2019/01/14 - 2019/01/14
3位(同エリア664件中)
関連タグ
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記841冊
- クチコミ41162件
- Q&A回答431件
- 6,772,709アクセス
- フォロワー687人
この旅行記スケジュールを元に
今回の旅は、野沢温泉道祖神祭りがメインなんですが、それを挟んで、その前に上田、その後に小布施・信州中野を巡る三日間の旅。
初日の今日は、上田市内の散策です。
上田の発展は、真田昌幸が、天正11年(1583年)、上田城を築いたことから始まります。ちなみに、天正11年というのは前年には本能寺の変。武田家が滅亡した後、信長に従っていた真田家ですが、ここからが真骨頂。信長の死によって、この地が空白地帯となると、北条氏直、徳川家康、上杉景勝の大勢力がしのぎを削る中、北条氏、徳川氏、上杉氏と転々と主を替えつつ、独立色を強めていく。上田城を築いたのも、徳川氏の元にあって上杉氏への対抗のため。しかし、その後、家康軍を二度にわたって撃退したことで天下に名をとどろかせたのはその上田城に籠っての戦いですから、事情は何とも複雑です。そして、上杉氏に付いた流れから、天正13年(1585年)には秀吉に二男、幸村を人質に差出し、豊臣家に臣従することになるのです。
関ヶ原の戦いでは東軍に加わり、徳川軍の本体とも言うべき徳川秀忠率いる3万8千人を上田に引き留め、関ヶ原の戦いに遅参させるというしてやったりの真田昌幸でしたが、関ヶ原の戦いが東軍敗北の結果となると、二男、幸村とともに九度山に籠められる。
ただ、代わって上田に入ったのは、東軍に与した嫡男の真田信之。徳川体制下、上田藩9万5千石が成立します。しかし、真田信之も、元和8年(1622年)、幕命によって信濃松代藩へ移封。その後は、仙石家時代、藤井松平家時代へと続きますが、やはり今でも上田は真田家の匂いがムンムン。真田の街と言っても過言ではないと思います。
-
真田幸村公騎馬像は、上田駅の駅前ロータリーの中。緑色の銅像でちょっと変わった風合い。例の鹿の角の兜をかぶっていますが、幸村の風貌も少しというかだいぶ若いような。老練な武将というイメージからするとちょっと違和感があるような気がしました。
-
駅前の坂道を上がっていきます。
-
上がり始めてすぐにあるみすゞ飴本舗は、長野を代表するくらいの名物。100年の歴史ある乾燥ゼリー菓子のお店です。
ただ、例えば、湯沢温泉なんかでもこんなとろにもありましたかと思うようなところで売っているので、上田に来て見るべきはむしろこの建物。大正13年建てられたビルは、国指定登録有形文化財でもある。石造りのモダンな外観は一見の価値ありです。 -
イチオシ
市街は上田城の反対側、東側のほうから回ります。
真田十勇士 モニュメントは、上田市街のあちこちにありまして。極彩色のアニメキャラっぽい像は、ちょっと軽すぎるような気もしないではないのですが、そこは考え方。大坂夏の陣で散った真田幸村軍ですが、それを湿っぽくならずに記念するにはこれもまた悪くないかもしれません。 -
日輪寺は、上田市街にある曹洞宗の寺。
-
創建は、天文14年(1545年)。真田氏の祖、海野幸義が開基であり、寺紋も真田家と同じ六文銭。
奥の正面が観音堂で、 -
手前が本堂。
-
これはかつての鬼瓦ですが、なかなか大寺の風格も漂います。
なお、本尊の観世音菩薩像は海野家の守本尊。それを祀る立派な観音堂の方が本堂よりも目立っていました。 -
宗吽寺は、上田市街中心部。
かつては上田藩主の祈願所だった真言宗の寺。参勤交代の出立の吉日を決めるようなこともしていたようです。 -
