2018/10/15 - 2018/10/16
403位(同エリア4296件中)
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クッキーさん
マイルが貯まったので 海外旅行の特典航空券で1人分の旅費を浮かすつもりでいたら、個別に取るチケットとルートが異なりました。スカイコインで支払いをしようと交換したら、ANAの乗継便の場合 利用できないとのこと。
このスカイコインの有効期限は1年しかありません。ということでスペイン・ポルトガル周遊と合わせて 函館・東北周遊の計画を同時進行。
ANA便は 青森航路はないので、函館に飛び 北海道新幹線を利用して青森へ向かう計画を立て、ANA旅作で エアチケットと函館での1泊のホテルを予約しました。
何度もエアチケットを取っていたつもりでしたが、まだまだ無知な部分がありました。
おまけのような函館観光でしたが、五稜郭、函館山からの夜景、八幡坂辺りの散策など十分に楽しみました。中でも期待以上だったのが 北方民族博物館でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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羽田を経由して函館空港へ。
空港バスで市内へ。周りは外国人がほとんどで、まるで自分達が海外を訪れたかのよう。空港連絡バスはベイエリア前まで1人460円でした。 -
バス停で降りて、歩いてホテルへ。
ラビスタ函館ベイ。 -
ホテルの前の通りから。
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函館麺厨房あじさい。
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函館塩ラーメンは 期待以上の味。
道南産の昆布と豚骨鶏ガラ、そして天然塩で仕上げたスープだそうで、細麺との相性も抜群でした。 -
まわりにはお食事処が たくさん並んでいます。
全部食べてみたいけれど お腹は一つ。 -
函館で どうしても行きたかったところは五稜郭。
魚市場通駅まで歩き、レトロな函館市電で、五稜郭へ。 -
展望タワーがお出迎え。
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函館山は、太古の昔に火山の噴火によってできた島でした。その後、島と半島の間に砂州が形成され、約3000年前には、中央部分がくびれた独特の地形「陸繋島(トンボロ)」ができ上がりました。
現在の市街地の主要部分はこの砂州の上にあります。 -
展望タワーから。
星形要塞である五稜郭の姿が よく分かります。 -
奉行所辺りの広場をズーム。
1854年、幕府は日米和親条約を結んで開国し、箱館と下田を開港しました。ペリーは艦隊を率いて箱館にも来航し、「世界最高の良港」と絶賛したそう。
開港当時の幕府は、外国人との渉外や防衛のために箱館奉行所を平野に移し、その周囲に壕を造り 7年かけて1864年に完成したのが五稜郭です。 -
特徴的な星形の城郭は、蘭学者の武田斐三郎がフランス軍艦の将官から教授されたヨーロッパの城塞技術に、日本の築城技術を加えて設計したもので 非常にユニークな造りとなっています。
星形の土塁の南西側には 半月堡(はんげつほ)と呼ばれる三角形状の土塁があって、その周りも水堀になっています。
西洋式の稜堡式城郭である五稜郭。 -
1857年に始まった五稜郭の建設工事。堀を造る工事や石垣を積む工事、お役所や役人の住む家を建てる工事などが行われました。
奉行所防衛のために造られた五稜郭ですが、望楼型天守のような巨大な奉行所を五稜郭内に造ってしまったのが 幕府の痛恨のミス。城の中心部に高い建物を建ててしまっては艦砲射撃の格好の的になってしまいます。 -
札幌の街を展望。
五稜郭は、函館戦争で旧幕府軍の拠点となった場所です。
五稜郭に最初の一撃を与えたのは、皮肉にも外国船ではなく、旧幕府軍の榎本武揚だったのです。五稜郭内の箱館奉行所は、函館湾の船上からもよく見えたと言われています。
1868年12月15日 最新の大砲を積んだ旧幕府軍の軍艦は 明治新政府が接収した旧箱館奉行所をマトにして砲弾を撃ち込みます。 -
これには新政府(箱館府)もアッサリ降伏。上陸した旧幕府軍は、五稜郭で 蝦夷共和国の建国宣言 をします。
一方、反撃に出た新政府軍は、圧倒的な戦力で箱館山と五稜郭を結ぶ防衛ラインを分断、城を孤立させてから陥落させました。
五稜郭と箱館山を結ぶラインは海に挟まれた非常に狭い陸地なので、制海権を失った時点で無力化は、ほぼ確定。榎本武揚ら旧幕府脱走軍は新政府軍に五稜郭を明け渡し、箱館戦争は終結。1869年5月18日のことです。
この後、太平洋戦争終戦まで 海に突き出た函館山全体が要塞化されたのです。 -
五稜郭跡は国の特別史跡
五稜郭の中へ。 -
