2018/10/22 - 2018/10/23
109位(同エリア929件中)
クッキーさん
一関から平泉へ向かい、平泉の文化遺産 構成資産である 無量光院跡、中尊寺、毛越寺を巡った後、平泉駅からバスに乗って猊鼻渓へ。
猊鼻渓では、舟下りで、2kmに渡る石灰岩の渓谷美を楽しんだ後、バスで一関へ戻り、そのまま仙台へ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
一関駅17:35着。外は すっかり暗くなっていました。
ホテル・サンルート一関。
ツイン、朝食込みで10,400円。 -
夕食は、ホテルすぐそばのラーメン屋さんで。
人気店らしく、ずいぶん待ちました。 -
ホテルの窓から 一関駅が見えています。立地は最高。
-
朝食付き。
予想以上の品ぞろえです。 -
サンルート一関の外観。
-
一関7:51発の列車で平泉へ。
-
加羅御所跡入り口。
この通りを入ってみましたが… -
伽羅之御所跡。
「吾妻鏡」に「無量光院の東門に一郭を構え、伽羅と号す。秀衡が常の居所なり。泰衡相継ぎ手て居所となせり」と記された場所です。
全く普通の住宅地で、かつての栄華を思わせる跡は かけらも残されていませんでした。
芭蕉が「秀衡が跡は田野となりて」と嘆き、滅び去った藤原三代の栄華のあとを哀れみ、岩手県平泉で詠んだ句が「夏草や 兵どもが 夢の跡」。 -
「平泉~仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群~」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されている 無量光院跡。
無量光院跡の他、金鶏山、金色堂・覆堂・経蔵を含む中尊寺、毛越寺、観自在王院跡が構成資産になっています。
無量光院跡は、奥州藤原氏三代秀衡によって造営された寺院の遺跡です。
宇治平等院鳳凰堂を模して建立された阿弥陀堂と、その周囲を取り巻く池を中心に伽藍が構成されていました。復元図を見ると、確かに鳳凰堂によく似ていますね。 -
奥州藤原氏滅亡後、奥州藤原氏の滅亡以降、無量光院は度重なる火災で焼失し、伽藍が消滅・荒廃、池は水田と化し、土塁や礎石、池跡が残るのみだったそうですが・・・
訪れた時には、予想以上に きれいに整備されつつありました。 -
松の間に見える小山が 世界遺産の金鶏山。
阿弥陀堂の背後には金鶏山を中央に、なだらかな山並みが連なっています。
世界遺産委員会は、無量光院を完成形とする平泉の浄土庭園について「池泉・樹林・金鶏山山頂と関連して仏堂を周到に配置することにより実体化した理想郷の光景」として、高く評価しているのだとか。 -
無量光院は、毛越寺に対して新御堂と称されていたそうです。このあと 毛越寺へ向かいます。
今日では土塁や礎石を残すのみですが、夕日が背後の金鶏山へ沈むように設計され、園池に浮かぶ大小3つの島に翼廊付の仏堂と拝所・ 舞台が配された庭園は、浄土庭園の最も発展した形態と考えられ、最高傑作といわれていたのだそう。 -
三代秀衡が造営した無量光院は、その居館である伽羅の御所に隣接した秀衡寺院でした。
その遺跡のほとんどは水田化していましたが、現在でも 池跡・中島・堂礎が残っています。 -
昭和27年の発掘調査の結果によると、東西に走る伽藍の軸線が東門・橋・中島・橋堂を貫いて、その先に金鶏山が望まれるという、壮大な寺院であったことが知られています。
-
中島跡?