ただ、まず目を引くのは楼門。二層目に高欄が周り、花頭窓付の堂々とした構え。上田市の指定文化財ともなっています。
-
一方の本堂は意外に大人しめ。屋根もちょっと低いように見えました。
-
ここで、市街中心部の商店街で、ちょっとグルメチェック。
ハルは、天然酵母パンのかわいらしいお店です。 -
品数はやや少なめですが、パンは美しく配置されていますね。
-
いただいたのは、餡子のパン。生地がしっかりしているのは天然酵母パンならでは。少し時間をおいてもおいしさが変わらないのも、その基本的なうまみがあるからだと思います。
-
同じ並びの富士アイスでは、アイスではなく、あんこのじまんやきをいただきました。
-
商店街の中にあって、けっこうな人気。皆さん、大量に買って行きますね。
-
分厚い今川焼で、ちょっと半焼けみたいなところもおいしさのポイントかな。一方で、これだけ厚いと冷めにくいといった利点もあるかもしれません。
-
これは、横町伊勢宮。
-
露店が出ていますが、
-
これは、おたや祭りというお祭りのよう。
-
新年を祝う
-
だるま市なんかもあって、ちょいと楽しいです。
-
さらに進んで。
ツルヤは、広い敷地にゆったり建った食品スーパー。ネットの評判では、オリジナル商品に特徴があるということで楽しみにしていたのですが、結局はよく分かりませんでした。上田駅からの距離もそれなりにあるし、普通のスーパーとして見てしまうと、観光の要素はないように思います。 -
続いては、月窓寺。白い漆喰で固められた独特の楼門が立派ですねえ。
永禄元年(1558)常田隆永が常田に堂宇を建立したのがはじまり。この常田氏というのは、海野氏の傍流。真田一族ともほぼ同じ一族です。 -
一方で、真田幸村の法名は月窓伝心。そのため幸村が月窓寺を再興したという説もあるようです。
-
月窓寺の墓地には、赤松小三郎の墓というのもありまして、上田市指定文化財。
幕末の思想家ですが、勝海舟に師事したり、英国の歩兵兵法を学び、これを紹介するなど実務家としても一流だった人物。ただ、最後は幕府への協力者と目され、暗殺されるという悲しい最期。墓は赤松家とシンプルに刻んであります。 -
ここは、もう北国街道筋の柳町にも近い辺り。
玉喜屋は創業明治二年という老舗の和菓子屋さん。 -
おだんごがずらりと並んでいますが、
-
私はくるみダレのおだんごをいただきました。胡桃をすりつぶしたのに醤油を合わせて作ったというタレ。油っけもあるようなほんわり豊かな味わい。これまで味わったことがないような妙なおいしさが口いっぱいに広がりました。
-
こちらは、名取製餡所の本店。
-
ただ、名物のそば羊羹はこちらではなく、柳町の支店の方に置いているというので、そっちに回ることに。
-
さて、これが北国街道筋の柳町。なんといっても、上田市街では必見の観光スポットですよね。
ちなみに、北国街道は上田から善光寺経由、直江津まで通じる脇街道ですが、ここの筋はまっすぐな通り沿いに雰囲気のある街並みが続いて、タイムスリップしたような感じ。そして、パン屋さんとか餡子屋さんとか、味噌屋さんにそば屋さんとか。それぞれが名物といっていい珠玉のラインナップです。 -
その前に。
霧隠才蔵モニュメントは、上田市街に点在する真田十勇士 モニュメントの一つ。北国街道筋の柳町の入口脇に建っていて、これも鮮やかな色彩のアニメキャラっぽい像です。伊賀忍者で水遁の術をする姿でしょうか。大坂夏の陣では家康を暗殺を図りますが、失敗したことが紹介されていました。 -
縁結び水掛け地蔵も、霧隠才蔵モニュメントと同じ一角です。
地蔵様の横には水琴窟。これは海禅寺から水を引っ張ってきているという説明がありましたが、縁結びというのも含めて特別なものでもないような気がします。 -