石垣の中で,正面側の石垣の一番上には、石が一列飛び出しているところがあります。これは「はね出し」や「武者返し」または「しのび返し」と呼ばれるもので、五稜郭の石垣の大きな特徴の一つだそう。
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奉行所は 箱館戦争の際に砲弾が直撃して解体されましたが、2010年、当時の資料を綿密に調査した結果を基に部分復元されました。
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できるだけ江戸時代と同一の産地・材料にこだわった復元にこだわり、港を監視するための太鼓櫓(たいこやぐら)や72畳の大広間などの見どころが多いそう。
一般公開されていますが、特に興味があるわけでもないので 外観から雰囲気を味わえただけで十分です。 -
青い部分が復元された箇所のようです。
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奉行所の裏側には かつての奉行所の跡地が見えます。
奉行所という名の城郭なのですね。 -
裏門橋へ行ってみます。
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五稜郭という名前がついたように、稜堡(りょうほ)と呼ばれる5つの角があり、星形の五角形となっています。この上には土塁が造られ、また石垣も積まれ 五角形となる土塁と石垣の周りには 水堀があります。
さらに、この星形の土塁の南西側には 半月堡または馬出塁と呼ばれる三角形状の土塁があり その周りもまた水堀となっています。 -
幕末の混乱期の中で、これだけの城郭を築いたなんて すごいですね。
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北側にある裏門橋を渡ると 五稜郭の外へと通じています。
五稜郭の堀では、冬期間に天然氷の切り出しが行われ、1871年には本州へ送られて「五稜郭氷」の名で売り出すほどの産業に育ったとは 驚きです。 -
五稜郭タワー。
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奉行所が日に照らされて 雰囲気がさらにアップ。
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明治時代の偉人たち。
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街角のモニュメント。
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翌日のチケットを買っておくために 函館駅まで。
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インスタ映えする植栽。
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金森赤レンガ倉庫。
倉庫内は商業施設になっており、北海道土産を少し。 -
17:27
金森赤レンガ倉庫の中へ。
北国だからか 日没が早いようです。 -
外には もうほとんど人影はありません。
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ライトアップ。
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一旦ホテルに戻って、チェックイン。
部屋は1220号室。
窓から 港の夜景が見えています。 -
部屋は広そうに見えますが、案外足元は狭く 動き回るのがやっと。
喫煙ツイン・朝食付きです。 -
18:10
これから夜景を見に行きます。
ゴールデンタイムといわれる日没後の約30分が 特におすすめだそうですが、その時刻は とっくに過ぎています。 -
ロープウェイで行きたかったのですが、ロープウェイは運休しているとかで 函館山登山バスで向かうことに。
片道大人1人400円だったかと。 -
18:34
頂上は、観光客であふれていました。日本の観光業界が、インバウンドで潤っていることがよく分かります。
展望台に出た瞬間 思わず「わあ~!」と声を上げそうになるほどの感動。山麓から連続する市街地は、手が届きそうな目の前に見えます。
見下ろす角度が10度くらいが最も見えやすい景色となるそうで、函館山から見る市街地や港はちょうどこれに当たるといいます。この高さと距離感の「ちょうどよさ」が、迫力ある夜景を生み出しているのだとか。 -
市街地の煌めく明かりとともに、右が津軽海峡、左が函館湾に挟まれた狭い市街地という地形の妙のため、海沿いの道路の光の縁取りが大きなアーチを描き、街の明かりは美しい くびれを見せています。
「光の街」と「闇の海」のコントラストが、夜景をメリハリのあるものに演出。 -
夜景の明かりひとつひとつは、人工のサーチライトや派手なネオンサインではなく、函館の人が生活する場の照明や街路灯。その柔らかい光が、心癒す夜景を形作っています。
