中央広場(ハウプトマルク)から見たフタウエン教会
歴史 ウィキペディアから引用
人口50万人を超えるバイエルン州第2の都市(ドイツ全体では14番目)である。隣接するフュルト、エアランゲン、シュヴァーバッハとともにフランケン地方の経済的・文化的中心をなしている。中世からの伝統ある都市であり、ドイツ統一を主導したホーエンツォレルン家がニュルンベルク城伯を世襲した都市である。
1065年神聖ローマ帝国ハインリヒ4世は裁判権と統治権を持つニュルンベルク城伯の位を新設し、ラープス家にこれを与えた
1190年あるいは1191年以後、この地位はツォレルン家(後のホーエンツォレルン家)に移された。
1219年、皇帝フリードリヒ2世の大特権授与によりニュルンベルクは帝国自由都市となった。
1427年、最後の城伯フリードリヒ6世(ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ1世でもあった)はニュルンベルク城の権利をニュルンベルク市参事会に売却し、これ以後、バイエルン王国に併合されるまで、この都市の行政権は市参事会の手に委ねられた。
1470年から1530年までの期間ニュルンベルクはその最盛期を迎えていた。優れた手工芸やヨーロッパの中央に位置する交易上の好条件により、この街に富がもたらされた。マイスタージンガーのハンス・ザックスや、画家アルブレヒト・デューラーはこの時代にニュルンベルクで活躍した人物である。
1618年からの30年戦争後、経済的に次第に衰弱していった。
1806年9月15日、フランス軍はこの都市をバイエルン王国に引き渡した。
1920年代からニュルンベルクで国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)の党大会が開催された。
第2次世界大戦で1945年1月の空襲と4月の地上戦で街の90%が破壊。
戦後ナチス政権要人を裁く「ニュルンベルク裁判」が行われた。
市の再建は、建設責任者ハインツ・シュマイスナーの指揮の下、かつての都市構造に従って街の再建が行われた。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
14:08
ニュルンベルク駅近くの職人広場 (Handwerkerhof)にあるBratwurstgloockleinで遅い昼食。 -
14:09
店内
ドイツではミュンヘンの白ソ-セ-ジのミュンヒナ-、フランクフルトの大きめで茹でたフランクフルタ-、大きめの焼いたソ-セ-ジは旧東ドイツ地域のチューリンガー、ニュルンベルクでは小振りの焼ソ-セ-ジのニュルンベルカ-がある。
この食堂では当然小振りの焼いた地元名産のニュルンベルカ-Bratwurstを注文、焼いた肉は味が凝縮されていて美味しい。 -
14:16
職人広場 (Handwerkerhof)にある土産物店。
絵ハガキや陶器のカップが売られている。 -
14:17
職人広場
正面 女性の門 Frauentor
1388年 ニュルンベルク東南の角に構築 -
イチオシ
14:26
聖ローレンツ教会 St. Lorenz Kirche Nürnberg
地元の人がここから撮影するといいよと教会を指差ししてくれた。 -
拡大
尖塔の緑と金色の屋根が目立つ -
14:32
聖ローレンツ教会前
ナッソ- ハウス Nassauer Haus 住宅用の塔
下層階は12、13世紀築、上層階は15世紀築
1945年空襲を受け1952年再建終了 -
上層階拡大
屋根の下のコ-ナ-の3つの出窓みたいな部分がユニ-ク -
14:34
聖ローレンツ教会の彫刻
右は裸のアダムが手にリンゴを持っている像みたいだ。 -
14:36
聖ローレンツ教会
前方に天蓋から吊るされているファイト・シュトス作である「受胎告知」のレリーフ(1519年作) -
14:37
レリーフ拡大
受胎告知のレリ-フは大天使ガブリエルとマリアの2人が並んで立つ -
14:38
簡素ながら美しいステンドガラスに囲まれた祭壇
ドイツ人の美意識の高さが現われている。 -
祭壇の拡大
祭壇に敷かれた二頭の鹿の敷き布のデザインが愛らしい -
14:58
後方上にパイプオルガン -
バラ窓とパイプオルガン
-
14:39
美術品は水準が高い、中世のニュルンベルクが繁栄していた証 -
14:55
