2018/10/21 - 2018/10/22
41位(同エリア265件中)
クッキーさん
遠野ふるさと村は、遠野の昔ながらの山里を再現した施設です。
村内は、江戸中期から明治中期にかけて造られた茅葺屋根の曲り家をそのままの形で移築しています。
小川が流れ水車がまわり、田畑があり、炭焼き小屋がありと、遠野の昔ながらの集落を再現しており、まさに日本の原風景そのものでした。
ふるさと村の見学の後は、カッパ淵へ。その後 続石、五百羅漢をタクシーで周りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
角館15:32発、盛岡16:56着。
-
山に囲まれた田園風景が 車窓から望めます。
盛岡17:10発の快速はまゆりで、遠野18:46着。
盛岡を過ぎた辺りからは 車窓はすっかり夕闇の中。 -
19:15
遠野駅に着いた頃には すっかり夜。タクシーでホテルに向かいました。
あえりあ遠野。ツイン、夕、朝食付きで21,600円。
近畿日本ツーリスト・得とく宿泊プランでの予約です。 -
19:40
夕食は 箱膳で出されました。一つずつ出していくとワクワク。 -
7:20
夕食後 何もしていないのに、すぐ翌日の朝食。 -
朝食会場の設え。
-
ホテルの窓から。
靄がかかっています。 -
ホテルのすぐ目の前には、とおの物語の館の建物が見えています。
-
ホテルでいただいた遠野の地図です。
どこまで回れるかな。 -
ホテルに荷物を預けて、遠野駅に向かいます。
-
駅前の広場には、河童一家の像。
-
一瞬 ぎょっとした郵便ポスト。
-
サイクリングで遠野路をめぐることもできるようです。
バス路線はいくつかありますが、バスだけで遠野を回ることは難しそう。
駅脇のインフォメーションで貰ったバス時刻表とにらめっこして、行先を検討。 -
附馬牛線という路線のバスで 遠野ふるさと村へ。
遠野駅8:41発、9:07着です。
ふるさと村は開館した直後で、一緒に入館したのは 一人旅の女性客だけ。 -
川に架かる橋を渡ります。
-
木立の中に見えているのは 自然資料館。
-
自然資料館は ざっと見学。
-
遠野ふるさと村は、遠野の 昔ながらの山里を再現した施設です。
村内は、江戸中期から明治中期にかけて造られた茅葺屋根の曲り家をそのままの形で移築しています。 -
門前(かどまえ)という名の門をくぐって村の中へ。
すぐ左手にある 大工どんは、明治中期の築。
大迫町旧佐々木四郎家。上流階級の民家で、紫波地方と遠野の曲り家を比較する上で価値のある曲り家、だそう。 -
大工どん辺りから。
-
大工どんの内部。
昔々あるところに…という 昔話に出てきそうな造りです。
曲り家の天井には、火の神としてまつられている「かまど神」。
見上げる程の大きなわら人形も。 -
天井が高くとられ、土間の部分が広いです。
-
山里の蔵資料館。
-
こちらには 農作業に使う道具などが展示されています。
-
村の小径から見える村の様子。
-
川前別家。
川の前に立っていた川前宅のため、川前別家と呼ばれているのだとか。 -
川前別家の内部。
この家は、曲がった柱や桁梁等が多く使われていて、建てた大工さんの腕(けぇな)の良さがわかる家だそう。 -
川前別家。
-
川前別家。
縁側のある家に住んだことはないけれど、陽だまりの縁側に 懐かしさを覚えます。 -
大野どんの土間で、かまどの火の番をするおじさんに会いました。
こうやって かまどの煙で燻すのは、茅葺き屋根を守るためだそうです。
見学者があまりにも少ないので 内心心配していたのですが、小学生たちが お泊り合宿などの形で訪れるそうです。
初めは、何もない村での寝泊まりに戸惑っていた子供たちが、だんだん楽しみを見つけていくんですって。 -
機織り道具。
-
子守りのための 昔のベビーベッド。
丁寧な造りですね。 -
大野どん。
附馬牛町大野集落の上層農家として建てられ利用されていました。
曲り家の発達変換が判る造りになっているそう。 -
おじさんに聞かされていた通り、大野どんの裏手には 馬が放たれていました。
温かい日差しの中、馬たちも気持ちよさそう。 -
のどかです。
先ほど出会ったおじさんやおばさん達は、遠野の分化と伝統を守る人「まぶりっと(守り人)」と呼ばれ 村内に常駐し、実際に農作業を行っています。
村内の農業体験を指導する役目も担っているのだとか。
退職後の楽しみであり、生き甲斐にもなっているとおっしゃっていました。 -
肝煎りの家。肝煎りとは 庄屋さんのこと。
厩に大きい馬がいる庄屋さんの家です。 -
江戸末期に建てられた曲り家。
最後まで砂子沢集落の庄屋として利用されていたこの家は、曲り家の集落の中では一番大きな曲り家です。
式台と呼ばれる 自分より身分の高い人が来たとき挨拶用件を受ける場所がある、庄屋としての格式の高い家です。 -
どこの建物だったかしら?
