2019/02/18 - 2019/02/18
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ドクターキムルさん
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鎌倉市扇ガ谷1にある壽福寺には、現在の仏殿を中心にしてコの字に山裾を削って崖にしており、その崖にはやぐらが残っている。現在、公開されているのは壽福寺の塔頭跡のやぐらであろう。本山壽福寺のやぐらは非常に興味深いものであるが、公開は止められている。それでも相当数のやぐらが残り、その中にはやぐらの発祥当時のものではないか?と思われるやぐらも多く残っている。あるいは、こうした壽福寺に残るやぐらを観察すると、やぐらの発祥は岩窟堂が始まりであり、その後、やぐらの墳墓は古代の横穴墓(横穴古墳)を真似る形で導入されたのではないかと思えて来る。
やぐらは平天井であり、屋根型のものは東林寺跡に大型やぐらが1基(https://4travel.jp/travelogue/10726450)残っているだけである。それ以外は平天井で、アーチ形の天井の横穴が中世にやぐらとして再利用されたものもあるが、それは古墳時代末期の横穴墓(横穴古墳)である。
しかし、ここ壽福寺のやぐらの中には入口がアーチ形になっているものが多く残っている。13世紀中からやぐらが普及するが、この時には簡易化されて、入口も四角になっている。このようにやぐらの掘削が単純かつ簡単にならないことにはこれほど多くのやぐらは造られなかったであろう。したがって、アーチ形の入口を持つものはそれ以前、おそらくは13世紀初頭に造られたものであろう。
また、大型のやぐらを中心に、内部にもアーチ形に掘り込んだり、屋根型に掘り込んでいるものが見られる。こうした構造を持つやぐらは相馬師常墓やぐら群の階上のやぐら(https://4travel.jp/travelogue/10726386)や東林寺跡やぐら群(https://4travel.jp/travelogue/10726450)にも見られるが、扇ガ谷に限定される。
臨済宗(禅宗)が鎌倉にもたらされ、お茶や造園、座禅と共にやぐらももたらされ、その後は墓制として定着していったのであろう。それを示すように、大型やぐらは扇ガ谷に多くあり、郊外に行くと、やぐら末期のまんだらやぐら群(https://4travel.jp/travelogue/10651529)がある。画一的な狭さの横穴が4段連なり、まるで、戦後の集合住宅のようだ。
やぐらが普及した後でも内部に五輪塔を掘ったり、仏像を掘ったりした手の込んだ造作のやぐらもできるが、それらも入口は四角である。もはや壽福寺に造られたやぐらのように入口をアーチ形にして手の込んだものに戻ることはなかった。
(表紙写真はアーチ形入口を持つ壽福寺のやぐら)
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かつての境内に建つ民家。
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通行止めになっている墓地参道にあるやぐら。この辺りのやぐの中に昭和28年(1953年)に陸奥宗光の墓が改葬された。
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通行止めになっている墓地参道にあるやぐら。
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大型やぐら。これと同じ構造のやぐらは北側崖にある「後藤家斎宮代々之墓」とある鎌倉彫の後藤家の墓地と中世からの歴代住職の無縫塔が並ぶ墓地がある。
また、相馬師常やぐら墓の上段にあるやぐら(https://4travel.jp/travelogue/10726386)もこの類の一例である。ただし、このやぐらは今日まで祀られて来ており、壽福寺の住職がお経を上げて来た。 -
やぐら内部側面にアーチ形の掘り込み。この上に並べられていた石塔や石仏がやぐら入口前に並べられているのだろう。
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やぐら内部にアーチ形の掘り込み。
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やぐら内部側面にアーチ形の掘り込み。
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やぐら内部。
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やぐら。
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塔頭跡のやぐら。
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塔頭との隧道。
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隧道横のやぐら。
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隧道横のやぐら。
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隧道横のやぐら。
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隧道横とやぐら。
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源氏山への上り口のやぐら。源氏山は英勝寺創建時に壽福寺から切り離された。この参道には太田道灌の墓が設けられている。
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やぐら。
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やぐら。
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天井が丸いやぐら。
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塔頭への隧道。
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墓地。
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墓地。
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「寿福寺」墓地内看板。
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天井がやや丸いやぐらと平天井のやぐら。
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天井がやや丸いやぐら。
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天井がやや丸いやぐら。龕(がん)を埋めた跡?