-
2011年6月26日の世界遺産登録後、文化庁や県によって、庭園及び寺院の本格復元を含めて検討され、2012年より中島と池の復元・整備が進められているそうですから 次に訪れる機会があれば また違った復元の様子が見られるかもしれません。
-
沿道沿いの家々は 世界遺産登録を機に改装されたような、趣のある外観のものが多く見られました。
-
高館義経堂は この石段を上がった先。
義経にはさほどの思い入れがない私たちは、石段を見て 上がることを諦めました。 -
義経は、ここ平泉の高館において自刃しました。
しかし、伝説義経北行コースは 義経は生きていたとする伝説の残る地点のいくつかを結んだもので、ここ高館が起点なのだとか。
モンゴルまで行ったという伝説も 読んだ記憶があります。 -
ようやく見えてきた 中尊寺の案内。
-
ここにも弁慶ゆかりの石碑。
-
中尊寺入り口。
-
左手の町並み。
-
月見坂の案内。
中尊寺は標高130メートルほどの東西に長い丘陵に位置しているため、この坂が古くから本堂・金色堂へと参拝する人々の表参道として利用されてきました。 -
参道をのぼり始めると、両脇には 気持ちの良い杉木立が木陰を作っています。
江戸時代に伊達藩によって植樹された樹齢300年を数えようかという老杉だそう。
参拝者はまだ多くはなく、杉木立と山の空気が作り出す 凛とした雰囲気を味わいながら 歩いて行きます。 -
表参道沿いには諸堂が点在しますが、ほとんどが江戸時代中期以降に再建・移築されたものだそう。
途中にある 八幡堂、弁慶堂、東物見からの景色など。右手には奥州藤原氏に縁の深い束稲山・北上川・衣川を眺望することができます。 -
オオモミジの大木。
-
薬師堂、
右上は 本坊表門。
本堂の正面に建つ表門は、薬医門とよばれる形式の門。
伊達兵部宗勝の屋敷門を移築したものと伝えられています。
不動堂、峯薬師堂。 -
9:20
金色堂の中へ。
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です。 -
中は 撮影禁止です。記憶に残すため パンフレットからスキャンしました。
金箔を押された堂内ですが、しっとりとした美しさという印象でした。
4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の螺鈿細工、透かし彫り金具・漆蒔絵と、平安時代後期の工芸技術が施され、堂全体が一つの美術工芸品のようです。
須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右に3体ずつ地蔵菩薩が並び、最前列には持国天と増長天が破邪の形相でこの仏界を守護しています。
この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものだそうです。
孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がないのだとか。 -
中尊寺経蔵。
「中尊寺建立供養願文」によると、当初は「2階瓦葺」でした。1337年の火災で上層部を焼失し、おそらくは古材をもって再建されたものと考えられ 当初のあざやかな彩りや飾りは長い歳月によって洗い流され、金色堂とは対照的な趣。
ご本尊騎師文殊菩薩と 三方の経棚に納められていた紺紙金字一切経は 宝物館「讃衡蔵」に移され、新たな騎師文殊菩薩が安置されています。 -
芭蕉翁句碑。
五月雨の降り残してや光堂 -
芭蕉像。
-
金色堂旧覆堂
金色堂を風雪から護るために、1288年 鎌倉幕府によって建てられたと伝えられる5間4方の堂で、金色堂解体修理(昭和の大修理)の際、現在地に移築されました。
近年の調査では、金色堂建立50年後ほどで簡素な覆屋根がかけられ、何度かの増改築を経て、現在の建物は室町時代に建てられたと考えられています。 -
大長寿院、
釈迦堂、弁財天堂。 -
9:50