-
赤い鳥居。
-
村の水車小屋。
わらを打ったり粉をついたりするための水車小屋。今でも実際に使用されています。 -
村の半鐘。
-
弥十郎どん だったかな?
-
弥十郎どん。
-
茅葺き屋根の上には 何かの飾り。
-
休憩所から。
-
ふるさと村全景。
写真では広がりを感じられませんが、ほっこりする風景です。 -
陶芸館・やまね工房と木工館・きつつき工房。
染め工房もあります。 -
村の入り口に戻ってきました。ほぼ1時間の散策でした。
路線バスの時刻表によると、ふるさと村を出る時刻は 11:16発。かっぱ淵の最寄りバス停の足洗川には11:25着。
さらには 足洗川バス停は 14:25発、駅には14:42着になりますから、バスでの移動では、かっぱ淵と伝承園の見学だけで終わってしまいそう。 -
10:30
思案の結果、ビジターセンターでタクシーを呼んでもらいました。
ふるさと村を回り終えてからの連絡だったので、思いのほか長く待ちました。
同じ時間に回っていらした女性にも声を掛け、かっぱ淵に向かいます。 -
タクシーの車窓から。
-
思い描いていた通りの 遠野の田園風景です。
-
11:03
伝承園の前でタクシーを降り、まずは常堅寺を目指します。
行く途中に見かけた畑では ビールのホップを栽培しているようでした。
常堅寺。 -
カッパ淵は、遠野市にあるカッパ伝説の場所です。
日本では各地にカッパ伝説がありますが、その代表格が東北の遠野。
-
本堂の左わきを抜けると、カッパ淵に出られます。
カッパ淵橋。 -
常堅寺の裏手に水深の浅い小川が流れています。
正しくは小烏瀬川(こがらせがわ)の姥子淵(おばこふち)と言いますが、通称「カッパ淵」と呼ばれています。
木々で囲まれた川には 清らかな水が流れており、独特の雰囲気を感じます。 -
カッパ淵。
その昔には、たくさんのカッパが住み着いており、民族学者である柳田國男の「遠野物語」の中では、小川に水を飲みに来た馬を、引き込もうとする、いたずら好きなカッパも登場しています。 -
カッパの親子の前には お供え物。
-
水辺にある カッパ神を祀った小さな祠です。
-
11:13
カッパ淵で河童に遭遇した場合、捕獲するには、伝承園や遠野ふるさと村などの売店で売られている「カッパ捕獲許可証」が必要となっているという 遊び心満載の仕掛け。 -
常堅寺の本堂前にも カッパの石像が鎮座しています。
-
全国で唯一となる、カッパ狛犬が両脇に。
表示はカッパ狛犬ですが、どう見てもカッパには見えないのですが… -
11:28
古い建物を集めた遠野・伝承園。入口(受付)になる建物も茅葺の建物です。
伝承園にはオシラ様が1000体飾られた「御蚕神堂」があり、どこか妖しく魅力的な世界観を醸し出している場所。
見学をすることも考えたのですが、曲り家は ふるさと村で満喫したし、バスの時刻を見ると 14:25まで待たなくてはいけないし…で、スルーすることにして、最寄りのバス停 足洗川へ。
時刻表では11:25発ですが、5分余り遅れて到着。 -
遠野駅から 次にどこへ行くか…南部曲り家千葉家は、大修理の為 休館中。
駅前のタクシーで続石へ向かい、見学が終わった頃にタクシーに迎えに来てもらって五百羅漢へ行くつもりで話をしたら、続石までは かなりの距離があるからとチャーターを提案されたので 提案にのりました。
まずは 続石へ。 -
12:13
ドライバーさんは、クマ避けにするようにと 駐車場に常備されている棒切れを手渡してくれました。時々棒で地面や岩をたたいて 大きな音を出すといいんだそうです。 -
クマを気にしながら、恐る恐る こんな山道を上がっていきます。
-
続石は小高い山の上にあり、入り口の鳥居を抜けた後は、10分ほど山道を歩くことになります。
-
続石までの距離を示す標識が 背中を後押し。