岡崎酒造は、北国街道筋の柳町の中ほど。上田の地酒「信州亀齢」の看板や杉玉もぶら下がって、いかにも老舗の酒蔵。趣のある店構えで、柳町の風情ある景色を支えています。
-
特に見学コースはありませんが、売り場にはガラスのコップや古陶器が美しく展示してあって、ちょっと心が和みます。
-
続いてのルヴァンは、天然酵母パンのお店です。ただ、天然酵母パンはあちこち見かけますが、ここは町家と工房を足したような店内の雰囲気とか焼き上がりのパンの迫力とかが半端ではない。総合的なプロデュース力も感じます。
-
イチオシ
いただいたのは、クロワッサン。これも味がギュッと詰まったようなところがさすがですが、ただ、真骨頂はハード系のパンのような気がします。
後日知りましたが、このお店は東京にも進出していて、それも知る人ぞ知るのかなりの有名店。原宿から歩いて訪ねてみました。 -
さっき訪ねた名取製餡所の柳町の販売所です。名物はそば羊羹なんですが、要冷蔵とのこと。旅は始まったばかりなのでお土産に買っていくのは断念しました。しかし、少し味見をさせてくれまして、これが水羊羹みたいに素直であっさりとした味わい。かなりうまいです。
-
イチオシ
代わりに餡子だけを詰めた袋があって、それをお土産にしました。トーストとかに付けて食べてもいいそうです。
-
柳町屋は、若いご主人がやっている洒落たスイーツのお店です。
-
イチオシ
ホワイトたまごタルトをいただきました。チーズの香りがよくて、これが特徴なのかなと思いましたが、リンゴの煮たのが仕込んであって、それがとってもいいアクセント。こういうサプライスも悪くないし、かなかなの逸品です。
-
そして、保命水は、柳町の奥の方。明治14年に海禅寺境内の湧き水を引いて作った水飲み場。ここで湧いている湧水なのかと思いましたが、遠く離れた場所から引いているのは珍しいかも。歴史がある水場ですが、今でもジャバジャバと水の勢いはけっこうある。ひしゃくも置いてあって、たぶん飲めるんだと思います。
-
そのはす向かいは、菱屋さん。武田味噌 菱屋と書いた木の看板に趣のある家屋が目立っています。試食もさせてくれて、味噌汁をいただくと意外にあっさりした味わい。結局、いつのまにか出汁入りの味噌の味に慣れているところがあって、本来の味噌はこういうものかと気が付かされたような気持ちになりました。
ところで、私は、柳町は今回で3回目くらいかな。丁寧に回れば回るほど、その深みが分かるような気がします。 -
ここから、さらに北のエリアを目指します。
上田大神宮は、周囲は塀で囲まれることもなく、むき出しの境内。 -
イチオシ
その奥に赤いトタン屋根の大きな社殿が建っていました。歴史としては、明治以降。伊勢神宮の関係で作られたもの。境内にはだるまさん。お焚きあげをする準備だったのかなと思います。
ほか、一角に立派な枝ぶりの五葉松があって、これも目を引きます。 -
八幡神社は、上田大神宮からさらに北に進んだ市街の端っこ。もともとは、真田氏の祖、海野氏が京都の石清水八幡宮から分社して建立。それを真田昌幸が上田城築城の際に上田城の鬼門除けの神社として分社したということ。
-
境内は今でもしっかり手が入っていて、とても清々しい。大きく育った境内木も気持ちがいい。地元の人に大事にされている神社だと思います。
-
上田市街にはお寺が数多くありますが、この海禅寺の草創は少なくとも平安期。古刹としては、ここが最右翼のようですね。
-
そして、長く続く石畳の参道から、一段高くなった場所に山門、
-
本堂を構えて、まさに大寺という堂々たる構え。