讃衡蔵は奥州藤原氏の残した文化財3000点あまりを収蔵する宝物館で、平安期の諸仏、国宝中尊寺経、奥州藤原氏の御遺体の副葬品などが納められております。平安時代奥州藤原氏によって造営された、往時の大伽藍中尊寺の様子を今に伝えています。
20分余りの見学でした。 -
旧鐘楼
康永二年(1343)、金色堂別当頼栄の発願により鋳造された盤渉調の梵鐘。撞座は長い歳月にわたる打鐘により窪み、今この鐘が撞かれることはめったにないことだそう。銘文には建武四年(1337)、山内の堂塔が火災により焼失した旨を刻し、奥州藤原氏以後の歴史を伝える貴重な資料です。径86㎝。 -
一部ですが、この一本だけが きれいに紅葉しており、注目の的になっていました。
-
本堂
中尊寺というのはこの山全体の総称であり、本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院(大寺の中にある小院)で構成される一山寺院です。本堂は一山の中心となる建物で、明治42年(1909)に再建されました。古くから伝わる法要儀式の多くはこの本堂で勤められます。
本尊は丈六の釈迦如来。像高約2.7m、台座・光背を含めた総高は5mに及ぶ尊像です。中尊寺の大壇主藤原清衡公が「丈六皆金色釈迦」像を鎮護国家大伽藍の本尊として安置したことにならい平成25年(2013)に造顕・開眼供養されました。 -
奥には 東日本大震災慰霊供養の塔。
-
10:44
体力温存のため 毛越寺までタクシーで。 -
山門
毛越寺の出入り口。拝観券発行所です。
この山門は、元は一ノ関藩田村家藩邸の中門で、大正11年に寄進されました。 -
山門札所脇のモミジは 紅葉が始まっています。
-
宝物館
毛越寺一山に伝わる平安期の仏像、書籍、工芸品、発掘遺品、調査資料、延年の舞用具などを陳列しています。 -
本堂
毛越寺一山の根本道場であるこの本堂は、平安様式の建物で、平成元年に建立されました。本尊は薬師如来で、平安時代の作です。本尊の脇士は日光・月光両菩薩、さらにその周りには本尊守護の四天王が安置されています。 -
中にはこんな展示が。
-
臨池伽藍跡と浄土庭園の案内図。
浄土庭園とは仏堂と苑池とが一体として配された庭園で、毛越寺では北に塔山と呼ばれる小山を背景として、広々とした苑地美観が展開します。
大泉が池は浄水をたたえ、その周辺には、州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石、枯山水風の築山といった石組みや、池に水を引き入れる遣水など、自然の景観が表されています。
日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園として、800有余年を経た現在も、四囲の樹木の景観と相まって、なお変わらぬ美しさを見せています。
南大門を出て、反時計回りに歩いていきます。 -
毛越寺庭園。
浄土庭園とは仏堂と苑池とが一体として配された庭園で、毛越寺では北に塔山と呼ばれる小山を背景として、広々とした苑地美観が展開します。
大泉が池は浄水をたたえ、その周辺には、州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石、枯山水風の築山といった石組みや、池に水を引き入れる遣水など、自然の景観が表されています。
日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園として、800有余年を経た現在も、四囲の樹木の景観と相まって、なお変わらぬ美しさを見せています。 -
南大門跡。
毛越寺の正門であり、両脇に仁王像安置し、正面に「金堂円隆寺」の勅額が掲げられていたそう。
南大門の東に続いて、築垣、犬走り、溝が発見されたことから、門の左右には築地塀が廻らされていたと推定されています。
今では 十二個の礎石が残されているだけです。 -
築山
大泉ヶ池の南西の隅、南大門の西寄りにある築山。池水面より約4メートルほどの高さ。水際から山頂近くまで大小各種の石を立て、岩山の姿を造り出しています。深い淵に臨む断崖の景観を思わせ、『作庭記』に記されている「枯山水の様」の実例と考えられています。 -