-
両側の木立が 心地よい日陰を作っています。
-
正面の道が続石で、右が不動岩への案内。
-
「弁慶の昼寝場所」と呼ばれるくぼ地が見えてきました。
遠野地方には、妖怪だけでなく武蔵坊弁慶の伝承もあるんですね。 -
そこから目を上げると、木立の中に見えている巨石。「泣き石」と呼ばれる 巨大な岩です。弁慶が今の続石に乗っている笠岩を、初めに乗せたと云われる石。
続石は 武蔵坊弁慶が作ったものだそう。
『その昔この地方を訪れた武蔵坊弁慶が、巨大な岩を持ち上げて、今の泣石という別の大岩の上に乗せた。
そうするとその泣石が、「おれは位の高い石であるのに、一生永代他の大石の下になるのは残念だ」といって、一夜じゅう泣き明かした。
弁慶は それなら他の石を台にしようと、再びその石に足を掛けて持ち運んで、今の台石の上に置いた。
それゆえに続石の笠石には、弁慶の足形の窪みがある。 泣石という名もその時からついた。今でも涙のように雫を垂らして、続石の脇に立っている。
-『遠野物語拾遺 第十一話』より-』 -
12:24
泣き石からさらに上を目指すと、続石が見えてきました。 -
近寄ってみます。
二つならんだ石の一方の上に、幅約7m、 奥行き5m、厚さ2mほどの巨石が 笠石として乗っています。
全体がまるで鳥居のような形をしていて、下を通り抜けることもできます。 -
巨石です。
近くで見ると、見上げんばかりの大きさと重量感に圧倒されます。 -
上がってきた方向から見ると こんな形です。
遠野の続石は、いつ、誰が、どのようにして作ったのでしょうか?
武蔵坊弁慶が作ったという伝承のほか、世界各地に見られる「ドルメン」という巨石記念物の一種ではないかという説もあるとのことです。
ヨーロッパをはじめ世界各地にみられるドルメンは、一般的には古代人が埋葬、祈りのために作ったとされています。古代巨石文化がのこしたものといわれている大きな石があります。
ここに上がってくるまでに見かけた大きな岩々…を考えると、自然のなせる業のような気がしますが… -
何枚も撮った中で、一番その隙間がよく分かる一枚がこちら。
下に立つ2つの巨石の間は 人が一人通り抜けられるくらいの幅があります。
上に置かれた巨石は 微妙なバランスでのっかっています。
こんな巨石を見たら、昔の人でなくても神秘的なものを感じます。
続石の2つの台石は微妙に高さが違っているので、上に乗っている笠石は片方だけ若干浮いている状態です。それがまた、何とも言えず不思議な光景です。 -
帰り際に 不動岩への小径を辿ってみました。
表示はありますが、この大岩の壁面が不動岩? -
12:50
熊に遭遇することもなく、無事帰還。 -
待ってもらっていたタクシーに乗って、五百羅漢へ向かいます。
-
13:10
本来、愛宕神社の本殿の脇の険しい山道を辿らなければ来ることができない五百羅漢だったそう。
山を崩し木々を伐採し下の旧国道から五百羅漢までの真っ直ぐの道と 入り口付近に駐車場が作られたため、私たちは 一挙にタクシーで入り口まで。
-
落葉樹が点在する沢筋です。
いまよりも平均気温が3度も低かった江戸時代、高冷地の遠野はしばしば凶作に見舞われ、たび重なる大飢餓は、多くの犠牲者を出しました。
凶作は6年に一度、飢饉は13年に一度。人生50年の時代、人々は、生涯に4度もの飢饉に襲われたことになります。 -
心を痛めた大慈寺の義山和尚が、天明3年(1765年)多くの犠牲者を供養するために、自然の花崗岩に五百体の羅漢像を彫ったといいます。
京都の愛宕念仏寺で見たような 丸彫りの羅漢像を想像していたのですが… -
ここの羅漢像は 立体的な彫刻ではなく、絵画のような線彫りです。
目を凝らして見ないと 輪郭がはっきりしません。 -
その上、石を覆う緑色のコケが線刻像をさらに見にくくしています。