真田昌幸の上田城築城に際し城の鬼門除けのためにここに移され、上田城下町の鎮護の寺とされた歴史をそのまま今に受け継いでいるように思います。 -
竹内善吾武信の墓は、上田市の指定史跡。海禅寺の隣り、呈蓮寺というこれもなかなか大きな寺の墓地の一角にありました。
-
広い墓地ですが場所を示す立派な杭が建っていて、すぐにそれと分かりました。ちなみに、竹内善吾武信というのは、文化天保年間、日本で一、二とまでいわれた算術の大家。周囲には一族の墓も並んでいます。
-
そこからさらに北に向かって。。
大星神社は、ここまで来るともう上田市街の外れ。だらだらと坂道を上って行って学校を過ぎたところ。 -
鳥居から本殿までは参道がしばらく続きますが、その周囲は大木がいくつも生えていて、それがけっこうな見どころ。上田市の天然記念物物となっています。
-
創建は平安時代。社殿もそれなりに威厳があります。ただ、市街からは遠いので、観光客には縁遠い神社かなとは思います。
-
再び、市街に戻ってきて。
これは、大輪寺。バリバリ真田ゆかりの寺。真田昌幸の夫人で、長男信之、次男幸村の生母でもある寒松院の発願によって再建された禅寺なんです。 -
イチオシ
幅の広い石畳の参道から山門をくぐるとお堀が囲んだその奥の中門は見事な楼門。この威容は上田市街の寺ではナンバーワンの見応えでしょう。
-
一方の本堂はまあ普通ですね。
-
そして、寒松院の墓は、大輪寺の裏手の方の山の上。道案内が丁寧に設置されていて迷うことはありません。宝篋印塔の形式で周囲にはたぶん侍女たちの墓だと思いますが丸い墓石も囲みます。
-
ちなみに、寒松院は、真田昌幸の夫人であり、長男信之、次男信繁の生母。関ケ原合戦の際は人質として大阪城にいたのですが、豊臣方に味方することになった真田昌幸の知らせを受けて、大阪城を脱出。上田城へ戻ったという剛の人でもあったようです。
-
その帰り、ふと気が付いたのは清野たいやき店。ここは観光客には無縁なエリアでしょうが、その分、地元密着で続いてきたことが窺われますよね。
-
期待をもって一つ買ってみました。
-
イチオシ
しっかりした皮はそれだけでもうまみがあるようなんですが、やっぱり餡子が秀逸。この少し水分を多く含んだ素直な甘さは私の好みのタイプなんですよね。皮と餡子の組み合わせにほどよいキレも感じました。
-
ここから、さらに戻って。
御菓子処 千野は、上田駅前から正面に延びるメインストリート沿い。小さな和菓子屋さんですが、老舗の雰囲気はありますね。 -
いただいたのは、「そばまる」。こんがり焼き色の美しいそば饅頭。ちょこっと胡桃のトッピングもありますが、その焼いた皮と落ち着いた甘さの餡子の基本的なおいしさがいいですね。インパクトがあるというお菓子ではありませんが、きちんとしたお菓子という印象です。
-
イチオシ
上田新参町教会は、上田市役所の近くにあるプロテスタントの教会。
白い壁に赤いとんがり屋根という物語にでも出てくるような姿にちょっと意表を突かれました。昭和10年と戦前の建物のようですが、さほど古びた感じがしないもの手入れがいいからでしょう。きれいな状態を保っています。 -
昌平堂も、上田駅前から正面に延びるメインストリート沿い。こじんまりした和菓子屋さんです。
-
いただいたのは、上田銘菓「絹しぼり」。黄身薯蕷の生地に絹パウダーを加えて、皮むき餡を加えるという手の込んだもの。絹は地元ゆかりのテーマなんでしょうが、味の方は茫洋とした感じ。厳しく言えば、あれこれ手を加えて、どこに味わいの中心があるのか。よくわからないお菓子です。
-
ここからいよいよ上田城に向かいつつ。。
上田市街にある上田高校は、かつての藩主屋敷の跡に建つ高校。周囲はお堀に囲まれて、小さな城のような風格も感じます。