この明かりは 函館市を挙げて暮らしや街並みを生かした夜景づくりを目指してきた成果。温かみのあるオレンジ色の街灯を整備したり、歴史ある建物をライトアップしたり、家庭の明かりをパワーアップしたりと、夜景を引き立たせる取り組みが実を結んで、「宝石箱をひっくり返したような」にぎわいの明かりをつくり出しているそうです。
コンデジで手持ちでの撮影ですから、これだけの写真しか撮れませんが、100万ドルの夜景を堪能できました。 -
函館ですから 海鮮をと思い、ホテル近くのお寿司屋さん・まるかつへ。
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観光地価格のせいか、若干お高め。
それに見合うほどの味ではなかったかも。 -
食事をしたお寿司屋さん。
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朝食会場は2階にある 北の番屋。6:30から10:30までのオープン。
ゆっくりのスタートで 9時前に。
ホテルで一番楽しみにしていた朝食は、期待通りのものでした。
朝から イクラ丼をたっぷりといただきました。
いつもは食べないデザートまでお代わりしましたよ。 -
朝食ルームからの眺望。
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10:45
早速 函館の街歩きです。
至る所に観光標識があります。 -
イカ釣り船。
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湾岸沿いの建物群は 函館西波止場。
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西部開拓時代みたいな雰囲気を持つ建物です。
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至る所にある案内標識。
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レトロな市電。
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八幡坂を上がっていきます。
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八幡坂から。
CMにもなった場所ですが、夫とは手つなぎをしないで歩きましたよ。(これが分かる人は同年配の方でしょうね) -
坂を上り切って 左折し、
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函館ハリストス正教会へ。
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国の重要文化財に指定されている、ロシア風ビザンチン様式の優美な建物。
江戸末期の1860年に、ロシアの領事館および礼拝堂として建てられました。 -
正式名称は「主の復活聖堂」と言う名で、ギリシャ語でキリストを意味するハリストスの復活を記念する聖堂です。
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裏庭から。
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緑の屋根と真っ白の壁のコントラストが美しく、ここが日本だとは思えないほど。
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ハリストス正教会の庭から見えている赤い屋根の建物は、通りの向かいにある カトリック元町教会。
とても狭い範囲の中に たくさんの教会が点在しているのは、日米和親条約、日米修好通商条約で開港され、外国商人の往来が盛んになり、西洋文化の流入がもたらされたという歴史があるからでしょうね。
この通りを少し歩くと チャチャ登り、という 石畳の急坂があったのですが、見逃していました。 -
来た道を戻って、八幡坂をさらに超えて。
洋風、和風、和洋折衷の建物が立ち並ぶ通りです。土産物屋さんやカフェもあります。 -
ソフトクリームの割引券をいただいたので、折角だからと 入ってみました。
濃厚な味でした。 -
旧函館区公会堂。
桟瓦葺の屋根に 外壁がブルーグレーとイエローというインパクトのある色合いの
、左右対称のコロニアルスタイル。
2018年10月から2021年4月ごろまで、耐震補強を含めた大規模な保存修理工事のために休館しているそうですから、ほんのちょっと出遅れたようです。 -
大火によって焼失した住民の集会所であった町会所(まちかいしょ)を再建しようと、豪商相馬哲平氏や住民からの寄付などを元手に、1910年に竣工しました。
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屋根窓や棟飾柵、破風(ぺディメント)、円柱、柱頭飾とどれをとってもハイカラな造り。