まるで子供の落書きのようでもあり、羅漢像という威厳に欠けるかも。 -
コケに覆われた大小の岩がごろごろ転がっています。
岩と岩との間の低みは、雨が降れば 川となって水が流れ落ちるのでしょう。 -
足元に注意しながらも 羅漢像を探します。
-
羅漢が彫られているはずだと よくよく目を凝らしてみると、かろうじて像の輪郭が窺えます。
-
13:21
羅漢像の荘厳さは感じられませんでしたが、遠野の厳しく悲しい歴史に思いをはせることができました。 -
立ち寄りはしませんでしたが、愛宕神社のすぐ近くにある「卯子酉神社」です。
遠野物語によると、この一帯はかつては大きな淵であり、その淵に住む主に祈願すると“男女が結ばれる”という言い伝えがあるそうです。 -
遠野市は、柳田国男が書いた「遠野物語」に象徴されるとおり、「民話の里」として有名です。
『山に囲まれた、馬と人と民話が生きる土地 』;立花実咲 郷に入る からの引用
なぜ遠野にはこれほど数多くの昔話が残されていたのかというと、それは遠野の地形に関係があります。
遠野は、岩手県の真ん中より少し南側に位置している、盆地です。西は奥羽山脈が走っていて、その山々から北上川が南流し太平洋に向かって流れています。
沿岸部と奥羽山脈の、ちょうど中間地点に、遠野はあります。遠野の西に花巻、北上、水沢、江刺、北に盛岡、東に金石、陸前高田、大船と山田、大槌、それから宮古という街があります。
遠野はちょうど、それらすべての街へ行くのに一時間くらいの距離の所にあります。昔の人は、沿岸部や山あいへ行くために、必ず中継地点として遠野を訪れました。交通の要所だったというのが、遠野の特徴のひとつです。 -
13:29
鍋倉城跡から。
藩制時代には、南部藩の家老の遠野南部氏が治めていて、遠野は城下町でした。かつては盛岡市の次に賑わっていたのが遠野だと言われているくらい、栄えていた町でした。 -
鍋倉城縄張図。
江戸時代には、遠野では毎月1日のつく日に市場が開かれていました。当日になると、沿岸部からも内陸からも、たくさんの人が遠野に集まってきます。頻繁に、各地から訪れた人とモノが往来していた。そうすると、自然と各地のいろんな出来事や噂話、物語が集まってくるわけです。 -
遠野の中で物語が根付いたのには、山に囲まれた環境も影響しているのではないかということです。
現在釜石への国道が通る仙人峠は、落差が400メートルくらいあり、昔は難所で荷物を運ぶのも一苦労だったところです。だから、昔は沿岸に荷を運ぶ場合多くは大槌街道を使っていました。
内陸と沿岸部のどちらから向かったとしても、遠野へ入るには、必ず山を超えなければなりません。交通の要所として情報が集まったことに加えて、北上山地の中にある人里でしたから、物語や文化が地域の中ですぐ広まって定着しやすかったのだと考えられています。 -
13:37
とおの物語の館の前に立つ像は 柳田國男氏。
東北地方の伝承を記録した、柳田民俗学の出発点である『遠野物語』を出版。 -
『遠野物語』は、柳田国男が明治43年(1910年)に発表した、岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集です。
柳田は 東北を中心に地方の実情に触れるうちに次第に民俗的なものへの関心を深めていました。
当時欧米で流行していたスピリチュアリズムの影響を受け 日本でも起こっていた「怪談ブーム」のさなかで、遠野地方の土淵村出身の民話蒐集家であり小説家でもあった佐々木喜善より語られた、遠野地方に伝わる伝承を柳田が筆記・編纂する形で出版されました。
日本の民俗学の先駆けとも称される作品です。 -
遠野を囲む山々は、生活の基盤を支えてくれる大切な存在でした。さらに、神聖な場所でもあったんです。神様も、人を化かす化物も、妖怪も、山に棲んでいると人々は信じていましたからね。