Weißer Turm 白い塔
ロ-テンブルクにも同じ名前の塔があったがニュルンベルクの塔は白ではなく茶色。
ここは街の西にあたる、城へ行くにはここから北の方角だが坂道を登るのでタクシ-で行くことにした。 -
15:04
タクシ-は城の少し手前で下車。
シンウェルタワーSinwell Tower ( 13世紀後半)の塔が中央に見えている
ニュルンベルク城はカイザーブルク(Kaiserburg、皇帝の城)と、ブルクグラーフェンブルク(Burggrafenburg、城伯の城)の2つの城からなる。 -
15:30
城内には木組みの家があった。 -
15:31
城からの景色
塔へ登れたらもっと良い景色の画像になっただろう。 -
15:44
直方体の四角い塔 Nuremberg Castle, Heathens' Tower
かつてニュルンベルク城は1050年から1571年まで神聖ロ-マ帝国皇帝が各皇帝が各地の城を移動するので一度は居城にしていたがノイシュヴァンシュタイン城を見てきたので武骨な印象で感激するほどではなかった。城から離れて撮影した方が良い画像になったかもしれない。
ノイシュヴァンシュタイン城の方があとからできたので外観が良いのは当たり前かもしれない。
城から見る景色も高い丘の中腹にある別荘のようなノイシュヴァンシュタイン城の方が湖が見えて圧倒的に良い。 -
イチオシ
15:47
中央がドイツの画家デュ-ラ-の家で豪邸で巨匠にふさわしい。
デュ-ラ-の父はハンガリ-から来た金細工職人でマジャ-ル人。
余談になるが
オ-ストリアで活躍したモ-ツァルトの父はドイツ アウクスブルク生まれ。
ベ-ト-ヴェンの祖父はベルギ-ブリュッセルに近いフランデレン地方の出身。
枯葉を唄ったシャンソン歌手のイブ・モンタンはイタリア人で本名:イーヴォ・リーヴィ(Ivo Livi)イタリア トスカ-ナ州モンスンマーノ・テルメ生まれ。
芸名は母親が(Ivo, monta!, イーヴォ、上がってきなさい!)に因み微笑ましい。 -
拡大
手前の樹の下でフル-トを吹いている女性とギタ-を弾く男性。
手前はギタ-を弾く男性のブラジル国旗か。 -
15:49
デュ-ラ-の家の入口を拡大 -
16:20
お役所か? Nuremberg - Personnel Office -
16:24
ブラートヴルストホイスレ Bratwursthaeusle
ニュルンベルガーソーセージの有名店 -
雰囲気の良いテラス席
黒板にソ-セ-ジ3本はさんだパンが2.5ユ-ロと表示されていた。 -
イチオシ
16:27
フラウエン教会 Frauenkirche
13世紀中頃に神聖ローマ皇帝カール4世によって建てられたゴシック様式の教会。
ファサ-ドが重厚、ドイツ最古の仕掛け時計がある。 -
拡大
-
仕掛け時計は正午になるとカール4世の前を7人の選帝侯が挨拶をするようにクルクルと回る。
-
フラウエン教会内部
縦長のステンドグラスが目に入る -
祭壇には金箔の地のキリストの磔刑図
-
16:28
中央広場「ハウプトマルク」付近
雰囲気の良い建物が見える。 -
16:27
中央広場「ハウプトマルク」Hauptmarkt
クリスマ-ケットは有名。
この広場にある「美しの泉」Schoner Brunnenは見落とした。
ニュルンベルクは街歩きするには大きすぎるが、中世ドイツを感じさせる聖ローレンツ教会とフラウエン教会は必見の観光スポット。
観光は夜のクリスマ-ケットを見に12月に来た方がインパクトは強そうだ。
このあとニュルンベルク駅からロ-テンブルクへ戻る。
ウィキペディアでは
ティーク/ヴァッケンローダーの共著『ある修道僧の真情披瀝』ではニュルンベルクの黄金期を「ドイツが祖国の芸術を誇ることのできた唯一の時代」と述べている
帰りのル-ト
ニュルンベルク Nürnberg Hbf 17:35発 IC2062
アンスバッハ 駅 Ansbach 18:06着
乗換え
アンスバッハ 駅 Ansbach 18:10発 RB58126
シュタイナッハ Steinach 18:31着
乗換え
シュタイナッハ Steinach 18:45発 RB58927
ロ-テンブルク Rothenburg ob der Tauber 18:59着
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