対岸の木立が池面に映り込んでいます。
-
ぐっと右側を。州浜を背景に。
-
州浜の前に立つ 地中立石をアップで。
-
振り返って モミジ越しの本堂を。
-
本堂の赤い縁取りが 際立っています。
-
一部の紅葉でも 素敵。
-
どれも捨てがたい一枚。
-
大泉が池の中にある 中島。
-
開山堂
毛越寺を開いた慈覚大師円仁をまつる堂です。大師像のほか両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像を安置しています。 -
境内には平安時代の堂塔伽藍を偲ばせる、礎石等の遺構が多数残っています。
また、大泉が池を中心とした庭園も、平安時代の優美な作庭造園の形状を如実にとどめており、日本庭園史上にも特に貴重な遺構として、発掘調査が行われ、旧観に復されています。
嘉祥寺跡
金堂円隆寺の西に、杉並木に囲まれてほぼ円隆寺と同規模の土壇があります。巨大な礎石が完存するこの建築跡は、古来嘉祥寺跡として言い伝えられてきました。嘉祥寺は『吾妻鏡』にある嘉勝寺に相当します。この堂跡は金堂円隆寺とほとんど同規模の上に、同規模同形式の廊が付属することからみて、金堂なみに高い地位であったことがわかります。慈覚大師創設とする寺伝はともかく、少なくとも基衡の円隆寺建立以前から嘉祥寺が存在していたといわれる所以です。 -
講堂跡
仏法を説き仏法を開く堂舎。
基衡が建立したと言われ、今、講堂跡と伝えられる遺跡は、ほぼ方形の土壇です。壇上には十数個の礎石があり、土壇中央部のやや北寄りには仏壇跡と思われる小高い土の隆起があります。 -
金堂円隆寺跡
基衡が万宝を尽くして建立した勅願寺で、本尊は雲慶作の丈六の薬師如来でした。毛越寺の中心伽藍で、東西に翼廊が出て南に折れ、東廊先端には鐘楼(しゅろう)が、西廊先端には経楼(きょうろう)が附属していました。基壇は石造り壇上積です。経楼は、経文を納める建物です。金堂西廊の南端、鐘楼(しゅろう)と対称の位置にありました。 -
遣水(やりみず)
この遣水は、庭園の発掘調査中に往時の姿のままに発見されたもので、遣水の遺構は奈良の宮跡庭園を除いては例がなく、平安時代の遺構としては唯一のものだそうです。 -
池の東北側にある遣水は池に水を引き入れるために造られたものです。
玉石を庭に敷きつめ、曲がりくねる流れには 水越し、水切りの石、その他 水の曲がり角や池への注ぎ口に石組みを配するなど平安時代の指導書「作庭記」の様式を余すところなく伝えています。 -
水路の美しい曲線は 背後の木立にあいまって、風雅な奥行きを醸し出しています。
-
曲水の宴(ごくすいのえん)
この遣水を舞台に毎年新緑の頃に「 曲水(ごくすい)の宴」が開催されるそうです。
この 平安の雅な情景って、京都のお茶会殺人事件のドラマの中で 見たことがあるような気が…。 -
遣水は 大泉が池に流れ込んでいます。
-
荒磯の情景と園路。
-
常行堂
現常行堂は、享保17年(1732)に仙台藩主伊達吉村公の武運長久を願って再建されました。堂は宝形造りで須弥壇中央に本尊・宝冠の阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿には秘仏としてあがめられている摩多羅神(またらじん)がまつられています。
摩多羅神は修法と堂の守護神であり、地元では古くから作物の神様として信仰されています。奥殿の扉はふだんは固く閉ざされ、33年に一度御開帳されます。祭礼の正月20日は、古式の修法と法楽としての延年の舞が奉納されます。 -
さらに その奥にある法華堂跡。
-
鐘楼堂。
現在の鐘は昭和50年 人間国宝香取正彦氏の作で、天台座主山田恵諦大僧正の銘が刻まれています。姿形は、平等院風を思わせ、美しい音色を響かせます。 -
東門跡は 礎石さえもはっきりしません。
-
小石が敷き詰められた 荒磯の情景。
-
洲浜
池の東南隅に築山と対照的に造られた洲浜は、砂洲と入江が柔らかい曲線を描き、美しい海岸線を表しています。