森は、人間の居住空間と神聖な山とを分ける、結界のような役割を果たしていたのだと思います。 -
遠野には昔、金山があったこともあって、仕事をするために山に入らなければならない人たちも大勢いました。
彼らにしてみれば、山は異空間への入口ですから、人間様のための山ではなくて、山の恵みをいただきに、お邪魔する感覚だったのだと思います。 -
事実、遠野の人々は、山を対象にした信仰を持ち、山から得たものを衣食住に活用してきました。人の暮らしと自然が共生する地域を「里山」と表現します。
-
山を越えて遠野に集まってきたものは、人やモノ、森に棲むものたちや物語だけではありません。馬も、そのひとつです。
-
南部藩にとって、馬は生活の糧であり、仕事のパートナーであり、財産であり、家族でした。モノを運搬するときも、田んぼを耕すときも、馬は必須。
南部藩自体が、馬をとても大切に育てていて、人と同じように、馬も戸籍を持っていたといいますから、遠野暮らしにおいて馬がどれくらい重要だったか分かりますね。 -
東北地方を中心に信仰を集める家の神「オシラ様」は、悲しい恋物語が由来となっています。飼っている馬に恋をしてしまった美しい娘。それを知った父は激怒し、馬を殺してしまいます。娘が悲しみにくれて馬にしがみついたところ、そのまま天に昇っていき「オシラ様」となったそうです。
-
14:45
ホテル横にある 南部神社の入り口。 -
遠野駅15:09発
田んぼの中にぽつんと佇むという「荒神神社」は、こんな風景の中にあるのでしょうか?
遠野物語によれば、ここに祀られている権現様は かつて隣地区の権現様と喧嘩をして、相手の片耳を食いちぎってしまったのだとか。そのため、隣地区の権現様の仏像には耳が無いそうです。
その昔の、田の水争いを象徴する伝承なのでしょうか? -
途中駅の宮守。
-
宮沢賢治 銀河鉄道の夜から。
-
花巻16:05着。
花巻駅。宮沢賢治に ちなんだ観光地案内図がありました。 -
駅前のモニュメント。
これから16:43発の電車で 一ノ関へ向かいます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
秋の東北周遊
-
秋の東北周遊(1)函館の五稜郭と夜景とベイエリア散策
2018/10/15~
函館
-
秋の東北周遊(2)青森・八甲田山と三内丸山遺跡へ
2018/10/16~
青森市内
-
秋の東北周遊(3)憧れ続けた奥入瀬渓流を散策
2018/10/18~
奥入瀬・十和田湖
-
秋の東北周遊(4)弘前のねぷたに出会い、洋風建築と弘前城を巡る街歩き
2018/10/19~
弘前
-
秋の東北周遊(5)リゾートしらかみに乗る五能線の旅と白神山地の十二湖散策
2018/10/20~
白神山地
-
秋の東北周遊(6)角館の武家屋敷
2018/10/20~
角館
-
秋の東北周遊(7)角館その2
2018/10/20~
角館
-
秋の東北周遊(8)遠野で知る日本の原風景
2018/10/21~
遠野
-
秋の東北周遊(9)平泉で平安の雅を味わい 猊鼻渓では渓谷美を堪能
2018/10/22~
平泉
-
秋の東北周遊(10)青葉城は曇り空
2018/10/23~
仙台
-
秋の東北周遊(11)松島や あぁ 松島や
2018/10/24~
松島・奥松島
-
秋の東北周遊(12)山寺立石寺は大人気
2018/10/25~
山形市
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
遠野(岩手) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 秋の東北周遊
0
107