見学はできませんでしたが、館内の装飾も、外国人の指導を受けることなく、洋風建築物の視察などを通して自ら考案した職人の高い技術を垣間見ることができるものだそう。 -
その下にある元町公園から。
元町公園は、江戸末期には幕府の箱館奉行所、明治時代には開拓使函館支庁、函館県庁、北海道庁函館支庁が置かれて、政治の中心地でした。 -
函館港を一望できる絶好のポジション。
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ここにも明治維新の頃の偉人たち。
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元町公園の一角にある 元町観光案内所。
当初の北海道庁函館支庁の庁舎は1907年の大火で消失、現在の建物は1909年築の洋風木造2階建て。 -
1991年の火事で内部を焼損しましたが、3年後に修復整備されました。正面中央の玄関部の柱廊の4本のエンタシス風の柱と 三角形の切妻破風が印象的。
現在は、函館市元町観光案内所として活用されています。 -
その奥にある防火倉のような建物。
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旧相馬邸。
北海道屈指の豪商・初代相馬哲平氏が1908年に私邸として建て、5代目までが住んでいた和洋折衷の品格漂う歴史的建造物です。
初代相馬哲平氏は、越後国で生まれました。大志を抱いて 28歳で開港間もない箱館に渡り、約3年の奉公人生活の末、米穀雑貨の店を始めました。箱館戦争時には戦火から避難するため、店をたたむ人、逃げていく人から、全財産を投じて米を買い集め、戦後に米穀の価格高騰により巨額の富を得ました。
その後、ニシン漁の投資と海陸産物の商いを行い、一代で北海道屈指の豪商に上り詰めました。
晩年には「郷土報恩」の志を持って、函館区公会堂を始め、函館では大火が頻繁に起こり、多くの公共施設等が焼失した際は、再建費用の寄付などで多大な貢献をするなど 函館発展の基礎を築きました。 -
こちらは 函館を代表する坂のひとつ・基坂(もといざか)。
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基坂の上にある 旧函館区公会堂。
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ペリー提督の像。
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ペリー提督来航記念碑。
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基坂の右手にある 旧イギリス領事館(開港ミュージアム)。
1859年の函館の開港とともにアメリカ、ロシアに次いで市内で3番目に開設されたのが、この旧イギリス領事館。
最初は現在とは異なる場所に仮設されていましたが、1863年に新築した後は 何度かの大火を経験。現在の建物は1913年に建造、1934年まで領事館として使用。1992年に復元されたものです。 -
重厚な門章。
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開港ミュージアムでは ペリー来航の歴史をパネル展示で学べるほか、室内にある木樽のスコープを覗き込むと昔の風景やユニークな動画を楽しめます。
アンティークな家具や調度品の展示、歴史を学べるミュージアムなど、見応えたっぷり。
函館ハイカラスクエアでは、壁一面の“顔はめパネル”が設置され、顔だけでなくカメラをはめる穴も用意されており 自撮りが出来るようになっていました。 -
建物の裏手に周ると、ヴィクトリアン調の東屋とブロンズの噴水があり、初夏には美しいバラが咲き誇るイングリッシュガーデンとなるそうです。
庭からは 先ほど入った 旧但馬邸が見えています。
噴水の向こうに純和風建築が見えているのは 不思議な感覚。 -
イングリッシュガーデンから。
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紅い蔦で覆われて 白い壁面と、青い窓と、見事なコントラストを見せています。
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基坂を下った先の角にある 函館市北方民族資料館。
旧イギリス領事館でチケットを買う時に、共通券がお得だと勧められたので、そちらを購入。
北方民族資料館は 1926年に建設された旧日本銀行函館支店の建物を活用したもので、アイヌ民族や北方民族の衣装、生活用品を展示しています。 -
館内は展示ホールと7つの展示室に分かれています。
展示ホールの かわいらしい「蕗の下のコロボックル」の像。 -
展示ホールに飾られた 幕末から明治初めにかけてのアイヌの生活を描いた「アイヌ風俗12ヶ月屏風」。