他に比べて池底を特に浅くし、広々と玉石を敷き詰めているので、水位の昇降に応じて現れるゆったりした姿を眺めることができます。
池の東側から大きく突き出た州浜は、ひろびろとした海岸の砂州を表現しており、水位の昇降に応じてその姿を変化させる。
ゆったりとしたその姿は、出島とは対照的な景趣である。 -
出島石組と池中立石
毛越寺大泉が池のなかでも東南岸にある荒磯(ありそ)風の出島は、庭園中で最も美しい景観の一つです。水辺から水中へと石組が突き出し、その先端の飛び島には約2メートルの景石が据えられ、庭の象徴として池全体を引き締めています。 -
モミジと 出島石組と池中立石をフォーカスして さらに一枚。
-
洲浜を振り返って。
-
出島石組と池中立石
-
解説の案内。
-
出島組石と池中立石。
-
対岸の木立だけでなく 池中立石までもが池面に映り込んで、幻想的な光景です。
-
まさに浄土の世界のようです。
-
中尊寺の金色堂を目的に訪れた平泉でしたが、ここ毛越寺庭園の方が 深く記憶に刻まれました。
-
11:58
平安時代の貴族が目にした浄土の世界を 垣間見られました。 -
毛越寺から平泉駅へ歩きます。
-
観自在王院跡は まだまだ修復途中、それとも このままの保存?
-
毛越寺を振り返って。
-
毛越寺から駅へと向かう通りは、世界遺産に登録されたからなのか どの家も趣きがある外観。
-
平泉駅。
-
平泉13:00発、猊鼻渓へ向かうバスは 山道を走ります。
乗客の数は ほんの数人。 -
猊鼻渓13:35着。
バスを降りて少し歩くと、舟下り乗り場がありました。
猊鼻渓舟下りは往復1時間半、大人1,600円。 -
たくさんの舟が待機しています。
ツアーバスで訪れる方が多いようです。 -
これから 2kmに渡る石灰岩の渓谷を、舟で下っていきます。
船頭さんは 棹一本を巧みにあやつり、決めポーズ。
揺れはほとんどなく ゆったりとした舟下りです。 -
鏡明岩。
-
船頭さんは「猊鼻渓」の見どころをガイドしてくれます。
大きな台風以外は、雨でも雪でも屋根を付けて運行。 -
舟では 鴨のエサが売られていて、乗っている人たちが餌を撒きながら 寄ってくる鴨の姿を楽しんでいます。
カメラを持たない夫も そのうちの一人。 -
凌雲岩。
-
鏡明岩、藤岩、壮夫岩、凌雲岩、毘沙門窟、少婦岩、獅子ヶ鼻など…奇岩怪石の由来や解説があります。
その時には頷きながら カメラに収めるのですが、こうしてまとめる時には すっかり忘れています。 -
当時、絶対の秘境としてほとんど知られていなかった「猊鼻渓」。近くに住んでいても、その場所を知らない人が多くいたと伝えられています。藩に提出しなければならない風土記や絵図にも、この渓谷の存在は隠されていたそうです。
とてつもなく長い年月によって浸食された、石灰岩の層がそそりたつ景色。 -
この上に 集落があると聞いて 驚きです。
-
もう少しの紅葉を期待していたのですが、紅葉に関しては期待外れかな。
-
猊鼻渓は北上川の支流、カルスト台地を流れる砂鉄川沿いの渓谷。明治以前は、訪れる人もない秘境だった峡谷ですが、明治時代後期に文人墨客が訪れるようになり、大正14年に岩手県最初の名勝に指定された景勝地です。
猊鼻渓という名は、侵食された鍾乳石の獅子ヶ鼻(猊=獅子のこと)に由来し、明治43年に命名されたもの。 -
毘沙門窟
-
岩がひさしのようにせり出す「あまよけの岩」。
-
ずいぶん褶曲しています。
-
こうして1本だけ生えていると 健気さを感じますね。
-
古桃渓。
-
吐雲峯。
-
どんどん上流へ。
-
岩山が屹立。
-
右岸には モアイ像にも女性の横顔にも見える 少婦岩。
-
左岸には 壮夫岩。
二つあわせて夫婦岩とのことです。 -
振り返って。
-
上流に向かって左手の岩は、馬髭岩。
-
石灰岩の削られ方が見事。
-
折りかえし地点の三好ヶ丘に着きました。
ここでは舟を降り約20分の休憩時間が設けられています。
歩きたくない人は そのまま乗っていても大丈夫です。
そそり立つ岩は 付帯岩?。 -
岩山に沿って 少し歩きます。
大猊鼻岩。 -
ズーム。
-
獅子が鼻?