その高校の正門となっているのが上田藩主屋敷門。赤いベンガラの色合いが少し残っているし、しっかり打たれた鉄の鋲が力強い。少し古びていますが、その威厳はまだまだ十分感じられます。 -
そして、上田藩主居館跡は、そっくり今の上田高校の敷地。
-
そうしたことは水戸市の高校とかの例もあって珍しくはないのですが、ここはお堀や土塁、土塁の上に巡る塀とか。こじんまりとはしていますが、まったくお城のようで、かつての雰囲気がかなり色濃く残っている。学校の校舎は別ですが、それを除けば、そのままかつての姿が素直に想像できると思います。
-
蚕都上田館は、上田市観光会館の隣りに建つピンクと白の斬新な配色が美しい建物。建物の前には説明板がありましたが、それには旧上田市立図書館とされていて、大正4年に一般市民の寄付を受けて明治記念館として建てられ、その背景に蚕都の経済力があったという説明です。
いずれにしても外観を楽しむだけ。それでもこの華やかさはインパクトがあるでしょう。 -
上田城の入口に建つ上田市観光会館。上田城と向かい合う場所にある大きな建物です。
-
一階はお土産物売り場で二階が観光案内所。
-
真田昌幸、正之、幸村の鎧が並べられたり、市内の観光スポットがパネルで紹介されていたり。スペースに余裕もあるので、ちょっとした休憩所としても使えます。
-
ここから上田城跡公園に入ります。第一次、第二次上田合戦と徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城として知られますが、現在残っている城は、実は仙石忠政が寛永年間に再建した城です。
正面入り口の東虎口門から入るルートだと意外に平坦で、何が難攻不落なのかと思ってしまうのですが、南側に目を転ずるとかなりの崖。その辺りを見るとがらりと印象が変わります。 -
上田城本丸への入口、東虎口門は、ポスターとかでもよく使われて、これが上田城の顔といった場所。その東虎口門を両側で支えるのが北櫓と南櫓で、北櫓は、東虎口門に向かって右手。城の奥の側に建つ方です。ただ、この北櫓自体がどうということではなくて、東虎口門と一体となった眺めを楽しむということかと思います。
-
東虎口門ですが、
-
その手前にあるのが、真田石。右手の石垣に使われた石です。石垣の石の中では群を抜いて大きくて、高さ 約2.5m、横3m。真田昌幸が上田城を築く際使った石なので、息子の真田信之が松代へ移る時、この石を父の形見に持って行こうとしたが、あまりにも大きく動かせなかったということ。しかし、大阪城や江戸城の大きな石を見てしまうと正直この大きさでは驚かない。まあ、ほどほどというところかなとは思います。
-
真田神社は、上田城の本丸に入ってすぐ。神社は、真田氏だけではなく、仙石氏、松平氏も含めて歴代の上田城主を祀っています。
-
明治になって、旧藩主を祀る神社が建立されるのがブームになった時期があり、これもその流れに乗ったものだと思います。
-
参道手前に六文銭の赤い巨大な兜のモニュメントがあって、これが一つの見どころになっています。
-
真田井戸は、真田神社の奥の方。城内唯一の井戸。城内に井戸があるのは珍しいことではないのですが、「抜け穴があって城北の太郎山麓の砦に通じていた。敵に包囲されてもその抜け穴より兵糧を運び入れるにも、城兵の出入りにも不自由しなかったという」と説明されていました。ただ、少し、伝説めいた話のような。真田にまつわる抜け穴伝説はあちこちにあるので、その一つくらいのことかなと思います。
-
本丸跡もちらりと見て。
この本丸跡を中心にして、時計回りに回るのが順路です。 -