これらの屏風画を見た時に、胸にズキンと突き刺さるような感情が湧いてきました。内地の日本人から見ると、アイヌ民族の風貌や着ているもの、生活の様子が異色だったろうとは理解できますが、見下したようなディフォルメされた表現には、違和感をおぼえます。 -
展示室では、各テーマごとにアイヌや北方民族の文化を紹介しています。
展示室1(装いの美学)
陣羽織と蝦夷錦。蝦夷錦とは 大陸と交易で手に入れた山丹服(さんたんふく)だそう。 -
極寒の地で生きていくための生活と知恵。
左上の展示は、千島アイヌの子供服。衣服は全体の素材にエゾシカの毛皮を使用し、裾周りにヒグマの毛皮が使用されています。
縫合の糸には、エゾシカの腱やアザラシ、オットセイなどの海獣の毛が使用されていて、襟周りなどには白青、黒色のビーズや金属製の飾り板、飾り紐もあります。
樹皮衣、紋付、獣皮衣、小袖、編草衣、鳥羽衣などの展示。
装いの様々な文様。 -
アイヌ民族の儀礼用装身具。
アイヌ女性の母から娘へと受け継がれた首飾り(タマサイト)は 山丹交易や倭人との物々交換などで入手したガラス玉製の首飾り。
中央の金属製の飾りは、シドキと称し身を守る魔除けの意味が込められているそうです。 -
千島アイヌのロシア正教の十字架。
1747年の記録によれば、当時 北千島に居住していた256名の千島アイヌのうち 56名の人が洗礼を受けたそうです。 -
展示室2(北の神々)、
展示室3(くらしの中の手仕事)。
四季の暮らしの様子が描かれています。 -
アイヌの 物入れ、煙草入れ、縫い物など。
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展示室4(北方民族HAKODATECOLLECTION)
孤立したアイヌ民族、というイメージとはかけ離れた解説でした。
オホーツク文化という言葉は 初めて知りました。
北海道のオホーツク海沿岸に かつて栄えていたオホーツク文化は、まだまだ謎に包まれています。 -
アリューシャン列島のコディアク・アリュートが 海猟のときに操った三人乗りの皮舟(バイダルカ)は、現在は世界でも数が少なく、学術的にも貴重なものだそうですが、見逃していました。
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児玉コレクション。
函館を発つ時間が迫っていたので わずか30分ほどの見学でしたが、どれも見ごたえのある展示物ばかりでした。分かっていたら もっと時間を確保しておけばよかった。
見学者は少なく、待機しているスタッフに質問すると、待ち構えていました、と ばかりに丁寧に説明してくれました。 -
街角のモニュメント。
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新島襄海外渡航の地碑。
あちらこちらで明治維新の偉人たちの名前を目にします。 -
坂の向こうに見えている旧函館区公会堂を眺めて、
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海岸沿いに戻ります。
北海道第一歩の地碑・東浜桟橋。 -
湾の向かいに見えているラビスタ函館ベイ。
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この白い洋館風の建物は 函館大学関連のもの。
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函館のローカルグルメといえばのラッキーピエロは あちらこちらで見かけましたが、函館西波止場の隣にもありました。
一番人気のチャイニーズチキンバーガーは、北海道伊達産の鶏のから揚げに、函館市のお隣・北斗市大野で獲れたシャキシャキのレタスをはさんだもの。
ランチをとる時間を予定に入れていなかったので、ランチ用に買っておきました。 -
ホテルで荷物をピックアップして タクシーで函館駅へ。わずかワンメーターの距離でした。
1両編成の電車が待機中。通勤電車仕様なので、堂々とランチを食べられるような雰囲気もなく、そそくさと食べました。
函館15:13発。 -
ローカル線の車窓から。
函館湾の中に浮かぶ函館山が ずっと見えていました。 -
ここを新幹線で走らなくてよかった。
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木古内駅16:14着。ここで 新幹線に乗り換えます。
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エレベーターがなくて スーツケースを抱えて階段を上がるのに一苦労。
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北海道新幹線の車両は 初めて見るグリーン色。
木古内駅16:30発。 -
車内は ガラガラでした。
1人で3席を独占して ゆったりとした移動になりました。
新青森駅17:20着。
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