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平天井のやぐら。
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上段に埋まったやぐら。
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同じ墓石が2つ。
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埋めたやぐら。
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戦死者石塔。
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やぐら。
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入口がアーチ形のやぐら。
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中は平天井だ。
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平天井と入口アーチの堺。
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平天井と入口アーチの堺。
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やぐら。
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龕(がん)にバケツと柄杓(ひしゃく)。
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墓石に「虚子」。高浜虚子の墓だ。
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「御名刺受」。
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アーチ形の入口のやぐら。
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中は殆んど平天井か。
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墓誌の後ろに龕(がん)。
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横に長い棚。
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後ろにも細長い穴。
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後ろの龕(がん)。
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やぐら。
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墓石の後ろにも大きな四角い掘り込み。
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やぐら。
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入口がアーチ形のやぐら。
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入口のアーチ形と内部の平天井。奥にもアーチ形の穴が掘られている。
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やぐら内部。
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やぐら内部。
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入口のアーチ形が半分崩れたやぐら。
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平天井だ。
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やぐら内部。
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横井戸。
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入口のアーチ形が崩れたやぐら。
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右側に入口のアーチ形が残っている。
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内部は平天井。
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やぐら。
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内部の側部にはアーチ形の掘り込み。
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側面もアーチ形だ。
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内部の龕(がん)。
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柱穴。
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墓石。
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やぐら。
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内部奥の切込みに墓石を安置している。
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側部。
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側部。
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入口がアーチ形のやぐら。
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内部。
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内部奥にアーチ形の掘り込みとさらに龕(がん)。
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入口がアーチ形のやぐら。
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内部。
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平天井だ。
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入口がアーチ形のやぐら。
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内部は平天井だ。奥にのさらにアーチ形に深く掘り込んでいる。
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奥の掘り込みのアーチ形天井。
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やぐら角。
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やぐら角。
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やぐら。
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卒塔婆の後ろに龕(がん)。
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横井戸。
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北条政子のやぐら。江戸時代からの伝承である。
北条政子のやぐらも源実朝のやぐら(唐草やぐら(えかきやぐらとも呼ばれていた))も入口が四角であり、壽福寺特有の入口がアーチ形のやぐらではない。時代が下がったやぐらを転用・再利用したものであろう。
上段雛壇の北側にある北条政子のやぐらと源実朝のやぐらへは庫裏から北側崖下にある坂道を上って行ける。現在のように南側から行く場合は非常に道が長いが、江戸時代の参拝者は北側崖下にある坂道を上って行ったのであろう。 -
北条政子のやぐら。
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北条政子ののやぐら内部。
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平天井に柱穴。
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柱穴。
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柱穴。
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天井角。
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柱穴。
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横に穴?
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やぐら。奥の龕(がん)に五輪塔が安置されている。
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やぐら。
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上にもやぐら。2階に相当する。
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やぐら。
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下に埋まったやぐら。
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「文化財をたいせつに」の根元に「政子 之墓 実朝」の看板。
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源実朝のやぐら。江戸時代からの伝承である。
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源実朝のやぐら。
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柱穴。
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龕(がん)。
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龕(がん)。
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龕(がん)。源実朝のやぐらには3つの龕(がん)がある。かつては3つの遺骨が埋葬されていたのだろう。
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柱穴。
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柱穴。
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柱穴。
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柱穴。
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柱穴。
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入口がコンクリートで補修されたやぐら。入口はアーチ形だったようだ。
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岩盤にアーチ形の入口の跡。
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中は平天井。
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奥壁。
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やぐら。平天井には見えない。
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やぐら。
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やぐら。
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やぐら。
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やぐら。
北側崖下にある坂道を下って行った場所にある。 -
やぐら。
このさらに下に大型やぐらが並び、池や歴代住職の墓が並ぶやぐらがある。 -
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星野家の墓。「雛飾りつゝふと命惜しきかな」の歌碑があり、星野 立子(ほしの たつこ)(明治36年(1903年)11月15日 ~昭和59年(1984年)3月3日)の墓だ。
高浜虚子の次女。父は一段高いやぐらの中の墓に眠る。 -
戦死者石塔。
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