-
何人かの人が ここではしゃいでいました。
何事かと思ったら…猊鼻渓のパワースポットで行われている、「うん玉」を投げて占う運だめしです。
奇岩に空いた小さな穴にうん玉が入ると、願い事が叶うとされているそう。
「うん玉」は 5個100円で販売されています。書かれている文字は「福」「縁」「寿」「愛」「願」「運」「恋」「絆」「禄」「財」の10種類。
眺めるだけでした。 -
大猊鼻岩を振り返って。
-
肥満気味の鯉。
-
船頭さんは舟下り名物でもある「げいび追分」を、下りの舟で歌ってくれます。
-
カルスト台地を流れる砂鉄川沿いの峡谷。
砂鉄川は、文字通り砂鉄の採取できた川で、上質の砂鉄を採掘できた上流部ではたたら製鉄も行なわれていました。
源流部ではポッパ山(砂鉄の掘り場跡)も確認されています。
南部鉄器で有名ですが、その文化を支えたのがこのたたら製鉄で、藤原清衡(ふじわらのきよひら)の時代から鉄器の製造が行なわれていたことがわかっています。 -
猊鼻渓という名は、侵食された鍾乳石の獅子ヶ鼻(猊=獅子のこと)に由来し、明治43年に命名されたもの。
-
猊鼻渓を観光開拓した功労者である 佐藤猊巌(さとうげいがん)の像。
大船渡線の列車は 舟が着岸する寸前に発車してしまいましたが 想定内の事。
大通りを渡った先にある 住宅街の中のバス停を教えられ、バスで一関へ。
ホテルでスーツケースをピックアップして駅へ急ぎました。
ローカル線で仙台に向かう予定でしたが、一便早い16:48発の東北新幹線はやぶさで仙台へ。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
秋の東北周遊
-
秋の東北周遊(1)函館の五稜郭と夜景とベイエリア散策
2018/10/15~
函館
-
秋の東北周遊(2)青森・八甲田山と三内丸山遺跡へ
2018/10/16~
青森市内
-
秋の東北周遊(3)憧れ続けた奥入瀬渓流を散策
2018/10/18~
奥入瀬・十和田湖
-
秋の東北周遊(4)弘前のねぷたに出会い、洋風建築と弘前城を巡る街歩き
2018/10/19~
弘前
-
秋の東北周遊(5)リゾートしらかみに乗る五能線の旅と白神山地の十二湖散策
2018/10/20~
白神山地
-
秋の東北周遊(6)角館の武家屋敷
2018/10/20~
角館
-
秋の東北周遊(7)角館その2
2018/10/20~
角館
-
秋の東北周遊(8)遠野で知る日本の原風景
2018/10/21~
遠野
-
秋の東北周遊(9)平泉で平安の雅を味わい 猊鼻渓では渓谷美を堪能
2018/10/22~
平泉
-
秋の東北周遊(10)青葉城は曇り空
2018/10/23~
仙台
-
秋の東北周遊(11)松島や あぁ 松島や
2018/10/24~
松島・奥松島
-
秋の東北周遊(12)山寺立石寺は大人気
2018/10/25~
山形市
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
平泉(岩手) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 秋の東北周遊
0
126