石樋は、元禄年間、仙石氏が藩主の時代に木樋から石樋に改修された遺構。二の丸北口の百間堀に降りて行く途中にあって、降りていく口に案内板があります。石を精巧に組み合わせて、どうかするとコンクリートで作ったもののように見えるくらい。あまり古びた感じがしないのもすごいところです。
-
上田招魂社は、真田神社と本丸を挟んで反対側に位置します。戊辰戦役従軍の戦死者をはじめとして、日清日露の戦争、太平洋戦争の戦死者を祀る神社。上田にあって、護国神社に準じるものかと思います。本殿を囲む大木が涼しげです。
-
上田城公園の中に愛の鐘というのがあるんですが、鐘ではなくて、たくさんのスピーカーが付いている鉄塔で、それに「愛の鐘」と赤い字で書いてあるだけ。朝、昼、夕に音楽が流されるのだそうです。ただ、緊急を知らせることもできるでしょうし、それは鐘に相当する役割と言えるかもしれません。
-
上田城の隅落としは、本丸の土塁の東北。鬼門にあたる場所で、角を切りこんで両側に櫓を設けていたのだそう。その跡が今でも残っているのがここです。合理的な考え方をする一方で、鬼門といった迷信みたいなところにも配慮する。それも戦ううえでは無視できない要素だったことを理解したいと思います。
これでサクッと上田城はおしまい。 -
イチオシ
続いての常田館資料室は、上田駅から上田城と反対側の東方向。通りを進むと白い漆喰壁に裳階のような屋根も含めて四層の屋根を備えた倉庫が見えてきます。
-
ここは笠原工業の上田工場。上田は養蚕が盛んで、その経済力で栄えた時期があり、その歴史を今に伝えるもの。白地にモスグリーンの縁取りのある洋館が資料館ですが、そちらはこの時期休館。
-
しかし、この倉庫に奥の煙突のある工場とかを見ると十分に往時の養蚕の隆盛を感じることができると思います。
-
近場にあるのは、毘沙門堂跡。細く長い境内のアンバランスなお堂ですが、ここは佐久間象山が勉学した場所。
-
文政7年に龍洞院を辞した活文禅師がここで寺子屋を開き、佐久間象山を初め1000余人の生徒が教えを受けたのだそうです。佐久間象山というより、本来は活文禅師の史跡と言った方が適切かもしれません。
-
近場のもう一つは科野大宮社。こちらは、大己貴命 (おおなむちのみこと)、事代主命 (ことしろぬしのみこと)を祀り、信濃国総社とも推定される由緒ある神社。
ただ、見どころは何と言っても社叢。節くれだった巨大なケヤキが何本かあるのですが、その迫力は素晴らしいもの。かなりのインパクトです。 -
日も暮れてきて、ここらで晩飯にしましょう。
上田では、この草笛と刀屋がそばの二大人気店でしょうか。
ただ、草笛の方は上田駅から歩ける範囲としてはギリギリといった感じ。車で訪ねるロードサイドのお店です。 -
夕方のオープンと同時に店内は満席。やっぱりすごい人気です。
-
イチオシ
私は温かい肉そばをいただきました。そばの香りがプーンと漂っていい感じ。その一方で、この出汁のうまさは半端ではない。つまり、そばを特別なものという位置づけにはしないで、トータルのうまさで勝負しているように感じました。いいと思います。
-
さて、今日の宿は長野市。これから、しなの鉄道で約40分。上田駅の方に急ぎます。
-
途中の商店街では、こんなきれいな絵燈籠。
-
戦国時代から始まった上田の歴史。そのことをしっかり記憶にとどめたいという地元の思いを感じます。
久しぶりの上田でしたが、やっぱり無駄な旅にはならなかったようですね。
さて、明日はいよいよ道祖神祭りの本番です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
もっと見る
上田(長野) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
101